はてなキーワード: 妖怪とは
セルフネグレクト風呂キャン界隈へ送る、とりあえずシャワーだけでも入ってフケをなんとかしたい、という人のための手順書。
頭皮に傷がある人はやらない方がいいです。自己責任でお願いします。
用意するもの
※考えるのが面倒ならBOTANISTのスカルプでいいと思います
・濡れた髪用のブラシ
・その他ヘアゴム等
手順1
乾いた髪を容赦なくブラシで梳かす。1分くらい梳かすとフケとか汚れが浮いてくる。
手順2
最高38度のシャワーで2分くらい予洗い。髪と頭皮に満遍なくお湯を行き渡らせる。この段階である程度の汚れは落ちるらしい。
手順3
スカルプトリートメントを気持ち多めに頭皮に塗りたくり、スカルプブラシでマッサージ。痒いところは念入りに。
ブラシが硬すぎると逆に頭皮が傷つくので、硬すぎず柔らかすぎず気持ちいいくらいのブラシがオススメ。
時々スカルプブラシを見てみるとトリートメントに混ざってフケが取れているので、汚ねえと思ったら風呂桶に溜めたお湯なりシャワーなりでスカルプブラシをすすごう。
結構マッサージしたら、ミドル〜ロングの人は追いスカルプトリートメントを髪全体に塗布して風呂用ブラシで梳かす。
手順4
スカルプトリートメントを洗い流す。親の仇かと思うくらいしっかり流すと、シャンプーで予洗いした?程度に髪が違ってくる。
手順5
オクトorコラージュフルフルのシャンプーでトリートメントをしっかり落とす。割と少量で泡立つので、手で軽く泡立てて髪に移すともっこもこになる。スカルプブラシで気になるところを重点的に洗う。
手順6
シャンプーをしっかり洗い流し、鏡で一度前髪の根本のフケを確認する。前髪は意外にフケが残りやすいので指標に最適。
残ってるなと感じたらもう一度スカルプトリートメントで前髪を重点的にマッサージ。
手順7
一応一度シャンプーしているが、前髪の生え際、耳の上など皮脂が溜まりやすいゾーンと頭頂部は念入りに。
手順8
いつものトリートメントか、髪に申し訳なさを感じるならヘアマスクでケアしてあげる。
手順9
洗い流して終了。頭皮にいつものトリートメントが残らないようにだけ注意。
アウトバスケアは各々でやってください。
A.引きこもり限界風呂キャン妖怪が知ってる頭皮の治安良くする薬用シャンプーだから。他にあったらそっち使ってもいいです。
Q.スカルプトリートメントじゃなくて普通のトリートメントじゃだめ?
A.それやったけどこれ頭皮の治安に悪いやつだ!ってなったから頭皮に使っていいスカルプトリートメントかあんず油で頭皮マッサージとか頭皮クレンジングするといいです。
頭皮クレンジングは手順が面倒なのとミント!メントール!の商品が多くて、メントール苦手だからその辺でそこそこ手軽に買えるボタニストに落ち着きました。
金があるならサボンのヘッドスクラブとかジルスチュアートの頭洗うやつ買うといいんじゃないかな〜。サボンのヘッドスクラブはネロリが好きでした。
A.風呂キャン妖怪はオールシリコンじゃないとカビ発生させそうだからオールシリコンを強くオススメします。数年使ってるけど使った後お湯ですすいで干してるからか特に問題は無いです。
おまけ
・そもそも髪が洗えなくて困ってる
近くのおばちゃん達が通ってる感じの芋でも許されそうな美容室でシャンプーとブローを頼もう。電話予約必須だけど、1週間洗ってないくらいなら受けてくれる。シャンプー2回トリートメント1回ブローで3000円しない店が近くにあって助けてもらった事がある。
正直手間をかけたくないなら金、金をかけたくないなら手間をかけるしかないかなと思ってる。
風呂入らずに頭痒くなったなーくらいの時期に使うとありえんくらいフケが出てきて、自分が汚物だとはっきり認識して風呂場に直行できる素晴らしいアイテムです。
ゲームも漫画も積みまくってて、アニメとか配信動画は旬があるからちょこちょこ消化して
漫画や小説は面白かったら数時間でも半日でも読めるが、ゲームがほんとに20分とかで集中力が切れる
AC6とかモンハンやってる時は1クエスト(ミッション)やっては休憩というダラダラペース
とはいえそれすらやめてしまったら妖怪くっちゃねるふゅーちゃりんぐSNSが出来上がるだけなので
羊毛フェルトを買ってみた
粘土だと、微調整が簡単なイメージあって、小学校の図工の時間とかでわりとうまくできたから
羊毛フェルトは大失敗してる人がちらほら居て自分もそうなりたかった
なのであえて、ペンギンや犬などの簡単で手順書もついたきっとではなく
土台のスポンジと基本のニードルのセット、制作予定キャラの使用色のフェルト(5色ぐらい)
なんかかっこよかったので通常の三倍捗るニードル、計4000円分ぐらい
ニードルの持ち手は無くてもなんとかなるし、人や作業、慣れ方によっては無いほうがよい
スポンジは薄いと雑誌引いたりそれでも貫通しまくったりと個人的には使いづらいが、これも慣れで解消可能だと思う
で、一か月ほどちくちくしてる
流石に最近は音楽かけたり集中してみなくてもよい動画を垂れ流したりしながらだが、
始めのうちはパーツが納得の形に仕上がるまでちくちくしてて、気が付いたら数十分とか、目か肩腕などが疲れて休憩しようと思ったら二時間近く経過してたりした
お手本無し(ネットで検索して画像は探してみてる)作ってみると、まず失敗する
立体化した時のイメージができてない
びっくりすることに作っていく途中で背中側とかどうなってたっけ と細部をあまりにも知らないことに気付いていく
で、大失敗して別のキャラを作るか、思い入れのあるキャラならリベンジでもう一回挑戦する
安定するのは、やはり丸みを帯びつつ頭身下げたデフォルメっぽいデザイン
もっと言うとぐるぐる回してみたいので、ぬいぐるみになっていたり、ゲームなどで3Dキャラの閲覧モードがあるのがよいが、それはなかなか難しい
全然うまくはならないが、同じキャラの作り直しだと前回の失敗を活かせるので格段にマシになるし、適当にやっててどうにも不自然になったり無理が生じることが多いパーツ同士の接合とかもノウハウが溜まって少しずつ安定してきた
・
ハテラボの登録名はNoralemontan、ノラレモンタン、になっていて変ですが、Tanを付けないと、当時のGoogleがなぜかアカウントをくれなかったからです。
・
ここには、ユーチューブミックスリスト説明文の過去ログを溜めていたので、3つずつ載せて行きます。
・
・
https://5502r4gengoka.seesaa.net/
・
ブログ記事の中にも、ユーチューブミックスリストのリンクあります。
・
・
発達障害GZ(グレーゾーン) Noralemon見た後のリスト
https://www.youtube.com/playlist?list=PL6rI5QtoBePzBZK17qNPaYJE9GcZ5pX3v
ここの説明文の過去ログを、ここに3本ずつ置いていきます。不定期です。1~2カ月に1~2回ぐらいにしようかと考えてます。
・
ユーチューブに自動設定で付いている『後で見る』を公開しようか考えたことがきっかけで、やはり私が一度以上は見て、健全か、恐くないか心配事を確かめてからが良いだろうと考え、『見た後の』リストと名前を付けました。
通常は10本前後の動画と、説明文を入れ替え、入れ替えしているので、2本目のSNSのように利用しています。
無料、安全、難しい手続きなしで使えるらしいので。リストに載せたものの感想や連想や思い出や言いたいことを、書きまくった場所。
その説明文を、全部じゃないけどログを取っておきました。3本ずつ載せます。元の動画、URLがあるものも、無いものもあるけどごめんなさいね。
・
▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶
・
40年前……? 野良の子どものときに本になって大ヒットしたエピソード本です。
それから朗読劇になって………てつこ女史がテレビでマスカラを滝のように流して泣いているのが記憶に残って…。私は人生で初めてマスカラという物体の存在を知って。
ドラマ化されて。
そしてアニメ映画化になった。
日本人、私の実家の親も入れてたくさんトットちゃん好きがいて、コンテンツ化されたら話題になって大勢が観る。
三代くらいに渡って語り継がれてるんじゃないだろうか?
結局、❝純粋な心の多動な子❞ って、気になって、気になって、気になって、たまらないのよ。なぜかそんな血が日本には流れてるんだと私は想像している。気になって、お世話したいし、可愛がりたいし、守ってあげたい血が流れてるんじゃないかと。
ここからは野良のものすごく適当な妄想だけど、日本人のADHD(の一部)は、ADHDのケがある人とASDのケがある人が気になる。愛憎どっちかは知らなーい。
ADD…不注意優勢…(の一部)も、自分と本能的に共通点を見出してしまいADHDのケがある人が気になる。ASDのケがある人のことは憧れる。正義の味方のような気がしてしまう。
この謎、だれか賢い人がもっと深く掘り下げて欲しくてねぇー。この願いがかなう日は来るんだろうか。どなたか賢い方お願いします。
・
https://www.youtube.com/watch?v=Ba5pCrRmntM&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=103
https://www.youtube.com/watch?v=lU3NDm82xCI&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=104
・
●「言語化」で本を出してTシャツもお作りになられたことで興味を持ち、登録した先生です。
ショートになるくらいとても簡潔で分かりやすい。野良のような「アスペ」にとっては方程式のような情報はとても助かるものなのです。
発達障害個人各自が、社会適応する現実の現場で頑張るとき。この情報を丸飲みではなくて、戦力にするにはどう使ったらいいのでしょう。
こういう方程式は、一般の普通の人たちの特性の教科書なのではないかと。社会の一般の人たちが、こういう生態で暮らせている、適応できているのではないかと野良は考え中です。
なぜなら、発達障害で認知のコンディションの波がひどくなると、平気でだれにでもノルアドレナリンが出ることがあるので、必要に迫られて頭で考えて、理屈で分析して接する人を判断し、自分の態度を調整しなくてはならなくなることがあります。もちろん野良にもそんな波が無いわけがない。
オキシトシンをくれる人は大好きになるものですが、頭でも考えて、追いかけ過ぎていないか、日本語が通じなくなっても一方的に関わって無意識に損させていないか、幸せ脳物質が出ても私が中毒になるような恥ずかしいことによもやなっていないかなどを、逐一自己チェックする、するとたまに周囲が引くほどの言動をすることがあるようです。らしいです。だからどういうことですかー? 説明して教えて欲しいです!
ブログで、『一段階、支援を挟む』とブツブツ書いています。私もそうするニーズがあるほど、イカレた当事者なのでしょう。
総じて見ると、私にとっての沼る危険な『敵』さんは、フィーリングを上手に合わせられて、野良の自意識ごと積極的に乗せてきて、発達障害の波長も理解してて、かつ言語化が湧くように無限に出てくる人、ということになるんでしょうね男女関係なく。
ハアァァァァァ~(溜息)早く隠居したいなー。
・
https://www.youtube.com/watch?v=x0VBde3iWxg&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=91
・
●【HSP視聴注意・R-20から】
観てると「おー………」と目が離せなくなります。でも、我に返りましょう。法の範囲内でお客は喫煙も飲酒もしていいんです。これはただの飲み会です。
考えなくていいの。
個人的にはネヅ子ちゃんがけなげで可愛いキャラを保っていて良かったです。めんこい。
・
https://www.youtube.com/watch?v=FgqpucBoK70&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=89
妖怪湯呑み:お湯の気配のある所に現れる。気が付くとお湯が空になっていたら、それは妖怪湯呑みが全て湯を飲み干してしまったのだ。
現物がそれであるのか、そもそも、GPSに集積していて次の行動を予測し、追跡しているから、あらかじめ行くところを予測してそういう妖怪にしてあるのか分からないが
いずれにしても詐欺だし、あらかじめ集積してある分の情報に関しては、本人が部屋から出て行動を始めると処理が開始されるが、いったん帰宅してインターネットを操作されたら
全然勝てなくなるっていうね。さすがにー、部屋の中にまでGPSや生成AIを入れようとしたって、パソコンで、いろいろなデータを流されたら勝てないわけだから。
そして、裁判所地下一階の休憩室では毎回何かがあるっていうね。やり方が姑息なんだよ。対象者が気づいてないと思っていてやっているわけだから。して、103号法廷の
ように老人がたくさん座っているところに入って行っても何も起こらないしね。何がしたいのかっていうね。裁判所のー待合室に、コンセントがあって、それを使って充電したら、たいていは
多神教の神様がハチャメチャな性格してるのって、結局は自然界がハチャメチャだからだよね。
自然界の出来事やモノに神様の人格を与えて理解しようとしたけど、自然界は人間じゃないから人間の理屈は通用しなくて、やっぱり理解できないハチャメチャなやつだ!ってなってる構図。
全知全能の神ゼウスに嫉妬深い妻の女神であるヘラが添えられてるのは、何故全知全能の神がいるのに世の中上手くいかないのかを説明するためのトリックスターみたいな存在が必要だからだし。
太陽神である天照大御神に粗暴な弟である須佐之男が付いてるのも、なぜ最高神が統治する世界にイレギュラーが生じるのかを説明するための存在が必要だからだし。
その点エジプト神話にはぶっ飛んだ神様は少なくて、あれはそもそも死後の世界を舞台にした神話だから現世の話をしなくていいからなんだよね。
ギリシャ神話や日本神話には神様と言いつつ妖怪みたいな性質を持つ存在が結構いて、まあでも神格を持つから神様かぁ…みたいな扱いをされてるのが面白い。あんなの妖怪って言われたらもう妖怪にしかならないでしょって生態の神様、結構いる。
この中では「雨月物語」しか読めていない。確か角川ソフィア文庫で読んでいる。
村上春樹「海辺のカフカ」で言及されていたので興味を持った。物語集として面白いのだが、序文に紫式部を持ってくる自意識の強さが良い。あと、僕はそもそも怪奇物語が好きだ。好きなのは凄惨なスプラッタやお化け屋敷的なジャンプスケアではない。何か人知を超えた存在がいるという驚きや恐れなのだ。
これは僕の感傷マゾとつながっているのだろうが、言い出せない妄念を抱えた死者というモチーフが好きだし、神話物語に通じる奇譚が好きで、だから仏教説話も説教臭い割に好きだ。
ところで、東京創元社の編纂したSF短篇集「時を歩く」にピンとくる言葉があった。空木春宵によれば、幽霊とは虐げられた人々の象徴で、だから怖いというよりも親しみを感じるそうだ。その言葉にはたと膝を打った。だから僕もお化けや妖怪が好きなのだ。異様な姿をしていて、理解できるのかできないのかわからない、その「他者」っぽさが面白いんだ。モンスターが深い知性を持っているという設定、大好き。
ちなみに、小林泰三「酔歩する男」の元ネタ菟原処女伝説が、「浅茅が宿」でも触れられている。これを書いていたら小林泰三をまた読みたくなってきた。
「菊花の約」は小泉八雲が「怪談」で翻案している。小泉八雲も上と同じ理由で好きだ。一度彼が翻案する前の原典を読んでみたい。僕は箱庭的世界というモチーフが好きなので「安芸之助の夢」が特に大好きだ。
ところで小泉八雲の朝ドラをやるそうだ。大好きな作家だが、きっと観ないんだろうな。僕がテレビを見る習慣をなくしたのは、一つはイケメンの歯の浮くようなセリフを聞きたくないからなのだが、もう一つは小説家を目指すために、帰宅してから寝るまでの時間をずっと執筆にあてていたからなのだ。あと、ドラマを見ていると本編を放っておいて、史実ではどうなっていたかを調べる悪癖もある。
というわけで、残りの物語もそのうち読む予定。
これも「おくのほそ道」しか読んでいない。たしかビギナーズ・クラシックスだ。人々と交流しながら俳句を作っているのが楽しそうだけれど、地元に句会の記録が実は山ほど残っていたりしないんだろうか。
そういえば句会に通う友人にそそのかされて試みに俳句を作ってみたけれど、短歌と比べて情報量が圧倒的に凝縮されている。言葉選びが極めて厳密で、密度が高い。短歌は十四文字だけの余裕があるがあるから、聞いていてもゆとりがある気がする。僕は散文の文学の良さは情報の圧縮困難性、言い換えるならばどういう話かあらすじを短くまとめると魅力が失われる度合いが高いものを高く買っている。逆に、詩文はどこまで世界を圧縮できるかだ。しかしながら、短歌は枕詞で五文字も使う。なぜこんな効率の悪いことをしているのかは不思議だ。
短歌は与謝野晶子、俵万智、穂村弘あたりを読み、俳句は他に高浜虚子あたりを読んだ。
俳句じゃなくて短歌だが、与謝野晶子は熱量がすごくて読むのにえらく時間がかかった。また、穂村弘は生々しい男の生理が表現されていて何となく好ましく思う。しかしそれを荒っぽくぶつけているようできっちりと計算して表現している。形式があらかじめ用意されているからこそか。「台風の来るを喜ぶ不精髭小便のみが色濃く熱し」「男の子はまるで違うねおしっこの湯気の匂いも叫ぶ寝言も」「泳ぎながら小便たれるこの俺についてくるなよ星もおまえも」。僕は意外と暴力的なものが好きらしい。
俳句は数が多く、未読が多く、次々に新しいのが生まれており、追いつけない。ここに載せられた作品もいつかは読みたいが、記憶に残らないこともあるだろう。しかし、すべてを記憶しておかないと不安だというのも強迫観念に過ぎない。読んだその場で一期一会の幸せを覚えれば、それでいいのかも。ちなみに、俳句が作者の目の前で論評されるバラエティは、かつて通った小説創作講座を思い出して胸が苦しくなるから、見ていない。あれ残酷だよね。
こうしてみればわかると思うが、平安時代の文学と比べると、まだまだ読めていないのが江戸時代の作品だ。開き直って現代語訳でどしどし読みたい。
古典は急がない。いつまでも待ってくれている。世間で流行っている作品とか必読書とかそんなのとは無縁だ。千年前の作品を読むのが一年や二年遅れたところで、どうということはない。
ところで脱線するけれど、いま生きている人を推せる人って偉いと思う。だって、いつスキャンダルで裏切られるかわからないからだ。それこそ明治の文豪がクズだったとかいう話はよく聞くけれど、今となっては本人を含めて関係者がみんな死んでるので、多少は冷静でいられる。新たに醜聞が掘り起こされても「昔の人だからね」とどこか冷静になれる。今の人だとこうは行かない(以下、きちんと謝罪をしなかったためその態度に非常に腹が立ってファンをやめた人や、音痴なイケメン歌手の実例を事細かに挙げるつもりだったが、見苦しいので削除した)。他にも存命人物だと、事件を起こす前のオウム真理教を面白がってた著名人や、古本屋で見つけたロリコン写真集に「これぞ芸術」と推薦文を寄せていた文化人に「逃げるなァァァ」と言いたくなることがある。
やっぱり推しは死んでいる人に限る。どんな差別発言をしていても過去の人間だから納得できてしまう。そんなことを頭の片隅に置いてネットサーフィンをしていたら、芥川龍之介が「侏儒の言葉」で似たようなことを言っているのを見つけた(正確には、悲観主義について調べており、そこから哲学者フィリップ・マインレンダーを見つけ、そこから偶然にも「侏儒の言葉」の言葉にたどり着いた)。
古典の作者の幸福なる所以は兎に角彼等の死んでいることである。
又
「侏儒の言葉」は好きなんだけど、読んでいると段々と彼の鬱に巻き込まれていく。いつか芥川全集をぶっ通しで読みたいが、晩年の作品を読むと真実を言い当てすぎていて心底気分が悪くなってくる。二十代の頃のようにシニシズムを楽しむだけの体力がもはやない。ネヴァーモア! 昔はアンブローズ・ビアス「悪魔の辞典」とか大好きだったんだけどな。
とはいえ、数百年前の古典を無批判に読んでいると、人間に身分の上下があることやとりあえず天皇家が偉いことが自明に思えてくるし、人命がアホみたいに軽いことに感覚がマヒしてくるので、これもまたよろしくない。
こういうことを考えている時は大抵は体調不良のときなので、筋トレなりストレッチをしたりするのがいいのである。僕らは結局肉体を備えた存在で、そこからの入力がどんな言葉よりも助けになることが多い。というか、言葉が自家中毒を起こすことはよくあるのだ。ペッペデス。頭が良すぎて不幸になった人間の物語は好きだが、芥川には生きて戦後を見てほしかった。
さて、池澤夏樹の全集では、これ以降の巻では明治の作品が扱われる。しかし、ここまで書いてきてかなり長くなってしまった。ひとまず、江戸時代までで一区切りとし、近代の作品はまた別の機会としたい。おそらく本気になって書いたら、作家ごとに思い入れのある作品は多く、言いたいことはたくさんあるので、もっと長いエントリになることだろう。近現代作家集に至ってはIからIIIまであり、合わせて何十人もの作家が紹介されている。倍近くになるだろう。
ただし、その機会がいつ訪れるかはわからない。先にドストエフスキーや中島敦、ポーやラブクラフトについて書くかもしれない。あるいは、文学にかこつけた自分語りが一段落したので、これで終わりにすることも大いにありうる。
なお、次のエントリでは、有名どころだが話の流れから言及できなかった作品について述べる。
さっきは何が苦手かについて書いてしまったので、逆に何が好きかについても少しは語ろう。芥川賞をはじめとした現代文学を読んでいて、どういう作品が自分に刺さるかを整理すると、知識が豊富な語り手の小説が一番好きで、その次が自分の巨大な感情を論理的に言語化するのがうまい人が語り手であるものだ。それから、無軌道な性欲や暴力衝動、ひがみなどの負の感情を抑えきれない人間が出てくるのが続く。自分が中高生の頃、そうしたダークな受賞作が連続していたと記憶している。田中慎弥「共喰い」とか、時代は下るが西村賢太「苦役列車」とか、砂川文次「ブラックボックス」とか、自分の暴力衝動に屈する人間を描いたのが好きだ。青来有一「聖水」とかもそうだ。世間からはみ出してしまった、汚らしい人間が好きだった時期がある。おそらく「悪とは?」が内なるテーマだったんだろう。
芥川賞は一つの賞でしかなく、世間的には評判が良くてもピンこと来ない作品はどうしてもある。若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」は最初から自分の中の無意識の声たちについて説明しすぎていて、「それだったら最初っから意識の流れとか無意識って言えよ」って思ってしまって、それ以来ずっと批判的にしか読めなかった。あれは高齢者向けの一人で生きることを学ぶ教養小説なんだよな。あと、又吉直樹の作品に結構な頻度で、的外れな批判をしてくる劇団員の女性が出てくるけれど、「お前、本当は社会的な作品批評が嫌いだろ?」っておちょくってやりたくなる。村田沙耶香「コンビニ人間」については前回のエントリで名前を伏せてチクリとやってしまった(最後まで読んでいないくせに!)。
理想を言えば性別だとか人種だとか国籍だとか年齢だとか思想だとか、そういうのを抜きにして作品を評価したいんだけれど、ある程度年齢を重ねてくると、十代の頃のように素直にストーリーを受け止められず、若いころのように思考の柔軟性がなくなり、労働で疲れていては異質なものを楽しむゆとりが減る。どうしても自分の属性や性格が近い人の文章が面白く感じるので、公平に評価するためにマイノリティ枠を設けるってのは、いくつかの問題点があるとはいえ、一つの知恵だと思う。なお、文学的に優れていることと、そのときの自分に刺さって面白いのと、今の社会が必要としているのとは、まったく違うので、話題の小説がいつも面白いわけにはいかないのはしょうがないのだろう。
脱線すると、芥川賞を取ってもその後書き続けられた作家のほうが面白い。というか、受賞作がつまらなくてもその後面白くなる作家も多い。しかし、逆に芥川賞を取る前の青臭い作品にしかない魅力もある。長編を連載するだけの構成力も体力もないデビューしたての漫画家の初期短編集からしか得られない栄養素があるのと同じだ。
なお、僕は大体漫画を買うときは短編が多い。「Fellows!」「ハルタ」「エロティクス・エフ」「楽園」「アフタヌーン」出身の漫画あたりから、絵が好みなのを選んでいるようだ。
というか、みんなあれだけ長編の少年漫画を読むだけの体力があってすごい。ただし、僕がなかなか長編漫画が読めないのは、活字のようにぶっ通しで一気に読もうとしているからという可能性がある。連載を追うペースで、ゆっくりと読めばいいはずだ。
なんでこんなことを言うのかというと、僕は同世代的経験に相対的に乏しいためだ。例えばゲームが下手すぎて、ドラクエやファイナルファンタジーなどの多くの作品をプレイできていない。ポケモンでさえ途中で飽きる人間なのだ。自分が好きなペースで刺さった作品を読んでいるだけなのだが、時折どうしても疎外感を覚える。若いころにもっと流行りのJ-POP聞いてりゃよかったよ。そりゃあ人は人、自分は自分だけれど、寂しい。
とはいえ、少年漫画の多くは恋愛が扱われるので、そこまで読みたい気分でもないのである。
こういうことを書くと「課題の分離」とかいう話になりそうだけど、個人的にはアドラー心理学はそこまで信用していない。さっき書いた「課題の分離」をはじめとした有益な概念は多いし、原因を探るよりもまず対処法を考えるのは、実生活で非常に役に立つ。というか、実際に役に立った。だが、「嫌われる勇気」をはじめとした本ではいいことを言っている一方で、「私に反論するとしたら、それは私の理論を理解していないからだ」という、反証可能性を潰すような自己完結した思考をしているのがいただけない。これは初期のフロイト派の「私に反論するとしたら、それは私に父親を見出しているからだ」とか、古い時代のフェミニストの「私に反論するとしたら、あなたが女性差別を乗り越えられていないからだ」とか、それらと同様の理屈だ。なにか自己完結した、人の話を聞かない嫌らしさを感じる。
自己完結と言えば、たとえば何人かの反出生主義者が(もちろん別の哲学的立場でもいい、実例は見たことがある)、予期される反論に対してすべて想定問答を作ってガチガチに自己防衛をしているのを見ると、圧倒的な壁のような「他者」を感じる。この人と議論しても、自分も相手も何も変わらないだろうなという、諦念を感じることがある。互いに変化をもたらす「対話」にならないのだ。
意識の高い人たちが叩かれるのはこれも理由かもしれない。会話をしても意見を変えてくれないだろうと感じるのだ。一方的な議論をしたいのなら活字でいい。僕は対話がしたいのだ。
さっき見た夢
そのうちこちら側陣営から婚活パーティーから抜ける人が出てきた
隣の人に聞いてみる
どう?決めた?いい相手いてそう?いやーどうかなぁなかなかなあ・・・
俺も決まらなさそうだから途中話しかけてくれた相手にもう一度アタックしてから帰ろうかなと女の妖怪のところにいく
誘って少し離れた場所で話することにする
あら、あたしなら落とせると思った?と返事される
と言ってると苦手な妖怪に出くわす
念力で俺を持ち上げて首を絞めてきた
なんとかの魔力は通じないけどなんちゃら経由だとお前にもこれが効くんだってな!知らなかったよ!ガハハハ!と笑いながら俺の首を締め付ける
が、見せないと殺される
ということで変身して3倍くらい大きくなってめちゃくちゃグロい体になって相手を一撃で倒した
女の妖怪はそれを見て秒で逃げた
場面は変わって洞窟内の奥に自分の城を作ってグロい体のまま孤独に過ごす俺
こんな見た目じゃ誰とも友達にもなれない
みんな食われる、殺されると思ってとりあえず攻撃してくる
壁に生えた貝柱のようなものをこすりはがして食べる
ある日その貝柱が誰かにすでにはがされているのを見つける
俺以外にだれがこんなことできるんだ?と思ってると後ろから声が聞こえる
これお好きなんですか?
場面は変わって本屋さん
職場で暇なのでなにか雑誌か本か買ってきてよと頼まれたので少年向け雑誌を手に取る
パラパラとめくると上記の女妖怪の生まれの秘密の漫画が新連載されるようだ
雑誌自体すごく厚みがあってこれとあと週刊誌を何冊か買っとくかと手に取りレジに向かう
というところで目が覚めた
最近、仕事よりも家庭を重視する夫が増えてきた。本当に素晴らしいことである。浮気もしない(妻以外の女性に興味を示さない)、家事を妻よりも主体的にやる、仕事も真面目にこなす、休日は家庭優先、これが当たり前の夫が身の回りでも多い。
しかし、そんな夫でも妻からめちゃくちゃ怒られている。中には人格攻撃を受けている者もいる。私は彼らの話を聞いたり、あえてその妻からも背景を聞いて考えをまとめてみた。
_____
女性の恋愛は「上書き保存」だと言われているが、妻の夫への不満は「名前をつけて保存」である。
普通の人間関係であれば嫌なことがあってもそのうち忘れたり、もういいかと記憶の端に追いやっていく。
ただ夫婦関係においては「もういいか」にはならない。些細なコミュニケーションエラーが発生し、客観的にはお互い様な事案であっても、妻はそれを「名前をつけて保存」していることを忘れないで欲しい。
妻の保存したデータは精神状態がポジティブな時に開くことはないが、ホルモンバランスが崩れた時に(自分自身きっかけだったり夫の不用意な言動がきっかけで)「あの時のあれ、もう一度見返すか」とフォルダから夫の悪事データを開く。さらに都合が悪いことにひとつのデータではなく複数のデータを同時に見返してしまうのだ。
※その見返すデータはもともと嫌なこととして保存されているが、ホルモンバランスが崩れた状態なのでさらにネガティブな解釈で読み込みをされる。
上記の脳の状態になっているので、妻は過去の記憶を昨日のことのように次から次へと鮮明に思い出す。その結果、青天の霹靂のような夫への問い詰め・説教へと繋がるのだ。夫側からすると「急に何を話したいのか?過去の話をなぜいま?それは既に話し合って謝罪したはず。いまの議論と関係ないのでは?」と困惑する。しかし、妻は記憶のデータフォルダを大量に開けている状態だ。過去の嫌な出来事を『再放送一気見!』したばかりなので熱量が高く、夫が「私に嫌なことをする人間」にしか見えなくなっている。つまり長い目で見れば良いことも悪いことも山あり谷ありの時系列だったり、さまざまな人間性があるということは消え失せ、夫を"悪いことしかしていない悪事の集積"でしか見れなくなるのだ。だから夫が、線や面の思考で「ここまで家事をしているのに、ここまで家族最優先で動いていたのに、妻の望みも最大限叶えてきた」と訴えかけても妻の目の前にはその献身的な夫はどこにも存在していない。目の前には「嫌がらせ・気遣い無し・自分勝手の塊、傍若無人、そういった事実が積み重なった妖怪の夫」だけが存在しているのである。その状況で妖怪夫が妻に対して正しい認識や会話の整理、論理的な対応をしたとしても妻は妖怪の言うことなので耳を貸すわけがない。
妖怪は人間でない。人間ではないので「これを言うと相手は傷つくかな?気持ちが落ち込むかな?」という相手を思いやる気持ちを妻は持たない。ただただ目の前の妖怪に"ここ最近で受けた仕打ち"の仕返しをして、妖怪を改心させようとするのだ。
もちろん夫は妖怪でないため、何を言われているか分からないし理解もできない。何なら過去の記憶にない話から最近の言動、パーソナリティを全てネガティブに捉えられて、終わりがなく長々と話されるため、当然パニックになる。大きな不満があるならば根本を解決をしたり、今後に向けて改善したいと思い提案するも妻は「そういうことではない」と全否定する。そりゃそうだ、妖怪の話を聞く人間なんてこの世には存在しない。
こうやってお互いが見えているものが全く異なるため、夫は妻のことを"理解不能の宇宙人"と捉えるしかなくなり、自分に対して敵意を持つ人になってしまうのだ。夫が妻の話を聞かないのは妻が嫌いなのではなく、宇宙人の言語が分からないのだ。
これがお互いがお互いを「話がわからない人」と罵る構造なのである。
この状態の解決策は今のところない。おそらく妻側のホルモンバランスが落ち着いてくれば妖怪だった夫が徐々に人間の姿に戻るだろう。夫は自分が妖怪になっていることを自覚し、ひたすら妖怪然として妻の話を聞いて改心すべきである。間違っても相手を宇宙人扱いにしたり、自分は妖怪ではなく人間だと言ってはならない。なぜならば妻の目の前に写っているは妖怪だからだ。
ちなみに予防策もない。日々の行動を改めようにも人間なので何かしらのコミュニケーションエラーは必ず発生してしまう。なのでこの事案は対処療法案件なのだ。
もちろん全てうまくいっている夫婦もいると思うが、大なり小なり夫婦関係が折り合わない事象が発生しているだろう。上記は夫婦の性別を入れ替えても当てはまるケースがあると思う。もしかは上司・部下の関係でも発生するかもしれない。この文章は特定の個人・属性を中傷したり軽蔑したりするのではなく、全人類がホルモンバランスによって受ける挙動を言語化したものである。3日後に私がそうなるかもしれないし、10日後にあなたがそうなるかもしれない。大切なのは起きた事象を客観視して書き起こしをして、メタ認知の共有としてリレーしていくことだと信じている。
諸君の健闘を祈る。