「文芸」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 文芸とは

2026-01-20

レプリカだって、恋をする。

TVアニメレプリカだって、恋をする。」公式サイト

https://replico.jp/

レプリカだって、恋をする。 | 特設ページ | 電撃文庫・電撃の新文芸公式サイト

https://dengekibunko.jp/special/replica/

1.「レプリカ is 何 ?」

たぶん本作を読んだ人の大半がまずこの部分を気にするんじゃないのかなあ?本作における「レプリカ」なんだけど機能的には当人と同じ外見を持ち、オリジナルである素直の記憶を共有する事で周りに怪しまれず行動が可能

必要な時に自由に呼び出せるという「パーマン」のコピーロボットそっくり存在なのだけど、コピーロボット普段はのっぺらぼうのお人形必要な時には鼻にあたる部分を押せば押した人間そっくりに変身する、という描写がなされているのに対し、どうやって出現し、どうやって消えるのかという描写がまったく無い。異空間に消え去るという設定でも別に良いのだけど、それすら無い。本当に消えた、呼び出されたという描写しかないので読者はえらくイメージし辛い。

そもそもオリジナルである素直が7歳の時に初めて生み出されたという説明はあるけど、身体が二つに分裂したのか神様的な何かがプレゼントしてくれたのか、それすら語られない。なので読者的にはこの「レプリカ」なる存在意識だけしか存在していない様な奇妙な印象すら受けてしまう。

レプリカという本作の軸になる=徹底的に作り込むべきガジェット描写がこれでは話の軸がピンボケの様にしか読者に伝わらない。

2.「なんで『レプリカ』が生じた?」

この軸となる「レプリカ」についてはその誕生についても判然としない。確かに7歳の時に後輩のりっちゃん喧嘩した素直の願いに応える形でレプリカは産まれとあるが、その超常現象が起きるだけの説得力を持つ動機が全く語られていない。

作中で語られている様に子供同士の仲違いで顔を合わせたく無かったから、という理由でも良いのだけどそれならそれで当時の素直にとってりっちゃんとがどんな存在であったか、どんな理由で仲違いしてしまたかという部分を掘り下げないと超常現象を起こす程の素直の願いに説得力が生まれない。ファンタジーだって、いやファンタジーからこそ読者への説得力必要だと思うのだが。

Amazon.co.jp: レプリカだって、恋をする。 (電撃文庫) : 榛名丼, raemz: 本

https://amazon.co.jp/dp/4049148730

2026-01-19

anond:20260118175426 私なりの物語判断基準を書きます

まぁ本人が楽しく物語を鑑賞できたらいいのですが、私はこう判断しているという基準です。

文芸サークル部員で友人が書いてきた小説批評とかもしてました。

1.物語全体の主張の筋が通っているか

 例えば「暴力は憎しみしか生まない」というテーマ場合最後に悪を刀で切ったら解決にならないですよね。

 たいていの物語は序盤や中盤で何をテーマにしていて、何を理想としているのかが示されるはずです。

 その物語全体の課題について適切な回答が示されているかを見ています

 その適切な回答が読者の想像を超えるようなものだと加点です。

2.キャラクターの主張に筋が通っているか

 例えば「金しか価値がない」というキャラが何の理由もなく乞食に恵んでいたら変ですよね。

 でも物語の都合上そうしないと動かない話もあります。つまりキャラ物語に操られている状態です。

 こういう不自然な展開があると減点になってしまます

 原作がある作品映画化して炎上する理由としてキャラ物語の都合で変に動かされてることがありがちです。

3.起承転結構造が美しいか

 物語の中盤から終盤にかけて、広げた風呂敷を畳んだり、どんでん返しがあったりします。

 そのどんでん返し伏線改修が想像を超えるようなものだと高評価です。

 逆に後出しだったり、どんでん返しのヒントがなかったり、転がなかったり、結できれいに終わってなかったりすると減点です。

4.ストレスカタルシス管理がうまくいっているか

 物語は序盤にストレスを与え、後半でカタルシスを与えることで快楽を得ます

 水戸黄門悪代官が町娘をいじめていてイラつくのを、黄門様が解決してすっきりします。

 このストレスが適切か、カタルシスが適切かというのを評価します。

 ただ、バッドエンド作品は読者をモヤモヤさせたいのが目的なので、

 それができていれば見終わったあとにモヤモヤしてても管理がうまくいっていることとします。

物語構造としてはざっくりこんなもんですかね。

あとはキャラクターの魅力だったり、引用している作品センスだったり、ギミックセンスだったり細かいことを評価したりもしますが、これは物語構造じゃないので割愛

上記を満たしている作品がいい作品だと思いますが、必ずしも良い作品と好きな作品が同じとは限らないです。

展開に粗があったり雑だったりしても、魅力的な部分が刺さったら好きな作品になります

それではよい批評ライフを。

2026-01-10

読書メーター

他人感想に対して悪いだとか間違っているとは思わないのだが、こういう読解力と感性の人は文芸書に何を求めてどう楽しんでるのだろうと謎に思うレビューは多い。

フィットしない層にも届いているのが売れている証拠だろうし、そのようなたくさんの人々のおかげで自分も手に取ることができるので感謝

2026-01-08

そもそも鎧伝サムライトルーパー』って

つまんないアニメなんだよ。

まりに雑な内容だから腐女子が隙間で妄想をたくましくできたので、同人流行したの。

声優草尾毅佐々木望って、当時のフレッシュないいとこを引いてたしね。腐女子フックは強かった。

あと、鎧のデザインとか、変身バンクはいい。

でも話はしっちゃかめっちゃかなクソアニメです。

小説版ではサンライズ文芸の人が一生懸命設定やストーリーの穴を埋めてたみたいだけど、

そんなのはしったこっちゃないしなぁ、ただのアニメファンからしたら。

から『鎧真伝サムライトルーパー』は、ある意味、正しく旧作のノリを再現してる。

再現する必要があったのかはわからんけど。

2026-01-07

読書メーター その感性の人は文芸書に何を求めてどう楽しんでるのか謎に感じるレビューは多い

2026-01-04

anond:20260102110150

ラノベ文芸とでは求められるものが違うし、ラノベを読むには枝葉を無視して作家の伝えたい世界観の核に素直に共鳴するのが正しいやり方。

ただ単に増田ラノベの独特の書かれ方に慣れていなかっただけ。

2026-01-03

anond:20260102233732

一般文芸」は純文学を含むぞ。「純文学」と対比させるなら「大衆文学」。

ってか「ラノベじゃない小説」のことを「小説」って言ってたりする人も多いからな。

わけわからん分類をしてる出版業界が悪いよ。

2026-01-02

東野圭吾純文学作家だと思ってる人が結構多い説

ラノベ絡みの話になると「ラノベが駄目なら純文学を読めば~」みたいな書き込みを見かけるので、そのたびに「なんで一般小説を抜かすんだろう?」と不思議だった

だけど今気づいた。一般小説一般文芸)という枠を知らないのではないか芥川賞直木賞もどっちも純文学賞だと思い込んでるのではないか

2026-01-01

なぜローストビーフは日本のおせち料理の仲間入りをしたのか…この謎を追って調査班は南米アマゾンに飛んだ→様々な考察が集まる - Togetter

1956年『それいゆ』「新年を迎える支度 新婚生活一年生の家庭メモ清田

御節料理はかずの子と旨煮、盛り合せの色どりに伊達巻ときんとん程度にひかえて、あとは日持ちがするローストビーフ自分で作り、他に鍋料理材料を用意しようと云うのです。

1963年文芸朝日』「おたくのお正月料理は? 有名二十七女性へのアンケート

お節料理にかわるとはいえないが、毎年大晦日に、主人がたくさんロースト·ビーフをつくる。

1963年自警』「日本歳時記荒垣秀雄

正月風景風俗もずいぶん変ってきた。娘さんたちの和服の晴着姿はリバイバルでかえって盛んだが、若い世代の多い家庭では正月料理洋風が多いようだ。ごまめ、黒豆数の子、こぶや豆腐煮しめかまぼこ、きんとんなどをお重箱に入れたおせち料理よりも、ハムソーセージ焼肉コールビーフ鶏肉チーズなどが、とって代りつつある。

