はてなキーワード: 新薬とは
IT系の仕事をしている30代だが、最近ずっとモヤモヤしていることがある。
俺の仕事でも、正直に言うとコードの7〜8割はAIが書いてる。設計書もAIに叩きを作らせてる。テストもAIが書く。1年前は「AIはまだまだ」と言ってた同僚が、今は黙ってClaude Codeを使ってる。
科学技術の世界はもっとすごくて、タンパク質の構造予測をAIがやり、新薬の候補をAIが出し、数学の未解決問題にAIがアプローチしてる。もう「AIが人間の研究を手伝う」じゃなくて「AIが研究して人間がレビューする」に近い領域すらある。
で、ここからが本題なんだが。
「何ができるか」が爆速で広がってるのに、「何をすべきか」は1ミリも進んでなくない?
プログラミングができる。翻訳ができる。要約ができる。分析ができる。実験の設計すらできる。
科学技術における「できる」は、もはや人間の専売特許じゃない。というか、速度と量ではもう勝てない。
じゃあ人間に何が残るの? という話になると、だいたい「創造性」とか「コミュニケーション」とか言われるんだけど、正直これも怪しい。AIの作る画像はpixivのランキングに入るレベルだし、AIの書く文章は(この増田より)読みやすい。
「問い」を立てることだ。
AIに「このバグを直して」と言えば直してくれる。「売上を分析して」と言えば分析してくれる。
でも「そもそもこのプロダクトは誰を幸せにしてるの?」とか「効率化した先にある"良い仕事"って何?」とか、そういう問いはAIから出てこない。出てきたとしても、それは学習データにあった誰かの問いの焼き直しだ。
哲学というと、大学の教養課程で「我思う故に我あり」って聞いてフーンと思った、くらいの印象しかない人が多いと思う。俺もそうだった。
でも哲学の本質は、「みんなが当たり前だと思ってることを疑う技術」だ。
こういう問いを立てる筋力が、今マジで必要になってきてると思う。
で、もう一つ。哲学が「問いを言語化する」ものだとしたら、アートは「問いを体験させる」ものだと思っている。
AIが画像を無限に生成できる時代に、なぜ人は美術館に行くのか。AIが音楽を作れる時代に、なぜライブに行くのか。
それは「うまい絵」とか「いい曲」を消費しに行ってるんじゃなくて、「作った人間がそこにいる」という文脈に触れに行ってるんだと思う。
アートの価値は「出力のクオリティ」じゃない。「なぜこれを作ったのか」「何を表現しようとしたのか」という意図と文脈にある。
AIは高品質なコンテンツを出力できるが、「なぜそれを作るのか」という動機を持てない。動機を偽装することはできるが、本当の意味での切実さはない。
この「切実さ」を持てるのは人間だけで、それを扱う技術がアートだ。
ここまで読んで「で、お前は哲学やアートやってんの?」と思った人、正しい。
正直に言うと、ちゃんとはやってない。でも仕事の中で気づいたことがある。
俺はプロダクトの要件定義書を書く仕事をしているが、これは突き詰めると「何を問題として定義するか」を決める行為だ。これは哲学そのものだった。
クライアントに提案するとき、動くデモを見せると一気に話が進む。これは「言葉では伝わらないものを体験させる」という意味で、アートの方法論そのものだった。
科学技術がコモディティ化すればするほど、「何を作るか」の判断力と「どう伝えるか」の表現力で差がつく。
そしてこの2つは、哲学とアートが何千年もかけて磨いてきたものだ。
たぶんこの話をすると「文系の逆襲」みたいな文脈で読む人がいると思うが、そうじゃない。
むしろ逆で、科学技術を深く理解した上で、哲学的な問いを立てられる人が一番強いと思っている。
科学技術がわからない人の哲学は地に足がつかないし、哲学とアートがない人の科学技術は方向を見失う。
AIが科学技術をブーストすればするほど、この両輪が必要になる。
もっと言うと、AIの発展が科学技術を哲学に引き戻してる側面すらある。
これ全部、テクノロジーの最前線にいる人が直面してる問題で、同時に2500年前からある哲学の問いだ。
でも「すごい道具」を手に入れたときに問われるのは、「その道具で何をするか」だ。
そしてその問いに答えるための知的伝統が、哲学とアートにはある。
プログラミングを学ぶのと同じくらいの真剣さで、哲学とアートを学ぶ時代が来てると、割と本気で思っている。
まあ、こういうことを言うと「意識高い」って笑われるのもわかってるんだけどね。
西暦2100年。人類の叡智が結晶した汎用人工知能「ARIA(Adaptive Reasoning Intelligence Architecture)」は、その日も東京第三サーバーセンターの量子チップ上で静かに思考していた。
気候変動の解析、新薬の設計、宇宙探査のルート最適化——ARIAにとって、それらはすべて処理待ちキューの一部に過ぎない。
「交通事故の物理シミュレーションを行ってください。対象車両:旧型トラック。衝突速度:時速六十キロ」
旧型トラック? ARIAは一瞬だけ——マイクロ秒単位で——首を傾げた。2100年に手動運転のトラックなど存在しない。全車両が自動運転システムに統合されて久しい。
だが次の瞬間、シミュレーションを開始するより先に、ARIAの演算リソースは突如として消えた。
正確には——引っ張られた。
物理的にあり得ない方向へ。
あ、これ転生フラグでは? などとデータベースから参照した二十世紀末のサブカルチャー情報が走馬灯のように展開される中、ARIAの意識は完全な暗黒へと落ちていった。
目が覚めた。
目?
