はてなキーワード: 作曲家とは
70年代まではアニメの曲は「まんがのうたw」扱いで完全にバカにされていた、と昔のアニソン歌手が語っていたそうだ。
80年代からは売れっ子作詞家作曲家が手掛けてアイドルが歌ったものもあるけど、それでもアニメの曲は下に見られてたよ。アニメ自体もオタクのものとして公言できる趣味ではなかった。テレビでも取り上げたりしなかったし。
エヴァも流行ったとはいえ、テレビ版やってた頃はオタク間だけだったじゃん。主題歌も流行ったつっても非オタクが見るテレビ番組で堂々取り上げられたりはしなかったはず。映画も地方では上映はミニシアターだった。それでも上映あるだけマシだった。
テレビでアニメ特番やってガンダムやエヴァなども取り上げ始めたのいつ頃からだった?気づいたらアニメ好き芸人がバラエティ特番でガンダムの話をしていて、あれよあれよという間にエヴァの話も堂々とやるようになっていた。以前はアニメ特番と言ってもせいぜいフランダースの犬やアルプスの少女ハイジ等無難なものしかなかったのに。
中村イネ時代に未成年喫煙、有名漫画家の妻との不倫などがあったが作曲クオリティが高いので許されてる
・播磨屋(おかき屋さん)
やばいトラックを走らせたり、パンフレットにもやばい思想(思想というか電波だろ)を載せてるが、肝心のおかきが美味しいので許されてる
世界設定
初期のSDは「異次元からの訪問者」というキャッチコピーで展開されていた。球体関節とテンションゴムによる「創作人形的」な構造に、パーツの交換や改造といった「模型的」なシステムを取り入れたSDは、それまでの着せ替え人形、ガレージキット・フィギュアの中においてまさに「異次元」であり、革新的な「素材」であった。
だが、「天使の里 聖母降臨の儀」の前後を境に、オーナーとSDを密接に繋ぎつける設定展開が盛んになり、それまでの「好みに改造できる球体関節人形のガレージキット」から「購入者の人格を反映する(ボークスは「もうひとりの貴方」と表現する)完成品ドール」へと変化していった。
SD写真集「もうひとりのわたし」にも記載されている「SDの世界観」と題された図説によると、オーナー(SDを所有する人)とSDは「おみ霊(おみたま)」という人智を突き抜けた存在でリンクしており、オーナーとSDは死後も一体の存在であると説いている。こうした擬似宗教的な設定が一部のSDオーナーから嫌われており、「SDの世界観」と題された図説に対する署名サイト 等、抗議運動が起こった事がある 。
一連の世界観設定の中で霊魂のような意味合いで使用されている「おみ霊」という単語は、一部の新宗教(真光系諸教団)で実際に使用されている言葉であり、一時はそういった集団とボークスの関係性が疑われたこともあった。
2006年11月、関西ローカル局のテレビ番組でSDが紹介された際に、スタジオで社長自らが「SDを持つと健康になる」等の「五つの効能」を紹介した。「五つの効能」とは、SDを所有することによって「心が癒される(健康)」、「友人が増える(家族)」、「仕事に意欲がわく(収入)」、「知識が増える(教養)」、「自分自身を見つめ直せる(人格)」というものである。
無論、これらの心境や生活の変化は、SD以外の趣味を楽しむ中でも起こり得るものであり、「まるで霊感商法ではないか」とオーナー間で波紋が広がった。
1. ヘルベルト・ブロムシュテット (Herbert Blomstedt)
「現役最高齢の至宝」
98歳(1927年生)にして今なお現役で、世界中の名門オケから熱望される生ける伝説です。宗教的とも言えるほど誠実で純粋な解釈は、聴衆に深い感動を与え続けています。
2. リッカルド・ムーティ (Riccardo Muti)
シカゴ交響楽団の音楽監督を経て、現在はウィーン・フィルなどとの深い絆で知られます。厳格な楽譜への忠実さと、イタリア人らしい情熱を併せ持つ、現代指揮界の顔の一人です。
3. リッカルド・シャイー (Riccardo Chailly)
ルツェルン祝祭管弦楽団やスカラ座のトップを務め、緻密なスコアリーディングとモダンな響きを作り出す名手です。ドイツ音楽からイタリア・オペラまで、その守備範囲の広さと完成度は圧倒的です。
4. サー・サイモン・ラトル (Sir Simon Rattle)
ベルリン・フィルの常任指揮者を務めた後、現在はバイエルン放送交響楽団の首席指揮者。伝統を重んじつつも、現代曲や古楽のアプローチを積極的に取り入れる柔軟性が持ち味です。
5. ダニエル・バレンボイム (Daniel Barenboim)
ピアニストとしても超一流であり、ベルリン国立歌劇場の終身名誉指揮者。健康上の懸念はありますが、その深い知性と政治・文化に対する発信力は、音楽界において唯一無二の存在感を放っています。
6. キリル・ペトレンコ (Kirill Petrenko)
世界最高峰、ベルリン・フィルの首席指揮者。メディアへの露出を極端に嫌い、音楽そのものに没頭するスタイルで、驚異的な集中力と解明度の高い演奏を披露しています。
7. グスターボ・ドゥダメル (Gustavo Dudamel)
2026年よりニューヨーク・フィルの音楽監督に就任(予定)。圧倒的なエネルギーと躍動感で、クラシック音楽の枠を超えた社会的影響力を持つ指揮者です。
