電子音楽のパースペクティヴ──agraph、3rdソロ・アルバムをハイレゾ配信
石野卓球のサポートを務め、いまや電気グルーヴのライヴにおいてもある意味で“第3のメンバー”として活躍中の牛尾憲輔。TVアニメ『ピンポン』劇伴や、ナカコー、フルカワミキらとのLAMAなどさまざまな活動を行っているが、ソロ・アーティストとしての彼のメイン・プロジェクトはこのagraphだ。そして、ここにagraph名義では約5年ぶりとなるアルバム『the shader』がこのたびリリースされた。OTOTOYでは本作をハイレゾで配信。本人のインタヴューにあるように、緻密に作り上げられた電子音響の塊となったそのサウンドはハイレゾで聴く以外の選択肢はないようにすら思える、そんな意欲作となった。
5年ぶりにして、おそらくは最高傑作ではないかと思えるような濃縮された作品をリリースした牛尾憲輔にインタヴューを敢行した。
agraph / the shader(24bit/44.1kHz)
【Track List】
01. reference frame
02. poly perspective
03. greyscale
04. cos^4
05. toward the pole
06. asymptote
07. radial pattern
08. trace of nothing
09. div
10. inversion/91
【配信形態】
24bit/44.1kHz
【配信価格】
アルバム 2,571円(税込)
INTERVIEW : agraph(牛尾憲輔)
新作の、その音楽性に関しては続く本人へのインタヴュー中にたっぷりと質問として解説しているのでそちらを読んでもらうとして、とにかく5年ぶりとなったagraphの新作は、尋常ならざる電子音の濃度を持ってこちらに迫ってくる。そこかしこに展開された電子音の、音響的操作の、その罠にハッとする瞬間がいくつもある。しかし、それが実験的でとっつきにくいかというとそうではない。俯瞰して聴けば、彼がこれまでにエレクトロニック・ミュージックで展開してきた、柔らかな音や美しいアンサンブルがどこからか聴こえてくるような感覚もある。そう、オリジナリティという話ではそれだけですでに十分に「彼の音だ」というのがすぐにわかる。だが、しかし、ひとたびその音に近づいていけば近づくほど、そのサウンドはこれまでの作品にはない構造を持ち、むしろこれまでになかったような複雑怪奇なほどの音の密度を携えていることがわかる。この密度の発露は、agraphの表現、その音が更新されたことを示していると言えるだろう。そして、この表現の密度こそ、彼がその表現として電子音楽を選び取った、その理由と言えるだろう。
さて、本作がどのように生まれたのか、早速訊いてみよう。
インタヴュー・文 : 河村祐介
編集補助 : 角萌楓
情報量が多すぎて全体を聴き取れないという状況にしたかった
──制作期間自体はどのくらいだったんですか?
1回完成しそうになったあとに「これでいいのかなぁ」と思って捨てたのがあったので、そこからだと、だいたい2年、3年ぐらいかな。
──で、わりとこれまでの作品と本作を概略を、自分の理解としてまとめると、まず1stはオーソドックスにテクノ、で、これの表現の中心はメロディにある。2ndはもっと表現の中心はアンサンブルに移ってて、電子音楽だけど構造としてはミニマル・ミュージックとかの現代音楽に近い、で、最新作はもうこれは表現自体が電子音楽でしか表現しえないものというか、音楽の要素としてもその音響的な部分が鍵なのかなと。
その通りでございます。テクノでもないし、エレクトロニカというのもいまの僕にはあまりリアリティがなくて。「じゃあ、方向性をダンスに振る」ということもできたと思う。でもそれは残らなかったというか、逆に、そのとき自分のなかになにが残っているかなっていうと電子音楽。純粋に、電子音楽という大きなくくりの中で気付いたところで作っていくしかないかなと。
──たしかに前作はわりとミニマルにシンプルという感覚だったと思うんだけど、音数でいえば今回は気が狂うような作業してる感じがする。
今回、音数の話をするのであれば、たしかに多い。歌えるメロディとか、ノれるビートがないというのもそうなんだけど、音楽として認識させたくなかったんですよね。情報量が多すぎて全体を聴き取れないという状況にしたかった。そこで鳴っているだけみたいにしたくて。それもあって音数を多くしたり、表現として情報量を多くして。それで電子音楽であろうとした。1度ボツにして新しく作ったあとで発見したやり方ですね。
