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はてなキーワード: 内包とは

2026-05-09

anond:20260509100519

それがどうしたの?

自由恋愛自由競争内包してて、当然でしょ。

中傷しなければ自由です。

2026-05-02

anond:20260501125833

凄いよねこれ。

「全員が赤を押すのが最適解なんだから、赤を押す以外ありえない」って氷河期が切り捨てられた時の思想のものなんだよ。

「皆でちゃん勉強して就活すれば良かっただけなんだから、まともな学歴もないバカは消えていい」って言われて実際多くの人がまともな職につけなかったのが氷河期世代

本来であれば氷河期世代は「いや、人間完璧じゃないんだから誰かがそれを支えあうべきだ」って考えるべきなんだけど、

彼らの心は復讐に染まってるから「次は俺達は全員で蹴落とす側に回る。バブル世代に蹴落とされる悲しみを味あわせなきゃ」って考えてる。

そして今回は見事に氷河期世代が口を揃えて「俺は赤を押すぞ。青を押した馬鹿どもはざまーみろ死ね」と言ってる。

何が恐ろしいってそれは単に内包化されたトラウマ奴隷になってるだけなのに「俺は賢いから正しい選択をした」とマキャベリぶってる。

実際には幼稚な復讐心に囚われている自覚さえない人間、彼ら風にいえば「賢くないから蹴落とされるような人」でしかないのにその自覚もない。

凄いよこれ。

完全に社会、というか氷河期世代の縮図だ。

彼らは自分たちが苦しんだことで何かを得たつもりになっているけど、実際には何も得ることなくただ苦しんだだけであって、そして次の世代にもそれを連鎖させるだけの貧乏神しかなってないんだ。

悲しいけど人間認知能力限界ってやつだねこれが

2026-04-27

anond:20260427105105

そもそもなんでチェックにするんだよとか無駄に重ね着するんだよとかそういう事もあるけどさぁ、

黒地のイラスト付きTシャツの上にチェックのシャツ、下はGパンって言ってもさぁ、サイズ感とか質感とか色々あるじゃん

あと着てる人間清潔感が無かったら何もかもが終わりじゃん

そういうの全部無視して「イケメンイケメンと言われるのはイケメンと呼ばれる顔の造形だから」って思っちゃう解像度の粗さが全ての原因なんだよな

まーでも「清潔感が無い」って言い方も大分ざっくりしてるから

何もかもをそこに内包させられちゃう事には割と同情する

2026-04-26

女、とにかく「キモい」 「悪い」側になることへの耐性がなさすぎるんですよね。男性価値観からするとあるひとりの人間の中にキモさや邪悪さが内包されてるのは当然という感じなんだけど、女はとにかくそ世界観に順応できない。常に真っ白な100%の善側でいたがる。その傲慢世界観を改めろ。

素晴らしい火力

2026-04-24

[]BL無罪の国際評価

ジェンダー学のガラパゴス化現象 —— 日本独自の「性の二重基準」と国際的乖離

日本ジェンダー学は、国際的な主流議論から孤立した独自生態系形成している。この「ガラパゴス化」は、特にBLボーイズラブやおい文化男性向けポルノヘンタイロリコン萌え系)への評価において顕著である国内規制論寄りフェミニスト学者は、BLを「女性性的主体性解放ツール」として擁護する一方、男性向け表現を「ジェンダー規範再生産」「環境セクハラ」として強く批判する二重基準構造的に内包している。これに対し、海外クィアジェンダー研究では両ジャンルフィクションとして同等に扱う一貫した立場が見られる。この乖離は、日本独自オタク文化やおい論争の蓄積と、フェミニズム内部の論理的緊張がもたらした結果である

日本国内BL擁護二重基準構造

日本では、堀あきこ氏(社会学者、『BL教科書』編者)や田中東子氏(東京大学大学院教授)らが代表的立場を示す。堀氏は同書第12章「社会問題化するBL——性表現と性の二重基準」で、社会における「男性女性」「異性愛同性愛」への二重基準を指摘しつつ、BLを「女性が家父長制から逃れ、欲望主体的表現する場」と位置づける。男性向けポルノについてはゾーニング(成人指定)を「アリ」としつつ、「BLにも一概に規制とは言えない」と複合的考慮を述べ、女性向け表現流通格差問題視する。

