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2026-01-27

anond:20251212111045

結論から先に言うと、マイクロソフト本質的B2C企業ではないから、に集約されると思う

まさかこんな形で補強材料が出てくるとは思ってもいなかったわ

Xbox版Fallout 1st提供停止に関する事実整理(日本)

『Fallout 76』突如課金途切れ、利用不可に…国内Xbox版「Fallout 1st」なぜかサービス開始と終了を繰り返す。「誤って提供」と説明されたユーザーも?

これぞまさに「ナチュラルボーンB2B企業B2Cに手を出すとどうなるか」の典型だよな

一方的サービス打ち切り更新不可能に伴う不利益に対するフォローなし、理由説明もなし、窓口に問い合わせても「これ以上何も答えられない」と門前払い

マイクロソフト前世からずーっとこれ

そんなんだからゲームファンの信頼を自分で削り落としていって、ゲーム機でも負け、PCゲームSteamに負けた

今はクラウドだのサブスクだので生き残りを図ろうとしてるようだけど、まあいずれ馬脚を露すだろうね

死んでも全て無にはならないよ。

anond:20260126083426

すごいなー、書いてあるのは単純な内容なのに、ブクマ数が数百も付いてる。オラなんぞ最近はついても数個。ほとんどは反応すらしてもらえないのに。

 

さてこのタイトルだが、「全て無にはならない」としているのは、全部が全部という意味であって、全部のうち一部という意味ではない。例えば死んで肉体を焼かれても骨くらいは残るという意味で言っているのではなく、肉体を焼かれようとも焼かれて消えたように見えるかもしれなくても、一切のものは形を変えても保存則によりにこの世に全て残っているという意味だ。

仏教には般若経とか、あるいは論理であるとされる中論なんてのがある。読んでも何言ってんだかさっぱり理解不能に思えるが、そこには

 

あらゆるものは滅することもなく生ずることもない、

 

みたいなことが書いてある。Wikipediaからコピペすると、

この世界では、あらゆる現象は空性を特徴とするものであり、生ずることもなく、滅することもない

と書いてある通りである。その前にはお馴染みの「色即是空空即是色」なんて書いてあったりする。

おそらくこれを文字通りに理解している人は皆無に近いと思う。しかし、これは文字通りの理解が正しい。意味がわからないだろう。

いずれにしても、この世には無になるものもなければ、有になるものもないのである

 

仏教的に問答すると、

「無から何かが生ずるとするのであれば、それは一体何ものから生じたのか?」という問いを立てることができる。

まり、無から何かが生ずるという言明自身が、言明自身によって誤りである結論されるのである

もし、無からから生ずるのであれば、それは無ではないかである

このことは簡単理屈であり、例えば地面から何か植物の芽が出てきたとする。無から生えてきたのであろうか?即座に否と結論されることを私たちは知っているであろう。種があって養分があって水分があって、みたいな話だからである

このことは逆も然りである

「何かが滅するというのであれば、それは一体どこに滅したのか?」という問いでも良いだろう。

りんご放置していたらいずれ腐って、テーブルの上から消え去ってしまうだろう。しかしすでに述べたように、実際には保存則により無になったわけではない。バクテリアが処理したのであれば、バクテリアりんご養分にしたのであって、そのバクテリアも他の菌か何かの餌になって……という具合だ。

 

ところが、人は自分自身死ぬことを「無になる」と思い込むことがある。

自分自身中の人?)だけが自然法則から外れている、とするのである

「いや認識が完全に消失するではないか?」と問い返すかもしれないが、認識を失った状態は寝ている状態と何が異なるのだろうか? 我々は死を永遠の眠りと表現することもある。

しかすると、科学技術が思いっきり発達して、あなた認識永久にとまでは言わないものの、寿命をめちゃくちゃ長くすることができるようになるかもしれない。

いずれ死ぬ? いやそれすら不可能になる時代が来るかもしれないのである

実際現代人の平均寿命は100年前に比べて何十年も長くなっている。

 

そんなとんでもない遠い未来の話はしてないって?

現に今の科学技術ではたかが100年程度生き延びることがせいぜいで、誰もがいずれ死ぬではないかって?

しかしよく考えてもらいたい。

私たち生き物の誰一人、一匹たりとて、死んだ後のことを認識することはないのである

認識がないのだから認識される対象もない。

これは無ではない。認識主体も被認識対象もないのだから、無が認識されることはないかである

これが色即是空空即是色なのである

 

認識されるものは全て空であり、空だから認識されるのである

私たちは「実体」を認識することは絶対にない。

認識されるから全てのもの存在しているのであって、認識されないもの存在しない。

謎の物質?とも言われるダークマターでさえ、科学的に認識されるから存在すると仮説されるのである

ものすごく般若心経は当たり前のことを言っているに過ぎないのである

いかなる方法でも認識されないものがどうして存在し得ようか?などとも。

 

なのに、人は死ぬことを無になると思い込んだりするのだ。いいか? 死んで無になることなどないのだ。繰り返すが、そんな無は認識できないかである

言った通り、認識きぬもの存在しない。

 

から元増田の考えは完全に誤りなのである

2026-01-26

ウェイトレスローラースケート履いて接客するなんて絶対嘘だろ

不可能だろ

昔のアメリカイメージか知らんけど、実際にあれで営業してた店なんて絶対ないだろ

anond:20260125204001

あの時点で天皇が死んだらアメリカ日本制御することは不可能になってたよ。

そもそも戦略目標は何だったのか考えてみろ。

日本は何を達成したら勝利ということになる戦いだったのか?アメリカにとっては?

