・サイトが創設された2005年から区切りとなった2008年の夏までの2年半のエントリーの中から、印象的なエントリーを「50」だけ選出しました。
「サッカーコラム J3 Plus+」がどういうサイトか分からないという方や、最近になってこのサイトを知ったという方は、ぜひご覧ください。
№1 0252 2006/06/23
【日本×ブラジル】 オブリガード・ジーコ → MF小野、MF稲本、FW高原といった黄金世代が絶頂期で迎えるはずだったドイツW杯は2得点で7失点。2敗1分けでものの見事に玉砕した。鹿島アントラーズ時代に見せていた「熱血漢ぶり」を、なぜ、ジーコ氏は日本代表の監督としては見せられなかったのか?母国のブラジル代表と対戦したジーコ日本代表監督のラストマッチ。
№2 0355 2006/09/22
Jリーグを見殺しにしていいのか? → 当時、話題になっていた大住氏の「Jリーグを見殺しにしていいのか?」というコラムに感じたこと。4年たった今も状況は相変わらず、夜のスポーツニュースは、常に「代表目線」であり、代表候補が活躍したか否かがクローズアップされている。今も状況は変わっていない。
№3 0363 2006/09/29
サッカーマガジンは死んだ。 → ドイツW杯直後で、「サッカーマガジン」が危機にあった頃のエントリー。あれから4年。最近では「サッカーマガジン」が上昇してきて、「サッカーダイジェスト」が降下してきたような印象がある。2大サッカー雑誌のライバル関係は続いていく。
№4 0370 2006/10/05
【日本×ガーナ】 感じたトータルフットボールの香り → アフリカの強豪に0対1で敗れたとはいえ、好印象を残したオシム時代のガーナ戦。ベースとなるポジションを崩してオーバーラップするストッパーのDF今野泰幸のプレーからは「トータルフットボール」の香りがした。オシム・ジャパンのベストゲームの1つ。
№5 0371 2006/10/06
オシムジャパン トータルフットボール論に関して → 上のエントリーの「反論」への「反論」。① 鈴木啓太がふつうに3バックの右としてプレイしていたことに対する「怖さ」、② 器用貧乏なイメージ、③ スペシャリストの必要性について。そういえば、以前はこういった「○○のエントリーここがおかしいと思う!!!」といった具合で意見のぶつかり合いが多くて、それはそれで面白かったが、最近はめっきり少なくなってしまった・・・。
№6 0407 2006/11/11
【高校サッカー:野洲×膳所】 U-21日本代表戦士 乾貴士 → 高校3年生の頃の セレッソ大阪のMF乾貴士のプレーについて。彼はドリブラーなのか、パサーなのか。高校2年の時に全国を制し、高校生ながら反町監督が率いる北京五輪代表チームにも選出されていた。滋賀県大会の準決勝のレポート。
№7 0415 2006/11/15
【日本×サウジアラビア】 ベストゲーム → 国内組だけで臨んだ2006年のオシムジャパンの年内最終戦。9月にアウェーで敗れていたサウジアラビアにリベンジを果たした。異質を放ったDF今野、DF闘莉王、DF阿部の3バック。何人もの選手が一気にゴールになだれ込んでいく超攻撃サッカーで多くのサポーターを魅了した。浦和のDF闘莉王が初ゴール、川崎Fの我那覇和樹が2ゴールの活躍を見せた。
№8 0425 2006/11/22
【CL:セルティック×マンU】 おとぎ話のような試合 → UEFAチャンピオンズリーグのグループステージの第5戦。セルティックに所属する中村俊輔が後半に決勝のフリーキックを決めてチーム史上初めての決勝トーナメント進出を決めたメモリアルな試合。この試合で中村俊輔は「セルティックのレジェンド」となった。
№9 0455 2007/01/08
中田英寿とノスタルジックな日韓戦 → 中田英寿が代表デビューを飾った1997年5月の日韓戦の思い出。当時20歳。世界基準を知る前の日本と韓国の対戦は、両チームが「らしさ」を見せた好ゲームとなった。この試合から9年の間、中田英寿は日本代表を引っ張っていくことになる。
№10 0462 2007/01/12
J史上最も魅力的なチーム → Jリーグが誕生して14年。魅力的なサッカーでサポーターを魅了した「史上最も魅力的なチーム」を取り上げたエントリー。ワールドクラスの名将に率いられたチームは、ワールドクラスのタレントを擁し、Jリーグ史に残る「モダンなサッカー」を見せた。
№11 0541 2007/03/30
平山相太がファン・ニステル・ローイに見えた日 → オランダから帰国してFC東京で苦しんでいたFW平山相太に関するエントリー。オランダのヘラクレスに所属していた頃、彼はオランダ代表のストライカー「ファン・ニステル・ローイ」のようなプレーを見せたことがあった。2005-2006シーズンにオランダリーグでは8ゴールを挙げている。
