はてなキーワード: 離乳食とは
今まで周りにあまりヤバい人がいなかったんだけど、ママ友の1人にものすごいマウント気質の非常識な人がいてその人の事がすごい好きなんだよね
「お米今高くて大変だよね?うちは旦那の実家が送ってくれるから勝ち組だわ〜!」とか平気で言ってきたり、児童館で自分の子が他の子のおもちゃ奪ったのを止めもせずに見ていて相手の子が怒ったら逆ギレ
極め付けはうちで遊んだ時にそのママ友の子が離乳食をわざとひっくり返したのに謝りもせず「やると思った〜笑」って笑って布の椅子なのにティッシュでちょっと拭いて終わらせていた
さすがに被害があるのでもう家には呼ばないけど、何故か定期的に会いたくなってしまう
ペット感覚だったら、発達支援の本を読むことさえしないし、面倒臭い療育を試したりもしないだろ。
2歳で診断させれるのは普通と比べても大分早い=重度だから、単に診断されるまでの子育てが超絶大変で絶対発達障害だろと思いながら育児していて、診断が思っていた通りと感じただけでしょ。絶望になる場合は「発達障害じゃないかも」と少しでも思っている場合だよ。
発達障害の代表的な偏食で、例えば離乳食どんなものを作っても、手をかけて美味しくしてみても毎回ろくに食べてくれない、やれる事は全部やっている。
でも周りからは「出汁はどう?次はこのメーカーの出汁使ってみたら?」「お母さんも笑顔で楽しい雰囲気で食べさせなきゃ!」「お腹が空くように運動をもっとさせてみたら?」とか延々とアドバイスが来る。
これらの事含め発達障害の母親たちは延々と試し続けている人達だよ。
どんなに沢山本を読んで、何百回も頑張って療育しても、改善はするけれど健常にはかなり程遠いままというのを普段目の当たりにし続けていたら
将来が想像できてしまって、絶望というより受容のほうに行くのも普通だと思う。
たまたま感染し、母体に免疫がなく、子にまでうつったパターン。すごい確率である。ワクチンもない。
1歳3か月の今わかっているのは2級相当の身体障害だけだが、同病の人たちの例を見るに恐らく重度か最重度の知的障害は確実だ。
左の手足は動くが右の手足はうまく動かず、将来歩けるかも怪しいと主治医は言う。
聴覚障害もある。裸耳だとギリ、ザコシショウが聞こえるくらい。
0~6か月の頃は「何とかなるだろう」とのんびり構えていた。耳が聞こえないこと以外普通の見た目だったから。
育休から復帰して、子の通院とリハビリと仕事で毎日が大忙しだった。共働きで年子、核家族。家族一丸となって家庭を回した。
6~12か月の頃が一番辛かった。この頃はまだ聴覚障害しかわかっていなかったから。
将来的に自立できるのか、できないのか。親ができることは何か。第1子の今後受けるだろう負担を思うと申し訳なかった。
このままでは狂ってしまうと思い、児相に連絡し1時保護をしてもらった。
保護してもらっている間、第1子を構い倒し、学生時代の友人に会い、インターネットの友人に電話して話をきいてもらい、児相の担当者に甘えまくり、カウンセラーにも甘えまくった。
両親も義両親も「できることはなんでもやる。できる限り助ける。」と言ってくれた。
どうやら皆我が家のためにできることをやってくれるらしい。障害があっても世界は受け入れてくれるらしい。
約2か月の保護期間を終え、子は帰ってきた。
2ヶ月ぶりの再開なのに子は特に成長していなかった。生まれて10〜12ヶ月の時点で、この子は何も変わっていなかった。
絵本を眺めるのが好きで、人間観察も大好き。電車に乗ると景色ではなく乗客を見て楽しんでいる。
知らない人に抱っこされると目を見開き口がへの字になる。
両親、祖父母、親戚、保育園の先生に看護師、聾学校の先生、児相の担当者、主治医、リハビリの関係者、道を行く老若男女に構われ愛されている。
いずれ親亡き後は施設に行くだろう。
寝てて静かな時は、助かった、このまま朝まで静かに頼む、となるべく触れないようにする。
”大変な毎日だが寝顔を見ると癒される”というよその人の子育てをネットで目にすると、精神構造が別物だなと思う。
高熱時や危険な行動でヒヤッとするシーンでは息子を心配一方で、心の奥底の実際の本音では「もしものことがあったら私の責任になるからやめてくれ」と思ってしまう。
逆に、私に全く非がない状態で、もしもものことがあったとしたら、きっと私は、しばらく静かにひとりの時間をすごしたのち、やっと解放されたと安堵するだろう。
昔のドラマでイグアナの娘というのがあったが、あの母親の気持ちがよくわかる。
子の異様さ。親の愛情を求める子が気持ち悪くて仕方がない。近づくな。私を求めるな。
息子が触れ合いを求めてくる時は「愛情に溢れた正しい親の振る舞いとは」を頭の中でいったん検索し、それらしくできるだけ演じる。でも息子はきっともう勘づいている。
寝かしつけの際、息子に触れてしまう側の半身は蕁麻疹が出るので、長年ビラノアを服用している。
