はてなキーワード: 遠足とは
サンドイッチ問題を見てたら、男はいつまでお手伝い気分で甘えてんだと思うな。
子どもの遠足用サンドイッチパンに6枚切りはどう考えても分厚すぎる、頼む方もサンドイッチ用パンと指定しているのに、サンドイッチ用パンなんて知らないー具体的に何枚切りか指定しない女が悪いー!!6枚切りでもサンドイッチ作れるもん!!!で維新の政治家攻撃しまくりだし。
6枚切り半分の厚さに切って耳を切り落とす無駄な手間の為に、遠足の朝に何十分か早く起きなければならないのに文句も言わず飲み込んだだけでも偉いもんだよ。
政治家夫に子供達の遠足の弁当作らせて、サンドイッチ用パンを買う程度のお手伝いもまともに出来ない妻なら普通に叩きまくられただろうに、サンドイッチ用パン買う程度も出来ないのが夫なら妻が悪いんだもん!!!になるのクソ甘え根性強すぎてうんざりする。
タイトルの通り。
知的障害は伴わなかったが、コミュニケーション能力は極めて低く、自分では周囲と同じことをしているつもりでもなぜだかいつも浮いてしまい、集団に溶け込めたことがなかった。
小学校や中学校の入学当初などは一時的にどこかのグループに入れてもらえたりするのだけれど、気付かない間に何かをやらかし、徐々に距離を置かれるようになり、友人だったはずの子たちは皆そっけなくなっていった。
体育も、遠足も、修学旅行も、運動会も、いつも孤立していることが恥ずかしく、それを誤魔化すのに必死だった。
他人と違う事、一人だけプロトコルが間違っている事が孤立する原因なのだと経験から学習したことにより、大人になるにつれて今度は過剰適応と言われる状態になっていった。
過剰適応とは読んで字のごとく、環境に適応しようとして過剰に言動を抑圧したりする事なのだけれど、常に人からどう見られているかに不安を抱き、緊張し続けていることによって、ただ学校へ行くだけ、会社へ行くだけで、ぐったり疲弊してしまうようになった。
何も難しいことなどないやり取りのはずなのに、「姿勢や表情は不自然ではなかったか」「もっと明るくするべきだったんじゃないか」「声のトーンや大きさもあれで良かったのだろうか」「おはようと言われたのは、本当におはようという意味なのか」「何か他のサインを見落としていたんじゃないだろうか」と、不安は無限に湧いてくる。
しかし、何か間違っていたとして、その答え合わせができることはない。
知らないうちに非常識だと評価され、知らないうちに信用を失い、知らないうちに疎まれるようになっている。
そうなってからやっと、自分がどこかで何かを間違えたことを知るのだが、それが何だったのかは永遠にわからないのだ。
そういう社会生活を送っているうちに、適応障害で体調を崩すようになって転職し、数年後、重度の鬱病となり、そこで初めて発達障害の可能性を指摘され、診断を受けた。
親は「納得がいかない」と言っていた。
多少育てにくいところはあったけど普通だった、障害があると感じたことはないと、そう言うのだった。
私はその言葉を聞いて、なんだかひどく落胆した。
中学の時も高校の時も会社員になってからも私はずっと「学校に行きたくない」「高校辞めたい」「もう全部嫌だ」「死んだ方が楽な気がする」と思っていて、それを親に思い切って打ち明けたこともあったはずだったのだけれど、親にはありふれた愚痴にしか聞こえていなかったのだと、その時やっと知ったのだった。
診断を受けてから、色々なことを思い出した。
家族の中でも浮いていて、特に父親からはうっすら嫌われていることを幼い時から察していたこと。
親族が顔を出す行事に兄弟が呼ばれる時、私には連絡がないこと。
従姉妹の結婚式に「あなたは出席しなくて良いからね」と言われたこと。
あ〜そうか、そうだったのか。
ましてや障害者なんて事になったら、ますます頭を抱える思いだろう。
だけれど、こう言うと子どもじみているけれど、私だって生まれたくて生まれたわけでなし、自分の存在を最初からなかったことにできるならどれほどいいかわからない。
住んでいる賃貸で死ねば大家や近隣に迷惑がかかり、公園で死ねばそこで憩う住民に迷惑がかかり、道路や線路で死ねば運転手に多大な傷を負わせてしまう。
川やビルで死のうと思ったがどうしても足が竦んだ。