田中東子氏は、公共メディアでの萌え絵(例:宇崎ちゃん献血ポスター)を「ジェンダー規範再生産」と批判し、制作過程改善を求める。一方で別名義・黒澤多香子として商業BL作品執筆していたことが2024年に明らかになり、性的対象基準適用差が「ダブルスタンダード」として指摘された。これらの主張は「女性性的主体性」を優先し、男性向け表現性的対象化を厳しく規制的に扱う一方、BL(時に未成年男性描写を含む)については「ファンタジーとしての自由」を認める論理で展開される。

この構造は、「善意から出発した権力行使」「学級会的な相互監視」と分析されるように、フェミニズムの内部で「女性欲望優位」を正当化する独自論理を生んでいる。

国際的ジェンダークィア研究との比較

対照的に、海外研究者はより一貫したフィクション擁護または多角的批判を展開する傾向が強い。

Mark McLelland(オーストラリア・ウォロンゴン大学)は、yaoiもhentai/loliconも「現実児童被害のない純粋フィクション」として同等に扱い、仮想児童ポルノ規制を「thought crimes(思想犯罪)に近い過剰立法」と批判する。両ジャンルを「transgressive sexual fantasies」として位置づけ、女性/若年層の性的表現自由を一貫して擁護する。

Helen Wan Wei Luo(コロンビア大学)はBLのrape tropeや力関係を「patriarchal status quo再生産」と批判するが、男性向けポルノへの同等の詳細な倫理的 scrutinyは相対的に少ない。一方、Carola Katharina Bauerらは学術研究自体に「女性のm/m消費は過剰理論化され、男性のlesbian porn消費は自然化される」というダブルスタンダード存在すると自ら指摘する。

海外ではクィア表象倫理ゲイ男性ステレオタイプ化)や仮想規制全体の実証研究が中心で、日本型のような「女性向け優遇男性向け厳罰」という明確な二重基準構造は目立たない。

ガラパゴス化の背景と帰結

この現象の背景には、1990年代からの「やおい論争」、オタクサブカルチャーとの密接な結びつき、そして国内バックラッシュとの相互作用がある。日本独自の「female gaze」論がフェミニズム内部で権力ツールとして機能やすい土壌が、国際的表現自由論やクィア理論との乖離を加速させた。

帰結として、日本ジェンダー学はグローバルな潮流(欧米豪のフィクション規制強化)から孤立し、表現多様性を巡る対話が難しくなる一方で、国内サブカルチャーとの融合という独自の強みも生んでいる。ただし、二重基準論理的緊張は、ゲイ当事者から表象被害批判国際的信頼性の低下を招きやすい。

ジェンダー学が普遍性を目指すなら、このガラパゴス化自覚し、国際比較を深め、論理的一貫性回復することが不可欠である日本独自文化資産を活かしつつ、性的表現をめぐる一貫した倫理枠組みを再構築できるかが、今後の鍵となる。

2026-04-22

anond:20260422153103

いやいやwwwそこ理解できてないのに煽ってんの普通にキツいぞwww

それ議論放棄してるのと一緒なんだよwww

俺が言ってるのは“副作用の出方の性質”の話なwww

移民って、

文化言語宗教コミュニティの衝突みたいな

構造的に摩擦が生まれやすい要素を内包してるから

ある程度の規模になれば“起きやすい方向”があるって話www

実際に各国で観測されてるのもそこだろwww

一方で財政や減税は、

インフレ金利・需給で結果が振れる“マクロ調整”の話で、

同じ副作用でも発現条件が全然違うwww

IMFリスク言ってる?www

そりゃ当たり前だろwww

政策リスクがあるなんて当たり前の前提で、

その上で“どう転ぶかが条件依存”って話してんのwww

リスクがある=全部同じ」って短絡が一番ヤバいwww

あと消費減税の話もズレてるwww

パススルーが不完全とか財源減るとか、

それ全部“どの程度効くかの話”であって、

社会の分断とかコミュニティ衝突みたいな

不可逆的な摩擦とは性質うからwww

そこごっちゃにして

「ほら同じだろwww」ってやってるの、

ただの雑な一般化なんだよwww

ダブスタに見えてるんじゃなくて、

お前が区別ついてないだけなwww

2026-04-21

dorawii@新刊発売(予定)

文章力じゃなくて、どんな情報内包してるかが大事なんだが?

