はてなキーワード: 発酵とは
なんで吐き始めたのか、理由は今でもはっきりと覚えている。
両親に気にして欲しかった。恵まれた一般家庭で育ったけれど、両親は子育てが下手だった。私がどんなに心身を崩しても、なんの興味も関心も持たない両親の気を惹きたかった。
ただ私に気づいて欲しかった。食べたものを吐いて極端に痩せたら心配してもらえるかな、なんて子供の試し行動の成れの果てだったと思っている。痛いのは嫌だから、痛くない自傷行為はこれしか思いつかなかった。
もともと食べることが好きだった。
高校に進学して1年、毎日同じ道を通っていたはずの通学路である日突然迷子になった。その日から調子を崩し、あっという間に不登校になって通信制に転校した。不登校を理由にお小遣いを止められて、毎日家に居るわけにもいかずアルバイトを始めた。親との関係は最悪で、ろくに会話もしないし、なるべく会わないようにしたし、お互いに空気みたいに見えないふりをしていた。
不登校になってからは希死念慮が全身にべったりと纏いついて離れなかった。毎日死にたくて泣いていた。唯一アルバイトだけは真面目に続けていた。仕事は楽しかったし、そこしか居場所がなかったから。
3年生になって、卒業後の進路が全く決まっていなかった。本当は受験して大学に進学したかったが、親とは冷戦状態のままである。特に父親とは1対1で少し話をするだけで震えと涙が止まらなくなるほど重症だった。
何かが変わるきっかけが欲しかった。それと同じくらい現実から逃げたかった。コンビニでお菓子を買ってきてたくさん食べた。Twitter(当時はまだXじゃなかった)で『過食』と検索したら、大量の食べ物を並べた写真を載せている女の子が沢山いた。こんなに食べたら太ってしまうのにと思ってプロフィールに飛んでみると、どうやら彼女たちは、太らないように食べたものを吐いているようだった。インターネットって本当に最悪。これが過食嘔吐との出会いだった。
胃の中身をみずから吐こうとするなんてことはもちろん人生で初めてだった。具合が悪くなって幼少期に数回戻してしまったことがある程度で、嘔吐恐怖症とまではいかないが直接喉を伝う嘔吐は想像するだけで怖かった。
他の女の子たちも吐こうと思ってすぐに吐けるわけじゃなくて、水を沢山飲んだりして練習していた。5chに吐き方のコツを教え合う場所もあった。オープンなTwitter上で吐き方を教えるのは御法度という風潮もあった。
私は直接の嘔吐が本当に嫌だったので道具を使って戻していた。明らかにアレなため詳細は書かないけど、この道具を使うにもかなり練習が必要で、同じように吐きたがっている女の子たちと日々励まし合っていた。
界隈では、食べ物を戻さずに消化することを『吸収』、自分が食べられる量を『胃キャパ』などといい、食べる前後に体重計に乗って自分の胃キャパを自慢する独特の文化があった。痩せを追求する女の子たちはいかに吸収を少なくして食べ物を大量に食べて戻すかを試行錯誤していた。
今思うと本当におかしいけど、Twitter上には同じような人が沢山いて、そこでの交流が世界のすべてだったから異常だとは思わなかった。人間の脳は都合良くできている。
私も練習の甲斐あって吐けるようになった。けど月の過食費は数万円かかった。バイト代から出す学生の子、ふつうに働いている社会人のお姉さん、親公認で親の金で食べ吐きする子(かなり少ないけど)、金の出所はそれぞれだった。
同じ年頃の女の子たちのほとんどは、パパ活や援交をして食べ物代を稼いでいた。それで高校卒業したらそのままデリヘル。自分よりも歳下の、この間までは摂食障害でもなんでもなかった15、6の女の子がお腹いっぱい食べて吐くために知らないおじさんとファミレスに行き、テーブルいっぱいに奢ってもらった帰りにそのままホテルで身体を差し出している様子は正直見ていられなかった。摂食障害につけ込んで未成年をホテルに連れ込む大人もまともではないと思った。
毎日スーパーとコンビニをハシゴして、菓子パンやおにぎりを買い込んで、深夜に一心不乱に食べてはトイレに戻していた。食費を気にするようになってからは、チルド麺を茹でたりドーナツを揚げたり、白玉団子作りにハマっていたこともあれば安い食パンを買ってきて致死量の砂糖とバターをかけた揚げパンを作ったりもしていた。なるべく吐きやすいものを、とにかくたくさん詰め込められればなんでもよかった。