──細部がものすごいことになっていて、それで曲全体に向かう意識を“散漫”にさせる。散漫というと語弊があるけど、細部を聴いてると全体の流れを一瞬逃してしまうというか。ちょっと聴いただけで、ハットにしてもいろんな角度から入ってくるというか。その宝探し的は逆に大枠の楽曲の配置があってからこそ没頭できることに気づく自分もいて。
そうそう。いままでやってきたことを一度フラットにして、全部無しにして考えて。音の良さとか一回は全部捨てて、ある世界観だけを作りたいと思って。だからメロディも僕たちがメロディだなって文化的に思うような高さや音域で鳴っているし、これはリズムだなって音色がなっているんだけど、でも、実際はそのどれもがメロディ的じゃないし、リズム的じゃないし、あるいはコード的じゃないし、和声的じゃないしというもの。「メロディってこういうもの」、「コードってこういうもの」という感覚で作ると、どうしてもそれに即したものになってしまうから。だから、そうではなくて、もっとぐちゃぐちゃなことをしてみようと。そうすれば、そこ(メロディやコード)に意識がいかないから、そこに立ち上る湯気みたいな世界観しかない音楽になるかなと。ぼんやりとした、それがやりたかったって感じかな。
──音源的にはそういう音を目指しているのかなっていうのは伝わってきた。だからすごく思ったのが、リズムという意味ではなくて、音の細い配置とかは打楽器的な感覚が強いのかなと。しかもその打楽器のテクスチャーが細かいのから、一部しか姿が見えないくらいでかいのまで、それがボワっと集まって輪郭を描いているというか。
あとは、それぞれの部分が遷移するものにしたくて。「メロディかな」と思っていたものの下の方がいつの間にかリズムになっていたり、リズムっぽく動いているものの高音部分が「ちょっとメロディっぽく聞こえるな」というのとか。そうやっていくとよりわからなくなっていくと思うので。そこまで行き着くものを一度作ってみたかったというか。
──いや、そこはすごく楽しめたと思う。
すごく不安(笑)。いままでで自分のなかで一番よくできたと思うし、よかったんだけど。いま、人の反応が一番怖い。伝わらないだろうなって。
──で、縮尺を変えて聴くと、それぞれ違う聞こえ方がする。小さなラジカセとかPCの悪いスピーカーとかで聴くと、ぼんやりと輪郭しか見えないから、いままの世界観をしっかり引き続いてて、それはそれで魅力としてあるんだけど、もっとミクロの視点というかイヤフォンとかハイレゾのシステムで聴くと、それを構成するものの粒子の細かさが全然違うていうのに気づいて。高解像度の写真のトリック・アートつうか、パッと見たら普通の絵で、よく見るとちっちゃいなにかがいっぱい集まっているみたいな。「うわっきも」っみたいな。
冒頭に出た、いちど作って捨てた素材も、サンプル・ソースにしているんですよ。ノイズになっちゃってるものとか、テクスチャーのひとつとしてサンプルして。いろんな技術を試していくうちに、過去の捨て去ってしまった覚えていないものとかもあるから。そういうのを使って切り貼りをしていると、よりぐしゃぐしゃになっていく。
生楽器の感覚ではありえない音楽体験
──“エレクトロニカ”という表現が結構陳腐になったのって、電子音楽で表現しなくてもいいものを電子音楽でトレースしているだけの音が増えすぎたんじゃないかと。グリッジ系の表現にしても「結局バックトラックがそれなだけで、売りは最終的に歌とメロディかよ」みたいな、もちろん楽曲としてそれがすばらしい効果が出す曲もあると思うし、自分で好きで聴くものもあるけど。でもやっぱり電子音楽という表現である以上は、電子音楽でしかできない驚きみたいなものを聴きたいなと。逆にこの作品に関しては、電子音楽でなければできなかったことを、極限までやってみるという気概を感じた。しかもさっき言ったように、表面的には自分のスタイルを崩さずに。
そう、だから、すごいテクニカルなアルバム。あと発想的には「生楽器の人はあまりこういう機材の使い方しないよね」というところをやった。例えば少しだけ話せば、普通、DAWでも生で鳴っているのと同じように作っちゃうと思うんですけど。今回はそこでいろんなリヴァーブを使っちゃう、そうすると生ではありえないことになる。音の場所がぐちゃぐちゃになってしまう。それこそが欲しかったのかな。