本能的な恐怖と絶望感に涙をぼろぼろとこぼしながら死ぬのを諦めた時、赤の他人が何も考えずにセックスした責任を取るために、なぜ私がこんなに苦しまなければならないんだろうなとぼんやり思ったりもした。
そんな恨み言を言ったところで、高齢となった親を無用に傷つけるだけだとも思うので、それから約10年、家族・親族とはただ連絡を断っている。
私は現在の診断基準では知的障害を伴ってはいないが、対面の会話の際は言葉がろくにまとまらず、内面の表出はままならない。
デイケアで知り合った人は(日常生活に支障はないため、おそらく軽度の)知的障害がある人だったが、彼女と話していると、内面の思考(その思考の形が定型発達の人と同じであるとも限らないが)はあるのに、それを伝えられないもどかしさを強く感じ、その苦しさに共感する。
私たちは、生きているだけでいつも苦しい。
そして私はずっと死にたい。この社会が私のような者の存在を受容する余裕がないのはよくわかった。発達障害であるとわからなくても苦しかったが、わかった後はわかった後で、それでもどうにもならないのが苦しく、更には社会にある差別意識がはっきりと感じられるようになったのが苦しい。
発達障害もだけれど、発達障害に関連するさまざまな不調、不具合で毎日何かしら体調が悪いのも苦しい。歯科治療ができなかったために歯はボロボロだし転職を繰り返して経歴もボロボロだ。理解のある彼くんがいない代わりに精神疾患に偏見を持つ上司くんがいるので、うかつに通院のことも言えない。
ふとした瞬間というか、毎秒死にたいのを、抗鬱剤と精神安定剤ではぐらかしながら生活している。
いつまで続くんだろうね、本当に。
読みは「いとうづ」
入場料600円
映画とかその他ふつうの遊園地の入園料とかと比べると動物園って激安だよなあと改めて思う
博多とか天神とかだと歩きとバス、地下鉄で気軽に移動できるけど、それができない
ともあれ到着
小学生が2校遠足にきててこりゃうるさそうだわと思ったけどそこまでではなかった
猿の前で猿の泣き声の真似してるのはうるさかったけど
入ってすぐ右手にあるのはロバ
1頭が木陰でぼーっとしてる
そんでそばではロバに乗る体験コーナーがあったけど子供しかのれないとのことだった
ロバがかっぽかっぽ歩いて柵に近寄ってきて、その子の親が写真をとる
弟だか妹だかがベビーカーにのってて、ロバが顔を近づけたら怖いのかぐずりだした
写真で止まったままで飽き始めたのかロバは地面の草を食べ始めた
そのまま少し進んで右手にヤギコーナー
平地にヤギがいる感じじゃなくて、三匹のヤギのガラガラ丼の方のヤギ
展示もガラガラ丼と同じような岩場と丸太の橋が用意してあってそこをまさにガラガラ丼にでてくるみたいな八木がわたっててすげー感動した
地味にハイライトだよここ
振り返って猿山
あかちゃん猿を連れた母親と、父親と思われる猿が3頭でふらふら歩いてる
でも落ちても母親はすぐに気づかない
エサタイムはいわゆる猿山でホッホホッホウキーってうるさくなる
次シセンレッサーパンダ
いないなーみえないなーって思ったらいた
これもさっきのガラガラ丼みたいな感じでエリア移動用の通路が人が歩く上にあってそこでとどまって人間をみおろしてたりもしてた
さすがに立ったりはしなかったけど
エサタイムで新しい木の枝がきたらみんながうわああああって感じで食べまくってた
すげー太って手くいいじ貼ってるやつがいた
あとで帰り際にきたら食い終わってほとんどもうエサがなくなってみんなぼーっとしてた
そのうち2頭がすげーうごいてた
1頭がさきにうごいたらもう1頭がそれついていって2頭ともたちあがって2頭目が1頭目に無理やりちゅーしてるみたいな感じになった
1頭目がなんども逃げて2頭目がちょっかいというか毛づくろいというかラブコールするのをなんども 繰り返してた
年取ったウサギがいた
エサもぐもぐしてると思ったらエサ箱にはいってるのをむちゃくちゃに散らかしてた
吸取れすたまってたんかな
オウムの展示も近くにあったけど
こっちを少しだけちらっと見たけど奥の方でじっとしてた
地面におかれたみじんぎりキャベツを食べてた
そのあと小屋がゴソゴソ音するなと思ったら一番でかいボスっぽいのが出てきてそれもエサたべたりエリアを歩いて散歩したりしてた
右側にいくことにする まずは
里のいきもの館
室内
ここではじめてカヤネズミ見た!
