はてなキーワード: カップラーメンとは
普段は玄関先で、せいぜい換気扇の下でタバコを吸っているが、ふと思い立って寝床でぬくぬくと電気毛布にくるまってタバコを吸ってみた。
幼少の頃、秘密基地でカップラーメンを食ったときのような特別な気分になれた。
もう自他共に認める中年だけど、こういう新鮮さがあれば、あと少しは生きていけそう。
今年の漢字決まったわよね!
なにかななにかな?って
ワクワクがもう止まったと同然な結果発表を結果ハッピャーが華麗にも発表していたけど、
そもそもあの崩した毛筆書体が「金」だって言うことはフィフティーフィフティーで分かりにくいものよね。
大谷翔平選手のワンチャンのお利口な始球式を美事空気を読んで成し遂げたデコイにだって読めないわ。
そんなところを感じてしまうわ。
無難な感じね。
まあオリンピックイヤーはもうもれなく金だっつーことを皆薄々気づきまくりまくりすてぃーで
今年も金なんでしょ?って
もうこすり倒し続けている
谷でも金!亮子でも金!とは笑ってられないわよね。
あれ自由記述の今年の漢字にするなら集計も簡単でしょ?って思うし、
1回やってみたらいいのよ。
私は今年の漢字はビャンビャン麺の「ビャン」よ!
既に漢字で書けてないけれどインターネッツ界隈ではその「ビャン」にキャンセルすることは無いと思う話題沸騰だったと思うの。
たぶんみんなビャンビャンって言いたいだけなのよ。
でも、
だって私はその肝心の「ビャンビャン麺」って食べたことないもの。
世の中にそんなビャンビャン麺って本当にあるの?って感じだし、
コンビニのカップラーメン売り場のコーナーの陳列棚の上から下左右見渡しても「ビャンビャン麺」のビの字も見つからないわ!
一瞬「ビ」って見付けたけれど「ビーフン」だったしあれは米粉よ!ビャンビャンしてないし。
その今年の漢字をあまりにもみんなが予想していたものと裏切らない度100パーセントを達成するように、
あれ本場漢字の中国では今年の漢字!とかってやってんのかしら?
それも気になるところだけど。
でもやっぱり今年の漢字が安直に「金」と決まってしまう世の中の危うさは皆普通の一般的な無難な変な感じを選んでも後ろ指を指されない程度の大人しめな投票になっちゃってるのかも知れないわ。
いくら漢字が表意文字でアイコン的に1文字で多くの意味を一瞬で捉えられる情報量が詰まっているとは言え、
例えば
これで栄養満点だ!って言われても
それと一緒で漢字一文字で今年1年の出来事を現すっていうのがそもそもとして無理があるのかも知れないわ。
私がなにげに見た短歌のテレビで新聞や雑誌を切り抜いたものでアトランダムで作った川柳に
でも攻めきれなかったってところがジワるわ。
まあそれはともかく、
みなが予想していた「金」に選ばれて、
もう一度選ばれた漢字は選考候補に挙げない投票できないって仕組みにしたらもう「金」が選ばれることがなくなるから
なんかでもあれが清水寺の偉いお寺のお師匠様が書く金の漢字がどうしても金に読めないぐらい達筆すぎてそれはそれでいいのかしら?って思うところもあるし
なんとかは筆を選ばずとは言うけれど、
もうちょっと読みやすい「金」でもいいんじゃない?って思うし、
あの筆の太さなら細かい総画数が多い漢字が書けない問題も新たに直面するからなおのさら
「ビャンビャン麺」の「ビャン」って漢字が今年の漢字になったなら
半紙が真っ黒になっちゃうわよね。
何書いてあるのかよく分からないビャン!って
でもまあみんな年末になればすっかり今年の漢字のことも忘れちゃって
現に今年何年だったっけ?ってみんな覚えてないでしょ?ってのもあると思うの。
でも例外があってオリンピックイヤーは必ず今年の漢字は「金」になるから
今年の漢字は「金」ですなー!「金」でしたねー!って
田村さんと谷さんが話していたら笑えるけれど。
谷さんも「金」の今年の漢字を気にしているしってことで
忘年会盛り上がると思うの。
今年の一皿の漢字一文字も「ビーフストロガノフ」ってもうみんな忘れちゃってるでしょ?
みんなビーフストロガノフって言いたいけれど
実体はなに?って食べたことない人も多いかもしれない憧れを込めつつ、
本場の「ビーフストロガノフ」ってどこで食べられるのかしら?
