はてなキーワード: はまっているとは
例えば、彼女は海外の俳優が好きなので、彼女が「最近ユアン・マクレガーにはまっている」といえば、私は「彼のどんなところが好きか、いつ好きになったか、彼の出ている作品で何が好きか」といったような質問をして話を掘り下げるのですが、私の好きなものの話、例えば鬼滅の刃の話をしても、「何がおもしろいのか、誰が一番好きか、いつから好きになったのか」といった具体的なことを聞いてくれず、「そうなんだ、ジャンプ系っていろいろあるよね」みたいな同意とも共感とも取れない、しかし掘り下げではない絶妙な相槌しかしてくれないのです。(たいていこう返されると沈黙が発生するので私が次の話を振るのですが)言葉で表現するのが難しいのですが、彼女からは私のほかの友人とは「何かが決定的に違う」感覚が会話をしていると如実に感じられるのです。
昔は気になって色々掘り下げること聞いてたけど、質問に答えてもらって納得して満足して、碌なリアクションを返せない自分に気付いて、こういう言わせるだけ言わせて「へえ〜…。」(完)みたいなのあまりよくないかなと思って聞かなくなった。
転職し、長く続いた店も閉業し、今もお酒を嗜むが、すっかり水商売の世界から足を洗った。
なぜかふとたまに、私にガチ恋していたあのジジイは元気なのかと思い出すことがある。
昨晩上司と上司の飲み友達のおっさんとバカバカ飲んで、現在仕事をしているふりをしている。
一年半の間ガチ恋ジジイは私を指名して、ことあるごとにシャンパンを開け、給料となってくれていた。
お店の中と、同伴でしか会っていないのに店でママに私のことが好きすぎて辛いとか相談する上に、何度も私にも付き合ってくれという。
ママや周りの女の子は「関係がはじまると終わりが来るのよ」なんていってなだめてくれていたが、私は嫌すぎたのか記憶がない。
正直言って私の生活費のほとんどはそのジジイからの売り上げで成り立っていたので
「つきあえるわけねーだろ」「きめー」「20歳差w」とか思っていても切るに切れず、
そいつがきたらストレスマックスで帰ってチャットGPT相手に愚痴ってヒスって情緒不安定になっていた。
昨年、ジジイは仕事中熱中症で倒れて、そこから通う頻度が減った。
復活したと思ったら、家庭内(といってもジジイは独身なので自分の親)の問題でまた来なくなった。
一応連絡してはいたけど、ジジイがいない営業は給料がちょこっと減るだけでめちゃくちゃ楽だった。
たぶん私はジジイの考え方や生き方、さらにしゃべり方、見た目、全てが生理的に嫌いだったのだと思う。
通う頻度が減って、「なんじゃこいつ」と思ってはいたが今考えると試し行動だったのかもしれない。
転職活動が成功して結構いい待遇でOLになれると決まったので、店に辞めると伝え、ジジイにも伝えた。
一瞬通う頻度は増えたが、私がぽろっと口に出した「私がいなくなってもここで飲めばいいから」で、またこなくなった。試し行動やめてくれよ。
私としては社交辞令かつスナックでただでお酒が飲める口実だったので、正直プライベートでデート!みたいな意味はなかった。ジジイ勘違い、乙。
たまに一人でスナックに顔を出したりしていると伝えると「俺でよければ話聞くよ^^」みたいなラインがきたが、残念ながら私は一年同棲している彼氏がいるのでわざわざジジイに言う必要がない。
しばらくして店が閉店するというお知らせを聞いた。ママに話を聞いてもらえなくなるのがとてつもなく悲しかったが
ママガチ恋ジジイ・おっさん・お兄さん勢はわたしの悲しみなんかちいせえ位茫然がすごかった。
夜の世界は人がすぐに消える、しかし二年間もお世話になって泣いて笑ったママとの思い出を綺麗に終わらせたかったし、
ママのホステス人生の終わりにも寄り添いたかったので最後の日は出勤しようとドレスを引っ張り出してきていた。
日が近づいてくるにつれ営業ラインをあの頃のようにがんばっていたが、ジジイのストレスは半端なかった。
風邪はひくし、体調はわるくなり、熱まで出た。
ジジイ起因ではなかったとしても、そう思うしかなかった。転職の環境変化のストレスを擦り付けていたのだろう。
辞めたあと全く関わりのなかったジジイとラインをしだしただけで、こんなにボロボロになるとは思わなかった。
転職して間もないため、あまり休めずしんどかったし、ジジイのラインは彼氏気取りでうざかったし、なにもかもしんどかった。
酒を浴びるように飲んでセクハラされて昼夜逆転していた生活のほうがましなくらい体調を壊した。
よっぽどジジイのことが嫌いだったんだと気づいた。
私は、体調が悪いので最後の出勤はできません、顔を出すくらいにしますとお店に連絡した。
ジジイに出勤できないことを伝えると、○○ちゃんがいないお店でどう過ごせばいいかわからないといわれ、カチンときた。
あれもパフォーマンスやったんか。
と様々でめちゃくちゃな怒りがこみあげてきて、そのまま閉店の日の深夜にブロックした。そこで私とジジイの接点はこの世から消えた。
でも、忘れたいのにふと思い出す。
飲み屋の女にガチ恋して、シャンパンを月一回あけて、毎回会計はキャバクラで遊べるくらいの額だった。
上司と飲んでいて、この上司たちより稼ぎがないはずなのにな、とふとおもったり
熱中症の警告をニュースでみるたび、スポットクーラーや冷却作業着がないような工場で働いていたのか、大変だなと思ったり
親ともめて私に癒しを求めにきたが当の私は、ジジイのことが大嫌いだったり。
同伴も正直したくなかったのでお酒を飲むと食べないといっておき、時間を短くした。
時間を使いたくなさすぎて、遠いところは疲れると店の近くの決まった店で大体同伴していた。
手をつないだりしてこようもんなら、男性恐怖症だとでっち上げの話をした。家に彼氏いるが。
ジジイ、ああ、ジジイ、かわいそうなジジイだな。でも楽しかったからいいよね。納得してお金使ったんだもんね。
もちろん色恋営業なんて一ミリもしていない。普通にスナックのホステスをしていただけだ。
ジジイ、元気にしてるかー?私は職場環境も良くてとっても健全な生活で彼氏とも仲良くて毎日充実してるよー!
