はてなキーワード: 1984年とは
『BURRN!』という音楽雑誌がある。ハードロック/ヘヴィメタルの専門誌で、1984年に創刊された歴史ある雑誌だ。
私は1980年代のヘヴィメタル・ブームにこのジャンルに目覚め、1989年頃から欠かさず買うようにしていた。
当時はまだネットで情報が入手できる時代ではなかったので、誌面中央に掲載される海外ニュースや巻末のレコード・レビュー、
そして間に挟まるレコード屋の広告に載っているレア盤の情報などは、どれも貴重な情報だった。
雑誌の発売日は毎月5日。
いつもその日を心待ちにしていたが、近所の小さな本屋が発売前日の夜8時頃には棚に並べるのを発見してからは、4日がその楽しみの日になった。
雑誌を買って帰ると、表紙から最後の編集後記まで2〜3時間かけて熟読する。
そして、新譜情報や特集で紹介された過去の名盤のタイトルとアーティスト名をメモしてCDショップに買いに行くのだった。
渋谷のタワーレコードの試聴機でチェックしたり、WAVE、ディスクユニオンなどを巡って毎月10枚以上買っていたと思う。
西新宿の輸入盤店を巡ったりもした。あの頃、私の音楽の情報源の中心には間違いなくこの雑誌があった。
あれから40年近くが過ぎた。いい年していまだにヘヴィメタルは好きだが、最新のニュースやレビューはウェブで入手できるようになり、
『BURRN!』の発売当初は500円だった定価も、今や1,200円となり、ページ数は最盛期の190ページから145ページになった。
紙質が変わったので物理的に薄くなった気はしないが、情報量的には薄くなった気がする。
巻末の編集後記を見ると、かつて9人ほどいた編集部員も今や3人なので無理もないことだろう(顧問の伊藤政則氏を入れると4人)。
表紙を飾るのは相変わらず1980年代に活躍したアーティストで、巻頭インタビューや中綴じのポスターも当時の顔ぶれだ。
そして、かつては5ページはあった海外ニュースが今や1ページに凝縮され、そこで目にするのは馴染み深いアーティストの訃報ばかりだ。
最近は国内の女性バンドが多く取り上げられるようになったのが目立つ変化だろうか。
あんなに時間をかけて読み耽っていた雑誌が、今では10分ほどでページをめくり終えてしまうようになったのは寂しいことだ。
これから先も70〜80年代のアーティストの訃報は続くだろうし、編集部の世代交代を含め、雑誌としての持続性にも一抹の不安を覚えてしまう。
休刊するその日まで付き合い続けるという選択肢も考えたが、生活習慣や支出を見直す中で、どうしても優先順位を下げざるを得なかった。
何よりジジイになり、小さな活字を追うのが辛くなってきたという切実な理由もある。
これほど長い間、購入を続けた雑誌は他にないので、『BURRN!』には本当に感謝しかない。
お気に入りのアーティストつながりで新しいバンドを発見する喜びや、過去の作品群を掘り下げる探求の楽しみなど、
この雑誌がなければ私の音楽人生はこれほど豊かなものにはならなかっただろう。
思えば、かつてはパソコン雑誌も発売日を指折り数えて待っていたものだ。
それらも次々と姿を消し、今や「紙の雑誌」をめくる高揚感そのものが、ひとつの贅沢になりつつあるのかもしれない。
かつて愛読した雑誌を棚で見かけたら、その時はまた、気が向くままに手に取ってみようと思っている。
その友達は普通に話す分には昔のままで何も嫌なとこはなかったんだけど、
テレビのニュースの話をすると「まぁみんながみんなメディアに洗脳されて信じてるわけじゃないでしょ」と言い、
旅行の話をすると「C国(なぜかこの言い方をする)が悪いからね」みたいなことを言い、
新聞社ビルの前を通ると「ここで国民を操る裏談合が行われてる」と言い、
何か疑問を口にすると「利権があるからじゃない?」と全て裏があるかのような言い方をする。
全然関係ない話題であっても政治やら利権やらの話に繋げられて、それに対してシニカルな感想を述べられる。
ここの時点でちょい嫌だった。
じゃあ"そういう話"をしようと政治の話題を振ると、「友達と野球・宗教・政治の話はしない方がいいよ」と諭された。
別に特定の政党の良し悪しを議論しようと言う話題じゃなかったのに。
線引きはどこにあるんだよ。人には不快を投げつけるくせに、自分が投げられたら相手を悪者にするなよ。
まあそんな友人がいるんだけど、その友達が「1984年」というディストピア小説を勧めてくれたから読んだ。