カヤネズミのちゅるりという絵本、全人類が読んだことあるとおもうけどあれね
ほんとちっちゃいのよねえ・・・
これ絵本にでてきてたあかちゃんはもっと小さいんだろうなという感じ
イモリはほんと水の中にいるんやなあとか
バードケージは鳥インフル対策で入れず外から見るだけだった・・
へー片足で立つのはフラミンゴだけって印象だったけどトキもそうなんやと思って新発見だった
ひそかな木陰にホンドフクロウ
昼間ってこともあってかなり薄暗い中でじっとしてた
こっちをチラ見したりはしてたから寝てはいなかったみたいだけどお尻向けてた
ホンドタヌキ
みんな陰に隠れてるのか1頭も見つけられず
ここは動物園全体にいえるけど、檻がでかくてかつ木とか自然物のオブジェがすげー多いから、動物が隠れて探しにくいんよね
動物にとってはそっちのほうが断然いいとは思うけども
ムササビの森
ここもクソほど檻がでかいのとオブジェおおすぎで全然見つけられず
ムササビ用のどんぐりの貯金箱コーナーみたいなのがあって、園内でひろったどんぐりをここに入れてね!みたいなのがあった
ただの貯金箱じゃなくて、駄菓子屋にあるようなゲーム形式になってた
どんぐりを上から入れて左右からそれをはじきながら下まで落としていくゲームみたいな
そのあと下に戻る
姿見の池は水がぬかれていて何もいなかった
檻もなかったし本当にただの池ってだけって感じ
また左側に戻る
奥の方で横になって寝てて顔も見えなかった
そりゃ顔見える方向だったらトラとしては落ち着かないからそうなるとは思うけどつまんなかったな
オウギバト
セイロンゾウ
モナカの外側の皮をおやつとしてあげられるみたいなやつでそれで写真とってる人がたくさんいた
おばさんがゾウといっしょに写真とってもらおうとしてて、
何度も撮影者の方にいってアングル確認するせいでお預け状態みたいになってて笑ってしまった
そのあと小さい子供は鼻をさわろうとして手をのばすけどさわれなくてさわりたいと文句をいっていた
ゾウは2とういるけど、ケンカするから1頭ずつ半日交代で出てるってことだった
動物園きてる!って感じがするわ
15分前くらいはすげーうるさかったけどしずかになってた
派手なインコ
フクロテナガザル
52歳のやつとかいてやばかった
人間を観察してる感じもした
縄張り争いとかで鳴くから縄張りもくそもない動物園で鳴き声きくのはほぼ無理だよなと
あと地味に驚いたのが群れの数が世界一らしい
数百頭
ニホンザルも群れあるし多い方だと思ってたけど、世界的にはもっとでかい群れがあるんだねえ
マンドリンって楽器あるけどマンドリルからきてるのかなあ・・・
クモザル
こんなマニアックなのをチョイスするってロフティングやっぱやべえわと思った
ずっとドリトル先生で見た文字のイメージしかなかったけど初めて実物見たわ
オスメス1頭ずついた
最初はメスがこっち見てくれててオスはお尻向けて寝そべってた
メスもすぐ寝そべって寝始めた
でもライオンって思ったより体でけえなって思った
オスよりメスの方が体格よかった
マサイキリン
まだ3歳ってことで小さめのキリンだった
フンがくさかったのとフンによってきたハエが来園者のまわりまで飛ぶくらいだったからちょっとひどいエリアだった