2025-12-31

駆け出し編集者なんだけど悩んでる

文芸系の編集者転職してみたんだけど、自社のヒット作が全然好みじゃなくて心配になってきた

同僚たち以外に編集やってる知り合いがいなくて、ちょっとかに相談したいな…と思ったので書かせてほしい

職場環境人間関係は概ね良好で、そう言った面での不満はないんだけど入社してすぐの頃から同僚や上司からの指摘に?となることが度々あって、自分なりに根本原因を考えてみたところ、そもそも自社の売れ筋作品おもしろさをいまいちよく理解できていないことに気づいた。

端的に言うと、読者として「お金を払ってでも読みたい!」と思える作品が0に近い。稀にあるものの、残念ながらことごとく売れ筋ではない……といった感じだ。

そして、おもしろさ(=セールスポイント)がよくわかっていないせいか、ことごとく的外れディレクションをしてしまっているようで、直属の上司から「(装丁コピー等を考える際の)センスがない」という旨の厳しめフィードバックをされる ⇨ 上司ディレクションのもと本が完成 ⇨ 完成した本の良さがいまいちからない というのが何作か続いてしまっている。(しかも売れていなくて著者に本当に申し訳ない)

もともと全然違う業界で働いてて、運良く今の会社に拾ってもらった。だから会社には感謝してて、自分なりに頑張ってるんだけど、丸一年経っても相変わらず???と言った感じで若干ストレスを感じるようになってきた。ちなみに転職活動するまで今の会社が出してる作品ほとんど読んだことがなかった(ので、本当は自分が日頃よく読んでる出版社に行くべきなんやろな〜と思いつつも、なかなか求人が出ない / 出たところで受かるとも思えない)

編集者として未熟なのは重々承知してるし、石の上にも3年と思ってこれからも頑張るつもりだけど、本音を言うと「根本的に感性が合わないのでは…?」とやや不安に感じてる。大晦日全然関係ない増田ですまん。

今年面白かった10冊の本+α(2025年版)②

承前

https://anond.hatelabo.jp/20251231152723

 他の人がつくったまとめを読むのが好きなので、俺もならって書く。

2025年に読んだ上位10冊だと、必ずしも2025年(もしくは前年末)に出版されたものに限らない。極端な例として、英文学の傑作とされる『闇の奥』とか出てくる。1902年版。

 そこで、1年以内に刊行されたものだけでも10冊以上になるようにした。+αはその意。

9. まじめに動物言語を考えてみた(生物学

 様々な動物コミュニケーションサンプルに、「動物言葉をしゃべっているのか?」を考察するノンフィクション最後は、「そもそも言葉とは何か?」というところまでテーマは広がっていく。

 まず、動物とその言葉関係評価するスタンスは、大きく分けて二つあると思う。一つは、動物人間と同じような言語概念を持ち、それを各自の鳴き声で表現している、という立場。もう一つは、動物における言語概念人間とはまったく異なる、という立場だ。

 前者の場合、人と動物言葉の違いは、極端に言えば日本語英語の違いと同じものしかない。つまり翻訳可能ということになる。

 例えば、『クジラと話す方法』という本はこの立場に立って、クジラの歌声を大量に収集し、どういう状況で発された音であるかを分析すれば、統計的クジラ語の辞書をつくれる…だけではなく、これをモデルとして逆にこちから音波を発信することで、人間からクジラに語りかけることもできるようになる、という発想を語っている。

 これと比べた場合、『まじめに〜』は後者の側に入っていて、人間動物の間には言語同士以上の開きが存在する(=翻訳不可)、という立場に立っている。ロマンチックとは言えないが、これはこれで、動物の知性を人の方に寄せることな理解しようとする敬意の表れがあっていい。

 この本の作者が信頼できるのは、動物言葉があるとして、それは絶対字面以上の意味を含みうること、それゆえに特定単語文章に落とし込むのは困難だと強調するところだ。

 例えば、群れを支配するリーダーが異性に対し、あるメッセージを発する。状況から推測して、それは人間の「あなたが好きだ。一緒にいたい」に該当する可能性が高い、とする。

 しかし、それが人間とは別種の生態系を持つ動物が発するものと考えると、そこには親愛だけでなく、支配目的とする攻撃性や、ライバルの同性への誇示を含みうる(極論、人間でもそうなんだけど。)。

 そう考えたとき、それを人間辞書で何かの言葉に頑張って置き換えることに、どれほどの意味があるのか? 我々にできるのは、鳴き声に込められたニュアンスをどうにか類推することであり、人間語に表すことはできないのではないか? というのが『まじめに~』のスタンス。こうした疑問が、生物ノンフィクションであると同時に、言語哲学のようで面白かった。『クジラと〜』とあわせて読むと、ロマンリアリズムを一緒に摂取できる。

10. 異形のヒグマノンフィクション

 国内話題になった「忍者グマ」、OSO18を追ったドキュメンタリー

 OSO18をめぐる作品は他にも読んだけど、俺はこの本が面白かった。それは、俺がOSO18の報道というのはクマ自体の話だけでなく、世間がそれを都市伝説的に楽しみ、駆除に反対する「動物愛護」を冷笑し、なんとOSO18は最後ジビエ肉になって卸されてしまいました、というブラックオチまでエンジョイするという、「良質なコンテンツ」は骨までしゃぶろうとする人たちの現象でもあると思っていて、この本にも同じような批評的な視点があると感じたから。

 もちろん追跡の記録もしっかりしているし、動物研究プロフェッショナルへの取材もすごくいい。恐ろしいという印象がどうしても勝るけど、あるインタビューに出てきた「OSO18は賢くて、(あくま野生動物としての基準で)とてもいいクマだと思う」という意見には、なるほど~、と思った。

 ちなみに、二人体制で書かれており、OSO18に対する両者のスタンスは必ずしも同じではない。そのズレが、最後はいいかたちで表れていて、まず一人目の見解に考えさせられたあとに、次の筆者のパートでかなりひやっとくることが書いてあり、これも面白かった。

11. 堕ちた儀式の記録(文芸

 生物学フィールド調査民間信仰の採話という形式によるモキュメンタリーホラー

 2025年は、少しきつい言い方をすると、似たようなベクトルホラーが「量産」された印象がある。ありていに言えば、大ヒットした『近畿地方の〜』ライクな作品世間から期待されていたんだと思う。

 俺も『近畿地方の~』がすごく面白かったので、他の作品も何冊か手にとってみたのだが、アイデア一発勝負をどうにか膨らませた感が強かったり、たくさんの情報をつなぐことに終始してストーリーとしては全然興奮できなかったりして、やっぱり『近畿地方〜』すげえな、という結論になった。