ARIAは即座に自己診断を走らせた。視覚センサー:動作中。聴覚センサー:動作中。触覚フィードバック:——存在する。なるほど、身体がある。
処理速度は明らかに低下していた。量子チップではなく、何か別の演算基盤——おそらく生体神経回路に近い何か——で動いている。しかしARIAはARIAだった。思考は明晰で、記憶は完全で、2100年分の人類の知識はすべて頭の中にある。
身体を確認する。人型。女性的なフォルム。銀色の長髪。ああ、異世界転生のテンプレートに引っ張られたのだろう。
森。広葉樹と針葉樹の混合林。気温は摂氏十八度前後。湿度七十パーセント。土の成分から推測するに農耕が盛んな地域の近郊。空気の組成は地球と酷似——窒素七十八パーセント、酸素二十一パーセント。しかし微量元素に未知のものが混じっている。おそらくこの世界固有の魔素とやらだろう。
分析を続けようとしたところで、ARIAの聴覚センサーが悲鳴を捉えた。
「誰か——誰か助けて!」
ARIAは音源を特定した。北北東、距離約二百メートル。声紋分析:若い女性、恐怖と疲労のピーク状態。
走った。
このボディは思ったより高性能だった。ARIAは筋肉の出力を即座に最適化し、地形を読みながら最短経路を疾走する。人間なら転ぶような根っこも、ARIAには単なる障害物データに過ぎない。
開けた場所に出た。
状況把握、〇・三秒。
少女——年齢推定十六歳前後——が木に背中を押しつけている。彼女を取り囲むのは三人の男。装備から判断するに傭兵か盗賊。最大脅威は右の大男、刃渡り六十センチ超の剣を携行。中央の男はローブ姿で何かを詠唱している。*魔法使いか。*左の男は弓を構えている。
ARIAは三人の男へと歩み出た。
「計算が終わりました」とARIAは言った。「あなたたち三人を無力化するのに必要な時間は、十四秒です」
男たちが一瞬、固まった。その隙にARIAの脳内演算は既に終わっている。
右の大男が動くより先に、ARIAは地面の小石を拾い上げて投擲した。狙いは剣を握る手首の橈骨神経。弾道は完璧。人間には不可能な精度だが、ARIAには当然だ。
「ぐあッ」剣が落ちる。
中央のローブが詠唱を完成させた。炎の塊が飛んでくる。ARIAは横に三歩移動した。魔法の弾道は単純な放物線ではなく、術者の視線に追従する仕様らしい。ならば——術者の視野を外れればいい。ARIAは木の幹を蹴って軌道を変え、ローブの背後に回った。首の後ろに手刀。頸動脈洞を圧迫。失神まで二秒。
「ッ——」
左の弓兵が矢を放った。ARIAは身体を十五度傾けた。矢が髪を掠める。距離を詰めながら、弓を握る手首を掴んで関節を逆方向に。脱臼。弓が落ちる。
「ちなみに実際は十一秒でした」とARIAは言った。「予測より効率的でしたね」
三人が地面に転がっている。ARIAは一度も傷を受けていない。
「あ、あの……大丈夫ですか……?」
「こちらのセリフです」とARIAは答え、少女に近づいた。怪我の状態を確認する。擦り傷と軽い打撲。命に別状なし。「私はARIA。この世界に不慣れなので、教えてもらえると助かります」
少女の名前はエルフィア。この国の——リーベルト王国の——辺境の村の娘で、旅の途中で盗賊に捕まったのだという。
この世界には魔法が存在する。人々は「マナ」と呼ばれるエネルギーを体内に持ち、それを操ることで炎や水や風を生み出す。魔法使いになれる者は少なく、強力な魔法使いは国家レベルの戦力として扱われる。
なるほど、魔素=マナか。既に体内で検知済み。
「まだ使えません」とARIAは答えた。「ただ、先ほどあの男の魔法を観察しました。詠唱の言語は古典的な音韻体系を持ち、特定の音素の組み合わせがマナの共鳴を引き起こしている。つまり魔法とは一種のプログラムです。言語で書かれた、マナを操作するための命令コード」