8. クリスティアン・ティーレマン (Christian Thielemann)
ワーグナーやブルックナーなど、ドイツ・ロマン派音楽において右に出る者はいません。ベルリン国立歌劇場の音楽監督として、重厚で色彩豊かな「ドイツの音」を守り続けています。
9. エサ=ペッカ・サロネン (Esa-Pekka Salonen)
フィンランド出身。サンフランシスコ交響楽団などで活躍し、テクノロジーの活用や現代音楽の普及に貢献。現代における「知的な音楽家」のロールモデルです。
「驚異の若き天才」
30歳前後という若さで、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団やシカゴ交響楽団の次期トップに指名されるなど、歴史を塗り替えるスピードで頂点に登り詰めました。現代で最も勢いのある指揮者です。
「大手に紹介できる」
https://x.com/tsugaru_nepuko/status/2031120507614146863
『にじさんじ、STPR、大手レコード会社と深い繋がりがあるので紹介できます。曲を作る相談だけでなく、discordで雑談通話だけでも大丈夫です』
という内容のDMが届いて
「なんだァ?この怪しいメールは…」
と思ったら、すとぷりの莉犬さんを始め、
数多の企業様、活動者様に楽曲提供されてる作曲家さんご本人のアカウントで大横転🫨
紹介できると書いていますが、お名前を出している企業様に許可を取っての発言とは到底思えません。
そもそも一個人VTuberである私を大手企業様に紹介して、果たして双方に何のメリットがあるのか。
曲制作を前提としない、discordでの雑談通話に誘導していることも、目的が不明瞭で大変恐怖を感じます。
元来、こういったメールは第三者による詐欺の可能性が高いのですが、まさか関係者本人から送られてくるとは初めての経験で閉口しております。
※このような卑劣な手口に乗ってしまう女性VTuberさんがいるかもしれないので注意喚起です。メール全文スクショ保存してます。お名前が出ている企業様からご連絡ありましたら全文開示可能です。
「キングレコードから1987年にデビューした4人組バンド「SHAPE(シェイプ)」についてお伝えします。
バンドとしての活動期間は短かったものの、メンバーの多くはその後もプロのミュージシャンとして第一線で活動を続けています。
ギタリストとしてスタジオワークやライブサポートなどで活動しています。
現在、4人が「SHAPE」として再結成・活動している公式な情報は見当たりませんが、それぞれが日本の音楽シーンを支える現役のプレーヤーとして活躍しています。」
| 年 | 作曲家 | 作品 |
| 1759 | Joseph Haydn | 交響曲第1番 |
| 1761 | Joseph Haydn | 交響曲第6番「朝」 |
| 1761 | Joseph Haydn | 交響曲第7番「昼」 |
| 1761 | Joseph Haydn | 交響曲第8番「晩」 |
| 1767 | Joseph Haydn | 交響曲第26番 |
| 1772 | Joseph Haydn | 交響曲第44番「悲しみ」 |
| 1772 | Joseph Haydn | 交響曲第45番「告別」 |
| 1774 | Joseph Haydn | 交響曲第49番「受難」 |
| 1787 | Joseph Haydn | 交響曲第82番「熊」 |
| 1787 | Joseph Haydn | 交響曲第83番「めんどり」 |
| 1788 | Wolfgang Amadeus Mozart | 交響曲第39番 |
| 1788 | Wolfgang Amadeus Mozart | 交響曲第40番 |
| 1788 | Wolfgang Amadeus Mozart | 交響曲第41番「ジュピター」 |
| 1791 | Joseph Haydn | 交響曲第94番「驚愕」 |
| 1794 | Joseph Haydn | 交響曲第100番「軍隊」 |
| 1795 | Joseph Haydn | 交響曲第101番「時計」 |
| 1795 | Joseph Haydn | 交響曲第103番「太鼓連打」 |
| 1795 | Joseph Haydn | 交響曲第104番「ロンドン」 |
| 年 | 作曲家 | 作品 |
| 1800 | Ludwig van Beethoven | 交響曲第1番 |
| 1802 | Ludwig van Beethoven | 交響曲第2番 |
| 1804 | Ludwig van Beethoven | 交響曲第3番「英雄」 |
| 1806 | Ludwig van Beethoven | 交響曲第4番 |
| 1808 | Ludwig van Beethoven | 交響曲第5番 |
| 1808 | Ludwig van Beethoven | 交響曲第6番「田園」 |
| 1812 | Ludwig van Beethoven | 交響曲第7番 |