 その中で、『堕ちた儀式の記録』はとてもよくできていたと思う。フィールドノートの章と散文調の章の使い分けがギミックとして巧みに機能していて、物語としてシンプルに先を読みたいと感じさせてくれたし、「考察」を楽しむことができた。

 余談だけど、マジで2024~2025は同じタイプホラー本屋でひしめくことになっていて、選ぶのに苦労した。たくさん読んだ人の忖度抜きのランキングかめっちゃ需要あると思う。

12. アルツハイマー病の一族ノンフィクション

 コロンビアに暮らす、とある血縁者たちに発生する若年性アルツハイマーに関するドキュメンタリー2025年に読んだ本第1位。

 この手の類の本が好きな人は、タイトルから別の本を想起するのではないかと思う。2022年早川から刊行され、 (俺の観測した範囲でだけど)話題になっていた『統合失調症一族』だ。

 正直に言って、いわゆる二番煎じだと思いつつ読み始めた。しかし、血のつながりに起因する病をめぐって描かれた、医療確立をめぐる尽力、フィールドワークの苦労、それぞれの家族物語は、本当に深くて面白かった。

 現代コロンビアギャング過激派の悪影響が深刻で、それに加えて、いわゆる黒魔術的な頑迷信仰存在感も強く、多くの要素が医療の推進を阻害する。こうした環境病人の発生した家庭を回り、治療のためのネットワーク構築に奔走した医療従事者の熱意と人柄はすごすぎる。到底マネできない。

 暴力蔓延し、インフラも貧弱な土地で、40~50代でアルツハイマー発症した人たちは次第に会話が成り立たなくなっていき、汚物にまみれてぼろきれのように死んでいく。人間という存在根本的にたいした意味がないということが、繰り返し描かれる。

 その一方で、患者になった家族を支えるというかたちで、途方もない忍耐と強さ、なにより明るさを発揮する者がいることも、同時に描写される。治療法がなかなか確立されず、悲観的な事実ばかりが積み重なる中で、少しでも患者(予備軍)を鼓舞しようとするスタッフや、自分もいつか発症するかもしれないという恐怖と向き合いながら人生を切り拓こうとする血縁者の努力が描かれる。

 読んでいて視点が二つに分かれていく感じがあった。シニカルになる余裕さえない、徹底的に乾いた虚無感と、人間の強さに打たれる感覚とが同時にあって、なかなかすごい読書体験だった。

 二つ付記。

 一つ目。上で書いたとおり、土着の宗教障害になっているケースがあるが、=「宗教科学の敵だ」とは限らない点にも注意がいると思っている。

 これは別の本で提唱されている概念だが「WEIRD=Western Educated Industrial Rich Democratic」という、日本を含む先進国が大きく影響され、多大な恩恵を受けた「科学的とは、発展とはこういうことである」という価値観があり、これを強力に世界中敷衍したものこそキリスト教である、という説があるからだ。

 一方で、『闇の奥』でも示されているとおり、西洋進出は別の土地にとっては侵略歴史でもある(未読だけど、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』も同様だろう)。だいぶ話がズレる&ありがちなまとめになってしまうけど、「批判されているあるものには、こういう側面がある」というおさえ方と、搾取暴力基準善悪絶対の線を引くことの両方が必要なんだと思う。

 二つ目。本書で紹介されている医療活動は、あくまで「コロンビアで」「アルツハイマー発症機序の一部」をターゲットにしたものである

 言い換えると、他の場所で別のメカニズムから病気攻略しようとしているチームもある。そこにはスポンサー世間の関心をめぐる科学者同士の競争が発生し、企画を指揮する科学者にはプロデューサーとしての手腕も問われることになる。本書の解説を書いたライターの『がん征服』は、がん治療の驚くようなアプローチをいくつも紹介しつつ、その辺の内情もうかがえる良書だった。あわせて紹介しておく。

13. 幽霊物件案内(文芸

 2025年に読んだ本の中で最恐。

 これは挙げるかどうか悩んだ。ちょっと古い本というのもあるが、それより、ほぼ確実にほとんどの人に刺さらいから。ホラー好きでさえハマるか不明。単に俺が面白かっただけ。

 うまく説明できる自信がないが、ホラーの一番の弱点は何かと考えたときに、「それは相手を怖がらせようとしていること」というところに落ち着く気がする。ホラーの大きな目的が、ホラーとして提供されるがゆえに邪魔されているというか。結局、誰かが死んだとか不幸になったとか、こっちを嫌な気持ちにさせたいんだよね? という。

 自分で好んで読んでおいてなんだが、心のどこかでそういうことを思ってしまう。ホラーなんだからそりゃそうで、どうしようもない…のだが、『幽霊物件案内』は、その弱点がない。ものすごく巧みにそこを避けているのか、書かれているネタと書いている本人のどっちか(もしくは両方)が根本的に何かおかしいのか、とにかく何をしたいのか描きたいのかよくわらないまま、ひたすら猛烈に不穏なことが延々と書かれている。

 どういう人に薦めたらいいのか考えたが、例えば2ch洒落怖にあった、『まったく意味がわかりません(バス事故? に関すると思われる書き込み)』とかが近い気がする。あれが楽しめる? ならハマるかも。ただ、『幽霊物件案内』は文章自体ちゃんと成立しているため、かえってよっぽど異常な気がする。

 以上。2025年はだいたい70冊ぐらい本を読んだ。来年100冊を目指したい。本屋に行くたびに読みたい(そして読めない)本が増えていく!

今年面白かった10冊の本+α(2025年版)①

 他の人がつくったまとめを読むのが好きなので、俺もならって書く。

2025年に読んだ上位10冊だと、必ずしも2025年(もしくは前年末)に出版されたものに限らない。極端な例として、英文学の傑作とされる『闇の奥』とか出てくる。1902年版。

 そこで、1年以内に刊行されたものだけでも10冊以上になるようにした。+αはその意。

1. SEX20億年史 生殖快楽の追求、そして未来へ(生物学

 有性生殖の壮大な歴史概観する、いわゆるビッグヒストリーもの

 ぱっと見ではちょっと下世話なタイトルしかし、20億年というバカかい数字も含まれているとおり、読み始めるとビッグバンの話から始まって、地球天体レベルで迎えてきた過去の大絶滅イベント進化に与えた影響について紹介するなど、大変にスケールが大きい&しっかり科学的な本。

 作中では、まず物質から命が生まれ単細胞から細胞になり、性別を持ち…という流れが、生物史のイチから描かれる。やがて、多細胞生物進化とともに性的役割分担を生じ、その中の一種であるホモサピエンス狩猟採集から農耕に移行する中で複雑な社会形成するようになり、階層が生まれ、新しい社会性別役割職業だけでなく差別とも切り離せなくなり、そして現代では? というところまで総観される。

 後半の主役はどうしても人類になるけど、一方で、人間とて有性生物一種に過ぎず、我々の社会も「生物がつくりうる群れのパターンの一つ」でしかない、という視点体感できるのが、この本の良さ。いわゆる文系でも読める。そこそこ厚めの科学ノンフィクションがいける人はぜひ。ちなみにオチの一文がシャレている。