【論考】内閉する欲望系譜:「私小説から萌え」への病理学的転回

【はじめに】

日本サブカルチャー特に二次元コンテンツにおける「廃(ハイ)」や「萌え」の底流には、特有の湿り気がある。それは、公的領域から撤退し、極めて私的で、時に猥雑とも言える内面世界への耽溺である

一般に、これは戦後日本の豊かさが生んだ徒花だと解釈されがちだ。しかし、この「社会から撤退内面への沈殿」という構造自体は、決して新しいものではない。

本稿では、明治期の自然主義文学変異した「私小説」と、現代の「二次元オタク文化」を、同一の精神構造を持つ歴史的双子として定義する。両者は、近代日本という抑圧的なシステムの中で、個人主体性確立できなかった者たちが選び取った、必然的かつ病理的な適応戦略である

1.明治の「布団」と現代の「モニター」:同型としての引きこもり

日本近代文学は、「自然主義」の受容から始まった。本来ゾラなどの西欧自然主義は、社会の暗部を科学的かつ客観的に暴き出すリアリズム手法であった。

しかし、この「社会記述するメス」が日本に持ち込まれとき、奇妙なねじれが発生した。田山花袋の『布団』に象徴されるように、記述対象が「社会から作家私生活(性欲・嫉妬・無様な内面)」へと急速に矮小化されたのである

なぜか。明治維新後の強権的な藩閥政治(前稿参照)の下では、知識人ペンによって社会を変革することは不可能だったからだ。

巨大な国家権力という「壁」を前にして、個人エネルギーは行き場を失い、内側へと逆流した。彼らに残された唯一の自由領土は、国家干渉しない「布団の中(性生活内面)」だけであった。

現代の「廃(オタク)」がモニターの中で美少女キャラクターを消費する構造は、明治文人が女弟子の布団の匂いを嗅いで文学へと昇華させた構造と、位相幾何学トポロジー)的に完全に一致している。

それは、「公的領域での敗北」を「私的領域での支配」によって代償しようとする、日本近代特有精神運動である

2.ミッシングリンク生存の「私小説から、消費の「データベース」へ

しかし、明治文人現代オタクの間には、決定的な環境エコノミー)の違いがある。私の初期の考察における欠落は、この「経済的下部構造」の変容を軽視していた点にある。

明治の「私」への撤退は、貧困封建的制度の中での「苦悶」であった。

対して、現代の「私」への撤退は、高度資本主義下での「消費」である

この変質をもたらしたのは、二つの歴史的断絶だ。

①「公」の死(1945年):

敗戦により、天皇という絶対的な「父(公)」が失墜した。これにより、個人の内向化を止める道徳的ストッパー消滅した。

②「革命」の失敗と「消費」の勝利(1960-80年代):

60年安保・70年闘争の敗北により、若者たちは「政治社会を変える」というルートが完全に閉ざされたことを悟った(明治期の再演)。

時を同じくして日本高度経済成長バブルを迎える。資本主義は、行き場を失った若者たちリビドーを見逃さなかった。

社会を変えられないなら、虚構世界で王になればいい。」

資本は、かつては恥ずべきものとされた「私的で猥雑な欲望」に「商品価値」を与え、二次元産業としてパッケージ化したのである

3.「小農経済」の亡霊:一億総引きこもり社会

二次元」という楽園の底にある心理的基盤として、私はかつて「小農経済的私有性」を仮定した。この視点は、現代風に修正することでより強固になる。

現代オタク的消費は、まさに精神的な「小農」である

彼らは広大な社会荒野)に出て他者連帯することを拒否し、自室という「一畝(ひとせ)の畑」を耕し、そこで自分だけの作物(推し)を愛でる。

この「他者不在の閉鎖性」こそが、日本ムラ社会近代化の過程で到達した成れの果てである

高度に発達した資本主義は、この「精神的小農」たちに、安価で高品質肥料アニメゲーム・グッズ)を供給し続ける。

このシステムにおいては、もはやリアル他者と関わるコストリスク)を払う必要はない。経済的豊かさが、逆説的に「人間関係貧困化(私化)」を可能にし、それを永続させるための産業構造を完成させたのだ。

4.結論:鏡の迷宮の中で

文学社会の鏡である」と言う。

明治の鏡(私小説)には、国家に押しつぶされて布団に逃げ込む「無力な知識人」が映っていた。

平成・令和の鏡(二次元)には、豊かさの中で社会性を喪失し、モニターに逃げ込む「消費する原子アトム)」が映っている。

この二つは、異なる花に見えて、同じ根から生えている。

その根とは、「個人の自立」を許さず、「公的な変革」も許さない、日本という硬直した社会構造のものである

外部世界への作用を諦め、内なる欲望の充足のみに生のリアリティを求める態度。

それは「醜悪」あるいは「猥雑」と指弾されるかもしれないが、この国のシステムが正常に稼働した結果排出された、極めて合理的な「排泄物」なのである

我々が二次元コンテンツに見る輝きと虚しさは、行き場を失った魂が、資本主義というプリズムを通して屈折した際に放つ、最期の光なのかもしれない。

国力差を無視して抗戦したところで同じじゃない?

