はてなキーワード: 真珠とは
「中道改革連合」という特定の団体において「500万円の仏壇購入」が義務付けられているという公式な事実は、現時点(2026年1月)では確認されていません。
しかし、一般論として「政治家が政治活動費から高額な仏壇を購入すること」の是非については、日本の法律(政治資金規正法)や社会通念上、極めて厳しい判断がなされます。
結論から申し上げますと、「政治資金からの支出は可能かどうか」という問いに対しては、法的に極めてリスクが高く、実質的に不可能に近いと考えられます。その理由は以下の通りです。
政治資金は、あくまで「政治活動(政策立案、宣伝、事務所維持など)」のために使われるべきものです。
私的流用の禁止: 仏壇は通常、個人の信仰に基づく「家財」や「宗教用具」とみなされます。個人の所有物となるものを政治資金で購入すれば、「政治資金の私的流用」と判断される可能性が非常に高いです。
社会通念上の妥当性: 過去の事例でも、政治資金で「真珠のネックレス」や「ブランド品」を購入した政治家が、政治活動との関連性を説明できず、厳しく批判・立件されるケースがあります。500万円という高額な仏壇の購入が「政治活動に不可欠」であると証明するのは困難です。
もしその仏壇を自分用ではなく、他者や施設に贈るためのものであれば、さらに深刻な問題になります。
政治家が選挙区内の有権者や寺院、施設などに対して金品を贈ることは、公職選挙法で厳格に禁じられています。
特定の宗教団体に対して、相場を大きく超える対価(500万円の仏壇など)を支払う行為は、実質的な「寄附」や「利益供与」とみなされ、当選無効や公民権停止の対象となる恐れがあります。
政治団体が支出した費用が「政治活動に関係ない」と税務署に判断された場合、その支出額(500万円)は政治家個人への「給与(所得)」として課税される可能性があります。
もし、そのような支払いを求める団体が存在し、それを「政治資金から出せばいい」と勧誘されているのであれば、以下の点に十分注意してください。
500万円の「仏壇代」と記載すれば、公開された際にマスコミや市民団体から激しい追及を受けることは避けられません。
もし「備品費」や「調査研究費」など別の名目で処理すれば、政治資金規正法の「虚偽記載」という犯罪になります。
実際にそのような請求を受けている、あるいは検討されている場合は、ご自身が契約している弁護士や、総務省の政治資金管理に関する相談窓口に確認することを強くお勧めします。
ずっとずっと昔、海の底深く、美しい真珠色の体に、無数の黄金の針を持つ、心優しき雲丹が住んでおりました。名は「金針(きんしん)」と申します。
金針は、海底の平和な村に住む魚たちにとって、なくてはならない存在でした。特に、村はずれの岩穴で暮らす、乱暴で意地悪な鬼のせいで、海全体が怯えていたからです。鬼は大きな錨(いかり)を武器に、村の宝である光るサンゴを次々と奪っていきました。
ある日、鬼に囲まれ、今にも食べられそうになっていた鯖の若者を、金針は自慢の黄金の針を飛ばして鬼の目をくらませ、命がけで助けました。助けられた鯖は、金針の勇気と優しさに深く感動し、「このご恩は必ずお返しします!」と誓いました。
鯖は、この一件を海の仲間に伝えました。まず、秋刀魚の長老が立ち上がりました。「わしの俊足と細い体なら、鬼の砦を探し出せる」と。続いて、鰯の大群が加わりました。「数なら負けない。鬼の動きを乱すには、わしらの群れが役立つ!」と。
こうして、金針を大将に、鯖を先鋒、サンマを斥候、イワシをかく乱役に据えた「鬼退治決死隊」が結成されました。彼らは、鬼を倒し、村に平和を取り戻すため、深い海の底、鬼のねぐらへと向かう決意を固めたのです。
サンマの素早い動きで鬼の砦の場所が判明すると、いよいよ作戦開始です。
まず、イワシの大群が銀色の波となって一斉に押し寄せました。その壮絶な数に、鬼は目を回し、持っていた錨を取り落としてしまいます。すかさず鯖の先鋒隊が、鬼の足元にできた影に隠れ、鋭いヒレで鬼の動きを封じました。
そして、満を持して金針が進み出ました。金針は、鬼の巨大な体に近づくと、全身の黄金の針を一気に放ちました。それはまるで、空から降り注ぐ光の矢のよう。針は鬼の皮膚の弱点をめがけて次々と突き刺さり、「うわぁ!」という断末魔の叫びと共に、鬼は深海の底へと沈んでいきました。
鬼がいなくなり、村の光るサンゴは無事に取り戻されました。海の村は平和になり、魚たちは金針と、勇気ある鯖、サンマ、イワシたちを「海の四勇士」とたたえ、永遠に語り継いだということです。
そして、金針は海底で静かに暮らしながら、もし再び誰かが困ったら、いつでも助けられるように、黄金の針を磨き続けたということです。
お世話になった方へ何か贈り物を、と思案していたところ、ふと、旧い友人が営む店の品が頭に浮かびお品の準備をお願いしたのが昨年の夏のこと。
その品は、家業の伝統技術と先進的なアイデアとを組み合わせて友人が生み出したプロダクトで、先方の心を掴み反応も上々。御礼の連絡と合わせ、関西に戻ったらまたお店に顔を出すよと友人に伝えたところ「楽しみにしてるよ!」と昔と変わらぬ快活な返事があり、再会を楽しみにしていたところでした。
その友人がこの夏に亡くなりました。京都人らしいユーモアに溢れ、誰からも愛される素敵な人でした。