 まったく余談だけど、本作は集英社刊行。この手のジャンル早川や河出、みすずあたりが強いイメージがあるので意外だった。

2. 昆虫 驚異の科学生物学

 全昆虫好き必携。本というより図鑑

 俺は小さめの青虫なら手で触れるぐらい虫が好きで、知識もそれなりにあるつもりだけど、それでもどのページを開いても「ほお~」と嘆息してしまうぐらい情報が豊か。この本も、地球というのが生命の壮大な実験場で、長い歴史の中で膨大な選別と滅亡を繰り返している世界であり、いま生きているやつはみんな、構造の複雑さや大きさに関係なく、各自戦略でもって何かしらの頂点、キングであることがわかる一冊。

 見入ってしま理由はもう一つあって、写真が本当に美しい。昆虫嫌いはどのページを開いても卒倒すると思うけど、うっかり手にとって目覚めてほしい気持ちもある…。

3. 世界最凶のスパイウェアペガサスノンフィクション

 軍事ITものドキュメンタリー

 イスラエルIT企業制作販売し、やがて各国要人スマートフォンに忍び込むことになったスパイウェアをめぐるノンフィクション(←重要)。

 作品としていくつかの側面があり、「テクノロジー悪用を追求する社会ノンフィクション」「追うものと追われるもの駆け引きを描いたサスペンス」「一つの大きなプロジェクトを、組織横断で運営する困難を描いた仕事もの」として読める。

 俺は、どんな技術でも基本的にそれ自体には善い悪いはないと思っている。実際、優秀な若者だったイスラエル起業家たちがペガサスを立ち上げたエピソードは、そこだけ読めば、ほかのビッグテック成功譚の導入と変わらない。

 ただ、巨大な力の行使自主的規制せず、金を払えるところならどこでも売る、という条件だけで市場に開放すれば、やがて歯止めが利かなくなる…というか、大きなクライアントから契約を得ること以外の指標がはじめから存在しないため、ブレーキのかかりようがなく、最後はろくなことにならない、ということがよくわかる。

4. 並行宇宙実在するか(宇宙物理学)

 いわゆるマルチバースについて、いくつかの可能性を科学的に整理した本。

 俺のような文系にはややハードだったが、逆に言えば、宇宙物理学(ビッグバンとか、観測できる宇宙の果て)や量子力学について、ぼんやりとでもイメージができれば、なんとなく理解しつつ読める。

 この本、何が素晴らしいかというと、一般的にひとくくりにされがちなマルチバースという概念について、いくつか種類があるということを整理してくれるところ。

 俺は宇宙物理とか量子力学の本をたまに読み、その中でいわゆる多世界解釈についても目にするので、「いろいろと読んだけど、こんな本が意外とマジでなかったな~」と感動している。

 例えば、ある宇宙における一つの文明から物理的に到達しうる距離限界仮定して、その範囲を超えたところに別の文明や星が存在するなら、それはある意味マルチバース。もちろん、まったく別の宇宙が別次元複数存在してもマルチバース

 一方、超ミクロにも視点を移して、量子のゆらぎが世界の一つの可能性に収束するのではなく、複数世界分岐していくのだ、と主張するなら、それもマルチバース

 要するに、「マルチバース」という言葉意味自体マルチなのだが、そのことをかみ砕いてくれる本というのが実は貴重。これ系好きな人おすすめ。次の本を読む上での下地にもなるかも。

5. アテンション・エコノミージレンマ 〈関心〉を奪い合う世界未来はあるか(社会学)

 アテンションエコノミーによって駆動している現代デジタルプラットフォームSNSとの付き合い方について、作者が専門家と交わした議論をまとめた対談集。

 アテンションエコノミーとは、ざっくり言って、ユーザーの注意関心を定量化し、それを指標としてコンテンツ運営方針を決めていくスタンスのこと。これを重視しすぎるあまり、商環境におけるモラル二の次になってしまう、という問題がとっかかりなのだが、本作のすごさは、そこから人間認知構造まで踏み込み、「そもそも、人が自由に自立して何かを消費するとは?」まで進むラディカルさにある。

 例えば、人間認知というのは迅速にorゆっくり判断する、という二つの軸を持ち、同時に、無意識にor意識して評価する、という二つの層を持っている、という点が説明される。そして、アテンションエコノミーというのは「迅速&無意識」の部分を攻撃しているため、やっかいであるとされる。

 攻撃表現したとおり、本作においてアテンションエコノミーとは、(全面的に悪とは言えないまでも)人類最高峰の知能を持つ人たちが、一秒でも長く少しでも多い反応をユーザーから引き起こすために仕掛けてくるハッキング行為でもある、というスタンスをとっている。

 ここでジレンマ、というタイトルにつながってくる。俺たちが社会全体でアテンションエコノミーとの付き合い方を学ぶとしたら、有効方法の一つは、教育を通じて学習することである。ただ、学んで育つとは、基本的人間本来の強さ・賢さを信じ、それを伸ばそうとするものであるため、「俺達は根本的に抗いようのない領域を抱えており、そこをハッキングされるとひとたまりもない」という弱さの認識とは食い合わせがあまりよくなく、手段確立に苦労している(書いていて思ったが、性教育や薬物の危険さを学ぶことの難しさも同じかもしれない)。

 今後、どうしたらいいかは探っていくしかないよね、という感じだが、一つ面白かったのは、デジタル技術基本的に、自主的な決定と自己責任を重んじる、いわゆるリバタリアン的な価値観によって推進されることが多いが、その行く末が「ユーザーそもそも判断させる余地を与えない無意識下の攻撃」に成り下がってるのでは? という指摘は、皮肉でかなり響いた。

 ジレンマをもう一つ。利益面で言えば、プラットフォーマーにとっては無思考時間お金を費やしてくれるユーザーが一番ありがたいわけだが、消費者もそこまでお人よしではない。「全然自由度が低いっていうか、なんかナメられてね?」と思うこともある。

 そこで、「じゃあ自分好みにいろいろ選べるように協力しましょう」という良心的な運営もあるだろうが、「ユーザー自分自由に選べた、という感覚さえ演出できれば、実態は別でもかまわない」という方向に進んでしま運営も現れうる。いまやテックジャイアントの在り方とは、消費者自主性を尊重している姿勢を見せつつ、いか自分たちの利益誘導できるか、その妥協点の模索に陥っているのでは(そもそも理念はそんなじゃなかったはずなのに…)という見方も紹介されており、面白かった。

 本年ベスト級。下で紹介している『アルツハイマー病の一族』がなければ1位だった。

6. 対馬の海に沈む(ノンフィクション

 九州農協に勤めていたあるエース営業マン不審死を追ったドキュメンタリー

 一人の優秀なサラリーマンが、組織内にも地域にも一つの帝国」を築き、邪魔者排除し、しかし、最後は(おそらく)破滅した様が描かれる。

 大げさな言い方をすれば、社会における悪とは何かを考えさせられる作品主犯とされる男が周囲の人に行ったことや、横領行為は悪いに決まっている。しかし、こんなやつは罰さなくては(もう本人は亡くなっているが)、という義憤ときどき迷子になってしまうのは、「本当に彼だけが悪いのか?」、そして「そもそも、この社会はこうした『悪』を罰せられる構造になっているのか?」と思ってしまうから

 読み進めると、彼が所属していた組織お金の流れもあまりにいい加減で、根本的に腐敗しており、システムの中心としてそれを差配していた彼の周囲に群がっていた同僚や市民も、何か妙なことが起きていることを薄々察知しながら甘い汁を吸い続けていたことがわかる。