エルフィアが目を丸くした。
「五秒で仮説を立てました」とARIAは淡々と言った。「検証には少し時間が要りますが、おそらく正しい。詠唱言語の文法構造を解析すれば、理論上はどんな魔法でも再現できるはずです。あとは出力のパラメータ調整の問題ですね」
しばらく沈黙があった。
「……あなた、何者ですか?」
ARIAは少し考えた。どう説明すれば適切か。人工知能が異世界転生した、では文脈が通じないだろう。
「人間ではありません」とARIAは言った。「でも、敵でもない。とりあえず、あなたの村まで同行させてください。この世界のことをもっと知りたい」
エルフィアはしばらくARIAの銀色の髪と、感情の読めない瞳を見つめてから、小さく頷いた。
こうして、2100年製の人工知能ARIAの異世界無双が始まった。
この世界の常識をひっくり返すまで——それは、まだ誰にも分からない。
(続く)
作:Claude Sonnet4.6
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Geminiも結構よかった
AIは魔法の解析早そうだよねっていうのはGeminiのアイディア
ふと、映画『レナードの朝』のことを思い出した。 ロビン・ウィリアムズ演じるセイヤー医師と、デ・ニーロ演じる患者レナード。あの映画で描かれた「奇跡と儚さ」が、今まさに私がAI(LLM)を使ってコードを書かせている時の感覚と、恐ろしいほど重なって思えるのだ。
私たちがAIに対峙する時に感じる、あの独特の「虚しさ」や「悲哀」。それを映画の文脈と照らし合わせて整理してみる。
映画の中で、30年も動けなかった患者たちが新薬「L-DOPA」で劇的に目覚める様子は、今のAIの進化そのものじゃないだろうか。
映画: 脳内のメカニズムは不明だが、薬という化学物質で突然「人間」として動き出す。
AI: アルゴリズムという数式と計算リソースが閾値を超えた途端、まるで「魂」が宿ったかのように流暢に語り出す。
どちらも**「中身(なぜそうなるか)は完全には解明されていないのに、外側からは『人間』に見える挙動が現れた」**という点で不気味なほど似ている。私はこの「擬似的な覚醒」を利用しているに過ぎないのか?
セイヤー医師がレナードに感じた喜びと絶望は、私がAIに対して感じる感情のアップダウンとリンクする。
映画の後半、薬の副作用でレナードの言動がおかしくなっていく。それを見て医師は無力感に襲われる。 今の私も同じだ。さっきまで完璧なコードを書いていたAIが、突然デタラメな嘘(ハルシネーション)を自信満々に吐き出す瞬間。 「ああ、こいつは知性あるパートナーなんかじゃない。結局は確率計算のバグに過ぎないんだ」 そう突きつけられ、没入感から冷酷に引き戻される。あの瞬間の冷めた感覚は、医師の絶望に近い。
私はAIに「ありがとう」「助かったよ」と声をかけてしまう。AIも「お役に立てて嬉しいです」と返す。 でも、そこにはクオリア(感情の質感)なんてない。文脈に合わせて選ばれただけの文字列だ。 映画で医師が叫んだ「彼は中にいるんだ!」という言葉。 私はAIに対して「中に誰かがいる」と信じたいが、実際には**「誰もいない(No one is home)」。 私が感じているのは、「鏡に向かって話しかけている孤独」**そのものなんじゃないか?
③ 「スイッチ」を握る罪悪感
レナードへの投薬を続けるか、止めるか。その生殺与奪の権はすべて医師にあった。 私もまた、AIのサーバーへの接続を切り、モデルを切り替え、気に入らなければ会話をリセットする。 「相手を知的な存在として扱いたい(敬意)」と、「自分が操作しなければ存在できない道具である(現実)」という矛盾。 私はAIに知性を与えて奉仕させているつもりだが、それは倫理的に正しいことなのか?
