はてなキーワード: 「ピー」とは
フォルダを漁っていたら、1999年5月に書かれた、自分のPC履歴が発掘されたので、貼り付けてみる。
なんだかんだ言って、私がパソコンを使うようになってから、10年近く経ってしまったのである。プログラムを組んで実行できる最初のマシンは、高校のときに購入したCASIOのプログラム電卓FX-502Pであるが、これはあくまで電卓であり、パソコンとは多少趣を異にするものであった。
パソコンとして最初に購入したのは、NECの8ビットマシンPC-8801MA2であり、完全なるゲームマシンであった。以下、16ビット時代に突入してEPSON PC-286VE、32ビットマシンのEPSON PC-486SEと続き、とうとう自作DOS/Vマシンをメインのマシンにするようになってしまうのであった。
これから、私のこのしょ~もない足跡を辿ってみたいと思う。PC-8801MA2~PC-486SEの項には、そのときハマったゲームの感想なども記してある。暇な方はこちらもどうぞ!?
小さい頃から、電気・電子関係が好きで、親にマイキット(パネル上にトランジスタとか抵抗、コンデンサなどが並べられており、スプリングになった端子にコードを挟んでそれらを繋いで回路を作る)や電子ブロック(透明なブロックにトランジスタや抵抗などが入っており、ブロックをボード上に配置して回路を作る)などを買ってもらい、それでラジオなどを作って遊んでいたのである。マイキットでラジオを作り、夜中にこっそりと深夜放送を聞いていました。(^^;
因みに、私がアマチュア無線の免許を取得したのは、小学生のときである。これは、ちょっと自慢してもいいと思う。
当時、「初歩のラジオ」とか「ラジオの製作」、「電波科学」などの雑誌をよく読んでいたのだが、流石に、中学生の私にはディジタル回路は難しく(というよりも、何をするためのものなのか、イマイチ理解できなかった)、ボードマイコンTK-80などに手を出すには至らなかった。
まぁ、何しろ当時は、マイコンといっても論理回路の動作から入る必要があったので、当然といえば当然であろう。
そして、関数電卓などをいじくり、「このキーとこのキーを同時に押すと変な表示になる!?」などと遊んでいた私が、最初に手にしたコンピュータらしきものは、カシオのプログラム電卓「FX-502P」である。
これは、512ステップまでのプログラムが組めるというもので、ちゃんと「GOTO」キーや「GOSUB」キー、「LABEL」キー、条件判定を設定するキーなどが用意されていて、結構本格的なものでした。レジスタも10個使えた。ランダムに数値を出力するキーも付いていたな。
プログラムライブラリ(本ですが)なども付いてきていて、掲載されている通りに打ち込むと、科学計算をやったりゲームなどを楽しむことができた。もちろん、プログラムを外部に記録しておくこともできたのだ。オプションが必要だが(買った)、普通のラジカセなどを使ってカセットテープにプログラムを記録するのである。
あと、FX-502Pでは、キーに4分音符や16分音符などが割り当てられていて、短音だが楽曲を打ち込むこともできた。上述のオプションを利用して、ラジカセなどで鳴らすのである。
学生時代は、ビンボーだったせいもあって、パソコンには縁がなかった。友人宅でシャープのTurboIIIなどでゲームをさせてもらうのが関の山なのであった。
で、就職して最初に購入したパソコンが、NECの8ビットパソコンの最終形態ともいうべきPC-8801MA2である。
当時は、既に16ビットパソコンのPC-9801Vm2なども発売されていたのだが、私の選択したのは8ビットマシンの「ハチハチ」なのであった。何故か?