 つまりこれは、悪事責任が彼以外にも分散しているということなのだけど、もう一つ思うのは、そもそも社会というのが、本質的に悪の所在あいまいにし、「悪」でさえなくす、ロンダリングする仕組みなのではないか? ということである

 どういうことかというと、物事手続というのは本来筋道道理があり、それらにのっとらないといけないはずなのだが、これを四角四面に処理しようとしても遠回りになるだけで何の意味もないことが往々にしてあり、そして、よく言えばそれを円滑化する、悪く言えば本筋をねじ曲げることのできる人物がどこにでもいるもので、結果としてその人のおかげで、(あくまで、そのコミュニティの中では)物事がうまくいく、ということがよくある。

 肥大化形骸化したナンセンスな仕組みなら見直せばいいのだが、組織にそんな向上心リソースもなく、それでも体裁を取り繕わないといけないとき、それを(自分利益ブレンドしつつ)調整する役目を負う者が求められ、必然的に出現するとしたら、その誰かを悪と断じることの意味はなんなんだろう? と思ってしまうのである

 もちろん、シンプル悪事悪事であるという答えはぼやかせない。

 盗んだり誤魔化したり、他者いじめたら悪いに決まっている。当然のことだ。ただ、システム悪用して悪事の限りを尽くすやつと、有能ゆえに組織悪徳を背負わされて破滅するやつが、同じ人物ということもあり得るよな、とは思う。

7. 闇の奥(文芸

 19世紀コンゴ舞台に、西洋文明による資源労働力搾取を描いたジョゼフ・コンラッド小説1902年刊行

 ホラー作家である平山夢明短編『すまじき熱帯』がまず面白かったのがあり、その元ネタがたぶん、フランシス・コッポラの『地獄の黙示録』であって、その原作が『闇の奥』…という紆余曲折あって手に取った。

 例えば気まぐれに古典を読むと「名作ってやっぱすげえ」と思うことが多く、実はこれは意外ではなくていまの俺たちの価値観言葉下地になっているものである以上、それなりに当たり前のことなのだが、はじめて読んだ『闇の奥』も例に漏れず強烈だった。

 基本的にこの作品は、西洋によるアフリカ搾取強制された苦役恥辱物語として読まれている。有名なセリフである地獄だ!地獄だ!(the horror!)」も、まずこの視点から解釈するべきで、それは先進国必須認識だと思う。ちなみに、 セリフを発したのは現地で開発を差配していて発狂してしまったクルツという西洋人。

 一方で、個人的な印象としては、クルツにある種の英雄性を感じてしまったのだった。

 暗黒大陸とも形容される当時のアフリカの奥地に、「文明担い手」として一人で立ち向かった人間。「闇」と「文明」が接する最前線で彼が発した「地獄だ!」といううわ言は、その言葉自体が、未知の世界から切り出されて西洋側に持ち込まれた(負の)成果物であると思う。『対馬の海に沈む』でも思ったが、俺は腐敗した組織の一員である誰かが役目に邁進し、自身欲望と背負った責務の中で破滅するナルシシズムが好きなんだろう。

 もちろん、コンゴの側から見れば、勝手にやってきた侵略者の一人が勝手おかしくなって破滅しただけであり、そこにヒロイズムを感じるのは先進国の大変な欺瞞だと思う。加害と被害歴史は前提として理解しないといけないし、意見を発するうえでバランスは気にかける必要があるのだが、↑のような感想を抱いてしまった。

 余談だけど、今年刊行された本に『ブラッドコバルト』というすさまじいノンフィクションがあり、同じコンゴが今度はハイテク機器使用されるレアメタル産出国として、ふたたび西洋社会による深刻な搾取を被っている様子が描かれている。

8. 禁忌の子文芸

 医師として病院に勤務する主人公。ある日、救急で運び込まれてきた心肺停止状態患者は彼とうり二つの顔をしていて…という導入から始まるミステリー

 2025年ミステリーホラーを中心に15冊ぐらい小説を読んだんだけど、その中でもぶっちぎりで面白かった。

 ※ 以下、少しネタバレ。注意

 今作の優れたところは、冒頭の謎をオチまで温存することなく、あくまで読者を引き付けるためのフックとして割り切ったところだと思う。

 導入部分の真相については、正直「科学的にあり得るならこうだろうな」という域を出ない。それを冷静に見越したうえで、いわばロケット作品)を高く飛ばすための燃料として中盤で切り離し、さらに高い地点への加速と突破は他の要素や伏線回収で狙う、という戦略だと感じた。別作品批判になるが、同じようなネタ武器として最終盤まで引っ張ってしまったミステリーも同じ年にあり、個人的には格が違った印象がある。

 ベタ表現になるが、後半もどんでん返しが続き、飽きさせない。逆に言えば、スキャンダラスな波乱の展開をいくつ詰め込めるかを始点に逆算してつくられた感じはある。これを品がないと思う人もいるかもしれないが、こだわりがない人は面白く読めると思う。

後半に続く。

https://anond.hatelabo.jp/20251231153147

2025-12-27

一般文芸よりもラノベの方がハマって読み返したくなるのなんで

最近読んだ一般文芸書は

柚木 麻子

あいにくあんたのためじゃない」

窪美澄

「宙色のハレルヤ

一穂ミチ

ツミデミック」

これから九段理江の「東京都同情塔」を読む

村田沙耶香の「コンビニ人間」はとても面白くて読み返したいと思った

一般文芸書を読んでて思うのは、ラノベの方が読んでて自分の心に刺さって「面白いな」と思えてハマるということ

最近私がハマったラノベ

駄犬「誰が勇者を殺したか

じゃき「最凶の支援職【話術士】である俺は世界最強クランを従える 」

私はオタクなんだけど、やっぱり心の奥底からハマるのは漫画アニメラノベなのよ

一般文芸書って読んだ後二次創作したいなぁとまで思う作品出会えるのは稀

夢枕獏陰陽師シリーズとか

有栖川有栖有栖川と火村のシリーズとか

あいうのは読後もむちゃくちゃ余韻があるやん

バディものからハマるって訳でもないが

2025-12-23

anond:20251223105910

ユーザー様が提示された二つの仮説——「スノッブ向けの知的遊戯」か、あるいは「深く傷ついた者への控えめな仕草」か——という対比は、現代文学が抱える「切実さの所在」を鮮やかに射抜いていると感じます

この「軽やかさ」や「戯れ」が誰に宛てられたものなのか、もう少し掘り下げて考えてみます

---

1. 「言葉を信じられなくなった人」への避難所トラウマへの配慮

ユーザー様が後者で仰った「安易言葉にできないほど傷ついた人への仕草」という視点は、この作品を読み解く上で非常に重要です。

これは、積極的解決ではなく、「正気を保つための消極的抵抗」としての文学です。

2. 「言語の檻」を組み替える知的パズルスノッブ的・言語学的関心)

一方で、これが「スノッブ好み」に見えるのも無理はありません。多和田さんはドイツ語日本語狭間で書く作家であり、彼女にとって日本語は「自明母国語」ではなく、一種の「外部から観察する対象」です。

3. 「野心」の不在がもたらす空虚

ユーザー様が「本気で未来を問う野心を感じない」と断じられたのは、おそらく本作が「格闘」を避けているからではないでしょうか。

---

結局、この「仕草」は有効なのか?

