はてなキーワード: アイドル文化とは
元々応援の意味が強かったのかもしれない(言葉的にも)。自分が知ったのはアイドル文化での利用なので。
手の届く(一方的な援助とかでも)のが推し。で二次元などで手は届かないが身近な存在に拡張。アニメなどの推し(まあライブとか以外でも課金しやすい)
買って支える投票するみたいなのがうっすらか結構分厚くか含まれてる。(個人の感覚)
推しという言葉が広まる前に元々好きだった人達は、自分ごときが支えないでもよいし、推してる感はない。
若い世代や他界隈からの人たちだと、身近であるや支えなきゃならない、一緒に成長していく(こっちは疑似体験だが)要素が含まれないことも増えて来てそっちが主流になりそうな(なってる)気はする。
糞フェミは、男性の性的消費だけが巷にあふれてるー! 性差別―! と喚きたててるけど、実際は、イケメン動物園の氾濫でもわかる通り、全くの逆。
歴史的に見ても、江戸時代は女優だけ禁じられて、歌舞伎男優は、女性ファンと平気で売春してたし、平成初期には、アイドル文化なんて壊滅して、ライブなんて誰も入らなくなってたのに、ジャニーズとか男性アイドルだけ、テレビで猛プッシュして無理やり生かしてたし。
何で一般女性だけ、上級国民共が優遇するかっていうと、橘菊太郎劇団やエプスタインみたいに性奴隷を集めるためなんだけど、結局はそのために一般男性だけが差別されてる。
得をしてるのは、いつも上級国民の男どもだけ。
頭悪すぎるだろいくらなんでも。
そういう奴らが推し活で強盗はダメみたいな凝り固まったオタク差別を垂れ流してる
そもそもオタクってのは自分の好きなものに全力を捧げる人種であって、身の丈だのなんだの気にしてる時点でそいつはすでにオタクじゃない。
そもそも今のソシャゲをちゃんと定着させたのはリボ払いでもなんでもして課金したオタクが礎になってる。
アイドルだって全国平日にどこでも駆けつけるには相当無茶しないと到底無理だしそういう無理が今のアイドル文化を支えてる。
アイドルという存在に対して、私はどうしても好きになれない部分が多くあります。
確かに、アイドルが歌う楽曲の中には、自分の好みに合うものも少なくありません。
音楽として楽しめる曲があることは事実であり、そういった曲を聴くこと自体は嫌いではありません。
しかし、アイドルファンがコンサートで見せる特有の振る舞いや態度には、どうしても共感できないものがあります。
それが原因で、はっきり言ってしまえば、アイドル文化全体に対して嫌悪感を抱いてしまうことが多いのです。
具体的に言うと、アイドルファンがコンサートで示す熱狂的な応援や、特定のアイドルに対する過剰なまでの愛情表現がどうにも理解できません。
そのような振る舞いを見るたびに、自分がその場にいること自体に違和感を覚え、居心地の悪さが増していきます。
また、アイドルの風貌やダンスパフォーマンスにも全く興味が持てないため、
コンサート会場では音楽を純粋に楽しむことができず、ただただ早く帰りたいという気持ちばかりが強くなります。
そんな私の性格や趣向を理解してくれている友人も多いですが、それでも時折、アイドルのコンサートに誘われることがあります。
彼らは好意で誘ってくれるのでしょうが、私はそのたびに断ることに悩みます。
誘いを断るときには、友人に対して悪いなという気持ちがつきまといますが、それでもやはりアイドルのコンサートに行くことは避けたいのです。
それでも断りきれずに同行することになった場合、その時間は本当に苦痛なものになってしまいます。
できれば、「アイドルが好きではない」という言葉で、私の気持ちを察してもらいたいと常々思っています。
それが伝わらないと、結局は上記のような感情を言葉にしなければならなくなり、アイドルファンにとっては決して気分の良い話ではないと思うからです。
だからこそ、自分がアイドルに対してどう感じているのかを察してもらい、無理に誘わないでほしいというのが正直なところです。
まとめにはなぜか載ってないけど昨日はあれでジャニ界隈は大騒ぎだったんだよね
起源は西城秀樹かもしれないけどペンライトは日本の男性アイドル文化=ジャニーズの文化っていう風に自分たちが作ってきたって誇りがすごくある