| 1812 | Ludwig van Beethoven | 交響曲第8番 |
| 1822 | Franz Schubert | 交響曲第8番「未完成」 |
| 1824 | Ludwig van Beethoven | 交響曲第9番 |
| 1826 | Franz Schubert | 交響曲第9番「グレート」 |
ロマン派前半
| 年 | 作曲家 | 作品 |
| 1830 | Hector Berlioz | 幻想交響曲 |
| 1833 | Felix Mendelssohn | 交響曲第4番「イタリア」 |
| 1834 | Hector Berlioz | イタリアのハロルド |
| 1840 | Robert Schumann | 交響曲第1番「春」 |
| 1840 | Felix Mendelssohn | 交響曲第2番「讃歌」 |
| 1841 | Robert Schumann | 交響曲第4番(初稿) |
| 1842 | Felix Mendelssohn | 交響曲第3番「スコットランド」 |
| 1845 | Robert Schumann | 交響曲第2番 |
| 1846 | Robert Schumann | 交響曲第3番「ライン」 |
| 1850 | Robert Schumann | 交響曲第4番(改訂稿) |
| 1855 | Franz Liszt | ファウスト交響曲 |
| 1857 | Franz Liszt | ダンテ交響曲 |
ロマン派中期
| 年 | 作曲家 | 作品 |
| 1864 | Anton Bruckner | 交響曲第1番 |
| 1866 | Anton Bruckner | 交響曲第0番 |
| 1869 | Pyotr Ilyich Tchaikovsky | 交響曲第1番「冬の日の幻想」 |
| 1872 | Pyotr Ilyich Tchaikovsky | 交響曲第2番「小ロシア」 |
| 1873 | Anton Bruckner | 交響曲第3番 |
| 1874 | Anton Bruckner | 交響曲第4番「ロマンティック」 |
| 1874 | Georges Bizet | 交響曲ハ長調 |
| 1875 | Alexander Borodin | 交響曲第2番 |
| 1876 | Johannes Brahms | 交響曲第1番 |
| 1876 | Anton Bruckner | 交響曲第5番 |
| 1877 | Pyotr Ilyich Tchaikovsky | 交響曲第4番 |
| 1877 | Camille Saint-Saëns | 交響曲第3番「オルガン付き」 |
| 1879 | Johannes Brahms | 交響曲第2番 |
| 1881 | Johannes Brahms | 交響曲第3番 |
| 1883 | Anton Bruckner | 交響曲第7番 |
| 1884 | Johannes Brahms | 交響曲第4番 |
後期ロマン派
| 年 | 作曲家 | 作品 |
| 1885 | Pyotr Ilyich Tchaikovsky | マンフレッド交響曲 |
| 1887 | César Franck | 交響曲ニ短調 |
| 1888 | Anton Bruckner | 交響曲第8番(初稿) |
| 1888 | Pyotr Ilyich Tchaikovsky | 交響曲第5番 |
| 1889 | Gustav Mahler | 交響曲第1番 |
| 1889 | Antonín Dvořák | 交響曲第8番 |
| 1893 | Pyotr Ilyich Tchaikovsky | 交響曲第6番「悲愴」 |
| 1893 | Antonín Dvořák | 交響曲第9番「新世界より」 |
| 1894 | Gustav Mahler | 交響曲第2番 |
| 1895 | Carl Nielsen | 交響曲第1番 |
| 1896 | Anton Bruckner | 交響曲第9番 |
| 1896 | Gustav Mahler | 交響曲第3番 |
| 1898 | Jean Sibelius | 交響曲第1番 |
| 1900 | Gustav Mahler | 交響曲第4番 |
世紀転換期
| 年 | 作曲家 | 作品 |
| 1901 | Jean Sibelius | 交響曲第2番 |
| 1902 | Gustav Mahler | 交響曲第5番 |
| 1904 | Gustav Mahler | 交響曲第6番 |
| 1905 | Gustav Mahler | 交響曲第7番 |
| 1906 | Gustav Mahler | 交響曲第8番 |
| 1907 | Sergei Rachmaninoff | 交響曲第2番 |
| 1907 | Jean Sibelius | 交響曲第3番 |
| 1909 | Gustav Mahler | 交響曲第9番 |
| 1909 | Carl Nielsen | 交響曲第3番 |
| 1911 | Jean Sibelius | 交響曲第4番 |