──現実じゃありえないものをあえてつくるっていう。
その、なんか現実的にない風景の重なりっていうところは、オフィシャルのプレス資料用取材でも言ってたんだけど、リュック・フェラーリの影響みたいな部分が根っこにあって、そこらへんにはすごく影響を受けましたね。
──前のアルバムとかは、和声であるとか、考え方としては、音楽を作ることにおいて楽譜的な頭の使い方だったと思うんですけど、今回は技術によって導き出される音、配置がメインって感じかな。
そういうところもあるけど、でも、前作でメインでやりたかったのはアンサンブルが美しく伝えられるための技術だったんですけど、今回は世界観を伝えるための技術という感じで。技術が志向する方向がすこし違ったかな。
──メインストリームではないにしろ、ここ数年、いまテクノなんかではインダストリアルものなんかも含めて、いわゆるエレクトロニカとはまた違った部分でテクスチャーや音響みたいな部分がフォーカスされている感覚ってあったりするじゃないですか。そういうものが意外にポップに聴かれてたりとか。そのあたりの感覚、制作そのものにもろに影響は与えてないにしても、背景としてどうですか。
もちろんあるというか、たとえばワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(以下、OPN)を聴いて、ああいうのを作ろうとは思わない。だけど、やっぱりOPNを聴くと耳は更新されてしまう。そういう「ああ、そうか」という気付きの部分はこの5年間すごく多かったし。今回の作品にも間接的に関係はあると思いますね。僕の耳が更新されて、その耳で作るので、テクスチャーが必要なものになってくる。前作を作ったときはテクスチャーという考えはなくて、単純にシンセで音を作るっていうことが結果的にテクスチャーに結びついていた。でも、今回は「メロディとリズムとコード、普通の音楽の3要素というものの他にテクスチャーというものがもう一本あるんだぜ」というのに気づいた耳だったから。「あるいはこの3本でテクスチャーをつくるんだぜ」というのに気づいた後の作曲の仕方、曲の作り方で作った。これは以前とは全然違う、変わっているので、それはこの5年間で更新されたことでもあって。
──さっき言ったように、解像度を荒くするというか、全体像みたいなところで聴くと、agraphの音だってすぐにわかるようなアンサンブルとか和声“に聴こえてしまうもの”かもしれないけど、確実にあるよね。それは、やっぱり出てしまうっていうところ?
それは最初作ってるときに要素として出てきて、本当はなくそうと思って。実はそういう意味で、一番キャッチーなのは3曲目の「greyscale」なんだけど。そういうの要素ははじめ入れてなかったんですよ。でも、今までやってきたこと、ある意味でキャッチーなピアノのフレーズをここに配置して、そこの後ろで不穏な世界観が鳴っているみたいな、相対的な地図みたいなものを作ったら構造的におもしろいなと思って。それも「俺はこれがおもしろいんだ」ではなくて、意識的にアイロニックにagraphっぽいキャッチーさを象徴するような部分に置いておくという。
──セルフ・サンプリングみたいな部分?
そうそう。それをこの世界観とかテクスチャーのなかに盛り込むというのがおもしろいなって思った。だからいままでのアルバムよりも画角が広いはず。あるメロディが鳴っているときに、いままでは高い解像度で最新の一眼でガッツリ撮っていたやつを、もうちょっとぼやけるように、ピントをずらしたりして、少し配置を楽しめるような感じにした。
──でも、もともとの全体の画素数が高いからこそ、聴いてる側は変なところをぼかしたり、フォーカスしておもしろがるみたいな。てか、本当に気の遠くなるところまでやってる……。
すごい大変だった。冒頭なんかもピアノからはじまるんだけどあそこのピアノで「ぽろろ~ん」ってやっているところだけでも、DAW上ではトラックがめっちゃ多くって。「ノイズ」「モジュラーで作った音」「巨大な鉄のワイヤーを叩いている音」とかが、ずらっと縦に画面に並んでいて。
リュック・フェラーリ、ベーシック・チャンネル、そしてアンディ・ストット
──ヒントになった作品とか、直接制作に影響してなくてもいいんで、さっきのOPNみたいなの、他になんかありました?