そうしたら、なんかその友達から見えてる今の世界って、こういう小説の世界と似ているんじゃないかって思ってしまってとてもしんどい。
流石に彼も小説で描かれているディストピア世界とこの世界が同じとは思ってないと思うけど、なんか通じてるものがあるんだろうなって思ってしまう。
新番組のセットに立つ特撮監督の佛田洋さん。新たなロボの撮影が続く=東京都練馬区の東映東京撮影所、村上宗一郎撮影
連載:凄腕ものがたり
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2026年も日本の特撮ヒーローは不滅だ。半世紀に及ぶ「スーパー戦隊シリーズ」を支え、後継の新作も手がける特撮監督の佛田(ぶつだ)洋さん(64)。凄腕(すごうで)を振るう撮影現場を訪ね、これまでの歩み、そして特撮に込める熱い思いを聞いた。
昨年暮れ、宇宙空間のセットが組まれた東映東京撮影所の特撮スタジオ。赤いメガホンを握り、総勢20人余のスタッフに指示を出す。「本番。よーい、はい!」
炎が立ち、火花が散る。銀色の人型ロボットがダッシュで駆け抜け、その姿をカメラが回転しながら追う。わずか3秒ほどの脱出シーンを撮り終えるまで3時間半。迫力満点の実写映像は、職人技の綿密な仕込みと大胆な演出によって生まれる。
2月からテレビ朝日系で放映される「超宇宙刑事ギャバン インフィニティ」の特撮現場は、熱気と緊張感に包まれていた。「秘密戦隊ゴレンジャー」に始まる戦隊シリーズ50年の歴史に区切りをつけ、東映が威信をかけて送り出す後継番組だ。「特撮の伝統と最新の技術を駆使し、子どもから大人まで楽しめる新次元の作品にしたい」
写真・図版
和やかにスタッフと打ち合わせる特撮監督の佛田洋さん=東京都練馬区の東映東京撮影所、村上宗一郎撮影
幼いころテレビでサンダーバードに熱中し、ウルトラマンに仮面ライダーと特撮ヒーローの誕生に心を躍らせた。大学を出た1984年、一般企業の内定を断り、夢を追いかけて東映の撮影所内にある「特撮研究所」の門をたたく。その創設者でジャイアントロボやゴレンジャー、初代ギャバンも手がけた特撮監督の故・矢島信男氏に師事した。
「特撮は模型を俳優として撮るんだ」。師の金言を胸に大好きなミニチュア作りにのめり込む。ビル街をこしらえ、山に木を植え、戦闘機はプラモデルの部品を再利用して組み立てた。「とにかく楽しくて。極貧生活も苦にならなかったですね」
現場で率先して動く働きぶりが見込まれ、90年に「地球戦隊ファイブマン」で特撮監督としてデビュー。仮面ライダーシリーズも2002年の「龍騎」から担当し、東映の2大特撮ヒーローの歩みを支えてきた。
多分最年少だよ。
* 第74回(2023年):MISIA 「紅白スペシャル2023」
* 第72回(2021年):MISIA 「明日へ 2021」
* 第70回(2019年):嵐 「嵐×紅白 スペシャルメドレー」
* 第69回(2018年):嵐 「嵐×紅白スペシャルメドレー」
* 第67回(2016年):嵐 「嵐×紅白スペシャルメドレー」
* 第65回(2014年):松田聖子 「あなたに逢いたくて~Missing You~」
* 第63回(2012年):SMAP 「SMAP 2012'SP」
* 第62回(2011年):SMAP 「SMAP AID 紅白SP」
* 第61回(2010年):SMAP 「This is love'10 SPメドレー」
* 第59回(2008年):氷川きよし 「きよしのズンドコ節」
* 第54回(2003年):SMAP 「世界に一つだけの花」
* 第53回(2002年):五木ひろし 「おふくろの子守唄」
* 第49回(1998年):和田アキ子 「今あなたにうたいたい」
* 第29回(1978年):沢田研二 「LOVE(抱きしめたい)」
* 第20回(1969年):美空ひばり 「別れてもありがとう」
世界一映像化されたギネス記録持ちの巨匠スティーブン・キングがコロナ禍を予言したパンデミックホラー映画。
というわけでは全然なく、原作・原題は「Children of the Corn」で原作の邦題は「トウモロコシの子供たち」
俺はまったく知らなかったんだけど、このトウモロコシシリーズは1984年の1作目を皮切りに9作目まで作られている、アメリカではジェイソンやフレディのようなアイコン的なホラーシリーズらしい。この作品はそのリブート版で、作品的にはシーズンゼロの前日譚にあたるらしく、アメリカではエグいくらい酷評されていた。
