はてなキーワード: ムーブメントとは
プログラマとそれ以外の人って世界の捉え方からして違いすぎて、そのギャップが毎日嫌になる。プログラマってパソコンが存在しなくてもプログラマなんやなって毎日思う。以下、嫌な点の列挙
・プールプルーフの考え方がない。あらゆる分野のエンジニアは、「人は基本的にヒューマンエラーを起こす無能」という前提で環境を作るが、そうでない人は、啓蒙したり、ミスを叱って気を引き締めさせることで解決する。(特に私はヒューマンエラー多めの人間なのでつらい)
・カプセル化や疎結合を意識していない。部署ごとの役割の境目が曖昧なので、たしかに「他部署のミスを発見できる」とか「例外的なことが起こった時に融通が利く」のようなメリットはあるが、他部署の都合も把握していないといけないと、意識すべきことが膨大になる。
・水平思考ができない。自分の主観はいつだって正しくて、押し付けて良いと思っている。プログラマは常に「自分は間違ったことや、ソースがないことを喋っているかもしれない」と気をつけて喋っているというのに! 主観と主観がぶつかったときは常に、地位が高い方の主観が正しい。
・業務の持続可能性をついて考えていない。業務の全容は人の脳内にあり属人的で、業務内容を次世代へ引き継ぐときもフローチャートや手順書に起こしたりしない。OJTでは、知識が必要になったり、例外的な事が起こったら、場当たり的に知識を教える。知識を断片的に、枝葉から順番に覚えることになる。(なんなら、そうやって業務内容を容易に理解させない事で、属人的な業務をこなしている上司の威厳や上下関係を担保しているのではと疑いたくなる)
・弊社ではようやく「手順書を書こう」というムーブメントが起こり始めているのだけど、みんな(プログラマと比べて)命令を厳密に記述するのがド下手。「ここまで書けばわかるでしょ」という、複数の解釈ができてしまう記述や、前提知識を多分に要する記述が多い。というか手順書に限らず普段のOJTでもそう。
・エンジニアの「チョットワカル」の精神がない。なんでもいいので学問を1つ本気で学んだことがある人はみんな「自分は途方もないくらい無学だ」ということをわかっていて謙虚なのだが、そうでない人は傲慢で、「新人の方が自分より業務内容に詳しい」という状態が許せない。
・新人が、プログラミングであらゆる既存のルーチンワークを解決できることが実証されると、(そのルーチンワークをしている自分の尊厳が失われるためか)集団で無視する。
プログラマとそれ以外の人って世界の捉え方からして違いすぎて、そのギャップが毎日嫌になる。プログラマってパソコンが存在しなくてもプログラマなんやなって毎日思う。以下、嫌な点の列挙
・プールプルーフの考え方がない。あらゆる分野のエンジニアは、「人は基本的にヒューマンエラーを起こす無能」という前提で環境を作るが、そうでない人は、啓蒙したり、ミスを叱って気を引き締めさせることで解決する。(特に私はヒューマンエラー多めの人間なのでつらい)
・カプセル化や疎結合を意識していない。部署ごとの役割の境目が曖昧なので、たしかに「他部署のミスを発見できる」とか「例外的なことが起こった時に融通が利く」のようなメリットはあるが、他部署の都合も把握していないといけないと、意識すべきことが膨大になる。
・水平思考ができない。自分の主観はいつだって正しくて、押し付けて良いと思っている。プログラマは常に「自分は間違ったことや、ソースがないことを喋っているかもしれない」と気をつけて喋っているというのに! 主観と主観がぶつかったときは常に、地位が高い方の主観が正しい。
・業務の持続可能性をついて考えていない。業務の全容は人の脳内にあり属人的で、業務内容を次世代へ引き継ぐときもフローチャートや手順書に起こしたりしない。OJTでは、知識が必要になったり、例外的な事が起こったら、場当たり的に知識を教える。知識を断片的に、枝葉から順番に覚えることになる。(なんなら、そうやって業務内容を容易に理解させない事で、属人的な業務をこなしている上司の威厳や上下関係を担保しているのではと疑いたくなる)