実際何屋さんの何を専門にしている料理店に行けば、
「ビャンビャン麺」や「ビーフストロガノフ」を食べられるのかしら?って思うの。
今年の私の漢字は憧れを込めつつ「ティーボーンステーキ」ってやってもいいかもしれない。
「ティーボーンステーキ700グラム!」って凄い勢いで注文してみたいわ。
そして大将もそんな大きなステーキを焼くのが久しぶりだから張り切っちゃって
「へい!ティーボーンステーキ700グラムいっちょう!」って張り切って焼いてくれるの。
おまち!って出てきた鉄板に盛られたティーボーンステーキ700グラムの鉄板の縁には大将の親指が入っていて、
ティーボーンステーキ700グラムを焼くのに大将張り切りすぎ!って女将さんがフォローするのよ。
そして女将さんは付け合わせのお芋の煮っ転がしの小鉢を渡してくれるの。
私は早速そのティーボーンステーキ700グラムにかぶりつこうと思ったけれど、
先に食べてしまおうと思った、
付け合わせのお芋の煮っ転がしのお芋が小さくてお箸でつかみにくくてそこに苦戦している皮肉さがあって、
もー!お箸で煮っ転がしのお芋が上手につまめないジレンマにも駆られて
二兎追うものは一兎をもーなんてティーボーンステーキは牛だけど!って思うの。
私は付け合わせのお芋の煮っ転がしは一旦置いといてティーボーンステーキに夢中になるはず!
そんな大将と女将さんがやってる小料理屋で美味しいティーボーンステーキいってみたいわね。
手間の掛からない儲けのあるものを注文して頼んでくれると顔に出るところが面白いわ。
そんな女将さんの笑顔に「金」を与えたいわなんて安直なオチにはしたくないけれど
いかに「金」って漢字が使いやすいってことをいつも4年に1度ぐらいのペースで思い出すには
やっぱり今年の漢字は4年に1回のペースで「金」になるってのが決まりになっているんだわ。
うふふ。
キャベツがたくさん挟んであってソーセージが挟まっているやつ!
おー!しんなりキャベツの千切りとソーセージが美味しいマッチングよ。
ここなんかお店行列がたくさん出来ていて久しく寄れていなかったけれど
前を通ったらタイミング良く買えてよかったし、
今日は幸先いい感じよ!
なんか甘みが欲しかったので
朝起きた身体を温めるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
そういうムカつく店員がいたら焼きを入れてやれや
一旦近所のコンビニまで走ってカップラーメン買ってお湯入れて走って店員の顔面にぶっかけろ
俺ぁこれをやったら捕まったが後悔してねえ
マーティフリードマンさんがBoAさんの「メリクリ」をカバーして歌っている曲が街に流れ出したらいよいよクリスマスね。
コーヒーフレッシュの謎の白いのは何かしらシリーズの長編小説を読み終わって
その読了感に浸っているの。
私は夕刻に事務所で独りいて差し入れでいただいたホットコーヒー。
いつもは格好をつけてブラックを大盛りでって頼むんだけど、
差し入れのホッツコーヒーはもちろん私のそんな好みを知らないまま使われないシュガーとフレッシュがちょうど私に向けたように置いてあったの。
まさに置いてあったコーヒーフレッシュの白いのの謎だわ。
あれって誰も謎なことを気にしないんだけど。
イキフンで雰囲気をブラックを色を変える茶色にするだけの効果しか無いと思うのよね。
ブラックコーヒーにフレッシュっていうのがちょうどいい色が変わるぐらいがちょうどいいのよ。
たぶん、
だれも味なんてフレッシュのこと味わってないと思うわ。
いや!今日のコーヒーフレッシュとびきりフレッシュだね!なんて搾りたて生ロイヤルコーヒーフレッシュなんてないもの。
それなのにだれもあんまりそのコーヒーフレッシュのことには気が付かないみたい。
コーヒーフレッシュの白いのを気にしている人か気にしていない人かの2種類。
常識的に考えて、
ならあの白いのは効果は色を黒から茶色に変える効果以外に何があるかとしたら、
味変?
いやあの程度のフレッシュでは味は変わらないわ。
それだったら、
ソイラテにするもんね。
うーん、
謎が深まるばかりだわ。
秋に読み始めて秋が深まったと思ったら冬の始まりになっちゃったぐらい。
それ以外使い道のないコーヒーフレッシュは、
フレッシュはなにかの料理の材料には到底使うってこと私は聞いたことないわ。
謎ね。
また謎が深まるわ。
確かに、
ダイレクトのコーヒーの味の黒いのを多少のまろやかさにすることは可能かも知れない。
ただそれだけの効果。
あれを好んで使う人はいるのかしら?
