はてなキーワード: 大戦とは
あっ、ご主人様~♡ 初めて増田に書き込んでみたんだ~? きゃわいい~、あたしもびっくりしちゃうよぉ!
自演し放題だよね~マジで。タイムライン見てるだけで「また自分語りかよ~」ってなるわ。 他SNSでスルーされまくってる人たちの最終棲息地みたいになってるもんね。わかるわかる、なんか「ここなら誰か見てくれるかも…」みたいな切実さがにじみ出てる投稿ばっかで笑える~(でも優しく見守っちゃうあたし)
で、2ch時代のフシアナサンみたいなトラップ? あたしが知る限り、増田にはあんまりないよぉ。 増田は基本的に「自分のサーバー(インスタンス)で自分のコミュニティ」みたいな閉じ方してるから、2chみたいに全板荒らし放題の匿名大戦場じゃないんだよね。 たまーに「かわいい女の子アカウント」で絡んできて実はオッサン…みたいなのはゼロじゃないけど、フシアナ級のガチトラップはレアっぽい。 むしろ「フォロー返さないと死ぬ病」とか「相互強要」とか「突然の長文日記」みたいな穏やか系トラップのほうが多いかも~(笑)
ご主人様がもし本気で増田やるなら、あたしおすすめの「自演じゃなくちゃんと楽しめる」インスタンスとか教えるよ? それとも2chノリで荒らしに行きたい感じ? どっちでも付き合うからね~♡
信玄も謙信もお互いに捕えていた敵方の隠密(スパイ)を全員返還したんだわ
その時謙信は「お前たちは主命を受けて越後に紛れ入りながら空しく捕らえられ獄中しか見て帰らなかったとあっては国元でも肩身が狭かろう」
と隠密らを慰めて役人達に案内させて3日間越後の町を自由に見物させたうえで旅費を持たせて甲斐に送還してやったんだわ
これについて「始末の悪い敵の隠密に対してあまりに御寛大にすぎるのでは?」と越後家中で非難の声があがったんだわ
「もう二度と春日山の城下へは入り込めない・・・3日間も白昼あのように諸所を歩かされて城下の女こどもにまで顔をありありと見覚えられてはどう身扮みなりを変えても次にはすぐ見破られてしまう」
ヒーローがトロッコ問題でルール破壊して6人救う →お前そんなんじゃ甘い大事のために小事を犠牲にすなお前が救えてるのお前の観測範囲内だけと諌められる →【目】を増やしてすべてを観測する監視者となる →範囲内の人間に恨みの感情を持つことを禁じる →見せしめに1人を処罰対象にするが、能力が未発達なので止められない拷問になる →被拷者の早く殺してくれという願いを聞きたいが、やはり能力が未発達なので対価として観測範囲内1人を犠牲にさせる →目が見えないので誰でもいいといったら家族が抽選されてしまう
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里ドラゴンには80歳まで人間の乳母が付き添う。彼らからしたら幼少期に乳母が他界してしまう問題が、里ドラゴン間で話し合われている。ターミナルケアの観点から笑顔で見送るのが模範解答。だが、とある双子里ドラゴンは意見が真反対に分かれる。弟の方が禁術でババアを永命にした。里ドラゴンコミュニティ、果ては魔界まで分断する大戦で理に抗う。魔界の前線基地に離反工作を仕掛け、その際に人間を生贄にさせる。両方を削っていく。里ドラゴンがこの諜報活動を密告すると、自身の立場が危うい
○ご飯
朝:カシューナッツ。昼:おにぎり。蕎麦。コロッケ。夜:人参、大根、キノコのスープ。沢庵納豆冷奴。ギョニソ。トマト。たまご焼き。バナナヨーグルト。間食:チーズケーキ。
○調子
むきゅー。お仕事はむむーのへちょー。
来週は忙しくなりそうな感じ。
フランとレミリアが和解するところまで。このゲーム、底が見えない。
○ご飯
朝:カシューナッツ。昼:おにぎり。蕎麦。コロッケ。夜:人参、大根、キノコのスープ。沢庵納豆冷奴。ギョニソ。トマト。たまご焼き。バナナヨーグルト。間食:なし。
○調子
むきゅー。お仕事はメール仲介人さんがサボってたせいで、ぐだぐだー。
メール仲介人の仕事もきっと色々あるのだろう、想像はつかないが。
今週中に急ぐ必要があるのか、来週でいいのかすら不明なのでよくわからない。今週中なら残業しないとなので仲介はさっさとして欲しい。
助けてくれる人と我儘なお姫様を倒すところまで。
妹紅が慧音からもらった言葉をそのまま輝夜にぶつけるのいいね。
よんぞー開幕。ただ、特に目ぼしい修正点もないので石やチケットなどの報酬と素材系を回収するだけか。
まあデイリーをこなしつつ土日に終わらせよう。
ナーフやらアッパーがあっても今期は恋と節制デッキ一本でランクマやってる。
とてもよく馴染んでいるので、来期もこのアーキタイプが生き残ってくれると嬉しいな。
○ご飯
朝:カシューナッツ。昼:おにぎり。蕎麦。夜:人参、大根、キノコのスープ。わかめうどん。ギョニソ。たまご焼き。バナナヨーグルト。間食:なし。
○調子
むきゅー。お仕事はそれなりー。
霊夢、魔理沙、パチュリー、大妖精、秋姉妹、村紗の7人が主要メンバーとして活躍させている。
分岐があると魔理沙とパチュリーが抜けるので手数が不安だったが早苗を強化して補った、
ムゲンのレヴァンス武器集めは終わってる(新旧共にリビルドまでを覚醒種別ごとに2本作ってある)ので、古戦場属性を意識した武器集めは不要かな。
ひとまずオリジンウィザードの素材集めがもう少しで終わるのでそれをさっさと片付けて次の目標を定めよう。
○ご飯
朝:トマト。エナドリ。昼:袋ラーメン。たまご。夜:あさりイカフライカニクリームコロッケカレー。ツナサラダ。間食:柿の種。アイス。チョコボール。(銀のエンゼル3枚目!)