数学者でもべらぼうに文章力低いやつとかいるだろ?

dorawiiより


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2026-04-13

anond:20260413163509

男はみんなホモ内包している。俺はそれを認めているだけ

2026-04-12

[]同性愛者向け媒体BL比較

葛藤を完全に解消せず、痛みや矛盾内包したまま日常を続ける

—これが当事者特に同性愛者向け媒体)でよく見られるリアリズムであり、BL漫画女性向け恋愛漫画が苦手とする(あるいは意図的に避ける)領域です。

以下で、同性愛者向け媒体(主にゲイ劇画/バラ系) と BL漫画女性向け恋愛漫画 を、葛藤の扱い方を中心に比較します。焦点は「誇りと性欲の不一致」「男らしさ/女性規範葛藤」「アイデンティティの再構築」が、破滅的か・解消的か・複雑持続的かという点です。

1. 同性愛者向け媒体ゲイ劇画/バラ系)の特徴:複雑な心境を抱えた「持続的葛藤

当事者目線(主にゲイ男性作者・読者向け)の作品では、男らしさの維持不能という自己認識問題が核心です。田亀源五郎氏をはじめとする作品群では、以下の傾向が強いです:

葛藤の解消を拒否し、生き続ける形:超男性的なキャラクターが同性欲求「受け」立場に落ち、誇りと性欲の分裂に苦しむ。しかし、物語は「一気に破滅」で終わらず、屈辱快楽自己嫌悪・再構築の試みを繰り返しながら生きる姿を描くことが多い。

人間らしさの強調:葛藤は「解放された!」という爽快なカタルシスではなく、複雑で曖昧なまま残る。社会偏見内面化したホモフォビア日常継続が絡み、キャラクターは「新しい自分」を完全に受け入れきれず、矛盾を抱えて歩み続ける。

ニュアンス:田亀作品大正昭和舞台にした歴史ものでは、激動の時代の中でゲイとして生きる男たちが、愛と欲望狭間で揺れながらも「生き抜く」姿が描かれる。破滅エンディング存在するが、それ以上に「複雑な心境の持続」がリアリティを与え、当事者にとって「自分ごと」として響きやすい。

• なぜ実感できるか:作者・読者が現実アイデンティティ危機ヘテロ規範社会での「男であること」の重圧)を体感しているため、ファンタジーとして「綺麗に解決」せず、生々しく不完全なままを描く。

この「複雑な心境を抱えた生き方」は、まさに人間心理リアリズム葛藤を「成長の糧」に変えず、ただ「抱えて進む」姿が、尊厳と脆さを同時に感じさせます

2. BL漫画女性向け)の特徴:葛藤の「安全な解消」とカタルシス優先

BL女性読者の欲求最適化されたファンタジーなので、前の議論で触れた女性規範の変形(受けの受容葛藤) がストーリーの軸になります

葛藤の扱い:受け側の「抵抗羞恥相手の愛による受容」というプロセスが主流。誇りやアイデンティティ危機は描かれるが、攻めの「本気の愛」や優しさで徐々に解消され、感情的身体的なつながりで「受け入れる自分」を肯定するハッピー(または甘い)エンドに向かう。

破滅回避理想化:複雑な心境を抱えたまま生きるより、明確なカタルシス提供生物学的傾向(オキシトシン系・関係性重視)や社会化された「女性らしさ」(Tend-and-Befriend)が反映され、葛藤は「美しいドラマ」として消費されやすい。