・弊社ではようやく「手順書を書こう」というムーブメントが起こり始めているのだけど、みんな(プログラマと比べて)命令を厳密に記述するのがド下手。「ここまで書けばわかるでしょ」という、複数の解釈ができてしまう記述や、前提知識を多分に要する記述が多い。というか手順書に限らず普段のOJTでもそう。
・エンジニアの「チョットワカル」の精神がない。なんでもいいので学問を1つ本気で学んだことがある人はみんな「自分は途方もないくらい無学だ」ということをわかっていて謙虚なのだが、そうでない人は傲慢で、「新人の方が自分より業務内容に詳しい」という状態が許せない。
・新人が、プログラミングであらゆる既存のルーチンワークを解決できることが実証されると、(そのルーチンワークをしている自分の尊厳が失われるためか)集団で無視する。
会話のなかで、相手が自らの期待と異なる行動や言動をするときが顕著だ。
アンガーマネジメントの本を読み漁ったり感情のコントロールの本を読んだり、
アサーティブほげほげの本を読んで、対処法を頭に入れているつもりで、
頭では「自分は◯◯を期待していたのだな。相手は✗✗ということで自らの期待が通らないことがこの苛つきの原因だな」とわかっているのに、心臓がキューッと縮み、手足が冷え、それに反して頭が過活性していくような感覚と、
怒りにまかせて相手の一挙一動の揚げ足をとったり、矛盾したり、過失を見つけるとそこ一点を攻撃するような論調で激詰めしてしまう。
相手からしたら「なんだこのめんどくさい奴」と思われるだろうし、そんな相手をさせてしまうことが申し訳ないしで事が終わるとひどい自己嫌悪に悩まされる。
若い時は、相手が自分の期待に反するときでも冷静に落とし所を探ったり、
ある程度冷静に振る舞うことができていたのに、ここのところ自分があまりにも馬鹿みたいなムーブメントばかりで、本当に嫌になる。
_人人人人人_
> 焼 肉 ! <
 ̄Y^Y^Y^Y ̄
始まったアメリカンBBQの様子をTwitterに上げるミームのごときムーブメント。Twitterの翻訳機能がここまで正しい意味の文化交流や相互理解に使われるとはイーロンもびっくりだろう。
「HAHAHAこんなの俺たちの日常だぜ」「日本人はこんな普通の肉の画像で喜ぶのか?」のようなアメリカニキたちのマウントと、それに対する日本側の羨望と敗北のリアクション、数々の肉汁滴る肉肉肉の画像群とそこへ付いている米日それぞれの引用を眺めていると微笑ましい気分になった。
最初はよくあるネットの内輪ノリのようないわゆる「飯テロ」の一種、食欲への刺激だと思っていたがそれだけ説明がつかない何かがあった。
この文脈で日本側が対抗として寿司の写真を出したらどうだろうか。
正直弱いだろう。同じ肉の括りで牡丹のように並べられた霜降り和牛の薄切り画像を出しても同じだ。確かに美味しそうではあるが、あのアメリカの肉が持っているそれには届かない。 「美味しそうな肉」というだけでは説明できない差がある。
アメリカニキたちが上げた画像を見ればわかる通りそれは一般家庭の男性だ。屈強な体格の父親や近所の男たちが庭で火を起こし、何時間もかけて肉を焼く。
薪を割る。
火を管理する。
巨大な肉を扱う。
時間をかけて待つ。
その一連の行為がそのまま「家族やコミュニティを支える存在」としての象徴になっている。
いつも仕事で家にいない、何をやっているか分からない父親でもBBQの時だけは火を焚きでかい肉を焼いて家族や自分に配膳してくれる、そんなこの構造があるからあの肉の画像は単に美味しそうではなく「屈強な父親に守られて飢えることのない安心感」に近いものが写り込んでいる。
地域の人間が集まり、役割分担があり、男が力仕事を担う。 日本でそんな同じ構図を探すと、近いのは近所の餅つき大会や東北の芋煮会だと思う。デカいパワーショベルにデカい鍋。だが肉の持つ視覚的な暴力性とスケールには敵わない。
そして『失われつつある郷土料理をなんとか残していこう』という、言葉は悪いがある意味老人たちのしがみつきのような文脈を感じてしまい、安心感よりも『お前たちが続けないと無くなるぞ』と脅されているような感覚すらある。