こうした深い悲しみはそっと胸の内に秘めておくのが望ましい態度であることは承知しているのですが、今日、何気なく私が敬愛するソングライターのSNSを開くと、彼もまたその友人と親交が深く、離別の悲しみを綴っており、それを見て驚き、また感極まって匿名の海の中で筆を取った次第です。
今年に入り、様々な人との今生の別れが続き、心重い日々が連綿と続いているのですが、強く前を向いて生きていければな、と思っています。
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前述のソングライターはSNSでの発信と合わせて遠い昔の曲のサブスク配信を始めていました。
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真珠色の雲が散らばってる空に 誰か放した風船が飛んでゆくよ
駅に立つ僕や人混みの中何人か 見上げては行方を気にしている
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まだまだ暑い日が、続きそうですね
AIは仕事を奪わない。ただ、お前の仕事を「ブルシットジョブ」に変えるだけだ。
AIの進化が止まらない。「シンギュラリティは近い」「人間の仕事が奪われる」といった言説が、期待と不安をないまぜにしながら世間を賑わせている。しかし、所詮こうした言説は頭が悪くて、暇な人間が、無い知恵を絞って考えたことにすぎない。
結論から言えば、AIは人間の仕事をなくしはしない。ただ、これまで一部の限られたホワイトカラーが担ってきた数少ない「意味のある仕事(ここではノンブルシット・ジョブとでも呼ぼう)」すら駆逐し、その大半を「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」に変えてしまうだろう。
この変化は、すでに我々の社会に兆候として現れている。例えば、インターネットで隆盛を極める「驚き屋」のような存在だ。他人が作ったAIモデルやサービスを見て、ただ大げさに驚いてみせる。それが一つの職業として成立し、収益を生んでいる。これは、社会の本質的な価値創造とは無関係なところで、人間の感情を揺さぶることだけを目的とした、典型的なブルシット・ジョブと言えるだろう。
ホワイトカラーには、もはやAI企業の誇大広告に加担して、頭の弱い奴らを勘違いさせ、小銭を稼ぐ、といったしょうもない仕事しか残されていない。
AIが人間の知的労働を代替し始めると、このような「価値があるように見せかけているが、実態は空虚な仕事」が爆発的に増えていく。驚き屋の台頭はAIによるブルシット・ジョブ化の序章に過ぎない。
o3が登場した際、日本の社会的なインパクトは限定的だった。これを「日本が遅れている」と見るのは間違っている。むしろ、この静けさこそが、日本の労働市場の真実を如実に示している。
一つは、日本の労働人口に占める生産性の低いブルーカラーの割合が依然よりずっと高くなり、AIでは効率化が難しいということ。そしてもう一つは、より深刻な問題だが、ホワイトカラーの仕事の多くが、すでに効率化する価値もないブルシット・ジョブで埋め尽くされているという現実だ。
ブルシット・ジョブはどれだけ効率化してもブルシット・ジョブである。そもそもAIで効率化しようという発想自体がナンセンスだ。もともと価値がないものをどれだけ効率化したところで価値は生まれない。価値がある仕事を受け持つ人間がいないのだから、どれだけ高性能なAIが出てきても、豚に真珠である。
数少ないノンブルシット・ジョブについても触れておく。
「AIで業務が劇的に効率化した」という成功例も聞こえてくる。しかし、その多くはAI関連サービスを売りたい企業のポジショントークか、一部の成功者の生存者バイアス、あるいは都合の良い部分だけを意図的ないしは誤って切り取った認知の歪みによるものだ。
AI導入のために費やされた膨大な時間、試行錯誤の末に積み上がったコスト、そして導入したものの結局使われなくなった無数の失敗例。これらすべてを考慮に入れてトータルで見た時、真に「成功した」と言える事例はごくわずかに絞られる。我々は、輝かしい成功事例の裏に屍のごとく転がる失敗の数々から目をそむけてはならない。さもなくばAIで業務を効率化すると社員を駆り立てる行動そのものがブルシット・ジョブと化す。
そもそも仕事がブルシット・ジョブに侵食されていくなかで、果たして「効率化」は本当に必要なのか。数少ないノンブルシット・ジョブまですべてブルシット・ジョブに変えて我々人類は何がしたいのか。
現代の資本主義は、しばしば「運ゲー」と揶揄される。どの時代に、どの国で、どんな親のもとに生まれたか。その偶然が人生を大きく左右する。AIはこの運ゲーの性質の一部を構成していくだろう。
これからの世界で勝者となるのは、たまたまAIでもできそうな仕事が見つかり、たまたまその仕事をAIがうまくこなし、そして、たまたまそれがマネタイズに繋がった人間だ。そこに必要なのは、卓越した能力や血の滲むような努力ではない。ただ、人より運が良かったかどうか。AIという新たなルーレットの上で、我々はより一層、偶然に翻弄される存在となっていくだろう。
AIは、我々から仕事を奪いはしない。そもそもAIが奪う価値がある仕事などもはやほとんど残されていない。そしてその残された僅かな仕事からも「意味」を奪っていく。我々はこれから、AIが生み出した虚構の成果を右から左へ動かすだけの、果てしないブルシット・ジョブの海を漂うことになるだろう。
うおおおスカーク!