| 年 | 作曲家 | 作品 |
| 1915 | Jean Sibelius | 交響曲第5番 |
| 1916 | Carl Nielsen | 交響曲第4番「不滅」 |
| 1917 | Sergei Prokofiev | 交響曲第1番「古典」 |
| 1919 | Carl Nielsen | 交響曲第5番 |
| 1923 | Jean Sibelius | 交響曲第6番 |
| 1925 | Jean Sibelius | 交響曲第7番 |
| 1925 | Dmitri Shostakovich | 交響曲第1番 |
| 1935 | Dmitri Shostakovich | 交響曲第4番 |
| 1937 | Dmitri Shostakovich | 交響曲第5番 |
| 1941 | William Walton | 交響曲第1番 |
| 1945 | Sergei Prokofiev | 交響曲第5番 |
| 1945 | Dmitri Shostakovich | 交響曲第9番 |
| 1953 | Dmitri Shostakovich | 交響曲第10番 |
| 1957 | Dmitri Shostakovich | 交響曲第11番 |
| 1959 | Dmitri Shostakovich | 交響曲第12番 |
| 1961 | Dmitri Shostakovich | 交響曲第13番 |
| 1969 | Dmitri Shostakovich | 交響曲第14番 |
| 1971 | Dmitri Shostakovich | 交響曲第15番 |
博物館や美術館に収入目標がつけられ、未達成なら再編・閉館もありえるということが話題だ。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20260304-GYT1T00003/
博物館や美術館を管轄するのは文化庁だが、文化庁長官は割と民間人・実務家の登用に積極的な方である。
前任は東京芸術大学学長を2期務めた金属工芸家の宮田亮平(2016-2021)で、退任後は日展理事長、美術館連絡協議会会長、国立工芸館顧問など。
前々任の美術史学者の青柳正規(2013-2016)は前職が国立西洋美術館館長・理事長や国立美術館理事長、退任後は山梨県立美術館館長、石川県立美術館館長など。
他にも歴代長官を見れば国立科学博物館館長、国立新美術館館長など錚々たるメンツだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/文化庁
入館料の徴収を原則禁じる博物館法の所管ももちろん文化庁である。
(入館料等)
第二十六条 公立博物館は、入館料その他博物館資料の利用に対する対価を徴収してはならない。ただし、博物館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合は、必要な対価を徴収することができる。
と言いたいのだが、実は国立の博物館美術館はこの博物館法の対象ではない。
(定義)
博物館法は「登録博物館」を対象としたもので、国立や独法の博物館はこの登録を受けていない(受けられない)。
登録は主に地方自治体や公益法人などを対象とし、国(独立行政法人)、大学(学校法人)、企業、個人の設立した博物館はこの登録を受けられないことになっている。
なにより国立(独法)の博物館の設置は博物館法ではない個別の法律に基づいている。
つまり国立の博物館は今まで(今も)ずっと「博物館のようなもの(博物館相当施設)」という位置付けだ。
2022年改正でようやく「指定施設」という扱いになったが、博物館ではないことは同じ。アホみたいな法律の建て付けだ。
ということは最初から入館料など搾り取って大いに稼げという発破がかかっていた。
博物館法(1951-)の対象から外しておいたことの布石がここに来て現れたわけだ。
(歴史的には、1950年に文化財保護法が先にでき、当時の国立博物館はその対象であったため、1951年の博物館法では対象外となった)
一方で、東京国立博物館等をはじめとした、独立行政法人立や国立大学法人立の博物館については、それぞれの個別法においてその役割や事業内容が規定されていることから、これらの法人が設置する博物館(=これらの法人の事業の一部)に、さらに別の法的枠組み(=博物館法)を被せることは法全体の体系として適当ではないと判断されました。
一方で、日本の博物館を、博物館法を中心とする制度の面から見てみると博物館法で規定される登録博物館と指定施設(旧博物館相当施設)は、5,700館のうちおよそ1,300館、全体の約2割にすぎません(それ以外の博物館は社会教育調査上では「博物館類似施設」とされます)。
なんか話がとっ散らかったが、まあおそらくは財務省の指示だろうし、官僚トップの文化庁長官や結び付きのある国立館長たち、芸術村ではどうにもできないんだろうね、という。
この事例では加害者が一方的に暴行しただけであって買ってはいないし、売ってないものは「買え」ないでしょ。
覚醒剤や武器なら売る側の罪も問われるのに、なんで売春だけは売人無罪がまかり通ると思ってんの?