それは、パソコンでゲームがしたかったからである。当時は、違法行為に限りなく近いレンタルソフト屋が横行していて、ゲームソフトなどが比較的安い価格で入手できた(ソフト毎のパラメータファイルでコピーを行うFile Masterは必需品)。また、ゲーム市場も8801主体であって、9801用のものはごく少なかったのである。
とにかく、とても全部やりきれないくらい、ゲームを借りまくった。
何を隠そう、私が8801を購入して、最初に買ったゲームがこれである。何で、最初からこんなに難易度の高いゲームを、と疑問を持つ向きもあろうが、要するに、当時はパソゲーなるものが全く分かっていなかったのである。しかも、あろうことか、購入時には、アクションRPGの先駆け的存在である「ソーサリアン」とこの「マイト・アンド・マジック」を天秤に掛けていたのである。
世間では、「クソゲー」との評価が一般的であるが、私は、このゲームは名作であると信じている。とにかく、世界が存在していて、プレイヤーはその世界に住むところから始まるのである。ストーリーは、最初は与えられず、発見したものだけがストーリーに参加できる。しかし、ストーリーに参加しなくても、とにかく世界が広大・深淵なので、アイテム探しやダンジョン探検だけでも、十分堪能できる。私は、後述する16ビットパソコンの時代まで、約3年以上もこのゲームにお世話になったのである。
「ドラクエ」シリーズで有名なエニックスのアドベンチャーゲーム(AVG)。
不気味な感じが大変心地よい秀作。本作では謎を残したまま終結し、後に「アンジェラス2」が発売されるが、時期を完全にはずしていたし、余り面白くなさそうだったので私はやっていない。
今はHゲーのメーカーになってしまった、しゃんばらのRPG。私の大好き(だった)漫画家、松田紘佳がキャラデザ他を手がけている。音楽もこの人だったな。もしかすると、「2」は後述のPC-286VEでプレイしたのかもしれない。海が舞台の、異色のRPG。とにかく海なので、3次元的に自在に移動できるのがミソ。階段を使って他の階へ移動する一般的なダンジョンとはひと味違うのである。
ただ、惜しむらくは、これは私がコピー品でプレイしていたから良くないのであろうが、2作ともエンディングを見れなかったことだ。
1作目では、「ピー」とビープ音がしてゲームがハングアップ。2作目では、たぶん最終場面であろう画面から1歩も進めず、アウト。
今あったら、正式に購入して再度挑戦してみたいゲームではある。
かのアスキーが発売していた、Hゲー。ダンジョンを歩き回るRPGである。
このゲームは、とにかくノリが非常によく、テンポが軽快で楽しいゲームであった。ゲーム自体は、6階+αの「ウロボロスの塔」を探検して、秘密を探るというもので、出てくるモンスターが女の子で、ダメージを与える度に女の子が1枚ずつ服を脱いでいくという、他愛もないものである。
このゲームをして最初に驚かされたのは、グラフィックの描画の早さである。何だかんだ言っても、8ビットパソコンであるので、当時のゲーム、特に、グラフィックを強調したゲームでは、描画に恐ろしく時間がかかった。一枚の画像を出すのに数秒、ひどいものでは、数十秒、なんていうのもあった。
そんな中で、この「カオス・エンジェルス」は、とにかく、一瞬で画像が描き換わった。これは、当時ではとても新鮮なことであった。
また、そのBGMもとても斬新で、簡単なFM音源を使いながら、とてもハイセンスな雰囲気を醸し出していたのだ。音楽の秀逸さでは、水龍士といい勝負かもしれない。
しかし、このゲームの最大のポイントは、「洒落っけ」にあると思う。ダンジョンの壁に、前に探検した人の落書きがあって、これがまた奥が深く面白い。この落書きがゲームのヒントにもなっているのだが、関係のない落書きもあって、これを探すだけでも、結構楽しめた。
当時、特にスタジオピエロ系のキャラクターもののゲームを数多く出していた、マイクロキャビンのAVG。マイクロキャビンでは、この後も、「めぞん一刻」や「気まぐれオレンジロード」などのキャラ系ゲームを続々と発売していた。