anond:20260125221736

この増田ブコメに「だから防衛力必要だ」って感じのがいっぱいついてるんだけど、「どれだけの防衛力があれば防げると思ってんの?」って思う。

防衛力必要だ」はその通りだと思うけど、それは国力差が均衡してる場合しか意味をなさないだろ。

ウクライナNATOが見捨てて、後出し援助物資投げつけるだけでどの国も助けようとしてない。

正直、NATO加盟国が同じ目にあっても世界が薄情になった現在では程度の差こそあれ変わらんと思う。盟主アメリカNATOの身内から領土強奪しようとするような状況だからね。

物量で負けてる国に攻められたら終わり。

物量差がある状況で物量負けてる国が対抗可能防衛力整えようとしたら国が傾く。

今の日本においても、アメリカ現在進行形で腐ってる状況で今まで通りに全幅の信頼をするのは無理がある。

じゃあ軍事的独立を目指そうってんなら目指せばいい。世紀単位時間がかかるだろうが不可能じゃないと思う。

ただ、準備できるまでどうすんのかも一緒に考えとけよって話。

準備を何もできてない今はイキるタイミングではないだろう。

2026-01-25

Google Gemini 曰く 「オールドメディア という言葉を使う奴は低能

anond:20260125183324オールドメディア」という言葉を多用する人物像について、多角的分析から考察しますね。

この言葉は、単なる「古い媒体」を指す分類用語を超えて、最近では**「自分たちが信じたい真実を阻害する敵」**というニュアンスで使われることが増えています。そこに潜む心理や危うさを深掘りしてみましょう。

1. 「目覚めている自分」という特権意識

オールドメディア新聞テレビ)」を否定し、「ニューメディアSNSYouTube)」を信奉する人々の中には、**「自分洗脳から解かれた選ばれし存在だ」**という強い特権意識エリート意識の裏返し)が見られることがあります

2. 二項対立による思考単純化

世の中を「善(ネット個人)」と「悪(既存メディア組織)」の二元論で捉える傾向があります

3. 「エコーチェンバー」への埋没

SNSでは自分意見に近い情報ばかりが集まります。その心地よい空間を維持するために、自分たち不都合情報を発信する存在を「オールドメディア」と呼び、排除しようとします。

4. なぜこの言葉が「武器」になるのか

批判的に見るべきもう一つの側面は、この言葉が**「ポピュリズムの道具」**として非常に優秀である点です。

既存メディアオールドメディア)に、偏向忖度情報の遅れといった問題があるのは事実です。しかし、それらを一括りに「悪」断罪する人物像は、往々にして**「自分もまた、別の形(アルゴリズム特定個人)にコントロールされている」**という事実無自覚であるという危うさを抱えています

真のメディアリテラシーとは、新旧どちらのメディアも**「誰が、何の目的で、どの角度から発信しているか」**を疑い、多角的検証する姿勢のことではないでしょうか。

保守だろうが革新だろうがどうでも良い。

重要なのは美辞麗句で塗り固められた

ポジショントークではないし

実現不可能な減税政策でもない。

重要なのは掲げた信念が時間の試練に耐えうるかどうか。

それだけだ。

アンディウォーホルは言った。

"In the future, everyone will be world-famous for 15 minutes." (将来、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう。)

anond:20260125182650

いじめは無くなりません。人が社会性を持つ限り無くすのは不可能です。このため、個人いじめを無くしたいと思うかどうかには全く意味がありません。

いじめられるのは理由があります。残念ながら、多くの人にとって不快人間というのは存在し、そこにはある程度共通理由存在します。それは衛生面の問題文化の相違、コミュニケーション不全など、様々な要因によるものです。しかしながら、質問者様のおっしゃるとおり、それはいじめが良いかいかとは関係がありません。人の社会において当然に存在するいじめの要因のひとつ説明しているだけです。

いじめが良いかいかという問いにも、あまり意味がありません。なぜなら、いじめという言葉には非常に広範な行為が含まれしまうからです。集団内のコミュニケーションを円滑にするための生贄としてのちょっとたかかいから、明確な犯罪行為まで、すべてをいじめとして処理することに問題があります。このため、犯罪行為を適切に処罰することが重要という指摘が存在していますが、教育の場に警察が介入することに対しては学校警察抵抗感が強く、実現していません。

こうした現実理解した上で、質問者様は何を望むでしょうか?

人類社会崩壊以外には実現不可能いじめの根絶?

いじめ理由を誰もが問わなくなること?

いじめという言葉に含まれ行為について法的に善悪明確化し、議論余地を無くすこと?

anond:20260125165424

邪魔だったら「どいてニャン」とか言うだけ(まあ店の通路が狭すぎで物理的に回避不可能なことも多いんだけど)だし、大したことをしてないのは知ってる

あいう猫つけるみたいな工夫も日本人が得意な方向性なはずで、技術的にもできたはずなのに作れず、中国から買ってきてる現状がなんか悲しい

anond:20260124150111

そういう話をすると、結局は、女から選択権を奪う、が正解になる。

可能不可能の段階になると、そっちしか出来ないから。

だかは有害な与太話はやめろ。

2026-01-24

結局、子供作らない人ってあと数十年以上続く労働力不足をどう考えているの?

