はてなキーワード: 木島とは
これは解釈次第で、人事に抗議したのか、百条委員会に抗議したのか、分からない。
可能性として、役所内で人事権を乱用して10年10人と肉体関係をもったことが本当だという可能性もある。クーデターを企んでた、みたいな記録も。
多分、この議論が、平行線から脱することは無い。なぜなら故人のパソコンが公開されないから。
仮に人事に不満があったのなら、その内容で故人の名誉が傷つくか?百条委員会への不満というのは、そもそもよく分からん。でも、人生が終わるような恥ずかしいことなら、死んでしまう気持ちも分からんでもない。
個人的に思うのは、自死は究極の罪。仮に人事に不満という程度で死のうもんなら、クソすぎる。重罪だ。勝手に死ぬな。
あるいは、自分のやましいことから逃げるために死んだとして、これもふざけるな。罪を背負って生きろや。償え。
1億歩譲って、自死を認めたとしよう。それなら、全部、明らかにしてから死んでくれ。残された兵庫県は大混乱やぞ。はっきり言って許せん。人間的にダメすぎる。
優しい目でみるなら、多分、ストレスで鬱、あるいは、躁鬱が発症してて、でも、病院に行けなくて苦しんでお亡くなりになった、という可能性もあるからなんとも言えない。何十年もぬるま湯で生きてきたオジサンだろうから、耐えられなかったんだろうな。
ま、個人的な思いは置いといて、パソコンの中身をオープンにしないと本当の意味で解決しないから、多分、これであーだこーだ言っても時間の無駄。前向いて、政策の話をすべき。
個人的には木島さんの道州制が、日本の寿命を伸ばす一手になるような気がしてる。木島、齋藤コンビと大阪維新が手を組んでくれたら、地方自治が凄く効率化する世界がくると思う。
「女性が陰部を見せることで魔を祓う」という伝承に関する、本しゃぶり(honeshabri)さんのエントリを拝読したので、それに便乗して、思い出した雑多なことを書き残す。先に断っておくが、かなりくだらない話が多い。
中田雅喜(なかた・あき)という女性漫画家がいるのだが、彼女の代表作の一つで、80年代に成年向け雑誌『漫画ブリッコ』に発表した連載作品を一冊にまとめた『空は女の子でいっぱい』というタイトルの単行本がある。作品そのものの別名は『真・ダ○ボ』シリーズとも言う。伏せ字にしても意味が無いような気もするが、とりあえず○ィズニーが怖いので、形式的に伏せ字にしておく。
○ンボと言えば、耳が普通の象よりも大きくて、それで羽ばたいて飛行することが出来る、子象が主人公の物語である。
この『空は―』の主人公である少女も、身体の一部が通常の人間女性よりも大きく、それによって羽ばたいて空を飛ぶことが出来る。ただし『空は―』の主人公の巨大な身体パーツは、耳ではなく陰唇である。
ある日突然、X-MENのミュータントのように陰唇が○ンボ状態になってしまった主人公。女性に悪さを働く暴漢を巨大な陰唇で退治したり、人類からの差別や迫害に立ち向かったり、同じダ○ボ族たちと巡り会ったり、ダ○ボ族と人類の戦争が起きて巻き込まれたり和睦したりと、奮戦する主人公の姿と、普通の少年との淡い恋の行方。これら全てを描き切った一大ファンタジックSFエロチックコメディ絵巻である。念のために言うが、嘘は言っていない。ろくでなし子以前に、ここまでポップに女性器を強調したキャラクターを創造したクリエイターが存在したことは、日本のアート史上に記録しておいてよいであろう。
この最高に馬鹿げた漫画を執筆した切っ掛けが、果たしてどのようなものであったのか。それは、同じ作者によるエッセイ漫画『純情ももいろ日記』に経緯が描かれている。
この『ももいろ―』についても説明すると、現在でこそ、女性漫画家が性愛などについて赤裸々に語るエッセイ漫画や自伝的漫画のような作品は、決して珍しくもないが、中田による『ももいろ―』は、そのようなジャンルの先駆的作品である。日本漫画史上、もっと高い評価を受けて然るべき作品であると、個人的には考えている。