ちょっと前にもムービングステージっていう可動式ステージを他事務所アイドルが使ったときにテレビで初みたいに紹介されたので嵐の松潤が考案したのにって番組に抗議しようとか大荒れになって他事務所ファンから怖い怖い言われてた
もともと水面下でバチバチだったけどジャニー喜多川の問題が韓国の陰謀って説が出てきてから表立って敵視するようになってきていて
奇しくもジャニオタが敵視してる性加害問題を追求するジャニーズファン有志団体の名前がPENLIGHTでこれもジャニオタの間ではジャニーズファンなんかじゃないとか韓国と繋がりがあるとか色々言われてたり
そこでこれだからまあ荒れるよね
失言でプロゲーマーをクビになってから一転、配信者として大成功を収めたたぬかな。
たぬかなが嫌悪するのものにはフェミニスト、ヴィーガン、専業主婦、非モテ男など多種多彩だが、
なぜそれほどVTuberを嫌うのか謎で、色々考えてみたのだが、eスポーツとVTuberのファン層の違いが理由ではないだろうか。
世界大会で負けるものなら批判や誹謗中傷が飛び交うのが当たり前だし、海外では殺害予告まで出る始末だ。
逆にVTuberのコミュニティは演者に対して心優しい。甘やかす風潮というか、批判がベースに無い。
それは民度の違いとかではなく、プロスポーツとアイドル文化の違いでもある。
アイドルというと語弊がややあるが、
「エンターテイメント性と共に見た目や人格を売りにして商売をする」
2次元の見た目に、設定を詰め込んで。
そしてその上で誰かを楽しませる、いわゆるバーチャルな存在になっていた。
そういうアイドル的な存在に憧れていて、バーチャルの外見を得られたので、舞い上がって楽しんでいた。
けれど、徐々に、しんどい!と強く思うようになった。
である。
YouTubeなどでは広告収入などもあり、視聴するだけで応援になる。
だが、そのプラットフォームはYouTubeに例えるならスパチャしか明確な応援方法が無いのだ。
チャットの数や同接数なども含めて、その配信アプリ側が配信者をランク付けするのだが、スパチャ…課金ギフトを送るのが1番大きいスコアに繋がり、無料で出来るものは微量のスコアにしかならない。
つまり、このアプリにおいては、投げ銭が当たり前の文化なのである。
ファンの方、視聴者の方でも、この配信者にはこれだけお金を投げたらファンのランクが認定されて、他のリスナーにマウントを取ることができる。
つまり、少し前のAKB48総選挙などのアイドル文化をより身近にしたようなものだ。
財力あるファンからたくさんの投げ銭をもらって、笑顔でありがとう!と言ってサラリと気にも留めない、豪胆さ、鈍感さを求められる。
私はそれが無理だった。
3万円投げられて、えー!嬉しいー!ありがと!記念にするね!くらいの気持ちでサラリと流す人がアイドルに、配信者に、なれるのだなぁというのが、なんだかやるせなかった。
1000円投げられて、慌てふためいて、ちょこっとランチ出来る額投げていただいちゃったよ…とかしみったれた事を考えるやつはアイドルになれないのだ。
しかも、これがAKB48たちのような10代20代前半の金銭感覚もわからぬ子供が、あどけなく応援されてると感じているのならまだ可愛い。
けれど、その配信アプリの配信者は大抵はそれなりの大人である。
配信プラットフォームが提示したランクやイベントの達成のために、一緒に金銭を巻き上げる共犯者に成るも同然だ。
今日、ランクアップのためにみんな手伝って〜!という呼びかけがどこも飛びかう。
手伝うというのは暗に、金を出してスコアを上げてくれという意味である。
AKB48だって一年の大きなイベントである総選挙を、その配信アプリでは毎日しているようなものだ。
人を喜ばせるために、パフォーマンスを披露して、その対価として金銭を頂くのであれば良いと思う。
そしてそれならば私も、まだパフォーマンスが足りていないのだと思える。
けれど、配信アプリの一部のユーザーは配信者も視聴者も、もう金銭感覚がどこか麻痺していて、月数万円使わせる、使うことに躊躇いもなく、そしてそれで得られるのは認知のみという状況も多い。
