2025-12-01

子に障害があり、絶望していたが立ち直った話。

胎児期に母子感染して第2子が障害児で生まれた。

たまたま感染し、母体免疫がなく、子にまでうつったパターン。すごい確率であるワクチンもない。

1歳3か月の今わかっているのは2級相当の身体障害だけだが、同病の人たちの例を見るに恐らく重度か最重度の知的障害は確実だ。

左の手足は動くが右の手足はうまく動かず、将来歩けるかも怪しいと主治医は言う。

離乳食は7か月程度の形状から進んでいない。

聴覚障害もある。裸耳だとギリ、ザコシショウが聞こえるくらい。

0~6か月の頃は「何とかなるだろう」とのんびり構えていた。耳が聞こえないこと以外普通の見た目だったから。

育休から復帰して、子の通院とリハビリ仕事毎日が大忙しだった。共働き年子核家族家族一丸となって家庭を回した。

6か月でやっと首が座り、寝返りハイハイに進まない。

6~12か月の頃が一番辛かった。この頃はまだ聴覚障害しかわかっていなかったから。

将来的に自立できるのか、できないのか。親ができることは何か。第1子の今後受けるだろう負担を思うと申し訳なかった。

このままでは狂ってしまうと思い、児相に連絡し1時保護をしてもらった。

保護してもらっている間、第1子を構い倒し、学生時代の友人に会い、インターネットの友人に電話して話をきいてもらい、児相担当者に甘えまくりカウンセラーにも甘えまくった。

両親も義両親も「できることはなんでもやる。できる限り助ける。」と言ってくれた。

どうやら皆我が家のためにできることをやってくれるらしい。障害があっても世界は受け入れてくれるらしい。

約2か月の保護期間を終え、子は帰ってきた。

2ヶ月ぶりの再開なのに子は特に成長していなかった。生まれ1012ヶ月の時点で、この子は何も変わっていなかった。

でもこの子自分で呼吸ができる。痰を飲み込むことができる。

絵本を眺めるのが好きで、人間観察も大好き。電車に乗ると景色ではなく乗客を見て楽しんでいる。

動きが比較的良い左足で上の子を触ろうと挑戦している。

知らない人に抱っこされると目を見開き口がへの字になる。

両親、祖父母、親戚、保育園先生看護師聾学校先生児相担当者主治医リハビリ関係者、道を行く老若男女に構われ愛されている。

いずれ親亡き後は施設に行くだろう。

できる限りいい施設に入れよう。上の子負担にならぬよう親は精いっぱい頑張ろう。

幸福も不幸も人と比較する必要はない。

暖かな寝床と美味しい食事を一生食べられるようにしたい。親ができるのはそれだけかもしれない。

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