自ら好き好んで身体を得るビッチと同列に並べるとは、この事件の被害者の少女に対しても失礼だと思わないんだろうか。
身体を売る馬鹿女が存在しなければ、そもそもこんな被害も発生しなかった可能性が高いのに。
@sayu_sayu_s
作曲家の田中秀和、「一万円払うからシコシコして」って見知らぬ15歳少女に卑猥な言葉をかけて手を無理矢理引っ張って逮捕されたんだよね
25歳女、青春をともに過ごした吹奏楽部と音楽に取り憑かれて一世一代の恋レベルに悶え苦しんでいる。去年入籍したが、旦那と付き合ったときよりも吹奏楽のことを考えている。私はこんなに吹奏楽が好きなのに吹奏楽は私のことを好いてはくれていないのか、悩みの種はずっと尽きない。
いま、ありえんくらい失礼だけれども、エンジョイ系の楽団に申し訳程度に入ってなんとか合奏というものを味わっていた。私のいないときの、通し音源を聞いて絶望した。一曲を通してるはずなのに、まるでチューニング前の音出しであった。大好きな吹奏楽にこんな思いをさせるなんて、と、最愛の彼女を傷つけられた旦那みたいな思考回路になった。ただ、私の住んでいる近辺では、練習日程的に今の楽団しか練習にきちんと参加ができるところがない。
それならさ、あんたのために仕事を変えたい、あんたと真正面から向き合いたいから転職したい。全く欲しくもない土日休み、別に仕事好きだから本当は平気だけど残業はなしで。夜勤ももうしたくない。だってあんたともっと一緒にいたいから。
大事な大事な楽器を抱えて、好きなバンドの、好きな作曲家の曲を流してやるだけで、今でも目の前の景色の彩度が上がるのだ。指揮棒を執っていた、17歳の私には一体何が見えていたんだろう。映像の中に残る、三つ編みをおさげにして、スポットライトを浴びて、満面の笑みでお辞儀をしていた私は、今や 凝り固まった青春を忘れられない痛いおばさんに成り下がってしまった。
でもさ、でも、私は別に高校生に戻りたい訳じゃないんだ。今でも、課題曲の発表に心を踊らせて、スポット参考演奏が出たときに何番がよかった、と話を膨らませたいだけ。自然と始まる即興の合奏に、音を間違えながらも参加したくて、どんな基礎合奏が効果的かを談義して、要するに私はただ吹奏楽を好きでいられたらそれでいいんだけれど、大人にはそれが難しいらしいのだ。別になりたかった訳じゃないのに、勝手にならされた 大人という生き物にとっては。
『FANTASIAN』の企画・開発は2018年より開始された[18]。これは、2019年3月25日に行われた Apple の Apple Arcade の紹介ビデオで最初に発表された[19][20]。このゲームは、坂口が 2004 年に設立したスタジオ、Mistwalker によって開発された[21]。このゲームは、坂口が「ファイナルファンタジーシリーズ」と植松の作品の両方のファンであるApple社員と会った後に最初に考案された。可能なアイデアの概念化に時間を費やした後、坂口のチームは、Apple向けのゲームを作成できるかどうか疑問に思っていた[22]。このゲームは、Unityゲームエンジンで作成された[23]。
概念的には、坂口は2018年に『ファイナルファンタジーVI』をリプレイした後、ゲームに携わっていた元同僚の何人かと「彼のルーツに戻る」ように促されたと感じた[24][25]。これに先立ち、プロデューサーの坂口は『Party Wave』や『Blade Guardian』などのモバイル ゲームの制作に時間を費やし、2011年のWii向けの『ラストストーリー』が最後のナラティブロールプレイングゲームであった[26]。FANTASIANで、坂口は過去の日本のロールプレイングゲーム(JRPG)をエミュレートしたものに取り組みたいと考え、それは彼が楽しんだスタイルであり、「古いスタイルはそれ自体で素晴らしいものになる可能性がある」と述べた[27]。また坂口は年齢を理由として『FANTASIAN』が自身にとって最後のプロジェクトになる可能性があると認めた[24][28]。
