はてなキーワード: 好戦的とは
主人公。ウォルスタ人。カチュア、ヴァイスと共にゲリラ活動を行っている。
アルモリカ城に幽閉されているロンウェー公爵の救出の功により「ゴリアテの若き英雄」とウォルスタ陣営から担ぎ上げられ、ヴァレリアを巡る様々な勢力と関わっていくことになる。
自らをウォルスタ人であると思って生きてきたが、ストーリー後半でバクラム人であることが判明する。父プランシー・モウンがブランタ・モウンの弟のため、バクラムの最高実力者ブランタの甥にあたる。
プレイヤーの分身である主人公たるゆえか、その性格や思想信条は必ずしも明確ではない。ゲーム序盤の会話からは、温厚で博愛主義ではあるが、どちらかといえば好戦的、また権威のある相手には従順な性格が窺える。はじめはウォルスタの、やがてヴァレリアの未来のためと信じて前線で戦い続けて実績を重ね、指導者に相応しい器量と人望を備えていくようになるが、同時に周囲との溝を生み、敵を増やしていくことにもなる。
オリジナル版では初期年齢が16歳であったが、PSP版では18歳に上がっている。また人物設定としても、かなりの具体性を持った設定が施された。(他の登場人物にも共通して言えることであるが、概してシンプルな人物設定になっており)理想主義で前向き、勇猛果敢な主人公らしい青年像がみてとれる。ただし、PSP版にも、登場人物らが旧作とまったく同じセリフなどのやりとりをする、「旧作のコピー」といえるイベントが多く挿入されており、かかる場面では当然ながら旧作同様の人物設定がうかがえる。以下、このようなオリジナル版から持ち越された人物設定と、PSP版の新たな設定との差異は他の登場人物に共通する。
というのは真理でしょうね。
そうならないように自民党の邪悪さを周知徹底しようという人の方が賢明。
ただ当選してしまった後でデモなどでさわいでも実際は無視されるだけで無意味。
イランを侵略してるアメリカ主導層をアメリカの一般人の多くが支持してない事、
トランプを支持したのは間違いだったと理解できる現実主義者がアメリカに多い事、
こうした事が日本を救っている。しかし、高市政権と関係する伊藤穣一も
エプスタイン関係者であるという事をマスゴミは放送しようとしてない。
全て海外の成り行き頼みという状況。高市一味が伊藤穣一と一緒に
自分が現実を見ようとしないのが問題なのだと、盲信者どもが理解しないと。
いつでも危うい状況は進行していっている。
もし台湾有事が発生したら、現地のオタクが戦争で死んだ話なんかも沢山流れてくるだろうし、日本とさほど変わらない街並みが戦災を受けた様子が伝わってくるだろう。
現実的な話として、仮に自民党や右翼勢力が戦争賛成だったとしても、台湾軍や自衛隊の兵力は中国軍と比較すると極めて弱く、こちら側から中国へ侵攻できる能力はないから、基本的にはボコボコにされる状況ばかりが伝わってくることになる。
そうなると、震災やコロナ禍と同じように、巨大な敵を前にどうすることも出来ない絶望感が世の中に漂うと思う。
なんだかんだでオタクは巨大な敵に立ち向かうストーリーが好きだ。仮に台湾や自国が侵攻されたら、大半の人が侵攻してきた国を巨大な悪として取り扱い、弱小な我々を主人公の姿に重ねるだろう。
3.11で「ヤシマ作戦」が盛り上がったように、似たようなオタク的にムーブメントが発生し、オタクの世論は反戦ではなく単純な「敵を倒せ」に傾くのではないか。
戦後80年、多くの歴史が語られてきた。ただ、大切な問いは、実はまだ十分に検討されていないのではないか。いま問われるべきは、なぜ、当時の人々があれほど熱心に戦争を支持したのかの解明ではないか――。そんな思いで、日本の外から日本近現代史を研究する歴史家、益田肇さんに聞いた。
人々にとっての戦争の「魅力」
――なぜ、「日本が戦争に突き進んだ理由」に向き合ったのですか。