酷評の多くは「原作どこ行ってんオブザイヤー」という感じだが、それ以外の部分で最も「確かに」となるのはストーリーテリングの拙さ。特に人間関係の描写の薄さ。俺も最初から最後まで「これは誰でどういう関係何だっけ??」と思いながら見た。まぁどうせみんなすぐ死ぬだけだからいいんだけど。
そういうC級ホラー映画を見るメンタリティでいればそれなりに楽しめた。
おそらく低予算だったのだろうけど、個人的にはホラー特有の省略の妙味が楽しめたのはよかった。
冒頭から「既に」ヴィランの少女は頭おかしいし周囲の子供たちは不穏だし、事態が始まると「既に」町は大荒れで、「既に」大人たちは保安官事務所に監禁されており、次のシーンでは「既に」大人たちは大穴に落とされている。その後も「既に」吊るされているジャーナリストや「既に」用意されている凶器など、常に3分間クッキングのように「準備は裏でやっときました」が続くので割とテンポよく見られた。
ホラー映画らしく主人公の女はバカで愚かだけど基本常に囚われているのであんま余計なことはしないのはマル。
ゴア表現も多くはないけどちゃんと入ってたし、キング特有のクゥルフ要素である「歩く者」も登場しサービス精神も旺盛。口煩い教訓話もなければ本編の時間も短いのでキング特有の「なんかよくわからんけど不穏な状況からの脱出」というエッセンスをうまく表現できてると俺は思ったかな。なお、キングファンは大酷評な模様。
自慰をする、あるいは単に射精をすることを、俗に「抜く」という。
この「抜く」という表現の語源について、「扱く(しごく)」の誤読である、という説がある。
たとえば「陰茎を扱く(しごく)」と書いたのを「抜く」と見間違えたというのである。
この語源説の信憑性を判断するために、今回は「抜く」の古い用例を確かめてみたい。
まず、それらしいワードで検索してみると、戦前ではフロイト心理学の引用が引っかかる。
フロイトは「歯を抜く」ことが射精と関連していると主張していた。
そのくだりで「とある方言では自慰のことを『引き抜く』と表現する」ことを引き合いに出しているのである。
「sich einen ausreißen」などと言うらしい。
1957年『歯科時報』の「口腔歯牙の性心理と性生理」という連載において、このフロイトの主張が引用されつつ、こう述べられている。
フロイドは自慰を行うという意味の俗語として、「一本抜く」という言葉がドイツ語にあることを指摘したが、フエレンツイは同様の俗語がハンガリアでもしばしば用いられており、しかもハンガリア人は、フロイドが指摘したドイツ語を全然知っていないと述べ、さらに、ハンガリア語には、ほかに自慰をあらわす俗語はないことを強調している。そして、ドイツ語やハンガリア語を知らない日本人も、昔から同様の俗語を用いて来ていることは、前にわたくしが指摘したとおりである。ただし日本語の「一本抜く」は、性交の意味にも用いられるのであるが。
としている。
ただ、実際に「一本抜く」がそのような表現として使われていると思しき例は一つしか見つけられなかった。
1951年に出版された『女の平和』において、男性がセックス・ストライキを嘆く場面が以下のように翻訳されている。
1970年代ごろからは(その時期に初出というわけではないが)「精を抜く」「精液を抜く」という表現が増えたようだ。
※ ただ「精を抜く」はもともと「重要な部分を抜き出す(抜粋などと同義)」という意味で使われることのほうが多かった
※ また「精を抜かれる」のような言い回しだと「精気」の意味であることが多いので判断が難しい
今の若い船員を見ていると、本当に気の毒である。一カ月も鉄の箱にとじこめられて、おかに着いて息をするにも、精を抜くにも、一日や二日の停泊で、ムードたっぷり女をくどくひまなく、飲みに行かねば女に当らない。
jerk offというと「ぐいぐいとしごいて精液を抜く」こと。
さらに1980年代の半ばからは、少しニュアンスの違った「一本抜く」が広まっていった。
実利というのは、射精させてくれることである。業界用語で「一本抜く」という。新生ノーパン喫茶の個室では、ノーパン嬢たちがせっせと一本抜いている。一本抜けない風俗営業の店は、どんどんつぶれていった。今はノーパン喫茶でも、覗き部屋でも、ストリップ劇場でも、必ず一本抜いてくれるのである。