この話は昨今あふれている、キャバ嬢にあこがれている女の子や、くだらないホストにはまっている女の子の目に届けばいいなと、書いた。
ジジイを忘れられたらいいな、と書いた。
自民党工作員乙。 「ママ」という旗印が守ってきたものを知らない、歴史への無知が現れていて笑う。
あなたは、持たざる者の悲哀を装っているけど、その本質は歴史の矮小化と、自らの境遇を盾にした他者への加害に過ぎないよ。
あなた「戦時中の母親は進んで子供を戦場に送った」言い切っているけどあまりに一方的な歴史観すぎるわ。軍国主義下での母親達が強制されて子どもを戦場に送り出さざる得なかったけど、戦後はその反発と反省から日本の平和運動を牽引したのは間違いなく「母親」だよ。
具体的な例を出すよ。
1955年に日本母親大会が誕生して、原子爆弾を許すまじという声から水素爆弾禁止署名運動が全国に広がった。
あとなあ、「わが子を戦場に送らない」という願いは「自分たちの子供さえ良ければいい」という特権意識ではないんだよ。一人の母親がわが子を想う切実な痛みこそが、自民党という巨大な強欲な装置が振りかざす「お国のため」という似非の大義名分に対抗しうる、最も根源的で強力な源泉なんだよ。聞いているか?妖怪人間。庶民の暮らしは円安でほくほくなんてしてねーぞ。
あなたが攻撃する「#ママ戦争止めてくるわ」という言葉の背景にある「誰も戦場に送らせない」という普遍的な願いすら読み取れていない。それを「ママになれなかった自分への攻撃」と受け取るのは、あまりに過剰な被害妄想で、自身だけを正当化するために「反戦」という崇高な目的を泥にまみれにしている。いかにも裏金を作ったり、統一教会という外国勢力と結びつく自民党の議員を支持する自民党候補者らしい視野や理解の狭さを感じる。
「国全体が目茶苦茶になってしまえ」という破滅願望は、結局のところ、自分よりも弱い立場にある子供たちや、今まさに声を上げている女性たちを道連れにしたいという「強権的な加害性」の裏返しだよ。これこそが、自民党政権下の自己責任論が生み出した最悪の副産物で、皮肉にもあなたは、自分が批判しているはずの体制側の論理(弱肉強食と分断)にはまっている。本当に滑稽だよね。貧しかったり庶民なのに自民党を支持したり、参政党や維新という強権右翼政党を支持している人って。
「お前等のガキなんて、とっとと戦争に行ってお国のために死んで来いや」という言葉は、もはや政治批判でも何でもありません。それは、かつて軍部が若者を戦地に送り出した際の冷酷な視線そのものです。恥じなさい。
氷河期世代が放置されてきた政治的不作為は、糾弾されるべき大罪で、その責任は自民党だけが償うべき。ただしその怒りを、未来を奪われようとしている子供たちに向けるのであれば、その瞬間にあなたは「特権階級に虐げられた被害者」ではなく、「未来を食いつぶす加害者」へと成り下がっています。もう一度言います、恥じなさい。
を読んだ覚書ノート。
・恥を知らない。恥を処理するため、その感情をターゲットに転移する
・歪曲して、幻想を作り出す
・傲慢な態度で見下す
・特別扱いを求める
・他者を平気で利用する
自己愛人間は依存症や強迫症に陥りやすく、治療の見込みは薄い。その行為を徹底的に防御しようとする。なぜなら自己が情緒的に生き延びるために不可欠な行為だから。
なにか不健全な理由によって、コントロール不可能な相手をコントロールしたい、「世話を焼きたい」という欲求を抱えている。
カリスマの自己愛人間と共依存者のふたりは、不健全な相互関係を築いていて、暗黙のルールを共有することで、お互いの依存欲を満たし合う。
寵愛という名の搾取は、傍からは「クズが貴金属に変わる」ように見える。
それは、服従する側の人間が過去の体験から、影の存在に徹し、自己を卑下するようプログラムされてきたから。
自分の自尊心を膨らませてくれる相手か、恥を投げ下ろしておとしめられる相手か。
「愛」の対象はその両方の役目を担う。
自己愛人間は自分が征服したものを見せびらかし、周囲を羨ましがらせようとする。けれど、自分自身が愛の対象を激しく「妬んでいる」ことに気づかない
自分だけは大丈夫、という考えはすでに自己愛人間の術中にはまっている。
1. 自分の性格的な弱点を知り、それが自己愛人間に悪用されないように常に警戒する。
2. 現実を認める。いかに自己愛人間があなたを不当に利用しているか、その幻想や歪曲の構図を把握する。
3. 境界を設定する。冷静に。自己愛人間は変わらない。自己愛人間の恥の転移を冷静に観察してはね返す。
それは自己愛人間が舌なめずりして寄ってくるエサになるだけだから。
遠慮なく、外部に助けを求める。
::高等技術::