「この子は何かおかしい」と思うし、離婚したこの子の父親は確かに精神異常だったし、私自身にも問題があるのはわかっているが、なるべく「正常に育てたい」と10年間頑張ってきた。
関わりたくない関わりたくない関わりたくない関わりたくない。
汚い汚い触らないで。
でも、まともに育ってくれないと困る。
怒られる怒られる私が怒られる。
触らないで。かわいいね。
汚い。えらいね。
ちゃんとしなさい。がんばったね。
マシになるか?マシにならない。
気持ち悪さは消えない。
息子はもうおしっこを漏らすことも、離乳食をひっくりかえして撒き散らすこともなくなったけど
文字がまともに書けない。服の裏表がわからない。筆箱もお道具箱もぐちゃぐちゃ。
まともになってほしい。どう教えてたら良いのか通院・療育・服薬、できることはなんでもやった。
うまくいかない。まともにならない。可愛くない。可愛いと思えない私が歪んでいるのだろうな。
私の親もおかしかった。親の親もおかしかった。父方の家系もおかしいようだ。
こんな気持ち悪い生き物にもう関わりたくない。私の知らないところでまともになって生きて欲しい。
消えてくれ。私の目の前から消えて、2度と関わらないで欲しい。そうして、息子の記憶から私も消えてなくなってほしい。
あらゆる犯罪のニュースを見ると、あと数年経ったら息子が加害者になる可能性がある、と思う。
そうならないために、どうしたらいいのだろう?
頑張っている、努力している、少なくとも装ってる。
衣食住には困らせない、過度にならないしつけ、コミュニケーション、周囲と同程度の娯楽や習い事、お友達との交友関係、学校行事への参加、なにをどう工夫しても、息子は気持ちの悪い、犯罪予備軍のまま
「あなたは母親としてもう十分にやっているよ」という気休めではなく、息子を遠くへやって誰かが真っ当な人間にして欲しい。
私のことは完全に忘れて、母に捨てられたとは傷にならず、社会に溶け込み、迷惑をかけず、標準で、うまいことやってもらいたい。
どう表現していいかわからないけど、変な形の優等生が増えてるんじゃない?っていうか。
砂糖の害とかもパンフレットや行政がやってる子育て教室、離乳食講座みたいなので散々言われるし、砂糖入ったもの食べさせてますか?って検診で◯つけさせられるじゃん。で、親が指導されるわけだけど、怒られたくない!私はちゃんとやってるのに園が!ってまあありがちな感情だと思う。
あとは、お菓子を求めて子供が泣くとかも。虐待の害をあちこちで叩き込まれ、叱らない育児が主流になったことで、今度は泣き叫ぶ子供をどう扱えばいいのかわからなくなってる親が増えてるんだと思う。
ある意味行政の指導がちゃんと功を奏してるってことでもあるんだけど、「ではこういう時具体的にどうすればよいか?」についてはあまり学ぶ機会がない。中途半端なんだろうね。
離乳食講座では、園ではこういうオヤツが与えられる事もあるけど、それはみんなと美味しいねって共有するのも大事な学びだからいいんです。でもお家ではなるべく砂糖なしのオヤツにしてあげてね。って添えるだけでもそういう親の意識って変わると思う。
虐待ダメを叩き込むなら、泣き叫ぶ子供を、お菓子で釣るでも怒鳴るでもなく受け止める方法をロールプレイなどで学べる場も用意しておかないと。
俺は今テレワーク中。本当は会社行った方が仕事は捗るんだけど、朝の離乳食担当と、終わったらすぐ家事育児に入れるようにしぶしぶ在宅にしてる。ぶっちゃけ仕事は全然集中できない。
めちゃくちゃ忙しい時にと思ったけど、仕方なく席を立ったよ。「仕事中なんだから手伝ってもらえるの当たり前みたいに思わないでほしい」とつたえた。
そんで手伝った後、嫁から「ありがとう」も「ごめん」も一切なし。
クソ忙しい中、業務中断して協力してるのに、これにはさすがにカチンときたから、「一言くらい言えよ」って文句言った。
そしたら嫁、「アンタが文句言うから言わないんだよ!」って逆ギレ。
そこで俺、「テレワークは仕事の時間であって、ベビーシッターじゃないだろ。早く家事に戻るためにやってんだ、本来は育児の時間じゃない」って、正論でぶちかました。
これが完全に火に油だった。
こいつは俺が在宅なのを「いつでも使える育児要員」だとマジで思ってるんだと確信した。俺の仕事のことは完全に無視だ。
「今すぐ出てけ!!」と叫んで、俺を階段から突き飛ばしやがった。数段落ちた。運良くどこも折れなかったけど、マジで危うく大怪我をするところだった。一歩間違えば死んでたかもしれない。
こんなことしておいて、嫁は「ざまあみろ、お前が悪い」の一点張り。階段から突き飛ばすって、マジで人としてどうなんだ? これはDVだろ。
俺は家族のためにやってるのに、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ。朝から夜まで家事と育児しかしてねえよ。自由時間なんてこの1年で2,3日しかない。仕事も家事も育児も、全部頑張ってるつもりなのに、命の危険にさらされて「悪くない」とか言われるの、本当に疲れた。もう死にたい