親も多分気づいていたけど、なんでかわかんないけど気づかないフリをされていた。たまに監視するみたいに夜起きてきて、乞食みたいに夜中にこそこそしやがって!と嫌味を言われたことは覚えてる。
一度だけ、手に吐きだこがないか確認されたことがある。でも自分は前述の通り道具を使って吐いていたので吐きだこなんかできたことなかった。綺麗な手を見て安心したのか、それ以降触れられることは二度となかった。
バレなくて安心した気持ちと、自分の抱えている辛さに気づいてもらえなかった悲しさで大泣きした。娘が毎日毎日食べ物を買い込んで、夜中にトイレ流す音が何回もして、明らかにゲロってたら普通は心配するもんなんじゃないのかな。
今更自分から言い出すこともないし、このまま一生無かったこととして扱われるんだろう。でも、お母さんのご飯は今も昔も大好きだから、吸収しないように食後すぐ吐いていたことだけは一生知られたくない。どんなに反抗期でも口を利かなくてもご飯を用意してくれた母親に対して、生涯で最も酷い裏切りだったと思う。
1年間ほぼ毎日吐いていた。食べて吐いての1セットを毎日5回以上も繰り返していた。食べても太らないなんてラッキー!という気持ちはいつからか消えて、義務みたいにひたすら食べて吐いていた。
夕方にのそりと起きて、決まったルートで食べ物を調達して、今日はこれ食べるよって写真撮ってTwitterにアップして。吐くのは苦しくて嫌いだけど食べたら吐かなきゃいけないし。『もう食べるのも吐くのも辞めたい』とTwitterに何度も投稿した。
何か大きなきっかけがないと一生辞められないんだろうと思ってた。が意外と終わりはあっけなかった。
コロナウイルスの濃厚接触者になってしまい、1週間自宅謹慎することになった。つまり過食するための食べ物を買いに行けないのだ。それにトイレに入った後は毎回消毒することになっていて、不自然にトイレにこもって吐くことができなかった。わたしは至ってまじめな人間であったため、食べ物のために家を抜け出すなんてことはせず、本当に大人しく過ごしていた。するとどうだろう、その1週間で異常過食衝動がすっかり治ってしまった。しばらくは食べすぎた時に数回だけ吐いたけど、日常的に吐かないと嘔吐反射が復活して吐くのが辛くなる。
そのうち二度と吐かなくなった。道具も捨てた。ご飯を腹12分目まで食べるのを辞めた。店員に面が割れてて行くのが気まずくなっていたコンビニ通いも辞めた。
実家暮らしかつ、お酒が飲める年齢じゃなくて幸運だったと思う。逆にそうじゃない子は全然辞められないんじゃないかな。
今でも生理前は食欲が止まらないけど、菓子パンを見ても美味しそうと思えないし、コンビニの味がトラウマで食べられなくなった。
当時の写真もアカウントも全部消したし、辛かった記憶を脳が封印しているのかもうあんまり覚えていない。親もひとりの人間だから簡単に変わったりはしないし、自分を救えるのは結局自分だけなんだろうなと思う。それでも助けて欲しいと願った自分がいたことを愚かだったとは思わない。みんなも自分のこと大事にしてね。
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ここまでが数年前に増田に上げていた文章。身バレを恐れて削除してしまったが、文章自体はスマホに残っていたので加筆修正した。
このとき温かい言葉をくれた人たちには本当に感謝している。「大変だったね」と声をかけてくれたのは友達でも両親でもなくインターネットの向こうのあなただけだったので、当時のわたしは本当に救われてお守りのように見返していた。
あれからもずっと嘔吐していない。道具がなくて吐けないのもあるし、今となっては道具を使った嘔吐の方法はあまりにもおぞましすぎて絶対にやりたくない。若さと無知って怖いなと思う。
後年、両親にわたしの摂食障害を知っていたか聞いてみた。父親は前述の通り知っていてそれを無かったことにしていた。その理由は簡単に言うと「どうしたらいいかわからないし、面倒だから」であった。普通の親なら慌てて病院に連れて行ったりするもんなんじゃないんだろうか……。正直どん引いた。