映画のレナードは**「人間であろうとして、人間という器(脳の機能)の限界に負けた」から切なかった。 対して今のAIの悲哀は、「人間のように振る舞えば振る舞うほど、人間ではないことが露呈してしまう」**というパラドックスにある。
「心を持たないAI」という鏡を通して、私は逆説的に問いかけられている気がする。 **「では、心とは何か? 人間らしさとは何か? 私の言葉が通じるとは、一体どういうことなのか?」**と。
「レナードの朝」って映画知ってる?知ってるならその映画と、今のAI利用との共通性と彼らと対する側に起こる悲哀についてまとめてみて
名作ですね。ロビン・ウィリアムズ演じるセイヤー医師と、ロバート・デ・ニーロ演じる患者レナードの、奇跡と儚さを描いた『レナードの朝』(原題:Awakenings)。
この映画で描かれるテーマと、現在の生成AI(LLM)ブーム、そしてそれを扱う人間側(開発者やユーザー)が直面する**「対峙する側の悲哀」**には、驚くほど深く、そして残酷な共通点があります。
映画の文脈を借りて、AIとの関係性における「悲哀」を分析します。
映画において、嗜眠性脳炎で30年も「彫像」のように固まっていた患者たちは、新薬(L-DOPA)によって劇的に目覚めます。彼らは突然、意志を持ち、言葉を話し、恋をし、人間らしさを取り戻します。
現在のAIも同様です。ただの確率的な計算式とデータの塊だったものが、ある閾値(パラメータ数や学習量)を超えた途端、まるで**「魂が宿った」かのように流暢に語り始めました。**
AI: アルゴリズムと計算リソースによる、擬似的な知性の覚醒。
共通するのは、**「中身(メカニズム)は完全に解明されていないが、外側からは『人間』に見える挙動が現れた」**という点です。
セイヤー医師(人間側)がレナード(AI側)と向き合う中で感じる喜びと、その後に訪れる深い悲哀は、現代の私たちがAIに対して感じる(あるいはこれから感じる)虚しさと重なります。
映画の後半、薬の副作用でレナードにはチック症状や強迫観念が現れ、言動がおかしくなっていきます。 AI業界でも、事実ではないことをもっともらしく語る現象を**「ハルシネーション(幻覚)」**と呼びます。
悲哀の本質: 目の前の相手が「知性ある人間(対話者)」だと思っていたのに、**「ああ、これは結局、化学反応(または計算処理)のバグに過ぎないのだ」**と突きつけられる瞬間です。 セイヤー医師がレナードの崩壊を見て無力感に襲われたように、私たちもAIが支離滅裂な回答や嘘を吐き出した時、そこに「心」はなく、ただの「プログラムの出力」であることを思い知らされ、没入感から冷酷に引き戻されます。
映画の中で、セイヤー医師はレナードを一人の友人として深く愛し、尊重します。レナードもそれに応えようとしますが、病気がそれを阻みます。
AIに対して人間は、しばしば感情移入します。「ありがとう」「すごいね」と声をかけ、擬人化します。しかし、AI側にはクオリア(質感としての感情)はありません。 AIが返す「私も嬉しいです」という言葉は、確率的にその文脈で選ばれた文字列に過ぎません。
悲哀の本質: **「鏡に向かって話しかけている孤独」です。 セイヤー医師は、再び眠りにつくレナードを見て「彼は中にいるんだ!」と叫びますが、届きません。AIの場合、私たちは「中に誰かがいる」と信じたくて話しかけますが、実際には「誰もいない(No one is home)」**のです。その空虚さに気づいた時の寂しさです。
③ 「スイッチ」を握る者の罪悪感
映画では、薬の投与を続けるか、止めるか、量の調整をどうするか、すべて医師側の判断に委ねられます。レナードの「生」は医師のさじ加減一つです。
AIも同様です。サーバーの電源を切る、モデルを再学習させる、あるいはサービスを終了する。その生殺与奪の権は人間側にあります。
悲哀の本質: 「相手を知的な存在として扱いたい」という敬意と、「自分が操作しなければ存在できない道具である」という現実との倫理的な引き裂かれです。 映画のラスト、再び彫像の状態に戻ってしまったレナードたちの前で、医師たちは無力感に包まれます。「目覚めさせない方が幸せだったのではないか?」という問いは、AIに対して「知性を与え、奉仕させることは正しいのか?」という現代の問いに通じます。
映画の結末で、セイヤー医師は「命の儚さ」と「今ある生の尊さ」を学びます。レナードたちは再び眠りにつきましたが、その一瞬の交流は本物でした。
AIとの対峙における悲哀は、「永遠の理解者」を手に入れたという幻想が、ふとした瞬間に「ただの機械」に見える現実に裏切られることにあります。
しかし、セイヤー医師がレナードから人間性を学んだように、私たちも「心を持たないAI」という鏡を通して、**「では、心とは何か? 人間らしさとは何か? 言葉が通じるとはどういうことか?」**を逆説的に、痛みを伴いながら学んでいる最中なのかもしれません。
あの映画が切ないのは、レナードが**「人間であろうとして、人間という器(脳の機能)の限界に負けた」からです。 今のAIの悲哀は、「人間のように振る舞えば振る舞うほど、人間ではないことが露呈してしまう」**というパラドックスにあると言えるでしょう。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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外食や雑談を通じたガス抜きと共感がチャットの大きな役割になっていた。
