夜が更けるのを忘れて何かに没頭する気持ちをこの言葉に込めたかった──エマーソン北村『ロックンロールのはじまりは』
EGO-WRAPPIN’、シアターブルック、キセルといったアーティストのライヴや作品に参加し、その流麗なキーボードさばきでサウンドに彩りを加えるエマーソン北村。『遠近(おちこち)に』以来、2年ぶりとなる新作『ロックンロールのはじまりは』をリリースする。トレードマークとも言える、ほんわかとやわらかなオルガン・レゲエ・インストもあれば、もうひとつソロ・プロジェクトの側面でもあるディープな電子音楽も含む、6曲のミニ・アルバムとなっており、CD版には自身による「ロックンロールのはじまりは」について書かれたエッセイが付属する模様だ。記事では、この一風変わったタイトルのついた新作について話を聞くともに、楽曲「帰り道の本」というタイトルにちなんで本に関するコラムを執筆いただいた。
エマーソン北村 / ロックンロールのはじまりは
【Track List】
01. ロックンロールのはじまりは
02. 帰り道の本
03. どこゆくの
04. スピニング・ホイール
05. リメンバー
06. 中二階
【配信形態 / 価格】
AAC / MP3
単曲 199円(税込) / アルバムまとめ購入 1,050円(税込)
INTERVIEW : エマーソン北村
なんとなく良い香りのする音楽というのが僕のなかにはあって、エマーソン北村の出す音楽とは、まさにそんんな感覚がある。耳に入ってくると同時に、ふと感情が一段軽くなる。それはなんとなく、春の日差しのなかですっと鼻に入ってくる桜のかすかな香りとか、そういったものになんだか近い。どうしてもその発生源に引き寄せられてしまうというか、そういう感じだ。サウンドそのものはもちろんだが、サウンド本体ではなく、そこから湧き上がってくるような空気感、んんん、なんとも香りとしか表現できない感覚だ。柔らかなレゲエ・インストも、アンビエントタッチの電子音楽もまさにそうで、ふっと良い香りに紐づいた、穏やかな記憶がふわっと脳をよぎるのだ。『ロックンロールのはじまりは』と、一風変わったタイトルの本作について話を訊いた。
インタヴュー & 文 : 河村祐介
編集補助 : 柳下かれん
何を言うかじゃなくてどういう風に伝えるか
──まずは前作『遠近(おちこち)に』から2年、この間に結構な数、小さなカフェやバーなんかも含めてかなりの数のライヴをやってらっしゃいますよね。
『遠近(おちこち)に』は2009年ぐらいから制作を始め、5年以上にわたって空いた時間に録りためたものを2014年にまとめてリリースするという形でした。前作『遠近(おちこち)に』を1枚作り終わってから作業を始めて2年後に出す、今回みたいな作り方はしたことがなかったので。そこがまず新しかったです。
──ゼロから作った感じですよね。
『遠近(おちこち)に』を作り終わってからのリリース・ツアーで全国を回っている時の運転中に思いついた曲が一番古いものです。だけど1曲だけ、「リメンバー」というカヴァーは2009年、『遠近(おちこち)に』の時にはできていたものです。
──その2年の中で、今作のタイトル『ロックンロールのはじまりは』というタイトルや、作品の構想を思いついたのはいつぐらいなんですか?
最初から「ロックンロールのはじまりは」という言葉があったわけじゃないんですけれど。作品の構想は、ずばりいうと去年の夏「戦争法案(注)」が可決されたときで、はっきりしてます、それは実は。
編集部注 : 2015年7月16日に衆議院で、ついで9月17日に参議院にて可決し成立した、いわゆる「平和安全法制」。
──今回の作品は。CDには本作に関するエッセイというかあって、「ロックンロールのはじまりは」とはなにかについてエマーソンさんが綴っている文章ですが、これを読むと、その裏にははっきりとしたいまの社会状況に対する憤りみたいなものが伝わってきて。
そうですね、でも別に「戦争法案」が出たのに対して「ロックンロールのはじまりは」という言葉が出たわけじゃなくてぼんやりと、また生活する中で、「ロックンロールのはじまりは」という言葉が自分にとって基準になるような感じがしてきて。
周りの情勢に対する気持ちはもちろんあるんですが、「ロックンロールのはじまりは」とは、直接反戦に結びついている言葉ではないです。僕はミュージシャンだけど、他の人と特別違っているところがあるとは思っていないので、むしろ何によって評価されるのかというと「何を言うかじゃなくてどういう風に伝えるか」「どういう風に自分自身のことを見て、自分の周りも見ていくか」ということだと思っています。幸か不幸か自分は音楽を表現する立場になっちゃっているので、「どういう風に」っていうのは他の人よりも厳しく問われると思うんですね。だから、戦争や社会に対して、イージーなアンチとしてタイトルをつけている訳じゃないっていうことですね。どうやって表現をしていくか、どうやったら拠り所にできるか、ということの表れとしてのタイトルであると思うんです。
──今回、あえて音楽と文章をセットにするのは何故なんですか>?