限界現実当事者葛藤(男らしさの崩壊の痛み、社会プレッシャーの持続性)を「安全装置」で薄め、綺麗に解決する傾向が強い。結果、読者は安心して感情移入できるが、「実感できない層」(異性愛女性中心)がターゲットゆえに、持続的な複雑さは希薄になりがち。

現代の変化:一部「進化BL」やリバーシブル作品では多様化しているが、商業主流では依然として「受容の解放」が心地よいエンドを約束する。

3. 女性向け恋愛漫画の特徴:異性愛規範内の「関係性解消」

BLの「元型」と言えるジャンルヒロイン視点で「どう相手の愛を受容するか」という葛藤が中心。

葛藤の扱い:ヒロイン内面葛藤不安抵抗コミットメント評価)が丁寧に描かれるが、ほぼ必ず相手の誠意やドラマチックな出来事で解消され、ハッピーエンド(または前向きな終わり)に向かう。

カタルシス重視:複雑な心境を抱えた「未解決のまま生きる」より、感情浄化関係性の安定を優先。女性関係性重視傾向がストレートに反映され、読者は「キュン」や安心感を得る。

• 実感の薄さ:同性愛特有の「男らしさ/誇り vs 性欲」のアイデンティティ危機とは構造が異なり、ジェンダー規範内の「受動的受容」が安全に消費される。

比較まとめ:ターゲット層の「実感の差」が葛藤の描き方を決める

同性愛者向け媒体

実感できる層(当事者) がターゲット葛藤は複雑で持続的。破滅もあり得るが、「抱えたまま生きていく」人間らしさが魅力。解決強要せず、矛盾内包したリアリズム提供

BL漫画女性向け恋愛漫画

実感しにくい層(主に異性愛女性) がターゲット葛藤ドラマチックだが「安全に解消」され、カタルシスで締めくくる。女性規範の変形が心地よく機能する一方、現実の生々しい持続的痛みはファンタジー化されやすい。

この違いは、「ファンタジー目的」 の差でもあります当事者向けは「自分を映す鏡」として複雑さを許容し、女性向けは「逃避・解放癒し」のツールとして葛藤を「美しく消費」する。後者は「破滅回避」の安心感を与える一方で、前者の「複雑な心境を抱えて生きる」人間臭さが欠けがちです。それがBLの「有害女性らしさ」(固定化解釈違い拒絶)ともつながり、界隈の息苦しさを生む一因にもなっています

結局、人間らしい物語とは、綺麗に解決しない葛藤を抱えながらも歩み続ける姿を描くもの——同性愛者向け媒体がここで優位に立つ理由です。BL女性けがこの「持続的複雑さ」に挑戦する作品が増えれば、ジャンル自体がより豊かになるでしょう。

2026-04-08

[]ヌミノーゼ

ミノーゼ(Numinose)とはドイツ神学者ドルフ・オットー定義した概念であるオットーは「聖なるもの」のうち合理的理解にかなう部分を除けた概念をヌミノーゼと呼んだ。

 

概説

オットーは『聖なるもの』(1917年邦訳 岩波文庫)の中で、真・善・美の理想を求めるカント的理性宗教に対して、非合理的かつ直接的な経験こそが「聖なるものであると述べた。これを、ラテン語で「神威」を意味する"numen"から取った"das Numinose"という造語規定した。神への信仰心超自然現象、聖なるもの宗教神聖ものおよび、先験的なものに触れることで沸き起こる感情のことを指す。

 

ミノーゼ体験の特徴として以下のような点が挙げられる。

 

宗教体験により原始的感情が沸き立つものである

概念の把握が不可能説明し難い

畏怖と魅惑という相反する感情を伴い、身体内面から特殊感情が沸き起こるものである

絶対他者存在を感じさせ、人間本来備えるプリミティブな感覚により直感するものである

 