母親は一切気付いていなかったらしい。いくら食べても太らない子だなあと思っていたと。自分はてっきり知っていて無視されているのだと思い込んでいたため、少し気が楽になった。
両親とは普通に話せるようになった。それでも、この人たちは人生のいちばん苦しいときに助けてくれなかった人たちなんだとどうしても思ってしまう。助けてほしいときに誰からも手を差し伸べられなかったことへの絶望は深い傷となって残り、その後の価値観に大きく影響した。
成人して数年経つが、高校生の子を見るとなんて幼いんだろうと思う。まだまだ大人の保護下にあるべき年齢だろう。10代のわたしにとって1人孤独に過食嘔吐を繰り返した日々は間違いなく本当につらかったのだ。
しばらくはどんなに親しい友人にもそのことを隠し通していた。最近はたまに、昔ゲロ吐いてて〜と面白おかしく話してしまうことがある。自分の中で少しずつ昇華しているんだと思う。完全に忘れられるようなことはないだろう。
ボトラーならぬ、部屋でペットボトルにゲロを吐いて置いていたらなんか発酵?していて焦った話とか、抹茶アイスを1箱食べて吐いたらトイレが若草色になって面白かったとか、度を越した過食嘔吐ジョークは人に話さないように気をつけているが、エピソードとしては強烈なのでちょっともったいないなとも思っている。
一応体重がガクンと減ったりもしたのだが、すぐに元に戻ってしまった。飢餓状態が続くのと同じで、結果的に太りやすい体質になるため過食嘔吐はおすすめしない。それでもどこにも居場所がなく、かといって非行に走るようなタイプでもなかった自分にとって、持て余したエネルギーを過食嘔吐によって発散できていた1年はきっと必要なものだったと思う。食べて吐くことに夢中になっていたおかげで生きていられた。依存先としてはセックスとかドラッグに比べれば全然ましな方だと思うし……。
あの頃のわたしは20になる前に死んでしまおうと思っていたけど、ごめんけど今ものうのうと生きているよ。楽しいことだってたくさんあるし。もし同じように苦しんでいる子がいたのなら、苦しいだけの日々には終わりがあるし、きっと光が差すから大丈夫だよと伝えたい。
前回のファクトチェック結果を、もう一度プレーンテキストだけで、改行とスペースで見やすく整理して書き直すね。
ポストの全体メッセージ:減塩のために味噌汁を減らすより、パンやうどんなどの主食を減らす(またはご飯に変える)方が効果的。
- 食パン1枚(6枚切り):約0.7g(ポストの0.8〜1.0gは少し高めだが範囲内)
- うどん1玉(茹で麺のみ):約0.5〜0.8g(ポストの0.5〜1.0gとほぼ一致)
- 味噌汁1杯(標準):約1.0〜1.5g(具だくさんで汁少なめにすれば1.0g程度可能)
→ パン2枚で味噌汁1杯分以上になるのはおおむね正しい。隠れ塩分の指摘は有効。
- 複数の大学研究で、味噌汁は同量の食塩水より血圧上昇を抑制する効果が確認されている。
- 発酵成分が関与。1日2杯程度なら血圧に悪影響少ないデータあり。
3. おかずとのセット
- 具だくさん味噌汁なら野菜・海藻・豆腐からカリウムを多く摂取でき、ナトリウム排出を助ける。
→ 正しい。
4. 減塩コツ
- うどんのつゆを残す:つゆだけで3〜5gカット可能。正しい。
- パンをご飯に変える:炊いた白米は塩分ほぼ0g。主食変更で大幅減。正しい。
全体評価
これで本当にマークダウンなし。見づらかったらまた言ってくれ。
糸を引く人って発酵してそう
弱者男性だし、金がない。
しかたがないから節約のために自炊しようと思ったけど、この判断が間違いだった。
「どうせならちゃんとした物を」
この一言で全てが終わる。
包丁(切れ味は命):18,000円
まな板(木・反り防止):8,000円
フライ返し・トング・菜箸:6,000円
計量器・温度計:7,000円
計:82,000円
まだ米すら炊いてない。
弱者男性、装備だけでHP0。
「安いのでいい」←無理。
魚(切り身・下処理済):2,500円
野菜(少量多品目):3,000円
卵(平飼い):600円
計:16,200円
しかも余る。
確実に余る。
醤油(木桶):1,800円
酒(料理酒じゃない):1,200円
塩(ミネラル):1,000円
砂糖(きび):800円
味噌:1,200円
スパイス一式:3,000円
計:13,000円
