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はてなキーワード: 階段とは

2026-05-14

新築計画を始めてナフサショックで新築をやめるまでの話

きっかけは今年の正月旅行先のホテルの部屋でダラダラとYouTubeを見ていたらとあるずんだもん動画コンパクト平屋を知った事だった。

正直今まで家を建てるなんて独身自分には縁のない事だと思っていたのだが、そんな自分でもちょうど良いサイズで尚且つ快適な家がだいたい1500万位で買えるというのだ。

コンパクトから自体も安いし将来外壁塗装するときも塗る面積少ないか費用負担も軽いと。

平屋だから階段上り下りが無くて楽だと。

調べたらローコスト住宅というのを作ってるハウスメーカーが何社か居てコンパクト平屋を専門に作ってる所もあってカタログダウンロードしてみても結構良さそうな感じだった。

住宅ローンで買うにしても1500万なら月々家賃並の負担で15年位で支払い出来るんじゃないかシミュレーションという名の皮算用をして、思い立ったらすぐに動く。

まずは土地探し。

しかし、安い値段で検索しても細い道の先の旗竿地地目農地ちょっと良いなと思ったらいつ出来たんだかわからん擁壁の上だったり(メンテナンスが数百万になるのに放置すると最悪崩れる)。

やはり安くて良い土地なんてなかなか無いなぁ…と思ったら見つかった。

都心から電車で一時間以上も離れた郊外の某市、駅から離れた閑静な住宅街で周りが500~600万位の相場なのに300万だ。

当然そういう安さには理由があって、建築条件付きの土地だったのだ。

建築条件付きというのは、この土地を買って家を建てるなら指定したハウスメーカーで建ててね、という奴だ。

とはいえこの安さは魅力なのでとりあえず問い合わせしてみる事にした。正月明けすぐだった。

そしたらなんと、事前にカタログダウンロードして目を付けていたローコスト平屋を扱ってる建設会社がまさにその建築条件で指定された会社だったのだ。

普通土地を見つけるのに数ヶ月、そこからハウスメーカーを選定するのも数社訪問して見積もりを取ってまた数ヶ月掛かるものなんだそうだが、私はもう土地ハウスメーカーもほぼ決まってしまった。

問い合わせした週に現地を訪問して土地を見てみるとまあまあ広い。建てたいのが13坪のコンパクト平屋なのに60坪以上もあるのだ。

だがまあ狭いよか良いだろうと思いそのまま申込み金を払って押さえて貰うことにしたのだった。

そこから数ヶ月。私はあらゆるYouTubeの家作り系の動画を観まくり(施主系YouTuberなんてものが居ることを初めて知った)、間取り作成ツールでああでもないこあでもないしながら理想間取りを作りまくりハウスメーカー担当営業には注文を付けまくり完璧理想な家作りを目指していた。

途中、フラット35の条件に適合させるために20坪位まで家をデカくしたりもしたが、図面も完成し資金計画(2千数百万になってしまったが)も出て来たのが4月上旬だった。

そしてナフサショックが起きた。

TOTOが受注停止をし、他の建材もいつ入るのかわからず止まる現場もあるという話を聞いて半分パニックである

営業メールをして実際どうなんだ?と確認しても見通しは不透明みたいな返事が返ってくる。

この頃になると毎週末は打ち合わせの予定が入っていたのでその週も打ち合わせでハウスメーカー営業所を訪ねてこれは本当に、この資金計画ちゃんと建てられるのか?

と正直ベースで訊ねた。そうするとやはりこの金額ではもう無理なんですと。いつ完成するかも分からないと。

資材についても今着工してる現場は何とかなるがこれから後の所はもう分からないと。

自分はまだ土地の本契約も済ませて無いから良いが、今後このまま進めるとどうなるか?