4. 相手の自己愛のベクトルを利用して、その術を相手にはね返して、破る。
世界のたがが外れつつある。
2度の世界大戦を経て国際社会が築いてきた規範や秩序を、大国が公然と蹂躙(じゅうりん)し、自国中心主義を振り回している。
「法の支配」は「力の支配」の前に無力なのか。人類が互いの利害を公正に調停し、戦争を一掃する未来は、見果てぬ夢なのか。
法哲学者の井上達夫・東大名誉教授は、法とは正義を追い求めそれを体現すべきもの、と説く。それなら、世界が見据えるべき「正義」とは何か。私たちの飽くなき挑戦は、どこを目指すべきなのか。
――人類が戦乱の歴史を経て曲がりなりにも築いてきた国際秩序が、崩れかけています。
「国際社会の法と秩序、その基礎にある人権尊重や戦力乱用の禁止という『正義』の原則が、危機に瀕(ひん)しています。これらを公然と蹂躙(じゅうりん)する国家による暴力が荒れ狂っているからです」
「もちろん無法な戦乱は今に始まったことではなく、集団間の殺し合いがなかった時代はない。特に20世紀は、史上最も陰惨に血塗られた世紀でした。だからこそ人類は自らの蛮行を制止すべく、戦争を統御する様々な試みを続けてきました。第1次大戦後に国際連盟を結成し、1928年のパリ不戦条約で、国益追求と紛争解決の手段としての戦争を違法化します。第2次大戦後には、戦争を抑止できなかった反省から国際連合をつくり、国際法の諸原則を再確立させました」
「自衛権行使であっても正当な理由や意図などを求める『戦争への正義(jus ad bellum)』つまり『開戦法規』と、無差別攻撃の禁止や捕虜の処遇など『戦争における正義(jus in bello)』つまり『交戦法規』を強化します。また、武力行使に代わる平和的手段による紛争解決を促進する努力もなされてきました。冷戦終結後の一時期、世界はありありと『国連による平和』の夢を見ました」
「しかし、この夢は破れました。武力行使を規制する国際法秩序に責任を負うべき国連安全保障理事会常任理事国のロシアが公然とウクライナを侵略し、民間施設への攻撃を続けています。これは明白に開戦法規及び交戦法規違反です。ロシアは開戦時、ドンバス地方の親ロ派政府との安全保障条約に基づく集団的自衛権だと説明しましたが、この傀儡(かいらい)政府に対するロシアの承認は旧満州国への日本の承認と同様、国際法上無効です」
「パレスチナ自治区ガザでは、前世紀の『人道に対する罪』の最大の被害者であるユダヤ人国家イスラエルが、パレスチナの民に対してこの罪を犯しています。イスラム組織ハマスの侵攻に対する自衛措置として攻撃を開始した時点では、イスラエルは開戦法規に反してはいませんでした。しかし、民間人への無差別攻撃や難民キャンプへの空爆は自衛の範囲をはるかに超え、ハマスが住民を『人間の盾』に使ったのと同様、交戦法規を蹂躙しています。また、ヨルダン川西岸への入植拡大を同時に進めたことは、不純な政治意図を含んでいるという点で開戦法規にも違反しています。停戦合意から2カ月以上が経つのに、ガザへの散発的な攻撃をやめていません」
――「法の支配」をあざ笑うかのような「力の支配」の論理が跋扈(ばっこ)しています。
「『法の支配』の危機は、単に強国が国際法秩序を侵しているというだけではありません。より深刻なのは、法と正義の原則の規範的権威そのものを掘り崩す、シニシズム(冷笑主義)が広がっていることです」
「それが端的に表れているのが、欧米や日本でも唱えられている対ロ宥和(ゆうわ)論です。戦争長期化の責任を、ウクライナの抗戦と西側諸国の支援に転嫁する言説です。知識人にも多い対ロ宥和主義者は、ウクライナ支援を停止してロシアに領土的譲歩をすべきだとして、侵略したロシアではなくウクライナに停戦の圧力をかけることを実質的に説いています。中には、北大西洋条約機構(NATO)の東進がロシアを刺激し戦争を誘発したという誤った歴史観に基づくものも多い。実際には冷戦後、NATOは集団的自衛権体制から地域的な集団安全保障体制に変容しており、旧東側が『西進』して新加盟国になったというのが事実です。ロシアも一時、準加盟国になりました。その友好関係を、南オセチア紛争とクリミア侵攻で悪化させたのは、他ならぬロシアです」
――トランプ米大統領も、ロシアに一方的に有利な和平案をウクライナに押し付けようとしています。
「これでは持続可能な平和を実現できないことは明白です。ウクライナの中立化(NATO非加盟)だけでなく非軍事化に固執するプーチン大統領の狙いが傀儡国家化にある以上、仮に一時的停戦をのんでも、再侵攻に走ることは必至です」