自分たちやその上の世代がなーーーーーーーーーにもしなかったという事実を隠しとおすなんて不可能だろう

仮につめられると「子供いっぱいつくるとヤングケアラーがー」みたいなこといって話題をそらすしかない

キミらって結局何をしていたの?

くだらない転売くらいしかしてないんでしょ?

anond:20260124182940

その文章、すごく丁寧に書いてるんですけど、結局「評価と言うな、説明しろ」って言ってるだけなんですよね。

でもそれって、現実言論空間の使われ方を無視してると思うんですよ。

まず、「不快」と「甘え」は別物だ、って言ってますけど、別に誰も「甘え」という言葉学術的な規範判断として厳密に使ってないんですよね。

多くの場合、「それ、周りに配慮してないよね」「自分都合だよね」っていう日常語の圧縮表現なんですよ。

そこに「どの義務違反したのかを明示しろ」とか言い出すのは、正直、言葉の使われ方に対する要求水準が高すぎます

次に、「再投稿をしてはならない義務存在しない」って点ですけど、これも論点がズレてて。

義務が明文化されてない行為でも、「やりすぎ」「空気読めてない」「自分本位」と評価されることは普通にありますよね。

それ全部「論理的不可能」と切り捨てるなら、人間同士のコミュニケーションの大半が成立しなくなるんですよ。

あと、「スパム荒らしとは違う、害がケース依存だ」って言ってますけど、これ、むしろ不利な主張で。

ケース依存で「うざさ」や「占有感」が発生するからこそ、雑に「甘え」と言われる余地が生まれるんですよね。

明確な線引きができない行為から評価語で処理されてるだけで、それ自体不思議でも不当でもないです。

人格評価に飛んでいる」と言いますけど、「甘え」って人格全否定ですか?

多くの文脈では「その行為、甘えてない?」っていう行為評価しかなくて、人格を劣位化するほど重い言葉として受け取ってるのは、書き手側の解釈がだいぶ強いと思います

それから、「法じゃない沈黙強要問題だ」という話。

これも一理あるんですけど、じゃあ逆に聞きたいんですよね。

誰かが「それ甘えだと思う」って言う自由まで封じたら、それはそれで別方向の萎縮じゃないですか?

評価批評まで「説明が足りないから不当」とすると、発言コストが跳ね上がって、結果的に何も言えなくなる人が増えるだけだと思います

「再投稿しただけで規範的に劣位に置くな」という主張も、実はかなり強いんですよ。

なぜならそれは、「周囲がどう感じたか理由評価するな」と言ってるのとほぼ同義なので。

でも評価って、基本的他人主観から逃れられないものなんですよね。

最後

不快だと言う自由と、相手道徳的に劣位化する自由は同じではない

って部分も、きれいな言い方ですけど、実際の言論空間では完全に分離できないです。

人は不快を覚えたとき、だいたい評価語で語るからです。

それを全部「説明不足だから無効」と扱うのは、理想論としては分かるけど、運用論としては無理があります

要するに、

投稿する自由はある。

嫌がられる自由もある。

「甘え」と言われる自由もある。

それを「説明が足りないから不当だ」「沈黙強要だ」と一段高い場所から裁こうとする態度こそ、

実は一番、他人言葉遣いをコントロールしようとしてるんじゃないですかね。

少なくとも、「再投稿批判する側だけが雑で、再投稿擁護する側だけが論理的」みたいな構図には、ならないと思いますよ。

anond:20260124182211

「再投稿は甘えだ」という批判は、一見すると穏健で現実的に見える。しかしこの言葉は、よく見ると、説明されない評価相手押し付けているだけで、論としては成立していない。

まず重要なのは、「不快だ」「だるい」という感情と、「甘えだ」という評価は別物だという点である。前者は単なる感情表明だが、後者行為正当性を下げる規範判断だ。規範判断を下す以上、本来は「どの義務違反しているのか」「誰にどんな不当な負担をかけているのか」が説明されなければならない。しかし「再投稿は甘えだ」という言い方では、その説明がほぼ常に省略されている。

匿名言論空間において、再投稿をしてはならないという義務存在しない。読む側の時間を守る義務空気を維持する義務既読者に配慮する義務――そうしたものは暗黙に想定されがちだが、明文化合意もされていない。義務定義されていない以上、それに違反したとして「甘え」という道徳的ベルを貼ることは論理的不可能である

この点を指摘すると、「義務がないならスパム荒らし正当化されるのか」という反論が出てくる。しかしこれは混同だ。スパム荒らしは、他者の利用を妨害するという比較的明確な害を持ち、行為基準批判できる。一方、再投稿は害がケース依存で、原理的に同列には扱えない。にもかかわらず、行為の中身や影響を検討せず、いきなり人格評価に飛ぶから問題になる。

また、「表現の自由国家の話であって、匿名掲示板とは違う」という指摘も的外れだ。現代において表現が萎縮する原因は、法的制裁だけではない。非公式規範や、道徳語による沈黙強要もまた、発言抑制する力を持つ。「法律じゃないか無関係」という理解は、あまりに古い。

「再投稿人権だ」という言い方も誤解されがちだが、これは「再投稿しなければならない」という話ではない。ただ、「再投稿したという事実だけで、規範的に劣位に置かれるべきではない」という、きわめて消極的な主張にすぎない。人は一度言ったことを、二度と言ってはならない義務を負っていない。