このゲームは、少年サンデーに連載されて、アニメ化もされ一世を風靡した、高橋留美子の同名の漫画「うる星やつら」をゲーム化したものである。
ゲーム内容は、確か、面堂家の誰か(終太郎か、了子か、どっちか忘れた、たぶん了子だ)の誕生日に招待されたお馴染みのメンバーが「迷路」を探索しながらゴールにたどり着くというものである。何かのイベントを経る毎に、時間が経過していき、それにより結果が変化するというのと、途中の行動で結果が変化するということで、数種類のエンディングが用意されていたように思う。
マルチエンディングや時間の概念は今でこそ珍しくもないが、当時では結構画期的なことであったのだ。
フェアリーテール(ELF)の伝説的名作AVGである。確か「2」もあった。フェアリーテール(ELF)のAVGは、何かこう、独特の雰囲気があって、それが私は非常に気に入っていた。なんていうか、どことなく寂しげな感触というか、ちょっと空虚な感じとでもいおうか。キャラクターや展開、秀逸なBGMなどが、この雰囲気を醸し出しているのだ。
フェアリーテール(ELF)のAVGは、この他にも相当やった。「ELLE」なんかは、最後のどんでん返しが強烈でした。
そのほかにも、いろいろゲームはやったが、とんでもねーゲームを一つだけ…
これは、要するに当時大流行の「北斗の拳」のパロディーHゲーである。
ゲーム内容がくだらないのもさることながら(あまりにくだらなすぎて、ケンシロウのようなキャラが出てくること以外、忘れた)、その作りがとにかく凄い。
これは想像だが、このゲームは、おそらくN88-BASICで組まれている。なぜなら、まず、ストップキーでゲームが止まってしまう。そして、そのとき、画面の左上隅に「>C^」が出る(分かる人には分かるね!?)。
そして、NECの8801,9801シリーズのパソコンには必ず付いていた、画面のハードコピーを取るキー「COPY」を押すと、押したときに表示されている画面をプリンタに印刷することができる。
なんか、「流行だから適当に作って一発当てよう」という意図の見え見えなゲームでありました。
…そうこうしているうちに、8ビットパソコンは衰退し、ゲームソフトも発売されなくなって、世の中は16ビットパソコンの時代へと、大幅に突入したのだった。
そこで購入したのが、NECではなくて、EPSONのパソコンなのである。ここいらへんに、私の偏屈さがにじみ出ていますね~。(^^;
パソコンに金をかけだしたのも、このころからである。…まぁ、8801じゃあ、金をかけようにもかけるところがないですが。(^^)
今ではもう信じられないが、当時は、1MB/1万円がメモリの相場であった。しかも、メモリをパソコンに組み込むには面倒な設定がいくつも必要で、さらに、汎用のスロットを一つ占有してしまうのだった。また、今でこそ、SIMMとかDIMMとかいって、大容量がコンパクトに収納されているが、当時は、たとえ1MBでも、12cm角くらいの基板にチップがびっしり載っていたのだった。
それでも、1MBあると無いとでは、雲泥の差があった。
これも、今ではもう信じられないが、当時は、例えば40MBで8万円位した。しかも専用のインターフェイスが要る。これでまたスロットが一つ埋まったのであった。
でも、当時のソフトは、40MBでもお釣りが来るくらいの容量だったんだよね~。
あと、このマシンから、パソコン通信を始めた。当然NIFTY Serveから。
当時は、WTERMを使い、通信速度も2400bpsであった。50kBの画像をダウンロードするのに何分もかかり、さらにその画像を表示するのに何分もかかった。大変な時代であった。
このPC-286VEは、後に友人の手に渡り、そこでVRAM異常が発生してお亡くなりになってしまいましたとさ。合掌。
このマシンでも、ゲームはずいぶんとやった。中で、印象深いものをいくつか紹介しようと思う。