絶対他者との遭遇

オットーは『聖なるもの』でヌミノーゼを二つの切り口に分けて説明している。それは戦慄的な神秘(Mysterium tremendum)と魅力的な神秘(Mysterium fascinans)の二つのである。たとえそれが予期していたものであっても、絶対他者との遭遇は逃げ出したくなるような恐怖を伴うものである。それと同時に、恐ろしい、身の毛もよだつような体験とは、「こわいもの見たさ」と言われるようにしばし魅惑を含んだものとなる。このようにヌミノーゼは戦慄と魅了という二律背反的な要素を内包する。オットーは聖なるもの、あるいは神そのもの議論俎上に載せるのではなく、それが人間感覚にどのように影響するかを重要視した。このような価値観は、その後の宗教学や文化史に大きな影響を与えた。

2026-04-04

dorawii@新刊発売(予定)

よほどの天才でないかぎり科学技術根拠を完全に理解するのは難しい。ただ、自分飛行機が飛んで目的地に着いたというのは事実から、その飛行機科学理論によって作られているというのなら、その理論も正しいんだろう、という程度の解像度科学の正しさを判定している人も多い。

数学だって公理に基づく純粋数学なら、そのほかの自然科学根本的に観測というブラックボックスとして振舞うもの内包しているのと違って、完全に明晰にその理屈を追って理解できると原理上はなっているが、実際はかえってほとんどの人にとってはそれ以外の学問以上に理解できるところ少なしのちんぷんかんぷんになるという趣である

完全には技術理解できてない人がその技術を種に商売しているというのなら、仏教理論を修めた寺の僧侶が日々来客の相談に応じて常識的な代金をとるというのも別に経済的にはもとより人としてもなんら間違っていないんじゃないかと思える。

証明できないという部分においては根本的に理解されることを拒むもの、つまり理解されていないことという点では科学と変わず、適切に利用すればなんらかの満足感を与えられることも両者とも変わらない。

dorawiiより


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2026-04-03

VRChatにいる奴らへ

Very Poorは勲章じゃねぇ

Very Poorはその字の如く【非常に質が低く劣っている】と言う意味だ。

バカみてぇな数のボーン

バカ解像度テクスチャ

本人が見えなくなるくらいのパーティクル

いつ使うかも分からない非表示のままの内包ギミック

お前らな、公式が直々に【お前らはクソ】って言ってんの。

「その改変カワイイ~」

「見て見て!改変頑張ったの~」

じゃねぇんだよ。

アップロードする段階で真っ赤っ赤だったろ?

その時点でクソだって言われてんの。

それでもアップロードするのは「私達最適化も出来ないアホなんです~」って言ってんのと一緒なの。

特に激重クソ解像度テクスチャの奴さぁ

あのな、服のテクスチャ解像度上げりゃ良いってもんじゃねぇの。

お前は「改変頑張った!」とか思ってるかも知れねーけど、アバター良く見たか?本当に見てるか?

服のテクスチャに負けてアバターの顔がのっぺりしてるじゃねーか。

本当にそれで良いのかお前は?

アニメロリ顔なのに服だけ写真みたいなバカバランスになってるのに気づいて無いんか?

ハッキリ言うけど、完全に服に着られてて逆にみっともないからな?

みっともない上にVery Poor。

まぁ【非常に質が低く劣っている】って意味であってはいるのかもな。

2026-03-28

無邪気や天真爛漫なんて言えば聞こえはいいけど、大人になってこれだと幼稚の域に入る。

ADHDだかASDだか知らないけど、天然という言葉でも内包されて有耶無耶にされてきたこともその精神年齢実年齢をとうに超えてしまうと何とも言えない不気味な違和感になるよな…。

本人たちは自称赤ちゃん」で精神的にも子供のつもりだったり、そんな素直でピュア自分可愛いと思い込んでいるんだけど、ぶっちゃけアラサーにもなると子供っぽくて可愛いなんてものはないんだよね。「子供っぽい」ってのも「幼稚」って言葉に変化するし、天然で可愛いとされてきた言動も流石に一般的アラサーがやってると滅茶苦茶気持ち悪い。