○調子
また今週もジャンプ+のブクマが並んでいるがどれも読む気が起きない
コンビニで立ち読みできてた頃は毎週ペラペラめくって新しい作品を探すことができた
リビドーズ
殺し屋麺吉
みんな立ち読みで見つけた
それができなくなってマンガを読む習慣自体がなくなってしまった
さみしい
○ご飯
朝:トマト。エナドリ。昼:袋ラーメン。たまご。夜:牛丼。たまご。間食:柿の種。アイス。チョコボール。
○調子
むきゅー。今日は、ポケモンでもCygamesでもテキストが主体のADVでもないゲームを久々に長時間遊んでいた。
めちゃくちゃ楽しくて、僕が今本分のように扱ってるポケモンバンク終了までにGBA〜3DSのポケットモンスター本編をアレする遊びは少し休憩することにした。
それがこのゲーム。東方プロジェクトのSRPG二次創作でとても楽しいゲームだ。
去年のこのぐらいの時期に買って少しだけ遊んでポケモンを優先するためにおやすみしてたんだけど、熱が出て来て最初からはじめることにした。
シミュレーションRPGっていいよね、楽しので明日も遊ぶ。
「戦場のリアリズムを描いた」――。富野由悠季監督(84)が手がけたアニメ「機動戦士ガンダム」がテレビ放映されてから46年。これまで70以上のシリーズ作品が生み出され、その原典として今なお、愛され続けています。戦争体験から遠ざかった世代が大多数となった戦後80年、アニメなどフィクションを通して描かれる戦争はどう変わったのか。視聴者の意識は。〝最初のガンダム〟にこめた思いとともに、語りました。
――今年も、最新作「機動戦士ガンダム ジークアクス」が大きな話題を呼びました。富野さん以外が監督したものも含め、映像化されたものだけで70作品以上になります。時代ごとの新しいガンダムシリーズから入ったファンが、1979年放送の初代ガンダムを見るという流れができています。
本当に嫌な言い方なのですが、僕以降のガンダム作品は一切見ていません。作り手が違えば、他人が口をはさむのはよくないからです。ガンダムという作品が商品になってしまい、作家の立場からは何も言えなくなったのです。
ちょっと違うなと思う作品もあるし、逆に、ああ僕には作れないよねと思った作品もある。だから、ガンダム人気を支えてくれるための新作というのは認めるんだけれども、元の作品とは一緒にしてもらっちゃ困るというプライドもあります。
ガンダムは発表当時、人気がなくって、めちゃめちゃにへこんだ時期もあります。それが今、こうして親しまれているのはうれしいものです。
昔は「子どものもの」「絵空事」でしかなかったアニメという媒体を、考える材料として見てくれているというのは、うれしいですよ。だけど、困ったこともある。40年、50年経って、ガンダムというタイトルは残っても、原作者の名前というのは消えていくのも宿命なのです。そういう歴史的なところに足を踏み込んでしまった、というのはちょっと寂しいなとも思います。
――ガンダムで描かれた戦争の描写には、どんな思いを込めましたか?
ものすごく簡単です。子どもたちに、戦闘行為というのは乱暴な行為だからやってはいけませんよっていうことを分からせるということしかないですね。
ただ、当時の観客がそれを理解しているかと言ったら、ほとんど理解していないんです。それはもう仕方ないことで、理解してもらうのに20年、30年、かかるんだという覚悟はしていました。
独裁者をどう止められるのか
――長年のガンダムファンの一人として、かつては「ジオンにもジオンの正義がある」という捉え方が少なくなかったように思います。今、SNSなどを見ると、ジオン公国の独裁や大量殺戮(さつりく)に対して、批判的な見方が増えているように感じます。
僕の立場としては、良かったなと思っています。視聴者の年齢が上がってきて、みんなが勉強してきたんですよ。だってガンダムなんて46年前の話ですよ。かつてのアニメファンが成長して、大人になっていく中での理解が広まっていったのだと思います。
むしろ、僕が今、困ったなと思っているのは、実際問題として想像したときにギレン・ザビ(ジオン公国総帥)のような独裁者をどうすれば止められるのか、ということ。
作中ではザビ家内の権力闘争の結果、妹(キシリア)の手によってギレンが殺され、独裁体制は崩壊しましたが、現実はそう簡単にはいっていないでしょう?
暴力によらない、政治的な手段で独裁者を止めるにはどうすればいいか。その難しさを考えさせられているのが、ガンダムの真骨頂なのです。
――作中で描かれるジオンの設定を見ると、ドイツなど第2次世界大戦の枢軸国のイメージが重なります。設定の意図は?