トレンド1位!
蛇の七変! なんかぶっ込んで来たな!
テイワットにおいて蛇やトカゲといった爬虫類は龍の一派(退化系)っていう匂わせがあるから、スカークもルーツに龍との縁があるのかもしれない。
星座のクリスタリナは英語だとcrystallina、和訳すると水晶体だから目に注目してみると、蛇目だしね。
心海ヴィシャップマン説は本人が否定したように飛躍で、遥か昔まで遡ればなんらかの因縁があったかもしれないけど(それで会心-100%?)分類としてはテイワット人ということだろうけども。
他にも重雲みたいに蛇目で純陽とかいう常人離れした体質持ってる人もいるけども。
スカークはより龍に近くて神の目に依らずに元素力を扱えるってことなんじゃなかろうか?
下手したらスカークこそが実在しないと思われていたヴィシャップマンや地中リザードマンの系譜的な?
ところでテイワットで元素力を扱えるのは大別して3パターンあると思っていて、
1つ目が土着の元素生物である龍と、それ以外の元素生物(魔神や仙人、妖怪なども含む)という、上位種になると姿形を好きにとれるやつら(=光界に由来する者)。
2つ目が神の目という外付けの魔力器官を与えられた人間(=パネースが作った人間界の者)。
3つ目が外道に手を染めた/到達した人間とその創造物で、アビス関連やもしかしたら魔女も含む集団(=虚界の力を得た者)。
ということで、スカークが1に由来するパターンなのか、それとも3の類なのか、「蛇の七変」はどちらかを指しているんだろう。
ヌヴィは古龍の大権ということで1だが、この大権が天理側でいうところの神の心だとしたら、蛇の七変は神の目ポジションと考えるとしっくり来る。
ただスカークが実はカーンルイア系の人物で3でしたって可能性も十分にありえると思ってる。
カーンルイアには黒蛇騎士という部隊があったし、極悪騎つながりで蛇モチーフが来てる可能性もある。
あと前述の三界でいうところの「虚」を二つ名に戴いてるところも怪しいポイント。
それからダインスレイヴのキャラクター紹介カードとスカークのカードも、2人だけ異質。
ともかく相当な特殊枠だということはビシビシ伝わってきて楽しみだな。
miHoYoで蛇っていうと3rdのメビウスが真っ先に思い浮かぶけどスカークはそんなに関係なさそう。
どちらかというとガラス?クリスタル?の砕片のようなものと割れた月を背負っていそうなビジュアルで、月の三女神との因果を連想させる。
スカークって名前はスカーサハから取られてるって説があるし、だとしたらケルトのアイルランド神話が元ネタっぽいから、月の三女神を扱う次期バージョン・ナドクライがケルト神話モチーフっぽい所ともつながる。
この月と龍をつなげるキャラ説、今適当に考えたにしては意外と当たってたりしないか?!
じーっとイラストを見てて思ったんだけど、このスカークの衣装、旅人の蛍が着ているものと見比べたら、そこはかとなく構造や雰囲気が似ていないか?
