はてなキーワード: 回覧とは
この前組合の方から、弱者男性に女をあてがう保障を求める署名依頼が回ってきた
課内で回して戻ってきたので、全員に回ったのかなってチェックすると
職場にいる会計年度任用職員の男(30代半ば独身で眼鏡をかけている)の名前だけが無かった
「回覧を忘れたのかな?」と思って「書き忘れてるよ?」と彼に伝えると
この前組合の方から、朝鮮⼈学校の⼦どもの学ぶ権利の保障を求める署名依頼が回ってきた
課内で回して戻ってきたので、全員に回ったのかなってチェックすると
職場にいる会計年度任用職員の男(30代半ば独身で眼鏡をかけている)の名前だけが無かった
「回覧を忘れたのかな?」と思って「書き忘れてるよ?」と彼に伝えると
人がぎゅうぎゅうに詰まっていればあきらめもつくのだが、ひとりきりで乗ると、あの箱の中は、ちょっとした自分専用のスタジオになる。
わたしのローファーがそっと床をたたく。コトン。ドン。――あの低い響きがいい。まるでバスドラム。
自然と手が動く。指先で軽くリズムを刻む。床の下は空洞なので、やけに低音がよく響くのだ。これが妙に気持ちいい。次に手でリズムをとる。パパパン、パパパン、パン。自然とお気に入りのサンバのリズムになる。あとはもう止まらない。
途中でふと思う。もし監視カメラの映像を見ている人がいたらどう思うだろうか。
「またやってる、あのローファーの人」
なんてあだ名がついているかもしれない。だが、そんなことはどうでもいい。あの数秒間の“無重力の時間”を、ただ上品にじっと立って過ごすなんてもったいない。わたしにとってエレベーターは、心のメトロノームを整える大切な装置なのだ。
演奏もノッてきて、いまにも踊りだしたい気分のなか、ピン、という到着音が鳴る。
ドアが開く。演奏は終わる。
ドラムス、わたし。観客、ゼロ。拍手もゼロ。だが、なぜか心はちょっとだけ晴れやかだ。
何事もなかったように髪を直し、まっすぐ前を向く。
外の世界に出ていくわたしの足元では、ローファーがまだ、ほんの少しだけ跳ねている。
ときどき、こういう文章をAIにつくってもらうのが最近のちょっとした気晴らし。
たかが十数秒の移動時間に、上下関係も礼儀作法も、そして日本独特の「気づかい文化」も、すべて詰まっている。
欧米では、女性と乗り合わせた男性は奥に立ってはいけないという。
女性の背後に男性が立つと不安を与える――そういう理屈らしい。だから女性はドアのそば、男性は奥へ。それでバランスがとれる。
ここでは、奥が“上座”である。上司や来客を奥へ通し、目下の者が手前で「開」ボタンを押す。つまり、最後まで残ってボタンを押す者こそが、いちばんの下座なのだ。
エレベーターが動き出すと、自然に手前の位置に収まり、指を「開」ボタンに添える。
――目下の女性は、番人のようにドアの手前に立つ。
最後の瞬間まで(開)を押し続け、すべての人が安全に降りるのを見届ける。
そして、最後に自分が降りるその刹那、体をよじらせてまで(閉)ボタンを押す。
去りゆく背中に向けて、残された人たちが少しでも快適であるように。
ピン、と到着音。
最後に指先をひねるようにして(閉)を押すと、ドアはすっと静かに閉まった。
――誰も気づかないほんの一秒の所作。
けれど、その一秒のために、日本のエレベーターは今日も穏やかに上下しているのだ。
ときどき、こういう文章をAIにつくってもらうのが最近のちょっとした気晴らし。
まだ頭のエンジンがかかりきっていない時間帯に、人と人とが沈黙のまま、数平方メートルの箱の中で呼吸を合わせる。
そんな朝に限って、なぜか私は両手いっぱいにごみ袋を持っている。しかも三袋。