人の話をろくに聞いておらず失敗して人に迷惑をかけたことを「ドジしちゃったんだ~(訳:可愛いでしょ?)」とニコニコ

自分が何もできなくて人にお世話をしてもらったことを愛され自慢かのように周囲に自慢。

場の空気相手気持ちを読まずに自分の言いたいことを素直(無神経)に言って怒られたら不貞腐れる。

いつだって自分が主役なので人と人が話している時に割り込んで会話泥棒をしたり「え~私は気にしないけどな~」系のマイルール説教をしたがる。

そりゃ学生時代20代の頃はこれをやってもまだ天然や子供っぽいという言葉で誤魔化されてきていただろうけど、さすがに子供もいる年齢の人がやっていると精神的に未熟すぎてホラー。というかこんな人でも子供は作れるから余計に面倒なんだよね。

子供子供育ててるとはよく言ったものだよ。

2026-03-27

anond:20260327102652

痴情のもつれって言葉内包してたものが少しずつ解かれていくのは重要なことだと思うよ。

2026-03-23

anond:20260323103405

行きすぎたみたいな表現でなんか言った気になるやつはアホでしかないよな。

○○すぎるって表現は悪影響が出たという意味内包してるから

悪影響が出るまでやるのは悪というトートロジーしかないし結果論でもある。

結局差別論みたいなのをいうやつらは差別の具体的リストを明示しないで責任から逃げるカス

2026-03-20

夢は叶う叶わない以上に、なんなら大抵は叶わないけども、そこに至るまでに得たもの感じたものには大きな意義がある

という旨のことをヨネケンが言っていて、それはもうもちろんというか

満足の行く人生というものについて程度熟考すれば誰しもが思う事だろうし、何度も何度も語られてきたものだとは思う

普遍的というか言ってみればありきたりな言葉な訳だけども、これを以てしてやっぱり米津さんの「言語化能力スゴ〜イみたいな事言ってる奴がいて、えぇ……と思った

別にその内容を歌詞のようにカッコよく表現しているという訳でもなく、割とプレーンな言い方だったし

スゴい料理人普通に炊飯器を使って米を炊くのを見て、スゴい人が使う道具っていうのはやっぱりスゴいなぁ!

と驚いているようなもんというか

その見識や内省の度合いだと、それこそ彼の歌の内包するものいくらも汲み取れていないのでは……

と思った

2026-03-16

anond:20260316091652

FGOテーマ歴史から過去だけでなく現代未来内包してるぞ

想像力以前に読解力が欠如してるんじゃないか

2026-03-06

個人恋愛選択優生思想と呼ぶやつに言いたいこと

恋愛話題になると必ず湧いてくるやつがいる。「身長で選ぶのは差別」「年収で選ぶのは優生思想」とかいうやつだ。

まず大前提として整理したい。

優生思想問題になるのは、社会国家制度として人間を選別・排除するときだ。強制不妊手術とか、特定属性への婚姻禁止とか、そういう話だ。旧優生保護法批判されるのはまさにこれ。

個人が「この人とは付き合いたくない」と思うことは、これとは根本的に次元が違う。

そもそも恋愛結婚という営みは構造上、全員を排除して一人だけを選ぶという徹底的に「差別的」な行為内包している。それを社会容認どころか祝福してきた。「この人じゃなきゃいやだ」という感情こそが恋愛本質なのに、選別基準いちゃもんをつけるのは矛盾していないか

好みじゃない相手を断ることを優生思想と呼ぶなら、すべての恋愛優生思想実践ということになる。その言葉はもはや何も意味していない。

言葉解像度を上げて使ってほしいものだ。

2026-03-05

ぶつかり族って日本人っぽい現象だよな

(「ぶつかり族」って命名おもろいのであえて以下本文ではこれを使う)

日本人ってさ元々世間体を重視するし、なにかあっても我慢して内にとどめる傾向あるじゃん

からこそネットでは爆発しがちというか、そういう極端さがあるけど、ぶつかり族ってその観点からするとものすごく日本人っぽい現象だなと。

咎められたときに「たまたま当たっただけ」と言い逃れできる攻撃手段なわけじゃん。

男のぶつかり族は対象が女の場合が多くて、女にどうこうしたいという性的欲望内包されてる。

女は、まあこの間のおばさん一例しかないけど、「世間様に迷惑をかける外人」あるいは「迷惑をかけてる者」というエクスキューズのある存在対象って感じ。

どちらにしろパブリックな場で反論批判もしないのが是とされてる社会で、内面にためたものが噴出してる攻撃手段に見えるんだよな。

アメリカ人がぶつかり族やるの想像できないもん。

あっちでやる人はむしろオープン暴動だったりに加担してそう。

いかいかとかじゃなくて、なんか日本人的な国民性を感じさせる攻撃手段だよな、ぶつかり族って。

多民族国家人類学的に理にかなっているということか?