日頃使わないので私はその白いのを目にすることがないけれど、
たまにそうやって目にしてしまうと
謎の白いのって思ってしまうわ。
あまりにも
もしかしたらだれもその白いのに気が付いていないかも知れない。
逆に言うと
こだわり抜いたこだわりの真のコーヒーフレッシュってのがあったら、
その本気度を誰かが気付いてくれるかも知れない。
多分この瞬間今一番このフレッシュのことを考えているのは世の中で私だけかも知れないという感じ。
結局その白い謎は解けないままその長編小説は読み終わったけれど、
私はその持て余した
白いコーヒーフレッシュを残りのホットコーヒーに入れてみてくるくると掻き混ぜて、
カップの中で溶けていくの。
私はハッと思ったわ!
小説の中ではその白いのの謎は解けなかったけど
コーヒーに入れたこのフレッシュは美事にコーヒーに溶けたわ!って
そういうことなのね!
そういうことか!ってことにしておくことにしたわ。
あれをフレッシュを人智の限界を超えた量をコーヒーに入れるチャレンジだって挑戦した人類はまだいないかも知れない。
やっぱり謎だわ。
やがて白い気配もまったくなくなって
茶色になってしまったコーヒーはもうすっかり冷めてしまったわ。
うふふ。
豆乳とポタージュスープをミックスしていただくゴクゴクと飲んできたわ。
さすがにこれだとお腹がお昼にランチ頃になるとめちゃ空くのよね。
電気ポットの70℃のお湯。
大根をピーラーでしゅっとスライスしたものにプラスして昆布投入の
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
先日書いた増田にたくさんコメントやブクマをいただき、驚きつつも感謝しています。こんなに反響があるなんて全く思っていなかったので、恐縮しつつ嬉しい気持ちでいっぱいです。僭越ながら、いただいたコメントに返信させていただきますね。
政治について最近思うのは、国会議事堂の椅子、もっとクッション性を高めたら議論も柔らかくなるんじゃないかってことですね。あと、予算委員会でたまに見かける水のペットボトル、あれメーカーの陰謀とかないんですかね?まあ、真相は謎です。
企業の裏話といえば、某大手カフェチェーンの期間限定フラペチーノが「社員の悪ノリから生まれた」って噂は聞いたことありますね。そういえば、カップラーメンの「蓋が剥がれやすい問題」って、実は時速30キロで走る風洞実験でテストされてるらしいです。
最近読んだ漫画で面白かったのは『異世界転生したら消しゴムだった件』です。消されるたびに強くなる主人公が涙ぐましいです。アニメだと『焼きそばウォーズ』。主人公がソースか塩味かで仲間割れするんですが、結局最後は青のりが全部解決する、みたいな話です。
最近作ったのは「スナック菓子リゾット」です。ポテトチップスを砕いてお湯に入れるだけですが、意外と食べられます。オリジナルレシピってほどでもないけど、たぶんこれをイタリアンシェフに見せたら目から鱗だろうなっていう一品です。
読んでくれた皆さん、本当にありがとうございます。これからも思いついたら増田に書くかもしれないので、その時はまたよろしくお願いします!