リュック・フェラーリはひとつありますね。ミユージック・コンクレートもの、いわゆるフィールド・レコーディングで、それが複数あって加工されているから、いろんな風景が同時に鳴っているという感覚。それをまさに曲名にしちゃったんだけど「poly perspective」。複数の遠近感みたいなものがひとつの曲に詰まっていたりするから、それがすごいおもしろいと思って聴いていて。そこに立ち上るものがさっき言ったような「世界観」だなと。すごくヒントになった。そこから、ベーシック・チャンネル。ベーシック・チャンネルも「ひとつひとつのテクスチャーは違和感のあるものがずっと固定されている」みたいな感覚が強いから。リュック・フェラーリから、ベーシックチャンネルへの接続、みたいな。
──複数の遠近感みたいなとこでいうと、例えば最近のインダストリアル・テクノと言われているものって、全体としてぐちゃっと昔っぽい音をわざわざ出しているっていのもあるけど、すごくレイヤーがあって、インダストリアルなざらついた感触の部分があって、下のベースラインやドラムはフロアでものすごく鳴りがいいように分離しているような曲ってすごい多いじゃない。そういうものがこのアルバムの感覚に近いんじゃないかなと思います。
そう、それはリュック・フェラーリ、ベーシック・チャンネル、そしてアンディ・ストットって感じの自然な流れだと僕は思うし、その流れ、僕のなかでその先のところに多分ヴェイパーウェイヴとOPNがあって。やっぱりその、質感を楽しんでいる人たちというか。
──で、本作も並びにあると。ある種フェチというか。
そうですね。たとえばウェイパーウェイブって80年代から90年代初頭のフュージョンみたいなものをカットアップしたりして、複雑なコード、リズム、メロディもそこで断片として鳴っているけど、でも誰もそこを聴いていない。VHSからサンプリングしましたみたいなテクスチャーの部分がおもしろいのかなって俺は思っていて。それはOPN『R Pluse Seven』のときもそうだったし、そこの接続というのはひとつ大きな背骨にはなっているかなと思いますね。なんかアンディ・ストットのあの暗い感じとかはすごく影響を受けていると思うし、耳の話で。
──わかりやすくいままでにない新しい表現だなって感じだと、4曲目「cos^4」とか9曲目「div」とかかな。
4曲目はドローンみたいなものの再配置の仕方を考えようかなと思って。リズムもあるんだけど、それもあんまり乗り切れないから、ずっとうしろでテクスチャーが動いているみたいな距離感、その遠近感みたいなのを表現したかった。9曲目はドローンが並行していって、拡散していって、収集がつかなくなって、どんどん外に広がって行っちゃうみたいなイメージのものを作りたいというか、その世界観でやるとどうなるのかなっていう。
──多分だけど、アルバム全体も、どの音が前に聴こえるかだけで、実はその後ろには結構な頻度でドローン的なものとかもそこかしこで鳴っていたりするわけでしょ。そういう仕掛けがアルバムのなかにいっぱいあるっていうことだよね。
ものすごい大変だった。多分4曲目でやっているけど、無音も使わないといけないから。テクスチャーがバーッとあって、そこから突然なくなるとかっていうのを、永遠にマウスでやっているから、なにが良いのか悪いのかわからなくなってきちゃって(笑)。
完全な無音を表現とするほどのすさまじい音数
──あの4曲目の無音部分みたいなところ、すごいよね。不安になるというか。逆に言うと、この作品は実はずっといろんな音が鳴っていることなんだよね。「無音っぽいところも無音じゃなっかったんだ」って怖くなる。それがおもしろい。この感覚のおもしろって、メロディや歌詞と全く違った異質な音楽のおもしろさだったりするわけじゃないですか。でも、間違いなく音楽以外では表現できないおもしろさだし。そういう意味で、本当、電子音楽以外でやれないことをやるっていう。
そう。マイクで音を録っちゃうと完全な無音、デジタルで0が並ぶ瞬間って作られない。しかもその無音を、リズムの中、世界観の中に取り込まないといけないので。それは打ち込みでやらないとできなかったかな。自分のプロジェクトに関しては綺麗に解像度がよくっていう感じではない。音が良いとか、いわゆる綺麗っていうのを今回はつくりたいんじゃなかったから。いまやメロディと歌詞とハイレゾの時代じゃないですか。そういうのがまるっきりなかった。
──でも、逆説的だけど、この作品の感じって、その音の解像度が一見悪そうなことを表現するための解像度の高というか、さっき言った「無音ではない無音」は、音が消える、入ってくるっていうような細かな部分はハイレゾで聴くことで、おもしろさがますと思うけどね。アルバムの『Shader』というタイトルはとこから?