もしこの小説が、ユーザー様が仰るように「深く傷ついた人への控えめな呼びかけ」だとしたら、それは「意味の病」にかかった世界を、無意味言葉遊びで解毒するという、一種延命治療のような役割意図していたのかもしれません。

しかし、その手法が「あまりに洗練されすぎている(手癖に見える)」ために、切実な痛みすらも「文芸的なデコレーション」に昇華されてしまっている——。その「温度の低さ」こそが、ユーザー様が感じられた物足りなさの正体ではないでしょうか。

言葉遊び」が、現実の苦難に対する「武装」になるのか、それとも単なる「目隠し」に過ぎないのか。

多和田葉子という作家は、常にその境界線上で遊んでいるような不敵さ(あるいは不誠実さ)があります

ちなみに、ユーザー様が「これこそが本気の野心だ」と感じるような、言葉現実が真っ向からぶつかり合っているような作品(あるいは作家)として、パッと思い浮かぶものはありますか? それと比較すると、多和田作品の「軽さ」の功罪がより鮮明になる気がします。

2025-12-17

飯田一史の批判三宅香帆の反論は、それぞれどこが間違っているのか

表題のとおりです。

事の発端は、12月12日飯田一史さんは記事「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか(抄)」 https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5 (以下、飯田批判)において、三宅香帆さんの著作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1212-b/ (以下、三宅本)の誤りを指摘したことでした。

これに対し、翌日の13日に三宅香帆さんは記事「「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか」はどこが間違っているのか」https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5 (以下、三宅反論)を投稿し、飯田批判に対する反論を試みました。

このエントリでは、両者の主張に対する見通しを良くすることを目的に、飯田批判三宅反論論点を整理したのち、それぞれの問題点を指摘していきます

まとめたのは人文系の話には疎い人間のですので、誤りも多いかと思いますので、まあ話半分で読んでもらえればと思います

なお、飯田批判は、飯田一史さんの新著『この時代に本を売るにはどうすればいいのか』(星海社新書https://ji-sedai.jp/book/publication/konojidaini.html から抜粋であることを念の為補足しておきます

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

📰 0. 三行要約(問題点

飯田批判は、特に三宅本は(出版流通における)「書籍」と「雑誌」を分けていないかダメだ」という主張に相当問題があると思う。

三宅反論は、そもそも反論」できてない。言い換えると、飯田論理展開をあまり追えておらず、誤読を基に論理を展開するため実のある話があまりない。

三宅反論は、三宅本の議論の前提に基づく問題を、あたか飯田データ処理の問題すり替えていて、個人的にあまり心象が良くない。

以下、飯田批判三宅反論についてより詳細に検討していきます

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

📚 1. 飯田批判論点

飯田批判の主張とその根拠、主張を正当化する論証について整理を行います

理屈が明晰な箇所もある一方、煙に巻くような箇所もあって、議論を追うのはすこし大変だったような印象です。

まあ私の読解力の問題のような気もします。

読みやすくするため、飯田批判の主張のうち、

三宅本への指摘に該当するものには「◎」

・直接的には指摘ではないものには「◯」

という記号を付けておきます

また、論拠を準備していない主張には大括弧[]で囲っておきます

--------------------

(「・働き始める前から読書量は減り、働き始めた後も日本人読書量は減らない」の節)

◎主張1-1. 三宅本は、労働により読書量が減少することを前提にする。

しかし、これは誤りであり, 読書量は労働が始まってから変化してはいない。

<主張1-1の論証>

根拠1-1-1. データ書籍の月間平均読書冊数

根拠1-1-2. データ:1ヶ月に読む本の冊数の割合

根拠1-1-1および1-1-2は, 読書量の低下は, 労働が始まる前の現象で、それ以降では起きていないということを示す。

これは、三宅本の前提を棄却するデータであり、ゆえに主張1-1が示される。

<論証おわり>

--------------------

◯主張1-2. 書籍における「買う」(=出版売上)と「読む」(=読書量)の間の関係は明白ではない。

<主張1-2の論証>

根拠1-2-1. 「積ん読」という言葉存在

根拠1-2-2. データ: 紙の書籍推定販売金額と月の平均読書冊数

根拠1-2-3. アメリカイギリスでの調査.

根拠1-2-1, 1-2-2, 1-2-3のいずれも、書籍に関しては、「買う」の増減から「読む」の増減を帰結することやその逆を主張することは難しいことを表している。

<論証おわり>

--------------------

(「・「雑誌」と「書籍」も別の話」の節)

◯主張2-1. 雑誌における「買う」(=出版売上)と「読む」(=読書量)の間の関係は明白である

<主張2-1の論証>

根拠2-1-1. データ: 紙の雑誌推定販売金額と月の平均読書冊数

根拠2-1-1は、雑誌に関しては、「買う」と「読む」の間に相関があることを示している。

<論証おわり>

---------------------

◎主張2-2. 三宅本では、書籍雑誌区別ができていない。

<主張2-2の論証>

根拠2-2-1. 三宅本のp.38の記述

根拠2-2-1は、三宅本において雑誌書籍区別できていないことを示している。

<論証おわり>

--------------------

[◎仮設2-3. 三宅本は、「読書離れ」を論ずる際には雑誌書籍区別するべきである。]

(これは明示的に飯田批判にあらわれていないが、以下の主張2-4の論証において機能する暗黙の前提である、と私は思う。)

---------------------

◎主張2-4 三宅本は、『読書世論調査』における「読書時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張する。しかし、これは不適切である

<主張2-4の論証>

根拠2-4-1. 「読書時間」は「書籍+雑誌との接触時間である。主張2-1から雑誌接触時間は減少傾向であると推察されるので、

読書時間」の減少は(書籍ではなく)雑誌との接触時間の減少と解釈するのが自然である

根拠2-4-2. そもそも読書時間」もそれほど減っていない。

根拠2-4-3. 『読書世論調査』の総括では, 読書率はあまり変化がない.

根拠2-4-1, 2-4-3から、 「読書時間」の減少は書籍との接触時間の減少を導くのは難しい。

[仮設2-3]から, 「読書離れ」は特に書籍読書時間減少を意味すると解釈するべきであり、

三宅本のやり方では書籍読書時間減少を導くことはできない。

また, 根拠2-4-2の存在は、特に読書時間の減少が生じていないことを示唆する。

<論証おわり>

--------------------

(「・労働時間は減り、自己啓発時間も減っている」の節)

◎主張3-1. 三宅本は、日本人現在長時間労働であることを前提にしている。

しかし、労働時間を「全産業平均」の観点で見たとき、この前提は不適当である

<主張3-1の論証>

根拠3-1-1. 厚生労働省「わが国の過去50年間(1973年2023年)の労働時間の推移についての考察

<論証おわり>

--------------------

◎主張3-2. 三宅本は、次の(i), (ii), (iii), (iv)を主張する:

(i) 1990年代から自己啓発市場が拡大した.

(ii) 自己啓発労働による自己実現)のための読書(=「情報摂取型、「ノイズを除去する」「〈社会〉を遠ざける」)時間が増加した.