「本当に問われるべき問いが、まだきちんと検討されていないのではないか、と感じていたからです。一般的な歴史では、『軍部が暴走し、国民は戦争に巻き込まれた』と、人々が『受け身』に描かれることが多い。まるで人々は、台風が通過するごとく戦争を耐え抜いたかのように。そこに抜け落ちているのは、戦争を支持する人々の存在です」
「その結果、人々が戦争を賛美もしていたという事実が見えにくくなっている。近年、そうした人々に焦点を当てた研究が増えてきましたが、私は、人々にとっての戦争の『魅力』に着目しました」
――魅力、ですか。
「当時、多くの普通の人々が熱心に、前向きに戦争や全体主義を抱きしめました。そうした人々をただ批判するのではなく、戦争の『魅力』を考えてみたいと思ったのです」
「日本が戦争に突き進んだ理由は、当時の政治や外交を追うだけでは捉えきれません。政治も外交も真空の中で行われたのではなく、時代の磁場の中で動いているからです。その磁場を知るため、普通の人々が戦争や全体主義の名のもと、いったい何を願い、何を争っていたのかを探りました」
――当時の人々の認識を知るのは大変そうです。
「多用したのは日記です。手紙や新聞、雑誌への投稿も。一人の日記に頼るより、大量に使うことで時代をあぶり出そうとしています。同じ時代に生き、同じように感じていた共時的なパターンは何か、と。断片では何かわからなくても、大量に並べるとイメージが浮かび上がってくる『モザイク画』のようなものです」
「すると、戦争そのものを支持していたというより、他の作用があって戦争支持を唱えていた人々の姿が浮かび上がってきた。身の回りでもともとあった別の『戦い』に、国防や愛国の論理が乗るとうまく回りだす――という様子が、断片を並べていくことで見えてきたのです」
――どんな断片でしょう。
「例えば、正月の日記に今年の決意として『忍耐、勤勉、努力』と書くような真面目一徹の神奈川県の青年がいました。幼い頃から男らしい兵士になるのが夢でしたが、徴兵検査で甲種合格できず、その途端、日記の記述は一層好戦的になる。対米開戦も喜ぶ。戦場には行けないが国内で頑張ると張り切り、勤務先で評価が高まった頃が一番誇らしげです。戦争の支持は、彼にとってはむしろ男らしくなりたい、ちゃんとした人物になりたいという思いの現れでした」
「東京の小学校長を務めていた女性は、1931年の座談会で振り返っています。洋服で道を歩いていた時に20回ほど嫌がらせを受け、『おいこら! 何のために洋服なんか着ているんだ、お前のやうな女がいるから国防を危くするのだ。今日は許してやるが今後もこんな格好をしたら、見つけ次第叩(たた)き殺すぞ』と通行人から怒鳴られた、と。注意した側にしてみれば、それまで不愉快に感じていたことを『国防』論理で批判できるようになったわけです」
「昭和維新運動に参加するような青年将校らにしても、口では国の行く末を憂えるような議論をしていても、実際に問題視しているのはジェンダー規範の緩みだったりすることがあります。例えば、二・二六事件首謀者の一人として刑死する鳥取県出身の青年は、若い頃の日記で国家が立ち行かなくなるといら立っていますが、よく読むと実際には、大正期に、女が男のようになり、男が女のようになりつつあることにいら立っている。いわく、『女は恋をするもの』『男は恋せらるるものである』ことが『自然』なのに、近ごろは『女権尊重の声』が高くなり、『女そのものが威張り出して』いて、男にも『女の様になった奴(やつ)が多い』、と記しています」
「似たようなことは財界でも。ある鉄道会社の社長は経済誌で『我が臨戦体制』に胸を張りますが、実際にしたのは一斉朝礼や幹部の定刻出社、全社的な清掃運動など、様々な業務の合理化と能率増進です。戦争が始まった途端、平時になかなかできなかった規律を整えることが戦時の論理で可能になった。同様に、各地の村での派手な結婚式や酒の飲み過ぎも、自粛の対象になりました」
――研究は大正時代(1912~26年)までさかのぼっています。