「こうした対ロ宥和論は、武力で現状を自国に有利に変更できる、侵略はペイする、というメッセージを世界に発しています。侵略を抑止するどころか、武力による現状変更を望む他の潜在的侵略者、例えば台湾や南沙諸島に野心を持つ中国、イエメンに触手を伸ばすイラン、韓国を標的にする北朝鮮などに、実行のインセンティブを与えてしまう。ドイツへの宥和政策が第2次大戦を招いた、1938年のミュンヘン会談の教訓を忘れたのでしょうか?」
「強者の支配を排し、武力による現状変更を禁じるという国際法の原則を尊重するならば、国際社会が協力して、ロシアに軍事的・経済的圧力を断固として加えることが必要です。それができずに弱小国にだけ譲歩が押しつけられるなら、国際法は強者の支配のイデオロギー的隠れみのとみなされ、規範的権威を喪失します」
――米国が主導したガザの和平計画も、ハマスが武装解除に抵抗する構えで、暗雲が垂れこめています。
「長年の紛争解決と平和構築のためには、90年代のオスロ合意が道筋を引こうとした『二国家解決』しかありません。すなわち、ガザとヨルダン川西岸の分断統治を解消してパレスチナを統一的に統治する国家を樹立し、イスラエルと相互承認し共存する体制です。しかし、イスラエルのネタニヤフ首相は『パレスチナ国家のいかなる試みにも反対する』と二国家解決を強硬に拒否し、トランプ大統領もイスラエルのパレスチナ支配強化を支持するかのような発言を繰り返しています」
「停戦後の暫定的な統治機関『平和評議会』のメンバーは未定ですが、米国やイスラエルがガザ復興を主導するなら、ハマスを殲滅(せんめつ)できたとしても、第2、第3のハマスがゲリラ的抵抗を続けるでしょう。パレスチナ国家樹立をゴールに掲げたうえで、暫定的にはアラブ諸国を中心にガザの治安維持と住民保護を委ね、現在の腐敗したパレスチナ自治政府を統治能力ある組織に改編する。国際社会はそのためのロードマップを支援する――。それしかガザ戦争の出口はありません」
「『法の支配』は規範的な理念ですが、自動的に実現する力を持っているわけではない。理念を実現するのは、それを順守しようとする様々な行動主体が、協力して行う実践です。強者の力を抑える、いっそう大きな『力』を協働して組織し、行使しなければならないのです」
――プーチン大統領は2014年にクリミアを「併合」した際、西側諸国の過去の侵略や軍事介入と同じことをやっているだけだ、という趣旨の発言をしています。
「他者の悪が、自己の同様の悪を免責する――。これは開き直りの詭弁(きべん)ですが、問題は、西側の多くの『批判的知識人』までもが、この思想のわなにはまっていることです」
「例えば、03年のイラク侵攻など米国の軍事介入を強く批判してきた米国の思想家ノーム・チョムスキーも、このプーチン大統領の欧米批判を擁護してしまっています。自国の戦争犯罪を追及すること自体は、間違ってはいない。しかし、それゆえに他者の罪を許容するのは、論理的にも倫理的にも倒錯しています」
https://digital.asahi.com/articles/ASTDM4V8YTDMUPQJ00FM.html
27歳DT、この歳になってようやくというかいまさらというか、とにかく失恋をした。
知り合ったのは俺が19で相手が15のころ、7年の友人だった。
もっとも、「友人」だったかどうかは今となってははっきりと言えない。
それでも恋をしていたんだ。
許してほしい。
諦めるために書いている。
どうか最後まで読んで「お前キモいからさっさと死んだほうがいいよ」とコメントを残してほしい。
「彼氏ができた」報告をされた。
本当につらい。
いろいろなコンテンツを紹介してもらったから日常のありとあらゆる事象で思い出してしまう。
「黒髪のキャラクターが好き」と言っていたから黒髪を見るだけで辛くなる。
果てはお金の使い方を一緒に考えてた時期もあるからお金を見るだけで吐きそうになる。
それくらい世界のすべてだった。
他人から見たらまさしく「よくあること」なんだけど、俺にとってはすべてだったんだ。
Twitterを眺めていると二次創作でいろいろなキャラクターが性行為をしている。
それを見るだけで「彼氏とこういったプレイしているんだろうな」なんて思ってしまう。
本当に情けなくて、気持ち悪い。
知り合ったのは当時はまっていたゲームのDiscordサーバ。
当時にしてはかなり活気あふれたサーバだった。
接点を増やそうとメンションや個人DMを増やしてしまい、結果返信が帰ってこなくなった。
俺と2,3人が残っているだけのような、ほぼ個人サーバのような状況。
そんな時、不意に帰ってきたのである。
「俺さん元気だった?」なんて言われたときはうれしくて泣いてしまった。
俺は社会人になり、相手は浪人をして再受験のために努力をしているらしい。