いつもはこまめに出しているのに、今朝に限って溜まっていた。
昭和のころなら「燃える」「燃えない」くらいで済んだが、いまは「プラ」「紙」「ペットボトル」と分別がややこしい。
そして、よりによって――
「一階まで直通で行きたい」と願う日に限って、乗ってくる、乗ってくる。
二階でひとり、三階でまたひとり。
そのたびに私は、ごみ袋を抱えたまま少しずつ後退し、ついには奥の壁の隅へと追い詰められる。
ごみ袋が前の人に触れないように、腕の角度を微調整。
ペットボトルの袋がカサッと鳴るたびに、全身の神経がピクリと反応する。
――これが朝の神経戦である。
やっとのことで一階に到着。
ドアが開くと同時に、三袋を引き連れて外へ出る。空き缶がカラカラ鳴ってまるで子ヤギの鈴だ。
ごみを置いて手が空いた瞬間、エレベーターの中のあの沈黙が少し懐かしく思える。
ほんの数十秒の乗車時間――だが、そこには社会の圧縮ファイルのように、気づかいと緊張と分別の哲学が詰まっているのだ。
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駅から近いくせに、人通りは少なく、どこか路地裏のにおいがする。
飲食店と事務所と、なぜか整体院が混在している、昭和の名残のようなビルだ。
朝のエレベーターはたいてい俺ひとり。
無音の箱がゆっくり上昇していく短い時間が、ちょっとした気持ちの切り替えになる。
その日も、いつものように慣れた指先で「ピッ」とボタンを押した。
七階に着くはず――だった。
ところが。
薄暗い照明の奥へ、赤い鳥居がずらりと連なっている。
遠近感が狂いそうなほど、ずうーーっと続いている・・・ようにみえたが、錯覚だった。
だがボタンを見ると、「8」が光っている。
……押し間違えたらしい。
そうか、と胸の奥で何かがコトンと鳴る。
前の会社は八階だった。
意識しなくても、指が“丸八”を覚えていたのだ。
「八幡神社の丸八」みたいだな、とふと思う。
そっと「閉」ボタンを押す。
赤い鳥居と“丸八”の光が、じわりと胸の奥に残っていた。
七階の扉が開く。
でも時々思う。
そのせいで、ふと別の世界のドアが開くのかもしれない――と。
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――マンションのエレベーターというのは、ちょっとした“自治社会の掲示板”である。
あの狭い壁面には、住民の息づかいと管理組合の苦労と、そしてときどき発生する謎の個人制作チラシが、ぎゅうっと貼り並んでいる。
消防設備点検のお知らせ、粗大ごみ出しのルール徹底、管理組合理事会の案内。
そして、上下階の騒音問題――おそらく管理人にクレームがいったであろう案件も、「○階の皆さまへ」などと、やんわりと、しかしじわじわ刺す文体で貼られている。
中には「〇階付近」と、ギリギリ個人特定にならない程度に範囲を狭めてくる注意書きもあり、これがまた絶妙にいやらしい。
管理組合名義とはいえ、実質“言いたいことを管理人に外注”している感がにじみ出ている。
通常、掲示物は管理人が貼るのだが、ごくまれに、明らかに住民が勝手に作って貼ったものを見かける。
文章は微妙に感情的、フォントは謎に凝っており、そして貼り方が妙に強い。
よほど業を煮やしたのだろう。
ある朝、エレベーターの鏡に直接貼られた紙を見て、思わず声を失った。
「鏡を手あぶらで汚すな!!」
……おいおい、それを剥がすとき、鏡が汚れるだろう。
いや、鏡が傷つく可能性すらあるぞ。
注意のために鏡をむしろ“犠牲”にするとは、なんという本末転倒。