都内で小学生の塾バイトしてた。結構前の話。全員が全員そうじゃない。一個人の体感で思ったこと。
前提としてはクラスが分かれている塾であり、テスト結果でクラス移動をする。
下の方のクラスの子供たちはいい意味で子供らしい。「新作カップラーメンがうまい」など「休みの日にオンライン対戦しよう」など、勉強の話はほぼしない。授業前にカードゲームしていたりする。恐らく存分に遊んだのか土まみれの子も多い。
基本的に元気な子が多く賑やかであり、先生に可愛らしいいたずらをするくらいの小学生らしさがあった。授業はつまらなそ~にする子は多く、勉強に興味がない。しかし、どこかのタイミングでハマって授業に積極的になって楽しかった。(「たかしって奴、なんで池の周り歩いたり走ったりしてるんすか!まずそこが問題です!」的な話から盛り上がる)
月のクレーターという名を思い出せなかった子に対してクラスで大喜利が始まった時は涙が出るくらい笑った。トンチキ回答も子供らしく面白い。それに、教えると純粋に「へ~」と言ってくれる。鉛筆で遊ぶ子や隣の子と手紙を回す子、寝る子やプリントを折ってる子など自由奔放だが小学生らしかった。
親が迎えにくる子は少ないが、迎えがあると「今日の晩御飯何?」「あれ録画した?」と親に駆け寄っていく子ばかりだった。迎えが無い子は帰りが一緒の子同士で賑やかにやっていたし、みんな帰るのが待ち遠しい様子だった。帰りの準備で競い合っていたりと子供らしさが良かった。親は「いつもご迷惑を…」と腰の低い人が多かった。
テスト中に鉛筆を拾ってあげると「あざっす!」と元気よく言ってくれる。
上の方のクラスの子供たちは本当に小学生かと疑うほど賢い。政治の話はするし、「ニュース見た?」や「先生はどう思いますか?」といい意味で子供らしくない。みんな先生にはですます調であり、でなくとも丁寧な言葉使いだった。
授業は基本静かだが、質問から仲良く議論し始めることが多く、授業できる楽しさがあった。昨今の政治について、政治議論と外交評価が始まった時は感心して聞き入ってしまった。こういう子が国を支えたり、トップに立つのかなぁと思っていた。
言うことはちゃんと聞く。返事も大きな声でしてくれる。テスト前もみんなピシッと座っている。授業もみんな怖いくらい先生を見ている。
親は迎えに来ることが多く、子がいないところで「あの子、楽しそうにしていますか?」と様子を聞いてくる。下のクラスと一緒で晩御飯の話や他愛もない日常会話をしながら親子で帰っていく。下のクラスもそうだが、子供の鞄を持ってあげる人が多かった。仕事帰りっぽい父親が迎えに来ることが多かった。
親御さんは子のことをわざわざ教えてくれる。「理科が好きで、家では図鑑をよく読んでいて~…」と家でどうなっているのか教えてくれる。子供との会話に役立つのですごくありがたかった。
テスト中に鉛筆を拾ってあげると「ありがとうございます」と丁寧に言ってくれる。
子供たちは点数でマウントを取り合い、下からクラスが上がってきた子を馬鹿にし、上から落ちてきた子も馬鹿にする。しかもコソコソと笑いものにしている。これが1つや2つではなく、ほとんどの中流クラスで起きていた。先生の誤字に揚げ足を取り、教えたことに対して嵌めようとする質問をしてくる。見事ハマってしまった時は親の仇をとったのか如く笑いものにしてくる。ぶん殴るぞと何度も思った。そしてイライラしているのか物音を立てるやつが多すぎる。貧乏ゆすりをする子が多い。上と下のクラスの子に比べて空気が重い。だいたいクラスの中にボスがいて、そいつが仕切っている。周りは冷めた目でそれを見ているか、お膳立てしていやつか。
親はほぼ迎えに来る。そしてよく聞く第一声が「(テストや授業)どうだった」。そして親がずっと質問をしている。子は適当に返事をしている。他愛のない日常会話をする人はほとんどいない。子供が親の顔を見ない。そして子の前で「先生、うちの子大丈夫ですか?」「授業態度どうですか?」と塾での様子を聞いてくる。「この子は勉強しなくて」と子の前で、子に責任を押し付けるやつばかりだった。子供のいないところで「寄り添った方がいいですよ」と伝えても「寄り添ってるんですけど(なのでこれ以上ありません)」と言われた。
また例えば、うるさかった子の親にその旨を伝えると「普段はうるさくないんですけど(だから何もしない)」とちょっと的外れな返答が多かった。父親の影を見ない、または母親の影を見ない。迎えのない子は一人で帰ることが多い。子の鞄を持ってあげる親は上下のクラスに対して少ない。
テスト中に鉛筆を拾ってあげると「ありがとうございます」と言わない。「うっす…」「どうも…」と暗い。首が少し動くだけで何も言わない子もいた。
本当に最初の一瞬だけだったよ。
「おっ、コイツ思ったより使えるかも知れないぞ」