会話を続けるうちに恋心を思い出した。やっぱりこの人しかいないと思った。
ふとメンションしようと思ったら一覧に表示されなくて気が付いた。
本当は少しずつ頻度を下げていたのかもしれない、「最近来ないね~」なんて他のメンバーと会話していたりもした。
どうして脱退したのかはいまでもわかっていないが、大方なにか気に障ることをしてしまったのだろう。
わかっていないあたり、気持ちが悪いと思う。
あまりに悲しくてずっと泣いていた。
でも当然なにも解決しなかった。
サーバが過疎ったまま、1人また1人と来る人が減っていった。
俺もどこかで「サーバにいればいつかまた会えるかもしれない」と思っていたのかもしれない。
それから数年、今年の春。
当時遊んでいたゲームの続編が発売された。
とても面白く、その感動を誰かと分かち合いたいと思ってしまった。
Discordのサーバ一覧には当時加入しただけのサーバが多数残っている。
迷った。
一ヶ月くらい迷った。
どうしても諦めきれなくてDMを送った。
当時のことを謝りつつ、続編について語り合いたいことを話した。
帰ってこないだろうと思っていたのだが、返事があった。
本当にうれしかった。
それから数カ月ほど、その続編以外にもいろいろなことを話すことができた。
生活が変わったことだったり、新しいゲームにはまっていることだったり。
俺に彼女がいないことを煽られたり、彼氏がいないことを自虐していたりもした。
このやり取りで調子に乗ってしまったと後悔している、またアタックをしてしまったのだ。
それから返事の頻度が下がっていってしまい、とうとう帰ってこなくなってしまった。
3度目の過ちである。
するとひとことだけ。
最初に書いたとおり、世界のすべてだったから何をするにも思い出してしまう。
そして「今は彼氏とも同じ話をしているんだろうな」なんて考えてしまい余計辛くなる。
28歳のDTが年下の少女に恋をして、告白もできないままに振られて、勝手に鬱になっている。
それだけのはなし。
どこかのタイミングで意を決して自分の想いを伝えていたら違う結末もあったのだろうかとも考えてしまう。
初めて恋心に気が付いたタイミング、もう一度再開できたタイミング、互いにパートナーがいないことを煽りあったタイミング。
いくつかタイミングはあったかもしれないが、それらをすべて投げ捨ててしまった。
言わなかった現在が正解なのかもしれないが、今となっては言って玉砕したほうがよかったと感じている。
でも、2度見限ったのに2度とも再開を認めてくれたからもう一度を期待してしまっている。
もちろん、相手自身が幸せになってほしい。別れろとは言わない。
でも、もう一度友達になってはくれないだろうか。
毎晩とは言わないから、月に一回は会話させてくれないだろうか。
なんて言いつつも、やっぱりワンチャン付き合いたいななんて思ってしまう自分もいる。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
俺はどうすればよかったのか、どうすればいいのか、
もう一度やり直せるのか、それとも忘れる方法はあるのか。
考えたくもないけれど。
これを見たうえで許させれるとは思わないから、見られないことを祈っている。
それでももし見てしまったら、あなたが好きだったポケモンの名前をコメントに残してくれないでしょうか。
どうか、見つかっていませんように。
ウエブの情報よりも面白い私ちょっと笑っちゃったことがあって、
それは!
商品の取扱説明書のPDFをNotebookLMに読み込ませて音声解説してもらうの。
なんかテレビショッピングみたいで
聴き入っちゃったわ。
そんで
当たり前のことをなんかもっともらしく言うので、
「なんと!この商品100ボルト電力で出力は1300ワットなんです!」
「えー!高出力ですね!」って
テンション高めで言うのよ。
もうさ、
驚き屋のあの洗濯洗剤のシーエムで「驚きの白さ!」って驚いてみせる声を吹き込むプロの人っているじゃない。
あのような驚きの!って声をサウンドエフェクトで吹き込んでも面白いかも!って
あと「えー!」大袈裟に言ったり笑ったりする、
テレビショッピングのご婦人のオーディエンスの方々っているじゃない?
それの「えー!」とかのあと爆笑するサウンドエフェクトを付け加えたら、
本当にテレビショッピング、
冗談で取扱説明書のPDFを読み込ませて音声解説してもらったけれど、
まっとうな仕上がりに恐れおののいたわ。
たぶん、
おのののかさんも驚くと思う!
内容もさることながら、
ちゃんと私が作ったときは30分を超える解説の長尺で音声作ってくれて、
本当に番組みたいじゃない?
つーか番組みたいなのよ!