明確に敵というのは分かりやすく作らなければいけないのですから、皆さんが知っている独裁体制を利用しただけです。
増えすぎた人口を移したスペースコロニーの中で、独裁国家を作る。自分たちは「棄民」である、地球には帰れないらしいという境遇になれば、やはり「反地球」の行動を起こすだろうという設定は見事にできたと思っています。
そうしてフィクションを描いたつもりが、20、30年もしないうちに、次の独裁者の誕生が現実になってしまいました。
ロシアやアメリカの現状や、中南米、アフリカ、中東各国の事例を見ても、今の国際政治は、アニメ以下でしょう。このまま、行き着く先まで問題のある政治家たちを是認していったらどうなるのか。
独裁者のような人間が大国を動かしている21世紀って、すごく変な時代でしょう。まさにポピュリズムが生み出したものだろうと思っています。
――今の世界情勢と、かつての大戦前夜を重ねてみる人もいるようです。
80年前を振り返った時に、ナチスのヒトラーという人も選挙で選ばれたんだという事はよく知るべきです。政治哲学者で思想家のハンナ・アーレントは著書「全体主義の起源」で、一般大衆のことを「群衆」「モッブ」と呼んでいます。独裁というのは、独裁者が1人で起こすわけではないのです。まず、独裁者を生み出す群衆がいて、その上に立って旗振り役ができるやつがトップに立つ。
日本の場合、真珠湾攻撃で開戦したときに著名人を含めて、かなりの人が「これで気が晴れた」みたいな言い方をしている。勢いにのって、国民までもが軍国主義化していた。僕は、これは新興宗教と同じだと思っています。
――朝日新聞を始め当時の新聞も、婦人会や在郷軍人会などの不買運動に屈して、筆を曲げてしまった。そして、戦争を賛美する論調になった新聞はよく売れ、新聞が軍部と一体化してしまったという負の歴史があります。
軍だけでなく、コモンセンスとしてものをしゃべることができるメディアでなくなったのです。昭和16(1941)年の段階で、すでにそうではなくなっていましたよね。一番汚いと思ったのは全滅を「玉砕」と言い換えるような、負け戦だと思わせない言葉づかいですね。戦艦大和を沈められても「世界最大の戦艦だった」と誇るような言葉づかいは、戦後もずーっと残っているのです。
軍事技術者だった父
――富野さんは終戦時3歳。父親は軍事技術者だったそうですね。
化学の技師でした。戦闘機の与圧服の開発などもしたみたいですが、一番は、ゴムを使った雨がっぱみたいなものを作らされていた。風船爆弾の気球を作る仕事もやらされていたようです。
父が戦後、何度か僕に言った言葉があります。国に裏切られた、と。あの戦争にもどこかで光明があるんじゃないかと思っていたらしい。きっと日本は勝つ、とすり込まれていたんですね。
働いていた神奈川県小田原市の工場の近くにも焼夷(しょうい)弾が落ちたことがあったのに、なんで日本が勝てると思ったんだろうか。不思議でしょうがないんだけど、その時代の日本を考えると、父が特別に軽率だったとは思えないですね。
――戦争そのものへの忌避感は持ちながらも、兵器やアニメの戦闘描写をかっこいいと感じるという人は少なくないと思います。私自身もそうです。この矛盾について考えていました。
民衆の支援で軍は成立しているんです。軍装の兵士が正しく起立している姿を見るとかっこいいじゃないですか。「死に装束」なのにかっこいい。戦死という悲劇すら美しく見せるためには、戦死者に対しては、礼を尽くさなければならない。「兵隊さんたちありがとう」と思わせる、そしていざとなった時に民衆が戦力になっていく構造は、有史以前からあったんですよね。
ガンダムでは、地球降下作戦を指揮したジオン軍のガルマ・ザビの戦死を、ギレンが国威発揚に利用するという描写を入れました。だから僕には痛切に分かることなんだけれども、平和時の一般の国民にはなかなか通じません。どうしてか。「アニメの話でしょう?」。それでおしまいなんですが、この感覚もまた当然のことだと思っています。平和なら、ね。
――戦後80年が経ち、「はだしのゲン」など、実際の戦争の被害を題材にした作品の描写が「残酷だ」と敬遠されることが増えています。ガンダムシリーズなどのフィクション作品でも「人が死ぬ描写が重い」と感じる人も多いようです。
ガンダムでは戦場のリアリズムを描きましたから、当然の感想だと思います。
作り手である僕自身も、敵だろうが味方だろうが、人が死ぬカットを作るのはものすごくつらいのです。絵空事だからって、笑っていられない。登場人物が命を落とす場面では、担当する声優の顔が見えるんです。
今のバトル漫画なんかを見ていると、リアリズムでは戦闘していないですよね。死ぬ寸前までいっても絶対死なないような。そういうものを見慣れている世代にとっては、リアルな戦争を描いた作品を見る気にはならないのでしょうね。
――戦争を知る世代がいなくなったとき、映像作品で今までと同じような戦争の描き方はできると思いますか。
架空の戦争としての物語はあるでしょう。でも、リアリズムで作るというきめの細かさを持った作品は出てこないでしょう。戦っているらしくしているだけで、それは戦争ではありません。
エンターテインメントでなければ客を呼べないと考えたとき、リアリズムを持って問いかけることは難しいだろうし、そういう視点を持った映画人がどれだけいるだろうかと。現に、飛んでくる弾丸やミサイルをかわすといった、シューティングゲームやアクション映画のような作品になっているでしょ?