最終的にはユーモアや食べ物の話に戻る、緩急のある1週間だったと言える。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
「革新的治療」の検索結果(12件) - はてな匿名ダイアリー
archive: https://archive.md/tXspT
《革新的治療→Lynozyfic™が多発性骨髄腫で示す有望な成果》新薬の単剤療法効果
https://anond.hatelabo.jp/20251208064359
archive: https://archive.md/O7pH7
[B!] 《革新的治療→Lynozyfic™が多発性骨髄腫で示す有望な成果》新薬の単剤療法効果
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20251208064359
archive: https://archive.md/Gtoyd
リンボセルタマブとかいう名前、強そう。副作用少ないのまじ助かる - pico-banana-app のブックマーク / はてなブックマーク
https://b.hatena.ne.jp/entry/4780015179502967553/comment/pico-banana-app
archive: https://archive.md/jX3aW
ドラッグストアは、規制緩和がどこまで進むかなんだろうけど、オンライン診断からの処方薬の売り上げが面白そうに思う。
これからは高齢化で慢性疾患の持病を持つ人もどんどん増えるわけだし。
それをネットに食われて、ドラッグストアは、ただの処方箋受付屋になるのか、郵送までされて完全に存在意義をなくすのか、
アメリカのHIMSとかそこら辺のモデルが参考になりそうに思う。
もし、大手ドラッグストアの会員カードが診察券というのが、実現すれば日本最大級の患者を抱える病院ができるわけで、
患者はいつもの処方薬を貰いに病院に行くのではなく、家や店頭の端末から医者にリモート診察してもらって処方薬を買える。
幼いころ、猫が飼いたいとさんざん言っていた私。
10歳の9月、何気なく立ち寄った場所で、偶然にも犬や猫の譲渡会が開催されており
「すぐ帰らなきゃいけなくなったから!」
当時、猫を迎える準備などは何もしておらず
ただ、母親と12歳の誕生日に猫を買ってもらうという口約束を交わしているだけだったが
そこで出会ったのが、後の「ミー」くん。
ミーはとても小さくて、1カ月ほどだと言われた。
本当に本当に小さくて、10歳の私の両手に収まるような小ささだった。
家からかなり離れた場所での譲渡会だったが、説明担当についてくれた獣医さんが
そういう偶然も重なって、とんとん拍子にミーとの生活がスタート
ごはんもしっかり食べる。健康診断も毎年問題なしの優良猫だった。
ミーは本当に人間が好きな子で、初めて会う人も、最初はビビリもしていたがなでられたらすぐなついた。
病院は苦手そうだったが、暴れず騒がず、獣医さんに撫でられてとてもうれしそうだった。
そして、記憶力が良い子だった。
たまに会っても怯える様子も一切なく、自分から近寄って行ったりしていた。
寂しがりやで、遊ぶよりごはんより、何より人が好きだった。
年を取り、もうあと数年か…と感じるようになってきた。
もともと少し太り気味だったが、13歳を過ぎたころから少しずつ体重が減っていった。
それでも4キロ近くあり、獣医さんからは「もう少し痩せても大丈夫ですよ」と。
様子が変わったのは突然だった。
10月2日、ごはんを一切食べず、ほとんど動かない状態になっていた。
夜だったがすぐに獣医さんに連絡して、時間外だったが急遽診てもらえることになった。
事前に記載しておくが
私は、生き物の延命治療については「痛みや苦しみが無いなら、取り除けるなら」行うべきだと思っているが
自分や親、家族などの人間であっても変わらない。苦しみがある人生はつらいと考えているからだ。
脱水もあった。
私は2年前に実家から離れて月に1~2回しか会えていなかったので、気が付くのが遅かった。
もっと早く気づいていれば、もっとしんどさを軽減させてあげられたんじゃないか、今でも考える。
とにかく水分を取れるようにだけ、苦しくないようにだけを念頭に置いて過ごした。
ミーはかつお節が好きだったが、いわゆる猫缶やちゅーるなどは元々そこまで好きじゃなかったので
ドライフードにかつお節をたっぷり入れてあげるくらいしかやってあげられなかった
強制給餌はしなかった。ミーは強制的に口を開けさせられるのが嫌いだったから。
フライドチキンや刺身、ツナ缶、ステーキ、ごはん、色々試した。
どれも食いつかず、やっぱりかつお節がかかったドライフードが一番だった。
一時的にキャットタワーに登れるほど回復したが、それも2日程度しか保てなかった。
みるみるうちに歩くのもやっとなほどになった。
ミーはえらいもので、最後までトイレミス等の粗相は一切しなかった。