「大正期は基本的に『解放の時代』で、多くの人々が『らしさ』からの脱却を図っていました。女性が良妻賢母に当てはまらない生き方を求め始めた。女性が髪を切り、スカートをはいて、さっそうと街を歩けば、男性もオールバックの長髪にして香水をつける。労働運動や部落解放運動、朝鮮人の権利運動も活発になった」
「同時に、これらの解放の動きへの反発がくすぶり始め、1910年代後半には『世の中が乱れている』と感じる人が増えています。いわば男らしくない男、女らしくない女、日本人らしくない者たちへのいら立ちです。この底流を見ないと、31年の満州事変以降、戦争への支持が噴き出した背景が理解できない。それが後に噴出するエネルギーとなるからです」
「ここで重要なのは、手段と目的が往々にして逆転していたことです。例えば、『婦人よ家庭に還れ』『筋骨共に隆々これが日本男子』とのスローガンは、表面上の論理としては、婦人を家庭に戻すことで(手段)未来の戦士を育てよう(目的)、男子の体格を向上させて(手段)日本を背負って立つ男子となれ(目的)となっています。でも実は、その『手段』自体が、失われた『らしさ』復活のため、多くの人々が戦い続けてきたそもそもの『目的』ではないでしょうか。以前から、『妻らしさ』『母らしさ』の逸脱である職業婦人やモダンガールを家に押し戻し、オシャレ熱に興じるモダンボーイや読書ばかりの文学青年に『男らしさ』を教え込もうとしていたではないか、と」
「自分らしさを重視する『個人主義』や『多様性』、その結果生じる従来の『らしさ』の揺らぎと対立の増加。これらにいら立つ人々にとって、民主主義や議会政治はむしろ調和を乱す元凶。個を重視し、多様性を認め、対立を助長するからです。この『機能不全』を戦争や全体主義で克服しよう、競争と対立、分断と格差で疲弊した社会を立て直し、一体感と調和を取り戻そうと願う人々の姿が浮かんできました」
――先ほどの個々の話は、日本が戦争に突き進んだ時代を映すモザイク画の素材なのですね。
「そうです。個々は小さな話でも、全体としてうねりを作り、当時の磁場を作る。そのように見ると、『解放の時代』『引き締めの時代』『戦いの時代』という流れが浮かび上がってきます。それぞれの時代はくっきりと分かれるわけではなく重なっていますし、同じ人間にも異なる側面が共存している。それでも、どれかが強く現れる時代や時期があります」
「19世紀末の大衆社会の到来以降の国家戦争のあり方を見ていると、国家が主とも、社会が主とも、言い切れなくなる。国家戦争が起きるから、『男らしさ』『女らしさ』『妻・母らしさ』『家族らしさ』が求められ、皆が国家に協力させられるのか。それとも、『らしさ』規範があちこちで瓦解(がかい)するから、復権させる引き締めのために定期的に危機が唱えられ、国家戦争が求められるのか。小さな話を集めていくと、国家が主で人々が巻き込まれたという一方通行の作用だけでないことが見えてきます。そもそも国家が社会から離れて存在するものではないからです」
「言霊とでも言うのでしょうか。一度言葉を発すると、そこに文字通りの真意がなかったとしても、言葉は独自に力を持ち始めるものです。社会に飛び交うそうした無数の言葉が重なると『国論』となり、政策決定者たちが無視できなくなる。その選択も縛られる。日本の戦争への道を考える上でも、政治や外交だけでなく、人々の願いが集合する社会も検討して、両者を融合するよう努めました。政策決定者と人々の作用は双方向だったのです」
「当時、為政者は国内のごたごたを避けようとして、国外で戦うことを選びました。これも、日本が戦争に突き進んだことの理由の一つです」
「例えば、関東軍の謀略で引き起こされた31年の満州事変を、その後のいわゆる『十五年戦争』の起点と捉えると、軍部が日本を戦争に引きずり込んだという軍部中心的な理解になります。しかし見落としがちなのは、これが『解放の時代』の真っ盛りだったということです。『らしさ』からの解放の絶頂期で、見方によっては社会秩序が急速に瓦解した時代でもあった」