いままで話したのって、なんていうか、器の配置の仕方なんだけど、そこに何を注ぐかみたいな部分、料理の中身の話というか、文学的な部分なので、なんかあんまり意味がない。意味をいうとすれば、多分、陰影をつける、影をつける、みたいな。ここに今こうやって影ができているけど、これを作る物理現象の式みたいなものが叙情的なテーマにひとつなっていて、それから曲の内容は作って行ったんだけど。そこからどういうふうに音がなるのか、みたいなところ。
──それって、前作のブックレットに小説を書き下ろしてもらっていた円城塔さん、その作品の感覚に近いんじゃないですか? 数式の向こう側に立ちのぼるものみたいな。
そうかもしれない、すごく影響を受けているかも。陰影をつけるときに「そこ、ここで起こっていることは、どういうことなんだろう」みたいなものをひとつのテーマにして、そこに内容を付加していくみたいなというのが一応はあるんだけど。円城さんの作品の「そこで具体的に起きていることは重要じゃない」というような感覚な同じで、アルバムのコンセプトとか、重要じゃない。
──ちなみに今回はOTOTOYではハイレゾで配信されるわけですけど、アーティストから見てどうですか。環境としてはいま普通はよっぽどのロートル機でなければ、DAW上は24bitか32bit、言ってみればハイレゾ環境で作っているわけじゃないですか。
僕はいわゆるハイレゾを享受するための環境を持っていないのでわからないけど。スタジオ環境のそのまま、僕たちが作っているものを聴けるのは、とてもいいんじゃないかなと思いますね。例えばビットデプスが深い、24bitで聴いてもらうったほうが、やっぱりピアニッシモとかが聴こえるんですよ。そこは良いと思いますよ。
PROFILE
agraph
牛尾憲輔のソロユニット。2003年からテクニカルエンジニア、プロダクションアシスタントとして電気グルーヴ、石野卓球をはじめ、様々なアーティストの制作、ライブをサポート。ソロアーティストとして、2007年に石野卓球のレーベル"PLATIK"よりリリースしたコンビレーションアルバム『GATHERING TRAXX VOL.1』に参加。 2008年12月にソロユニット"agraph"としてデビューアルバム『a day, phases』をリリース。石野卓球をして「デビュー作にしてマスターピース」と言わしめたほどクオリティの高いチルアウトミュージックとして各方面に評価を得る。2010年11月3日、前作で高く評価された静謐な響きそのままに、より深く緻密に進化したセカンドアルバム『equal』をリリース。 同年のUNDERWORLDの来日公演(10/7 Zepp Tokyo)でオープニングアクトに抜擢され、翌2011年には国内最大の屋内テクノフェスティバル「WIRE11」、2013年には「SonarSound Tokyo 2013」にライブアクトとして出演を果たした。 一方、2011年にはagraphと並行して、ナカコー(iLL/ex.supercar)、フルカワミキ(ex.supercar)、田渕ひさ子(bloodthirsty butchers/toddle)との新バンド、LAMAを結成。2012年以降は、電気グルーヴのライブサポートメンバーとしても活動する。2014年4月よりスタートしたTVアニメ「ピンポン」では、劇伴を担当した。 その他、REMIX、プロデュースワークをはじめ、アニメ作品の劇伴やCM音楽も多数手掛けるなど多岐にわたる活動を行っている。 2016年には3rdアルバムとなる『the shader』〈BEAT RECORDS〉を完成させた。