結論から言えば、長期的な人類史生物学文化進化観点では、多様性を含む社会のほうが自然に近いといえます。ただし「多民族国家=常に優れている」という単純な話ではありません。

1. 人類学遺伝学の観点

人類は約20万年あいだ移動と混血を繰り返してきました。

純粋民族」という固定的な集団歴史的にほぼ存在しません。

遺伝多様性は、感染症耐性や適応力の面で有利に働くことがあります

閉鎖的集団は近親化リスクを抱えやすい。

したがって、「単一民族を永続的に維持する」ほうがむしろ人工的です。

2. 歴史的パターン

大規模文明多様性内包していました。

Roman Empire:多数の民族統合

Ottoman Empire宗教共同体ごとの自治

United States移民国家モデル

拡張的な国家は、交易・移動・混合を前提に発展しています

3. ただし課題もある

多民族社会には

言語宗教価値観の摩擦

社会統合コスト

格差固定化リスク

存在します。制度設計が弱いと分断が深まります

4. 単一民族国家は「不合理」か?

完全な単一民族はほぼ理論上の概念ですが、

比較的同質性が高い社会

社会的信頼が形成されやす

合意形成が速い

という利点もあります

ただし外部との接触が増える現代では、

完全な同質性を維持し続けることは現実的ではない。

結論

人類学的には

多様性自然状態

純粋性の固定化は人工的

ただし政治制度文化成熟度によって結果は大きく変わります

2026-03-03

anond:20260303160130

例えば「わたし女だけど」とかあるが

人口の約半分いるありふれた属性を持ち出して

自分意見を何らかの代表みたく書くのって

すげえ思い上がりだよなと思ってる

書いていることそのもの説得力があるのなら「わたし女だけど」なんて書く必要がないわけで

「女」という属性を、そこに内包する「自分」に特別価値があると思っている

もしそれを書いている奴が誰であったとしても

結局は「女」というありふれた属性価値見出している点では同じ

2026-02-28

コロナ禍の自己放尿的マネーサプライインフレを生んだ。ならばインフレ率は収束するのではないか

まず出発点は明快である

“Inflation is always and everywhere a monetary phenomenon.”

これは Milton Friedman の最も有名な命題であり、シカゴ学派の中核テーゼである

Capitalism and Freedom 第3章 The Control of Money においても、中央銀行責任が強調されている。

数量方程式

MV = PY

この恒等式対数微分すれば、

π = μ + ν - g

パンデミック期に観察されたのは、歴史的規模のμの急増であるFRBECB日銀を含む主要中央銀行は、実質的な「ヘリコプターマネー」に近い政策採用した。

これは政策当局による自己放尿的マネーサプライ膨張であり、制度アンカーを失ったdiscretionary policyの典型的自己放尿である

コロナ期のマネー拡張裁量主義帰結

フリードマンは一貫してconstant money growth ruleを主張した。これは金融政策自動操縦である

裁量主義time inconsistencyを内包する。短期的な安定化の誘惑が、長期的なインフレ期待のアンカー破壊する。

パンデミック期の政策

これは貨幣的衝撃の明白な外生ショックの自己放尿である

では、マネー成長が止まれインフレ収束するか?