『ももいろ―』の内容も少し紹介する。例えば、成年向け作品の執筆に関して、誌面では最終的にボカシで消されるとはいえ、生原稿では性器を描かざるを得ない。他にモデルもいないし仕方が無いので、作者である中田雅喜は、自身や彼氏の性器の実物を見ながらスケッチしたという。そういったユーモラスなエピソードの数々が『ももいろ―』では、ポップで可愛らしい絵柄で描かれている。ちなみに、性器スケッチのモデルにもなった彼氏は、後に中田雅喜と結婚して夫婦になるのだが、漫画で描かれている外見的な特徴を見れば、彼氏の人の自画像そのままなので、誰なのかは一目瞭然である。よく本人がオーケーしたな……。器が大きすぎる……。ダ○ボだけに。
それで『ももいろ―』によれば、若き日の中田雅喜は、隙間風が吹く風呂無しアパートで暮らしており、冬の寒さに難儀していたため、ガス湯沸かし器を購入する資金が欲しかった。ちょうどそんな時に、知り合いの編集者が成年向け雑誌の仕事を持ってきた。その依頼を受けたことが切っ掛けで、中田は成年向け作品を執筆するようになった。そうして傑作『真・ダ○ボ』シリーズが生まれた。なお、中田雅喜は、無事にガス湯沸かし器を手に入れたそうである。
成年向け雑誌の仕事を中田雅喜のところに持ってきた、その編集者とは、何を隠そう「オーツカ某」である。この呼称を覚えている人がいたら、その人は若くない。これは、現在の大塚英志である。大塚英志といえば、千葉徳爾や宮田登の教え子であり、その学問的な素養を活かして『北神伝綺』『木島日記』『黒鷺死体宅配便』など数々の傑作を生み出した人物でもある。当時オーツカ某だった大塚英志が、漫画『真・○ンボ』の内容にどれほど寄与していたのかは定かではないのだが、もしかしたら民俗学や神話伝承などについて学んだ経験を活かして、アイデアを中田雅喜に提供したりしたのかもしれない。何か情報を知っている人は、教えて下さい。
かなり前置きが長くなったが、ようやく神話伝承の話題に繋がった。中田雅喜の『真・ダ○ボ』では、物語の終盤において「牙が生えている性器を持つ、女性の姿をした怪物の伝承」「自らの手で牙の生えた性器を広げる女性の姿を描いた石像」について言及される。そして「この恐ろしい怪物に関する人類の伝承は、遠い未来に遭遇する運命にあるダ○ボという異種族に対する、未来の記憶による恐怖の産物だった!」という話になる。分かる人には分かると思うが、これは勿論、アーサー C. クラークのSF小説『幼年期の終わり』が元ネタのパロディである。
さて、牙の生えた性器を持つ女性の神話伝承については、金関丈夫が「Vagina Dentata」と題した論文(岩波文庫『木馬と石牛』に収録)で、台湾や東南アジアなどに分布するものを特に詳しく紹介している。この神話は、日本列島にも存在する。
この神話群は、おおむね次のような内容である。「昔、とても魅力的な女性がいて、大勢の男たちから求婚された。しかし結婚しても、初夜に夫が死んだり逃げ出したりして、夫婦生活は長続きしなかった。その原因を調べてみたところ、彼女の性器に牙が生えていて、夫の性器を食い千切って死に至らしめることが判明した。その牙を抜いたり砕いたりすることで、彼女は普通の女性となり、新たに夫を迎えて幸せに暮らすことが出来るようになった(バリエーションとしては、単なる怪物として退治されて死んだといったものも存在するようである)」
この物語の典型の一つが、江戸時代の奉行・根岸鎮衛(ねぎしやすもり)の著した雑話集『耳嚢(みみぶくろ)』に収録されている「金精神(こんせいじん)の事」と題する一篇である。これは、津軽で「カナマラ大明神」と称して祀られていた、黒銅(黒鉄)で作られた男性器型の御神体について、その由来を聞き書きしたものである。
この由来物語でも、やはり、牙が生えた女性器を持ち、それが夜の夫婦の営みの際に夫の性器を食い千切って死に至らしめるために、結婚しても夫婦生活が続かないという女性が登場する。その悩みを聞きつけた或る男が、この女性に結婚を申し込んだ。そして迎えた初夜、新しい夫は、自らのものを初めて挿入する代わりに、まず黒銅で作った男性器を妻の性器に挿入した。すると牙の生えた女性器は、黒銅の男性器に噛み付いたために、牙が砕けて全て抜け落ちた。それ以後、女性は普通の女性となり、つつがなく夫婦生活を送った。その時に夫が用いた黒鉄作りの男性器が、後に神として祀られ、今のように崇敬されるようになったとの由。