あんまり調子に乗って音声解説してもらいまくりまくりすてぃーだと、
1日の制作回数をすぐに上限行ってしまうので私のNotebookLMちゃんが止まっちゃったわ。
これはChatGPTちゃんに引き続き課金してもいいかも知れないわ。
そのぐらいの衝撃が走るぐらいに
そしてつい最近日本語動画も作れるようになった動画解説もなかなか的を得て、
そんで、
私はステラーブレイドの研究家を自ら名乗るほどでもない謙遜はするけれど
そのぐらい研究して大好きな
ステラブレードの長きに書いて書いて書きまくっている考察メモやらを読み込ませて、
音声解説してもらって、
最近気付いたのが音声解説のやる内容も決められて「議論」させたの、
そうしたら、
こ!これは!って思ったのよね。
私の考察テキストがどのぐらいの熱量を持ってるか世間で比べたことが無いので、
その良し悪しは評価私はできないけれど、
なるほどねー!って私が思うぐらいの議論をしていて結構マジで深く考えてる?って思ったのよね。
NotebookLMちゃんは対話できないけれど資料を読み込ませて圧倒的な便利さで、
音声だったり動画だったり文字だったりとのいろんなアプローチで読み解いてくれるの。
それぞれの得意とする使い方をもってすれば、
だってさー、
英語の英文の論文のPDFも読み込ませて解説して読んだ風に自分に内容を取り込むことができるので、
リアルに真面目な話興味あるいろんな資料って世の中にインターネッツにあるでしょ?
それをNotebookLMちゃんにどんどんソースを読ませて解説してもらってーっての。
ラジオやテレビのニュース番組を聴いたり見たりするより刺激的で面白いのよ。
ショート動画で時間を無駄にして翻弄されている人類は今すぐNotebookLMちゃんにいろいろ好きなものを読み込ませて解説してもらって、
自分の学びとして得た方がよっぽどAIの人間がお利口さんになる使い方かも知れないの。
私は分かっているわ、
あんまりAIのことをカロリー高めに言うとAI陰謀論にはまっている身長3メートルの女子高校生みたくなっちゃうので、
あんまり高カロリーでしゃべることはこのぐらいにしておいた方がいいってことは重々知っての承知の助よ。
でも、
これだけは言わせて欲しいの。
冗談でNotebookLMちゃんに読み込ませた家電製品の取扱説明書のPDFを音声解説してもらったらめちゃ面白かったってこと!
しかも30分という長尺!
テレビやラジオショッピングの台本できんじゃね?って思うぐらい。
まあ、
散々解説してもらって私のションテン爆上がりにもかかわらず、
一旦は冷静になって買うのは落ち着かせているところなのよ。
でもさー
またうかうかしていたら、
ションテン高めだけど
一旦は落ち着くわ!
うふふ。
いつも買うところとは別のところのお店で買ってみているタマゴサンド。
うーん、
ちょっと味は違うかな?
でもタマゴの美味しさには変わりないので、
これも美味さ炸裂、
コーン茶なぜ今まで気が付かなかったんだろう?
そのぐらいの後悔!
でも今気付いて飲めることの幸せを噛みしめるわ。
飲み物だけれどね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
API利用して使ってるけど、5に切り替えて特に大きな劣化は感じてないよ。
おそらくあなたの使い方や入力に問題があるから、出力も問題が生じているんだと思うよ。
GPT-5 APIの説明は読んだかな。様々なオプションが使えなくなったり変更になっているけど、この辺りは対応したかな?
またAPIの使い方は人それぞれだから、あなたの使い方だとGPT5が性能劣化しているように感じられたとしても、全員が同じように困るわけではないよ。
自分だけが困った事になってる場合に、自分は正しくて周りだけが気づいてないと短絡的に考えない方がいいと思うよ。自分だけが世の中のおかしさと正しさに気づいたって思考回路は、陰謀論にはまっている人とそっくりだよ。
腐も夢も適性がないのでまったくはまってないが、なんとなくわかるような気持ちにはなりはする程度の人間から質問
これがわからない
受けにメスみがあってもええやん?だめなの?なんでだめなの?
たとえばバリバリ男らしい(?)積極的・攻撃的な性格の男だとしても、「その男の前でだけ」受けとる側になってしまうとかあってもいいんじゃないのと思ってしまうんだが
それに受けのメスみはやおいーBLと続く系譜でもむしろ主流だったんじゃないの?
むしろやおい史の中でメスみのない受けが市民権を得たのは比較的近年の流れじゃないの?
(00年代の研究的本を読むと「やおいは男同士の関係だが受けが女性的に描かれることが多く」とかしょっちゅう見かけたが)
精神的な上位下位の関係性はむしろ男のほうがよくわかる感覚のはずでもある(生物学的にも男は女より上下関係に敏感である)
これはわからないでもない、それに
これもわからないでもない。
ただ、作者じゃない以上、受けだろうが攻めだろうがどっちにしたって「性格は変化させてる」よね?????
ここ数年、非常にはまっている漫画(アニメ化もされたし映画も好調)のおかげでPixivアカウントで二次創作を見るようになった
程度の差はあれ、攻めだろうが受けだろうが全年齢向けだろうが性格は二次創作者の好みに合わせて変化させてるよね?