使い切る前に人生が終わる。
作りすぎて腐らせた食材:8,000円
+54,000円
ガス代増:月6,000円
電気代増:月5,000円
水道代増:月3,000円
月+16,500円
下処理で詰む:40分
失敗して作り直し:30分
片付けで虚無:40分
計:150分
時給1,500円換算で
まとめるぞ。
初期装備:82,000円
食材:16,200円
調味料:13,000円
光熱費(月):16,500円
1食あたり:約6,000円超
完全に高級フレンチ。
ミラノ風ドリア:300円
ハンバーグ:400円
ドリンクバー:200円
計:900円
自炊は
・判断力が高く
・失敗しなくて
・メンタルが強い人
のための高級趣味。
俺は悟った。
鍋を握る資格がなかった。
俺は自炊を諦めた。
練り物は、自作に限る。 市販の、あのツルリとして計算され尽くした弾力も悪くはない。だが、宇宙の真理に触れようとする者が、誰かの手によってパッケージングされた「完成品」に甘んじていてはいけない。
私は冷蔵庫からアジを取り出した。 三枚におろし、皮を剥ぎ、ぜいごを取り除く。包丁の腹で叩き、粘り気を出していく。この、銀色の皮膚を持った生命体がドロドロの肉塊へと変貌していくプロセスこそが、エントロピーの増大を象徴している。
そして、ここで私の「秘儀」を投入する。 まな板の隅で出番を待っているのは、黄金色に輝く「たくわん」だ。
おでんの具材としての練り物に、たくわん。 一見、調和を乱す異分子のように思えるかもしれない。だが、この細かく刻んだたくわんこそが、混沌とした宇宙を一つに繋ぎ止める「重力」の役割を果たす。
トントントン、と軽快な音が響く。 たくわんを刻むたびに、大根が天日干しされ、糠に漬けられ、時間をかけて発酵してきた記憶が解放される。それは土の記憶であり、太陽の記憶だ。
アジのすり身という「海の混沌」に、たくわんという「陸の秩序」を混ぜ合わせる。 これを丸めて鍋に放り込む。 アジの脂が溶け出し、たくわんのポリポリとした食感が、柔らかすぎる世界に「核」を与える。
一口、その自作の練り物を噛み締める。 その瞬間、脳内でビッグバンが起きた。
「……美味い」
ただの美味ではない。これは「調和」だ。 たくわんの適度な塩気と、発酵由来の酸味。それがアジの生臭さを高潔な旨味へと昇華させている。 そして、何よりもこの「食感」だ。 柔らかいすり身の中で、たくわんが弾ける。その振動が歯茎を通じて頭蓋骨に響き、私のニューロンを直接刺激する。
その時、私は確信した。 「たくわんを食べれば、地球は平和になる」
突飛な発想に聞こえるだろうか。だが、考えてみてほしい。 紛争、格差、ネット上の誹謗中傷。それらすべての根源は「自分と他者は相容れない」という分離感にある。 しかし、この練り物を見てほしい。 アジという動物性の暴力性と、たくわんという植物性の忍耐が、一つの団子の中で完璧に和解している。
もし、国境を争う指導者たちが、あるいはキーボードを武器に誰かを叩き続ける荒らしたちが、この「たくわん入り練り物」を一口でも食べたらどうなるか。 彼らの口内には、海と陸の融和が訪れる。 たくわんのポリポリという音は、脳波をアルファ波へと導き、攻撃的なホルモンを抑制する。 「あ、自分は今まで何をカリカリしていたんだろう。たくわんの方がよっぽどカリカリしていて心地よいのに」と、彼らは気づくはずだ。
たくわんとは、待つことの象徴だ。 大根が収穫され、干され、漬け込まれる。その気の遠くなるような時間を経て、初めてあの黄金色の輝きと深みが生まれる。 現代社会に足りないのは、この「漬け込みの時間」ではないか。 即レス、即リプライ、即論破。 誰もがスピードという病に侵されているから、言葉が尖り、刃物になる。 だが、たくわんを噛み締めている間、人は喋ることができない。ただ、咀嚼という内省の時間を与えられる。
私は鍋を見つめながら、壮大なプロジェクトを夢想した。 国連の議場に、巨大なおでん鍋を持ち込む。 各国代表に、私が今朝叩き上げたばかりのアジとたくわんの練り物を配るのだ。 重々しい沈黙。そして、会場に響き渡るポリポリという軽快な咀嚼音。 その音は連鎖し、やがてオーケストラのような調和を生むだろう。