土地の購入からつなぎ融資が始まるが家の完成と引き渡しまでの間どんどん利息分が積み上がっていくのだ。

当然住宅ローンの金利もその間ドンドン上がって行くのだ。

しかも恐ろしい事にこのハウスメーカー住宅完成保証制度にも加入してない(それどころか営業マンはその存在すら知らないという!)

完成時期も、そもそも完成するかも分からないまま今後数ヶ月以上を過ごして行くのかと思うと最早このまま新築計画を進める気には、なれなかった。

代替案は何か無いのか?

そう切り出したら良い物が有りますと。

聞けばこのハウスメーカーモデルハウスを幾つか市内に建てて居るのだがこのメーカーは建てたモデルハウスをそのまま建て売りとして売っているんだそうな。

正直あの安い土地が魅力だったからこの地に家を建てようと決めた訳だから、その計画頓挫したのならここで無くても良いのではとも思ったが、コンパクト平屋の建て売りや中古住宅などほぼほぼ存在しないのだ。

まりまた新しい土地を見つけて別のハウスメーカー新築を建てるしか無いのだがこの状況は当然他の地域メーカーだって同じな訳である

じゃあこのモデルハウス選択肢としてはアリなのかもしれないと思い、とりあえず見に行く事に。

かにこのモデルハウスは前の土地より駅に近くなり(前は駅まで自転車で15分だがこっちは駅まで5分)、浄化地域だったのがちゃん下水道が通ってる場所だ。

その代わり庭はほぼ存在しない。(とはいえ前の土地資金不足等もあり庭の外構は土のままにするしかなかった)

家もちょっと広くなったが、やはり間取りとかコンセントの数とか中の扉がほぼ開き戸だったりして自分理想とはやや遠い感じ。

かに家具カーテンはついて来るからすぐ住めるけど…

これで新築計画比較して予算が数百万高くなるわけだ。(このモデルハウス土地は800万!)

資金計画を見たら3000万だ。

考えていた月々の負担額よりも上がってしまうし支払い期間も伸ばさないといけない。

でも、この機会を逃したらもう一生家買うことなんか無いんじゃ無いのかと思うと…

それに今後もうこの値段でもこのレベルの家は建てられないだろう。建材の値段は一度あがるともう下がることはほぼ無い。あと今買うのと状況が落ち着くまで待つのとじゃやはり金利全然変わるだろうし。

だが、そもそも何のために家を買おうと思ったのか。

それは、将来何があってもずっと住み続けられる家、場所を確保したかたからだ。

今後人口減少で家余りになるなんて言われても便利な所は年齢で断られるし、独身天涯孤独の身の上じゃ緊急連絡先も無いからより断られるだろう。将来更新拒否されたり、建て替えするから立ち退いてくれと言われて引っ越し先が無かったらホームレスだ。

そこまで行かずとも入居出来るのは不便でボロボロアパートじゃ雨露しのげるってだけで老後の生活は大変になる。それは嫌だと。

あと中古マンションも結局便利なところはなんだかんだ高いし築年数行ってる所は住宅ローン完済する頃にはボロボロで建て替えになるかもしれない。修繕積み立て金や管理費も一生掛かるし値段も上がる。修繕の箇所やタイミング自分じゃ決められない。そもそも上下左右の他人に気を使う生活ストレスだ。

一週間悩んで結局、モデルハウスを買うことに決めた。

正直、妥協。正直、焦って決めた。この先絶対後悔するだろう。

いやもう後悔してる。

あと最低10年は今と同じだけの収入を維持して繰り上げ返済が出来ないと、かなりキツい老後になってしまうだろう。

あとトランプくたばれと言いたい。

(でも総理とか政府には恨みとか正直文句は無い。あんな事が起きて完璧対応なんかなかなか出来るもんじゃないし。ナフサはありとあらゆる分野製品に使われてるから日本の誰もその流通実態完璧に把握することなんか不可能だろうから見てる物と現場実態が剥離するのは当然だろうし。市場主義経済社会なら紛争が起きて供給不安が起きれば自分だけは確保しようとしたり供給量を絞ろうとするのはある意味当然だ。結局、紛争のもの解決しなけりゃどうしようも無いのである。)