https://note.com/yoppymodel/n/n289a09e59262
はてなでも有名な「保育園落ちた日本死ね」なんてド直球のネガティブ投稿だけど、そのおかげで待機児童問題は大きく進んだよね。
ネガティブな言葉が社会の認知を変え、住みやすい社会に変えた例は枚挙に暇がないでしょ。
社会の問題は、それが多くの人に認知されて問題だと捉えてもらわないとなかなか変われないんだから、ネガティブな投稿だろうが自分が悩んでいるならどんどん投稿すればいいんだよ。
こんなのレアケースでもなんでもなく、女性は結構遭遇する可能性あるやつだよ。
私が子どもだった頃、昭和・平成初期の時代は飲食店で子どもが泣いたらうるさいと怒鳴りつけてくる男性がそこそこいて、「子どもをあやすこともできないのか」みたいなことを言われてた。だから子連れの女性は外食もできない、なんてのが当たり前で、そしてそれを世の男性は何とも思ってなかった時代だった。子どもの頃にそういう環境で育ったから、私もあやせない母親が悪いんだろうなと思ってた。
女性が発信するようになって、やっとこれっておかしくない?っていうのが社会に認知されてきた。まだまだそういうこと言ってくる人はいるけど昔に比べたら大分減ったと思う。
そういう投稿に「そんなこと思ったことがない」っていうのは、“働けば子どもが可哀想と言われ、電車に乗れば嫌味、バスではベビーカーをたため、公園でも近隣の家から苦情”なんてことは起きてない、現状の環境で十分です、ってことだよ。悩んでる人から見たらヨッピーが社会の敵だよね。
ヨッピーはおそらく“社会が敵”ということに対してだけ「そんなこと思ったことがない」と否定した発言だったんだろうけど、それはその書き方じゃ読んだ人みんながそうは解釈してはくれないよね。実際そうなってるし。
それならそれですぐに女性ならではのそういった問題を否定しようとしたわけではありませんでしたってみたいなこと言えばよかったのに、湧いてきたよくわからん連中に対してのレスバにお熱を上げてたらいかんよね。他人の間違ったポストを否定するより先に、自分の間違いを糺すべきだった。
一応、それっぽいポストはあるんだけど
https://x.com/yoppymodel/status/1984528984001167835
男女間の話をするつもりはなかったんだけど、男女間の格差的に集まった意見をあれこれ集約すると、
1.子連れ男性は敵意を向けられることが子連れ女性に比べて少ない
2.独身男性はそもそも雑に扱われるのがデフォルトなので子連れ時とのギャップがすごい
とかがあるのかなーと思ってて、これは両方ともあるんだろうなあと思いつつも、「子どもの病院代タダや!」とか「保育園は神や!」とか「万博とか公営施設にベビーカー優先レーンがある!」とか「え!?離乳食の用意まであるの!?」とか「子どもはビュッフェタダなんだ!」とか、その辺の男女関係ない部分で「歓迎されとる」って実感するタイミングはたくさんあると思うんだけどなあ。
これで投稿を訂正しましたって取れるのはかなりヨッピーさんに好意的な人かな。敵対側から見ればむしろ大して問題視してない感がある。
おまけに今でも「自分はそういった目に遭ったことはありません」っていうポストを積極的にRTしてるんだよねえ。ヨッピーさんにとっての子育てにポジティブな意見ってそういうことなの?何の文脈もなく「子育てで辛い目に遭ったことない」ならポジティブだけど、この文脈でそういったポストをRTするのは、やっぱり「そんなことは起きてない、レアケースだ」という自説を補強したいんだなと見られるよ。
「保育園に入れました」とか「痴漢に遭ったことがない」も単独のツイートならいいけど、わざわざ保育園に入れなかった人や痴漢に遭った人に引用RTしないでしょ。
夫は、誰もが「理想的」と言う男だ。
子供が生まれた日から、まるでマニュアル人間みたいに正しく動く。
その“ちゃんと”が、息苦しい。
私が産休中も、夫は買い物をまとめてして、夕飯も作って、隙あらば掃除までしてくる。
私がちょっとでも「疲れた」と言えば、「休んでていいよ」と笑う。
優しい。
優しいけど、腹が立つ。
仕事に復帰してからも、保育園の送り迎え、寝かしつけ、料理、洗濯。
全部「分担」ってことになってる。
でも気が抜けない。
こっちがちょっと手を抜くと、すぐに夫が静かにフォローしてくる。
責められてるわけじゃないのに、責められてる気がする。
正直、羨ましい。
私は怒ることすら許されない。
無言のプレッシャー。
夫の優しさが刃みたいに突き刺さる。
こっちが倒れたら、「無理しないで」って笑って助けてくれるんだろう。
でも私は、その“無理しないで”の言葉すら怖い。