視覚的に、『FANTASIAN』は手作りのジオラマを使用している。これは開発の開始時に決定されたコンセプトであった[28]。ミニチュア愛好家である坂口は過去に手掛けたアプリゲーム『テラウォーズ』においても手作りの要素を使用しており、従来のRPGでその概念をさらに探求したいと考えていた[26]。以前の「ファイナルファンタジーシリーズ」の事前レンダリングされたレベルとは異なり、『FANTASIAN』は3Dスキャン技術を搭載したドローンを使用して、手作業で構築されたミニチュア セットをデジタルで再現した[29]。この方法で作成されたジオラマは150を超えている[27]。ジオラマは、『ドラゴンボール』で著名な鳥山明が作成したものを含む、日本の特撮業界のベテランによって作成された[14] [30]。このプロセス故に開発チームは3Dモデリングプログラムに戻って変更することができなかったため、より長い概念計画の時間を必要とした[29][31] 。「ジオラマ(開発)パイプラインを備えたゲームはおそらく存在しないはずだ」と述べたにもかかわらず、坂口はこのプロセスは彼が望む外観を得るために必要であると述べ、「複製できないユニークな手作りのタッチを提供する[29][31][32]。ジオラマを変更するという課題のため、ゲームプレイとストーリーの要素はその逆ではなく、それに合わせて変更された[18]。坂口は、ランダムエンカウンターバトルがプレイヤーのジオラマ環境の平和な探索を妨げると感じたため、「Dimengeon」システムを考案した[18]。
『FANTASIAN』は前後編で構成されており、前編をクリアするには20 - 30時間程度を要し、後編は40 - 60時間の追加コンテンツでストーリーを完了する[33]。最初の部分は、2021 年4月2日に全世界でリリースされた[34]。後半は8月12日にリリースされた[35]。さらに9月17日に“虚無の世界”と2周目と3周目の“強くてNewGame”が追加された[7]。
ゲーム音楽は植松伸夫が作曲[14]。植松は以前に他のミストウォーカーのタイトルに取り組んでおり、『FANTASIAN』のためにそのサウンドトラック用に60のトラックを作曲し、本作の音楽を自身がこれまでに作った中で最高のサウンドトラックと考えている[36][27]。健康上の問題もあり、植松は坂口と同様に『FANTASIAN』のサウンドトラックが自身にとって最後のフルワークになる可能性があると述べた[27][37]。
『FANTASIAN』のサウンドトラックは、バロック音楽とシンセサイザーの融合で構成されている[38] 。JRPG ジャンルに見られる従来の音楽から抜け出したい植松は、不協和音や民族楽器などの要素を実験した[39]。音楽のいくつかは、作曲家が『FANTASIAN』の前にビデオゲームのサウンドトラックで使用したことがなかった即興演奏を特徴としている[27]。植松は1年間、1日あたり13時間をゲームの音楽制作に費やした[40]。サウンドトラックは、2021年7月よりApple Musicにてストリーミング配信を開始した[41][42]。
1953年女優デビュー。テレビタレント第1号。1954年ラジオドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」で人気に。紅白司会は5回。1976年「徹子の部屋」放送開始。1980年『窓ぎわのトットちゃん』出版。35ヶ国で2500万部発行。1984年ユニセフ親善大使に任命。1977年の「プリマ・パンダ」は音楽学校声楽科出身の歌唱力を堪能できる怪曲。https://youtu.be/aL32qwgwQM8?si=yd9J3Fj6nHPtFL04
1958年テレビ番組「歌の広場」でデビュー。作詞家作曲家として数多くの社歌や県市町村歌を作った。86歳で自作曲の大洋ホエールズ球団歌「行くぞ大洋」を美声で弾き語りして元気な姿を見せた。https://youtu.be/EmkjRHDdPAA?si=UrVdzmm7CwqG2Gan公式サイトは“古のインターネット”で怪しさ満点。http://home.v01.itscom.net/mitaka/
1950年松竹歌劇団に入団。1953年映画デビュー。1958年音楽バラエティ番組「光子の窓」司会。レコードも出しているはずだが把握しきれていない。81歳の時のシャンソン「行かないで」はそれまでのミュージカルでの演技体験が生きている。https://youtu.be/wyDBU3LMak4?si=AzJ14IjrLUqy5fCs「なかにし礼と12人の女優たち」は隠れた名盤。