2026-05-13

足元のおぼつかないビール中年男性が足を滑らせて「オアー!!!」とか叫びながら転がり落ちてくるだけで大量殺人が成立するのに大勢の人が一斉に階段を使う度胸がすごい

2026-05-12

はてなブログプラットフォームとして弱い

はてなブログでは読まれない。について。

https://anmin7.hatenadiary.jp/entry/2026/05/11/124903

  

この記事にあるようにはてなブログアクセスは乏しい。原因は明確で入口が狭い。はてなブログ所謂ブログサービスであってプラットフォームとしての意識が弱い。ブログを立ち上げます、あとは頑張って。それだけ。

いや、はてなブログが何もしていないとは言わない。膨大な記事から探そうとしたり、新着ブログに一応フォーカスを当てようとしてはいる。ただ、機能はしてない。はてなブログトップページみんな見てる?検索欄で記事検索してる?はてなブログタグかい文字選択邪魔するだけの謎機能使ってる?

全てにおいて10100にする事はそこまで難しくないが、0→1、1→10にするのが最初の壁であり、最大の壁である。一旦上がれば更に上がるが、最初の一歩を見つけてくれなければそれは無いに等しい。

そして、その最大のハシゴ階段であるはずだった検索エンジンは今やオワコンである。限られた入口の一つが死んでいる。自ら他のSNS宣伝するにも限界があり、誰かが見つけてくれないと日の目すら見ない。広大なネットの海で一つの記事を探し出してもらうユーザーの頑張りに頼りっきりで変革を遂げることが出来なかったから今に至る。

対してnoteは日の目を見させ、サイト内でのアクセス循環に重きを置いている。トップページにはカテゴリートップ記事がわんさか出てくるし、記事の関連項目は他人記事しか出てこない。そもそもカテゴリーという概念ブログとは異なり、ブログ内ではなくサイト内で機能する。読書感想を書いている人を探したかったらハッシュタグで調べればいい。たとえ一つしか記事を書いてなくても引っかかる可能性はある。

まりnote検索エンジンを全くアテせずとも成立している(とは言えSEOも強い)。note内で記事検索したりレコメンドしたり入口を増やして記事へ促すプラットフォームとしての意識が強い。ここが今までのブログサービスとの最大の違いで、Xの様な側面を持ったブログサービスという中間層位置している。

固定客ははっきり言って無視していい、一度定着すれば勝手アクセスするし自然と増える。しかし、一見さんを増やさない事には固定客にすらならない。その一見さんを増やすことにnoteは注力していて、はてなブログ(に限らず他のブログサービス)は弱い。まあ、思想の違いと言えばそれまでだが。

anond:20260512082440

子どもの頃に、方眼厚紙を折って階段作ろうとするとあん階段が出来てた気がする。

anond:20260512082248

富士山滑落よりやばそうな階段とかもあるよな

2026-05-11

anond:20260428182347

すまんが俺の魂の故郷である高輪に行ってくれないか

目黒五反田品川のどこからでも行ける。

高輪郵便局よこのコマイヌの異形は一見価値がある。

高輪1丁目26あたりのアパートが密集しているエリア階段、エモさを感じるはずだ。

このお寺なのに南国のヤシの木めいた景色、おれは中まで入ってないが見てみたかった。

https://maps.app.goo.gl/g3gQPExBkqA8vB6q8

2026-05-10

anond:20260509200337

運動での体脂肪燃焼量なんてごく僅かだし、筋肉付けて消費カロリーを上げるなんていうのも誤差レベルだ。(健康のために運動をするのはいいことだが常に身体を傷めるリスクトレードオフで、いきなり外でのジョギングリスクリターンが合わないだろう。安全範囲筋トレか、クッションあるトレッドミルでの10秒全力疾走数本などにすべき。元の体重が65kgということは筋肉量も少ないだろうしな。)

食事以外で体重を減らしたいなら運動ではなく、日々の行動を少しずつ負荷の大きいものにする方が効果的。座るのを減らして立つとか、エレベーターエスカレーターを避けて階段使うとか、日常活動的にする。そして何より体重を減らしたいならやはり食事が基本だよ。単にカロリーを減らすだけでなく、2週間くらい脂質を極少量にしたあと、また2週間くらい今度は糖質を極少量にするなど、身体が慣れてしまわないよう変化をつけるとかも含めてな。

2026-05-08

イヤホン名古屋歩き野郎が多すぎる

名古屋歩き…いわゆる、歩道の真ん中付近を左右にぶれながらをゆっくりとガニ股気味に歩く、いかにも殿様仕草名古屋人の悪い歩き方である。これが最近東京人間感染しているから困っている。

 

しかも、ノイズキャンセリングが強力に効いているであろうAirPodsなどのイヤホンを耳に装着しているものから、後ろから歩いてきている人間に気づかない。

 

ガチで後ろから近づいても一切気づく気配がないので、スリ生業にする人が暮らしやすそうだとまで思えてくる。

 

これを、新宿駅とかのターミナル駅でも、駅から出た大通り歩道でもやっている人間がたくさんいる。駅構内階段でもいる。そうなると後ろが詰まるのに、ノイキャン幸せ世界に浸っている奴らには一切何も感じない。

 

ノイキャン使ってるイヤホンジャミングを入れたいと、ずっと思っている。

2026-05-07

The Finals には知らないと不利になるtipsいろいろある

ジャンパは斜めに置くとめっちゃ遠くに飛べる

ガムとガスは火で消せる

火はモクで消せる

ケルベロスは火属性がある

家の屋根裏に上る梯子ジャンプでモーションなしで届く

家の窓を外側からよじ登ると階段上るより早い

グレは下手投げでその場に落とせる

2026-05-06

anond:20260506162352

2階は低いな

4階~5階がええな、ギリ階段でもイケるし下界から視線も切れるし

2026-05-05

東京観光の歩数やばい

60代前半の両親に東京案内したけど歩かせ過ぎた。

普段まり意識してなかったけど、駅まで、電車に乗るまで、電車降りてからもかなり歩くし階段も多いから思ってたより歩数いってしまった。

2日間で3万歩近くになってしまい、明日以降親の膝やら筋肉痛やらが心配

大阪地下鉄梅田駅階段降りる時に

電車から降りて階段を登ってくる集団が面で押し寄せてくるとき

大勢の敵に1人立ち向かう映画主人公になった気持ちです

陰キャの俺が、一目惚れしたロリ巨乳の歳下彼女結婚するまで

31歳になった。今年、嫁にした彼女の話をどうしてもさせてくれ。

彼女とは元同僚。別の部署だったが初めて視界に入れた瞬間、胸の奥が静かに落ちた。155cmの小柄な体躯、幼さを残した瞳の奥にキリッとした大人の色気が潜んでいる。あの絶妙バランスは、まさに自分の好みのど真ん中だった。運動音痴陰キャの俺が、こんな可愛いロリ巨乳彼女とゴールインするなんて。

会社飲み会日常茶飯事の陽キャ天国大学生ノリが横行する中で自分はただただ浮いていた。大人数の輪など苦痛しかない。だから酒を浴びるしかなかった。酔えば人に合わせられる「酔うキャラ」——それが当時の自分の唯一の立ち位置だった。今思えば痛々しい。だが彼女の前では、不思議と肩の力が抜けた。

きっかけは、ジャニーズ映画だった。特に嵐。ピカンチDVDで揃え、Dの嵐違法視聴横行時代YouTubeで漁っていた自分マニアック知識が、彼女琴線に触れたらしい。一対一やカラオケでは、相手趣味に全力で溶け込めた。Filmarksで「好き」を静かに共有する関係からまり、初めての二人きりの飲みは夜の7時から、気づけば午前2時を回っていた。ホテルには連れ込まず、できる男を装った。あの時の冷静さは、イケメン友達の教えと、世の女性たちへの感謝特にインティ動画)によるものだ。男はポインティを見ろ。

その後、電話が2人のメインコンテンツとなった。一日中繋がったままライン履歴半日を超えた時はさながら高校生恋愛みたいで自分でも呆れた。会話のテンポが心地よすぎて離れられなかった。もどかしさ、まさに思春期の甘い時間だった。

しかし進展は止まっていた。

本当の転機は、彼女の退社日送別会二次会はまさに混沌の宴だった。個室で腕を組んで眠る者、階段で力尽きる者、トイレで吐き潰れる者——カオスのもの。酔いの波に身を任せ、自分は何度も彼女を外へ連れ出した。都会の深夜2時、酔っ払いたちの喧騒の中で、まるで二人だけの静かな世界にいるような錯覚に陥った。

始発が近づく頃、みんなが散り散りになる中、彼女から電話が来た。「見捨てるのか」と、怒ったような、縋るような声。自分限界だったが、絶対にこの子を逃したくなくて地下鉄の街を必死に走り回った。見つけた瞬間、彼女は酔ったまま手を組んできた。

自分の帰路とは全く関係のないホームに乗り、荷物を預かり彼女地元まで送った。

朝9時、彼女の部屋で裸で目覚めたとき自分はようやく現実を噛み締めた。

あれから3年。彼女は今、俺の妻だ。

何が言いたいか

がめつくなければ、焦らなければ、キモくならなければストレートに愛を伝えるのは意外と強い。

そして最大の武器は、趣味と、相手に寄り添う共感力なのだと。

顔も可愛いし、おっぱい規格外で、本当にありがとう

2026-04-27

高層ビル階段降り

会社高層ビル移転したので、健康のために帰りだけエレベーターを使わず階段を降りている。

20階分くらい降りるんだけど、最初は降り終わったときに足が小鹿みたいになった。

先日は地震の影響で都庁展望エレベーターがしばらく止まってしまったので、いざという時にさっと降りられるようにある程度鍛えておかないとダメだと思う。

2026-04-25

エスカレーター歩くな問題本質

全国一律で同じこと言い始めるから鬱陶しいんだよ

俺は田舎出身だが、田舎には片側空けの文化はない

駅ですら、地元民は別に言うほど守っていない

これは

・一分一秒を急ぐことが少ない

・人が少ない

エスカレーターの数が少ない

からだと思う

 

他方、東京の混む駅のラッシュ時を見ると

片側を空けてどんどん歩かないと駅のホームが溢れかえると皆分かってる(階段は無い)

そして一分一秒を急ぐシーンが多い、一本電車を逃すと乗り換えの関係でかなりの遅れになってしま

そもそも都市通勤時間は最も長いため、皆圧縮したくてギリギリ時間で移動しているんだ

からマジで97%位の人は片側空けをしている、通勤者に限って言えばもっと高いだろう

たった10%でもこれに反する人がいればこの状態にはならないわけだから、かなり合意された状態なんだと思う

 

「片側空けは同調圧力だ」「本当は両方に乗りたい」「空けてないと怒られる」と言ってる人はどこに住んでるんだろうか

少なくとも強面のおっさんばっかりの場所の方がむしろ全員片側を空けているから、なんか信用できない

単に別のところに住んでるだけじゃないのか

 

あと、合意が難しい場所では都内の混雑地域でも両側になっている

例えば渋谷マークシティの長いエスカレーターとか、あれはあれで良い気がする

 

長いエスカレーター結構特徴的で

超ロングエスカレーターはむしろ片側空けであることが多い

しか歩いてる人も居ないか輸送効率を言えば悪いんだけど、単純に長時間他人の隣に立ちたくないだけだろう

これはこれで合理的に見える

 

輸送効率と言えば、片側を空けない田舎ではどうなのかで言えば、普通に両側に他人同士で立つことはないので、「一段とばしで両側に立つ」が基本になるため輸送効率は全く良くない

そもそも急いでいないんだ

輸送効率とか言い出した時点で「はあ?」と言う感じである

 

「なぜルールを守らないのか?」と言う人が居るが

いまは数十年あったルールをいきなり変えられた格好であるしか合理性に欠ける

合理性に欠けるルールは、罰則アリの交通ルールですら守らない、それは分かってるはずだ

車の来ない信号を律儀に守る人の割合、60km以上出さない車の割合横断歩道で停止する車の割合、考えれば大体分かるだろう

ルールは「ルールから」で守られるわけではない

2026-04-23

お伽草紙

太宰治


「あ、鳴つた。」

 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾かぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。

「近いやうだね。」

「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」

「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」

「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」

「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます

 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである物語創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである

[#改頁]

瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ

ミギノ ホホニ ジヤマツケナ

コブヲ モツテル オヂイサン

 このお爺さんは、四国阿波剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽歌舞伎芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて絵本を読みながら、その絵本物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独ものである孤独から酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである若いから無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。

「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、

「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しまから。」と言ふ。

 お爺さんは浮かぬ顔になる。

 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。

 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのであるしかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。

「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」

 言はなくたつていい事である

 お婆さんも息子も、黙つてゐる。

「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。

「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。

「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。

 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合ひである

アルヒ アサカラ ヨイテンキ

ヤマヘ ユキマス シバカリ

 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、

「よい眺めぢやなう。」

 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、

「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、

「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、

いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分可愛い孫のやうに思ひ、自分孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのであるけふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、

「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである

ハカニ クラク ナリマシタ

カゼガ ゴウゴウ フイテキテ

メモ ザアザア フリマシタ

 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、

「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」

 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、

「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である

はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」

 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、

「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである

ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ

ツカレガ デタカ オヂイサン

イツカ グツスリ ネムリマ

オヤマハ ハレテ クモモナ

アカルイ ツキヨニ ナリマシタ

 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、

「これは、いけない。」

 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。

「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、

オヤ ナンデセウ サワグコヱ

ミレバ フシギダ ユメデシヨカ

 といふ事になるのである

 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いかである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇鬼才何某先生の傑作、などといふ文句新聞新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万醜悪綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである

 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである

 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、

「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物もつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐ種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかい言葉は、まるで無意味ものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、

「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく

ヲドリノ スキナ オヂイサン

スグニ トビダシ ヲドツタラ

コブガ フラフラ ユレルノデ

トテモ ヲカシイ オモシロ

 お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、

むすめ島田年寄りやかつらぢや

赤い襷に迷ふも無理やない

嫁も笠きて行かぬか来い来い

 とかい阿波俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、

大谷通れば石ばかり

笹山通れば笹ばかり

 とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。

オニドモ タイソウ ヨロコン

ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ

ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ

ソノ ヤクソクノ オシルシ

ダイジナ モノヲ アヅカラウ

 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。

 お爺さんは驚き、

「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。

アサデス ツユノ ヒカルミチ

コブヲ トラレタ オヂイサン

ツマラナサウニ ホホヲ ナデ

オヤマヲ オリテ ユキマシタ

 瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。

「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。

「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失てゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである

 家に帰るとお婆さんは、

「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。

「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。

「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。

「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。

「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。

「うむ。」

「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」

「さうだらう。」

 結局、このお爺さんの一家於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24

ペット不可物件の猫飼育

やむを得ない事情があり、ペット不可の家で猫を引き取ることになった。(短期の予定)

