話題の、木村元彦氏の「オシムの言葉」を読んでみた。
以下、感想。
・オシム監督が言葉を発することに対して、どれだけ神経を使っているか分かった。メディアは、意図を持てば世の中を危険な方向に導くことが出来る。
・オシム監督の言動が、斜めに構えていることの理由は、彼の祖国の生い立ちが深く影響している。単なる変人ではない。
・故郷のサラエボが占領されていた時期に、侵攻してきた側(ユーゴスラビア)の代表監督を務めていたときの心境はいかほどだったか、考えるだけでもつらい。
・他の民族を貶めることで自分達の優位性・正当性をアピールする人たちって、いったい・・・。
代表監督就任時に大きく取り上げられた、「オシムの言葉」という本ですが、オシム監督の”人となり”を知るためには、是非とも、チェックしておきたいものです。ただ、決して、楽しい内容の本ではありません。”サッカー”について、”イビチャ・オシム”について考えさせられるだけではなく、いやおうなしに、”もっと奥深い大切なもの”について考えさせられます。せつないです。
オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える。なぜ彼は人を動かせるのか。
Jリーグ、ジェフ市原・千葉の監督イビツァ・オシム。厳しさとユーモアに溢れる言動は、選手はもちろん、サッカーファンの心をわしづかみにする。サラエボから来た名将が日本人に伝えたものとは。
Jリーグ屈指の美しい攻撃サッカーはいかにして生まれたのか。ジェフ千葉を支えた名将が、秀抜な語録と激動の半生から日本人に伝えるメッセージ。
【目次】
第1章 奇妙な挨拶/第2章 イタリアW杯での輝き/第3章 分断された祖国/第4章 サラエボ包囲戦/第5章 脱出、そして再会/第6章 イビツァを巡る旅/第7章 語録の助産夫/第8章 リスクを冒して攻める/第9章 「毎日、選手から学んでいる」
キーワード① 「走る」面白いのは、現役時代のオシム選手は、決して走れる選手ではなかったということだ。ある人の証言によると、オシムはドリブラーで、ボールをもったら、決してボールを離そうとしなかったそうだ。そして、現役時代の自分のようなスタイルの選手は、監督になってからは、絶対に使わなかったと語っている。
キーワード② 故郷・サラエボボスニア・ヘルツェゴビナの首都であるサラエボは、オシム監督の故郷。1992年からの内戦で多くの被害を出したことで有名だが、ボスニア・ヘルツェゴビナ(ボスニア・ヘルツェゴビナは、複数の民族が同居する複雑な国)の独立宣言を機に、ユーゴスラビア軍とボスニア人がサラエボを41ヶ月も占領した。その間、2年以上も、家族と連絡が取れなかった。家族の安否も分からない状況で、自分だけ安全な場所にいることに、彼は苦悩した。
キーワード③ 代表監督辞任ユーロ92の直前に、ユーゴスラビア代表監督を辞任する。「私のサラエボが戦争にあるのに、サッカーなどやってられない」という言葉を残した。オシム監督は、サッカーよりも大切なものがあることを知っている。だから、フィールド上でリスクを冒すことをいとわない。
キーワード④ ジェフ市原決して口にはしないが、異常な状態で監督生活をしてきたオシム監督にとって、お金はないものの、”普通のクラブ”であるジェフ市原(千葉)で指揮を取ることに、大きな喜びを感じている。オシム監督は、ガンバ大阪を破ってナビスコカップを獲得したとき、浮かれる選手を諭すように胴上げを拒否したものの、その目は、青く潤んでいた。
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