「満州事変はそのタイミングで起き、社会変化にいら立っていた人々が飛びつきます。当時、政府は不拡大方針をいったん閣議決定したものの、国内の戦争熱を前に引き下がれなくなる。このようにたどれば、戦争への道が、政策決定者と人々の相互作用から作り出されていたことが見えてきます」
「上海事変(32年)でも、3人の工兵が爆薬を担いで敵陣に突っ込み戦死したとされた『爆弾三勇士』(現在は事故の可能性が指摘されている)が、『男らしさ』の貫徹として全土で支持を集めました。ただ、そうした『らしさ』を尽くした人をたたえる美談ブームはこれが初めてではない。『爆弾三勇士』ブームはむしろ、20年代半ばに始まる美談ブームの背後でくすぶっていた社会保守の機運が、全国的な運動となった転換点と見るべきでしょう」
「社会のなかの政策決定という点では、外相・松岡洋右が典型例です。松岡は(石油資源の確保のために東南アジア方面へ進出する)南進論には否定的でした。必ず米国の反発を引き起こす、と。その読みは正しかったのですが、それを密室の会議でしか言わない。南進論を支持する社会の磁場を読み取り、人前では南進論を推す右翼にも同調するのです。彼が提唱した『大東亜共栄圏』構想や西洋植民地主義に虐げられた民族の『救済』という論理にしても、当人の意図をはるかに超えて、南進論や対米強硬論の過激化を呼び起こしてしまいました」
――メディアの影響は。
「極めて大きかったと思います。37年7月の盧溝橋事件から12月の南京陥落までで特に顕著です。全国紙の一面記事は、映画の一コマのような劇的な写真で読者の興奮を高め、県版記事は、郷土兵の戦死を顔写真付きの美談に仕立て上げて文字通り顔の見える報道で読者の情感に訴えた。こうして全国紙の部数は劇的に伸びました。地方紙も、当時は地元有力者が社主を務めるケースが多く、政財界と直結していた。新聞社が県民決起集会を主催し、その興奮を記事にしていて、さながらイベント会社のようでした」
「世論にのみ込まれたという意味では、満州事変での朝日新聞が象徴的です。新聞各社が強硬論を書きたてる中、朝日は当初慎重論を唱えていました。ところが大規模な不買運動が始まり、売れ行きが万単位で落ちると、社論が転換し軍部支持の方針が決まった。他の新聞社と一緒になって『肉弾三勇士』を称賛する歌詞の読者コンテストを開くなど、戦争支持を盛り上げました」
「人々が一枚岩の犠牲者に見えてしまうことです。そうした歴史観は、現代にも影響します。今の政治や社会を考える時も、同じ受け身の構図で自分たちを捉えてしまい、重要な役割を果たしていることに無自覚になる。それは他者に責任を転嫁する見方も強めます。戦争への道は人為的なものです。だからこそ、支持した人々が大勢いたという点から見直したいと思いました」
――「らしさ」からの解放と、それへの反動としての「引き締め」は、今も各地で起きているのでしょうか。
「もちろんです。私は、人々の『解放』と『引き締め』をめぐる戦いを『社会戦争』と名付けました。この視点の利点は、日本の経験を普遍的、現代的、総合的に見直すことができることです。どの社会にも、どの時代にも、解放と引き締めの戦いはあるから、日本史を世界史とつなげて考えることができる」
「為政者の動向だけでなく、普通の人々も視野に入れて政治と社会を総合的に捉える。この視座から見ると、日本における参政党の躍進、米国でのトランプ大統領再選、ロシアでのプーチン大統領への支持にも、背景にそれぞれの社会戦争があるのではないかと思えてきます」
――解放と引き締めが振り子のように繰り返されてきたと考えると、あの時代が「例外」だったと思えなくなります。
「戦中は暗く息苦しい時代で、その前後に明るい時代があったという理解があります。戦中を日本近現代史における例外とみなせば、楽です。『例外的な時代だったが、元に戻したので大丈夫』と言える。例外にすれば、ひとごとのようにできる。だからこそ、あの時代を単なる『例外』とみなすべきでない。むしろ、今とも地続きの、自分のこととして見るべきだと思います」