1987年『診男法』。
「一本抜いてくる」と平気で風俗業界へくり出し、1年も車内の掃除をしていないようなきたないスカイラインで、RX7を見ると異常な闘志を見せたりします。
このように「一本抜く」という言葉が性風俗の業界用語として、一気に人口に膾炙していった様子が窺える。
もちろん同時期に「一本扱く」という表現は見当たらなかった。
流れとしては、
といったところだろうか。
そもそもの話をすると、「抜く」の語源が気にされるのは、一見すると「自慰」と「抜く」が繋がらないからだろう。
そこで「抜く」と「扱く」の字形が似ていることから連想して「抜く=扱くの誤読」説が考案されたのではないか。
そうだねフィクションの模倣犯なんて山ほど居るけど模倣犯を出すようなフィクションは存在を許してはいけないね
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81%A8%E5%9C%B0%E7%8D%84_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
この映画で用いられた「走っている電車等から現金等を落とす」という手法は、1955年の内川清一郎監督の『悪魔の囁き』のなかで使われたものであるが、この後のフィクション作品だけでなく、現実の現金受渡し目的の犯罪で数多く模倣されている。1963年9月の草加次郎事件、1965年の新潟デザイナー誘拐殺人事件、1984年のグリコ・森永事件、1993年の甲府信金OL誘拐殺人事件、2002年の新城市会社役員誘拐殺人事件、2004年の大阪パチンコ店部長誘拐事件などの例がある。手法の模倣ではないが、映画の影響を受けて身代金誘拐に及んだ者もおり、1963年の吉展ちゃん誘拐殺人事件[4]、1980年の名古屋市女子大生誘拐殺人事件などの例がある。
https://anond.hatelabo.jp/20250804171112
・ブクマカのコメントだけを集計している。増田のトラバは集計していない。ただし、元増田の挙げた10作だけは特別に集計に入れている。
・手作業なので多分、抜けや集計ミスがある。なお、この作業を行うにあたり、ChatGPT君がクソほどの役にも立たなかったという事実は、いくら強調してもしすぎるということはない。
・作品名が書かれていないもの(作者名だけのもの)はカウントしていない。国産小説はカウントしてしない。自分のおすすめを紹介しているわけではないと思われるコメントはカウントしていない。
・これ同じ小説だろ、と思われるもの( 「長いお別れ」と「ロング・グッバイ」みたいなもの)は勝手に統合して集計した。他にもこれとこれ同じ小説だよ、というものが混じっているかもしれないが、知らん。
三体
大聖堂 動物農場 フラニーとゾーイー プロジェクト・ヘイル・メアリー 星を継ぐもの マーダーボット・ダイアリー モモ
IT アメリカの鱒釣り アルジャーノンに花束を 火星の人 存在の耐えられない軽さ タタール人の砂漠 地下室の手記 長いお別れ ニューロマンサー 羊たちの沈黙 日の名残り 指輪物語 幼年期の終わり
異邦人 ウォーターシップダウンのうさぎたち 鏡の中の鏡 悲しみよこんにちは 華麗なるギャツビー 高慢と偏見 氷と炎の歌 シャドー81 城 水源 スローターハウス5 タイムマシン チャンピオンたちの朝食 月と六ペンス 伝奇集 夏への扉 二年間の休暇(十五少年漂流記) ハイ・フィデリティ ハリーポッターと賢者の石 緋色の研究 ファイト・クラブ 不思議の国のアリス ペスト ホワイト・ジャズ 見えない都市 モンテ・クリスト伯 リプレイ わたしを離さないで