古今東西の神話や呪術において、男女のいずれの性器も、生命力や呪術的な力の源泉として神聖視される事例が数多い。その中で特に女性器は、妊娠・出産による人間の誕生という重要な役割を担うことから、生命の象徴そのものであった。しかし、それとは対照的に、Vagina Dentata神話で描かれている女性器は、牙を生やしていて、生命を生む存在ではなく、むしろ奪う存在である。これは、陰唇と口唇の形態的な類似と、性行為時に男性器を受け入れるという機能から、男性器を喰らう女性器という発想に至ったと考えるのが自然なことであろう。けれども、それだけではないように思われる。
Vagina Dentata神話の根底には「生命を生み出す魔力を持つ女性には、それと表裏一体のものとして、生命を奪う魔力もまた備わっているのが当然である」とする、呪術的な発想もあったのではないだろうか。ニギミタマ、アラミタマという言葉が示すように、聖なる力は、好ましい側面だけでなく、同時に好ましくない側面や荒ぶる側面を併せ持つとされることも多い。聖なる力が人間の役に立つ時には「カミの力」とされるし、人間に害を及ぼす時には「妖怪の力」とされる。こういった「カミと妖怪の間を振り子のように行き来し、変貌する超自然的な存在」という妖怪の有様は、京極夏彦作品に多大な影響を与えたことでも知られる妖怪学者・小松和彦の著作で、詳しく論じられている。女性器の神聖性に対して人類が抱いた、善悪判断を超越した畏怖の感情。それがVagina Dentata神話には残されているのであろう。
もう一つ。生命力の源泉という呪術的役割を巡る主導権争い、すなわち、女性原理と男性原理との間に生じた闘争や対立の記憶を、Vagina Dentata神話は今に残して伝えているのではないだろうか。『耳嚢』の金精神(こんせいじん)についての伝承は、生命を生むための呪術的な過程において、vaginaを重要視する女性原理から、phallusを重要視する男性原理が、地位や主導権を奪ったこと、男性原理の側から見た勝利の記憶を留めているのではないか。牙を失い、呪われた存在ではなくなった女性器は、その代償として呪術的・超越的な力を失って馴致されたとも読める。
しかしまた、こうも考えられる。生命力の源泉としての呪術的な力は、女性原理の場合、女性器の妊娠・出産の力として発揮されるが、男性原理の場合、男性器の種付けの力として発揮される。その一例として、田植え神事において、男性器を模した御神体を田圃の泥土に突き刺し、稲の豊穣を祈願するという儀礼が存在するという事例が挙げられる。金精神(こんせいじん)の由来物語も、新たな生命を創造する過程である男女の営みの中において、生命の根源に係る呪術的な部分で、男性原理の種付けの役割にも"平等に"重きが置かれるようになったことを示しているとも考えられる。そう考えるならば、つまり金精神(こんせいじん)の由来物語とは、男女双方の原理の二人三脚でなければ、人間は生命を生み出す呪術的な力を得ることは出来ない、女性原理だけ或いは男性原理だけでは決して呪術は成り立たないのだという「男女の共存・和合を説く物語」だと解釈することも可能である。対立や征服の物語として捉えるよりは、そのように考えた方が、建設的で平和的なのではないだろうか。
ところで、魔を祓うのとは少し違うが、男性器もまた、困難時に着衣を脱いで曝け出すことで窮地を脱するための呪術的な行為とするという事例がある。例えば、猟師が山で迷った時に、勃起した陰茎を山に向けて見せれば、山の神(女神)が喜び、その男性を助けて無事に下山させてくれるという伝承がある。
また一方で、女性器にも似たような発想の伝承がある。田植えをする時に女性が和装で下着を着けていないと、丸見えの女性器を田の神(男神)が見て喜び、田植え作業が早く進んで終わるように手伝ってくれるという伝承がある(そういったエロ話をしながら、田植え作業に勤しむ農村女性たちの活き活きとした姿を、宮本常一が記録に残している)。