私にアイドルのようなカリスマ性がないから上手くいかないのだと言えばそうなのだけれど、同時に、あんな風になりたくないな、あんな風に応援されたくないな、という気持ちがどうしてもある。
狂った世界に適合できるのは狂える奴だけ、それか自分を騙し切れる奴だけ。
狂気と欺瞞でお互いに誤魔化しあっていくのがアイドルなのだと、改めて感じてしまった次第である。
全然関係ないが、先日、前田敦子が、卒業発表をした柏木由紀の話をした時に
と言っていた。
お前も過去にアイドルとして応援されてて、その応援してくれてたファンの人の気持ちを考えてない鈍感な発言だ、という指摘が飛んでいた。
けれど私はちょっとだけ、おこがましいが前田敦子の気持ちがわかる。
アイドルなんて心身に負担のかかるお仕事、よくやってられるよね。
(ゆきりんは応援の数とか周りにとらわれず、自分のアイドル像を突き詰めていく、ある種の努力、ある種の狂気があったからこそここまで出来たと思うので、非難するつもりはない。お疲れさまでした。)
ネトサヨ、もういち早く「海外も大々的に報じるぞ」「BBCなら報道してくれるはず」の大合唱してたけどさ。
山崎雅弘(歴史研究”家”。学歴なし)の「まず間違いなくBBCは報じる」(キリッ)とかなんだったのか?
BBCが松本人志に紙面を割く可能性はジャニーズより圧倒的に低い。
なぜなら、「ジャニーズ」は韓流華流と合わせてある程度知名度のある「東アジアのアイドル文化」の一旦だから、それなりに読者の興味を引く。
一方で、日本のお笑い文化なんて海外では殆ど興味を持たれてない。その中のマイナーメジャーを取り上げて誰が読むと?
ネット左翼はいつになったら、そもそも海外の『報道』は陰湿日本みたいな「晒し」「制裁」じゃなくて、「読者のニーズに応えた情報」に過ぎないということを理解するのか。海外の報道がリベラルなのは、意識の高い読者が金を払うからです(日本は払わない)。
「海外報道」が「日本のための正義の外圧」であるだなんて全体主義左翼に都合の良いファンタジーから、お前らはいつ目覚めるのか。
非常に長文なので誰も読まないかもしれないが、読んでいただければ幸い。
日本人の宗教批判は主にオウム神理教や創価学会あたりから根深くなったと自分は思っている。とにもかくにも「宗教はやばい」となり、それが「宗教的なものはやばい」となっているのではないか。たしかに新興宗教団体はやばかった。最近でも、自民党から膿となって出てきた旧統一教会の問題がある。
日本人全体で、なんとなく「宗教はやばい」というゆるやかな共通認識があると思う。
そこから「宗教について熱心に語る者は、なんとなく、やばい」とされていると思う。ごく少数の人間だけが宗教について深く調べる。多くは、ミイラ取りがミイラになることを恐れているとか、宗教的な人間とみなされることを怖がっていたり、単に無関心な可能性もある。
ほとんどの人は、まずその「ヤバい」「うさんくさい」「拝金主義」という外から見える性質に嫌悪感を感じているはずだ。実際に、古来から権力・権威・金銭などと結びつきが強いように思う。多くの人々に害を為すものは、それが宗教だろうがなんであろうが、どういう形をとっていようと敵対される。宗教に対するネガティブな意見は、おおよそこの表面に出てきた宗教のネガティブな部分についてのものが多いと思われる。
また「人型の何か偉そうにした超常の力を持ったジジイ」を幻視して「そんなやつがこの世界作ったわけないだろ」と直感的に思うのではないか。
宗教的なものがやばいの1つの例でいえば、ガチのドルオタはキモいというものがある。キモいというのは比喩的表現で、ドルオタクラスタの方には申し訳ない表現だが、周りからは理解不能なのである。アイドルという神を信仰することで「生きがい」となして自分の人生を全うしていく。しかしひとたびその信仰の前提が破壊されれば、一瞬にして生きがいを喪失する。
アイドルの推し活は「きわめて宗教的だ」と半ば冗談めいて表現されることが多いが、比喩でなくそのまま宗教といっても過言ではない。仮に江戸時代に今のアイドルの状態を維持可能な状態で放り込めることができるとすれば、瞬く間に江戸幕府を牛耳ることができるだろう。実際BTS外交などと言われるほどアイドルは脅威的な潜在能力を持っている。一向宗など目ではない。江戸の民たちはアイドルの存在を知覚することで、それに畏怖し、夢を見ることができ、人生に生きる意味を見出しやすくなることだろう。本居宣長も、古事記伝にて「それはさておいても◯◯ちゃんのかわゆしこと尊し」などと書くかもしれない。知らんけど。