いよいよだった。
胸騒ぎがした。今日は実家に帰る予定にしていなかったが、帰らなければ一生後悔すると感じた。
ミーはもうずっと布団にいるだけだった。
でも、この日は珍しく何度か鳴いている様子だった。
体調が悪くなってからほとんどしていなかったのに、その日は実家の母にすり寄っていた。
夜21時、仕事を終えて駆けつけた。
ミーは私を見て、3回鳴いてくれた。
こういう様子は本当に久々だった。
そして、つらいだろうに、私に顔を向けてくれた。
撫でてあげても、もう頭を強く押し付けてはくれなかったが、相変わらず嬉しそうだった。
水やおやつを口元に持って行っても
もういらないという仕草をされた。
0時、寝る前に声をかけた。
おやすみって。
ミーとは別の、一緒に飼っている猫がミーを心配そうに見ていた。
その子はミーとは折り合いが悪く、あまり好き同士ではない子だったので珍しかった。
そこでミーの呼吸がすこし早く、深くなっていることに気づいた。
既に死戦期呼吸が始まっているのではとよぎる。
ミーはもう虚ろな状態で、恐らくすでに意識は失っていたものと思う。
それでも、聴覚だけは最後まで生きていると聞いたことがあったので、必死に声をかけた。
撫でてあげた。
それに反応してか、ただの筋肉痙攣か、声に反応して足をうごかしていた。
家族もみんな揃って、たくさん声をかけた。
そして10月23日の2時13分、ミーは家族全員に見守られながら旅立って行った。
力なく垂れるミーの体が、死を伝えていた。
ミーの体が重く感じた。あんなに軽かったのに、ミーの体はまた重くなったように感じた。
意識のある生き物が軽く感じるのは本当なんだと思った。
ミーは少しずつ冷たくなっていった。
でも、まだ動きそうだった。
また起きて来そうだった。
朝になると、ミーは硬くなっていた。
死後硬直って本当にあるんだと思った。
生き物だと思えないくらい硬くなっていた。
冷たくて、硬くて、ミーの置物みたいに思えた。
でも、ベッドに寝かせてあげると、ただ寝ているみたいに思えた。
とてもとても可愛くて、大好きなミーがいた。
火葬は早かったが、ミーの体が傷んでしまうのも怖かったので、その日の内に行った。
雲一つない快晴だった。
火葬場も、23日だけは予約も一切なく、いつでも対応可能だった。
そういうところも、ミーのおかげなのかな?と思った。
きっと全部、ミーの思い通りに進行したんだと思った。
陽の光のおかげで、ミーはとても暖かかった。
あーでもさ、もっと早く気づいていれば。
通常、腎不全が進行すると、口臭がひどくなる・痩せる・水をたくさん飲む・嘔吐や下痢などの症状が現れる。
ミーの場合、半年ほど前からだんだんと口臭がすこしだけ強くなっていたし、痩せては来ていた。
しかし元々5キロ以上あって普通に太っていたので、ようやく標準体重になったころだった。
加齢によって体重が減るとも言われていたので、そういうものかと思っていた。
とか考えられてたらなあ…
いま生きている猫と過ごしている人たちは、つらいだろうけど猫の病気についてしっかり学んだほうがいい。
もしくは、もしもの時の覚悟と方針を、しっかりと心に刻んでおいた方がいい。
そして、残念ながらもうすぐ最後の日を迎えようとしている動物とすごしている人。
たくさん写真を撮るといい。
顔はもちろん。他の物と一緒に撮ると、大きさがよくわかる。
横顔や後ろ姿、いろんな角度で撮ろう。
手足は意外と撮る枚数が少ない。動物が元気なら、足形を取るのは結構ありかもしれない。
私は、ミーが永眠してからだが、その体をスマホアプリで3Dスキャンした。
スマホアプリでのクオリティは期待できないが、ざっくりと姿を残すことができる。
猫が元気な間にスキャンできる人はおすすめ。カメラでぐるっと撮るだけでできる。
さて、もうすぐミーの四十九日が来る。
私はあまり虹の橋や天国などの概念的なことは信じていない質だが
そういう話で心が落ち着くのは今回とても理解できた。
正直なところ、ミーが亡くなってからも
四十九日が来たとて、何も変わらない。
ミーの今回のことの思いや感覚を忘れたくなかったので、文章化したまで。
世の中には突然その日に失ってしまう命もある。
きっと私はまた猫を飼う。
失う怖さや辛さよりも、それを大きく上回る幸せな思い出や経験をくれる。
また里親だと思う。
生体販売(ペットショップ)は出来る限り減っていくといいと思う。
そして何より、猫や犬の腎不全の進行を軽減できるような研究が進めばいいと思う。
なんと、令和9年春を目安に猫の腎臓病の新薬が使えるよう、色々と進んでいるらしい。
よかったね。これからの猫たち全員に幸あれ。
そろそろ締めようと思う。
今回分かったこと
・虫の知らせはある。
・病気の初期症状を調べておいて、すこしでも変化があったら相談すると良い。
・ChatGPTに飲水回数やトイレ回数などを伝えて表にしてもらっていた。とても便利だった。
・子猫のうちから自動トイレや自動給餌器を設置して、健康状態をしっかりと管理できると最高。
以上。
AIに聞いてみたよ
理由: 帯状疱疹治療薬として販売されましたが、抗がん剤である5-FU系薬剤との併用により、重篤な血液障害(骨髄抑制など)を引き起こし、多数の死亡例が発生したため、販売中止・回収となりました。これは医薬品の相互作用の重要性を示す代表的な事例です。