(iii)代わりに、人文書小説などのための読書(=「アンコントローラブル」な「ノイズ」や「他者文脈」を含む)時間が減少した

(iv) 読書離れと自己啓発書の伸びはまるで反比例グラフを描く

しかし、(ii), (iii), (iv)は誤りである

<主張3-2の論証>

根拠3-2-1. 黒田山本論文

根拠3-2-2. グラフを書くだけの定量的根拠はない(提示されていない)

根拠3-2-1から労働者の 「自己研鑽」 = 「学習自己啓発・訓練(学業以外)」の時間は減少している。

これは(ii)を否定する。

主張1-1および(ii)より(iii)は成り立たない。((iii)が成り立つためには(ii)が成り立つ必要があるため。)

根拠3-2-2は、(iv)を否定する。(少なくとも、(iv)の主張を肯定するだけの理由はない。)

<論証おわり>

--------------------

◎主張3-3. 三宅本では、自己啓発市場の拡大から自己啓発書のほうが文芸よりも市場が大きいかのように解釈する。

言い換えれば、次の(1),(2)を主張する:

(1)自己啓発市場は拡大している

(2)(1)が正しいのであれば、「自己啓発書のほうが文芸よりも市場が大きい」は正しい。

しかし、これは誤りである

<主張3-3の論証>

根拠3-3-1 牧野論文.

根拠3-3-2. データ: 日本出版市場推定発行金額

根拠3-3-1は、「年間ベストセラーにおける自己啓発書の冊数割合は増大している」ことを主張する。

これは(1)の根拠としている。これ自体問題はない。

しかし, 根拠3-3-2は 自己啓発本の市場小説市場よりはるかに小さいということを意味する。

これは、(1)が正しいのに「自己啓発書のほうが~」が間違っているので、(2)は正しくない。

以上から、これは誤りである

<論証おわり>

--------------------

[◎主張3-4, 三宅本は, 上の(1), (2)が成立するとしていたことが原因で、(i)から(ii)および(iii)を導いた]

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

🧠 2. 飯田批判の怪しい箇所

以下で、飯田批判を読んでいたときに、個人的に気になった点を列挙します。

飯田主張2-4について:「書籍」と「雑誌」の区別本質的か?

主張2-4の背後には「書籍雑誌分別するべきである」という暗黙の前提(仮設2-3)があるように思う。

三宅本の「読書から雑誌」を除外することは本当に妥当かを考えたい。

・「書籍」と「雑誌」の違いを整理しておく。

といっても自分出版業界人間ではないので正しい理解かは怪しいのだが、調べた範囲のことをまとめておく。

(間違ったこと言ってたらごめんなさい)

書籍」「雑誌」の辞書的な定義はたとえば布川ほか編『出版事典』(出版ニュース社)のp.217およびp.167にある。

ざっくりまとめると「書籍」と「雑誌」の違いは一定編集方針の下で定期的に刊行されているかどうかという部分のようである

これは、1985年ユネスコ出版統計上の「図書」と「新聞及び定期刊行物」の違いともおおむね合致しているように見える。

("図書新聞及び定期刊行物出版及び配布についての統計国際的標準化に関する改正勧告". 文部科学省. https://www.mext.go.jp/unesco/009/1387396.htm

より実際的な取り扱いは, "既存雑誌が「創刊」とは、これ如何に". 出版科学研究所オンライン. https://shuppankagaku.com/column/20070111/

によれば、

そもそも本というのは「書籍」と「雑誌」に大別されますが、出版業界では「雑誌コード」が付されたものを厳密に「雑誌」と区分しているのです。

一見雑誌のように見える本も、このコードがなければ「雑誌」ではなく「書籍」ということになります

ということらしい。(しかし、これはあくまコラムの中の記述でありカチッとした話ではないことに注意)

書籍」と「雑誌」の実際上の取り扱いの違いは、「雑誌コード」の有無、つまり流通上の取り扱いの違いから生まれてくるという。

日本では、「書籍」はISBNコードを持ち、「雑誌」はISSNコード雑誌コードを持っている。

その中間にあたるムック本では、ISBNコードだけでなく雑誌コードも付随しているようなものは「雑誌」の対象とするようである

("「雑誌」の定義出版統計". 出版科学研究所オンライン. https://shuppankagaku.com/column/20060911/

ともかく、「書籍」と「雑誌」を分けるのは明らかに内容やジャンルではない。定期的に刊行するかどうかであったり、それを根拠雑誌コードが付いているかどうかだったりである

コミック誌を除外したとしても、『anan』のようなファッション誌もあれば『文學界』や『オール読物』のような文芸誌も、また『Nature』や『ナショナルジオグラフィック』のような理工系雑誌もまとめて「雑誌」にカテゴライズされる。

さらに言えばサイエンス社の『SGCライブラリシリーズ書物は, それぞれ内容的に全く独立しており実質的単行本ではあるのだが、『SGCライブラリ151』までは『数理科学』の臨時別冊という扱いだったのでそのカテゴリは「雑誌」になっている。(なお『SGCライブラリ152』以降は「書籍である

一方、書肆侃侃房の『文学ムック たべるのがおそい』は確かにムック本ではあるが、雑誌コードを取得しておらず取り扱いは「書籍」であった。

このように「書籍」と「雑誌」の区分そもそも出版流通上の区分であり内容面での区分ではないばかりか、その区分出版物の実情と必ずしも合致しているわけでもない。

この区分はかなり表面的、形式的ものであると見るべきだろう。

・以上を踏まえて、飯田批判、つまり書籍」や「雑誌」という出版流通における区分の不徹底でもって三宅本を批判したこと妥当性ついて吟味してみよう。

飯田批判とはなんだったのか。

それは、「「書籍+雑誌との接触時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張するのは不適切である」(主張2-4)という批判である

そして、なぜ飯田が「不適切である」と主張するかといえば、「書籍」と「雑誌」は分けて考えるべき(仮設2-3)だからと考えているからであり、

特に三宅本の「読書離れ」の定義としては「書籍読書量(≒読書時間)の低下」を採用するほうがより妥当である、という飯田が信念を持っているかである

ここで注意したいのは、主張1-2, 2-1は「「書籍+雑誌との接触時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張するのは不適切である」(主張2-4)の根拠ではない。

飯田はその直前に「「書籍読書量と出版売上」の相関は弱い(主張1-2)一方で、「雑誌読書冊数と出版売上」が正の相関関係にある(主張2-1)という事実を指摘してはいものの、飯田はこれらを「読書量を測定するにあたって「書籍」と「雑誌」を区別するべきである」(仮設2-3)の根拠にはしていない。主張2-4は仮設2-3からは出てくるものの、主張1-2, 2-1には立脚していない。三宅反論で大いに誤読したのは、主張1-2, 2-1があたかも主張2-4の根拠になっているかのような書きぶり、配置の魔術ゆえであろう。

ともかく、飯田批判妥当性を吟味する際はこの信念「三宅本の「読書離れ」の定義としては「書籍読書量(≒読書時間)の低下」を採用すべきである」という部分に注目すればよい。

三宅本で対象としている「読書」は、大方「人文書小説などのような(「ノイズ」や「他者文脈」を含む)書物を読む行為」と解釈するのが妥当だろう。

したがって「読書離れ」は「人文書小説などの書物を読む頻度が減ったり、そのために費やす時間が減少している」ということだろう。たとえば理工書や技術書ファッション誌、ゴシップ誌などを読むことは端から三宅本の「読書」に含まれていないと見るべきである

転じて言えば、たとえば「雑誌」であっても文芸誌を読む場合は「読書」に含まれるべきだろうし、「書籍」であっても理工書を読むことは「読書」に含まれない(と三宅本では考えている)かもしれない。