24人のビリーミリガン 2666 82年生まれ、キム・ジヨン HHhH V Xの悲劇 Yの悲劇 愛を語るときに我々の語ること 青い湖水に黄色い筏 青い鳥 青犬の目 青白い炎 赤毛のアン 悪童日記 悪霊 あなたの人生の物語 アブサロム、アブサロム! アルケミスト アンドロイドは電気羊の夢を見るか? アンナ・カレーニナ 暗殺者グレイマン 石蹴り遊び 犬の力 荊の城 息吹 イワン・デニーソヴィチの一日 イングリッシュ・ペイシェント インビジブルモンスターズ ウィトゲンシュタインの愛人 ウォーターランド ウォッチャーズ 失われた時を求めて 歌の翼に ウは宇宙船のウ 海を飛ぶ夢 エーミールと探偵たち 越境 エミール エルマーと16匹の竜 エルマーのぼうけん エレンディラ エンジン・サマー 嘔吐 大鴉 オーエン詩集 おとなしい凶器 怪奇クラブ 外套 カエアンの聖衣 カササギ殺人事件 火星のタイムスリップ 風と共に去りぬ カチアートを追跡して カッコウはコンピュータに卵を産む かつては岸 カモメのジョナサン 狩りのとき 完全な真空 期待 忘却 君のためなら千回でも キャッチ=22 吸血鬼カーミラ 吸血鬼ドラキュラ 巨匠とマルガリータ 供述によるとペレイラは… 恐怖の谷 キリンヤガ クライム・マシン クラッシュ 暗闇にひと突き 黒い時計の旅 黒の過程 刑務所のリタ・ヘイワース ゲイルズバーグの春を愛す 穢れしものに祝福を ケルベロス第五の首 拳闘士の休息 航路 荒野へ 香水ある人殺しの物語 コーラン 黒檀 ここではないどこかへ 古書の来歴 コンダクト・オブ・ザ・ゲーム さあ、気ちがいになりなさい 最後にして最初の人類 さかしま サバイバー 砂漠の惑星 寒い国から帰ってきたスパイ シークレット・ヒストリー シークレット・レース ジーヴズの事件簿 ジェイン・エア 地獄 死体 シッダールタ 死にゆくものへの祈り 死の鳥 死父 シャドウ・ダイバー 初秋 書写人バートルビー 少年が来る 少年時代 女王陛下のユリシーズ号 シルトの岸辺 審判 真紅の帆 聖書(新訳・旧約) スター・ピット スタンド・バイ・ミー ずっとお城で暮らしてる ストーン・シティ 砂の惑星DUNE すばらしい新世界 素晴らしいアメリカ野球 スラップスティック 清潔で明るい場所 西部戦線異状なし 千夜一夜物語 戦慄のシャドウファイア 前日島 善人はなかなかいない 禅とオートバイ修理技術 喪失 捜神記 族長の秋
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・国別だとアメリカ文学が多い……ように見える。
・SFが人気。
・ミステリは人気だが、ハードボイルドを挙げる人は少ない。複数票入っているのは「長いお別れ」と「ホワイト・ジャズ」くらいか?
・超メジャーな文学作品を挙げている人が少なかった。世界の十大小説とかサマセット・モームが選んだ世界十大小説なんかに挙げられている作品はほとんど名前が挙がらず。そんな中5票入ってる「カラマーゾフの兄弟」は改めてすごい小説なんだなと思える。
・作者名の照応はしていないし、やる気もないが、ぱっと見だとヴォネガット、ガルシア=マルケス、オーウェル、カズオ・イシグロ、アンディ・ウィアーあたりが多いような気がする。
日本の事情ばかりでなく世界的な研究者の事情について見ていくと…
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa202201/20220708-mxt_kouhou02-f1-1-21.png
等を見ると2010年代以降はアメリカ・イギリス・ドイツ・フランス辺りは女性研究者の割合の増加スピードはかなり減っている
日本などは今まで分かってるような知見を実践すれば女性研究者の割合は増えるかもしれないが
海外では今までに無いやり方をしないと殆ど女性研究者の割合が増えない国が出てきているという事だ
フィールズ賞は数学分野で特に秀でた40歳未満の研究者に与えられる賞で、4年に1回の国際会議で4人の数学者に与えられる
統計・応用数学・計算機科学・基礎論などは網羅出来てない賞ではあるが、
それ以外の大体の分野の動向はこの賞の受賞者を見れば分かる
2010年代以降の40歳未満の研究者というのは上で言えば女性研究者の増加スピードが落ちてきてからの研究者達である
Elon Lindenstrauss (1970年生まれ)イスラエル
Stanislav Smirnov (1970年生まれ)ロシア
Ngô Bảo Châu (1972年生まれ)フランス・ベトナム
Maryam Mirzakhani (1977年生まれ)イラン(女性初)
Artur Avila (1979年生まれ)ブラジル・フランス
Manjul Bhargava (1974年生まれ)カナダ・アメリカ
Martin Hairer (1975年生まれ)オーストリア
Caucher Birkar (1978年生まれ)イギリス・イラン
Alessio Figalli (1984年生まれ)イタリア