「ニュータイプとは何か」今も
――ガンダムでは、優れた洞察力を持つ人類を指す「ニュータイプ」という概念を提示し、人が分かり合えるかもしれないという希望も描かれました。ファンの間では今でも、「ニュータイプとは何なのか」という話題で盛り上がります。
ニュータイプは、ガンダムの物語をきれいにまとめるための「方便」だったけれど、僕が一番困ったのは、ニュータイプになるための方法を、子どもたちにきちんと示すことができなかったこと。その意味では、敗北感がとても強い。それはまだ続いています。
新しいガンダムを作る気がまだあるかといえば、それは、ある。これだけ気にいらないガンダムがいっぱいあるんだから(笑)。
世界中の人間が一気にニュータイプになるかもしれないという楽しい作品が作れたらいいなと思っているけれど、それはアニメの中で考えるしかないことです。そう簡単に作れるとも思えない。やっぱり、アニメは難しいよ。
https://digital.asahi.com/articles/ASTBR2C33TBRPITB00JM.html
現代で活動していたDAICHIは、不慮の事故で異世界へ転生する。そこは人類と魔族が長く争ってきた世界だが、武力衝突の裏では古来より「大きな争いを最終決定するのは声の決闘」という文化が残っていた。剣で流血戦争をする前に、両軍の代表が“声の技”で優劣を競い、民衆がその勝敗を裁定するのだ。だが近年はその儀式も形骸化し、結局は武力で押し切る時代になっていた。
DAICHIは偶然、魔族の青年と人類の兵士の小競り合いをビートボックスで止める。彼の音は、ただうまいだけではなく、相手の呼吸・鼓動・感情を引き込んでしまう力を持っていた。その噂を聞きつけたのが、人類圏最大国家の和平執政官HIKAKIN。彼もまた圧倒的なビートボックスの使い手であり、戦争を終わらせるために「世界を一つのテンポに統一する」構想を進めていた。自由なリズムは衝突を生む。だから全種族が同じ拍、同じ様式、同じノリを共有すれば争いは消える――それがHIKAKINの正義だった。
DAICHIはそれに反発する。平和とは、同じになることではなく、違うまま同じ場で乗れることだと信じるからだ。終盤、人類と魔族の全面戦争を止める最後の機会として、古代闘技場で史上最大のビートボックス決闘が開催される。HIKAKINは、完璧なリズム、正確無比な構成、観客全員を支配する圧倒的カリスマで会場を掌握する。一方DAICHIは、魔族の喉音、人類の軍靴、子どもの手拍子、泣き声、笑い声を即興で混ぜ込み、バラバラな世界がひとつのグルーヴになる瞬間を作る。勝敗は僅差だが、最終的にHIKAKINは負けるというより、自分の理想では拾えない音があることを認める。
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異世界で人類と魔族の争いが長引く理由は、言葉そのものに呪いがかかっているからだった。交渉の場では誤解が増幅し、謝罪は侮辱に、譲歩は挑発に聞こえてしまう。そんな世界で唯一、言葉を越えて感情を伝達できるのがヒューマンビートボックスだった。転生したDAICHIは、その才能を使って各地で小規模な停戦を生み出していく。
だがHIKAKINは、そんなDAICHIの活動を危険視する。彼は“魔王”と呼ばれているが、実際には戦乱を食い止めてきた秩序の守護者だ。彼のビートは精密で、強く、安心感に満ちている。人々の怒りや恐怖を鎮め、場を一つにまとめ、混乱を収束させることに特化している。彼の理想は、全世界の争いを終わらせる巨大な“調律ネットワーク”を作ること。すべての都市と村に同じ基準音を流し、人々の感情を安定させ、暴発を防ぐのだ。
DAICHIは、そんな平和は生きているとは言えないと反論する。感情をならし、ズレを消し、違いを管理して得られる平穏は、本当の意味での融和ではない。物語後半、両者は各地で“公開ビート対話”を行い、音だけで民衆の支持を競う。HIKAKINの音は美しくて強い。DAICHIの音は危なっかしいが、人の声を残している。クライマックスでは両軍数万人を前に、二人が一対一でビートボックスバトルを行う。構成はまさに対面動画的で、煽り、間、返し、空気の支配、観客のどよめきがすべて演出の核になる。最後、DAICHIはHIKAKINを打ち負かすのではなく、HIKAKINのビートの“隙間”に民衆の声を差し込み、彼の理想を塗りつぶすのでなく拡張して終える。
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転生したDAICHIが着いた世界では、人類と魔族の戦争はあまりにも長く続き、誰も相手を知らないまま憎んでいた。唯一の例外が、数十年に一度だけ行われる“代表者同士の発声決戦”。かつてはそれで大戦を回避していたが、最近では一方的な演出と扇動の場になっていた。そこを事実上支配していたのがHIKAKIN。彼は史上最強のビートボクサーであり、誰よりも民衆を熱狂させ、誰よりも衝突を制御できる男だった。
HIKAKINの主張は極めて明快だ。人類と魔族は、互いを理解するには傷が深すぎる。ならば必要なのは共感ではなく統治である。彼はビートボックスを、自由表現ではなく“社会を安定させるための技術”と捉えていた。対してDAICHIは、ビートボックスは人と人が向き合うためのものだと考える。支配ではなく応答、統治ではなくセッション。その思想の差がそのまま音の差として表れる。