このように性器を曝け出して超自然的な存在に祈願する人間の姿は、文明化した我々現代人の目から見れば、大らかではあるが、馬鹿馬鹿しく滑稽に映る。しかし、自らの肉体の恥ずかしくて重要な部分を曝け出すことができるというのは、相手が神(カミ)であろうと人間であろうと、それを捧げる対象に全幅の信頼や愛を抱いていなければ出来ないことであり、ある種の真摯さや敬虔さの証となる行為でもある。そう考えると、男女間の異性愛だけに限らず、全ての性愛行為の根本において、信頼や愛が何よりも大切であるとされることの原点が、これらの呪術的行為や図像には秘められているとも言えるであろう。
そう考えれば、魔力を持つ性器を曝け出すという古来の伝承や図像、それらの子孫として現れるポップカルチャー的な表現は、単にこれらを面白がるだけでも全く構わないとは思うが、改めて見つめ直してみれば、案外と我々現代人が真面目に学べる何かをも多く含むのかもしれない。
―――――――――――――――――――――――――――――
世の中には善人も悪人も性別に関わらず両方おり、一部のゴミの性別が男だからって、全部の男がそいつと同じゴミじゃないことは頭で分かっている。
だが先日、柏の通り魔に不運な男性数名が襲われひとりが殺されてしまったとき、被害者を素直に悼む思う一方で、間違いなく自分の心の中に闇があった。
「そんな暗い夜道を歩いていたからいけないんだ。殺されるようなお前に落ち度があったんだ」
女に産まれていれば腐るほど聞かされる、犯罪の被害に遭った女性を嘲笑い落ち度を責める言葉をそっくりそいつらに投げ返してやりたい衝動で胸が一杯だった。
被害に遭った男性がたはそんな酷いことを考えるような人たちではなかったかも知れないのに。
木島香苗の事件やそれに類する保険金殺人が起きたとき、人を騙して殺すなんて最低の女だと犯行を憎む気持ちの一方で、間違いなく自分の心の中に闇があった。
「そんな女に騙されて付き合う方が悪い。犯罪者だと見抜けなかった見る目の無いそいつがいけないんだ」
だってそうじゃないか、女はストーカーに遭って殺されようが勤めていた耳かき屋の頭のおかしい客に殺されようが女が悪いと言われ、場合によってはビッチに気を持たされた男性が可哀想だなどと加害者に同情まで起きるんだ。下心見え見えのアピールに簡単に引っかかって、ホイホイその相手に入れあげて殺される落ち度がもし女にあった場合、間違いなく男のそれの10倍は酷く言われるはずだ。
女が日頃から言われまくっている事に比べたらちょっと連中の言葉を借りて言い返す事なんか屁でもないはずだ。
(被害に遭った男性がたはそんな酷いことを考えるような人たちではなかったかも知れないのに)
あるサイトで、自分が男性不妊である事が分かってEDになってしまったという、とても落ち込んでいる男性の記事を読んだ。
「そこまで思い詰める事は無いのに。夫婦で話し合って子供を持たず暮らす道もあるじゃないか」という慰めの言葉の反対側に、間違いなく闇があった。
「こいつだって妻が不妊だったら掌を返して石女は要らないと捨てたり、マトモな嫁が欲しかったと被害者ぶるくせに」
「これが女だったら産めない欠陥品の上に便器としても役立たずだと言うくせに」
「女が原因ならどんなに苦痛だろうと当然のように治療をさせて金がかかると文句を言うくせに」
「嫁とそのご両親が可哀想だから早く離婚してあげろよ、我が子や孫の顔を見られない人たちの気持ちも考えろ(皮肉)」
「孕ませられない種無しの欠陥品になんて価値ないよね? 結婚してる意味ないよねこの男(皮肉)」
自分と同じことを考えている女が案外世の中にはいるものなんだなと思った。
(悩んでいるその男性は、妻に対してそんな酷いことを考えるような人ではなかったかも知れないのに)
暴力や浮気を受ければ女が至らない(見る目が無い)せい、犯罪に遭えば女の落ち度のせい、子供が出来なきゃ欠陥品、作れば迷惑な邪魔者、子育てに落ち度があれば母親失格、容姿が冴えなければブス、年齢が20歳を超えていればババア、共働きでも家事育児全てこなさなければ亭主を蔑ろにする無能妻、専業やパートは寄生虫、独身女は出来損ない、男の本能に従わない女は愛されないクズ、女はゴミ、家畜、劣等生物、産む機械、便器、