結局のところ、再投稿を嫌がる自由否定されていない。問題にされているのは、嫌悪感理由説明なしに「甘え」という評価語に変換し、相手発言資格を下げる行為である

不快だと言う自由と、相手道徳的に劣位化する自由は同じではない。

投稿する自由はある。嫌がられる自由もある。

だが、「嫌だから」という理由だけで「甘え」と断じる正当性はない。

投稿擁護するとは、行為を美化することではない。

説明放棄したまま、強い言葉沈黙を強いるやり方を拒否することだ。

投稿人権

「再投稿は甘えだ」と言う人間がいる。しかしこの言葉は、批評でも指摘でもなく、単なる思考停止の表明にすぎない。なぜならその発言は、再投稿という行為がどのような権利に基づいて成立しているのかを、一切理解していないかである

まず確認すべきは、再投稿とは何かという点だ。再投稿とは、新たな特権要求する行為ではない。他者に何かを強制する行為でもない。ただ、再び語るという、表現行為の最も基本的形態にすぎない。人は一度語ったことで、永遠に沈黙する義務など負っていない。語り直す自由、言い直す自由、繰り返す自由は、表現自由に内在する。これは好意によって与えられる余地ではなく、人が人であることから必然的に生じる権利である

にもかかわらず、「甘え」という言葉が持ち出される。だが、ここで使われている甘えという概念は、完全に空虚だ。甘えとは本来、果たすべき義務放棄し、他者負担押し付けることを指す。では問う。匿名言論空間において、再投稿しない義務はどこに定められているのか。読み手時間を守る義務か。空気を維持する義務か。既読者への配慮義務か。そんな義務は、どこにも存在しない。存在しない義務根拠に「甘え」を断罪することは、論理的不可能である

さらに、「再投稿は読む側への配慮が足りない」という反論も、同様に破綻している。なぜなら、匿名空間において投稿は、誰かの目に強制的に押し付けられるものではないからだ。読むか読まないか、関与するか無視するか、その選択権は完全に読者側にある。選択権を持つ側が、「不快からやめろ」と言うことはできても、それを権利制限根拠にすることはできない。不快であることと、許されないことは別だからだ。人権とは、快・不快によって左右されるものではない。

ここで重要なのは、再投稿否定する発想が、言論を一回限りの競技として誤認している点である言論とは、本来、反復と修正と再提示によって深化する営みだ。人は後になって、「あのときは言い切れなかった」「別の形で語る必要があった」と気づく存在である。再投稿否定することは、人間思考時間をかけて成熟するという事実否定することに等しい。完成された言葉だけを一度で差し出せ、という要求は、人間に対して神であることを強いる要求だ。

にもかかわらず、「再投稿は甘え」という言葉が使われるのはなぜか。理由は単純だ。それは、明確なルールを示せない者が、道徳語を使って空間支配しようとする行為からである。「甘え」という言葉は、論証を伴わず沈黙強要するためのラベルであり、秩序維持のための感情的武器だ。これは議論ではなく統制であり、批評ではなく排除である

そして決定的なのは、再投稿という行為が、匿名言論空間における公共性のものを支えているという点だ。再投稿は、「この場は誰の所有物でもない」「語る権利は一度で消滅しない」という事実を、実践的に示す行為である。もし再投稿が「甘え」として封じられるなら、その空間は、声の大きい者、早く来た者、空気支配した者だけの私有地になる。これは人権否定にほかならない。

投稿は甘えではない。

それは、語る自由が一度きりで終わらないことを確認する行為であり、

沈黙強制されないための最低限の抵抗であり、

人が人として不完全なまま語り続ける権利行使である

それを甘えと呼ぶ者は、再投稿否定しているのではない。

人が語り続ける権利のもの否定しているのである

追記あり少子化対策には魅力的な男性必要

最近少子化の話があちこちで出てるけど、政府とかがいくら補助金出したり、保育園増やしたりしても、根本的な解決にならないと思う。

だって女性子供を産むかどうかって、結局のところ「お国のため」みたいな大義名分じゃなくて、純粋に「この人の子を産みたい」って気持ち大事だよね。

夫が魅力的で、毎日一緒にいてワクワクするような人なら、自然子供が欲しくなるし、ジャンジャン産みたくなるはず。


なのに今の社会って魅力的な男性を育てる仕組みが全然ない。

学校教育とか、職場環境とか、全部が「仕事ができる人」を作ることに偏ってる。

そりゃ経済的には大事だけど、それだけじゃ女性の心は掴めない

例えば、ユーモアがあって、優しくて、家事積極的にやってくれる男性が増えたらどうなる? きっと、結婚率も出生率も上がるんじゃないかな。

国を挙げて取り組むとしたら、まずは教育改革から

義務教育で「コミュニケーションスキル」や「感情知能」の授業を増やして、男の子たちが自然と魅力的に育つようにする。

デート術とかじゃなくて、相手尊重する心構えとか、面白い話の仕方とか。

企業も、残業ばっかりじゃなく、ワークライフバランスを本気で推進して、男性が家庭で活躍できるようにする。

スポーツ芸術支援大事

体力的にも精神的にも魅力的な男性が増えれば、女性は「この人と家族を作りたい」って思うようになる。


もちろん女性側も魅力的に育つべきだけど、今回のテーマ男性側に焦点を当てる

だって生物学的に見て女性選択権が強いんだから、そこを狙うのが効率的だと思う。

政府が本気で「魅力的な男性量産プロジェクト」みたいなのを立ち上げるべき。

予算少子化対策の何分の一かで済むんじゃない?