最初はもっとCDブックみたいなものにしようと思って、曲2曲と文章くらいだけにしようと思っていたんです。でもやっぱ音楽が足りないなーと思って、6曲になりました。結構エッセイに軸足があったんですけど、音楽の方が上手に作れることに気づきました(笑)。
──でも、これ読んでいると本屋とかすごいお好きそうな。
まぁ……普通です。本屋に行くのは楽しみです。
──番好きな作家さんや言葉が好きな方は、どなたなんでしょうか?
なんですかね……詩人だと田村隆一っていう、60、70年代の現代詩の人ですかね。小説は割と普通に夏目漱石が一番好きだったので、『遠近(おちこち)に』というタイトルをつけたり。あとはまぁSFです。実は小説、文学よりドキュメンタリー、ノンフィクションも好きです。
──「ロックンロールのはじまりは」の文章は、抑圧的なものみたいなものに対しての「希望」とかの、出口として、本屋とかがあげられていて。本屋はインスピレーションの沸きどころだったりするんですか?
いや〜僕も文章が下手で、いきなり本の話になっていたりして。誤解されがちなんですけど、僕は本についても音楽についてもあんまり詳しくないんですよ。でも、音楽でも、本でも、夜が更けるのを忘れて何かに没頭する気持ちをこの「ロックンロールのはじまりは」という言葉に込めたかったんです。本屋さんに行ってぼーっとするのは好きなんですけど、何も買わずに帰ってきたりするし。たくさんのことを知っているって訳では全然ないんです。
「ロックンロールのはじまりは」というのが一種の基準
──なるほど。そしてこのタイトル曲が、わりと電子音楽というかアンビエントというか。
僕はDX100という楽器を主に使ってるんですけど、ギターの弾き語りみたいなもののつもりで作っていて、音色とか変わっていくんで色々な作業をしているように思うかもしれないですけど、実はほとんど一発取りなんです。この曲についてはどうしようもないノイズにしたいっていう気持ちがひとつと、もうひとつはエマソロの特徴で、シンプルな楽器で一発でやるというか、それがノイズと同じくらいポイントになっています。
──わりと2、3曲目はエマソロのライヴの感じの一般的なイメージとかにも近いような。ちなみに文章が先ですか? 補完し合っている部分があるのかなと。
いえ、あんまりないです。曲は曲で。でも「ロックンロールのはじまりは」というのが一種の基準としては働いてたかな? 2つのテイクがあったら、心の中で「ロックンロールのはじまりは」と言ってみて、マッチする方を選んだりとか。けど意図的に選択したというよりは、前回の物よりザラザラとして、ときたまピチピチっとしている感じを大事にしました。肝心なところ擬音になっちゃうんですけど(笑)。
──わかります(笑)。たしかかに今回良い意味でラフというか。『遠近(おちこち)に』はじわーっとアルバム全体を通してグラデーションで来る感じだったんですが、でも今回は1曲1曲がキャラ立っていて。
僕の悩みとしては、サポート・ミュージシャンとして今までやってきているので、コード感とかにはものすごく保守的で。楽譜通りしっかり演奏するというか。だけど、そういう自分がざらっとしてぴちっとしたものを作りたいと思うことがあって、そこはつねにジレンマ、葛藤なんですよね。
──そして4曲目なんですが、シャンガーン・エレクトロということで(注)。お好きなんですか?