そんな言葉をネットに吐き捨てるのは心の歪んだゴミのやることだ。人生がうまく行っていない不幸な連中が、自分より劣っていると勝手に信じている他人を理不尽に攻撃して、その場限りでも強くなった気分に浸りたいだけの単なる戯れ言だ。
良識をお持ちのご立派な他人に今更言われなくともそんなことはわかっている。だからなんだ。黙っていたって反論したって汚い言葉で倫理の歪んだ言説を撒き散らすあいつらが、そう割り切ったら全員死んでこの世から消えてなくなるとでもいうのか。
何年もそうした奴らを黙って見ない振りして来た。やり返すのも同罪だから大人になろうと諌める理性的な同性に従った。それで何が変わったのかと言えば何ひとつ変わらなかった。増長してより一層汚らしい言葉を撒き散らすばかりだった。
増長し過ぎて幼女のマ○コ舐めたいだの女強姦して孕ませ家畜にしたいだのネットの隅で一般人にバレないよう隠れて言ってりゃよかった性癖を堂々と表で抜かすようになったものだから、とうとうPTAや教育委員会といった冗談の通じない方々の目に触れて表現規制問題なんて物が起きた。言論弾圧だともっともらしいことを言って被害者ヅラする連中に内心笑いが止まらなかった。ざまあみろなにが言論の自由だ。諌める声を片っ端からブスマンコ黙れだの幼女に嫉妬するババア乙だの罵って封殺して来たお前らが言うな。
ネットから離れてPCの電源を落とそうが、周りのまともな男女と話して現実を取り戻そうが、そいつらの言葉は心の中にわだかまっていつまでも闇を作ってきた。
だから男が酷い目に遭ったと聞くと内心胸がスッとする。
被害に遭ったのが何の落ち度も無い男性ならば本当にお気の毒だ。
だが、あるとき心の中にわずかでも「される女にも落ち度があったのだ」と被害者の女を安全なところから責め立てて悦に入った日があったなら。
人生がうまく行かなかった頃のある日にカッとなって「女なんか肉便器だ。全員家畜にしてやればいい」と過ぎた言葉をどこかに書き込んだ事があったなら。
心の底から指さしてそいつらを笑ってやれる。少しの良心の痛みも感じない。
かつて散々罵って来たそいつらの言葉を、堂々と投げ返してやれる瞬間のなんと気持ちがいいことだろう。
お前らに落ち度があったからそういう目に遭うんだ。ざまあみろ。日頃お前らが言ってることだろうが。自分が言われた途端に被害者ヅラなんて論理的な男性のすることじゃないだろ? 女みたいにヒスを起こして感情的になるなよ。冷静な男なら笑って受け流せよ。ははは。はははは。
まっとうな男性とまっとうな男性を身内にお持ちの女性には、読むに耐えない暴言を深くお詫び申し上げます。
どうせこんなもの書いたところで女叩きが大好きなキチガイ君共の脳に届くことは一生ないのだろうが、今日という今日は書かずにいられなかった。
いちばん理解できたもやもやは「旅行とかじゃない必要な移動すら、こっちは命かかってんのに」ってとこ。
確かに視覚障碍の場合、命を落として初めて、世間の耳目を集めるってパターンになってしまう。
耳目集めてなお、ホームドアがすぐさま設置されるわけでもないしね。
それでも私(非障碍者)が、伊是名氏のパフォーマンスを支持するのは、無関心よりはいいのかなということ。
バニラエアの木島さんの時も、いっときは関心をもたれたけど、あまり続かないよね。非障碍者にとっては他人事だから。
悪手でも関心を引いた方がいいのかなと。当事者でもないのに勝手な言い分と思うけど。
「ぶつかった後心無い言葉を浴びせられた」などの事例は、無関心や想像力の欠如から来てると思うから。
この件で初めて、これまで考えても来なかったこと、障碍ある人の外出の困難さを考えてみた人もいるはず。私もあらためて考えさせられたよ。
「人に迷惑をかけてはいけない、自分で頑張れるだけ頑張れ。できることはすべてやれ。助けを求めるのはギリギリ最終手段」という社会の空気によるものだと思う。
「助けを求めるなら、頭下げろ。謙虚にしてろ。申し訳なさそうにしろ」というね。