男キャラを女っぽくさせるほうがギャップが大きいから受け入れられないだけなの?
>メス化を見ると「夢女子が、自分が攻に抱かれたいのために受の性格を捻じ曲げてまで割り込んでくる」性欲強すぎる悪霊かよみたいな悍ましさを感じる。
こういうことなんだろうが、
そもそもやおい論自体、あなたの解釈と違う楽しみ方をしていた人が大勢だったと読んでいるので
その「夢女子がウケの性格を捻じ曲げている」という解釈に固執しすぎな姿勢の問題にも思える
あなたは「好きなキャラ(男)を幸せにしてくれるキャラ(男)はこいつだという感覚が好き」なんだろう
でも自分と他人が違うこともわかってるんだろう(左右の逆で戦争が起きるとか聞くし)
だからこそキャラの性格を変えられることが受け入れられないんだろうが(性格が変わってしまえば好きな男を幸せにしてくれる要素がなくなるしその組み合わせから感じる萌えがなくなる)、
でも好きな男が幸せになるなら相手は「幸せにしてくれるキャラ」であることが重要なのであって、
じゃあ性格が同じままなら女体持ちでもええやん??
あなたは今そこに気が付いちゃったわけだね?
プレイヤーは連合軍の特殊部隊員になり、ドイツに占領されたフランスに侵入し
マップ上に沢山いるドイツ兵の一人として、他のプレイヤーのゲームに侵入し、プレイヤーを倒すというものだ。
マップや侵入するタイミングはプレイヤー次第なので、毎回シチュエーションは異なる。
侵入開始時点でCPUのドイツ兵たちに追い詰められていて、負け寸前の状況のこともある。
動きの慣れてない初心者っぽいプレイヤーの場合が多く、「追い打ちをかけるようで悪いな」と思いつつも
CPUが倒すと自分に勝ちポイントが入らないので、積極的に相手にとどめをさしている。
もちろんプレイヤーが手練れの場合もあり、CPUと一緒に攻め込んでみたら自分だけハチの巣にされて返り討ちにあうこともある。
侵入に慣れたプレイヤーは、侵入者の通るルートを予測して地雷などのトラップを仕掛るが
上級プレーヤーは、侵入者を狩るためのトラップハウスのような状況を作ってくる。
プレーヤーは建物の上階で待ち構えているが、そこに行くまでの通路・階段はトラップだらけ。
トラップを解除しつつ、上階までたどり着かなければならない。
トラップに掛かると運が悪ければ死、ダメージで済んでも相手はそれを察知して止めをさしに来る。
過去に何回か遭遇する機会があったが、全て「トラップを踏んで動けなくなり回復していると、どこからともなくグレネードが投げ込まれて死亡」という負け方で
相手の姿すら拝めなかった。
先日のプレイでも、侵入して相手をウロウロ探し回っていたら、遠くの丘で2つの光る点が見えた。
撃ち返せば1人は倒せるかもしれないが、確実にもう1人にやられる。
ダメ元で相手の丘に突撃してみたが、かなり近くまで行けたものの返り討ちにあってしまった。
ジリジリとにらみ合いをしても良かったのだけれど、そういうプレイは膠着状態になってしまい、面白くなくなってしまう問題がある。
かつてはネットでできるボードゲームとして麻雀(天鳳、雀魂)やポーカー(ポーカーチェイス)にはまっていたけど、最近はもっぱら将棋ウォーズだ。将棋に運の要素は無く、勝ちも負けも自分次第というのがいい。勝ったらうれしいし、負けたらくやしい。
これがいい。
麻雀やポーカーだと、長い時間をかけて作戦を練っても最後は運で決着するなんてことはよくあるからな。
ふたりぜろわゆうげんじょうほうかくていかんぜんじょうほうげーむ……、えーっとなんだっけ? 大学でゲーム理論の講義受けてたけど忘れちまった。まあいい。とにかく、運の要素が無く、勝ち負けは自分と相手の選択のみで決定するというターン制対戦パズルゲームの将棋が気に入った次第だ。
将棋のルールは小学生の頃の羽生ブーム(羽生七冠達成の頃、朝ドラ(ふたりっ子(マナカナ出演))でも将棋が主題だった)の頃に覚えた。いかんいかん、思い思いのままに書き連ねたら括弧がネストしまくってしまった。
とはいえ、屋内ゲームとしてスーファミやプレステやロクヨンをやるようになり(ひとりでも複数人でも)、自然と将棋はやらなくなっていった。
2010年頃から、「コンピューター将棋はプロよりも強いのではないか?」と言われるようになって、実際にプロvsAIの対局が実現されるようになった。今ではAIがプロより強いのは当たり前で、プロの強さをAIとの指し手の一致率で表現することもあるが、当時の価値観ではまだ考えられないことだった。
その頃にコンピューター将棋を少しやったことがある。当時最強と言われていたボナンザやその派生ソフトは使い方が良くわからなかったので、フリーソフトの「きのあ将棋」をやっていた。そして、「あひるがあがあ地獄」に負けまくって嫌になって、もう将棋なんて指すもんか、と思ってしまったのだ。ひたすらアヒル戦法を相手にして負けまくったらそりゃあ嫌になるよなぁ。