いや、あなたのほうがよっぽど鏡の美観を損ねてますよ、と心の中で突っ込んだ。
たぶん、あれは隠居爺だ。
日々やることがなくて、イライラが溜まっているに違いない。
エレベーターが小さな舞台なら、あの爺さんは毎朝そこで、独自の幕間劇を上演しているのだろう。
エレベーターが一階に着く。
ドアが開くと同時に、外の空気が少し冷たく感じる。
振り返ると、鏡に貼られた勝手チラシがどことなく誇らしげに揺れていた。
超人ロックの巻数を数えてみる。数え方にもよってしまうが、全部で121巻。以下、詳細
超人ロックの最初期の作品群。1作目は肉筆回覧誌に書かれたニンバスと負の世界(当時はサブタイトルなし)
初期作品群は現在はSG企画の単行本5巻、あるいはYKコミックスの超人ロックClassic上下巻と、新書館の新世界戦隊に収録されている。特にコズミックゲームと新世界戦隊は現在の流れに繋がる源流の話なので重要度が高い
超人ロックの屋台骨を支える作品群。扱ってる年代も長く連続していて、歴史のダイナミズムを感じられる。通常の単行本から、ワイド版、文庫版、完全版とコミックのリバイバルブームが来るたび新装丁で発売された。装丁により微妙に収録作品や収録順が異なるため、全エピソードを読みたい場合は注意が必要。現在は完全版が手に入れやすいが、ソリティアが含まれていない。ワイド版発行時に一部エピソードは終わり方などに修正が入っている
色々な雑誌を渡り歩いては潰し(?)、雑誌形態コミックとなり、ついには電子配信が始まった途端に出版社ごと潰れた時期。月刊OUT、コミックバーガー(OUTと同時期)→Magazine MEGU→マガジンZERO→雑誌形態コミック超人ロック→電子配信。初期三作のリメイクも行われている他、雑誌形態コミックには他作者のシェアード・ワールド作品が掲載された
超人ロックが少年画報社に帰ってきた。最初の作品である冬の虹は超人ロックの中でも年代的に最初のエピソードで読者の度肝を抜いた。外伝と異聞が1巻ずつ出ており、異聞はアンソロジーと再録のため、ここの巻数からは除いている。またライザについては、流浪期でカウントしている。カオスブリンガーは未完
二誌並行連載でまたもや度肝を抜かれる。これまでも掲載時期が少し被ることはあったが、これだけ長期に渡り、並行連載を続けたことは驚き。憧憬は聖悠紀氏の逝去後にアシスタントの佐々倉咲良氏が最終話を仕上げている
他にもOVA特典や単行本未収録作品などがあるが、巻数カウントが難しいので省略。全エピソード読もうとすると、集めるのが結構大変なので頑張ってください。特に大変なのはエネセスの仮面(旧作)と月刊OUT最終号のソード・オブ・ネメシス楽屋落ちバージョンあたり
古代中国の書物である『易経』に「観国之光,利用賓于王(国の光を観る、用て王に賓たるに利し)[注釈 5]」との一節があり、「観光」はこれを略した成句であるというのが定説である[1][5][8][13][34][35]。したがって、明治期に西洋から輸入された多くの概念が和製漢語に当てはめられ理解されていったのに対し、観光という言葉そのものの起源は東洋にあるということになる。
「観光」という用語の使用が確認できる最も古いものは、1855年にオランダから江戸幕府に献上された洋式軍艦「観光丸」である。誰がどのようにしてこの艦名をつけたのか明らかになっていないが、珍しさや誇らしさを表したり「国の威光を海外に示す」という意味が込められていたと考えられる[1][34]。また、明治時代初めの米欧使節団を率いた岩倉具視は、報告書である『米欧回覧実記』冒頭に「観」「光」と揮毫している[注釈 6][37]。岩倉は後に、東京奠都により衰退した京都の経済再生の一環として、洋風迎賓館を建てて外国の賓客をもてなすことを政府に献策している[36][38]。なお、「観」という漢字には「示す」という意味もあり、「外国の要人に対して国の光を誇らかに示す」という意味も込められているとする説もある[1]。