Akshay Venkatesh (1981年生まれ)オーストラリア
女性研究者が以前ほど増加しなくなったのに2010年代2020年代で16人が受賞した中で2人しか女性研究者がいない
このままではフィールズ賞を受賞する4人のうち2人が女性研究者の年があるかもしれんが
3人や4人が取る時代は来ない気がする(中国・韓国・日本も女性研究者の割合がアメリカを超える事は無さそうだし)
文庫版は瀬野が小澤を誘導するための仕掛けが施されており、瀬野が用意した原稿は意図的な加工がされていることを考慮する必要がある。
また怪異に関わったものは「そのこと自体を忘れる」傾向があるため、インタビュー内容が同じになったり、小澤が小沢くんのことに思い至らなかったりする。
瀬野が積極的に怪異について調べながらも今まで無事でいられたのは
もしかしたらカクヨム・単行本版の後日談としての文庫版なのでは?と思って合体させた年表にしてみたものの、Q休刊の時期が全く違ったのでマルチバース確定です。解散。
フランク・キャンパーという元ベトナム退役兵が1980年代に傭兵学校を設立しました、並木書房から日本人の参加ルポが出ていたと思いますがその詳細を教えてください
エコー・イン・ジャパン:フランク・キャンパー、並木書房、そして傭兵の呼び声に応えた日本人
ご質問の内容は、単なる書籍の問い合わせにとどまらず、1980年代の日本における特異な文化的モーメントを映し出す歴史的アーティファクトである。この時代、日本では軍事、特に傭兵や特殊部隊といったロマンチックかつ危険な世界への大衆的関心が急激に高まった 1。この熱狂は、落合信彦氏のような作家が手がけた「スーパードキュメント」と呼ばれるノンフィクションによって大きく煽られた。特に、氏の著作『傭兵部隊』はフランク・キャンパーを大きく取り上げ、後の日本人参加者を含む当時の若者たちに強烈なインスピレーションを与えたのである 1。
本報告書は、ご質問者が記憶されている「日本人の参加ルポ」と完全に一致する一冊の本は存在しないものの、その記憶がフランク・キャンパー、高橋和弘、毛利元貞といった人物、並木書房による出版物、そしてキャンパーの学校とその「後継」組織という、相互に関連し合う魅力的なネットワークを指し示していることを明らかにする。その全貌は、一個人の参加報告よりもはるかに複雑で、示唆に富むものである。
この現象を解き明かす上で、並木書房の役割は極めて重要である。同社は単に受動的な出版社ではなく、日本の市場に向けて「傭兵」や「サバイバル」といった特定のサブジャンルを積極的に開拓・形成した「キュレーター」であった。まず、1990年に高橋和弘訳によるフランク・キャンパー自身の著書『ザ・マーセナリー』と『ザ・ラープ』を出版し、日本におけるキャンパーのブランドを確立した 9。同年、その翻訳者である高橋自身の体験記『USサバイバル・スクール』を刊行 14。これは、確立されたキャンパーのブランドと翻訳者の信頼性を利用して、新たな日本のオリジナル作品を市場に投入する戦略であった。翌年には、キャンパーが象徴する世界に直接繋がるもう一人の日本人、毛利元貞の『傭兵修行』を出版した 15。この一連の流れは、海外の著名な人物を輸入してブランド化し、次にそのブランドに連なる国内の物語を発掘・出版することで、ニッチな市場全体を掌握するという、並木書房の意図的な戦略を示している。
1.1. 論争の的となった経歴:兵士、情報提供者、そして神話の創造者
フランク・キャンパーの公的なペルソナと、彼が設立した傭兵学校の信頼性の核となっていたのは、その軍歴であった。彼は自身をベトナム戦争に従軍した第4歩兵師団の長距離偵察パトロール(LRRP)隊員であると主張し、そのエリートとしての経歴を喧伝した 17。この物語は、後に日本で『ザ・ラープ 長距離偵察部隊』として翻訳・出版される自著『LRRP: The Professional』によって、さらに補強された 10。