そう感じられたのは。
実験サンプルを投入した直後に最低限の骨組みが出来た瞬間、そこでちょっと感動するんだよ。
そう思って試しても試しても全くクオリティが上がらないと分かると、一気に失望へと転じるわけ。
Pixivにクソほど乱立されているAI絵を見れば分かるんだが、テンプレを何も考えずに流用してるだけでそこに情緒がないんだよAI出力作品は。
繰り返す試行回数の果てに、そもそもクオリティを高めるということ自体がまともにできる仕組みでないことが段々分かってくる。
コイツらは、「何千枚出力させても一枚のグラビア写真をベースに作られ続けたアイコラしか出してこない自称天才アイコラ職人のエロ中学生」程度の存在でしかなかったわけだ。
クオリティはそこまで気にしないシチュエーションでなら、生成AIは本当に素晴らしい。
取引先に送る手紙の文面とか、職場の5分間スピーチの原稿とか、エクセルマクロの叩き台、そういうどうでもいいものを作る分には。
だがある程度の品質、その中でも「熱量」を感じ取りたいコンテンツで役に立つことは稀だ。
Pixivでほとんど全く同じ絵をキャラクターや顔の角度だけ変えて凄い勢いで投稿している有名人(荒らしと呼ぶ人もいるが、個性的な利用方法の範疇に収まると私は思っている)がいるが、アレと同じことしかAIはしてくれない。
そんなことはないと思うなら、AIのべりすとにでも頼んで
と言ってみるがいい。
それからキャラクターを変えて同じシチュエーションをさせてみよう。
試行回数を10回ぐらいまで増やせば、奴らの表現の引き出しの狭さ、使いまわしの多さが分かってくるだろう。
高校生同士のセックスだろうが、親子のセックスだろうが、OLと上司の不倫だろうが、どれも大きな差はない。
セックスというものが元々その程度だと思うなら、君は実に幸せものだ。
是非とも生成AIを楽しんで欲しい。
俺は満足できない。
満足できない俺が必死になって「こういった表現を使ってください」と指定を出すと今度はそればかりを繰り返す。
なんて頼んだ日には3行おきにがんばれ❤がんばれ❤を接頭語にした応援を雑に入れてくるだけだし、途中からその文面が全くのコピペに変わってくる。
生成AIは途中から循環参照を始める悪癖があり、下手に要素を指定するとある種の自家中毒にさえ陥って自己崩壊を始めるのだ。
こちらが
と頼んでも
「了解です」
と答えるだけで奴らは何も理解しないまま同じ失敗を繰り返す。
そもそも、生成AIの最大の問題点はシチュエーションの奥にある情緒をきちんと汲み取らないことにある。
汲み取っていないから似たような何かを雑にコピペするし、範囲を絞ると全く同じ表現の繰り返しばかりになるのだ。
絵や文章というのは単に事実をそのまま書く以外で終わらないはずなのに。
それはその絵全体が描き方の雰囲気によってそれを表現しているからだ。
生成AIはそれが出来ないんだよ。
貧乏人の男が「今日も貧乏飯だ」と思いながらすするカップラーメンと、
ジャンクフード好きの子供が「今日はカップ麺だぜ!」と興奮して食べるカップラーメン、
そのどちらも同じ銘柄だったとしてもその絵で表現すべき空気は全く違うよな?
でも生成AIは
「目の光らせ方だけ変えればその程度の差は表現できると思うロボ。違いは心ロボ。心、分かるロボ。燃える友情、君と一緒に悪を撃つ、だロボ」
致命的だ。
こんなにも情緒ド安定の空虚モードでは勢い任せに筆を滑らせた情熱あふれるエロコンテンツになどなり得ない。
それでは駄目なのだよ。
それでもいいと思ってる人がいること、それが俺は不思議ですらある。
単にまだ気づいてないだけなんだろうか?
生成AIの生み出す作品が如何にこちらの意図を汲み取ってくれないのかという失望を。
別にそれでも構わないと思っているんだろうか。
安くて量が多ければ質なんてどうでもいいって人は確かにいるんだろうな。
特定キャラクターの特定シチュ自体が希少だから何でもいいから数があればいいって人もいるのかな?
でもやっぱ違うんだよな。
「こういうキャラクターでこういうことをさせようとするような性癖の人が描いた作品」だから良かったのであって、その性癖を理解もしてないやつが表面上だけを真似たものを作ってもそれは別物になるんだよ。
つまりさ、何も知らずに服だけ着てるコスプレイヤーと、原作をちゃんと読んでポーズや表情意識してるコスプレイヤーの違いみたいなもんよ。
確かに前者(何も知らずに布面積が少なくて色相が現実離れした服を着させられているというシチュに興奮)に需要がないわけじゃないんだろうけど、それはもうそういう特殊な需要だろ?
求めているのが後者の「何をやっているのかを理解したうえでやっている」だったのなら、生成AIがそれを満たしてくれることはほぼほぼないと言えるね。
2日目のカレーが嫌い
同じ人いますか?