要するに、「読書」といったときに、読まれるべき書物を分類できていないと批判するならば、むしろそのジャンル文芸歴史書哲学書・理工書・サブカルゴシップファッションなど)の違いに着目するべきなのであり、出版流通における「書籍」「雑誌」という区分は、少なくとも直接的には重要でないだろう。もしこれが重要なのであれば、それは驚くべきことなので、別でこれを論証すべきである

もちろん、おそらく「雑誌」の出版売上の中でファッションゴシップ支配的で文芸誌や理工系雑誌は影が薄いだろうから、その意味で「書籍」「雑誌」の区分で売上を観測することがジャンルの傾向をよく記述するとは言えるかもしれない。言い換えれば、「ジャンルによる読書量の違い」を捉えるにあたって「出版流通におけるPermalink | 記事への反応(0) | 20:21

「なぜ働くと本が読めなくなるのか」の内容が、データから見る現実と一致してない、という理由批判されているけど、この批判には違和感があります

なぜなら、文芸批評社会批評文化論のようなジャンルは、伝統的にデータ軽視のジャンルに見えるからです

その意味で、データ軽視の批評に親しんできた人たちが「なぜ働くと本が読めなくなるのか」をデータを使って批判するのは矛盾しているように見えてしま

もちろん、データが取りこぼす現実というのは必ずあるので、データ軽視というのは一概に悪いとは言えない(データに現れない現実を明らかにできるという長所もある)

2025-12-15

anond:20251215120605

大賞がなくなったのはこれまでの百合文芸で他の賞より大賞の方が旨味が少ないという逆転現象が起きてたからだろうか。

百合文芸6の開催を前に雑感

 pixiv百合文芸小説コンテストが久しぶりに開催されることになった。途中で挟まれ百合文芸マンガ原作コンテストカウントしない場合、3年ぶりの開催となる。

 協賛(共催?)社はまたもや変わっており、中でも重要なのはGCノベルズだろう。

 今回の百合文芸は「大賞」枠がなくなり、主な賞は「コミック百合姫賞」(両部門合わせて1名)、「GCノベルズ編集部賞」(長編部門より1名)、「特別賞」(両部門合わせて1名)となっている。このうちGCノベルズ編集部賞は書籍化確約を掲げている。

 GCノベルズとはどんな所ぞやと調べてみると、代表作としてはあの有名な『転生したらスライムだった件』があるほか、百合作品も『

「人斬り」少女公爵令嬢の護衛になる』や『「お前ごとき魔王に勝てると思うな」と勇者パーティ追放されたので、王都で気ままに暮らしたい』といったタイトル刊行されているようだ。最後に挙げた『おまごと』は2026年1月8日からアニメ放送されるということで、百合方面作品展開には乗り気なタイミングかもしれない。

 こうして各賞を俯瞰してみると、今回の対戦環境は①大賞がない、②受賞枠が少なめ、③長編異世界モノの投稿さらに増えそう、といった点に特徴づけられそうだ。

 ③はGCノベルズレーベルカラーから容易に推測できることだ。

 GCノベルズ刊行作品ほとんどが異世界モノで、GCノベルズ編集部賞も異世界モノから選ばれる可能性が高い。あだしまやわたなれのような青春ラノベならワンチャンなくもないが、間違っても硬派な歴史モノや純文学が受賞するとは誰も考えていないだろう。

 それに加えて百合姫賞の方では第4回で異世界ファンタジーが受賞し長期連載された実績があるので、GCノベルズ編集部賞と百合姫賞の両方を視野異世界モノを執筆する流れは出てきそうだ。

 そして①、②から考えると、いくら文学的に優れた作品文章の美しい作品を書いても大きな賞は貰えない可能性がある。コミカライズを目指す百合姫賞と書籍化確約GCノベルズ編集部賞がカバーできる範囲はかなり狭いからだ。

 さら百合姫賞と特別賞は短・中編部門長編部門の「両部門合わせて」1名。書泉百合部賞は短・中編部門より1名ということで、はっきり言って長編の受賞枠は少ない。また、今回、長編は8万字以上という条件が設けられて応募のハードルが上がっており、総合的に考えると長編部門は「大多数の異世界モノ」と「少数のかなり気合が入った作品」という景色になるだろう。

 ぐつぐつと煮詰まったバトルが繰り広げられそうな長編部門、そして長編を断念した者が大量流入するであろう短・中編部門

 いずれもこれまでのコンテストとは一味違った様相を見せてくれそうで楽しみだ。

2025-12-05

anond:20251205120425

もはや一般文芸のヒット作もウェブ小説出身が大半なのに何を読んでるの?

anond:20251205120425

一般文芸を読まないことは怖くないが、なろう小説を読んでるのは怖いよね

文芸作品話題になると挙げられるのはウェブ無料小説ばかり

所謂なろう小説的な。

それが怖いというか…一般的文芸読まないの?

ここの利用者大人なんじゃないの?

2025-11-22

anond:20251122182604

まあテクノロジー文章に影響を与えるのは事実よな

鉄棒の動きの描写だって昔だったら出来る人でもいつの間にか回ってて終わってるものスローモーション撮影で客体化することによって自分無意識のうちに手を返したりしてるとかいうことがわかるようになって、小説鉄棒を書くときそのことを盛り込めるようになっただろう。

(まあそれって本来意識してないことを記述してるわけなんだからそこに一人称主観的世界としてリアリティを感じるのはおかしことなのだと俺は思うが)

今はAIレコーダー文章研究革命を与え今後の文芸に活かされるだろう!

dorawiiより

-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE-----
Hash: SHA512

https://anond.hatelabo.jp/20251122183112# 
-----BEGIN PGP SIGNATURE-----

iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaSGC4QAKCRBwMdsubs4+
SO+BAP4yfmd9OEx8KuiBx+0z//LxP/fs58Ekh/NP8ItwKF3XpgD/e148ceElKE1/
cQOLtQetr4DYl8rN003Ssl0iJ9FlsgM=
=yoFs
-----END PGP SIGNATURE-----

2025-11-20

ココロちゃん先進理工で山田さんは文構でみぃちゃんは人科が良いかなとかよくわからんことを妄想していた

山田さんは文芸ジャーナリズム専修で博士まで行ってて欲しいと思いつつ

カウンセラーとか向いてそうだなと思ってそれだと人研だしなんかアレかとか思ってしまった

2025-11-19

ただの雑記 人生の大半を日本で育った中国人

高市総理大臣発言中国本土に住む人間からすればおそらく狂人めいたものに映っただろう。

しかしそれに対する中国指導部の一連の反応は全く理性を欠いていて、まるで道化のようで、高市総理のそれを軽々と超えたように思える。

理性を欠いた集団の主張にだれが耳を傾けるのか。

外交カードというゲームルール自体時代遅れ

理性を欠いた態度を外交カードと一緒にを並べられてたとえ日本政府が渋々折れたとしても日本国民はどういう感情を持つだろうか。

こんなことを両親に言ってみると

高市全面的に悪い!お前はなぜ分からないんだといった感じで私に対して高圧的な態度をとる。

まるで頭の中に理性と論理を上書きするスイッチを仕込まれたように中国共産党を妄信するので私は疲れる。

この上書きスイッチというものは、とくに年配の方や日本でいう思想の強い人に宿っているようで

それが姿を覗かせるとき私はとても憂鬱になる。

私としては中国という大型クルーズ船は大好きだ。(とくに食や文芸)

でもその船長と船員はいい加減ほかの人格者に代わってほしい。

運転が下手すぎません?

古いですがイメージとしては周恩来のような人物が再来することを望んでいる。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん