はてなキーワード: 指導とは
これを単なる「放課後のスポーツや文化活動」と解釈しているうちは、日本社会の本質を捉えることはできない。部活とは、教育という美名の下に偽装された、日本独自の「空気」の醸成機関であり、極めて強固な「小宇宙」としての共同体なのである。
西洋的なスポーツの概念では、それはあくまで個人の「楽しみ」であり「技術の向上」を目的とする「遊び(Game)」である。しかし、日本の部活においては、それが「野球道」や「剣道」といった具合に、容易に「道」へと転化してしまう。
ここで言う「道」とは、論理的なルールを超越した絶対的な規範である。そこには、外部の人間には到底理解しがたい、以下のような特質が見て取れる。
儀礼の絶対化: 挨拶の角度から、道具の手入れ、グラウンドへの一礼に至るまで、機能性とは無関係な儀礼が最優先される。
「連帯責任」という戒律: 一人の部員の不始末が部全体の活動停止に繋がる。これは近代的な法治主義(個人責任)ではなく、村社会の「縁座」の論理である。
山本七平が喝破した「空気」の支配が、最も純粋な形で現れるのがこの部活という空間だ。
例えば、真夏に水を飲まずに練習を続ける(かつての常識)、あるいは怪我を押して出場するといった行為が「美談」とされる背景には、生理学的な合理性など存在しない。そこにあるのは、「ここで水を飲んではいけない」「休んではいけない」という、その場を支配する「空気」への絶対服従である。
この空気(臨在感的把握)に抗う者は、非国民ならぬ「非部員」として、共同体から事実上の追放(シカトや疎外)を余儀なくされる。ここでは「個」の意志は、共同体の維持という至上命題の前に、完全に抹殺されるのである。
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このシステムを維持する「司祭」の役割を担うのが、教師(顧問)である。
彼らは本来の職務である教科指導を二の次にしても、部活動の指導に没頭することを「徳」とされる。土日を返上し、無給に近い状態で奉仕するその姿は、近代的な労働者のそれではなく、一種の宗教的情熱に突き動かされた修道者のそれである。
生徒もまた、その「自己犠牲の精神」を空気として吸い込み、「先生がこれだけやってくれているのだから」という情緒的な絆によって、さらなる規律へと縛り付けられていく。
それは、日本社会という巨大な「空気の組織」に適合するための、高度な精神的訓練所なのである。理不尽な上下関係を、論理ではなく「身体的感覚」として受け入れ、組織の論理を個人の論理に優先させる――この「日本教」の洗礼を、彼らは多感な思春期に徹底的に叩き込まれるのだ。
この「珍妙な制度」が温存されている限り、日本人が真の意味で「個」として自立し、論理的な組織運営を行うことは、おそらく今後も至難の業であろう。
よく、金をケチって白タクしちゃった北越高校と同志社国際が似てるって書かれてるの見るけど、全然違うと思う。
同志社国際はむしろ金をかけて危険を買いに行ってしまったよね。透明化されているマイノリティの主張に耳を傾け、
気高い市民運動への理解をしめすべきだっていう、高邁な精神で危険行為に巻き込まれに行っちゃったよね。
揶揄でなく、なんの底意もなく、立派な教育理念だと思います。沖縄県民としてはありがたい事です。
でも沖縄県民は子供を辺野古の海に連れていかないし、戦没者の遺骨収集の活動とかも学校主導でやらないんですよ。
そういうことは、ある程度自分の意思が固まって、信頼のおけるゼミの教授の指導のもとでやるくらいの高度な社会学習じゃないですか。
自分は沖縄の左派だからこそ、事故を起こした団体に対し腸が煮えくりかえってます。ワジワジーどころじゃなくて、頭に血が上るような
カッカした怒りです。彼らは未必の故意の殺人罪で問われても仕方のないことをしてしまった。
同時に学校に対しても、勘弁してくださいよと。
平和学習って何スか。単に戦争は悲惨ですよという話なら平和祈念資料館で体験者の手記を読めばいいんじゃないかな。ガザやウクライナの映像を見たらいいんじゃないかな。
どうしたら戦争を防げるかという壮大な話なら、日本がかつて中国へ侵略していったこと・それが欧米との国際的な約束を破った形になり制裁を受けたこと
制裁を突破するためにやぶれかぶれで東南アジアへ燃料を探しに行き、あほ見たいな日米戦争を始めた・・・っていう日本の戦争の歴史をしっかり学べばいいよね。
その後の展開は、さらに教育心理学的にも示唆に富むものだった。Aが一度は口にした「昨日の非礼について、重ねてお詫び申し上げます」という謝罪。それが内省によるものではなく、単に対話を強制終了させるための「終了ボタン」に過ぎなかったことが、その後の豹変で露呈することになる。
Bが依然として拭い去れない不快感(前日に「ソープへ行け」と人格を否定するような暴言を吐かれたことへの余波)を口にすると、Aは即座に攻撃に転じた。
「わたしは蒸し返されてだるいよ」「謝罪すべきはしっかり謝りました」と、自らの不適切な言動が招いた紛糾を、あたかもBが一方的に「終わったことを蒸し返す迷惑行為」であるかのようにすり替える。
再口論の最中、Aは「すまん任せた」と他のメンバーへ丸投げし、場を放棄した。
これは、自分が有利な時だけ「指導者」として振る舞い、形勢が悪くなると「自分は被害者だ」と逃げ出す、極めて不誠実な態度だ。
Aは、Cによる再度の指摘に対しても、結局「伝わって欲しかった(自分の善意を汲み取れ)」「その謝罪は一度は受け入れられた認識だ」という自説を繰り返すに留まった。
現代のコミュニケーションにおいて「情報のアップデートができない」ことは致命的な欠陥だ。
自分の振る舞いが「ハラスメント」や「仕様不備」であると客観的にデバッグされた際、速やかに自己のプロトコルを更新できない人物は、周囲に有害な環境を撒き散らす。Aは過去の成功体験や独自のドグマに固執するあまり、フラットかつ論理的な対話プロトコルをインストールすることに失敗した「古いOS」のような状態に陥っていたと言える。
今回のCや他のメンバーによる介入は、単なる口論への横槍ではない。それは、コミュニティというシステムの健全性を維持するための「免疫反応」だった。
人格否定や強権的な指導という毒素が蔓延しないよう、論理の光を当てて「それはNGである」と公にラベルを貼ること。
「コミュニケーションの主体は受け手にある」という原則を徹底することで、送り手の「善意(意図)」という逃げ道を封鎖し、受け手の安全を確保すること。
Cが最後までこの原則を捨てなかったのは、B個人の救済であると同時に、「論理の通じない強権的なコミュニケーションを許容しない」というコミュニティの防衛線を引く行為だった。
情報のアップデートを拒み、自らの手法の欠陥を「善意」や「謝罪済み」という言葉で塗り潰そうとする者は、いずれ健全なコミュニティのプロトコルによって「仕様不備」として弾き出される。Bが最後に「基礎の部分で齟齬がある」と冷徹に断じ、関係を断つ決断ができたのは、この徹底したデバッグのプロセスがあったからに他ならない。
(了)
この泥沼のやり取りの中で、流れを決定的に変えたのは、中盤に投下されたCによる「NG役満」という宣告だ。この一言が、いかにしてBを支配の呪縛から解き放ったのか、そのメカニズムを整理したい。
当初、Aは芸術論や制作の「覚悟」を説くという名目で、Bに対して極めて暴力的なコミュニケーションを展開していた。
Bは当初、これらを「厳しい指導」として受け取ろうと真面目に反論し、疲弊しきっていた。支配的な相手と一対一で向き合うと、人は「相手が正しいのではないか、自分が未熟なのではないか」という認知の歪みに陥りやすい。
ここでCは、アドバイスの「中身」を吟味するのではなく、その「やり方」そのものが対話として成立していないことを指摘した。
「ヒアリング対応としてNG役満である。答えることが目的になる尋問的な一問一答、クローズドな質問による結論誘導、情報の勝手な補完、人格否定や一方的な評価……これらは誰のためにもならない」
CがAの言動を「尋問的」「情報の勝手な補完」とリスト化したことで、Bはそれまで感じていた正体不明の「不快感」を「客観的なハラスメント」として再定義できるようになった。自分の感覚が正常であることを外部から裏付けられた瞬間である。
Cの判定は、Aが構築した「師匠と弟子」という非対称なゲームそのものを、対話スキルの欠如という側面から否定するものだ。これにより、Aがどれほど高尚な論理を語ろうとも、その「伝え方(インターフェース)」が壊れている以上、検討に値しないという結論が導き出された。
Cの介入は、Aが構築した「精神的な密室」の壁を突き崩し、社会的な論理という「外の物差し」を差し込む作業だった。このデバッグによって、Bは「相手のやり方自体に欠陥がある」とメタ認知し、支配の魔法から解かれるための最初の一歩を踏み出したと言える。
だって、そのデモにどんな効果があって戦争が止まるのか、機序を論理的に説明できる奴いないじゃん。どんな効果を期待してやったの?そんで結果は?評価は?次のデモでは何を改善するの?
何となく、各局プライム帯のニュースでこんくらい擦られて、新聞のこんくらいの面は確保できて、ネットニュースのインプがこんくらい、snsでバズがこんくらい、とかはふわふわっと想定しているようにも見える。
で?
国内世論にインパクトを与えるのが一次目標だとして、その後どうやって中東やウクライナ戦争の抑止に繋げていくの?今がまさにそのフェーズなんだと思うけど、実行中のアクションはなに?まさか何もしてないわけじゃないよね?
その辺が整ってなかったら、社会人ならゲキヅメされるでしょ。小学生のスポーツクラブだって「課題を持って臨もう」「終わったら振り返りをして次に繋げよう」くらいの指導はされるぞ。やれただけ偉いねーは園児のお遊戯会レベル。
ねえ、やる気あるの?
本当に戦争止めようとしてる?
じゃあなんでちゃんとやんないの?
何も考えずにただやるだけって、リソースのムダじゃん。効率的に投入してれば結果を出せたかもしれないリソースを浪費してるじゃん。じゃあむしろ邪魔じゃん。平和を邪魔しちゃってるじゃん。
ちゃんと数字で反論して?僕らのデモはこうこうこういう結果を出してウクライナ戦争の停止に貢献してますって。
デモをやめろってことじゃないよ?
ちゃんとやって、てこと。
貴方たちのために言ってるんだよ?
ちゃんとしてないから、大人数で同じこと叫ぶのが気持ちいいだけ、にしか見えないわけよ。わっしょいわっしょいと何が違うん?まさかとは思うけど、デモの後って皆んなで楽しくお酒飲んで解散、じゃないよね?ちゃんと振り返りのmtg開いて、その日中にレポート書いて、ネクストアクションと担当決めてから帰宅だよね?そんで今も継続的に効果測定して達成度ウォッチしてるよね?
ちょっと見せてみ?
「大人が本気でやる」ってそういうことじゃん。デモで大声だしたから本気だぜ!とかそういうのじゃないじゃん。
なんかさあ、メディアとかSNSでお仲間からチヤホヤされてご満悦。目的がそこ止まりなんだよなあ。お前ら、戦争とか平和に興味ないだろ。
だってやることやってないもん。
騒いで楽しむってのは、別に悪いことじゃないけどさ、たかが娯楽に戦争反対とかご大層なお題目つけてニヤついてんじゃねえぞ盆暗どもが。
三矢がネットの暗闇で学生たちを「自己責任」と叩き、石田がその愚かさを高みから見下ろしている間、教授室の奥にある秘書デスクでは、もう一つの静かな処刑が執行されようとしていた。
秘書のH子は、石田の背後に立ち、差し出された一枚の書類を凝視していた。雇用契約更新通知書。そこには、彼女がこの数年間、石田の気まぐれな要求と過重な雑務に耐えながら守り続けてきた「生活」の継続が記されているはずだった。
「……先生、この条件では、その……」
石田は、眼鏡の奥の細い目をさらに細め、慈父のような穏やかさで微笑んだ。だが、その手はすでに、机の下でH子の膝を、逃げ場を塞ぐように強く押さえつけている。
「H子さん、君も分かっているだろう。今の大学の予算状況で、君のような一般事務職を再雇用するのは、本来なら至難の業なんだよ。だが、私は君を失いたくない。君は私の『深い部分』まで理解してくれる、唯一無二のパートナーだと思っているからね」
石田の言う「深い部分」という言葉が、H子の脳内で卑猥な質感を持って響いた。数日前、閉ざされた深夜の教授室で、拒絶すれば契約を打ち切ると暗に匂わされながら、彼女が強いられた辱め。石田はその惨劇を「特別な信頼関係」という美しいオブラートで包み直し、今、彼女に最後通牒を突きつけていた。
「この関係を続けてくれるなら、私はいくらでも君の雇用を保証しよう。君が望むなら、もっと待遇の良いポジションへ推薦してもいい。……どうかな、これは君の将来のための、私なりの『誠意』なんだよ」
H子の喉が、ひゅっと鳴った。石田の指が、彼女のスカートの裾をゆっくりと、しかし抗いようのない力で手繰り寄せる。
「……承知、いたしました。……ありがとうございます、先生」
絞り出すような声でそう告げた瞬間、H子の視界から色が消えた。石田は満足げに頷き、まるで愛犬の頭を撫でるような手つきで、彼女の頬を指先でなぞった。
「賢い選択だ。君は三矢くんのように頭が悪くない。自分の価値をどこに置くべきか、正しく理解している」
石田にとって、H子はもはや人間ですらなく、自分の権力を確認し、性的な渇きを癒やすための「終身契約の消耗品」に過ぎなかった。彼はH子の絶望を、自分への絶対的な忠誠心へと変換させ、それを愉しんでいた。
契約書に署名を終え、震える足で教授室を出たH子を、廊下の陰でA子が待っていた。
A子は、H子の乱れたブラウスの襟元と、生気を失ったその瞳を見て、すべてを悟った。D子がE男に狙われ、G子が石田の「謎かけ」という名の支配下に置かれ、そして今、最も身近にいたH子までもが、生活の糧を人質に取られて「所有」された。
(……この人は、どこまで広げるつもりなの?)
石田教授を頂点とし、三矢がネットで反対勢力を圧殺し、D男たちがそれを囃し立てる。その強固なシステムの最深部で、女性たちは一人、また一人と「契約」や「指導」という名目で、石田の私的なコレクションに加えられていく。
「H子さん、大丈夫ですか」
A子が声をかけると、H子は一瞬だけ、助けを求めるような目を向けた。しかし、すぐにその瞳に厚いガラスのような膜が張る。
「……なんでもないの。先生は、とても優しくしてくださるわ。……A子さんも、先生に逆らわない方がいいわよ。それが、ここで『生き残る』唯一の方法だから」
その言葉は、H子自身の魂が死んだことを告げる葬送の鐘だった。
石田教授の微笑みは、もはや教育者のものではない。それは、自分に跪く者たちを愛で、従わない者を「頭が足りない」と切り捨て、すべてを「物の本で読んだ」支配のロジックで塗り潰す、冷徹な蝿の王のそれだった。
A子は、H子の背中を見送りながら、自分の掌に爪が食い込むほど拳を握りしめた。この研究室という名の密室で、沈黙の契約が、また一つ完了した。
前回の分析に加え、教育心理学の観点からもう一歩踏み込んでみたい。この一連のやり取りを、スティーブン・ハッサンが提唱したマインドコントロールの解釈モデルである'''BITEモデル'''に照らし合わせると、この人物の振る舞いは極めてカルト的だ。
ここで試みられたのは、対等な対話ではなく、相手の精神をハックし支配下に置くためのプロトコルである。
この人物は、相談者のこれまでの努力を「薄っぺらい」と全否定し、代わりに「北方謙三」や「ソープへ行け」といった独自の極端な比喩を「唯一の正解」として提示した。これは、既存の価値観を破壊し、内部の特殊な言語体系(ドグマ)をインストールさせる初期段階に等しい。
こうした「既存の知識は無価値である」と断じる手法は、沖縄の過激な活動家やSNS上の先鋭化したフェミニストにも共通している。「お前は構造を理解していない」「歴史を学べ」といった言葉で相手を「無知な加害者」に固定し、自分たちが独占する「正義」や「真実」に従うことだけを強要する。
「最後に異性に触れたのはいつか」といった問いは、相談に必要だからではない。性的・プライベートな領域に土足で踏み込み、羞恥心を煽ることで相手の心理的防壁を壊すためだ。
カルトが「罪の告白」をさせるように、羞恥心を共有させた瞬間に支配関係が成立する。相手が反発すると「覚悟がない」と断じるのは、罪悪感を刺激して自分の支配下に戻そうとするエモーショナル・ブラックメール(感情的なゆすり)である。これは、反対派を安易に「差別主義者」と呼んで道徳的優位に立とうとする運動体らの論法と地続きだ。
カルト的支配者は、自分が批判されると「これは大義に対する攻撃だ」「理解できない下等な者の嫉妬だ」とすり替える。この人物が「楽しくないことで自分の時間を奪われることに敏感になってほしい」と言い放ったのは、自らの暴力を棚上げし、自分を「無知な他者に時間を奪われた聖職者」へと聖域化する行為だ。
恐らく、本人には「加害している」という自覚は希薄なのだろう。むしろ自分は良かれと思って、相手のためにあえて厳しい「真実」を突きつけているとすら信じ込んでいる節がある。
しかし、無意識の善意ほどタチの悪いものはない。教育心理学の視点で見れば、どれほど言葉を飾ろうとも、その端々に現れているのは、相手を自分と同等の人格として尊重せず、自らの全能感や支配欲を満たすための「道具」として扱おうとする傲慢な精神構造そのものである。本人の意図がどうあれ、その言動の根底にある「他者への不遜さ」は、隠しようもなく露呈してしまっているのだ。
相談者が「ふざけんな」と怒ったのは、このBITEによる浸食を、自らの論理と自尊心で跳ね返したということだ。カルトや先鋭化した運動体は、こうした「強い個」を「教育不足」として切り捨てるが、異常なのは支配を試みた側である。
私たちが学ぶべきは、大義や芸術論を掲げて近づき、こちらの境界線を踏み荒らそうとする者に対して、明確な拒絶を示す勇気である。
最近、あるコミュニティで目撃した「相談」から「絶交」に至るまでのやり取りが、あまりに教育心理学におけるいじめの構造(DARVO)そのものだったので、自戒を込めて記録しておきたい。
登場人物は、写真制作の壁にぶつかっている相談者Bと、それにアドバイスを送るA。
問題の端緒は、AがBの私生活や尊厳に無遠慮に踏み込んだことだ。Aは芸術論を語る文脈で、唐突にこう言い放った。
これは相談という形を借りた、明白な境界線(バウンダリ)の侵害だ。教育心理学の視点で見れば、相手を精神的に動揺させ、自分が優位に立つための「精神的な揺さぶり」に他ならない。Bが困惑して「恋人がいる」と返しても、Aは「死ぬほど金が欲しいわけじゃないんだな」と、勝手に相手を「覚悟のない人間」として再定義し、攻撃を続行した。
後にBがこの不快感を訴えた際、Aが繰り返したのは反省ではなく「手続きとしての謝罪」の完了報告だった。
これは「謝罪というパケットは送ったのだから、それを受け取らない(怒り続けている)相手がエラーである」という論理だ。心理学的に言えば、謝罪を内省の証ではなく、自分の過去を洗浄し、相手の口を封じるための「武器」として利用している。
「人前で繰り返し持ち出されるのはつらいので、もうやめてください。」
これこそが心理学でいう'''DARVO(Deny, Attack, and Reverse Victim and Offender)'''の完成形である。
A氏の言動には、自分の万能感を維持するための「投影(プロジェクション)」も顕著に見られる。自分のアドバイスが的外れだったという失敗を認められず、それをB氏の「覚悟の欠如」という問題にすり替えることで、自己像を保護している。
こうした「指導」の皮を被った「支配」は、受け手が論理的に反論すればするほど、加害側が「被害者」として騒ぎ出すため、対等な解決は望めない。
Aの振る舞いは、大人の知的な対話を装ってはいるが、その本質は教育現場で見られる「いじめ」の構造と変わらない。自分の万能感を守るために、ターゲットの自尊心を削り、反論されたら「自分の方が傷ついた」と騒いで周囲の同情を買おうとする。
相談を受ける側が「相手を尊重する」という前提を捨て、自分の哲学をインストールする対象(モノ)として相手を見たとき、コミュニケーションは容易に暴力へと変質する。
ということは4月入社で2~3週間の新人指導期間が終了後、ひとりだちした直後の配送員のやらかしなのかもな。
まあ、それならわからないことはない。
ある程度の経験を積んでる配送員なら自分の膀胱のことはよくわかっている。
だから準備をする。
そういうのを準備する。
それでも冬場なら間に合わないこともある。
ボトルの中身がパンパンになってて、もう入らないってこともある。
そういうときは止むなく、発泡スチロールの箱にすることもある。
え?ペットボトルの中身を捨てればいいだろ?って?どこへ?
何処でだって捨てれるわけじゃない。
あと、立ちション?
そんなんムリムリ。
すぐ通報されるんだよ。
配送員の格好したやつが立ちションなんてしてたら速攻で通報だよ。
トラックにはデカデカと組合員募集って生協の電話番号書いてるんだから速攻だよ。
それといっしょだよ。
なんでもかんでも即通報だよ。
な?オシッコするの我慢に我慢を重ねてなんとかかんとかコンビニたどり着くとするだろ?
でも駐車するところ無い。
申し訳ないが緊急事態、ほんの1分で済むからと慌てて停めて、なんと幸運にもトイレが空いててオシッコは間に合った。
ああよかった。マジやばかった。
と、思ってたら電話かかってくる。
「おいお前、コンビニで車椅子マークのところ停めてただろ?通報あったぞ。」
そんな感じなんだよ、マジで。
しょうがないから、どうにもならないときには発泡スチロールの箱にションベンするんだよ。
それが最善手なんだから、仕方ないだろ。
わかるか?それが最善手なんだ。
他にやり方があったら教えてくれ。
なるほど。
ばっっっっかじゃねえええええの!?
ばっっっっっかじゃねええええええええええの?
◯ね。
中国の指導層、特に1990年代の日本の崩壊をリアルタイムで観察していたエリートたちは、日本の失敗を国家主権を失った国が辿る末路として徹底的にケーススタディした。
中国は、日本が米国の圧力に屈して急激な円高を受け入れ、バブルとその崩壊を招いたプロセスを最大の教訓とした。米国が長年人民元を切り上げろと圧力をかけ続けても、中国は決して一気に応じなかった。自国の輸出競争力と通貨の主権を手放すことは、国家の自死を意味すると理解していたからだ。
日本が金融自由化の名の下に外資の浸食を許したのに対し、中国は資本の流出入を厳格に管理し、グローバル資本が国内経済を根底から揺さぶることを許さなかった。中国は通信、エネルギー、金融といった国家の背骨となる部門を、決して民営化(=外資への売却)しなかった。
市場経済を取り入れつつも、最終的な決定権を国家(共産党)が保持し続けることで、資本の論理が国家の主権を上書きすることを防いだ。日本の林道整備が収益性で切り捨てられたような事態を、彼らは国家の弱体化として回避した。
日本が製造業の現場を軽視し、派遣労働の拡大で技能を破壊し、技術を米国や周辺国に流出させた失敗も、中国は注視していた。サービス業や金融への偏重(経済のソフト化)が国力を削ぐことを見抜き、製造2025の掛け声のもとにハイテク製造業での自給自足を急いだ。
西側の技術を導入しつつも、それを自国のものに昇華させ、逆に西側が中国のインフラ(5GやEVなど)に依存する構造を作り上げた。
中国の躍進は日本のようにだけはなるなというスローガンの上に築かれている。彼らは日本がバブルの宴に酔い、竹中平蔵のようなパシリによってシステムを解体され、最終的に搾取対象へと転落していく様を、冷徹な目で見つめていた。
皮肉なことに、日本が米国に差し出した果実が大きければ大きいほど、中国は主権を失うことの代償を強く認識し、独自の軍事力と経済ロジックを磨き上げることができたのだ。
覚悟がなければ未来はない。中国は米国と衝突してでも主権を守るという覚悟を決め、日本はその覚悟を捨てて隷属の安寧を選んだ。その結果が、現在の両国の決定的な国力の差となって現れている。
1989年(平成元年)に改訂された中学校学習指導要領(1993年(平成5年)施行)では、これまでよりも教師の裁量の幅を大きくし、教科の内容として行わせる言語活動は「別表1に示す言語材料のうちから,…目標を達成するのにふさわしいものを適宜用いて行わせる」こととされた[13]。この「別表1」に定める「言語材料」の中には、「アルファベットの活字体及び筆記体の大文字及び小文字」として「筆記体」も挙げられていた。しかし、ワードプロセッサの普及によって手書きの機会は減少し、英語圏でも筆記体が衰微したことや、それ以前の改訂で授業時間数が減ったことなども相俟って、同改訂が施行された1990年代以降、授業で筆記体の習熟に時間を割くことは少なくなっていったとされる。
さらに、1998年(平成10年)に改訂された中学校学習指導要領(2002年(平成14年)施行)では、外国語は選択教科から必修教科に位置付けられたものの、授業時数は減少し[注釈 2]、「文字指導に当たっては,生徒の学習負担に配慮し筆記体を指導することもできること」[14]と定めたため、筆記体が授業で詳しく取り上げられることはほとんどなくなったとされる。
当時彼は20代で、職場の立ち位置はルーキーでした。恋愛の腕前がどの程度かは不明でしたが、モテないということは否定できないみたいな、なんともいえない印象でした。
そんなある日、彼のところに新卒の女の人が来て業務の相談をしていました。仕事の話が終わった後で、「わたし、髪切ったんですよ♪」と、外見の変化をアピールしたのです。
そしたら、彼は「似合ってるね!」という台詞を口にして、彼女は嬉しそうにしていて、その場から去ったのですが~~その後に上司から注意を受けてました。
「今時は、そういう発言はセクハラになるからね😶」という趣旨の指導でした。
なるほど、今時はそうなのだなと思って厚労省のガイドラインを読んだら、確かにそのとおりであり、納得した記憶があります。相手によってはハラスメントになるので、相手の外見を褒めるのはNGということです。
※上記の場合はセーフだと思います。上司の発言もそれをわかったうえで釘を刺したのかと
人間一人あたりの価値ですが、時代を経るごとに上がっています。いわゆる人権というやつです。昔だったらOKだったコミュニケーションが、今ではアウトになってしまいます(..)
都会の方にある会社であれば、そういったコミュニケーションは厳に慎まれているものと存じます。皆様の職場はいかがでしょうか。
公務員増田などと呼ばれて久しいですが、確かに昔は公務員をしておりました。
私が書いたものをブクマされる方に、『はてな気砲』なるワザを編み出した方がおられるのですが、やはり業界経験のある方には見抜かれてしまうのだと思います。作品が扱うテーマがモロなこともあるのですが、文章の書き方でわかるのかと。
これは、とある電子機器メーカーでのお話です。こちらの会社に勤めていた人で、不幸なことになった女性がいました。ありていに言うと自殺です。会社の責任だと私は思ってます。
前職を辞めた理由は、先輩や同僚がやはり同様の理由で命を落としたからです。退職理由の大半です。人の命を大事にしない職場環境では、今後ずっと働けないと感じました。まさか、次の会社でもそうなるとは思いませんでした。
自殺願望というのは、案外普遍的な感情なのかもしれません。『死にいたる病』といった名著にもあるのですが、人間、視野が狭くなると必然的に誤った選択をします。死の方が楽になるのです。
迷っているときにもっとも必要となるものは、いつでも、一番思いつきにくいものなのだ――これは当然のことである。だって、そうでなかったら、それは迷いではないわけであろうから。 死にいたる病(中盤あたり)
当時を思い返すと嫌な気分になります。しかし思い出を否定しても、またやってきます。臆さずに感情を受け入れて、消化してしまうのが最良だと思います。
年末には長編を投稿することが多いです。こちらの日記もそうでした。
かつての京都府での公務員時代は、数年だけ教育の仕事に携わっていました。学校教育ではなくて、その亜種みたいなジャンルです。その頃の(大分昔ですが…)思い出を日記にまとめました。
物語の主人公の人ですが、学校の先生出身で、京都府教育委員会で長年働かれていた人です。私が教委事務局に出向になった年に定年退職し、以後は再任用で働いていました。一緒に働いていた時に、昔の話をいろいろしてくれることがあって、今でも記憶にしっかと刻まれています。
私個人の価値観ですが、仕事に対してマジになる方ではありません。それが悪いことだとは思いません。ただ単に、仕事を崇高な事だと信じる人と、そうでない人の違いです。
元厚労相の村木厚子さんのような、複数の社会で生きることを提唱するタイプです。教委事務局での仕事についても、超絶キツかったのは間違いないですが、それでも手を抜けるところは全力で抜いてました。
公務員ものを描くにあたって、難しいところがあります。私は現場の最前線で働いていたこともありますし、裏方の事務スタッフだったことも、『決める側』だったこともあります。それでも日記を書くにあたっては、現場のこと(意思決定の裏側)を書いた方が皆様にとって面白いのは間違いありません。
ただし、長年公務員をしていたわけでもありません。限界がある部分については、市町村の役場を訪問した時とか、イベント動員で出動した時とか、プライベートで役所がスポンサーになっている行事に参加した時など、思い出を活用して日記を作るようにしています。
今でも懐かしくなって、京都~大阪を訪れることがあります。昨年末も一時帰省しました。
市内には飲み屋がたくさんあるので、同じカウンターに座ったお客さんと話が盛り上がることもあります。わいわいがやがやな時もあれば、しんみりと語り合うこともあります。こちらの日記に書いたのも、その時の思い出です。
それぞれ、京都の祇園~木屋町での飲みの思い出です。語り手は、京都市内で土地家屋調査士として営業している人に据えました。お話の仕方に大変熱量のある人でした。うざいくらいに自分の考えを語るというか、素面でも酔っぱらってるみたいな人でした笑 仕事の腕前はホンモノです。
「都会と地方での若者の違い」をテーマに据えましたが、実際、そんなものはないと思ってます。それぞれの居住地を入れ替えれば~に帰結する類のつまらない話です。江戸時代の人が現代に来たら、現代人の様式にすぐ馴染むみたいな。
ただ、都会の方が若者の密集度が段違いです。特に優れた若者だと、同程度の資質を有した人と出会うことで才能が開花するものと存じます。それが、東京一極集中というか、一例として、大学が都心部に集積していることの強みだと思います。強者同士が出会うことで、『ブルーロック』で言うところの化学反応が起きるのです。
その意味では、田舎よりも都会の若者の方が視野が広くなるし、能力・資質も発展しやすいのは間違いないです。
公務員時代のお話です。同期入庁の人で福祉部門に配属された人の記録です。
フロアが近かったのもありますが、彼のことは強烈に印象に残っています。というのも、悪い意味での有名人だった時期があるからです。
日記中には、いろいろと不適切な描写がありますが、実際に起こったことです。思い出を整理する、文字にして吐き出したいという思いに抗うことは難しく、詳らかに描いてみようと思いました。
地方自治体の職場だと、あまり大きい声を出す職員はいません。一般住民に近い職場が大半であり、コンプライアンスの観点があるからです。しかし、一般住民があまり来ないような職場だと、問題のある行為をする人間も存在します。むろん少数派ですが。
主題はそっちではなく、作中で取り上げた人のことです。「彼が福祉部門なの!?」と若かりし頃の私は思いました。彼の高校時代を振り返っても、福祉への適性があるとは思えませんでした。
しかし、何年も経ってみると、彼は実際に適応してました。直接見聞きした回数は少ないですが、府民からも業者からも、一定の信頼は得ているものと思いました。
彼は今でも公務員として働いているはずです。彼と一緒に仕事をした経験はそこまでなく、食事や飲みに行った回数も同様です。日常的な絡みはありませんでした。ただ、学生時代に同じクラスだったから知ってるというだけです。
それでもわかるのです。今でも、彼は自らの人生の目的を達するために、公僕としての勤めを果たしているのだと。
実は、昨年末頃に職場を観に行ったら、オフィスのすみっコに彼が座ってました。奥の方だったので役職が付いたのかもしれません(^^)/
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【閑話③】よくブクマしてくれる方
以下の表中のコメント回数(期間:2023.1~2023.12)ですが、概算になります。
データは整理していますが、専門的なスクレイピング・データ加工はしていません。
コメント回数は、すべて「少なくとも」です。確実にこれだけの回数があります。
以下、ブクマカ名は一部を除いてぼかします。ある程度わかる表現にはしています。
| ブクマカ名 | 私個人の感想 | コメント回数 |
|---|---|---|
| ネコとグラス | いつもコメントありがとうございます(^^) | 11回 |
| はてな気砲の人 | いつも流石です。私を見抜くAIを作られては? | 10回 |
| スター数1位 | 含蓄あるコメント。今では引退されたのですね泣 | 7回 |
| ゆっくり風の女性 | 同じく2023年からブクマが増えてます。転生された? | 7回 |
| ハックルベリー | 心にドーンとくるコメントが多いです(;'∀') | 7回 |
| 目がデカい女性 | 私にとっての伝統的なブクマカです(..) | 7回 |
| 口紅 | 理性的なコメントが多し。今後もよろしくお願いします | 7回 |
| ひげおじさん | 小説作品へのブクマが多いですね | 5回 |
| ゆかり | またいつか釣り針パクーしてくださいw | 4回 |
| ナニカを飲んでるおじさん | ビジネス面に鋭いコメントをなされますね | 4回 |
| firststar_hateno | お前が№1だ……!! | 4回 |
| おたまじゃくし | 小説作品がお好きなんですねぇ笑 | 4回 |
| スーツ姿の男性 | パワーのあるコメントをされます笑 | 4回 |
| 忍者 | 目線が鋭いですね。私ですら気が付かない視点を…… | 4回 |
| eggman | 無言ブクマ歓迎です!(^^)! | 3回 |
| 介錯 | 芸術肌の方。もっと温かい雰囲気の日記を増やしますね | 3回 |
| 悩んでそうな女性 | 小説作品の読み込みがすごいです。勉強になります | 3回 |
| fossilcat | 会長視点じゃないですけど今年投稿したいです | 3回 |
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【最後に】
昨年末頃は、皆さまに大変ご迷惑をおかけしました。諸事情により詳細を申しあげることはできませんが、深く反省しております。
今後につきましては、お読みになる方に、(怒りや悲しみといった負の感情ではなく)ポジティブな感情を与える作品づくりをめざします。
“ 米国もイランも、戦闘再開の可能性を視野に入れている状況だ”
“ イラン側は、トランプ氏の方が合意を望んでいると見て交渉の引き延ばしを図っているとの見方もあるが、同論説はそれは誤解だと指摘する。実際は、イランは米国による軍事攻撃と海上封鎖によって経済的に大きな打撃を受けており、トランプ氏よりもイランの方が合意を必要としていると分析している”
“ 具体的には、海上封鎖を継続してイラン経済を圧迫しつつ、軍事攻撃を再開し、合意に抵抗する指導部を排除すること、さらにホルムズ海峡をイラン船舶を除くすべての船舶に対して武力で開放することを提案している。
そして最終的には、イランの残存指導部に対し、降伏か、さもなくばイラン産石油の約90%が流通する「ハールク島」を破壊するかの二択を迫るべきだとしている”
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/24816fb64246de0e15ae529a9292c6888917a47c
まず、車の送迎について、保護者が持ち回りで子供たちを連れて行く、そして「何かあっても学校は何も責任を負いません」という書類に署名して出せ、と
いや、出さないよ
どこの誰が運転するとも、どんな車かも、免許持ってるかも確認してない、保険の適用範囲もわからない、そんな状態で怖くて署名なんかしないよ
自分ち以外全員出してるし今まで出さない人はいなかった、って聞いてびっくらこいた
もし車に突っ込まれて片足なくなっても保険金が出るかもわからないって怖くないのか?