もう限界。
完璧な夫なんて、いらなかった。
普通でよかった。
私、優しい夫に殺されそうだ。
以前育児についての記事を書いてたなーなんて見てたら、「イヤイヤ期のころに叫びに来る」と書いてあったので叫びに来た。
現在2歳nヵ月。周りから伝え聞くイヤイヤ期ってほど激しくはないけれども、自分でコップで水を飲もうとしてちょっと服に水滴を零しただけでこの世が終わったように泣き叫ぶのでやっぱりイヤイヤ期なのかもしれない。
離乳食にもあまり困らない子だったが、現在でも食事にはあまり困っていない。強いて言うなら親が何かを食べていると(たとえ全く同じものでも)「ちょうだい!」と主張し、根負けすると奪い取って食べていくほど食欲旺盛に育った。
体力がついて、しっかり昼間に外や家の中、地域の支援センターで遊びまわり、そのうえで昼寝を1時間程度に抑えないと夜に寝なくなった。
とにかく動き回る。元気の塊である。
なんというか、1歳前に子供が立ち上がったあたりから、いやもしかするとその少し前のハイハイを始めたあたりから、ちょっと気が遠くなるレベルに子供が動き回るようになったので、この1年半ほどで夫婦ともにめちゃくちゃ体力が付いた。
正直に言うと二人ともすごい勢いで瘦せて筋肉質になった。
かなり冗談ではなく、出産に伴う体型の乱れとか、中年に伴う贅肉の増加はすべて育児のために貯めこんでいたものだったのではないかと錯覚するほどに痩せた。
子どもが走り出そうとするのを先回りし、止め、抱っこから抜け出そうとするのを力づくで持ち上げて運ぶスキルが身についた。
子どももとても楽しそうにしているし、1日前までできていなかったようなことができるようになっているので毎日目が離せない。
育児書を読んでも、子ができるようなったこと、やれるようになったことを指折っていくとだいたい載っている通りだし、
東京都の赤ちゃんファーストを申請してから5ヶ月以上経つけど、いまだに10万円分のギフトカードが届かなくて困ってる。で、Twitter(現:X)で情報収集してみたところ、どうやら届いていないのはうちだけじゃないらしい。検索してみると「まだ届かない…」 「いつ届くんだ?」と言っているママ垢がどんどん出てくる。
いやこれはさすがにおかしくないか?と思ってさらに調べてみると、どうやら018サポートと赤ちゃんファーストを併せて申請したユーザーが軒並み届いていないっぽいことがわかった。というのも、もともと東京都では018サポートといって月額5,000円を支給する支援制度があったんだが、それが今年から赤ちゃんファーストと一緒に申請できるようになった。ここからはワイの推測なんだが、おそらく申請手続きが1本化されてユーザーが楽になったかとおもいきや、現場対応がうまくいっていなくて併願で申請されたギフトカードが軒並み遅延している可能性が高いと思っている。
ちなみに、支援センターで仲良くなったパパ友(いつもラルフローレンのポロシャツ、コンサルらしい)にもこの件を相談したら、彼も同じ状況だったらしい。しびれを切らしたパパ友が東京都の窓口に連絡したら「申請から到着まで、遅くても4ヶ月かかることもあるので~」と取り合ってもらえなかったらしく、キレて4ヶ月過ぎた当日に「まだ届いてませんけど?」と連絡したら担当者が慌てて調査をすると言ってくれたらしい。さらに後日、その担当者から連絡が来て「スムーズにいけば今月中、ただし来月に延伸する可能性もある」という回答が返ってきたとのこと。いやそれ回答になってなくないすかとワイが言うと、パパ友は「まあ窓口のひとに怒ってもしょうがないですからね。でもさすがにこれは職務怠慢ですよねー」と言っていた。
結局パパ友は自費でいろいろ買っているらしいけど、うちは家庭の事情でけっこう財布事情がカツカツで、赤ちゃんファーストを頼りにして買わなかったものも沢山あったから結構しんどいことになってる。こどもの鼻吸機も買ってないから、鼻水が出るときは毎日病院につれていって吸引をお願いしないといけないし、ベビーチェアもないからいつも抱っこで離乳食を食べさせていて腕が疲れる。なんつーか、育児って金をかけるべきところにかけないと、親が疲弊してあっという間に詰むんだなーと日々感じている。こどもができるまで知らなかったけど、赤ちゃんを育てるためのアイテムって成長に合わせて変わるし、単価も高いからマジで金銭的に余裕がない。子が不機嫌な原因を知りたくて、いろんなアイテムを試したくても試せないこともフラストレーションがたまる。こういうのを赤ちゃんファーストが届いたら解決できると勝手に期待してたから、現状いつ届くかわからない状況にけっこうしんどくなってきた。
あと、今は安いミルクを飲ませているけど、赤ちゃんファーストが届いたらちょっといいミルクを飲ませてあげたいなと思っていたし、絵本とかおもちゃも選んであげたいなと思っていたんだけど、そういうのも先延ばしにされるのが地味にしんどい。赤ちゃんの成長は毎日のように変わるけど、その時に必要な刺激を与えたりできてんのかなって不安になる。夜になるとこんな父ちゃんでごめんなと思って泣きそうになる。