その空気を変えなければ、障碍者に対する心のバリアも低くすることはできないんじゃないか。
もちろん、伊是名氏の行動は、もともと障碍者に対する心のバリアが高かった人のバリアを、より強化したことは否めないけど。
あとは怖かったのが、私も障碍者にこんな迷惑かけられた、暴言吐かれたとかいう事例を書く人が出てきて、同調する人もいたこと。
目に見える障碍があり、サポートを必要とする障碍者の悪態って、数少ない悪例だけでこんなに悪印象を残してしまうもんだなと。
駅員に悪態つく事例とか暴力は非障碍者の方が圧倒的に多いはずなのに。やっぱ「助けてやってるのに、余分な仕事してるのに」その態度かよって意識があるんだよね。
よくも悪くも印象に残ってしまうからこそ、伊是名氏のパフォーマンスは諸刃の剣。増田が憂慮するのも当然だよね。
https://anond.hatelabo.jp/20201125201136
これは正解。
ただ八幡屋礒五郎の七味を蕎麦に使うと、どんな蕎麦も絶品に変わるのでおすすめ
シナノスイートは甘くて美味しい
>>日本酒→ヌカ臭く積極的にまずい酒ばかり。お山の大将な無能杜氏たちがガン。
クソみたいな酒蔵が多いのは事実。
比較対象があれだが、魚沼産と比較できる米ならば木島平米がうまいし安いからおすすめかな
>>淡水魚→ナマズなど泥臭い下魚ばかり。岐阜・高知のアユ・アマゴの方がうまい。
そもそも淡水魚を食べないからわかんないけど、長野は鯉すら食べる民族ということも追加しておく。
味は普通
>>野沢菜→長野県民は味覚音痴なので、味の素を霜降りになるまでかけて食う。
しょっぱい
美味しいらしいが食感が無理
砂糖醤油を食べている感じ。タンパク質を摂取するならプロテインで摂る
>>ローメン→物珍しさで食った観光客が本気で気分悪くするまずさ。
なぜローメンをピックアップしたか謎だが、俺は食べたことがないし食べたくもない。せめてソースカツ丼
>>寒天→海もないくせに。
なぜ寒天をピックアップしたか謎だが、美味いものか?健康のために食す。味噌汁に入れて毎日食べる
>>ジビエ→向上心の無い雑なハンターばかりなので、血なまぐさいゴミ肉しか作れない。
近所に血抜きが上手な猟友会がいるため定期的に猪がやってくる。脂身が多いからBBQ以外食べれない
あと毎回お返しに困る
信州味噌が美味いかは不明。個人的には出汁との調和が重要と思う。
ワイン→五一わいんという会社のワインが常飲酒として個人的に好き。一升瓶のタイプがおすすめ
ラーメン→意外と激戦区なので外れが少ない。ただし観光地のラーメンは駄目。下調べしてから行くこと
もも→川中島白桃はマジ美味い。間違えて白凰を買わないように。白凰も美味いけど、白桃は別格
誤解があるもの
エンジニア界隈には将来性抜群の独身男が多いから狙い目だぞみたいなツイートが炎上したことがあったけど
日頃から女性の穴モテを妬み恨み嫉んでいる男性がこういうのに拒絶反応を示すのは凄く意外だった
理由や目的はどうであれ異性が言い寄ってきたという事実さえあれば勝ちで認証を得たことになるんじゃないの
いつも女性にそう言ってるのに
ボクの心や顔面を受け入れ包み込んでくれる目的で近寄ってきたのでなければモテたことにならないと言うのであれば穴モテもモテではないよね
婚活してる女性は増田みたいな危険思想の非モテとマッチングするリスクに常に晒されてるんだから
男性だって同じくらい異性に寄って来られたいなら木島(財産や命を奪いに来る異性)排出ガチャでも積極的に回さないと
おいしいところ取ろうとしたってねえ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/sumomodane/n/n514814103a9e
fusanosuke_n 非モテはつらいんだ、という人を救うには宗教くらいしかないと思う。身体が弱くて働けない者を救うのも宗教くらいしかないように。モテない自分は不幸というのが思い込みなんだけどさ。