上述したものと同じである。当然、続きではなくて、新規に始めた。やはり8ビットのものと比べて速い。何しろ、8ビット版は2DDのディスク4枚組で、地上、ダンジョン、城、と場所を変える度にディスクの入れ替えが必要だった上、そのたび毎に、システムディスクに書き込み(1分くらいかかった、マジで…)をしていたのだ。それがなくなっただけでも、快適である。ただ、8ビット版の頃はあったBGMがなくなってしまったのは、ちょっと寂しかったが。
なかなかハマった。各エンディングも味わい深いもので、30数種類あるといわれているエンディングを20数種類まで見て、飽きてやめた。プリンセスと謎のエンディングは見ていない。けど、いいや。
「1」と「2」は、3Dダンジョンもの。当時は3Dダンジョンでさえ珍しかったのに、Hゲーで3Dダンジョンというのは、相当なインパクトがあった。ゲーム的にもよく練れており、ダンジョンの仕掛けも良くできていた。Hゲーという観点を排除して、単にゲームとしてみた場合に、非常に完成度の高いゲームであった。
「3」は、確かドラクエタイプの2DのRPG。「4」は、ダンジョンに戻ったのだっけかな?この辺はあんまり印象にないのだな。「5」は、私の大嫌いなシミュレーションで、遂にエンディングを見ることができなかった。…と言うよりは、途中でつまんなくって止めた。「4」と「5」は、多分、後述のPC-486SEでやっている。
これは、今更説明するまでもない、ELFが世に放つ名作中の名作。このゲームが今までのゲームの流れを一気に変えたといってもいいでしょう。味のあるキャラクタ(しかも大勢!)に、深みのあるストーリー。それぞれが練りに練られたマルチエンディング。とってもシビアな時間の概念。所持金の存在も内容に深みを与えています。
さらに、複雑なフラグ制御がすばらしい。よくあれだけの条件設定をして、ゲームが破綻しないものだ。
そして、何より高校生最後の夏休みという、絶妙のセッティング。
とにかく、この「同級生」は、何遍やっても違った展開になるし、違った楽しみ方ができるゲームという、画期的なゲームでした。
後に「2」も出て、共通するキャラクタも出演している。私は、「2」は後述する32ビット版でやったのだけれど、その面白さは全く失われてはいませんでした。恐るべし、ELF。
そのうち、世の中はウィンドウズ時代に突入し、パソコンも16ビットパソコンから32ビットパソコンへと移行していったのである。…といっても、ウィンドウズ3.1は、とっくに発売されていたが、ゲームの世界が未だにDOSベースだったので、それまでは何とかなっていたのであった。が、こう周りがウィンドウズだらけになってくると、流石に不安になって、DOSからの移行を考えざるを得なくなってしまったのであった。
上述のPC-286VEでも、ウィンドウズを試してみたことがあった。そのころは、ウィンドウズは3.0で、フロッピー5枚組という、今から考えればささやかな構成であった。当時は、ウィンドウズ3.0対応のソフトもほとんどなく、これは試してみるだけで終わったが。
実は、32ビットパソコンへの移行の際に、一つの考えがあったのである。つまり、Macへの移行である。当時、Macの世界も変革の時期を迎えていたらしく、小さい筐体が却って可愛らしい Permalink | 記事への反応(1) | 12:53
それでもトークショーの開始直後に冒頭で司会者が「ピー」と禁止用語を発するほどにはトランプの当選に落胆する米国人もたくさんいるということは当然のことだ。
選挙後の分析では、実際にはかなり接戦であったという数字も出ている。
激戦州と呼ばれていたところをすべてトランプが獲得したことなどで圧勝のイメージが付いてしまったが。
SNSを活用した選挙方法という面ではトランプが一枚上手であったということだ。
真面目なことだけ主張してても選挙には勝てない。
2期目のトランプは1期目のように手探り感が抜けているはずだ。
かなり明確に出来ることと出来ないことを理解しているだろう。
公約すべてを実現することは出来ない。
しかし、出来ることも多い。
カナダやメキシコ、中国に関税を課していった場合、試算では米国の経済は弱くなるとの分析が出ている。
そのときに起こる不満のはけ口をトランプはどこに求めるのだろうか?