とはいえ、指すことが嫌になっただけで、将棋業界の動向をエンタメとして楽しむことは好きだった。公式非公式問わずで、「加藤一二三伝説」(ニコニコ動画を中心に流行)だったり、「豊島? 強いよね」(最近、日清がCMのネタにした)だったりだ。
今、将棋をやり始めるようになったきっかけは「龍と苺」だ。私が知ったのははてブで話題になった時であり、その時はSF設定の漫画なのかなぁと思っていた。ただ、ブコメ欄でなぜそこまで盛り上がっているのかが分からなかった。気になって1巻から順に読んでみたが、現代を舞台にしたリアル志向の漫画だったので、そこからどう最新のストーリー展開になっていくのか分からなくて、ブコメ欄で盛り上がるのもわかるなぁと思った。
「龍と苺」の作中で、将棋ゲームをきっかけに才能を見出してプロを目指す人物が登場する。それに感化されて、私は十数年ぶりに将棋を始めたのである。それが、将棋ウォーズだ。
やはりというか、私にはたいした才能が無いことを改めて自覚させられたが、それでも楽しかった。その楽しさの源泉は、勝ったり負けたりのバランスがちょうどいいからだ。対戦相手はレートに応じて自動的にマッチングされて、勝率が50%くらいになるのだ。ボロ勝ちばかりやボロ負けばかりだったら、すぐにやめてただろう。
それと、AIによる棋譜解説で対局の振り返りができるのもいい。負けたときにはたいてい悪手や疑問手があるので、どうすればよかったのかを教えてくれる。これにより、自分の成長を実感できるのもいい。まあ、同じようなミスをやらかして負けることも多々あるけど……。
ネットには定跡などの様々な情報があるし、プロアマ問わず将棋を配信している人もいるし、ぴよ将棋では毎日詰将棋問題が配信されるし、将棋を学ぶことに困ることは無い。
そんなこんなで、将棋ウォーズ3級になったのだ。始めたばかりの頃はテンポよく昇級して気持ちよかったが、4級になってからはなかなか昇級できない期間が続いた。私はどこまで昇級できるのだろうか? 2級か? 1級か? 響きがカッコいいから初段を目指したいなぁ。でも3級止まりかもしれないし、もしかしたら逆に4級へ降級するかもしれない。
まぁでも、段級位も勝ち負けもよくよく考えたら二の次だ。一番は、自分の頭脳を最大限駆使することだ。それが何よりの幸せだ。勝てばいいという訳ではない。相手のしょうもないミスだったり、接続切れだったりで勝っても面白くない。時間をギリギリまで使って、自玉が詰まされそうな状況で持ち駒を使い果たして辛勝するのはすごく気持ちいいし、逆にそうした場面で時間が無くなったり、相手玉を詰め切るのに失敗するとすごく悔しい。それがいい。
そういえば何年か前に「Into the Breach」というゲームにのめり込んだ時期があったけど(Steam実績全解除するまでやった)、そのゲームはまるで詰将棋だとか言われてたなぁ。かつてはそう思ってたけど、将棋にはまった今思い返してみると、コンピューターに接待されている感が強くて将棋とはちょっと違うかなぁ。まぁあまりにもガチ過ぎたら楽しくないからあたりまえだけど。あくまでも「Into the Breach」は戦略SLGだ(それでもパズル要素があって面白い)。その頃に将棋も始めてればよかったなぁ。他にSteamゲームだと、パズル要素の高いゲームが好きだ。ここ増田でもいくつかゲームの感想を書いたことがあるけど、リンクを貼るのは……やめておこう。あくまでも今ここでは将棋の話だけにとどめておこう。Steamでやりたいゲームはそれなりに積んだままになっているけど、将棋にはまっている今現在は、パズル要素の高いゲームの出番はしばらく無いだろうな。
単に感覚というだけじゃ意図が伝わり切らなくてクオリアということで「自分がまさに感じている感じ」のがやっと「大げなな表現」と言われることありきでも伝わる。
文脈と言わずコンテクストと言う事があるのもそのことでより言いたいことが明白に伝わるという信念があるから。
民事的な自白より刑事的な意味での自白の方が、その意味での自白を立証できたとき明らかに逃げづらくなるのは明らか。民事の意味での自白なら「まだそういう弱い条件で使える言葉に当てはまっているだけ」と逃げられる。自分のやったことが刑法的な手続き的に見てもガチガチの自白になっていてもう逃げようがないというのとは明らかに状況が違う。
「失態をして恥ずかしがる」というのを重言だというのを念頭に誤用と言う人もいたが、それにもちゃんと計算がある。
「失態をした」というだけでは、単に世間一般に見て恥ずかしいこととされることをしたという意味にしかとられないおそれがある。その失態と呼ばれる行為をした本人の内面への言及があるかどうかについては判断が揺れる余地があると思っている。
だから俺ははっきり区別するために、「失態をして恥ずかしがっていた」とはっきり書く。誤用とか言われてもそれは逆に意図自体は伝わっている証拠なので計算通りだ。