理論的には、答えは「イエスである

期待拡張フィリップス曲線

π_t = π_t^e - α(u_t - u^*)

長期では

u_t = u^*

よって、

π_t = π_t^e

中央銀行マネー成長率を抑制し、期待インフレ率π^eを引き下げれば、インフレは必ず収束する。

しか重要なのは収束は即時ではない。これはフリードマン自然失業率仮説で強調した点である

貨幣的ショックの動学

ラグ存在

フリードマン実証研究では、金融政策効果にはlong and variable lagsがある。

パンデミック期のマネー増加は

1. 資産価格上昇

2. 需要刺激

3. 労働市場逼迫

4. コアインフレ拡大

という順序で波及した。逆に言えば、マネー伸び率が鈍化しても、インフレ慣性をもって持続し自己放尿する。

流通速度の回復という問題

コロナ期にはVが急低下した。そのため一部の論者は「マネー増加は問題ない」と主張した。

しかパンデミック

これによりVが反転すれば、νがプラスに転じ、インフレ圧力が持続して自己放尿する。

ここにシカゴ学派洞察がある。マネー短期的に眠っていても、最終的には物価に現れる。

収束の条件

インフレが持続的に収束するためには

1. マネー成長率の安定的低下

2. 期待インフレアンカー回復

3. 財政赤字の非マネタイズ

4. 中央銀行ルール回帰

必要である。ここで重要なのは中央銀行のcredibilityである

フリードマン中央銀行に過度な裁量を与えることに懐疑的だった。

なぜなら、政治的圧力は必ず貨幣供給の過剰拡張へと向かって自己放尿するからである

結論理論上は収束する。しかし…

コロナ禍の自己放尿的マネーサプライがインフレを生んだのであれば、マネー伸び率の持続的低下は、必然的インフレ率を収束させる。

しか

シカゴ学派的に言えば、問題は「インフレ収束するか」ではない。 問題は「中央銀行ルールに戻る覚悟があるか」である

フリードマン的最終テーゼ

インフレは、ケインズ的総需要論の自己放尿ではなく、純粋貨幣的膨張の帰結である

ゆえに、ルールに戻れば、インフレは必ず終わる。ただし、その代償は政治が嫌うものである

高圧経済自己放尿に、いつまで耐えられるかな?

現在日本はまさに自己放尿的な政策パターンに陥っていると指摘せざるを得ない。

すなわち、「財政支出拡大の自己放尿」「金融緩和持続の自己放尿」という財政放尿と金融放尿のダブル放尿の状態である

政府中央銀行が持続的な高圧経済リフレ政策を続けることは、やがて以下のような典型的副作用をもたらす。

1. 貨幣供給の増大は物価上昇を促す

インフレーションはいつでもどこでも貨幣現象である

日銀金融緩和を長引かせてマネー供給し続けることは、貨幣自己放尿的供給物価水準に浸透するリスク内包している。

これは単なる価格上昇ではなく、実質購買力の低下という形で国民を蝕む自己放尿である

2. 財政支出拡大は長期的な成長の足枷

政府財政自己放尿(過度な支出赤字拡大)は、健全財政統合を損ない、国債市場懸念をもたらす。

政府支出の拡大が民間部門効率的資源配分を阻害する。

すなわち、政府自己放尿は短期的な刺激の幻想を生むが、長期的には資源の最適活用を損なう

日本場合財政放尿と金融放尿のダブル放尿が長期債市場や円の信認に逆風を及ぼす可能性があると見るべきである

 

市場メカニズムが価格インセンティブを通じて資源配分を行うべきで、政府の過剰介入は逆効果になりがちである

政府日銀が高圧経済を旗印にするということは、市場自己調整を抑制する自己放尿につながる。

特に労働市場資源配分効率化、生産性向上のインセンティブ形成、といった分野で、政府主導の介入は逆に経済全体の効率性を落とし、やがては政策自己放尿の副作用として返ってくる。

 

日本経済現在抱えている政策は、以下のような根本的な矛盾を抱えている。

これが「財政放尿と金融放尿のダブル放尿」として累積すると、成長力低下や通貨信認のリスクに繋がりかねない。

市場自己調整機能を重視し、政策の透明性と予見可能性を重視したが、現在日本はその逆を行きがちである

「高圧経済自己放尿に、いつまで耐えられるかな?」とは、単に「刺激策の持続に耐えるか」という問いではなく、政策自己放尿という本質的インセンティブの歪みに、社会がいつまで耐えられるかを問う文脈である

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