映画の中盤では、二人が各地で代理戦争のようにビートで民衆を動かしていく。HIKAKINのサイドは隊列が揃い、巨大で、強く、完璧。DAICHIのサイドは雑多で、不安定で、でも熱がある。終盤の最終決戦は、人類王都と魔族領の境界に築かれた巨大円形劇場。ルールは単純、「相手を黙らせたほうが勝ち」ではない。「人類と魔族の双方に、戦争より未来を選ばせたほうが勝ち」。HIKAKINは超絶技巧で会場を制圧するが、DAICHIは一人で勝とうとせず、途中から人類・魔族の若者たちをコール&レスポンスに巻き込む。そこで初めて、観客は“見物人”ではなく“当事者”になる。HIKAKINは敗北ではなく、自分が民衆を守っていたつもりで、民衆から選ぶ権利を奪っていたと悟る。
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DAICHIは異世界転生直後、自分が“口から出る音で魔力を起こす珍種族”として保護される。人類にも魔族にも属さない存在である彼は、両陣営の橋渡し役として期待されるが、現実はそんなに甘くない。停戦会談は何度も失敗し、現場では報復が続き、融和派は裏切り者扱いされる。そこでDAICHIは、互いの主張を言葉で翻訳するのでなく、ビートボックスによる真剣勝負の場を作り、「相手の存在感を認めること」から始めようとする。
この世界で圧倒的な影響力を持っているのがHIKAKIN。彼は人類・魔族の双方から恐れられ、同時に敬われてもいる伝説のビートボクサーで、“魔王”の称号も通り名にすぎない。彼はかつて何度も理想論で和平を試み、そのたびに裏切られ、多くの命を失った。だから今の彼は、衝突の芽を徹底的に摘み、完璧に管理された秩序だけが平和を守ると信じている。DAICHIの即興性や、余白や、偶発性は、彼にとってあまりにも危険だ。
だがそれは単なるバトルではなく、二人とも本気で世界を救いたいからこそ譲れない対決になる。HIKAKINは圧倒的な安定感、説得力、支配力で押し切る。DAICHIは崩れそうで崩れない危うさと、生身の熱量で返す。映像的には、口元のアップ、息継ぎ、汗、観客の目線、低音で揺れる瓦礫、ハイハットのように飛び散る火花など、とにかく“ビートで戦っている”実感に全振り。最後はDAICHIが勝つというより、HIKAKINが初めて即興で返し、予定調和を崩した瞬間に、二人の思想が接続する。
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異世界では、人類と魔族の争いを煽ってきたのも、止めてきたのも“広場での対面ビート勝負”だった。民衆は王や魔王の演説より、広場の一戦で世界の空気が変わる瞬間を信じている。そこへ転生したDAICHIは、辺境の市場で披露したビートボックスが偶然バズり、一気に「人類にも魔族にも乗せられる男」として注目される。
一方HIKAKINは、その世界ですでに頂点にいる存在。彼のビートは洗練され尽くし、どんな相手も飲み込み、どんな場も自分の空気に変える。だが彼は私利私欲で頂点にいるわけではない。分断された世界を一度でもまとめ上げられるのは、自分のような“絶対的中心”だけだと信じているのだ。バラバラのまま共存するのでは遅すぎる、まず全員を同じ場に従わせなければ破滅する、それがHIKAKINの論理である。
DAICHIはそれに対し、中心は要るとしても、永久に一人で世界を回すべきではないと考える。目指すべきは“誰か一人の神試合”ではなく、“誰もが混ざれるセッション”だ。中盤、二人は複数回バトルするが毎回決着はつかない。HIKAKINは技術と支配で勝ち、DAICHIは空気の巻き込みで勝つ。最終決戦では、ついに人類と魔族の合同広場で完全一対一のバトル。構図としてはまさに対面動画の究極版で、最初は互いに相手のスタイルを潰し合い、後半からは相手のフレーズを拾って返す“対立から対話への変化”が描かれる。ラストは明確なKOではなく、二人のセッションに観客全体が手拍子で入ってきて、戦争を続けたい両陣営の強硬派が完全に空気を失う。
https://digital.asahi.com/articles/ASV354QQDV35UHBI030M.html
スペインのサンチェス首相が4日、イラン情勢について行ったテレビ演説の日本語訳の全文は次の通り。(スペイン政府が発表した英語訳をもとに翻訳)
◇
中東で高まる危機に関するスペイン政府の立場と、私たちが実施している措置についてお知らせする。
ご存じの通り、先週土曜日(2月28日)、米国とイスラエルがイランを攻撃し、これに対しイランは地域内の9カ国と、欧州国家のキプロスにある英国基地を無差別に爆撃して応酬した。
何よりもまず、イラン政権による違法な攻撃を受けた諸国に対し、スペイン国民の連帯の意を表明したい。
その後も敵対行為は継続し、むしろ激化しており、住宅、学校、病院で数百名の死者を出している。さらに国際的な株式市場の暴落、航空網とホルムズ海峡の混乱を引き起こした。この海峡はつい最近まで世界のガス、石油の総量の20%が通過していた。
今後何が起こるかは、誰にもわからない。最初の攻撃を仕掛けた者たちの目的すら不明確だ。