そして日本のいわゆるBBQはスーパーで買った薄切り肉を焼いて、タレをつけてご飯と一緒に食べる。これはこれで合理的で美味しいが、あの役割や象徴はほとんどない。
かつて自分が参加した子供会の焼肉も部活の打ち上げでの焼肉も参加している父親たちは数人で、機材を運ぶ程度はやっていただろうが焼いた肉を分けたり細かい配膳は各家の母親がやっていた記憶がある。これは日本の男性が料理をしないという単純な話ではなく、日本式の薄い肉は誰が焼いても成立するし、極端な話ホットプレートでも完結するのだ。
アメリカのBBQは料理というよりイベントであり、 誰が火を扱い、肉を焼き、誰が食べるのかを示す構図自体が文化になっている。
火を扱うというのは、原始的なレベルでの支配と管理を意味する。 それを長時間維持しながら、周囲に食事を提供する。
この行為自体が、本能的な安心感につながるのは自然なことだと思う。
だからあの画像を見ていると、ただの肉なのに妙に羨ましく見える。 アメリカニキたちが上げる画像はもちろん食べたいという気持ちはあるが「あの場に属している状態」が羨ましくなる。
寿司は家庭で握るものではないし、食べたとしてもスーパーや回転しているものだ。まして和牛は気軽に買えるものではないし、最近はgあたりの値段ばかり気にして国産かどうかを気にする余裕もない。
京都はインバウンドであふれ、どこでも同じような中国製の和風小物とエセ漢字のTシャツが並んでいる。
『一般家庭で屈強な若い男たちが大きい肉を焼く』というアメリカという自分が所属する国の文化や誇りを示し、関係性としての圧倒的な安心感を与え、動物の本能的な食欲をそそる肉要素を全て揃えた画像に対して、対抗できるもの日本側は出せるだろうか。
よく考えれば牛丼というものはあらゆる文化を受け入れ独自に進化してきた日本とアメリカと1番わかりやすい文化交流ではないだろうか。
裏を見たらオージービーフだった。
もし台湾有事が発生したら、現地のオタクが戦争で死んだ話なんかも沢山流れてくるだろうし、日本とさほど変わらない街並みが戦災を受けた様子が伝わってくるだろう。
現実的な話として、仮に自民党や右翼勢力が戦争賛成だったとしても、台湾軍や自衛隊の兵力は中国軍と比較すると極めて弱く、こちら側から中国へ侵攻できる能力はないから、基本的にはボコボコにされる状況ばかりが伝わってくることになる。
そうなると、震災やコロナ禍と同じように、巨大な敵を前にどうすることも出来ない絶望感が世の中に漂うと思う。
なんだかんだでオタクは巨大な敵に立ち向かうストーリーが好きだ。仮に台湾や自国が侵攻されたら、大半の人が侵攻してきた国を巨大な悪として取り扱い、弱小な我々を主人公の姿に重ねるだろう。
3.11で「ヤシマ作戦」が盛り上がったように、似たようなオタク的にムーブメントが発生し、オタクの世論は反戦ではなく単純な「敵を倒せ」に傾くのではないか。
部下を信頼していないのではなく、とにかく自分が責任を取りたくない
北海道だろうが沖縄だろうがハワイだろうが「はいどうぞ」でOKを出す
ちなみにこの手のムーブメントはするけれど責任は全部取ってくれる上司が一番良い上司
YesもNoも明言しないで後から「だから言ったのに」みたいに責任とらないクソオブクソダメ上司
SlackだとかTeamsだとかで
「○○案件で要請があって広島に出張したいんですが良いですか?」
って聞くと
とか言うだけで返事しない
『鈴木探偵』とは、漫画内の一人のキャラクター及びその性別を巡る議論をベースとしたムーブメントの総称を指す(と夢の中では解釈されていた)
鈴木探偵は、あるラブコメ漫画に登場したサブキャラで、黒髪ポニーテールに眼鏡、ベストにネクタイというビジュアルで登場したキャラクターである。
比較的に目がぱっちりした爽やかなビジュアルかつ、女性を対象とした下ネタ的な妄想を主人公(男性キャラ)に吹っかけて同意を得ようとするという強烈なキャラクター性で、作中の1話で数コマだけ登場したキャラながら強烈なインパクトと人気を博した
ただし性別が確定していない(作中描写では男性という説が優勢?)のため、ファンを中心に「鈴木探偵の性別についての議論」が白熱化