№12 0567 2007/04/22
【甲府×柏】 何が人々を惹きつけるのか? (生観戦記 #8) → 普通の陸上競技場。にもかかわらず、それの以上のものを感じさせる不思議なスタジアム。J1に昇格して2年目のシーズンも、序盤はホームでは強さを発揮した。ヴァンフォーレの「何が」サポーターを熱狂させるのだろうか?興奮のゲームはMF保坂が2ゴールを決めて甲府が逆転勝利を飾った。
№13 0660 2007/07/22
【鳥栖×徳島】 鳥栖での夜に感じたこと (生観戦記 #13) → 西日本では№1のスタジアムといわれる鳥栖スタジアム。子供のころから、これだけのサッカー専用スタジアムで、プロの試合を見られる子供たちは、幸せである。いつか、きっと、鳥栖からも、世界に名をとどろかせるサッカー選手が誕生することだろう。
№14 0684 2007/08/11
【U-16日本×U-16米国】 君は宇佐美貴史を見たか? (生観戦記#12) → 当時、中学三年生だったMF宇佐美貴史についてのエントリー。そのプレーを見て、改めて「将来の日本サッカー界を背負って立ってもらわなければ困る逸材」だと感じた。このチームの中で、GK嘉味田、DF寺岡、DF内田、MF宇佐美、FW永井といった選手が、今回のU-19日本代表のメンバーに入っている。
№15 0724 2007/09/08
本当に「決定力不足」なのか? → 2007年のJ1で各チームの「決定機の回数」と「得点数」の比率をパーセンテージで表したエントリー。どのチームも、だいたい「35%~40%」である。決定的なチャンスが巡ってきても、3回に1回しかゴールにならないことになる。敗因は、本当に「決定力不足」が原因なのか?安易に「敗因は決定力不足」と結論付けていないか?
№16 0726 2007/09/09
【福岡×C大阪】 新しいタイプのドリブラー → セレッソ大阪で攻撃的MFとしてポジションをつかみかけていた頃のドルトムントのMF香川真司について。当時は18歳。しかしながら、そのキレキレのドリブルは誰も止められなかった。これまでのドリブラーとは違う「インテリジェンス」の高さは当時から図抜けていた。決勝ゴールを挙げたのはC大阪のFW小松塁。センターフォワードの差が勝負を分けた。
№17 0731 2007/09/13
稲本潤一はこのまま終わってしまうのだろうか? → 21歳でアーセナルに移籍。2002年、2006年、2010年と3大会連続でワールドカップに出場。もちろん、並の選手ではないが、そのキャリアが期待どおりだったかというと肯定することは出来ない。これまでの日本サッカー界でMF稲本を超えるポテンシャルを持ったボランチは存在しなかった。
№18 0734 2007/09/15
「個の力」というフレーズにだまされるな!!! → アジアカップで4位に終わって「個の力」というフレーズが取りざたされていた頃のエントリー。マスコミにとって都合のいいフレーズだったため、盛んにこのフレーズが紙面を賑わしたが、本当に「個の力」があるのは誰なのかということを数字で示そうとした。結果的に、日本人ではMF水野晃樹、MF家長昭博、MF香川真司の3人の数字が抜けていた。
№19 0760 2007/09/29
浦和レッズ批判はタブーなのか? → 浦和レッズが絶頂期だった頃のエントリー。読売ジャイアンツ化しつつあった「レッズ」に対して感じたことをエントリーにした。あれから3年が経過し、幸いにもレッズが「ジャイアンツ化」することはなかった。ただ、全国区のビッグクラブは必要ないのかと言われると答えに窮する。
№20 0767 2007/10/07
【新潟×大宮】 ビッグスワン初体験記 (生観戦記 #18) → 「アルビレックスはなぜ新潟で人気なのか?」という回答を求めて「いざビッグスワンへ」。地方の1クラブが、なぜリーグでもトップクラスの観客動員数を集めるまでになったのか?そこにあったのは「スタジアム」というよりは「公園(park)」だった。
№21 0791 2007/10/25
ナビスコカップ決勝は関西圏で開催すべき!!! → ナビスコも、天皇杯も、決勝戦が行われるのは「国立競技場」。国立が「サッカーの聖地」であることは違いないが、西のチームにとってはかなり不利な状況であり、関東のチームの方が多くのサポーターを集められるので有利である。中立地と言いながら、これは不公平ではないか?という気持ちは今のある。
№22 0819 2007/11/22