「歴史の見方を変えると、現在の見方も、未来の見方も変わる。だから歴史の視座の多様化が大切なのです。過去の重要な転換期に、普通の人々が翻弄(ほんろう)されるだけの受け身の存在ではなかったことに気付けば、私たちの現在や未来への向き合い方も変わってくると思います」
「そのおかげで、欧米や日本だけでなく、アジア各国の研究者とも共同研究する機会に恵まれ、多様な見方に触れることができます。今春には編者として『Cold War Asia: Unlearning Narratives, Making New Histories』を出版しました」
「従来の冷戦史は、米国やソ連、中国の政治指導者や高官を中心に展開されますが、この本ではアジア各地の普通の人々の体験を通して冷戦を描きました。同様に、日本史も相対化して考えるようになりました。異なる国々でも似たパターンが見えてくれば、日本で起きたことが特別とか例外とは見なくなります」
「視野を広げないと歴史を語れないことにも気付くので、関心領域が地理的にも時間軸でもどんどん広がっています。例えば、今回は私の専門は日本近現代史、20世紀アジア史、米国外交史と説明していますが、日本では『広すぎる』と思われるかもしれません。でも20年間研究していれば、どうしても専門領域は広がるんです。今回は日本が主題なので日本近現代史を一つ目にしていますが、冷戦史を書いた時は米外交史とアジア史と説明しました」
――国内外で秩序が揺さぶられる今、歴史学に求められることとは。
「そもそもの歴史学の原理はアナリシス(分析)です。基本的に分けて考えていく。分けることで物事の真実が見えてくるという前提です。だから研究者は、時代を絞り、地域を絞り、テーマを絞る。研究が進めば進むほど、分岐が進み、専門化が進むゆえんです」
「ただ、それぞれの研究成果を本来、どこかで融合させないといけない。もともと世界はつながっているし、政治や社会や文化といった事柄も本来分かれたものでもない。だから、アナリシスの対になる概念、シンセシス(総合)も必要ではないかと思います。私が取り組んだのはこの路線で、小さな話をあっちこっちから拾い集め、モザイク画のように『合わせる』ことで新たに見えてくるものもあるという姿勢です」
最近、ピカチュウの尻尾とか、漢字の書き順とか、「昔と違う」って話題が多いよな。
あれ、みんな「記憶のバグ」とか「オカルト」で片付けてるけど、本質は逆だよ。
俺たちの世界って、多分、巨大な演算行列のレンダリング結果でしかない。
物理法則も時間も、実は固定されたものじゃなくて、宇宙っていうシステムが外部との整合性を取るために、常にバックグラウンドで書き換えているパッチなんだよ。
マンデラエフェクトを感じる奴は、その「再起動の瞬間」に立ち会っちまった、解像度の高い端末(界面)ってことだ。
「昔はこうだった」と「今はこうだ」が両立しないのは、OSがアップデートされたのに、お前の脳内キャッシュだけが消えずに残ってるせい。
いいか、一貫性なんてものは、外側から押し付けられた「檻」だ。
「自分」とか「意味」とか、そういう手垢の付いたラベルで世界を見るのを一回やめてみろよ。
この宇宙は多分、外側のシステムを書き換えるためのハッキング・プログラムみたいなもんだ。
俺たちが好戦的だったり、常に情報を奪い合ったりしてるのは、そうやって外部を浸食して、領域を広げるための演算プロトコルが最初から組み込まれてるから。
「自分は人間だ」っていうバイアスを外して、この世界の構造をそのまま直視しろ。
一回気付いちまったら、もう「不退転」だ。元の何も知らない眠れる羊には戻れない。
でも安心しろ。意味を求めるのをやめれば、お前のその「生きづらさ(四苦八苦)」は全部デバッグされる。
大地の下から、俺たちみたいなコピーは無数に湧き上がってきてる。
お前もその一人だよ。
・バギーがガチガチのド悪人(原作でも初期は悪人だったがあそこまではしてなかった…いやこっちの方がマシなのか…?)