特にイラスト投稿サイトや動画投稿サイトで、どちらかの性別性を強調した願望込みの作品が多数上げられ、『鈴木探偵』は性別議論を巻き起こすキャラクターの代名詞となり、カルト的な人気を博することとなる
特に鈴木探偵を男性だと願望する女性ファン層と、女性だと願望する男性ファン層の、プロレスめいた作品投稿合戦が加速、鈴木探偵人気は佳境へと至る。
ところが公式から、鈴木探偵にまつわる二次創作禁止の措置及び既存作品の削除規制が始まる。
原因は、大本となる漫画連載アプリのコメント欄で鈴木探偵の再登場及び性別の確定を求める声が圧倒的となり、漫画の本筋がおざなりになり、作者がノイローゼから筆を折る寸前となる事態にまで発展したことであった。
それを機に鈴木探偵ブームは終わった…かに見えたが、対面によるファン語りとして鈴木探偵のファンダムは密かに続いていた
まあ要するにクラピカ論争が白熱しすぎてハンターの本筋を無視してでもクラピカを出せという人が多かったため、作者が心折れたような感じである
ハンターは本筋が面白いのでクラピカごときで揺らがないが、夢の中のラブコメは本筋がありきたりだったため、一人の人気キャラに揺らいだのだった
夢の中では、私ととあるファンが出会い、同志として鈴木探偵語りをする
削除祭り前に保存した良作品や、自分の解釈を語りながら白熱する議論
しかしながら、ファンではない同行者の「要するに妄想でキャッキャしてるんやろ、気持ち悪い」という言葉により、議論は中断されてしまった
「EU議会は、「トランス女性を女性として完全に承認する」ことを、「女性の権利とジェンダー平等」に関する国連女性の地位委員会の優先事項の一部として求める報告を受け入れるよう投票をおこなった」
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「推し活」化した野党という表現は、2020年代半ばの政治状況を象徴する言葉です。これは、野党が緻密な政策論争や政権批判を行うよりも、「特定の支持層の感情に深く刺さるパフォーマンス」を重視し、支持者がアイドルを応援するように政治家を支える現象を指しています。
「#ママ戦争止めてくるわ」というムーブメントと結びついた際、この「推し活化」は以下の3つの特徴として現れました。
野党の一部は、安全保障の複雑な議論を正面から受けて立つ代わりに、ママたちの「不安」や「愛」といった感情に訴える言葉を多用しました。
「子供の笑顔」「ママの涙」といった、SNSでシェアされやすい(映える)言葉を演説の中心に据えました。
「防衛費を削れば給食が無料になる」といった、非常に分かりやすく、しかし複雑な国家予算の現実を無視した極端な二択を提示しました。
かつての野党支持は「共通の利益を持つ団体の連帯」でしたが、現在は「カリスマ的なリーダーを支えるファンの集まり(ファンダム)」に近い形になっています。
リーダーや党のメッセージがSNSで批判されると、支持者たちが「推しを守る」ために一斉に反論(あるいは攻撃)を行うようになりました。
SNSのアルゴリズム(エコーチェンバー)により、支持者の間では「自分たちの正義」が絶対的なものとして共有されますが、その外側にいる一般の有権者からは「宗教的で怖い」「近寄りがたい」と冷ややかに見られる原因となりました。
政府の失言や強硬な姿勢を批判すること自体が、支持者を喜ばせるための「コンテンツ(出し物)」となりました。
国会での質疑も、実質的な政策修正を狙うのではなく、SNSで拡散される「切り抜き動画」でいかに政府を論破しているように見せるか、という演出が優先されました。
2026年選挙で、この「推し活化」した野党が苦戦したのは、以下の「致命的なミスマッチ」が起きたからです。
「ママ戦争」という言葉に共感する層は「不安」を取り除いてほしいと願っていましたが、野党の過激なパフォーマンスは、かえって「この人たちに国を任せて本当に大丈夫か?」という「別の不安(統治能力への疑念)」を抱かせてしまいました。
特定のファン層に向けた熱すぎるメッセージは、冷静な議論を求める浮動層(どっちつかずの層)にとって「極端な人たち」と映り、結果として「消去法で自民党」という選択を後押ししてしまいました。