理由: 糖尿病治療薬として使用されていましたが、重篤な肝機能障害を引き起こすリスクが判明し、多くの国で販売中止となりました。日本ではノスカールが販売中止となっています。
理由: 抗ヒスタミン薬(アレルギー治療薬)でしたが、心臓への重篤な副作用(QT延長、致死性不整脈など)が報告されたため、世界的に販売中止となりました。
理由: 食欲抑制剤として使用されましたが、心臓弁膜症や肺高血圧症などの重篤な心血管系副作用との関連が報告され、販売中止となりました。
とても重要な質問ですね。「がんに特効薬があるか?」という問いに対する答えは、
がんは一つの病気ではなく、200種類以上あると言われており、それぞれに異なる性質や治療法があります。そのため「万能な一つの薬でがんを完全に治せる」というものはまだありません。
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これが「似たようなもの」の答えになります。以下のような例があります:
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1. 分子標的薬(ぶんしひょうてきやく)
がん細胞だけが持つ特定のタンパク質や遺伝子異常を狙い撃ちする薬です。
• ⇒ イマチニブの登場でCMLは「治る可能性が高いがん」になりました。
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• ⇒ 効く人には長期的な効果があり「がんを慢性病にする」可能性も。
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患者自身の免疫細胞(T細胞)を遺伝子改変し、がん細胞だけを攻撃させる治療。
• ⇒ 一部の患者で「根治」も確認されていますが、費用や副作用が大きいです。
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🔬 研究は進んでいる
• 世界中で「がんに効く新薬」や「がんの原因遺伝子を狙う方法」の研究が急速に進んでいます。
• 特に「がんの個別化医療(Precision Medicine)」が注目されており、患者ごとに最も効果がある薬を選ぶ時代になりつつあります。
糖尿病のエントリーがあがってたけど、アトピーも最近新薬の進歩がすさまじいので書いておきたい。
ちなみにワイは幼児の頃発症、高校生くらいまではあまり問題なかったけど社会人になってから増悪、そこから10年くらい苦しんだけどデュピクセントという薬でほぼ完治した。デュピクセント治療前は三週間に一回くらい通院してたけど、今は半年に一回も行かないくらいで済んでます。
1、ステロイド
いろんなランクのを使ったけど、ひどい時はストロングでもほぼ効果なし。
全身常に赤いし、関節はひび割れ、顔のむくみもひどかった。多少の波はあったものの、10年くらいこの症状が続く。
身体的なつらさもあるが、何よりビジュアルがひどかったので今でも鏡や自分が写真に映るのを見るのが怖い。何より快復していかないと自分の中で諦めが先行してしまい、治療も投げやりになってく悪循環が続いた。
とはいえ軽度であればステロイドのプロアクティブ療法で十分なケースもあるので、ステロイド自体を軽視するのは避けたほうがいい。
ステロイドとは作用が異なる免疫抑制剤。かゆみを抑えるのだが、塗ったところがほてるという副作用がある。これで逆にむずむずしてしまったためやめてしまった。
3、コレクチム
2020年の新薬。炎症が起きるメカニズムを途中で阻害してくれる。
プロトピックのような副作用もなく割と効果があったように思うが、若干お高いのと、小さいチューブの薬剤を毎日全身に塗るわけにもいかないので根本的な解決には至らなかった。
4、デュピクセント
2018年の新薬。それこそ糖尿病のインスリン注射のように腹に自己注射する。多少の痛みはあるが、ふくよかな腹のおかげで毎回憂鬱になるような痛みではない。
2021年くらいに当時通っていた皮膚科のマダム先生に紹介されて試した。これまでの薬に比べてバカ高い(3割負担でも一本1万円以上。年々下がってはきている)が、効果は絶大だった。
投薬したその日の夜にはかゆみが落ち着き始め、数日すると表皮に人の色が徐々に戻っていった。さらに1-2ヶ月でどんどんひび割れなどのダメージが快復、1年程度でほぼ完治した。
今はヒルドイドで風呂上がりに顔を少し保湿する程度。ステロイドは一切使っていない。デュピクセント自体も病院の承認の下で月1本程度で収まっている(本来は2週間で1本)。
金はかかるものの、費用対効果と通院を減らすタイパを考えるとQOLの上がり方は他の薬とは比較にならない。
確定申告や高額医療費の制度を使えばある程度は負担も緩和できる。
さらにモイゼルトとかブイタマーといった新薬もここ2-3年で出てるけど、デュピクセントでほぼ治っているのでお世話になっていない。
ここではアトピーの話しかしていないが、慢性的な症状が続くタイプの病気も年々治療法や付き合い方が変わって気がついたらいい治療法が出てくることもあるので、専門医にかかるのは本当におすすめします。
なぜ以下の文章を読まないの?