追記

・魅力というのは相対的概念では?

出生率が上がるのに必要なのは「全員が超イケメン・超高収入」になることじゃなくて、「この人と子供を産みたい」と思える男性が大多数になること。

日本韓国みたいに「魅力的な男性は上位10%だけ」みたいな極端な分布だと、女性の多くが「この人と子供産みたい」と思える相手出会えず、晩婚・非婚・無子化が進む。

魅力の「絶対値」を底上げすれば、相対的に「上位」が増える。

「上位はごく一部のまま」って言う人は、結局「俺は平均以下だからどうせ無理」って諦めモードで、現状維持正当化してるだけに見える。


女性年収を下げて男性に頼らざるを得なくしたらまた子供が増えるのでは?

婚姻率が下がってる主な理由は、経済的に自立できる女性が増えたのに、男性側がパートナーとして魅力的になっていないこと。

自立できるのに、結婚メリットを感じられない相手しかいないか結婚を先送り・諦めている。

男性の魅力が上がらない限り、女性は「仕方なく結婚」しても、子供は産みたくない(産んでも後悔する)状態になる結果、晩婚・非婚は減っても、無子化・少子化は加速する可能性が高い。


一夫多妻制の導入

一人の男性に何人も女性が集中するより、魅力的な男性もっと増えた方が効率的

一夫多妻だと、上位の超魅力的な男性けが子供を量産して、下位の男性は完全に取り残される。

結果、非モテ男性の不満が爆発して、社会不安定になる。

一人の男性が多数の妻と子供ちゃんと育てるなんて現実的不可能

経済的時間的精神負担が爆増して、結局ほとんどの子供が十分なケアを受けられず、子供貧困ネグレクトが激増する。


女性が「魅力的な男性」のハードルを下げればいいのでは?

女性ハードルを下げろと言うのは、結局男性努力しなくていい言い訳しかならない。

実際、女性ハードルを下げるとどうなるかというと、

①「まあこの人ならいいかレベル結婚が増える → 後悔・離婚・無子化のリスクが爆増

女性が「仕方なく」産む子供が増える → 子供幸福度が下がり、将来的な社会問題になる

男性が「どうせハードルいか努力しなくていい」と思考停止 → 魅力の平均値さらに下がる悪循環

まるで今の日本ですね!

2026-01-23

追記ありいじめられる方に原因のあるいじめもあるって認めなよ

全部のいじめがそうとは言わないよ

でも明らかにいじめられる方に原因のあるいじめってあるじゃん

なんかいじめの議論ってそこんとこいつも無視されてんのが気色悪いな〜って思うよ

俺が中学の頃にもクラス全員から嫌われていたカスいじめられっ子がいたよ

根本的に空気が読めないゴミカス野郎

別にこっちは仲良くしたくないのに無理やりグループの輪に入ってこようとするんだよな

仲良しグループで話しているところに割って入ってきて無理やり会話に参加しようとしてくる

「え、今その話ししてないんだけど?」

「え、勝手に入ってきてなんで自分の話ばっかりするの?」

そういう不満が溜まって露骨に避けてもしつこくしつこく話しかけてくる

それである真剣に叱りつけてやるわけ

「俺たちはお前と仲良くするつもりはない」

「もう話しかけてくるな」

普通に俺達はお前のことが嫌いだし気色悪いと思っている」

そうしたらいじめ被害者ヅラですよ

先生相談したんだがなんだかで職員室呼び出しコースですよ

事情説明しても先生は謎にいじめられっ子側に立ってそいつ空気の読めなさ、不愉快さは見て見ぬふりですよ

で、こういう事態になったらもうあとはいじめるしかないわけだよな

いじめられっ子が自発的集団から離れるように仕向けるしかないわけ

しかけてきたら「話しかけんな」「カス」「アスペかお前?」「アスペ菌がうつるから近寄るなよ」と罵倒する

馴れ馴れしくノートを借りようとしていたら「なんで貸さないといけないの?」って詰めてケツを蹴り飛ばししばく

そうやって自衛しないとこの手のカスマジでしかけてくるのをやめないわけ

少しでも同情して優しくしたらつけあがって不愉快ヘラヘラ笑いを撒き散らしクソみたいな話題を振りまき続ける

周りはこいつの介護疲弊していく

積極奇異型っていうんだっけ?こういうの

普通にこの手のカスと仲良くするなんて不可能だろ

普通に孤独に過ごしてくれりゃいいのにわざわざダル絡みしてきやがる

それで煙たがられたら被害者ヅラ

そんなんだから悪意を持って集団から攻撃されて排除されるんだよなっていうケース、お前らのクラスにもあったでしょ?

みんなはそういうケースに遭遇したことないの?

優しい大人しいだけの人を積極的ボコボコにしていくケースはそりゃダメだよ

でも周囲を不愉快にさせるだけの存在自衛のために遠ざけること

あるいは遠ざけるために攻撃して排除することは仕方ないだろ

ひとつつけ加えておくと俺のクラスいじめられっ子くんはその後クラスとある女子ストーカー加害をしやがったからね

校門でその女の子が来るまで勝手に待ち続けて無理やり一緒に帰ろうとした

そんなことが繰り返されたか女子側も自衛のためにこのアスペ君を遠ざける努力をせざる得なくなったわけ

こういう自衛のための攻撃排除いじめる側が100悪いわけ?