このほかに佐野藩の藩校「観光館」や国産品奨励を目的として設立された「観光社」など固有名詞の中での使用例があるが、用語として広く普及したとは言い難い[注釈 7][34]。
1872年の日本の鉄道開業以降、各地で鉄道のネットワークが広がってゆき、これにより国内旅行が盛んになるが[33][39]、このころは「遊覧」や「漫遊」の語が使われるのが一般的であった[注釈 8][5][34][40]。1886年に東京府師範学校が「長途遠足」を開始し、内国勧業博覧会の開催などとも合わせて修学旅行が促進された[39]。1905年には鉄道を利用して高野山と伊勢へ参詣するパッケージツアーが南新助(日本旅行の創業者)によって始められている[39]。
1893年、渋沢栄一と益田孝の旗振りにより、日本で始めて外客誘致に取り組んだ民間団体である喜賓会(英: Welcome Society)が設立され、設立目的に「旅行の快楽、観光の便利に」が掲げられた[34][40]。喜賓会は1912年にジャパン・ツーリスト・ビューローとなり、日本交通公社の前身となっている[5][40]。
1923年・1924年ごろにはアメリカ移住団の祖国訪問について「母国観光団」と大々的に新聞報道されており、観光の語が現代的な意味として一般に認知されるようになったのはこの頃からともいわれる[1]。
濱口内閣は、元帝国ホテル副支配人で熱海ホテル経営者の岸衛[注釈 9]の働きかけを受け、外貨獲得のための外客誘致事業を目的とした機関の設置を決定した。これが1930年4月24日付け勅令83号によって創設された鉄道省の外局「国際観光局」である[5][1][35][40][41]。名称の候補には「観光局」「国際局」「外客誘致局」などがあったが、当時の鉄道大臣江木翼により決定された[40][42]。なお、英文名はBoard of Tourist Industryとなっており、ツーリズムの語を用いず、国際にあたる表示もなされていない[注釈 10][34]。
「観光」の語は原典を紐解くとアウトバウンドを指すものとも解釈できるが[35]、このように戦前の「観光」を冠する事業はインバウンドを中心としたものであった[注釈 11][5][40]。
国内旅行も包含した今日の意味合いでの「観光」が定着したのは、マスツーリズムが到来した1960年代以降であるとする指摘もある[34]。宮崎バス(現・宮崎交通)が、「名勝」「遊覧」といった表現が享楽性を連想させるとして、戦中戦後に「参宮」「観光」へ名称変更した事例が報告されている[5]。
庶民に普及した当初は観光に行くことそれ自体が贅沢でありステータスであったが、観光が身近な存在になるに連れて「どこに行くのか」「何をするのか」が次第に重視されるようになっていく[23]。
「今週は暑くなるそうですよ」程度の世間話をしたいだけなのに
母親の介護や病状、前職での確執、家族の問題、この会社は会話がなくて静かすぎる愚痴とか
会って2ヶ月程度の職場の人間に話すにはディープすぎる話題をめちゃくちゃしてくる。
少し話しかけるとちょっと席を立ってお茶を淹れるタイミングとか、エレベーターとか、細かいスキをついて更にお喋りしてくる。
介護してるって言ってたから、家族以外との会話に飢えてるんだよね。わかるわかる。