宗教のはじまりはアニミズムだという。何か神聖視せざるを得ないものを発見しそれに畏怖し感動することで、その圧倒的な偉大さを見て、人はそれを「神」と名付けたようだ。
日本では現状「科学信仰」と「常識信仰」が主流であると思う(これは自分の主観による)。「科学的な権威がありさえすれば信用する」だとか「よく知れ渡っているから信用する」といったものだ。「長いものには巻かれろ」という日和見主義的な発想がそこにあるように見える。
そもそも「信じる」とは「実際に本当にあるかどうかわからないが『ある』と信じる」ことにある。
自分には本当にあるかどうかよくわからないものを『本当にある』と思い込むことを信じるという。そういう行為には、根拠など無いのではないか。少し古いが「アイドルはうんちしない」などがそうだ。
宗教が必要かどうかは置いておいて、その発生過程や宗教が果たしてきた役割は、歴史を学習すれば誰でもその関連性には嫌でも気付くだろう(重要性は別かもしれないが)。人は「たかが宗教ごとき」で人を殺し合い、憎み恨み、人生を捧げたり、幸せになったり、正しく生きようと努力したり、救われてきた。さまざまな血を流してきたのであった。これは事実である。現在の今の自分にとって宗教は全然必要でないと感じていたとしても、その自分が存在する羽目になった基盤に宗教がある。一体全体どうしてこんなものが人類の中で大きな役目を持つようになったのか。
真に必要でないのであれば、なぜこの世から抹消できないのか。たとえばガラケーは抹消されつつある。必要でなくなったからだ。しかし宗教はどうか。消せども消せども名を変えて復活しているように思う。
科学的であると自負する人であっても、古来から続く伝統的な宗教っぽいものをなんとなく忌避していて、その拝金主義的傾向や宗教の政治的利用による人間支配を見て、なんとなく嫌悪しているのではないか。
また「宗教が必要かどうか」を論じるとき、「実際になくせるかどうか」のその現実性について論じられることは少ない。宗教がなくなれば代わりのものが出てくるのみである。名を変えたそれが絶対視される。
実際にとりあえず「宗教は必要ないもの」と考えて、この世から排除することにしてみよう。つまりそれは逆に言えば「信教の自由」の剥奪である。仏教を信じてはならない、キリスト教を信じてはならないとされる。
ありとあらゆる宗教的なものは不要なので排除されなければならないとする。しかし、必要か、不要か。それは誰にとって必要なのか、誰にとって不要なのか。
宗教と宗教でないものについて、どこで、誰が、どのように、なんの権限で線を引くのか。これはもしかすると権力闘争の始まりかもしれない。受容するか・弾圧するかのどちらかを、ある人間の主観で決めることができるということほど恐ろしいものはない。異端審問のラベリング(【十分科学的でない】というラベル)を受けて生きなければいけない世の中は厳しいものになるだろう。反ワクチン派・反知性主義者が実際にそうした世の中を生きている。われわれから見れば彼らは狂っているが、彼らから見ればわれわれが狂っているのである。
宗教と科学はなんの根拠もなく二項対立されがちだが、これは一神教的な態度ではないだろうか。
つまり科学的であればあるほど宗教的でなくなるはずだという根拠のない「思い込み」があるのかもしれない。
いったいなぜ、科学的であることが正しいのだろうか。いったいなぜ、論理的であることが正しいのだろうか。これは唯物論的な立場である。いったんそういうことにしているという、あくまで仮説である。そのように考えるとうまくいっているだけなのではないか。
そして、自分にとって宗教が必要ないからといって、他人にとっても同様に必要ないとは限らない。つまり全体としては「まだ必要」というのが答えになると思う。
それから自分は、ロジカルシンキングや科学最強説を強硬に主張してその他の考え方を排除しがちな陰キャはあまり好きではない(自分はロジカルシンキングそのものや科学的思考は好きだが、論理的であることが正しいことを信じることは論理的ではない、という前提があると思うからだ)。