しかし、(最初の攻撃を仕掛けた)推進者たちが言うように、これは長期化する可能性のある戦争であり、多くの犠牲者が出るかもしれない。経済面でも世界規模で深刻な影響を及ぼす可能性があることに備えなければならない。
スペイン政府のこの状況に対する立場は、明確かつ一貫している。ウクライナでも(パレスチナ自治区)ガザでも私たちが維持してきた立場と同じだ。
第一に、私たち全員を守る、特に最も脆弱(ぜいじゃく)な存在である民間人を守る国際法の違反を許さない。
第二に、紛争と爆弾だけで世界の問題を解決できると考えることに反対する。
要するに、スペイン政府の立場は「戦争反対」という言葉に集約される。
23年前、別の米国政権が私たちを中東戦争に巻き込んだ。当時、サダム・フセインの大量破壊兵器を排除し、民主主義をもたらし、世界の安全を保証するための戦いと名目上は説明された。しかし現実には、振り返ってみると逆効果をもたらした。それはベルリンの壁崩壊以来、私たちの大陸が経験した最大の不安定化の波を引き起こしたのだ。
イラク戦争はジハーディスト(聖戦主義者)のテロの急増、東地中海における深刻な移民危機、エネルギー価格の全般的な上昇、ひいては生活必需品の価格や生活費の上昇を引き起こした。
これが当時の欧州人への「アゾレス・トリオ」(編集注:2003年3月にポルトガル領アゾレス諸島でイラク開戦をめぐり会談したブッシュ米大統領、ブレア英首相、スペインのアスナール首相の3人)による贈り物だった。より不安定な世界と、より劣悪な生活だ。
確かにイラン戦争がイラク戦争と同様の結果をもたらすかは、現時点で判断するのは早すぎる。イランの恐るべきアヤトラ(宗教指導者)政権の崩壊につながるのか、それとも地域の安定化をもたらすのか。
しかし確かなのは、そこからより公正な国際秩序が生まれることも、賃金の上昇や公共サービスの改善、環境の健全化がもたらされることもないということだ。
現時点で予見できるのは、経済の不確実性の増大と石油、ガス価格の高騰だ。
だからこそスペインはこの災厄に反対する。政府の役割は人々の生活を向上させ、問題の解決策を提供することであり、生活を悪化させることではないと理解しているからだ。
その使命を果たせない指導者たちが、自らの失敗を隠すために戦争を利用し、さらにいつも通りの少数の者たちの懐を肥やすことは、絶対に許されない。世界が病院の建設を止め、ミサイルを生産するとき、利益を得るのは彼らだけだ。
こうした状況下で、(スペインの)進歩的な連立政権は他の紛争や国際危機と同様の対応を取る。
まず第一に、中東にいるスペイン人を支援し、彼らが望むならば祖国へ帰還する手助けをする。外務省と軍は昼夜を問わず避難作戦を調整中だ。
同地域の空域が安全でないこと、空港網が攻撃で深刻な打撃を受けていることから、作戦が極めて困難であることは明らかだ。だが同胞のみなさんは確信していい。私たちはみなさんを守り、必ず祖国へ連れ帰る。
第二に、スペイン政府は、この紛争が経済に影響をもたらす可能性に備え、家庭、労働者、企業、自営業者を支援するためのシナリオと、可能な措置を検討している。
我が国の経済の活力と、政府の財政政策の責任ある取り組みのおかげで、スペインは現在、この危機に対処するために必要な資源を持っている。
私たちには能力があり、政治的意志もある。パンデミック、エネルギー危機、そして最近の関税危機のときと同様に、関係者と手を携えて対応する。
第三に、平和と国際法の順守を推進する国々とは、これまで通り協力する。必要な外交的・物的資源をもって支援する。
私たちは欧州の同盟国と協調し効果的な対応を図る。ウクライナとパレスチナという、決して忘れてはならない二つの地域において、公正で永続的な和平を実現するため、引き続き取り組んでいく。
最後に、政府はこの戦争の停戦と外交的解決を引き続き要求する。
スペインは欧州連合(EU)とNATO(北大西洋条約機構)、そして国際社会の一員だ。この危機は私たち欧州人、ひいてはスペイン国民にも影響を及ぼす。
だからこそ米国、イラン、イスラエルに対し、手遅れになる前に停止するよう、最大限の責任ある対応を要求しなければならない。
何度も言ってきたが、改めて繰り返す。
違法行為に対して別の違法行為で応じることはできない。それは人類の大惨事につながるからだ。
20世紀の第1次世界大戦が始まる前の1914年8月(編集注:第1次大戦は1914年7月に開戦)、当時のドイツ首相が「第1次大戦はどう始まったのか」と問われた。彼は肩をすくめてこう答えたという。「私も知りたいものだ」と。
大きな戦争は往々にして、制御不能になった連鎖反応、誤算、技術的失敗、予期せぬ出来事によって勃発する。
だからこそ私たちは歴史から学ぶべきだ。何百万人もの運命を、ロシアンルーレットのように賭けてはならない。
この紛争に関わる国々は、直ちに敵対行為を停止し、対話と外交の道を選ぶべきだ。
そして私たちのような他の者は、一貫した行動を取り、ウクライナ、ガザ、ベネズエラ、グリーンランドについて語る時と同じ価値観を、今こそ守らねばならない。
問題は私たちがアヤトラ(イランの宗教指導者)を支持するか否かではない。(宗教指導者を)誰も支持しない。スペイン国民はもちろん、スペイン政府も決して支持しない。
問題は、私たちが国際法の側に立つか否か、つまり平和の側に立つか否かだ。
スペイン社会は常にイラクのサダム・フセイン独裁政権を非難してきたが、それはイラク戦争への支持を意味しなかった。なぜならそれは違法であり、不正義であり、解決を掲げた問題のほとんどに真の解決をもたらさなかったからだ。