ただシマウマのケツや後ろ足あたりがまるまるとしていて、こりゃ肉食からみたらうまそうにみえるわと思った
端っこにいたやつが立ってた
箱慣れ中ということでなんか訓練中らしい
人がくるとエサと思うのか一番檻の前まできて左右にうろついてた
これでほぼ動物全部
お土産コーナー
この動物園特有ってよりかは普通の動物園のおみやげうりばって感じで独自のぬいぐるみとかはなかった
動物園にいるのはムササビなのに、ぬいぐるみおいてるのはももんがだったり
あと動物園自体が廃園の危機だったけどいろいろ寄付とかサポーターとかあって存続してるんだってね
あとただの併設遊園地と違うポイントとして、サイクルモノレールがあるんだけど、これに動物園のガイドの人がいっしょにのって上から動物たちの解説をしてくれるってやつだった
これはなかなかよさげだった
芝生広場で弁当くったり自由時間ちょっとあったら1日の遠足にはちょうどいいね
やぱ改めて考えても一番インパクトあったのはガラガラ丼のヤギコーナーだなあ
でも福岡市動物園はうちっぱなしのコンクリの檻のイメージの印象がつよかったから、
今の福岡市動物園もどっかで行きたいな
なのん。れんげ、最近出た新しいポケモンのゲームをやってみたのん。
昔のポケモンって、「わからないことがいっぱいある世界」を旅する感じだったのん。
草むらに入るだけでドキドキして、空を飛ぶポケモンを見て「すごーい!」って思ってたのん。
でも今のポケモンは、なんか「ぜんぶ説明されてる世界」になっちゃったのん。
地図もぜんぶ出るし、ポケモンの正体も最初からわかるし、旅というよりマニュアル通りの遠足みたいなのん。
れんげ思うのん。
便利って、たしかにすごいけど、不便の中にしかドキドキは生まれないのん。
昔のゲームには「よくわからない」っていう神さまが住んでたのん。
でも今のポケモンからは、その神さま、どこかへ行っちゃった気がするのん。
それにね、ポケモンの見た目も……なんか「かわいくしなきゃ!」って力が入りすぎてるのん。
れんげ、昔のコイルとかドガースとか、ちょっと怖いけど味がある子が好きだったのん。
いまのポケモンは、みんなキラキラしてて、人間の理想を押しつけられたペットみたいなのん。
ポケモンは、もともと自然の中にいる不思議な存在なのに、いつのまにか「商品」になっちゃったのん。
れんげは思うのん。
ポケモンは“捕まえる”ものじゃなくて、“出会う”ものだったのん。
その違いを忘れちゃったら、どんなに世界が広がっても、ほんとの冒険は終わっちゃうのん。
——れんげは、もう一度あの頃みたいに、草むらの向こうになにかがいるかもしれないドキドキがほしいのん。
にゃんぱす。
流産4日目。遠足のため早起きしてお弁当を作り登山。歩くにつれ出血量が増え、何度かナプキンを変えたけど、手持ちの枚数が足りなくなってきた。血だけでなく、紐状のものや肉片も出て…この状態で徒競走は無理と思い、パパを呼んだけど「嫌だ」と代わってくれず、無理して走った結果、途中離脱。→
→離れたところでスマホいじってて、写真も撮ってくれてなかった。離れてるから「お願い交代して」と言いに行くのも断られて同じ距離戻るのも辛かった。