編集部注 : 南アフリカおよびモザンビーグの一部エリアに住むシャンガーン族の伝統音楽由来のゲットー・ベース系のダンス・ミュージックの一種。名門〈WARP〉からリリースしたノジンジャというアーティストもいる。
僕、これをどうやって知ったんだっけ?〈Honest Jon's〉というロンドンのレーベルから出てる編集盤(注)から、シャンガーン・エレクトロという言葉を知って動画なんかも見てみたら「すごいな」と。あとはneco眠るですね。「シャンガーン・エレクトロ好きでしょー?」っていってすぐに通じたのは今のところneco眠るだけかな。
編集部注 : V.A.『Shangaan Electro - New Wave Dance Music From South Africa』
──ブラス・ロックの楽曲をこの構成でやってみようと思ったのはなにかあったんですか? この早いBPMで。
今からするとこういう曲なんだなって情報があるんですけど、僕はぎりぎりリアルタイムで聴いていて。当時はデパートとかで街のメロディとしてこういう洋楽って普通にかかっていたと思うんです。だから僕にとっては記憶にあるメロディで、改めて探したらこういうことだったっていうことで。「子像の行進」とかと同じフォルダーにはいってるんです。記憶の中に入ってるので、アレンジは、オリジナル曲より遥かに自由に振るまえるんですよね。シャンガーン・エレクトロより全然BPM遅いですけどね(笑)。
──記憶のなかのBGMとかムード音楽のなかのひとつというか、それでいて次の楽曲「リメンバー」のディープな感じが。これは紙資料によれば、故レイハラカミさんに影響をうけたという話なんですが、エマーソンさんのなかで、ハラカミさんの音楽の魅力ってどこにあると思いますか?
僕はそんなにご一緒したことはないんですけれど、たまに会うと「カンタベリー系好きなんだよね」みたいな話をしていて。安いコンパクトな音源(Roland SC-88Pro)だけで全てを作るっていう手法が好きでしたね。いま、亡くなったあとに思うと、意外とベースでできているサウンドだなって思って。ベースの印象が大きいんです、まさにそこに影響を受けていて。今回の「リメンバー」、MIDIで細かく打ち込んで構成していくというハラカミさんの手法とは違って、僕はアナログ・シンセでMIDIを使わず、細かくエデットしていくものでやってみたかった。
──今回のアルバムのなかで、僕はこの曲が一番好きかも。
本当ですか? 1曲目の「ロックンロールのはじまりは」とか「リメンバー」は、みんな気に入ってくれるのかなあ、と心配しながら入れたんですけど、むしろそっち2曲に反響があって。
──もちろん他の、ライヴでもやっているレゲエ調のもいいんですけど、アルバムを通して聴くと、「あの曲なんだったんだろう」っていう感じで、記憶に残ってもう1回聞くってことが多くて。
いまリスナーの理解力ってスゴい上がっていますよね。単にレゲエのインストをやればいい感じだったという頃とは、アーティストに求められているものが違うと思う。それより「こいつは何を思ってるんだということが」ごろんと出てきているものに皆注目するんだなと、すごく色んなシーンで体験しますね。
──エッセイのなかでは、デリア・ダービシャー(注)が出てきますよね。
編集部注 : デリア・ダービシャー、イギリス、BBCラジオフォニック・ワークショップに所属する、女性音楽家、編曲家、作曲家であり、シンセサイザー、ミュージック・コンクレートなどの電子音楽のパイオニアとしても知られる。イギリスの有名SF番組「ドクター・フー」のテーマ曲を手がけている。
そうですね。本当に詳しくはないんですが、レイモンド・スコット(注)とか、ブルース・ハーク(注)とかが好きなんですけど、たぶんそれはニューウェーヴからの流れっていうのがあると思います。そのなかでレイモンド・スコットはタイミングがぴしっとしてて怖くなるときがあるんですが、デリア・ダービシャーは容赦ないところと、意外とふわっとしてるところのバランスが好きで。
編集部注 : レイモンド・スコットはアメリカの作曲家、ピアニスト、指揮者、編曲家、発明家、そして電子音楽の先駆者でもあり、モンド・ミュージックの先駆者と呼ばれることも。ブルース・ハークも電子音楽の先駆者。どちらも子供番組などで電子音楽を制作していた。
──最後の曲は『遠近(おちこち)に』をリリースした後で最初に作った曲だと。
そうですね。ブルース進行っぽいシンプルで「悪い」感じのものを常に作りたくなるんですけど、なかなかうまくいかなくて。実は、ストレートなことをスッとやるのが1番一番難しいんですよね。
──なるほど。では結構、アルバム全体としては楽曲単位でつくったんですか?