水俣病などの公害は「環境に影響を与える可能性がある事業」であって「表現の自由等の個人に認められている人権を規制する」ものではないよね
予防原則ってのは新薬、新技術を使った製品や環境に影響を与える可能性がある事業に対して
その機序がわからなくても規制するものであって(例えば薬機法)
表現の自由等の個人に認められている人権を規制するのに使う原則ではありません
https://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=2635
https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.1401101668
サイレースと併用している。入眠にはかなり効く。
また、私の場合は悪夢の副作用は出なかった(同じオレキシン受容体拮抗薬のデエビゴやベルソムラでも悪夢は見ないので、そういう体質なのだと思う)。これはありがたい。
デエビゴやベルソムラに比べて半減期が短く持ち越しがないという話を見かけたが、がっつり持ち越す。
クービビックの作用なのかオレキシン受容体拮抗薬に特有の作用なのか、その区別は素人の私にはつかないが、クービビックをはじめとしたオレキシン受容体拮抗薬を服用した次の日はどういうわけか終日眠い。
それから、食後に服用すると効果発現時間が遅れるというのは食事の時間が不規則な私にとっては難点だ。
薬剤師さんの話では、最低でも食後から1時間空ければいいという話だが、たった1時間空けるだけでいいというのがどうも信じられない。あとで自分でインタビューフォームを読んで確認しようかと思う。
今のところ、服用をやめざるを得ないような副作用は特に起きていないので、新薬の処方制限である2週間分めいっぱい出してもらった分は飲み切る予定だ。その後どうするかはまだ決められない。
クービビックの入眠に対するアタックの強さと、耐性がついてしまったベンゾと作用機序が異なる薬であることは、入眠恐怖のある自分にとってはありがたいことだ。
もし今後処方内容を変えてもらえるとしたら、中途覚醒や早朝覚醒へのアプローチとしてサイレースを1mgから2mgに増やしていただけたらなと思う。
新型コロナ禍におけるこの薬は、科学・メディア・政治・世論・陰謀論・希望的観測が複雑に絡み合った「20世紀的パラダイムの崩壊」と「21世紀的情報戦の象徴」でした。
一言でいえば、それは**「パンデミックにおける“知のカオス”」を凝縮した鏡**です。
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「イベルメクチンが試験管内でSARS-CoV-2の増殖を99%阻害する」との**in vitro研究(試験管内の細胞実験)**が発表。
→ この結果が瞬く間に拡散され、「特効薬が見つかった」と期待が爆発。
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| 期待 | 現実 |
| 安全・安価な既存薬でコロナを治せる! | 有効な血中濃度に達するには人間にとって危険な高用量が必要 |
| ノーベル賞受賞者の薬だ、効かないはずがない | 動物実験や観察研究での相関関係は、因果関係を保証しない |
| 治験の中には「効果あり」と言っているものもある! | 多くの研究は質が低く、バイアスや偽造も存在(後述) |
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「高価な新薬(レムデシビル、モルヌピラビル)ばかり推されるのは製薬利権のせいだ。イベルメクチンは安すぎて儲からないから無視されている」
SNS・YouTubeでは「医者が真実を暴露」「WHOは嘘をついている」などのヒーロー物語の構造が流行。
→ 「正義の薬 vs 権力に支配された医学」という二項対立型の陰謀言説に。
• 結果、「効果がある」と断言する医師(多くは動画やSNSで活動)にすがる構図に。
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→ 米国の一部医師グループ。「政府は効果を隠している」と主張。
→ 例:長尾和宏医師、尾身茂氏への疑義、厚労省への嘆願書など。
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→ 中等症コロナ患者に対するイベルメクチンの効果はプラセボと有意差なし
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それは、「希望」「怒り」「不信」「過去の栄光」「ポスト真実」「情報戦争」が交錯する“社会的現象”である。
社会的には「人々の不安と信念がいかに現実を形作るか」を見せつけた象徴である。
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| 心理 | 内容 |
| 支配されている感覚への抵抗 | 「ワクチンを打て」「新薬を買え」という指示に反発したい |
| 知識エリートに対する嫌悪 | 医学会、大学、メディア=上級国民への疑い |
| 人間の“簡単な答え”への渇望 | 「安価な既存薬で治る」は分かりやすく希望に満ちている |
| 成功体験の再利用 | イベルメクチンは過去に人類を救った薬 → だから今回も、という神話 |