でもつらいよー。
職場はそんなに雑談が活発でもないが、お天気や行楽の軽い世間話程度は時々あった。
でも今は、ちょっとの雑談がめちゃ重くなるのが嫌でシーンと静まり返ってしまった。
私は静かにしていると不機嫌そうに見えるので、彼女が回覧を持ってくる時はすごく腰が引けている。
なんかいじめてるみたいで嫌だー。
でも捌け口にするのも勘弁してー。
こういう人をうまくあしらう方法ないんかな。
転職を重ねるうちに、偶然にも “大阪出身者ばかりの会社” → “愛知ローカル色が濃い会社” → “東京ネイティブが大半のチーム” と3連続で渡り歩くことになった。
そこで目にしたのは、「会話に必要な前提情報を持っていない人が1人混じった瞬間」 に発動する三都三様のリアクションパターンだった。
誰かが「え、みんなその話わかるの?」とポツンと取り残される、あの瞬間である。
※あくまで私の主観と体験だけが材料。統計的裏付けはないので、味付けは味噌カツ程度に軽めでどうぞ。
1 秒で“情報格差”に気づく。
3 秒後には全員が合いの手を入れながら、即席ミニ勉強会が始まる。
「ほな続き行こか」で再スタートした時には、全員が同じ教科書を読んだ仲間になっている、という流れるようなワンセット。
情けは人のためならず というが、大阪の場合「その場が面白くなるから教える」という打算も 3 割くらい混じっている気がする。
気づいた人が「えぇ!? あれ知らんの?」とニヤけつつ説明。周囲は静かにうなずき、ツッコミは控えめ。
数名がこっそり耳打ちで「アイツ知らんらしいぞ」と情報回覧。最終的に“中心人物”が仕切って説明開始。
察しは早い。でも、、、誰も動かない。
“分からない人”は 自力で情報を漁るミッション を黙示的に与えられる。
しかも問いかけても 「あ、それ後でね」 と華麗にスルーされがち。
苦労の末ゆるやかに会話へ滑り込むと、
「そうそう、そこはね…」とようやく補足が降ってくる。
• 名古屋: 教えてくれるが湿度高め。待ち時間は赤味噌仕込み。
• 東京: 情報は“参加証”。手に入れたときの達成感はガチャ SSR 並み。
個人的には大阪方式が肌に合った。名古屋も悪くないが、もう少しサラッとしてくれると助かる。東京は、、、ゲームとしては面白いが、毎日プレイするには課金(精神力)が嵩む。
ちなみに外資系では、表面上は大阪式のフレンドリーさを演じつつ、裏では同郷ネットワークで重要情報を回すという “ハイブリッド仕様” を確認。
世界は広い。そして案外せまい。
優劣を決めつけるつもりはないが、「前提情報へのアクセス」という小さなシーンにも、その土地らしさは滲むものだ。
東京は出自が多様なので補足すると、放置プレイしてんなーと感じるのは都外出身で大学・社会人から東京という人。特に近隣の県からが多い気がした。
ちなみに彼らは上の役職の人たちには大阪顔負けの秒速コミュニケーションをする。自分の利益にならないと判断した相手には露骨に無視してる印象。全部主観だけどね。
なんで金かけたのってババァに言われた
そう言うことをすると他の人もそれをやらなきゃ行けなくなってお金がかかるでしょ!だそうで。
確かに今までは封筒を再利用してガムテで補強したものに書類が入り、どこぞの紙袋に入れて、手描きの用紙で回覧順を書いたようなもので回っていたが、その工作を俺にしろと言うことらしかった。
めんどくさ。心底めんどくさ。
100均で
440円で解決できることをなんでそんなことをしなければならないのか。時間がもったいない。
言っている事の意味がわかったら、もうこりゃ流した方がいいなと
あっはい、なるほど。なるほどー!