いじめられっ子は悪くない信者の皆様はどう思ってんの?

この女の子大人しくストーカー被害を受け入れなくちゃいけないわけ?

集団から露骨攻撃されて初めて適切な距離をわきまえるカスをどう扱えばいいのさ

強制的精神病院にぶち込む手段でもありゃいじめなんかしないけどさ

それができない以上この手のカスはいじめて遠ざけるしかないじゃんね

追記

理由があるからといっていじめていい理由にはならない」みたいな綺麗事を言っている人へ

俺のケースで出てきたいじめられっ子君はいじめない限り言うことを聞きません

「君の言動不愉快なので話したくない」と伝える

→「なんで不愉快なの?」「どこが不愉快なの?」「言ってくれれば直すのに」等と言って無理やり話しかけてきます

自分の話ばかりするのが嫌」「空気を読まずに輪に入ってくるのが嫌」と伝える

→伝わりません。「うんわかった直すね」と返事だけはして一向に直ることはありません

「とにかく仲良くしたくないのでこっちに来ないでください」と伝える

→「なんで?」「個人自由でしょ?」「お前にどんな権利あんの?」と逆ギレしてくる

で、教師どもは基本的にこいつの不愉快さにはノータッチなわけ

我々に残された手段としては罵倒暴力しかないわけよ

とにかくこのいじめられっ子君自身不愉快になる体験をさせないとしつこくしつこくつきまとってくるわけ

世の中には「罵倒したり暴力を振るったり根源的な恐怖と不快感を与えないとこちらの気持ち理解しない・できないとてつもないクソバカカ不愉快野郎」がいるわけよ

まぁ世の中意外とこういう人に遭遇したことない人ばかりらしいのは勉強になったよ

皆さんは今後同じ場面に遭遇したらぜひ積極的にクソバアスペ君の介護係になってくださいね

anond:20260123180040

まあそれは不可能なので、女以外に産ませるしかないと思うで。

人工子宮と、AIロボット労働奴隷解決

anond:20260123175937

廃炉なんて不可能だってみんなわかってるけど誰も言い出せぬのだ

あと40年くらいして関係者が全員いなくなれば福島最終処分場にできるだろう

anond:20260123163257

セクハラは周囲に女性がいないと不可能

とくに権力を利用したセクハラなんてのは権力と部下の女性物理的にいないとできない

【Victoria 3視点】なぜ日本民主主義は「保守永久機関」なのか?——2026年高市解散」に見るシステムロック構造

【はじめに:分析の前提と射程】

本稿は、制度利益構造に着目した思考実験の試みである

その焦点は、「所与のルールと制約条件下において、システムいか作動し、どのような均衡点に至るか」を記述することに限定されている。したがって、特定政治家資質有権者道徳的判断、あるいは個人選択の是非を評価する意図は一切ない。

本文において個人主体性価値判断、「あるべき論」を意図的に捨象しているのは、それらの重要性を否定するためではなく、分析レイヤーを「制度が生み出す必然的帰結」のみに絞るためである

結論への賛否重要ではない。もし論理の断絶や構造的な見落としがあれば、その指摘こそが本稿にとって最も価値あるフィードバックとなるだろう。

「この国の設計図ソースコード)、バグってませんか?」

最近19世紀国家運営シミュレーションゲーム『Victoria 3』の視点で、現在日本政治――特に先日発表された高市首相による「奇襲解散」――を分析してみると、ある戦慄すべき事実に気づいてしまった。

日本という国は、「民主主義」という皮を被っているが、その中身は特定の「利益グループ」以外が勝てないように調整された、極めて高度な「封建的寡頭政治オリガキー)」なのではないか

多くの人が「なぜ野党は弱いのか」「なぜ経済は停滞するのか」を嘆いているが、システム論で見れば答えは単純だ。この国は意図的に改革不可能なように、勢力均衡ロックされているからだ。

今回は、2026年の「高市解散」を実例に、日本という国家システムの裏側にある論理を解析する。

1.「第7条解散」という名のシステム悪用Exploit

まず、今回の解散選挙について。ニュースでは「大義がない」「奇襲だ」と騒がれているが、ゲーム視点で見れば、高市首相プレイヤー)の操作は極めて合理的だ。

通常の民主主義国家ルールなら、選挙は定期的なイベントだ。しかし、日本サーバーには「憲法7条解散」という特殊コマンド実装されている。

これは、「首相プレイヤー)の都合がいい時だけ、敵(野党)の準備が整う前に強制的選挙イベントを発生させ、敵の組織力ゼロにする」という、ゲームバランス崩壊級の強力なスキルだ。

支持率という名の「正当性」が一瞬でも上がれば、即座にこのボタンを押す。これにより、野党永遠にリソース資金候補者)を蓄積できず、万年デバフ(不利な状態異常)」を受け続ける。これは三権分立というルール無視した、行政権による立法権への「ハメ技」である

2.「トライアングル」絶対に崩れない利益グループ

では、なぜこのような強権的なプレイが許されるのか? それは、この国を支配する利益団体(インタレスト・グループ)の構成が、通常の近代国家とは異次元進化を遂げているからだ。