彼らは科学や論理というアカデミックな権威のおこぼれを欲しており、いわば虎の威を借る狐のように見える。そうした人間は、自分よりも科学的で自分よりも論理的な人間が宗教的なものを崇拝しているのを目の当たりにしたとき、考え方を転向するかもしれない。これを改宗(conversion)というのだろう。
Visual Studio Code等さまざまなIDEに組み込んでコマンド操作できるテキストエディタがある。これはVimと呼ばれ、世の中で広く親しまれている。入門はやや難しいが、Must-Haveでおすすめである。これは宗教以上に必要である。
もちろんあなたはVimを導入しないという選択をとることもできる。
こう言うと自分は旧来の宗教観を引きずっているように思われるかもしれないが、一方で自分は古来から続いておりただの慣習となっていて合理的ではない規則を、ただ自分の強権を保とうとせんがために信じている老害もまた好きではない。彼らは自分の保身を考え、自らの世界観の安定させ、外に目を向けない人間である。生臭坊主と言われる。
自分は、そうした既製品の宗教や、新興宗教の教祖というただの詐欺師をそのまま信じてしまう人は愚かだと思うが、そういうことも含めて現実でありなぜそういった事象がでてきてしまうのか、なぜ彼らはそれに縋りつくはめになったのかを単に否定することは科学的ではないと思う。それは現実を観察できていない。少なくとも彼らにとって、彼らを救ってくれるのは科学ではなかったということなのだろう。
宗教はおもしろい。とりわけ理系で哲学や文学や詩や宗教やヒトや精神や心というものから縁遠かった者ほど、大人になってから初めて知ることで、そのおもしろさに気付きやすいかもしれない。
白人男性「男性が起こした加害事件について、女性ファンや女性文化であるアイドル文化自体を責めるのは、ミソジニー(女性嫌悪)の表れです。ファンは共犯者ではありません。」
https://digital.asahi.com/sp/articles/ASR9F4DF8R9DUCVL00F.html
白人男性「男性が起こした加害事件について、女性ファンや女性文化であるアイドル文化自体を責めるのは、ミソジニー(女性嫌悪)の表れです。ファンは共犯者ではありません。」
https://digital.asahi.com/sp/articles/ASR9F4DF8R9DUCVL00F.html
https://digital.asahi.com/articles/ASR9F4DF8R9DUCVL00F.html?ptoken=01HA9XRC9EAKZDE2FJWGAVM8RB
「事件が男性中心のエンタメ文化の中で起きていたとしたら、ファンを責めるような声が上がっていたでしょうか。AKB48のアイドルがスキャンダルを起こしたことを理由に丸刈りになったときも、日本のアイドル文化について疑問視する声は上がりましたが、ファンを責める声はほとんど聞きませんでした」
女性アイドルの男性ファンが世間からどういう扱い受けてるのか、マジで気づいてないんだな。
ジャニオタは男性のアイドルオタクの様に社会から気持ち悪い人として常に嫌がらせを受けるようにならないと加害者の一人であることがわからないようだ。
申し訳ないが、男性アイドルオタクの様に社会の底辺としてクズ扱いされてほしい。
さもなければ今すぐファンクラブに金を落とすのをやめろ。
今4歳の娘がいる。
彼女をジャニーズ好きにしたくない、というかアイドルオタクにしたくないのだが、どうしたらいいだろうか。
今回の騒動で、アイドル文化について色々調べたのだが、ハッキリ言ってアイドル文化は異常だ。なんだよ桶ダンスって。おぞましすぎる。
あとジャニーズオタクの人たちがやたらと攻撃的なのもわかったし、ああいう人間になって欲しくない。
一応、何個かのまともな企業はジャニーズの人間を使わないという声明を出したようだが、
テレビ、雑誌、映画などでまだ何かジャニーズのタレントが出てきそうな空気で怖い。
どうやって育てたら娘は、ジャニーズ好きにならないでいてくれるんだろう?