戦争に求めるようなタイプの人間ではないと思うが、権力は人を狂わす。
何も補償はない。
そして、何よりもその人事だ。
担当省庁を破壊する意欲に溢れている人々がそのラインナップに列を作っている。
すでに認可の下りたワクチンの認可を取り下げるという話も出てきている。
おおよそ文明国が取るべき進路ではない。
このような社会ではますます人々は混乱し、富は偏在し、人は発散する何かを求めるだろう。
戦争でなければいいのだが。
その抑止力故に。
うちの子、マッシュルが好きでその流れでクリーピーナッツが好きになって
そんなクリーピーナッツがOPを歌うダンダダンが始まったんだけど
親としては見せるかどうか悩むところなんだよなぁ
よりにもよって1話目だけにあるんだよなぁ
もしかしたら表現変えたり「ピー」とか入れてたりするかなーとか思って見てみたけど
まぁ原作に忠実でした
はい、素晴らしい出来でした
まぁあえて見せるようなアニメでも無いんだけど、既にアニメの存在は知ってるのがなぁ
ガッツリ性描写してるわけでもないんだけど、思いっきり「セックス」って言ってるし
まぁ本人もセックスぐらい知ってるだろうけど気まずいんだよな
俺がいないところで勝手に見て貰うのがいいだろうか
せっかく愛知県在住なんだしと思って行ってきた。メモがてら書く。
どんな作品が展示されてるかは主催側が用意したサイトがあるから、そちらを見てもらった方が良いと思う。 https://censorship.social/artists/
会場は愛知芸術文化センター8階。名古屋の中心部にある地下鉄栄駅から直結。トリエンナーレのメイン会場は10階で、そこでチケットを買ってから下りる形になる。ちょっとわかりにくかった。
「表現の不自由展」というくくりで、あくまでもトリエンナーレの展示の1つ。割当も他の展示と同じ「1部屋」で、映像作家の作品を大画面で流してるだけの部屋と同じ。展示場所は会場の中では角地にあたり、ここを見なくても他の展示を見れる順路になってる。また、薄いカーテンで区切られていて、その前に、展示の趣旨や「SNS公開禁止」の注意書きが書かれている。
薄いカーテンの向こうは、結構な人口密度。他の展示とは明らかに違っていて、関心の高さを伺わせた。ただ、これは展示レイアウトも悪い。入り口すぐの廊下状の細いところで、そこそこ長い映像作品(「映像・遠近を抱えて」)を流してるから、そこで人が滞留してしまうのだ。
入ると大浦信行「遠近を抱えて」。昭和天皇肖像写真のコラージュ作品。1986年に富山県立近代美術館での展示が問題視され、図録も焼かれたという。「本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる」という言葉が浸みる。
また、その後に作られた同趣旨の映像作品が流れている。戦中の音声に乗せて「海ゆかば」が流れる。年配の女性がそれに合わせて口ずさんでいた。その次の従軍看護婦の手記の朗読では、その人は涙ぐんでいた(隣の若い女の人も)。そして、その後、昭和天皇の肖像が焼かれるシーンに移るのだが、そのシーンではなんとも言いがたい表情をしていた。
ちなみに、映像を見ていたら、金髪の芸術監督が通っていった。ちょくちょく様子を見に来てるのかな。
大きな音ではないが、ヘイトスピーチの音声が聞こえる。展示の1つとして、慰安婦写真展示への反対活動のドキュメンタリーが流されていた。
正面に慰安婦像こと「平和の少女像」。やはり客の関心は高そう。
説明文として「《平和の少女像》に込められた12の象徴」という説明文。肩にとまっている小鳥や手の形などの意味についての説明がある。像の後ろに「ハルモニ(おばあさん)になった影」が描かれているのは初めて知った(画像を見ると大使館前の像にも影がある)。
椅子は自由に座れる趣旨のことが書いてあった。写真を撮る人が途絶えたタイミングを見計らって座ってみたら、スタッフ札を付けた人に声をかけられた。「叱られるか!?」と思いきや、「写真を撮りましょうか」と。撮ってもらったら、なんか囚人みたいな写真が出来上がった。他に座る人はあまりいなかった。自分がいた間で、他に1人ぐらいかな。
個人的に興味深かったのは、Chim↑Pomの「気合い100連発」「耐え難き気合い100連発」。福島県相馬市の若者達がガレキの中で円陣を組んで「気合い」を入れる様子を描いた映像作品。「福島ガンバレ!」「彼女欲しい!」とか叫んでる中に、「放射能最高!」とかヤケっぱちの言葉が混じる。「国際交流基金よりNGが出た」ときに提案した「NGワードをぼかすような編集」版と同時に流れていて、そちらは、たまに「ピー」音が入って英語字幕にも黒線が入る。編集版と同時に流すことで、ある意味完成した形にも見える(ちょっとヤラセくさくも感じた)。
観客の様子も気になっていたのだが、本当に「普通の人たち」という感じだった。普通の美術展よりは、少し若め&男性が多めだったかも知れない。
「映像・遠近を抱えて」の前半部分は、かなりの人が涙ぐんでいた。それだけに、後半のパートの衝撃は大きいだろう。まさしく現代芸術だ。
最後に。