お姉ちゃんの面倒も見ず、代わりに保育園の先生が相手してくれてた。卒園生のお世話は保育士の仕事じゃないのに。→
→保護者役を押し付け合う形になってしまい、子どもは傷ついて無言で指チュッパチュッパ。最後の親子遠足やぞ😢「無理なら休めば良かったのに」と言われたけど、保護者が2人いる計算では無理じゃなかったのよ。え?一つも手伝わないの?って計算違いがあっただけ。
こんな血が出ると思わなかった。痛みがないから無理しちゃった。初期で流れたことは伝えたけど、グロい話なので詳しい説明はしなかった。体型にコンプレックスがあって人前に出るのが恥ずかしかったようです。お弁当タイムでシート敷いてってお願いしたらそれも嫌だって言うから帰った。
ケンタの感情は、空の色のように刻々と変わる。悲しいときは地面に大の字になり、悔しいときは全身をバネのようにして跳ねる。そして嬉しいときは、園庭の真ん中で「やったあ!」と宇宙に届くほどの大声で叫ぶ。
ある日、先生たちは困っていた。皆が楽しみにしている遠足の行き先が、雨で中止になりそうなのだ。代替案を考えても、子どもたちががっかりするのは目に見えている。
先生が目を丸くすると、ケンタは泥だらけの長靴を差し出した。「雨だったら、水たまりで一番大きなジャンプ大会ができる。泥だんごを宇宙一大きく作れる! 先生、雨の日の楽しさ、まだ誰も知らないだけだよ!」
ケンタの言葉に、他の園児たちも「水たまり!」「泥だんご!」と声を上げ始めた。先生たちの表情も一気に明るくなり、「よし、雨の日だからこその楽しいことをしよう!」と、中止の危機は最高の遊びへと変わった。
ケンタの素直な感情の表出と、それをためらわない自由な表現が、皆の心を動かした瞬間だった。彼にとって、世界はいつも「感情を思いっきり表現していい場所」なのだ。雨の遠足は、ケンタのおかげで、記憶に残る最高の一日となった。
万博楽しかったし本当に良かったけれども、これはどうなんだ…っていうのが結構あったから書いておきたい。
◯優先レーン問題
明らかに元気な老人が車椅子に乗ったり、明らかにデカい子供がベビーカーに乗って優先レーンに行っていた問題がある。
優先レーンがあるのは素晴らしいことだが、基準を明確にした方が良いだろう。
弱者のフリをした方が得をするっていう今の日本の問題点がそのまま出てるような光景だった。
もちろん通期パスを買うような人はお得意様ではあるけれども、わざわざ遠くから来て一日券を買った人が初見だと難しいこともあって楽しみにくいのは残念だろう。
やはり通期パスは12時以降にするとか、除外日を作るとかした方が良かったのでは?
ベビーカーに乗った子供は優先レーンがあったりして良かったが、小学生は全然パビリオンの予約ができなかった。大人1人でもなかなかの難易度になるが、大人と子供2人分となると非常に大変だった。子供向けのパビリオンもあったが、元気な大人が多く、子供が入れない場面も多かった。遠足などの小学生は良いが、一般の小学生ににも、もう少し機会があれば良いと思う。
こればかりは仕方ないが、真夏のトイレはものすごく暑かった。まああの猛暑では仕方ないとは思う。
この辺だな。
それ以外は個人的には本当に満足だ。
他にも何かあるか?