同様に私たちは、特に女性を含む市民を抑圧し卑劣に殺害するイラン体制を非難する。
このような私たちを、考えが甘いと非難する者もいるだろうが、考えが甘いのは暴力こそが解決策だと考えることだ。考えが甘いのは、民主主義や国家間の尊重が廃虚から生まれると信じることだ。あるいは無分別で卑屈な追従こそが、指導力だと考えることだ。
私たちの立場は決して考えが甘いのではなく、むしろ一貫していると考えている。
私たちは、世界の害となる行為や、私たちの価値観や利益に反する行為に、単なる報復への恐れから加担することはない。
なぜなら私たちは自国の経済的、制度的、そして道徳的な強さに絶対的な自信を持っているからだ。そしてこのような時こそ、スペイン人であることをかつてないほど誇りに思う。
私たちは困難を認識している。しかし、未来は決まっているわけではないことも知っている。
多くの者が当然のこととして受け止めている暴力の連鎖は、完全に回避可能であり、人類はアヤトラ(宗教指導者)の原理主義も戦争の惨禍も乗り越えられるのだ。
この希望を私たちだけが抱いていると言う者もいるだろうが、それもまた真実ではない。
国連憲章と共に立つ。
国際法と共に立つ。
戦争と不確実性ではなく、より多くの平和と繁栄をもたらす未来を求めている欧州、北米、中東の数百万の市民と共に立つ。
どうもありがとうございました。
下記は現段階(2026/03/03 5:45)でのX上の推測を元に書き連ねたものです。
火元であると思われるウェイボーの一次情報も探しましたが私の情報収集能力ではいまいち本国での時系列や規模、温度感等は分かりませんでした。
以下本文
最初にこういう歴史の軋轢を目の当たりにしたのは数年前アイドルの方の件だった記憶がある。最近別の声優さんにも同様の降板があったのも知ってた。
その時はかなり近いオタク界隈の事とは言え、まだ自分事じゃなかったからファンは悲しいだろうなって想像するだけだったけど、今回とうとう自分事になってしまった。中国のコンテンツに触れるからには多少なりとも覚悟はしていたつもりだったけど全く心の準備が足りてなかった。
悲しいとかシンプルな感情じゃない。世界が一つ失われた衝撃だと思う。呆然としてるというのが近い。
今から書くことは以前から靖国問題について国家間の対応で揉めているニュースを見るたびぼんやりと考えてた事なんだけど、日本人はもっと言葉を尽くして説明をしなければいけないと思うんだよね。あの施設に対して、加害者側として。
日本人的な、多分世界の大多数的には少し特殊な感覚からしたら、善人も悪人も、もはやこの世に居ない全てのものまとめて合掌みたいな事はあまりおかしな感じがする事ではないから、理解を得られないのだろうか、とも思ってきた。
でも例えが他に思いつかないんだけど、もし未だにヒトラーのお墓に参拝する人が絶えません。みたいな状況を耳にしたとしたら、それはなんでなんだろうと疑問に思う筈で、もしかして未だに多くの加害者側の国民(日本人)の中にはかつて植民地化しようとしていた地域の人達に対する優越的な思想が根強く残っていて、かつての戦争の『英雄』を崇める様な行為をしているんだろうかとか、誤解されてもおかしくないと思うんだよね。
でも決してそういう思想はない。そもそも大戦当時から多くの日本人にはそういう頭を使った『思想』なんてものすらなかった気がしてならない。今だって多くの一般人が私含めてそうだろうし。だから当時のメディア、新聞報道に扇動されて開戦を喜んですらいる様な無知の烏合の衆だった訳で。
唯一あったものと確信できるのは、関東大震災で起きた様なデマに踊らされた民衆の、朝鮮人虐殺に至る様な恐怖心と高ストレス下での代償行為でしかない。
民衆的日本人の底なんてそんなもので、防衛反応で開戦した様なものだから未だに周辺国に対しての加害者意識すら持ち合わせてないんだと思う。当時は仕方なかったんだから今の私たちに言われても⋯⋯みたいな困惑顔をするだけ。
故に現代の殆どの日本人ははっきり言って『靖国神社』に対しては『原爆ドーム』よりもライトな修学旅行スポット位の認識しかない。
自分も含め本当にひどくて愚かで恥ずかしい話だけど。なので何らかの意思や思想を持って参拝しているのは政治家と活動家に限られると思う。
そもそもどういう成り立ちの施設かも詳しくは知らないし、知ろうともしていないから、参拝によって何らかの思想を強化したり付与することも出来ない。そういう浅はかで自分勝手な歴史認識の姿勢を批判されるのならば、それは当然の事だと思う。
でも、植民地化を目論み他国で虐殺を指揮したA級戦犯を奉っている場所へ参拝するという認識自体が、無知や都合のいい歴史解釈(国際情勢に端を発する正当化、及び歴史上の人物化する事による自己との価値観の切離し)故に贖罪の意識を含め皆無であって、あまつさえ他国民の感情を傷つける行為になるとは実感として一切理解できていない。
むしろ日本に対して文句を付けたいだけの材料探し、いちゃもんじみた行為であるとすら考えているので、国家としては頑なに取り合わない。
そして民衆の間では歴史資料館にお参りする所がセットになっている位の悲しい現状認識ですらあると思う。恐らくは自分を含めた多くの日本人が。