なんかさ、もちろん10万円もらえるのはありがたいけどさ、下請けの業者の選定すらうまくできない東京都大丈夫か?って思うし、こんなんなるならこどもの扶養控除をしてくれたほうがいいんだけどな。
何が言いたいかわかんなくなってきたけど、とにかく困っている人はコンサルのパパ友みたいに東京都に連絡してみるといいんだと思う。ワイも今日電話してみようと思うわ。
夫 30歳
妻 30歳(私)
息子 9ヶ月
私は軽度自閉症があり、そのせいで昔から人間関係がうまく構築出来ず、社会人になってからは鬱病でメンクリにずっと通院してる。
夫は大学時代からそんな私とずっと一緒にいてくれて、山あり谷ありのお付き合い期間を経て結婚、この度息子が産まれた。
そんな夫は、穏やかな性格で、衝突をとにかく嫌う。
両親と兄が皆感情で動く人で、その時の気分でキレられる、物に当たる、男兄弟なのもあって厳しく育てられたようだ。
夫は家族の事は大切にしているが、両親の育て方がトラウマになっており、「あんな風に子どもを育てたくない」とずっと言っている。
結婚したからには、次は子どもかな?くらいの気持ちで、「欲しい」と言ったら、夫は「どちらでもいいけど、君が欲しいなら作ろうか」と言って、その結果息子が産まれた。
夫はラッキーなことに、育休を1年取れることになり、半年間は一緒に子育てして、残りの半年は私が仕事復帰して、夫が1人で育ててくれる事になった。
当たり前だ、子どもがいなくても鬱病の人間が、産後のホルモンバランスや育児のしんどさに耐えられるわけがなかった。
せっかく夫が離乳食を作ってくれても、やり方が違うと腹が立つ。
さらに私が夫の勤務地の近くへ転職活動をすることになり、なぜ私だけ転職をしなければならないのかとワーワー泣く。
そんな私を夫は責めず、育児をしながらずっと励ましてくれている。
むしろここ最近は、私の機嫌が少しでも悪くなると、先回りをするように「大丈夫?」「したくない事なら俺がしようか?」と聞いてくるようになった。
そんな中ふと「私は結局、家族が夫にしてきたことと同じことを夫にしてるんじゃないか?」と思った。
不機嫌で相手をコントロールし、自分が気分が良くなるように動いてもらう。
最近の夫はなんだかずっと私の顔色を伺っている。
この関係は対等ではないと思う。
世の夫婦は一体どうしているのだろう。
誰か教えて欲しい。
2歳で6㎏ってやばすぎるだろ
自分の子がちょうど2歳半。どれくらいだっけってスマホにいれたままになってるぴよログ開いたら生後4か月で6,5kgになってた。
ぴよログ自体はもう使ってないけど嫁さんが月に一回の体重と身長の成長記録だけ入れてくれてる、見たら2歳半の今は13㎏らしい
半分じゃん。あり得ないだろ、グロすぎるって。
おなかすいてただろうな、もう離乳食じゃなくなって、ぼちぼち世の中の美味しいものを知り始めるころだろうに。
うちの子は31のアイスが大好きだし、でも結局何食べたい?って聞くと毎回ちゅるちゅるって言ってうどん食うんだ。
内容はタイトルの通りなのだが、5ヶ月から始めもう3ヶ月になる離乳食、夫は準備も含めて関わろうとしない。
そもそも、夫は家事能力が低いので、離乳食を「作る」ことは期待していない。ここで言う準備とは、私が一気に作って冷凍した1週間分の離乳食から、「その日の献立を冷凍庫から探し、器に盛り、解凍する」ことだ。
※ちなみに、献立は基本的にうたまるの献立表(レシピ本)か、手書きの献立表を参照すればよく、冷凍庫のフリージングにも対応する料理名が書いてある状況である。
それでも、何度お願いしても、「どうすればいいのかわからない」の一言で終了。本見て解凍するだけだよ、当日の箇所に矢印の付箋貼ってあるよ、冷凍庫の中も料理名書いてあるよと言っても駄目。まず、やろうともしない。
まぁ、夫にも言い分はあろうが、私からすれば、産後すぐから1日中寝る間もなく双子の世話に加えて、家事も担当していて疲労も溜まっているし、直近は月経困難症の治療のため、ピルを飲んでおり特に朝の吐き気が酷い。
一方、夫は産後から別室で朝までぐっすり寝続け、育休中を含めて家事負担はほぼゼロ、育児負担も1〜2回ミルクとオムツ変えるだけである。
なので、せめて朝だけでも起きたら、離乳食を解凍することくらいはしてほしい(私は朝5時半頃に起き、ミルクと遊んだ後、子どもたちを寝かせると共に寝ている)。そうすれば、たった20〜30分でも私は寝れるし、子どもたちのご飯も待たせずに済むから。
何度も何度も何度も伝えてきた。
それでも一向にやらない。
私は疲労マックス、薬の吐き気もある。夫は土曜日で休み。でも、一向に離乳食の準備をしようとしない。体はダルいし吐き気もする。けれど、これ以上子どもたちを待たせると、おそらく泣き出す。起きなきゃ。やらなきゃ。と思ったら、怒りが抑えられなかった。