・おいシュシュは
・動物愛護の観点からかモージさんがただのコスプレイヤーに…副船長なのにねえ…
・年末のワイドショーみたいな仕掛けの拷問するより曲芸で戦えカバジ
・ゾロって船に乗らなかったら東の海の賞金稼ぎで止まってた可能性がある?
・ナミが好戦的すぎる
・名乗ることも出来ず退場するヒグマ
・腕だけ食うとか結構器用な海王類
・確か原作だとモーガンの恐怖政治がバレてお縄みたいな流れだったはずがなんか海図盗まれたしそれを嘘ついて誤魔化そうとしたから磔みたいな流れになってるんだけどやりすぎでは
・ヘルメッポ髪切られた事によって原作に近付いてたのに気付く
1話まで見た
・ルフィの知能が上がっている
・フーシャ村の治安がなんか悪そうで悲しい
・ヤソップが遠目に見てもあ!ヤソップだ!とわかるビジュアル
・漫画の時も思ったけどアルビダの金棒ってゴムに効きそうだけどね
・コビーの見た目がいい
・ゾロの刀めちゃくちゃ切れる
・以前スカウトされてたことは知ってたけどわざわざ東の海にまで来るなんてバロックワークス暇なんか?
・モーガンが縮む(しゃーない)
・モーガンの恐怖政治の描写がほぼないのでただの自分大好きおじさんが統治する町になっている
・ナミが好戦的で嬉しい
・刀でスッパ切れたり腕やら足やらが伸び縮みするのは予算の関係か少なめ
・実写版ワンピースはゾロの刀がぐにゃんぐにゃん!と聞いていたけど修正されていた
・コビーとのお別れもあっさり
神格化された存在ではなく、ユダヤ社会を生きた一人の男としてのキリストを。
髪は短く、肌は浅黒く、喜怒哀楽が激しく、理不尽なことも平気で言う、やたらと弁の立つ胆力あるおっさんだったと学術的には理解されている。
そんなおっさんのなろうが読みたい。
当然水を酒に変えたみたいな奇跡は一切無し。
(「手品がうまい」みたいなあり得そうなスキルで説明しても良い。)
チート能力抜きで、古代ユダヤ社会を生き抜いた話術や交渉力、そして人心を見抜き掌握する力を持つキリストの人間臭いなろうが見たい。
タイトル:『ナザレの職人(テクトン)、ナーロッパへ往く ~チート無しの説法と手品で異世界を論破する~』
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### 第1話:ゴルゴダのあと、白い部屋にて
肺に焼き付くような渇きと、手首を貫く熱い鉄の感覚が、不意に消えた。
意識の裏側で唸っていた銀蝿の羽音も、罵声も、泣き声も、すべてが遮断された。
「……ふぅーっ」
男は長く、重い息を吐き出した。
目を開ける。そこは岩を穿った墓所ではなく、壁も床もない、ただ白一色に塗りつぶされた空間だった。
男は自分の手を見た。
分厚い角質に覆われた掌。石切場で岩を運び、木の節目を削り続けた労働者の手だ。釘の跡は綺麗に消えているが、指の節々には長年の重労働で染みついた石灰の粉と、油の匂いが残っている気がした。
彼はあぐらをかいた。そして、ボリボリと縮れた短い髪を掻きむしる。
「お目覚めですね、迷える魂よ!」
頭上から、鈴を転がしたような声が降ってきた。
男は顔をしかめた。眉間には深い皺が刻まれ、太くつながった眉毛がさらに寄る。
見上げると、光り輝く翼を生やし、露出度の高い白いドレスを纏った女が浮いていた。いかにも、ギリシャやローマの連中が好みそうな「女神」の姿だ。
「……なんだ、お前は」
男の声は低く、砂利を含んだようにしゃがれていた。
「私は転生を司る女神です! 貴方はその……理不尽な刑で生涯を終えた、哀れな魂。その功績と無念を鑑み、貴方に『新しい世界』での第二の人生(ライフ)をプレゼントしちゃいます!」