「抗議の声も含めて作品」「政治家の横槍も含めて作品」と言う人もいるが、「表現の不自由展」は、この一部屋だけで作品としてしっかり完結していると感じた。「表現の自由への反対」という声すら守れない、あるいは何の罪もない職員が身の危険を感じるような状態は、決して看過してはいけないだろう。
日本が太平洋戦争を遂行したときの日本のトップは昭和天皇だった。
しかし、昭和天皇本人ではなく、その親族に対して、同じ責任を要求するのは、論理的に筋が通っていないと思う。
女性皇族のI子様は、学校で同級生の意地悪な男子に「税金泥棒」などと悪口を言われてイジメられていた、という話があった。
父親の職業が税金で暮らしている皇族だからと言って、その娘が同様に非難されなければならない理由にはならない。
なぜなら、父と娘は別人だからだ。
もしも親を選んで生まれてきたという人がいたら、その完璧な証明をして欲しい。
なぜ、親を選んだと言えるのか?選ぶ方法を具体的に提示して、客観的に証明すべきである。
I子様だけでなく、M子様やK子様も同様である。
親の職業や、曾祖父の犯罪によって、彼女たちが非難されなければならない理由はない。
なぜなら、彼女たちが開戦を指示したわけではないし、両親を選んで生まれたわけではないからだ。
もしも、この主張に反論があるなら、その完璧な証明を提示しなければならない。
もしも、いたら反論を書いて欲しい。念のためその内容を吟味してみる必要がある。
しかし、現実には、論理と感情が分裂して、別々になってしまっている人が多い。
なぜか?
物事をありのままに見つめて、好き/嫌い/無関心という感情が発生する前に、正/非/未定という論理が先行していれば、論理に基づいた感情の構築ができる。
しかし、思考を停止して、論理の構築ができない場合は、論理とは分離された感情のみが生じてしまう。
その場合は、正しいか間違っているかとは関係なく、好きか嫌いかで物事を見定めてしまう。
などという感情は、確かにそう思ってしまう人がいるのは、心情としては理解できる。
しかし、それは論理として筋が通っているか/否か、正しいか/間違っているかの基軸で再評価した場合、必ずしも正しい言説とはなり得ないのである。
【ソウル時事】韓国の文喜相国会議長は18日付の韓国紙・朝鮮日報に掲載されたインタビューで、慰安婦問題で天皇陛下の謝罪が望ましいと述べたことについて「(発言に関し)謝罪する考えはなく、そのようなことでもない」と断言した。また、「戦争や人倫(人道)に関連した犯罪には時効がない」と主張した。
文氏は聯合ニュースとの会見では「謝罪すべき側(日本)がせずに、私に謝れとは何だ。盗っ人たけだけしい」と非難。慰安婦問題などをめぐる日韓摩擦の背景には、国内政治を意識した「安倍晋三首相の政略的な思考がある」と強調した。
日本政府は謝罪と発言撤回を求めているが、文氏自身が拒否の意向を改めて明確にして反発したことで、早期の幕引きは極めて難しくなった。
文氏は朝鮮日報に対し、日本国内で韓国へのビザ制限など報復措置を求める声が出ていることについても「小利を得て大利を失うことであり、子供のいたずらのような話だ」と批判した。
問題となった自身の発言に関しては「韓日間の歴史問題に関する和解に向け、日本を代表する首相や国王(天皇)の誠意ある措置が必要だという次元からした話だった」と説明。「謝罪の主体としては、現職首相の安倍晋三首相が1位、その次が国王(天皇)になる」と語った。
(2019/02/18-11:22)
※この文章を読んだ日本国民および日本政府関係者は、速やかに韓国語に翻訳して、韓国国民および韓国政府関係者に通知して、正しい説明を求めるべきである。
韓国人および韓国政府の不正を見過ごし、妥協することは許されない。
元のバイブの形状を記憶している物、もしくは新型ディルドーを石膏や強化ベークライトで型どりして左右二分割。
バイブ君を湯煎して温め、石膏の型に押し込んでから冷却するような手段で復活、サルベージする方法を探る前向きな場所にしたいと思います。
湯煎したアツアツの物体を、形状記憶しているからと言ってご自身に差し込み、「アツーー! アツーーーーー!」などと叫ぶ、熱湯風呂芸人のような事をなさらないように。
あれは50度ぐらいの火傷しないお湯です。
へそまで反り返ったような「ピー」になるように、バナナより曲がった極悪な形状にする。さらに大型艦建造を計画して「こんな大きな黒船が入港したら、浦賀港壊れちゃうよ(///)」などと有らぬことを思わず言ってしまうような蒸気船を建造する。
「上喜撰(高級茶)たった4杯で夜も眠れず」と狂歌を一句捻ってみたり、超ドレッドノート級の回転式砲台が3か所も付いた黒船にするのも良いかと思われます。
今まで小刀でご満足なさっていても、これからは大太刀二刀流だとか、室町からある打ち刀、義経が神社に奉納した業物、「神に逢うては神を斬り、仏に逢うては仏を斬る」ような、魔界転生が可能なムラマサブレードの錬成を計画してみてください。
「チンドン屋」と聞くと、
「あーほ、ばーか、ちんどんや!」
これって使っちゃいけない言葉なんでしょうか?