実際、オムツ変えて、ミルクの粉は用意していたので、やれる範囲で動いていてくれたのだとは思う。ただ、離乳食準備しなきゃ、オムツ変えたとて、ミルクの粉用意したとて、ではあるのだ。
はぁ。
ほんと、何を言ったら伝わるんだろうか。というより、何をすればやってくれるんだろうか。
私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光が白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系のコンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。
思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間と二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャのペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たちの世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレーで浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまりに曖昧で情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ、生命維持という厳格なプロジェクトを遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会が発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。
夫である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトとニンニクの匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノやカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌のグラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福の風景を。友人たちは、私のSNSに投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作りの離乳食が並んだテーブルの写真に、「理想の家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛のコメントを、まるで祈りの言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ。完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ。
――だというのに。
夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋な愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢な行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれたときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からのハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。
「疲れてるだろ。いつも、ありがとう」
翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望の眼差しにしか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである。
ケダモノ。
その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己を犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ。
そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだ。パリへの出張中、セーヌ川のほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ。結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである。
「瑠璃…?」
私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。
「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」
それは、完璧な嘘であり、そして、完璧な真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在そのものの軋みなのである。
聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲の象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在に奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境を提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業にしか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNSに投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的な自己欺瞞の儀式にしか思えなかった。
寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれた命令を遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。
私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである。
私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人の荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。
それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生の可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹な自己解剖の記録なのだ。
『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である』
その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京の夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。
自己を機械と定義したからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊なOSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的な帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政をギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業を相手に振り回してきた、あの冷徹なロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データとタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグを駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである。
かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料を印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO)体制への移行による、サステナブルな家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いなタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから。
「瑠璃、これは…一体…?」
「説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これからも幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書(バイブル)よ」