そうですね。意外と目先のことしか考えないタイプなので(笑)。
──あるとしたら、基礎の中での『ロックンロールの始まりは』というテーマがセレクトの中ではあったくらいでという。
そうですね。他の人をプロデュースする時も一緒ですが、エマソロはプログラミングを最少にして手弾きでやっているし、ミックスもセーブとかできないアナログ卓でやっているので、常にAかBかの選択をせまられる。何か作るっていうのはテーマが先にあってそれを形にするんじゃなくて、その選択を重ねることでしかないんだと、今回つくづく思いました。
他の人間と演奏するエマソロをぼちぼちやってもいいかな
──制作のときって基本的にはマルチで素材をとって、それをアナログ卓でミックスして仕上げるっていう感じですか?
そうですね。マルチはコンピューターです。
──なるほど。ちなみになんですが、結構前から聞いてみたかったんですけど、あのライヴで見る、コンパクトな49鍵の2段重ねのキーボードはどこからなんですか?
珍しいかもしれませんよね。キーボードを縦方向に段差をつけて並べているのは電子オルガンやエレクトーンとか、ハモンドオルガンのような二段鍵盤になっている鍵盤の出身だっていうことですね。小さいキーボードを使っているのは、スティーリー&クリーヴィー(注)からの影響だったりします。
編集部注 : 1980年代から1990年代のジャマイカのレゲエ、特にダンスホールのシーンを代表するプロデューサー・ユニット。通称スティクリ。
――レコーディングはライヴと同じ機材でつくられてます? DX100をメインで、ドラムマシーンTR808で…ほぼこの2つだったりするんですか?
いいえ、家では結構いろんな機材を使ってます。トランジスタのコンボ・オルガンや、アナログシンセをキックに使ったり、ハットにつかったり。
──基本的にハードなんですよね。
実機っていうんですかね、そうですね。
──今回1つ、ある種、ブックとともにリリースするというところで、コンセプチュアルなアルバムだったとおもうんですけど、これを経て次にやりたくなった新しいものってあったりするんですかね? 今回は文章に軸足があったそうですが。
音楽的に2つのやりたいことがあって、まず一つめとしてリズムボックスとキーボードでやるいわゆる“エマソロ”スタイルでは、よりシンプルに戻したいなと思ってます。それと、あとこれは本当にわからないけど、1人ではない、他の人間と演奏するエマソロをぼちぼちやってもいいかなと。
──北村さんのリーダー・バンドのようなってことですか?
バンドっていうかレコーディングで他の人間と演奏するという、この2つの方向を。
──1つは超ミニマルに一人で完全にやって。
そうですね。そうでなければ、人間の力をあわせて自分の曲を作りたい。サポートミュージシャンとして演奏するときは当然他人の曲ばかりなので、自分の曲を他人に演奏してもらうという経験がなく、今でも超恥ずかしいんですよね。浦朋恵さんに「トロント・ロック」という曲をライヴでメロディ吹いてもらうセッションをしたんですけど、それがすごい良かったんですけど、超恥ずかしくて。自分の曲が恥ずかしいって何よって思うんですけど。でもそんな時に、他人と自分の曲を演奏する素晴らしさっていうのを改めて感じたりもしてます。
COLUMN : エマーソン北村の「帰り道の本」
曲名である「帰り道の本」やCDブックレットの文章に登場する「本」たちは、特定の本を指しているわけではないのですが、インタビュー本編では挙げられなかった僕のよく読む本について、ここで追加をしておきます。エマーソン北村お奨めの本というよりは、僕が折にふれて何度も思い出したり、ふと手に取ってしまったりする本だと思ってもらえれば。MV の小道具として散らかした本の中に写っているものも多いです。
文・選 : エマーソン北村
児玉隆也:著 / 桑原甲子雄:写真
『一銭五厘たちの横丁』
(晶文社)
戦時中の近所の人々を撮った写真のその後をたどる、それだけの話が、非常に容赦ないものとして読むものに迫ってくる。同時に、状況に翻弄される人々の、素朴ではないがどこか透明な姿が、とてもリアルに伝わってくる。人ってこんなに簡単に消息がわからなくなるんだなあ。
樋口一葉:著
『にごりえ・たけくらべ』
(新潮文庫)