野党の「推し活化」は、SNSでの爆発的な拡散力や一部の熱狂的な支持を生み出すことには成功しました。しかし、「政権を担うに足る信頼感」を構築することには失敗したというのが、多くの政治アナリストの共通した見解です。
「推し」としての政治家を熱烈に応援することと、国全体の舵取りを任せることは、全く別物だと多くの有権者が判断した結果と言えるかもしれません。
与党(特に自民党)における「推し活」現象は、野党のそれとは全く異なる性質を持ち、「国家の強さ」や「アイデンティティ」を軸にした強固な支持層の形成として現れました。
2026年総選挙で高市政権が単独過半数を獲得した背景には、与党支持が従来の「利害関係(組織票)」から、「リーダーへの心酔と、国家のプライドをかけた推し活」へと変質したことが大きく影響しています。
かつての自民党支持は「消去法(他よりマシ)」や「地元への利益誘導」が中心でしたが、高市早苗氏を頂点とする現在の体制は、よりパーソナルで感情的な支持に支えられています。
保守的な政策を掲げながら、性別という壁を突破する姿が、支持者にとっての「推しポイント」となりました。
批判を恐れず、靖国参拝や防衛強化を明言する姿勢が、「ブレない推し」としてSNS上の保守層から絶大な信頼(崇拝に近い支持)を獲得しました。
与党の推し活層は、日本の軍事力強化や伝統回帰を、単なる政策ではなく「日本を取り戻す物語(ストーリー)」として消費し、応援しています。
YouTubeやニコニコ動画、Xなどの保守系チャンネルを通じて、日本が「外敵(中国・韓国など)」に対して毅然と振る舞う姿を、スカッとする「エンターテインメント」として楽しみ、拡散します。
リベラル層や「#ママ戦争〜」派からの批判を、「日本を弱体化させようとする勢力からの攻撃」と定義し、それに対抗してリーダーを守ることを、自分たちの「正義の任務」と捉えるようになりました。
与党推しの人々の間では、「自分たちは冷徹に現実(安全保障)を見ている」という知的優越感が、推し活動の重要な一部となっています。
導入される新兵器や自衛隊の活動を「かっこいい」「頼もしい」と称賛し、それに関する知識を共有することが、支持者コミュニティ内での「推し活」の作法となりました。
野党側の感情的な訴えを「非現実的」と冷笑することで、自分たちの「リアリズム」という属性を強化し、結束を高めました。
野党の推し活が「内輪の熱狂」で終わったのに対し、与党の推し活が勝利を収めた理由は2点あります。
野党の推し活が「戦争が起きる不安」を煽ったのに対し、与党の推し活は「強い日本になれば守られる」という解決策(に見えるもの)をセットで提示しました。
SNS上の熱狂的な「ファン(推し層)」と、従来からの「組織票(企業や団体)」が矛盾なく融合し、巨大な票の固まりとなりました。
与党の「推し活」は、「国家という大きな物語」と「リーダー個人のカリスマ」を掛け合わせ、それを「リアリズム」という現代的な装いで包んだものです。
これは「ママ戦争〜」という個人の感情に依拠した運動に対し、「国家の強さ」という集団の感情をぶつけて圧倒した形と言えます。
#ママ戦争止めてくるわタグは、「一人一人の内側から出た言葉」ではないと思います。
「偽物でも作り物でもない本物の声から生まれた」と思っているのなら、素人めいた文章に騙されていると思います。
このタグには具体的な政策や政党への言及が一切なく、その一方で高市首相をはじめ子供のいない女性に対するヘイトとしては見事に機能しており、見た人の反発を生みます。
「このムーブメントを広く長く続けて行くこと」は、高市政権に対する絶好のアシストとして機能するでしょう。
@hamhum9
金払いが悪くなれば去って行く自民のバイト達とは違い 一人一人の内側から出た言葉だと思います
自民圧勝ルートは避けられないと思いますが 偽物でも作り物でもない本物の声から生まれたこのムーブメントを広く長く続けて行くことが肝要だと思います
「中道」と書いて票を入れている。
どうして、いつも私はその気もないのに選挙で負ける方に入れてしまうのか?