聞いてみたら「今まで何もなかったので」
先生もボランティアで休日潰して引率してくれたり給料も出ないのに指導してくれるんだから全然出す
お茶とおにぎりとミニ弁当、冬は水筒にお湯入れて暖かいインスタント汁を準備して、グリーンピースはNGで〜、いや先生の好きな弁当買わしたれや
嫌やろ、どんな保存状態だったかも、好きでもないおかずが入ってるかもしれない弁当もらうの
他にもOGのレクリエーション企画する係(3年間固定)とか、とにかく取り決めが細かい、責任が不釣り合いに重い
これが強豪校ならわかるよ
うちは軽い気持ちで入ったし、1年生の他の保護者も説明についていけなくて引いてる
説明聞いてるうちに何となくわかったけど、これは学校側が求めてる訳ではなく、保護者が勝手にしてる自治が過剰なんだ
「昔からこれでやってたから」で非効率と負担だけが負の遺産として積み上がってる感じ
とりあえず車以外は半年くらい言う通りにするけど、やらなくていいようなことは辞めてもいいか提案する
子供には悪いけどダメそうなら部活変えるなり、民間のクラブに入るなりしてもらおう
こんなのやってられないわ
理由は二段階のリスク構造に分解できる。第一に、想像通りの研究ができないリスク。第二に、想像通りに研究できてもアカデミアに残れない・残らないリスク。なお、自分が所属していた理工系を前提にしている。
研究を始める前の段階で、プレスリリースなどを通して面白そうなテーマを見つけるということは、勤勉な学生ならあることかもしれない。そしてそんな研究テーマに取り組むためにそのトピックの第一人者の先生のいる研究室の門を叩くというのはありがちな光景だ。一方で、筆者はこれを非常に危険な意思決定だと考えている。
まず、どんな研究テーマにも流行り廃りがあり、研究の最前線にいない人の耳に入る時点で旬は過ぎていることが多い。基本的にはどんなトピックもブレイクスルーを誰かが起こして、フォロワーがそれを拡張し、拡張しきるとしぼんでいき、また次のブレイクスルーを待つような形になる。今をときめく人工知能であっても冬の時代を経験した。これは業績数で評価される構造と、新奇性を志向するアカデミアの文化が結合した結果であり、分野横断的に観察される。
つまり、ある特定のトピックを研究するために研究室に入ったとしても、自分が研究を始める段階ではまともなトピックは残っておらずニッチなトピックを触るはめになったり、指導教員が熱を上げている新しいトピックを振られたりすることがしばしばある。惰性で進学していれば研究テーマがつまらなくても卒業をモチベに適当にやれると思うが、そのために進学・転居した場合の失望は大きい。
加えて、進学する前の段階では他にも様々な不確定要素が多すぎる。指導教員が想像と違う、テーマが死にテーマだった、コミュニティが薄かった、設備が貧弱だった。研究者を目指すにせよ目指さないにせよ、博士課程の5、6年を費やすにはかなり不確定要素が大きい。
教員ガチャや設備リスクは大学を問わず存在する。ただし望まない結末になった場合のピボットしやすさは段違いだと思う。東大・京大であればある程度は新卒就活できるが、それ未満の大学では博士課程の年数が単に留年のように評価されるだけになる。穿ちすぎかもしれないが、これは自分や周りの就活の実体験とも整合する。
アカデミアの文化に触れていると論文や学会発表がとても偉いことのように思えるが、これはアカデミアにいる場合の価値観であって外の世界ではあまり役にたたない。金融やコンサル・ITといった比較的院卒に間口の広い企業群は全くパブリケーションを見ない。自分は博士をとったあと上述三分野のいずれかで働いているので伝聞にはなるが、かなりアカデミアに近い企業の研究所であっても論文より特許が重視されるらしい。
読者の中には、自分はアカデミア一筋だから関係ない、どんな大学でも「よい」研究を重ねていれば道は啓ける、と思う方もいるかもしれない。アカデミアに残り続けて教授職を目指す限り、それは一定正しい。ただし教授職に到達する人材も東大・京大出身者が多い。これは時代背景も大きいのかもしれないが。
他方で、人生は思いもよらないライフイベントが多数あり、多くの人は望む望まざるに限らずアカデミアから離れることになる。精神を病む。院生・ポスドク期に全力を投じても成果が出ずに放逐される。結婚・出産に伴う金銭的・時間的要件をアカデミアの待遇では満たせなくなる。研究という営みと社会との距離に諦念し熱意を失う(自分はこれに近かった)。人生は進み、それに伴って価値観も変容する。その変容に耐えられる人は多くない。
東大や京大もしくはMITとかスタンフォードみたいなブランド大学の中で興味のある研究室に行っておけば、ドロップアウトしてもプライドを満たせる仕事につけるぞ!
くだらん書類をチェックして
くだらん書類作って
どっかの営業とくだらん話して
くだらん部下のくだらん指導して
くだらん部下のくだらん不始末の処理のために頭下げに行く
給料は今と同じで