differential シンプルな性欲に何を掛け合わせると、こういう邪悪な感じになるのかという興味はある。ご本人のお母さんの前で音読してみてYoutubeとかにUPしてほしい笑
母親がどうとか関係ないことでマウント取る腹黒さがにじみ出取るわボケ。
kidspong 私も非モテだけど、婚活しました、アプリしました、清潔にしました…ほーら、これだけ努力したのにやっぱりモテないぞ!さぁどうしてくれるんだ?(ドヤァ)みたいな、そういう歪な優越感を振りかざすのだけはやめたい
skgctom モテたい女は木島佳苗に、他人を思い通りにしたい奴は松永太や宮崎文夫や栗原雄一郎に学べば叶うだろうよそりゃ。それで本当に欲求が満たされ、自分が相手を含む他人からどう思われても気にしないでいられるならな。
今更何を言うとるんじゃボケ。
「他人からどう思われるか」なんて非モテに言うても遅いんじゃボケ。
solt-nappa (幾つかのブコメに対して)わたしも非モテだけど、死ぬほど辛いとは感じないんだよね。なにがそんなに辛いのかなあ。 ふーん
鈍感で幸せならそのまま生きろボケ。言い訳材料になろうとすんなボケ。
murishinai 話題は確実にらせんループしている。昔あった非モテ話よりもより巧みに世界を煽る言説にアップグレードしている/そして、この方向に進んでも誰も救われない(せいぜいこの筆者にお金が集まって蒸発する)未来があるだけ
正解ももっとらんくせに根拠もない文句だけつけとるんじゃないわボケ。
話はループしとらんのじゃボケ。女が一歩も進んどらんから話は全く動い取らんのじゃボケ。
kincity 「非モテ男は辛いんだ」って主張だけなら理解も共感もされように、この手のやつら確実に「女に人権と自由意志があるのが悪いんだ!」ってなるから反発せざるを得ないんだよ。女からしたら生存の為の戦いなんだから
対象性を挙げられないなら木島死刑囚が先の文中において何の例にもなってない件について。
あとその論法だと俺が君が知ってるような普遍的に著名なカップルを挙げた時点で例外中の例外なわけで、俺しか知らないようなカップルを挙げてもここでは何の意味もないよね。
パートナーが不細工なカップルの男女比統計みたいなピンポイントでセンシティブなデータはないし証明するのは手詰まりだ。もともと俺の個人的な所感でしかないわけで。
・結婚する意思のある未婚者が結婚相手に求める条件としては、男女とも「①人柄」を考慮・重視する人が最も多いが、「⑥家事・育児の能力」、「⑦自分の仕事への理解」も大多数の未婚者が考慮・重視している。
その他、「④容姿」、「⑧共通の趣味の有無」は男女ともに考慮・重視する割合が高いことに加え、女性では「②経済力」、「③職業」を考慮・重視する割合がこれらよりも高い。
しかし、近年では、男性でも「経済力」、「職業」を考慮・重視する割合が増加している。
って感じで女性の方が容姿以上に経済力や職業を重視する割合が高いとされ、近年は男性も重視し始めてるよって感じ。
内閣府の平成26年度版「結婚・家族形成に関する意識調査」では
・全体では、「価値観が近いこと」(75.6%)が最も高く、次いで「一緒にいて楽しいこと」(74.5%)、
「一緒にいて気をつかわないこと」(73.5%)が高い。
・男女別にみると、男性では「価値観が近いこと」(72.2%)が最も高く、女性では「一緒にいて楽しいこと」及び「一緒にいて気をつかわないこと」(ともに 80.0%)が最も高い。
・「容姿が好みであること」、「家事や家計をまかせられること」が、女性に比べて男性では高い。
女性では、「金銭感覚」、「経済力があること」、「恋愛感情」が続く。また、「家事分担」、「職種」、「学歴」なども重視され、全般的に、結婚相手に求める条件が多く挙げられている。
って感じでやはり女性に比して男性の方が異性に対して求める要素として容姿を重要視してる感。
まあ社会的に成功したブ男が女にモテるのはこうした統計的には納得できるのかもしれない。
外見的魅力より経済的魅力、職能的魅力が勝るのが女性で、経済的魅力や職能的魅力は生得的な要素でない以上、女性は男性より人間の内面を評価してると言える、というのは言い過ぎだな。