私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析(As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン。家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達・調理関連」「その他(消耗品管理、資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式で可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的に思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業の役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論の余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。
「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」
その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれる Permalink | 記事への反応(0) | 05:15
毎日こんな感じなんだけどこれで良いのか…ってなる。
6:30起床 小学生の上の子と保育園児の真ん中の子に朝ごはん用意したりする(どうせ食わないからスティックパン出すだけ…)あと水筒にお茶を入れる
8:00 上の子と夫を見送る
8:30 赤ちゃん抱っこ紐に入れて真ん中の子を保育園に送っていく
帰ってきて赤ちゃん寝たら私も寝っ転がってソシャゲかネットサーフィンか昼寝
少し哺乳瓶とか洗う
16:00 15分くらいで適当に飯つくる(米炊いて適当なスープ作って肉焼くか魚焼くか鮭フレークかけるだけ)
18:00 飯食わせて風呂入れる
22:00 寝かしつけして寝る
なんかこうもっと色々頑張らないととは思うんだ…
もっと子供に習い事させようとか、私もなんか勉強しようとか、もっと美味しいもの作ろうとか…
世の中の育休中の人はもっと頑張ってるんだろうけど、赤ちゃんがのんびりした性格だし、離乳食も気合い入れてないし、毎日ぽけーっと過ごしちゃう。ずっと泣くタイプだとしんどいんだけどな。
義母もたくさん手伝ってくれるし
ああ怠惰だ…。
掃除もたまに軽く掃除機かけるくらいだし、水回りとかはたまに義母がやってくれるし、洗濯もタオルとかシワ伸ばさないで適当に干すだけで、ろくに畳まないし…。
1人目の時とかはめちゃくちゃしんどかったけどな。
イーロンぐらいお金持ちだとお金で時間をいくらでも買えるから子供なんて作るだけ作って女に金だけ渡して という倫理観ガン無視プレイができてる。父親としての時間を投じてるわけではない。
だからお金持ちは結局お金があるからオッケーなんじゃなくて、お金を時間に変換できてるだけ。ベビーシッターとかね。
でもそれはつまり「最初から時間があればお金なくても子供は育てられるよね」という発想に戻れば不必要な話であって、ブラジルぐらいの国でお金持ちじゃなくても子供がたくさん作られてるのはそういうところだと思ってる。もっと言えば戦後すぐの日本なんて貧しいけど子供たくさん産んでたし。
金がなくても時間があるなら紙おむつが買えなくても布おむつを使い回せる。ハイスペックな離乳食を買うんじゃなくて八百屋で買った果物や野菜をすり潰せば一定栄養のある離乳食は作れる。 こういう育児の時短アイテムは全て時間がないから買わなければいけないのであって、時短しなくていいならかかるお金は格段と減る。
加えると日本人は「子育てはこれが必要、こうあるべき」の基準が高すぎてお金がかかるという思い込みが強すぎる気が... が、これは完全に個人的な気持ち。
昔から食べ物の誘惑に弱い俺、気がついたら子供の離乳食をコソコソ食べてた。最初はただの味見のつもりだったんだが、妙に優しい甘さでマジはまった…。野菜ペーストとか意外とうまいんだわ。で、数日間にわたって「ちょっとだけ」ってやってたら癖になってきて、毎回ほんのすこしスプーンでいただいてた。
んで、減った分は容器を慣らしたり、どうにかごまかしつつな。←この辺は我ながら姑息だと思うわ。でもバレるとは思ってなかった。
ある日、嫁が「最近離乳食減るの早くない?腐ってる?」みたいな空気出してきて心臓バクバク。超必死で「え、そんなことないっしょ~」って適当に流したが、問い詰め力が半端ない。俺、観念して正直にゲロった。
そこから空気一変。「子供のもん盗むとか正気?」「信頼とか全部終わった」とか、マジできつい言葉飛んできてさ。必死で謝ったけどダメ、ついに嫁は子ども連れて実家へGO→ついでに離婚調停の書類も到着。
マジで詰んだ。世の中こんなことで離婚までする?て思いつつも、深夜にふと離乳食の味を思い出して泣きそうになる。スレのみんな、俺みたいなやつ他にいないよな…?小さじ1杯でここまで転落するとは思わなかった。一生あの優しい味、忘れられそうもない。