バレた時の強制退去金銭補填については対応可能しかし今は金がない

実際ペット不可の物件で猫を飼育している人はどのくらいいるのか?知りたい。

烏滸がましいが、バレずにすむコツがあれば教えて欲しい。ネコ砂の捨て方とか、鳴き声対策とか。

20代女性一人暮らし

マンション最上階角部屋

・ドアとリビング隣は階段で、寝室隣は隣室とくっついてる

・高速付近のため外は騒がしい

・猫おとなしい、あまり鳴かない

・猫1匹時間は9:00-17:00

anond:20260423095629

そんな機能つけるぐらいなら上り下りキャリーカートベビーカー感知した瞬間に止まって階段状態にするのが先だろ安全理由ボイコットとして

2026-04-22

jubeat果たして再ブレイクできるか

めでたく新筐体が発表されたjubeatだが、果たして再ブレイクできるのだろうか。

今ある程度流行ってる音ゲー、ややチェリーピッキング気味ではあるが、チュウニズム、プロセカ、SDVX、弐寺と、鍵盤系が結構主だと思う。

多分、鍵盤系は「縦連」「階段」みたいな共通文脈を持てるのが強い。

そんな中、鍵盤とは違った感覚音ゲー流行らせることができるのか、という壁に直面してると思う。(実際、タッチパネル音ゲーがサ終しやすかったのもこの辺が原因な気がする)

あと、音ゲーって難易度インフレ一種エンタメになっているが、jubeat仕様上詰め込める密度限界があって、難易度一定以上上げづらいってのもある。

鍵盤系が高難易度化する中、逆に縦連もインフレもないお手軽さを強みにできるかにかかってるかなあ。

2026-04-21

エスカレーター論争の結論

エスカレーターの速度、人が階段を上るときの速度、それぞれの密度から、静止時と歩行時の輸送効率計算して比較することは、数字さえ与えられれば小学6年生でもできる

結果だけいうと、

・静止時、1列で1分あたり満員時37人

・歩行時、1列で1分あたり満員時60人

・両側静止時、2列で1分あたり満員時74人

・片側静止+片側歩行時、計2列で1分あたり満員時97人

→満員時は片側静止+片側歩行のほうが両側静止より効率がいい(97>74)。

・ただし、静止側満員で、かつ歩行側充足率が6割を切るときは、効率が(両側静止>片側静止+片側歩行)になる

→静止側に行列ができていて歩行側スカスカときは両側静止に切り替えた方が効率がいい。


したがって、

・静止側に行列ができていて歩行側がスカスカなら、両側静止にする方が効率がいい
・歩行側の充足率が6割を超えているときは、無理に両側静止にしない方が効率がいい(通勤ラッシュ繁華街など)
・静止側に行列ができていないときは、片側空けのままの方が効率がいい

が、単純に効率だけを算数で考えた時の結論である。(充足率の変動や事故率は考慮していないのであしからず



この文章を読んでくれた方は、【片側行列+片側スカスカ】のエスカレーターを見たら、率先して2列を作ってより多くの人を早く目的地まで運ぶのに貢献していただけると幸いである。






以下小学生向けの計算コーナー

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1列のエスカレーターなら、全員静止しているより全員が歩行している方が輸送効率がいいのは想像やすいと思う。