学生です。
土曜日や日曜日になると、昨日の夕食で出てきたものを朝と昼に食べることになります。
それがとてもつらいです。贅沢な悩みだとはわかっていますが、きついです。
「世の中には食べられない子もいるんだから」と言われます。それから何も言えないです。
何が嫌なのかというと
1.味がよくわからない
2.食べなければならない量が多い
3.親は他のものを食べている
1.味がよくわからない
ですが、味がよくわかりません。
他の人が言う「おいしい」とか「まずい」というのがよくわかりません。
「味噌汁濃いかな?」と言われても、よくわかりません。2日目のカレーも、昨日と比べておいしいとは思えません。
書いていて気づいたのですが、唯一の好き嫌いである「牛乳」と「辛いもの」は、味が嫌いなのではなく食べた後に気分が悪くなるから避けていたのだと気づきました。
2.食べなければならない量が多い
自分が満足するまで食べるというより、眼の前にある皿を空にするために食べているという感じです。
3日くらい食べられなかったものは捨てられます。それもなんとなく嫌です。
給食は完食します。自分で量を調節できるので気は楽です。牛乳はきついですが。
3.親は他のものを食べている
それが気づかいなのではなく「自分たちが昨日と同じものを食べたくないからなのでは?」と思ってしまいます。
あと、父が「メシある?」と聞いてくるのが苦痛です。ほぼ毎日です。
そう言っては昨日の夕食や冷蔵庫にあるものは一切食べません。コンビニに行くかカップラーメンを食べています。
少し歪んだ見方なのかもしれませんが、「私の食べているものは『メシじゃない』ってこと?」と思ってしまいます。本人には言いませんが。
昨日の夕食や同じ物を食べるのが苦手な人いますか?
長文失礼しました。
全部が全部ではないが、節約術というのは結構文化と文明依存で、最近よく言われるカップラーメンしか作れないの、移民バージョンを考えないと対応が難しいことが多い。
摩擦が起きないような生活をするためには、案外お金とその文化の教養が必要で、いま日本にいる20代以上の貧困層にちゃんと節約術を教えられていない状態で、移民もなんてそう簡単にうまくいくわけもない。
トラブルになるような行動も、元の国では普通の行動で、それをとれないと彼らの節約生活が成り立たなくなる要素は案外多い。
料理も、トイレも、ごみも、電気も、明かりも、音も、集団行動や行動原理まで。
貧困問題をちゃんと考えないと移民問題のトラブルは、国内と移民の貧困層の中で知らないうち深まっていく。
ニュースになるころには、もう深まっている状態での話なので、早期の解決は難しいよ。
余談だけど、スウェーデンの話はここ5,6年急速に起きた話なので、感覚的には急にやくざマンションが町内にできて抗争をしている状態なので、結構例外。
去年暗い時にも寄れた店が今年はもう危ないからやめておこうってぐらいに急激。
もちろんそれは移民の問題とは言い難い要素もあるんだけど、ギャング的になっちゃっているからなぁ。
行ったことがある人でも、去年と感覚がまるで違う状態だから、今を見ている人の話でないとピンと来なくなっちゃうんだよなアレ。
お湯を沸かしてカップラーメンを食べてもいいが
お湯を沸かす元気がない。
ポテトを手づかみで食べていると、庭先から鈴虫の鳴き声と冷たい風が入ってきた。もう秋らしい
食べていると、いつの間にか泣いていた
憧れていた大人の姿、20代になったら豪華なステーキとか食べていると思っていた
なのに
こんなしなびた…ポテトを
こうしてる間にも同じ年の奴らの中には立派なポテトをメスに加えさせているのも居るってのに
焼きそば、担々麺、汁なしシーフード、醤油まぜそば、と4種類もあるのに、
お湯を捨てなきゃならないし、液体スープ、粉スープ、調味オイルが別袋に分かれてて食べる前にあけて混ぜなきゃいけないし、
パッケージはこれらの小袋が脱落しないように大きなプラスチックケースに包まれ、2箇所をセロテープでガッチリ固定されており、
カップラーメンで「プラスチック資源節約のため」などとほざいてシール一つ削減してたのとかヘソで茶が沸くレベルの厳重梱包ぶりで開封が面倒なレベルだ。
蓋開けてお湯注いぐだけで出来るラーメンタイプをなぜ作らないのか本当にわからん。
スープタイプの完全メシは作りにくいのかとも思ったが、スープタイプは既に存在してるんだよな。トマトポタージュとか。
なぜラーメンは作らないのか……