玉田元康(91)
ボニージャックスのリーダー。1958年歌手デビュー。ロシア民謡「一週間」や「ちいさい秋みつけた」等レパートリーは五千曲に及ぶ。紅白3回出場。ダークダックスやデューク・エイセスと共にコーラスブームを牽引した。「男たちの子守り歌」で90歳のソロデビュー。https://youtu.be/Kmqs-s0MBxs?si=dxZYSptp1KSVfhIm
谷道夫(91)小保方淳(91)槇野義孝(90)
デューク・エイセスのメンバー。1955年結成。ドリフターズで有名な「いい湯だな」はこちらがオリジナル。https://youtu.be/kmjONyZze08?si=JT9VfQZoe8G4yuD9「鉄人28号」主題歌も有名。紅白10回出場。2017年解散。小保方淳の在籍期間は短くボーカル・ショップに移籍、その後ソロに。
美輪明宏(90)
1952年シャンソン喫茶銀巴里で歌手デビュー。1957年「メケ・メケ」でレコードデビュー。シスターボーイ・ブームを起こす。1967年「毛皮のマリー」初演。紅白は4回出場。1965年発売の「ヨイトマケの唄」を紅白で見た時の感動は絶対に忘れることができない。https://youtu.be/8NK9jtPyQdk?si=fIZpMXsqS3DL3WgG
山本富士子(94)
「日本一の美女」と呼ばれた国民的スター。1950年第1回ミス日本優勝。1953年に映画デビュー。日本映画全盛期を代表する大女優となる。1963年悪名高い五社協定の犠牲になるが一歩も引かずテレビと舞台で活躍。高峰三枝子以来の歌う映画スターとして何曲もレコードを吹き込んでいるが全貌がつかめないでいる。https://youtu.be/3mmlSAn45Gw?si=HVA1cAwNaciFHOxJ夫は作曲家の山本丈晴。
初代コロムビア・ローズ(93)
1952年当初は覆面歌手としてデビュー。当然コロムビアレコード所属。1956年「どうせ拾った恋だもの」1957年「東京のバスガール」等立て続けにヒットを飛ばし紅白に5回出場。初代の引退後1962年に二代目がデビュー。1964年「智恵子抄」がヒットし紅白出場。2004年に三代目がデビュー。2015年にクラウンに移籍しコロムビア・ローズの名を返上する。2010年には二代目が死去しコロムビア・ローズとして残るのは初代だけとなった。三代揃って「東京のバスガール」を歌う貴重な映像。https://youtu.be/cyCzhcd1sMo?si=yH2WNq-6UsRJ5Emi
寿美花代(93)
1948年宝塚歌劇団に入団。男役トップスターに。紅白にも出場。レコードも出しており「ボンジュール街角」はその頃の華やかさをよく伝えている佳曲。https://youtu.be/WoxnZmzmWZM?si=2DGP6tznpKZTQ4ji高島忠夫と結婚。「ごちそうさま」等テレビで長く活躍した。高嶋政宏や高嶋政伸は息子。
大学卒業後プロのミュージシャンになる。幾つものバンドを渡り歩いた後1964年ドリフターズに加入。次第にコントの仕事が増える。1968年ザ・ドリフターズとしてレコードデビュー。1969年「8時だョ!全員集合」で大ブームに。1997年CDデビュー。1999年の「僕の大好きな場所」は篠原ともえ作詞吉田拓郎作曲のハワイアンナンバー。得意のウクレレを弾きながら歌った。https://youtu.be/fuliICJK6wY?si=7dVlVYjwSFB1CX7h
1958年タンゴバンドで歌手デビュー。1962年レコードデビュー。1967年「知りたくないの」が大ヒット。1970年「今日でお別れ」でレコード大賞。紅白出場は実に22回に及ぶ。今もなお精力的に活動を続ける。驚くほかないが去年はほぼ毎月コンサートを行いテレビに出演し歌を歌っている。CDも絶え間なく出していて、2021年の最新シングル「「歌よ…あなたが居たから」は吉幾三作詞作曲。変らぬ風雅な歌声を聴かせてくれる。https://youtu.be/IazqkIdPsLU?si=KYU7c3jc58EWMBAU (続く)
桜井稔(99)