しかし、1985年に公開された公式の軍記録は、彼が歩兵およびトラック運転手として訓練を受けたと記しており、その経歴に疑問を投げかけた 17。この矛盾は、1988年にキャンパー自身が上院小委員会の公聴会で証言したことにより、ある種の解決を見る。彼は、軍事情報部、CIA、ATF(アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)、FBIとの「高度な機密指定を受けた経歴」を明らかにし、矛盾する記録は情報機関によるカバーストーリーであったと説明した 19。彼によれば、1970年から秘密情報提供者として活動し、アメリカ共産党(CPUSA)やアラバマ黒人解放戦線(Alabama Black Liberation Front)のような組織に潜入していたという 17。この兵士と情報提供者という二重のアイデンティティこそが、彼の行動を理解する上での鍵となる。
1.2. マーセナリー・スクール(1980年-1986年):準軍事的事業の実態
1980年、キャンパーはアラバマ州ドロマイト近郊で「マーセナリー・スクール」を開校した。当初、実地訓練はフロリダで行われていたが、原子力発電所付近での不法侵入容疑による逮捕後、拠点をアラバマ州ジェファーソン郡のウォリアー川沿いにある77エーカーの森林地帯に移した 17。
学校は『ソルジャー・オブ・フォーチュン』のような軍事雑誌で宣伝され、2週間のコース料金は350ドルから500ドルに設定されていた 17。訓練内容は、体力トレーニング、銃器の取り扱い、白兵戦、ナイフ格闘術、サバイバル技術、ランドナビゲーション(地図判読)、E&E(脱出と回避)、爆発物、ブービートラップの設置など、多岐にわたった 1。機密解除されたCIAの文書には、司令部であった「バンカー」の様子や、実弾が飛び交う中で行われた「ライブ・ファイア」演習の生々しい記述が残されている 22。
キャンパーは学校設立の理念として、米国政府のための情報収集と、将来的な協力者となりうる外国人の資質を見極めることの2点を挙げていた 21。これは彼が担っていた情報提供者としての役割と一致する。しかし、批評家たちからは、この学校は単なる「大規模なペイントボール・ゲーム」に過ぎないと揶揄されてもいた 17。
キャンパーの学校は、単に軍事技術を教える場にとどまらず、国際的なテロリズムや犯罪と深く結びついていた。
1984年から85年にかけて、4人のシーク教徒過激派がこの学校で訓練を受けた 17。キャンパーは彼らに武器や爆発物の使用法、暗殺技術を指導した 21。彼は、当時インドのラジブ・ガンジー首相の訪米に合わせた暗殺計画を阻止するため、FBIと協力しておとり捜査を進めていたと主張している 17。しかし、このおとり捜査の網をすり抜けた2人の訓練生が、キャンパーの学校から盗まれたとされる爆発物を使用し、1985年に329名の命を奪ったエア・インディア182便爆破事件を実行した 21。キャンパーは後に、容疑者全員を逮捕できなかったのは、自身が提供した情報が関係機関によって不適切に扱われたためだと非難した 21。
学校の終焉を決定づけたのは、1985年にキャンパーと3人の教官がカリフォルニア州の学校経営者から依頼を受け、元従業員の車に爆弾を仕掛けた事件であった 21。彼らは1986年5月に逮捕され、この逮捕がアラバマ州司法長官に、州の私立学校免許なしで運営されていた同校を閉鎖する法的根拠を与えた 17。キャンパーは有罪判決を受け、14年の懲役刑を宣告されたが、実際には5年半服役し、1991年12月に釈放された 17。
この一連の出来事は、マーセナリー・スクールが単に犯罪者が集う場であったという以上に、より複雑な本質を持っていたことを示唆している。キャンパーが公言していたように、この学校は米国政府のための情報収集を目的とした「ハニーポット(蜜の壺)」として構想され、運営されていた。その設計思想自体が、過激派や犯罪者を引き寄せるものであった。彼は実際に、ナイジェリアへの武器密輸計画やKKK関連のクーデター計画など、訓練生の違法行為を当局に通報し、逮捕に貢献している 17。シーク教徒の事件に関するFBIの宣誓供述書にも、アラバマ州の「信頼できる情報源」からの通報があったことが記されている 22。
しかし、このモデルは致命的な欠陥を抱えていた。エア・インディア機爆破事件は、この「ハニーポット」戦略が破綻した最悪の事例である。キャンパーが教えた技術は、彼が仕掛けたおとり捜査の網をすり抜けたテロリストによって、悲劇的な形で実行されてしまった。したがって、この学校の遺産は単なる犯罪の歴史ではなく、国家による情報収集活動が民間委託され、危険な個人を「育てる」ことと「罠にかける」ことの境界線が曖昧になった結果、大惨事を引き起こした高リスクな秘密工作の失敗例として記憶されるべきである。学校の存在そのものが、ある種の秘密工作の一環であり、その破綻は、その機能から直接的にもたらされた必然的な帰結であった。