【仙台×湘南】 加藤望 38歳の輝き → 38歳になってもチームの中心として働く湘南ベルマーレのMF加藤望についてのエントリー。この試合で、J1昇格を目指すチームの中で獅子奮迅の活躍で2ゴールを挙げてアウェーでの勝利に貢献した。まさに「加藤望のための試合」となった。
№23 0824 2007/11/27
岡田武史氏がベストな人選なのか? → オシム監督が倒れて岡田監督の就任が決定的となった頃のエントリー。果たして本当に岡田氏がベストな選択だったのか?それは、ベスト16入りを果たした今でも、「ベストな選択だったのか?」と問われると困ってしまう部分はある。
№24 0875 2007/12/16
オシムジャパンを殺したのはセルジオ越後か? → サッカー協会あるいはサッカー協会会長に対する批判は珍しくないが、メディアにおいて、セルジオ氏にこれほどの批判を浴びせた人は、過去にいなかっただろう。画期的なことといえる。すべての人がオシム代表に「マンセー」する必要はない。調整役も必要ではあるが、「辛口を求められているから」、あるいは、「大衆の興味を引くため」に、わざと「逆張り」のコメントをしているのであれば、これほど滑稽なことはない。
№25 0876 2007/12/22
いつまで「テレ朝」と「角沢照治」に耐えなければならないのか? → なかなか上達しない「角沢アナウンサー」。ここまで上達しないのは、ある意味では「才能」といえるかもしれない。優秀なフリーのアナウンサーは日本には何人もいる。テレ朝も補強が必要な時期なのではないだろうか?
№26 0884 2007/12/30
俊輔と高原のJ復帰報道に思うこと → シドニー世代がそろそろ30代に迫ってきた頃のエントリー。続々と海外に進出していった世代であるが、そろそろ、Jリーグへの復帰もありうる年齢になってきた。結局、このすぐあとにFW高原が浦和に復帰し、MF中村俊は欧州にとどまった。
№27 0899 2008/01/14
金子達仁さんのレッズサポ批判 → 世界クラブ選手権での浦和レッズサポーターの応援スタイルを金子氏が否定。「欧州スタンダードではないから駄目。」という結論に達しているが、当然、「欧州スタンダード」ではないから駄目とは安易に言えないのではないか?
№28 0903 2008/01/17
FWフッキはどんだけ凄いのか? → 満を持して川崎フロンターレに復帰したFWフッキ。2007年のJ2で衝撃的なプレーを見せた彼のすごさについて。シーズン前から、FWジュニーニョ、FW鄭大世、FWフッキの超強力3トップが話題を集めたが、結局、実現したのは2試合のみ。4月になって東京ヴェルディに完全移籍したが、シーズン半ばにポルトガルに旅立っていった。
№29 0911 2008/01/24
世界レベルでないサッカージャーナリストがサポーターや選手にだけ世界レベルを求める不思議 → 元ネタは杉山茂樹氏の記事。記事中で「最も信頼できるライター」と「最も信頼できないライター」のアンケートをしているが、前者は西部氏、宇都宮氏、湯浅氏が上位にランクイン。一方、後者は金子氏、久保氏、杉山氏がトップ3となった。
№30 0916 2008/01/28
城彰二選手 引退試合 (生観戦記 #1) → アトランタ世代でフランス大会の日本代表フォワードの城彰二選手。前半は日本代表として、後半は横浜FCのメンバーとしてプレー。前半は「前園・小倉・城の幻のトライアングル」に、後半は1997年のウズベキスタン戦のキックオフを再現する「カズ・城の2トップ」に目頭が熱くなった。
№31 0923 2008/02/03
欧州至上主義を憂う。 → 早い時期に海外に進出すべきか否かについて。主張したいのは「欧州に育成を任せる危険性」である。大切なのは、自分にあった環境を見つけることである。それは、欧州のクラブにあるかもしれないし、日本のクラブにあるかもしれない。
№32 0933 2008/02/11
【Jリーグ】 歴代 GREATEST11 選出 (J3 Plus選定) → ジャック・ティベール氏の歴代ベストイレブンを真似て、Jリーグの歴代ベスト11を選出した。日本人だけでなく外国人も候補とし、外国人選手ではGKシジマール、MFビスマルク、MFストイコビッチの3人を選出した。日本人選手はFW三浦知、FW中山ら8人。素晴らしいイレブンとなった。
№33 0939 2008/02/16
アルビレックスの成功例に見る「サポーターの高齢化」はむしろ歓迎すべきことだという思い → Jリーグにおいて、「サポーターの高齢化は悪いことなのか?」というテーマで書いたエントリー。プロリーグが出来て20年弱。若い頃にJリーグが出来た世代と、年をとってからJリーグが出来た世代では受け止め方が変わってくる。年をとればとるほど新しいものを受け入れにくくなる。高齢化はむしろJリーグが望むところではないだろうか?