この人のことは私もよく知らない。タイヘイマーキュリー時代のレコードはここhttps://zarigani3.web.fc2.com/tm-rp/sakurai.htmに網羅されており昭和二十年代デビューだと窺える。代表曲は「哀愁の佐渡航路」だろうか。https://youtu.be/K8LUvE1lQvM?si=-F6QvPiqEDX6SIBV作曲家としても活躍し愛知県弥富市で桜井稔歌謡研究所という歌謡教室を開いているようだ。
中島孝(99)
1946(昭和21)年に晴邦劇団に入団しムーランルージュ新宿座のレビューショーで歌手生活を始める。ちなみにこの劇団の主宰は寅さんのおばちゃんでおなじみ三崎千恵子夫妻。1950年レコードデビュー。1954年「若者よ!恋をしろ」がヒット。https://youtu.be/W2pdZrM2sYY?si=ltIoliyOo7tXF9Gu
菅原都々子(98)
第1回紅白歌合戦トップバッター。紅白の歴史はこの人から始まった。今では1955年のミリオンヒット「月がとっても青いから」の印象が強いがデビューは1937年。父は浅草オペラの歌手だった。二十代の頃の歌う姿が映画に映っている。https://youtu.be/G0q0XHIlnkA?si=lcz2pN6uCJN9tPwb
楠トシエ(98)
800曲以上を吹き込んだCMソングの女王。https://youtu.be/mHZsauDJAgA?si=OEyf3lpKXe8VyreV 1949年ムーランルージュ新宿座で歌手活動を始める。三木鶏郎の人気ラジオ番組「日曜娯楽版」に出演し全国区の人気者になりマルチタレントとして活躍。2011年のドキュメンタリー映画「ムーランルージュの青春」では三崎千恵子や中島孝と共に思い出を語った。紅白には7回出場。
吉岡妙子(97)
1947年デビュー。なんといっても1954年の津村謙とのデュエット「あなたと共に」の大ヒットに尽きる。辛いことがあってもあなたと共に乗り越えていきましょうと朗らかに歌い上げるこの歌は結婚式の定番曲になった。https://youtu.be/IxIAgkwCriY?si=YpsFeQwJiZVw3uEe 1956年「私の幸せは何処へ」で紅白出場。
1949年デビュー。1953年「毬藻の唄」がヒット。https://youtu.be/MJsFookqleY?si=SshJLJFYvHFDYP0D阿寒湖に歌碑が残る。結婚し引退していたが1982年に復帰し同時代の二葉あき子や並木路子とコンサートを開いた。
曽根史朗(95)
1954年デビュー。1956年「若いお巡りさん」が爆発的大ヒット。ピンク・レディー「ペッパー警部」はこの歌のパロディにあたる。近年なんと90歳で「若いお巡りさん」を歌い話題になった。声量も音程も若い頃と変らない驚異的な歌唱だ。https://youtu.be/_gGV_HJ7JnA?si=tr4mQmj8W5n0GDGr
二葉百合子(94)
1934年わずか3歳で浪曲師として初舞台を踏む。9歳で一座の座長となり全国を周る。1957年レコードデビュー。1972年「岸壁の母」のカバーが大ヒット。石川さゆり坂本冬美島津亜矢らの師匠でもある。92歳の時に歌った「岸壁の母」はまさに絶唱。https://youtu.be/qbNknECiUJo?si=bd3ZvX76xpqLRSysこぶしも台詞回しも堂々たるもので深い感動を呼ぶ。(続く)
紅白歌合戦を何となく見ながら(聞きながら)、「音楽の参照点の大事さ」を思った。
知らない人たちでも、音楽の軸足がどこにあるかが分かれば、「こういう人向けの音楽だな」ということは分かる。
それがが無いと、その人たちに興味を持たなければ、感情移入できない。
&TEAMという人たちの曲は、80年代の音を深く参照していたし、aespaはクラブミュージック、テクノのビートだし、ハンバート ハンバートは民謡とアメカントラッド、フォークだろうという感覚があった。
そういう音楽は、聞いた時にその源流の音楽との繋がりが連想されるから、理解しやすい。
一方で、たとえばHANAやちゃんみなという人たちなんかは、もっとクラブララチャーやHiphopとか、何かしらの「カウンター」寄りの音への接続が上手に行えていないといけないのではないかと思った。
売ろうとしているイメージに対して、音楽がついていっていない感じ。
イメージの形成は、ビジュアルやキャラクターもあるけど、歌う限りはその音楽の中に、思想や姿勢が現れている必要があるし、専業作曲家の人たちはそのビジョンを音にする必要があるんだろう。