2.1. 直接的な回答:高橋和弘の『U.S. Survival School』
ご質問者が記憶されている「日本人の参加ルポ」に最も直接的に該当するのが、高橋和弘氏による著作である。高橋氏はアウトドアやサバイバル技術に造詣の深い日本のライター兼翻訳家であり、並木書房から出版されたキャンパーの著書の日本語訳も担当していた 9。
1990年、並木書房は彼のオリジナル著作『USサバイバル・スクール―極限の野外生存術』を出版した 14。この本こそが、ご質問の核心に触れる一次資料である。本書は、高橋氏自身がアメリカに渡り、8つの異なるサバイバルおよび軍事系スクールに参加した際の体験を綴った一人称のルポルタージュであり、その第3章が「傭兵学校―マーク・スクール(MS)」と題され、ユーザーが記憶する詳細な参加報告が記されている 14。
2.2. 決定的な繋がり:「マーク・スクール」と教官「ピート」
重要なのは、高橋氏が参加した「マーク・スクール(MS)」が、1986年に閉鎖されたキャンパーのアラバマの学校そのものではないという点である。調査によれば、この学校は、フランク・キャンパーの元アシスタント教官であった「ピート」という人物が新たに設立した「後継」の学校であったことが特定されている 2。この事実は、毛利元貞氏のWikipediaページの脚注において、高橋氏自身の著書『USサバイバル・スクール』を典拠として明記されている。「スペシャル・アサルト・スクール」とも呼ばれたこの後継学校は、ミシシッピ州に拠点を置いていた 2。
この事実関係を整理することで、ご質問者の記憶の謎が解ける。記憶は機能的には正しく、しかしキャンパーという著名な名前と、実際に日本人が報告した学校とを混同していたのである。その報告は、キャンパーの弟子が運営し、キャンパーを中心としたカタログを構築していた並木書房から出版された、「キャンパー・スタイル」の傭兵学校に関するものであった。つまり、ご質問者の記憶の核心は正しく、その背景には直接的な血脈が存在していた。1990年当時の読者にとって、キャンパー本人の学校と、その直系の後継者が運営する学校との区別は些細なものであり、体験の「精神」はキャンパーの遺産そのものの延長線上にあったのである。
この物語には、もう一人の重要な日本人が登場する。1964年生まれの毛利元貞氏である 2。彼もまた落合信彦の『傭兵部隊』に触発され、より実践的な経験を求めて自衛隊、そしてフランス外人部隊へと進んだが、いずれも脱走している 2。
彼の探求は、アメリカでピートが運営するミシシッピ州の「スペシャル・アサルト・スクール」へとたどり着く。しかし、彼は参加者としてではなく、その卓越した技能を認められ、同校の「教官」となった 2。1991年、並木書房は彼の体験をまとめた『傭兵修行―世界に冒険を求めて』を出版した 15。この本は、ジャーナリスト的な参加者として訪れた高橋氏の視点とは対照的に、組織のスタッフとして完全に内部に溶け込んだ日本人の視点から描かれた、ユニークで並行する報告となっている。
高橋氏と毛利氏の物語は、このアメリカのサブカルチャーに対する日本人の二つの異なる関与の形を象徴している。高橋氏は、体験し、記録することを目的とした「観察者・記録者」であり、その役割は本質的にジャーナリスティックであった 14。一方、毛利氏は、その世界を報告するだけでなく、自ら生きることを目指した「実践者・求道者」であり、その目標はプロフェッショナルになることであった 2。並木書房がほぼ同時期に両者の著作を出版したことは、同社が、体験談を読んで楽しみたい「 armchair enthusiast(安楽椅子探偵)」層(高橋の読者)と、自らもそうなりたいと夢見る層(毛利の読者)の両方を読者層として認識していたことを示唆している。二人の本は、日本の「傭兵ブーム」が内包するファンタジーの全スペクトラムに応えるものであった。
著者/翻訳者
年
関連性
Merc: The Professional
1990
キャンパー自身の傭兵としてのキャリアを語り、日本での彼のペルソナを確立した 9。
LRRP: The Professional
1990