№34 959 2008/03/02
Jリーグには優秀なレフェリーはいないのか? → ゼロックス・スーパーカップで家本レフェリーのジャッジに疑問の声が上がっていたときのエントリー。求められるのはレフェリー自身のレベルアップだけでなく、サポーターもレベルアップする必要があるのではないだろうか?「信頼できるレフェリー」と「信頼できないレフェリー」についてのアンケートも実施。
№35 962 2008/03/05
10年ひと昔のJリーグ → J1に所属する全18クラブの1997年の平均観客動員数と2007年の平均観客動員数を並べただけのエントリー。この10年間でどれだけの違いがあるのか?10年間でどう変わったのか?「サッカーコラム J3 Plus+」史上、最短のエントリー。
№36 988 2008/03/20
J1の舞台で台頭する若手ディフェンダーたち → 名古屋グランパスのDF吉田麻也を筆頭に、台頭しつつあった若手ディフェンダーをピックアップしたエントリー。当然、体格的なハンディの問題もあるが、日本ではなぜ、優秀なセンターバックが生まれにくいのだろうか?これについて考えることを文章にした。
№37 1010 2008/04/08
現役の日本人CBでもっともフィード力に優れた選手は誰かを考える。 → 広島のペトロビッチ監督や日本代表のオシム監督を例に挙げるまでもなく、中盤が本職の選手をセンターバックで起用するケースが増えてきた。現代サッカーではセンターバックのフィード力も必須な能力になってきている。それでは、「日本人CBでフィード力にもっとも優れたのは誰なのか?」について考えたエントリー。
№38 1026 2008/04/20
【神戸×札幌】 コンサドーレ戦が面白い理由 → J1時代のコンサドーレ札幌の三浦監督のサッカーについて。最終的には18位でJ2に降格してしまったが、明らかに異質なサッカーでJ1を盛り上げた。「考えて走るサッカー」が持てはやされていた頃だったが、全てのチームが同じサッカーを志す必要はない。結果はうまくいかなかったが、J1時代のコンサドーレの試合は確かに面白かった。
№39 1043 2008/05/02
みんなKAZUが好きだった。 → 43歳になってなお、現役で走り続ける「キング・カズ」についてのエントリー。日本代表は慢性的な決定力不足であり、それは永遠の課題であるかのようにいわれているが、少なくともKAZUが君臨していた時代はそうではなかった。彼の全盛期のプレーを見ることができたサポーターは、幸せだった。
№40 1045 2008/05/04
カリスマ:山本浩アナの名フレーズを堪能する。 → NHKの山本浩アナウンサーの名言を取り上げたエントリー。ドーハの悲劇を経て、フランスW杯を目指した日本代表の試合前・試合中・試合後にいくつもの名フレーズが生まれた。どれも印象に残るものばかり。これらのフレーズを改めて読み返して見ると、不思議とあの頃の感情が湧き上がってくる。そして、胸が熱くなる。
№41 1057 2008/05/14
5/15記念 #1 あなたが考えるJリーグ史上最高のゴールはどのゴールですか?(動画追加) → Jリーグの誕生日を記念して、「Jリーグ史上最高のゴール」について考えるエントリー。もっとも支持を集めたのが鹿島アントラーズ時代の1995年にブラジル代表MFレオナルドが決めたリフティングからのゴール。このときゴールを守っていたのが、プロ1年目のGK楢崎正剛だった。
№42 1069 2008/05/19
さいたまスタジアムの騒動に関して → Jリーグを引っ張るはずの両雄が試合後にスタジアムで起こした騒動に関して。彼らが本当にサポーターなのか?という疑問はあるが、すべての面でお手本となっていかなければならない両チームが起こした騒動に失望した人は多かった。アンケートでは「どちらのサポーターに非があるか?」、「勝ち点剥奪の制裁を行うべきか?」を問うた。