2列のエスカレーターではどうだろう。

パターン①:両側静止していてかつ満員のとき

単に1列が2列になるだけなので、37+37=74人/分

パターン②:片側が静止、片側が歩行していてかつどちらも満員のとき

これも単なる足し算で 37+60=97人/分


①と②を比較すると、片側静止+片側歩行の方が、両側静止よりも輸送効率がいい。

ただし、これはどちらも満員時の場合である

現実には、静止側が満員で、歩行側が満員に満たない場合の方が多い。

「静止側に行列ができていて歩行側スカスカ」はよく見る光景なのではないだろうか。

ではどのくらいスカスカなら、両側静止の方が片側歩行より効率が良くなるのか。

パターン③:片側が静止、片側が歩行していて、静止側は満員だけど歩行側が満員じゃないとき

37÷60 ×100≒61.7から61.7%を下回ったとき、静止側の効率が歩行側の効率を上回る

以上から

・片側静止+片側歩行時、計2列で1分あたり満員時97人

→満員時は片側静止+片側歩行のほうが両側静止より効率がいい(97>74)。

・ただし、静止側満員で、かつ歩行側充足率が6割を切るときは、効率が(両側静止>片側静止+片側歩行)になる

→静止側に行列ができていて歩行側スカスカときは両側静止に切り替えた方が効率がいい。

まり、朝の通勤ラッシュや土日の繁華街など、歩行側の充足率が6割を超えているときは、片側静止+片側歩行の勝ち。それ以外のときで、静止側に行列ができていて歩行側の充足率が6割以下のときは、両側静止の勝ち。

以下は速度等のソース

https://news.mynavi.jp/techplus/article/20240520-2949080/

駅の階段って真ん中じゃなくて8:2くらいの場所に手すりを置いて通り道を分けてるけどなんでなんだろ

2026-04-17

つくしなんて何年ぶりだろう

土手のすみに、一本だけ、とても正しい形をしたつくしが立っていました。

まわりの草たちは、僕の目にはみんな同じようなぼんやりとした色の固まりに見えるけれど、そのつくしだけはまるで誰かがていねいに鉛筆で線を引いたみたいに、まっすぐ空を指差していました。

お日さまの光がつくしの体を通りぬけるとき、それは小さな、うす茶色のランプみたいに優しく光ります。一番明るいところから影の暗いところまで、階段を一歩ずつ降りるみたいに、とてもきれいに色が並んでいました。

僕はそのつくしに、指をのばそうとしてやめました。

いつか捕まえようとした蝶々みたいに、触ってしまったら、僕の指のよごれでそのきれいな姿が壊れてしまうかもしれないと思ったからです。触らなければ、このつくしは僕の心の中だけでずっときれいなままでいてくれます

きれいなものは、遠くからじっと見つめているときが一番「本当」の姿をしています

僕はつくしを土に残したままさよならを言いました。僕だけが知っている正解を一つ、宝物箱にそっとしまったようなとても晴れやかな気持ちでした。

ピンポンtoピンポン問題

近年のアパートマンションにはエントランス建物全体の玄関)にオートロックがある。

オートロックがある住宅では、訪問者があると、チャイムが2度鳴る。

1度目は、エントランスオートロックから鳴らされるチャイム

2度目は、自宅の玄関チャイム

この2回の間には間がある(「あいだにはまがある」と読んでほしい)。

配達員エントランスから自宅の玄関まで移動する時間である

この時間をどう過ごすか。これがピンポンtoピンポン問題である

 

タワーマンションなどの巨大な集合住宅にお住まいであれば1度目のチャイムから2度目のチャイムまでには十分な時間的余裕がある。

建物内の移動距離が縦にも横にも大きいからだ。

その間には、あらためてソファに腰を下ろしたり、デスクに戻って仕事の続きをやったりできるだろう。

しかし小さなマンションの2階とかだと、配達員はわりとすぐに来てしまう。我が家はそうだ。

この時間を扱いかねている。

配達員配達されてくる荷物の重さによって階段を使うかエレベーターを使うかが変わるのもまた厄介だ。

どこかに座ったらすぐにチャイムが鳴ることもあれば、すぐ来るかなと思って玄関前で待機していたらなかなか来なかったり。

どうすればよいのか。

anond:20260417095039

この間蒲田駅で靴とんがってるバカそうな兄ちゃん階段躓いてて草だった

2026-04-16

anond:20260416115809

男だけど見上げることなんて無くね?

前の人の1段下を歩くわけでもないし視線自然と膝下からかかとくらいになるし

どっちかというと階段昇り降りするときは足元に気を配るだろ

足元見ずに昇り降りするとか危ないわ

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