俺は割と馬鹿というか天然というか能天気だったので、素直に母親が出来ることが嬉しかった。
俺の母親が死んだのは俺がまだ物心がつくまえのことでよく覚えていない。
基本、親父と祖母と俺との3人で暮らしていて、それが俺の中の家族の原点風景になっている。
祖母が死んでからは、親父はちょくちょくと女を連れてきて一緒に暮らしたりしたが、正直どうしようもない女ばかり連れてきていた。
うまい言葉が浮かばないので俺が子供心に思った言葉をそのまま流用するが水商売の女ばかりを連れ込んでいた。
親父はまあまあモテる。中小企業の経営者だし寡占要素がある業態なので安定していて、そのぶん金遣いも荒く、きれいだ。
そして俺と違って女に対する臆病さがない。
どんどん好きになってすぐに家につれてきて、、、そして俺はその女たちとはうまくいかなかった。
いちばんつらかったのは親父が義母と再婚する前の最後の女のときだ。
俺は夜中に起きてオシッコをしてたらそのとき女がやってきて「シューちゃんひとりオシッコさびしいでしょ、みててあげる」
とトイレを開けてきて(夜中だったから鍵なんてしてなかった)チンチンを掴まれたことだ。
「おとうさんと一緒で悪さばかりするチンチンになりそうだね」といってオシッコが出てるちんこをおもいっきり引っ張られた。
急所への激しい攻撃に思わず倒れてしまいオシッコを流しながら頭部を強打した俺は救急車で運ばれて頭を縫ってもらった。
そんな騒動があって、親父も女遊びを控えるようになって、そろそろコイツ(おれ)のためになる母親を探してやるか、、、
とちょっといくらなんでも遅すぎる親父としての役割への目覚めを果たした結果、見合いのようなことをたくさんして選んだのが義母だった。
どうにも、それまでの親父のどうしようもない女を好きになる好みの範疇からは大きくハズレていたからだ。
多分、俺の母親兼家政婦さん、みたいなノリで雇ってる感覚だったんじゃないだろうか。
親父は本当に細かいことを気にしないガサツな男で、女とセックスを家の中でするときに子どもの俺に聞こえることとか一切気にしない。
義母はけっして不美人というわけではなかったが、やはり華はなかったとしかいいようがない。
実際に義母の前でもよく泣いた。
遠足の時、仕出し弁当やコンビニ弁当でない手作りの弁当を持たされたときには、ワンワンと泣き始めて義姉を呆れさせてしまった。
義姉に女を感じるようになったのは俺が中2のときだった。
義姉は母親と顔立ちは似ているが母親と違ってどんくささを感じさせない人だ。
若さ、といえばそれまでだが何かが違う。
性格は母親と同じでやさしさに溢れていたが、それでも何かが違う。
親父が昔連れてきていたどうしようもない女たちの匂いを何処か感じさせるものがあった。
あれはまだ私がゴッドマジンガーの右足首の開発にランダムアクセスしていた頃のことだ。
悪魔の肩甲骨としてしられるドクターガリックがリック・ディアスの肩関節を参考にしては?と提案してきた。
当時、私にとって上司に当たるガリックの提案は少しセクハラじみていた。
ほぼ初対面の私にリック・ディアスの話をしてきたのもそうだし肩関節のような卑猥な場所をテーマにするとは正気を疑ったのだ。
侵略的チンチンノイズの影響を受けいているのではないか?FBIとの共同捜査が始まるのも時間の問題であった。
ドクターガリックとの不倫関係はこうして始まったのだがこの不倫関係の奇妙なところは彼も私も独身だということだろう。
怒りなどの感情に我を忘れて卵の白身だけを捨ててしまうのはよくあることだ。
ガリックは金髪と緑髪の境目を器用に掻き上げながら挑発的な目で僕を睨んだ。
僕がダブルフェイククエスチョンでやり過ごしている間に突入隊への合図を送った。
第五章ストームブリンガー
その半狂乱の願いは聞き届けられたことはない
よほどなんだろう
誰もがこの剣に魂を吸われるときは半狂乱になる
ひどく落ち着いた表情で剣の切っ先を受け入れていたものだ。
果たしてあのときの僧侶はあのあと私が行った自慰行為のエネルギーとなって消費されていたのだろうか
「三角関係だね」
ヘイトだお
脱獄をしたいんだ
ルパン三世を描きながら
と思わせながらも
同時に
そんなわけあるもんか
と観客に思わせるのはメタでなくてなんだろう?
腐海の猛毒にわずかながらでもマスク無しで大声を張り上げても風の初期症状くらいの痛みしかないんだから
おれたちもうおわったのかな?