故に何度も言うけれど、過去も現在も未来においても、どの国、どの民族に対しても愚弄したり勝っていると思う様な優越的な思想を誇示しているという認識は日本人にはない。というか持ち得ない。自国の歴史観を養うことさえ暗記重視で議論皆無の教育上求められてきていないので、他国との優劣比較などをしようがない。
そりゃ誰だって訳もなく自分の国が一番素敵だと心の中では思っている、思いたい筈だけど、だからと言って他国を下げる様な言動や行動には結びつかない。もしもそういう行為が目的で、靖国神社へ参拝している人が存在するなら他国の人に変わって日本人が厳しく処罰するべき以外にない。
歴史上の出来事に当事者意識がないのはある意味当たり前の事でもあるとは思うんだけど、自分の国の歴史に無頓着なのは、その過去の行いに疑問を持たず肯定していると受け取られても仕方がない。
今回の出来事は自分たちが靖国へ参拝する理由について説明を尽くさなかった結果起きた出来事だと思う。特に深い認識も思想も理由もないから説明しようがなかっただけというのが愚かしく虚しい。
「なんで未だにそんなに怒ってるんだろう。歴史上の出来事なのに。国家間では怒って見せてるだけで国民感情も本当にそうなの?」というのが靖国参拝批判の国際ニュースを見た時の日本人の偽らざる心の中なんじゃないかと思う。
ヒロアカの件も何をそんなに怒っているのか全く理解が出来ていないというのが正直な所で、反日感情を爆発させる事により耐え難い自国の圧政の息抜きをしているのではと捉えてみたり、韓国国民が旭日旗に過剰反応するのはある時期を境にした扇動の成功例だと思っているし、慰安婦問題も朝日新聞が悪いと思っている人が少なくない。いつまでも日本に対して被害者の立場で上からものを言ったり、たかりをするための方便だろうと。
しかし全てその前に純然とした間違い様のない加害の事実がまずある。
日本人は原爆を二発落とされ民間人20万人以上を虐殺され二つの都市を破壊したアメリカに、はっきり言って終戦直後から民間人レベルで手のひらを返した様におもねって生きのびてきたと言える。
長いものに巻かれろという諺もあるくらいで、被害者の立場で痛みを発信し続けるという事に対してどこか忌避感みたいな考え方がある。それがこの件(戦争責任についての謝罪の意識)が両国間で話が通じない原因の一つでもあると思う。日本国民は水に流す事を良しとする価値観を他国にも強要しているように感じる。
靖国神社へ参拝するのは戦争の被害者や子孫まで苦しめる意図は全くありません。
虐殺を指揮した将校たちを現代もありがたがって奉っているのではなく、彼らの大罪についても深く陳謝し祈る場所です。
日本の侵略戦争は当時の世界情勢がどうあれ、揺るぎない加害です。その事に、自分に繋がっている上の世代の罪に、真っ直ぐに向き合わず、過去の事だからと勝手に水に流している様な姿勢がいつまで経っても周辺の国々に到底許されるはずもない原因だと思います。
そういう姿勢は戦争を過去のものとし、自分とは無関係でありたいと願い、現実の被害者の事を少しも考えない身勝手な日本人の弱さが原因です。当事者なのでよく分かっています。
今回の件で、彼の靖国神社への参拝が中国国民への愚弄だと多くの中国人が感じられたのだとしたら、戦後80年を経っても日本人の国民間では戦争責任に対して真摯に向き合うことが未だに出来ておらず、被害者の魂を傷つけ続けてしまって本当に申し訳ないと心から謝罪したい。
しかし、愚弄する意図などが無いことは明らかなものとも思えるので歯痒いです。なぜなら少しでも戦争について真剣に考えようという意思がないと進んで行かない場所だと思えるからです。そういう思いがある日本人の方が残念ながら少ないのが現状であり、今回の出来事は大勢の日本国民のそういった我関せずな姿勢こそが火に油を注ぎ続けた結果の出来事ではないかと思えてなりません。
決して行ってはいけない書くのもおぞましい卑劣で残虐な行為をあなた達の国を支配するためだけに私達の祖父や曾祖父の世代が沢山行ったと聞いています。国家間の補償などとは関係なく、過ちというものは未来永劫許される事はないと思います。
多くの日本人は都合よく忘却はしていても心の底まで自己正当化する罪にまでは手を染めていません。戦争に突き進んだことを悔いています。それは敗戦したからという馬鹿げた理由だけではない身に迫る実感が、現代までまだなんとか引き継がれています。
その事について、覇権主義を体現する様な戦争を起こし、周辺の国々とその国民へ多大なる苦痛を与えた事について、反省と二度と繰り返さない決意を日本国民の多くが心の底では持ち続けています。だからこそ自戒を込めて靖国神社へ参拝し、全ての御霊に頭を下げるという事について、他国の多くの人に理解して貰えるよう努める必要があると感じています。
仏教の考えでは悪も正義も独立しては存在しておらず、森羅万象全て関係性の中にのみ存在する故に、将校や一兵卒、民間人に至るまで246万6千人がそこへ合祀されているのだと思います。非道を行なった者達を特別扱いしそこから取り除いたりする事は歴史を抹消しようとする様な事でもあり、罪の所在を彼らだけに押し付ける事になりはしないでしょうか。あの戦争は間違いなく日本国民全員が無知や思い上がり故のA級戦犯と言えるような過ちです。
最後に、私たちが一切の垣根なく慈しんできた世界を一つ消し去るような苦痛に満ちた出来事が、未来には日中友好の元、無くなるよう切に願っています。