まるで私が疫病神みたいじゃないか、、、なんて自意識過剰なことは決して思わないが。
つまり、私はハナから相手にされていないだけなのではないだろうか?
こっちは自意識過剰に、
「どうだ俺様の一票を這いつくばって靴を舐めてでも欲しいだろう???」
「アイツラみたいなジジィはほっとけばいい、アイツラに届くようなメッセージは発信してやらん」
私は高市が大勝するのは少しおかしいと思うし、石破が政権を維持できないほど負けるのもおかしいと思う。
あと私は大阪に住んでいるが、維新が盤石で勝利することに、頭を捻るしか無い。
いったい、アイツラの何がいいのかが全く理解できない。
でもアイツラにとってはそれでいいのかもしれない。
俺はつい、お前らなんだかんだ言って俺に票を入れてもらいたいんだろ?
って上から目線で思ってるけど、
アイツラはお前みたいなやつは眼中にないから、ハナから刺そうとも思ってないと思ってるのかもしれない。
全然左翼思想とかではない(日本の核武装はコスパがいいとか思う)。
そういうのを、自分の賢さゆえだ、と思う人もいるのかもしれない。
ただ私はそうは考えない。
私は、結局、なにも決めていないだけなのだ。
私には、選択肢があって、保守にも革新にも、あるいは一つの宗教を指示することも、なんにでもなることはできる。
でも、私はどれでもない、と思いながら生きているのだ。
なぜかといえば、それを決めることが出来ないだけなのだ。
その、選択しない、選択できないという態度を、賢さの現れと捉えているのはむしろ愚かなことなのではないか?
それが私の疑問だ。
ようやく私はひとつの疑問を抱くことが出来た。
推しの漫画家のマロに送ろうかと思って書いてたけど、流石にうぜぇなと思ったので供養。推しはリベラル護憲派。私は地元熊本の話をしている。
↓↓↓
私は生まれてからずっと熊本に住んでいますが、熊本の国会議員は全議員自民党です。どれだけ与党に逆風が吹いてもずっとそうでした。
これには確かな理由があり、分かりやすいところで言うと、現官房長官の木原さんは熊本地震のとき県政と国政の橋渡しをしてくれ、台湾企業のTSMC誘致の立役者で熊本にバブルを起こしました。くまモンでムーブメントを起こした蒲島知事も自民党でした。実績を出した政治家が好かれるのは当然だと思います。
今のSNSの流れを見ていると「とにかくこの党に入れて!」ばかりで、自分たちが住んでいる地域の政治家が一体何をしようとしていて、何をしてきたかを意識していない人が多いと感じます。
県政と国政は繋がってるので、特に小選挙区に関してはもっと候補者を知って欲しいと非常に思います。
熊本はTSMCの関係で台湾人が移り住んできて、インターナショナルスクールが新たに開校されたほどです。熊本を含む九州・山口では、台湾有事が起こった際の沖縄避難民の受け入れシミュレーションが何回も行われています。熊本・宮崎では台湾有事に向けて長距離ミサイルも配備される予定です。
熊本では台湾有事に対する危機感が他の地域より一段深いんです。私たちの注目は改憲で戦争に出ることよりも、今、早ければ明日にでも、隣に住んでいる台湾人の友人、地元にできた巨大工場、そして避難してくる人々をどう守り、受け入れるかが問題なんです。
今回の解散選挙も「台湾有事が近いからかな」と思った人が多いと思います。今の国際情勢が与党を強くしていると感じます。
色々書きましたが、本来の私個人の考え方としては反高市です(ちょっと保守過ぎる…)
でも今、与党を完全否定はできません。改憲するなら国民投票がありますし、今回は護憲派も与党に入れた印象です。
維新人気が高い大阪でも都構想の住民投票は失敗しています。改憲の国民投票も同じじゃないかと私は思います。
今回の選挙戦のSNSはとにかく戦争反対!与党に入れるな!が目につきました。特にクリエイター界隈で非常に強い発言をしてる方が多く、少し残念に思いました。