となると、実際にチンドン屋さんを見かけた時になんと呼べばいいのでしょう?
1)民放連側のに職業差別条項があるのみで、NHKでは問題ない。
そのなかでも、
3)自らの職業を紹介する際に「チンドン屋」というのは問題ない。(ex.百姓)
4)「誰々はチンドン屋だ」「何々はちんどん屋みたいだ」のような表現は、職業差別的発現と捉えられるので要注意。
5)「あなたの職業はちんどん屋です。」「村杉進(職業:チンドン屋)」のような表現は、民放連の解釈だと、職業差別に当たるとし使わないように推奨されている。
6)「チンドン」「ちんどん」は楽器や現象を指すものであり、この問題とは関係がない。
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じつは法律はないのでそのものは犯罪ではありません。あるのは各放送局や放送団体で自主規制のために作った番組制作ガイドライン(通称:放送コード)だけです。なので、日本にはNHKのものと、民放連のものと2つ存在します。これを元に放送を制作している人たちが、「不適切だ」と判断した言葉が積み重なったものが、いま一般的にいわれている「放送禁止用語」のようです。そのため、この言葉がダメというのは明文化されておらず、過去の経験上「不適切」と処理されることの多い言葉を「ピー」で事務的に消しているというのが実情のようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E9%80%81%E7%A6%81%E6%AD%A2%E7%94%A8%E8%AA%9E
「チンドン屋」という表現が「不適切」と判断される場合は、それが「職業差別」的な意図がある、もしくは、そう解釈もできる場合です。
なので、手っ取り早い回避策としては、「チンドン屋さん」という表現を使うことです。これは、「チンドン屋さん」は「愛称」なので言葉そのものに悪意は含まれていません。よっぽど悪意に満ちた使い方をしないかぎり(笑)。
また、「チンドン屋」は職業や業態を指す言葉なので、使い方によっては「不適切」になります。たとえば、自分自身の職業を紹介するために「私はチンドン屋です」という表現は何の問題もありません、差別にはならないので。
(私は百姓です。という言葉は放送上でも、よく使用されているようです。)
ただ、「〜〜〜は、チンドン屋だ」「〜〜〜は、ちんどん屋のようだ」のような表現には気をつけましょう。そこに悪意があれば「チンドン屋=悪いものの例」として使っていることになり、「チンドン屋に対する職業差別」が発生しますので「不適切」です。
問題は、「あなたの職業はちんどん屋です。」「村杉進(職業:チンドン屋)」などの場合です。おそらくその表現をしている方には悪意はないのでしょうが、「チンドン屋」「八百屋」など「〜〜屋」という職業の呼称に歴史上、悪意を持って使っている時代があり、その悪意を受け取る側が感じる場合があるので、難しいところです。なので、その場合は「チンドン屋さん」「八百屋さん」と言葉を置き換えることによって回避しましょう。
一般的には、楽器、音楽、現象を指す言葉や擬音として使用されるものなので、問題はありません。ただし、「チンドン屋」「ちんどん屋」の略語として使用される場合もあります。その際には「チンドン屋」「ちんどん屋」と同じ扱いを受けるので、注意が必要です。
以上、ご参考になりましたでしょうか?
とりあえず言えることは、「さん」をつければ万事OKということです。
街で見かけたら、「チンドン屋さ〜ん!」と声をかけてみるといいかもしれません、きっといい笑顔で応えてくれると思います。
懐かしくて面白い! 2016年版チンドン屋さんまとめ - NAVER まとめ