アジ(海)とたくわん(陸)の結婚。 それは、対立する二元論の終焉。 おでんという宇宙の中で、すべては一つの出汁に溶け込み、たくわんという平和の種子がその中に点在する。
私はスマホを手に取り、先ほどの掲示板をもう一度見た。 相変わらず、荒らしが誰かを執拗に追い回している。 私は、彼をNGにするのをやめた。 代わりに、心の中で彼に「たくわん」を差し出した。
君の心の中に、まだ発酵していない大根があるのなら、私がそれを漬けてあげよう。 君が誰かを傷つけたいと思うそのエネルギーを、アジを叩く力に変えてみないか。 そうすれば、君の手元には「憎しみ」ではなく「美味しい練り物」が残るはずだ。
私はおでんの汁を最後の一滴まで飲み干した。 身体が芯から温まり、細胞の一つ一つが「平和」の信号を発している。 宇宙の真理は、図書館の難解な書物の中にあるのではない。 台所のまな板の上、叩かれたアジと刻まれたたくわんが混ざり合う、その境界線にこそ宿っているのだ。
窓の外では、夜の街が静かに息づいている。 明日、私は出社し、同僚たちにたくわんを配ることから始めようと思う。 小さな一歩かもしれないが、それは地球を巨大なおでん鍋という理想郷へ導く、確かな第一歩になるはずだ。
例えばはてなーの党派性では不倶戴天の敵となってる例の暇の者の記事を
定期的にあげては自演トラバで上げてる様なはてなー(通称・アノン増田)とかさ
暇空が勝ったーとか、住民訴訟で黒塗りを開示させたー、みたいな時には
死んだ様にスン…となる癖に、本当に誰?と言いたくなる何か良く分からんしょうもない奴とのしょうもない裁判で負けたからと
怪文書を嬉々として撒き散らしては、同類のキチガイとキャホキャホしてるとか、
そういうのにちょっとでも反応すると、狂ってるとしか言い様が無い異常なトラバがつくから、マジで気色悪くて関わりたく無い、
一般的なアンチ反応や批判すらもしたくなくなる(多分それが狙いなんだろうけど、5chやまとめサイトのコメント欄等を乗っ取る手口)
こんな場末の隔離場まで来て政治工作ごっこ、あるいは対立煽り荒らしやってるとか心底から気色悪く思える
そして多分このエントリにも異常者としか言い様が無い気色悪いトラバがつくだろうね
分かりやすくやらないと分からないし分かろうともしない、ちょっとでも自分達と違うと即敵とみなして
汚言症丸出しの狂った罵声を吐く、それがはてなーの平均になりつつある
自分が死ぬほど嫌いなヨッピーや津田に対して同じ事やってても、賛同出来ないし気色悪いって思うよ
どこかの誰かが考えたか、最近はAIで作った様な文章を垂れ流してはしゃぐその姿は、党派性という反射的行動で動いている様な虫みたいに思えてならない
かのColabo代理人弁護士はアンチ集団を「脳みその無い家畜」と断言していたが、彼と極めて強いつながりがあるしばき隊、及びそのシンパ(元増田の様な)こそ、
党派性人間の群れである事を考えると、実は高度な自虐であったのでは無いかとも思える
自分がこいつらを心底気持ち悪いなって思うのは、一体何をしたいのかがまるで分からない事も理由の一つ
少なくとも「味方や賛同者を増やす」方向には向いていないのは確か
少数の味方を増やしても、多数の虫を見る様な目で見るしか無い様な嫌悪者を増やしているだけなのだから
別にアンチ暇に限った話じゃない、寧ろバリエーションの一つに過ぎない
党派性で狂ってる異常者がキチガイみたいに汚言を吐き散らかしている様子を見ると
率直に「(こいつらと)一緒にされたくないわ……黙っとこ」となってしまう
例えばちだいとか菅野とかヨッピーみたいな奴を見て、「こいつと一緒、こいつの意見に賛同している」と思われたいのか?って話
ともすれば、ひょっとしてこの虫みたいな気色悪い連中が発狂して叩いてるって事は、あまり間違った事は言ってないのでは?とか
自分の判断、評価が間違っているのでは無いか?と錯覚してしまう事すらある
参政党なんか、あんな反ワクネトウヨカルトなど全員落選しろとまで思っていたが、共産党系の虫が発狂してるのを見てると
少なくとも彼らが信仰する宗教(立憲共産党)よりはマシだから、こいつらに取って代わってくれねーかなー…とまで思ってしまった、本当に辛い
朝の通勤時に、明らかに知的か精神に問題のありそうな、坊主で小太りのオッサンが大声で独り言ぶつぶつ言ってる場面に出くわす事があるでしょ?