これを読むたびにいつも、自分には言葉でも音でも余分なものが多すぎるなあ、と思う。こんな風に自分の感情にしたがって周りを見られたら、どんなにすばらしくまたどんなにつらいだろうかと思う。百年以上前の文章なのに作者に見えているものは完全に「現代」だ。
西山夘三:著
『住み方の記』
(文藝春秋)
京大の建築の先生が自分の生涯に住んだところを綴った本。すべての建物に正確でいい感じの間取り図がついていて、見取り図・断面図・手書き地図といったものが大好きな北村にはたまらない本。余計な装飾のない文章なのに、子供時代の家の光と影までが目に浮かぶように伝わるのはすごい。
スティーヴン・ウェッブ:著
『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由』
(青土社)
僕はUFOや超常現象といったエセ科学が大嫌いだ。「現実は分からないことで豊かに満ちているのに、なぜそんな程度で手を打つ?」というその安さが暴力的で嫌なのだ。この本はタイトルから想像されるのとは違い科学的な仮説・検証に忠実であろうとする姿勢で貫かれており、それゆえ最後にはほのかに寂しくなる。なぜかよく寝る前に読む本。
種村季弘:編
『東京百話(人の巻)』
(ちくま文庫)
東京の生活・場所・人についてのドキュメントやエッセイを集めたアンソロジーの一冊。「遠近(おちこち)に」の音楽は「人の写ってない写真」みたいだと感じる時があるのでこの本のような人の「写り込み方」(しかも多くはちょっとはみ出した)はいいなあと思う。しかもその感触はほっこりなどしてなくて、多くは読後にざらっとした気持ちが残る。色川武大「善人ハム」がすごい。
輪島裕介:著
『踊る昭和歌謡』
(NHK出版新書)
この本は他の五冊とはピックアップの意味合いが違う。今回「ロックンロールのはじまりは」を作りそのエッセイを書くにあたって、バックグラウンドのひとつになっているのがこの本だ。あまりに多面的に影響を受けているのでアルバムのクレジットにも、エッセイの参考欄にも、どこにも記すことができなかったのでここで挙げておきたい。この著者のように膨大な知識を持つことは僕にはできないけど、「だってスカとかロックステディとか好きなのってこういうことでしょ」とざっくり胸を張って言えそうな、交わることはないが同じ方向を見てやってきた感じのする内容に、はっと思わされることがたくさんあった。
SCHEDULE
「ロックンロールのはじまりは」エマーソン北村ソロライブ情報
2016年12月22日(木)
@名古屋 Hunny Bunny
2016年12月23日(金)
@京都 urbanguild 「ふちがみとふなととエマーソン北村」
2016年12月24日(土)
@大阪 カフェ&カリー ボタ(12:00-)
2016年12月24日(土)
@広島 JUKE(18:30-)w.KICELL
2017年1月20日(金)
@東京下北沢 風知空知 『ロックンロールのはじまりは』〜 エマーソン北村 ライブ&ミュージックセレクト
ライヴの詳細はこちら公式サイトへ
>>www.emersonkitamura.com :
PROFILE
エマーソン北村
キーボード奏者としてJAGATARAに1987年から、MUTE BEATに1988年から参加。ライブハウスのエンジニアやインディーレーベルのスタッフを経てフリーのミュージシャンとなり、’90年代から現在までの間に、忌野清志郎&2・3’s、EGO-WRAPPIN’、斉藤和義、シアターブルック、キセルなど数多くの個性的なバンド・アーティスト達と共に活動してきた。深い音楽理解からなる的確な演奏と、インディー/メジャーを縦横に行き来するフットワークの軽いスタンスとで、世代を問わない多くの音楽ファンから支持を集めている。「エマソロ」と呼ばれるソロ活動では作曲、レコーディング、ライブのすべてを一人で行い、ロックステディを基本にしながらも独特の風景が見える音楽を作り続けている。2014年にアルバム「遠近(おちこち)に」を発表し、北海道Rising Sun Rock Festivalに十年連続出演するなど、全国・韓国で数多くの印象的なライブを行ってきた。2016年12月、二年ぶりの新作「ロックンロールのはじまりは」をリリースする。