№43 1079 2008/05/30
中田英寿のいない日本代表チーム → オシム監督が退任して岡田監督が就任。日本代表が熱を失っていた時期のエントリー。 改めて考えてみると、ここ10年以上に渡って、日本サッカー界は「中田英寿」という存在に頼りすぎてはいなかっただろうか?ピッチ上の選手も、マスメディアも、サッカー協会も、サポーターも・・・。
№44 1080 2008/06/01
松本育夫(サガン鳥栖GM)のサッカー人生 → 2003年末に瀕死の状態だったサガンを救うために鳥栖にやってきた元日本代表のFW松本育夫氏をピックアップしたエントリー。2003年は3勝30敗11分で最下位だったチームは、松本氏が監督に就任して3年目の2006年に22勝13敗13分け。エースストライカーのFW新居辰基が23ゴールの大活躍を見せてチーム史上最高の4位にジャンプアップした。サガン鳥栖が浦和レッズになることは不可能であるが、浦和レッズがサガン鳥栖になることも不可能である。
№45 1085 2008/06/04
2002年6月4日 埼玉スタジアムの夜を忘れない。 → 日本で初めて行われたワールドカップ。日本代表が登場した初めての試合。初めてのワールドカップの勝利を目指す「未知の世界」への挑戦だった。あれから数年が経過した。このベルギー戦以上に高揚感を感じる試合はいつ訪れるのだろうか?
№46 1145 2008/07/23
秋-春制にはNO!!!(その1) → 犬飼氏が会長に就任して、にわかに注目を集めたのが「秋-春制」への移行。早ければ2010年シーズンからスタートさせると意気込んでいたが、多くのサポーターから反発を受けて頓挫していった。「秋-春制」のメリットとデメリットを挙げて、本当に「秋-春制」が必要なのかを考えた。
№47 1161 2008/07/31
Jリーグを彩るダイナモたち → Jリーグならびに日本代表チームで輝きを放った「ダイナモ」の系譜に関するエントリー。日本代表のダイナモというと、キーちゃんことMF北澤豪の名前が浮かんでくるが、トルシエジャパンではM森島寛晃、オシムジャパンではMF羽生直剛がチームで不可欠な存在となった。優秀なダイナモはピッチ上に彩りを加える。
№48 1189 2008/08/13
ラモス瑠偉と日の丸への思い → 北京五輪の本大会で3連敗を喫した頃のエントリー。現役を引退してからのラモス氏については賛否両論はあるが、30代後半で足がボロボロになって日本代表と日の丸のために闘った真の戦士だった。ブクマのコメントにあるとおり、「古の、懐かしい、サッカー選手そのもの。世界のトップを含めてこういった選手は絶滅してしまったんだ。残念ながら。」
№49 1190 2008/08/14
凹んだときにはオシム語録 → オシムさんが話すことの全てが正しいかというとそれは分からないけれども、日本サッカーについて思ったことや感じたことを率直に話してくれるのは非常にありがたいし、非常にためになる。たまに、「空気が読めていない。」と気もあるけれども、それも持ち味の1つ。生中継には向いていないけれども・・・。
№50 1191 2008/08/15
彼らに北京で輝いて欲しかった・・・。 → チーム結成時のタレント力だけで見ると、決して黄金世代にも劣っていなかったのではないか?と思う。DFラインの層の厚さで言うと黄金世代をはるかに凌駕していた。ただ、チーム作りがうまくいかずにグループリーグ敗退に終わってしまった。ドイツW杯の惨敗で日本サッカー全体が自信を失っていた頃で状況も厳しかった。
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