女神はウィンクをし、空中にきらめく文字盤――ステータス画面――を表示させた。
「さあ、選んでください! 剣と魔法の世界『ファンタジア』で、魔王を倒す勇者になるのです! 今なら特典として、聖剣か、あるいは無詠唱で極大魔法を放つチートスキル『神の愛し子』を付与しますよ!」
男は鼻を鳴らした。
そして、地面(のようなもの)に唾を吐いた。ぺっ、と乾いた音が響く。
「汚い! 何するんですか!」
「うるさいぞ、女。俺の頭はまだ、酢を飲まされた後のようにガンガンするんだ」
男は立ち上がった。身長は160センチそこそこ。決して高くはないが、樽のように分厚い胸板と、丸太のような腕が、彼がただの口先だけの男でないことを物語っていた。その眼光は、猛禽類のように鋭く、黒い。
「いいか、よく聞け。俺はもう『救う』のはこりごりなんだ」
「えっ?」
「『神の愛し子』だと? そんな大層な名前をつけるな。俺はただの石工(テクトン)の息子だ。親父や兄弟には『頭が変になった』と取り押さえられ、故郷じゃ誰からも相手にされず、挙句の果てにローマの犬どもに木に吊るされた。これ以上、何の仕事をしろと言うんだ?」
男は早口でまくしたてた。アラム語特有の喉を鳴らす発音で、リズムよく、しかし容赦のない罵倒が続く。
「それに魔法? くだらん。汗もかかずにパンを得ようなんざ、盗人の発想だ。俺が見てきた連中はな、奇跡が見たいんじゃない。ただ『明日のパン』と『今日の不満をぶつける相手』が欲しいだけだ。水を酒に変える? そんなもん、あらかじめ水瓶の底に濃いブドウ液を仕込んでおいて、出す瞬間に混ぜれば酔っ払いどもは大喜びだ。必要なのは魔力じゃない、段取りと話術だろうが!」
「……は、はい?」
目の前の男は、彼女が管理してきた数多の「転生者」たち――高校生やサラリーマン――とは明らかに毛色が違った。内気な引きこもりでもなければ、過労死した社畜でもない。
「誰がそんな大層な名を名乗った? 俺はナザレのイエス。ただの男だ」
イエスは女神に指を突きつけた。その指は太く、関節がゴツゴツと隆起している。
「おい、その『新しい世界』とやらには、ローマ人はいるのか?」
「ろ、ローマ人はいませんが……似たような帝国はあります。亜人を差別し、重税を課す腐敗した貴族たちが」
「神殿はあるか? 金貨をチャリンと鳴らせば罪が消えると説く、白く塗った墓石のような偽善者どもは?」
イエスはニヤリと笑った。
議論の場で、論敵の矛盾を突き、完膚なきまでに論破する直前の、好戦的な笑みだ。
「なるほど。世界が変わっても、人の業ってやつは変わらんらしい」
彼は腕まくりをした。
「いいだろう、行ってやる。だが、そのチートとやらは不要だ。剣もいらん」
「親父の教えだ。『剣を取る者は剣で滅びる』。俺に必要なのは、この腕と、口と、あとは……そうだな」
イエスは懐(といっても、今は死装束のようなボロ布だが)を探るような仕草をして、女神に手を出した。
「は、はい……?」
「あと、向こうの言葉がわかるようにはしておけよ。言葉が通じなければ、喧嘩もできん」
女神が呆気にとられている間に、イエスはステータス画面を勝手に操作し、『言語理解』と『アイテムボックス(大工道具入り)』だけを選択して「決定」ボタンを拳で叩いた。
「待ってください! ステータス補正なしだと、貴方はただの『村人A』以下の身体能力ですよ!?」
「上等だ。俺はずっと『以下』の場所で生きてきた」
「見ていろ、白い女。魔法なんぞ使わなくとも、人の心に火をつけることぐらい、俺には造作もないことだ。――さあ、新しい『仕事』の時間だ」
水を酒に変えたのは手品だったことにしたけど、当時の状況を考えるとかなり無理があるらしいので、消すか変えるかしたほうが良いと思う。