と言って全力で流して「じゃあおねがいしますー!しつれいしますー」で置いてきたけど
俺を巻き込むな。
親が嫌いで極力関わりたくないんだけど、それ以上に親の介護から逃げられなかった場合、親だけじゃなくて死ぬほど嫌いな障害持ちの兄がセットで着いてきそうなのがたまらなく怖い。
ここ数日Xでやたら強度行動障害の動画が回覧されてるけど、兄はあれをいくらかマイルドにした感じだ。いやもしかしたら最近はマシになってるのかもしれないけど、少なくともそういう時期が長かった。思い通りに行かないと時々パニックを起こして、叫びながら壁に頭を叩きつける。家でもやるし外でもお構いなしにやる。兄の身長は180近いし体重も80超えていそうに見える。もし今でも治ってないとしたら中肉中背女の自分の力じゃ止められない。施設に入れられないものかと思うけど、親がそういうことを考えている気配はない。むしろ偶に親と会う機会があると「最近のあの子は大丈夫よぉ〜」だとか「あの子はあれであなたの事が好きなのよぉ〜」とか寝ぼけたことを言っている。勘弁してほしい。
就職を機に運良く家を出られて、親とも兄とも普段会わなくて済むようになってようやく落ち着いて暮らせるようになったけど、この生活ももう長くは続けられないんだろうか。嫌すぎる。せめて早いうちから対策を始めておいた方が良いんだろうかとも思うけど、あの人らのことを考えてると恐怖やら怒りやら焦りやら何やらでぶっちゃけ生活に支障が出る。だから極力考えたくない。
どうすればええんや。たすけて〜〜〜〜
https://anond.hatelabo.jp/20240914204854
もうね、めーーちゃくちゃわかる。とにかく情報や社会情勢に対するキャッチアップが全然追いついてない。Teamsが導入されてるのを知らない(Teamsを知らないんじゃなく、Teamsが導入済なのにそのことを知らない)管理職とかザラ。電子決済システムが揃ってるのに回覧は印刷必須とか当たり前。
あと、とにかく本当に責任を取らない。仕事とは責任を負うことだという感覚があった民間出身者からすると驚愕。ほとんどの場合クビにならないのに何をビビってるんだよっていう。はっきり言って民間知らないやつらの感覚アホだよ。
ただ、一応民間で働いてた人間からすると、民間と行政の仕事の性質の違い上、そうなってしまう理由はわからなくもないところがあって、その辺のことを少し書いてみようと思う。
一番はこれ。あんまり知られてないけど、行政って一挙手一投足が法令に縛られてる。だから、決められたルールを破るのは極論「法を破る」ことなんだよ。会社の規則を破るのとはワケが違う。個人的には適度な副業くらい許してくれよと思ってるんだが副業やる時点で懲戒くらうからね。
副業規定(職務専念義務)に関しては自分も実害を被った。前職の関係で講演とかを頼まれたので相談したらNGくらったのよ。「申請すればいいんでしょ?」と思ってたけど、普通に通らなかったのでびっくりした。具体的な話は差し控えるけど、官公庁も一枚岩じゃなくて、ある部署ではOKなことが別の部署ではNGってことが割とある。で、講演とか、あと文筆業とかは一般論としては副業に当たらない扱い(継続性のない依頼は報酬にあたらない)筈だったんだけど、自分の部署では「金銭が発生するなら全部副業」っていうローカルルールがあった(。なので無報酬で受けることにしたよ。死ね。はよ転属したい。
でまあ、民間感覚なら「これくらいOKでは?」というのがマジで通用しない。なぜなら法令で縛られてるから。これは公務員が何を言っても変わらないんだよ。公務員は法を守る側であって、法を変えるために働いてるわけじゃないから。そういうのは政治家の役割……ということになってる。法で規定されている以上、それを破るわけにはいかない。
公務員になってびっくりした事の一つが「決裁の多さ」。たとえば、行政では何かものを買うときに、「最低でも入札or相見積もりをしないと買えない(例外あり)」「ものを買う場合は原則後払い(請求書払いによる銀行振込のみ)=結構な数のネット販売が使えない」「注文時と支払い時の2回決裁をとる必要がある」というゴミみたいなルールがある。びっくりするでしょ。で、しかも購入前に申請した金額と、実際の購入時の金額が1円でも違ってたら決裁とりなおしなのよ。しかもこれ「安くなった場合でも申請を取り消して再申請」しなきゃいけない。申請内容の修正とかでなく、申請の取り消し&再申請。これだけでもゴミだと思う。
が、これはもう、税金を扱ってる以上どうしようもないんだと思ってる。税金を扱う以上、その扱い方には細心の注意を払う必要がある。だからガッチガチに縛る。非効率でも縛る。これはもう、非効率であること=無駄な行動を取らせることが不正の防止のためにあると考えざるをえない。
とはいえ、100万200万とかの金額のズレとかならともかく10円20円とかで決裁取り直すのクソだとは思う。そのために15分くらいかけて決裁とりなおすの、人件費考えると税金無駄遣いしてるじゃんねっていう。
ここで問題です。たとえば9-17時が勤務時間として、打刻の記録上8時45分出社・17時15分退社だとします。公務員は何分残業したことになるでしょうか。こたえは0分です。なぜなら公務員は命令なしに残業をする(=税金を使う)権限がないから!馬鹿みたいでしょ?でも公務員は税金で飯食ってるからそうなるんだよ。
こんな構造だと必然的に発生するのが「工数」の考え方が民間と違うということ。民間だと労働時間を削れるような仕事の効率化は、人件費削減につながるので是とされる。でも公務員はそうならないんですよね。なぜなら残業は原則「存在しない」ものになってるし、仕事の効率化自体はそもそも予算の削減にならないんですよ。「○○を導入して年100万円支払うことで人件費200万円が浮く。100万円の削減!」という考え方がない。これは、「税金である以上、何にいくら使うかを事前に決定しないといけない」という行政の仕組みとしては当たり前に導かれる話なんだよ。
「自縄自縛の保全管理ごっこ」というのは、もうそのとおりなんだけど、これを解決する方法は多分ない。行政における無駄なルールは「無駄を課すことで不正を防止する」という理解をせざるをえない。それをなんとかしたかったら法律を変えるしかないが、多分まああと20年は変わらないでしょう。政治家も興味ないだろうしそんなことには。助けてくれ。
あれ、やっぱり内容おかしくね? NewsPicks 犯人側に利用されてるでしょうよ。うかつすぎない?
例えば、記事ではアダルト回覧履歴を含む情報を暴露すると脅しているとあるけど、ニコニコ動画ってそもそもアダルトないんだよな。
角川はアダルト書籍も扱ってないことはないが、纏まった量は無いはず。せいぜいニコニコ漫画のエロ漫画ぐらいか。
だけどアダルトの恥ずかしい情報が流れ出るぞって、ビットコインスパムの常套句だよな。
また、社長のiモード夏野の免許証が流出したと言われているが、まずこれが事実ってどうやって確認したんだろうな。その流出したデータをNewsPicksが見たってことだとしたら、それどうやって手に入れたんだよって話が一つ。
あと、そもそも会社が従業員の免許証画像を保存しておく訳がないんで(収集するシチュエーションがそもそもないので)システムから大量に出てるとは考えにくい訳よ。
これ、最近はカオナビの子会社、WelcomeHRから流出とかあったけどそう言うんじゃねーかな。
もちろん、社長が個別にソーシャルハックに引っかかって渡しちゃった、あるいは、ローカルADのログイン情報が使われてクラウドストレージにシングルサインオン→自分でアップロードしていた情報が流失とかって線もあると思うけど、それを理由に個人情報が流出してるってどうやって判断した?
あとさ。ニコニコ動画を使ってるとわかるけど、基本アカウントに本名などを登録する仕組みがないんだけど、そこも流出したと主張しているのが気になる。
なので、犯人側が角川の社員を装って流した情報(NewsPicks側がすっとぼけてる可能性も否定できないが)を元に、よくわかってない末端への生煮えの取材を元に記事にしたって感じじゃねえかなあ。
で、犯人がどうしてこんなことを流しているかといえば、特にニコ厨がよく訓練されていて、被害はしゃーない、ハッカー市ね、復旧待っとるわ、で固まったところが大きいのではないかなあ。
だから世間からの圧力を作り出そうとリークしたのだと思われるが、企みは上手くいってないように見える。
しらんけど。しらんけど!!!