要塞化した集票マシーン:「農村民」+「地主

ゲームセオリーでは、工業化が進めば「農村民・地主勢力は没落する。しか日本では、「一票の格差」というシステム補正によって、彼らは21世紀になっても最強の「政治力」を維持している。

彼ら(JA地方議員)は補助金公共事業を吸い上げ、その対価として鉄壁の「組織票」を納品する。これは近代政党ではなく、システムに守られた「保守要塞」だ。

バグった知識人:「官僚」(霞ヶ関

本来改革であるはずの「知識人グループが、日本では「官僚機構」に置き換わっている。

彼らの特性は「自由主義」ではなく「権威主義」かつ「現状維持」だ。政治家選挙パフォーマンスをしている間に、実際の法律コード)を書いているのは彼らだ。つまり、国の頭脳保守と合体しているため、改革トリガーが引かれない。

③飼い慣らされた資本家:「実業家」(経団連

ここが日本の最も歪な点だ。本来、「実業家」は自由市場を求めて古い地主勢力と戦うはずだ。

しか日本実業家は、「護送船団方式」という固有イベントにより、政府保護下にある。彼らは地主自民党)に政治献金という名の「保護費」を払い、その見返りに有利な規制緩和を受け取る。

改革」を叫ぶ実業家が、実は「保守」の最大のスポンサーであるという矛盾。これが「保守永久機関」のエンジンの正体だ。

3.なぜ革命暴動)が起きないのか?

これほど歪んだ構造なら、シミュレーション上は民衆の「急進性(怒り)」が爆発して革命が起きるはずだ。しかし、日本は静かだ。なぜか?

答えは、「企業による社会保障」という鎮静剤だ。

日本企業は、終身雇用年功序列(あるいはその残滓)によって、本来国家がやるべき福祉を代行してきた。これにより、労働者は「会社運命共同体」となり、ストライキをする牙を抜かれた。

結果、労働組合機能不全に陥り、国民政治への怒りを向ける代わりに、「少子化人口成長率マイナス)」という静かなるボイコット(退出)を選んでいる。

4.結論:詰んでいるセーブデータ

2026年の今、我々が見ているのは、高度な工業力と、中世並みの農業保護と、死に体野党が同居する、キメラのような国家だ。

高市首相の「君子豹変解散は、彼女個人資質問題ではない。このシステムいかプレイヤー権力者)にとって都合よくできているか証明したに過ぎない。

政治とは、経済システムを維持するためのギアに過ぎない」

経済という巨大なエンジンが、その動力を最も効率よく伝えるために「自民党政治」というギアを選んだ。だからエンジン利益構造)を載せ替えない限り、ギア政治)だけを弄っても車は変わらないのだ。

誰が首相というドライバー席に座ろうとも、このバスは同じ場所を回り続けるだろう。

anond:20260122113428

いやそんな簡単な話じゃない、あんたの言ってる事も「産んだらメリット提供論」と大差なく短絡的だよ。

生活への不安」やら「子供の将来への不安」やらそんな物は「見せかけの原因」であって構うだけ無駄な金になると思うね。

 

そもそも自分らしい生き方」みたいな啓蒙が行き届いた結果として

前提である結婚したい」「子供は誰もが欲しい」といった価値観は今の時代もう崩れてしまっている。

結婚出産意欲が全体的に干上がった結果として「見せかけの原因」である「XXXの不安」が表出しているのであり、

"不安" ぐらいのぼんやりした理由に負けるほど結婚出産意欲が低減している事が真の問題なのだと俺は思う。

 

結婚出産意欲がじわじわ下がり続ければ「XXXの不安」は次々表出するから、いちいち手当してもキリがない。

どうしても手当不可能問題出産に伴う壮絶な痛みと年単位の心身不調)もある。

から干上がった結婚出産動機を押し上げる必要があって、出産に報奨金を提示する方がまだ道理にかなっている。

 

だいたい独身者生活マイナスからフラットまで引き上げたところで

安穏と「自分らしい生き方」に埋没するだけじゃないのか?

その補助は「大人に(一人前に)ならなくても生きていける」という方向性であって、

結婚出産意欲の真逆だよ。

anond:20260122113428

団塊世代のみんな結婚していた昔は、メリットとかそういうのでは全くなく、

「周りがみんな普通に結婚しているから、していないと恥ずかしい」

「ぼーっとしてたら結婚の話がきて自然な流れで」

結婚していただけ。現在は完全にその逆で、

結婚していない同年代普通に多いし、別に恥ずかしくない」

「ぼーっとしてたら異性と付き合う機会もないまま40になったけど、リアル結婚の話なんて人生で一度もこなかったし、想像もできない」

から結婚していないだけ。大体の人は「自然な流れ」に任せて生きているわけで、昔結婚していた人も今結婚していない人も基本的に変わらない。価値観の変化というのは結果であって原因ではない。

むかしは結婚しないのが「自然な流れ」に逆らうめんどくさいことだったか結婚していたのにたいして、現在結婚するほうが明らかに自然な流れ」に逆らうめんどくさい(そもそも自分の見た目や稼ぐ能力に自信のない人は婚活サイト登録するのも不可能)ことになっているか結婚しなくなっただけ。メリットとかそういうことじゃないし、賃金とか税金とか関係があるわけもない。

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