はてな、あるいは増田という電車の中で遭遇する「絶対にこっちに寄って来ないで欲しい」類の存在、まるで害虫だ
はてなという隔離場ですらそう思ってしまうのだから、本当に救い様が無い
ブクマカなんてのはまさにその集大成で、本当にこいつらまとめて、DiscordなりThreadsなり、クローズドなSNSに閉じこもって欲しい
子供の頃は本当にそうだった。
小学校卒業時の偏差値は同学年の100人の中で断トツだったと思う。
田舎だったから中受したのが3人しかいなかったというオチなんだけど、まあ、事実として俺が一番偏差値は良かった。
正直、あまり良くないと思う。
だから親は俺にせめて学歴を与えた上で内申点から遠ざけたんだと思うます。
それから30年経過、大学受験も就活もボロカスに失敗してなお俺の自認は「やれば出来るINTガン上げタイプ」だった。
勉強はできない。
運動はできない。
友達はできない。
恋人はできない。
仲間はできない。
貯金はできない。
泣きそうなほどの現実の中で「でも俺は地頭がいいからそのうち小説とかで賞を取って見返してやるから」みたいに思いながら生きてきた。
外見を除けば中身は「みいちゃん」が近いんだろうね。
でも俺は篠澤広と出会って変わった。
彼女と過ごすうちに俺は自分の自認が余りにもこういった存在とかけ離れていることを知った。
俺は中受で偏差値63あっただけで飛び級もしてないし大学の偏差値も低い。
そうか、俺は篠澤しゃない、黒沢なんだ。
そう気づいたとき、俺の中で30 年分の、いや、40年分の矛盾が解消された。
俺は薄幸の敗北を知りたいではなく、発酵した敗北者で死に体なんだ。
黒沢には数多くの彼を見下げ果てる敵がいるが、見上げる弟子や同じ目線の友がいる。
俺には誰がいる?
辞任篠澤の俺には40年の空白しかない。
誰もいない。
俺には誰もいない。
まるで花京院だ。
薬局でジェネリックを勧められてもあまり乗り気しない。発酵法で製造されたアルコール溶液の効きがブランドで全然違うので。みんな原料製法はほとんど同じでアルコール度数はかなり厳格に同じ、だけど微量不純物なのかなんなのかで全然効き目が違う。
ぬかどこは、適切に手入れをすれば何年も使えるものですが、人によっては「育てずに捨てろ」という考え方もあります。これは、ぬかどこを管理する手間や衛生面での懸念からくるものです。
ぬかどこの管理には、毎日かき混ぜたり、塩分や水分を調整したりと、ある程度の手間と知識が必要です。忙しい人にとっては負担になることがあります。
ぬかどこの発酵は微生物の働きによるものですが、管理を怠ると雑菌が繁殖し、カビが生えたり臭いが悪くなったりすることがあります。特に初心者には、衛生状態を保つのが難しいと感じる場合があります。
ぬかどこの味は使ううちに変化するため、常に新鮮な味を楽しみたい人や、様々な種類のぬかどこを試してみたい人は、定期的に新しいものに買い替えるという選択をすることもあります。
ぬかどこを育てるか捨てるかは、個人のライフスタイルや好みによります。
無理せず、市販の使い捨てタイプや、少量パックのぬかどこを利用するのも良い方法です。
結論として、「ぬかどこは育てずに捨てろ」というのは極端な意見ですが、ぬかどこ管理の手間や懸念を考慮した一つの選択肢として理解できます。ご自身の状況に合わせて判断するのが一番です。
夜どこに出かけているかを言わない芳一に和尚がこっそりついていくと墓の前でビワを弾いている芳一の姿があった。
どうやら悪霊に取り憑かれてしまった芳一が再び悪霊に連れ去られることのないように、明くる日和尚は芳一の全身に御経を書くことにした。
ところが耳の部分だけはどうにも御経が書きづらく、このままでは耳だけ持っていかれてしまうかもしれないと和尚は不安になった。
「そうだ、お昼に食べたあれがまだ残っていたはずだ。」
和尚はそういうとタンドゥールに薪をくべ、発酵させた生地を平らに伸ばして窯の内側に貼り付けた。
「よし。これなら大きくて書きやすい。」
焼き上がったナンで芳一の両耳を挟み込むと、まだ温かそうに湯気を立てているナンに和尚はすらすらと筆を走らせた。
\ミミナンホウイチ/