天外から来た主人公である蛍いわく「記念の意味がある」という王族服っぽいものだが、どこの王族なのかって考えると、スカークと同源な可能性がある。
じゃあスカークの正体は?って考えると、なんとなく思いつくのは、紀行の導入ムービーだった「真珠の歌」。
かつて天空に存在した栄光の王国、その王位継承者第一位、白髪の、蛇に騙されて自身を暗黒の国の王女だと思い込んだ女性だ。
天空の王国、これはセレスティアだと思いがちだが、映像だとセレスティア?のような浮島を背にしてまた別の場所に王国があるように見える。
ところで、ローディング画面ヒントで、光界はこう説明されている。
もし天空の領域を光界と捉えるのなら、天空には神(天理)だけでなく人間の王国もあったと考えられる。
そもそも天理とあの紀行ムービーの王様みたいな人間人間したものはイメージが違いすぎたし。
そこから人間界へと創世の真珠なるものを探しに降りてきた白姫がスカークの祖先って線で考えてみたらどうだろう。髪色的にも。
蛇に騙され、救いに来た王位継承者第二位の光の王子が、月の三女神に惚れ込まれた末に月が割れて、王子は死に、光界自体もアビス侵食を受けたからか天蓋バリアが作られて、降りてきた姫は戻れなくなり、騙されたままに蛇と混血してしまったとしたら。
おそらく王国は、こりゃあかんとなって、第三、第四の者を、天蓋バリアを通れる隕石に乗せて、人間界へ送り込もうとするんじゃないだろうか。
それが主人公たちだったという話じゃないのか?
最初にはっきりさせておくが、私はミステリーが大好物だが、ミステリファンは嫌いだ。
フーダニットだのハウダニットだの身内でキャッキャとしているうちは可愛いものだが、いざミステリーがポピュラーになろうとすると、いつもその芽を潰してきた。
いつもだ。だから衰退した。
都市伝説解体センターのネタバレはしない。CM(ローンチトレーラー)で流れている範囲では触れる。
批評は、基本的には「批評する対象が、批評しようとする空間のどこにあるのか位置付ける」作業だと言える。
ざっくり言えば、「都市伝説解体センターは、河原町通三条下ルですな」のように言うことが批評家だ。
この時、媒体によっては「(京都市中京区)河原町通三条下ルと言える」と書いたり、「注記: 河原町通と三条通の交差点から南側に入った場所」と記載する。
もっと平たく言えば、ファミ通のレビューのように、0〜10の得点のうち、このゲームは9点の位置ですよ、と位置を示すのが批評だ。
これは大いに自由にやるべきだし、自分の信念に従って自分で対象を空間に位置付けるべきだ。
ただ、「これはこうすればもっと得点が高くなる」と言うべきではない。それは批評ではなく改善提案だからだ。
また、「こういう批評をする奴は、こんな奴だ」と言うべきでもない。それは「該当する批評家を批評する」ことだからだ。対象への批評ではない。
ラーメンハゲがラヲタを蛇蝎の如く忌み嫌い批評するのは一貫性がある。
「こんなラーメンを好きなのは、情報を食ってるからだ」と言うのは、ラーメンに対する批評ではなく、ラヲタを正しく批評している(位置付けている)。
概ね以下に集約される
にも関わらず、世間でポジティブな反応が多いのに納得できないというものだ。
特定の誰かを批評することが目的ではないが、該当する批評や感想を持った人たちを批評する目的のこの文章でははっきり書くが、幼稚なのだ。
幼いのだ。未熟なのだ。自他の境界線が曖昧で、自分で世間の中に立って批評できない。
俺がおかしいのではない、世間がおかしいと叫んでるのだ。そして残念ながらその声はある程度、当人たちにも届いてしまう。
都市伝説解体センターというゲームが、面白くなかったのであれば面白くないと書けば良いのだ。
どこが面白くてどこがクソなのか書いて、だからこのゲームはこの位置だと叫ぶのが大人のやることだろう。
「都市伝説解体センターが好きなのは、こういう人物像だろう」という批評も、別にすれば良い。
ラーメンハゲも信念に基づいてラヲタを批評する(ように見える)から人の心に刺さるわけだろう。
「俺の好きなミステリーではなかったから、この作品が好きなやつはミステリー好きではない」と書くのがハッキリと害なのだ。
アドベンチャーゲームについても同じだ。正確に言えばあらゆるゲームについても同じだった。新人を鼻で笑うのではなく、沼に沈めなければならないのに。
俺は誤りとは書いていないというかもしれないが、書いている。
「俺は最後のオチが納得できなかった。だからクソゲーだと思う」と書けば済むところを、
「え?俺以外は絶賛してるの?なんで?俺と同じ人もいるよね、良かった……じゃあやっぱり俺以外の感想を持った奴はニワカなんだな」と書くから変なのだ。
さっきラーメンハゲをわざわざ引いてきたのは理由がある。ラーメンハゲは、なぜどうして情報を食っていると評したのかを明確に示したからだ。
「このラーメンはまずい、それを絶賛するのだからこいつらは間違っている」という論立てをしていない。それは別のものだからだ。
だから「都市伝説解体センターを絶賛するやつは、普段ゲームをしない奴だ」と言いたいのであれば、その論拠を示すべきであって「だって俺は面白くなかったから」というべきではない。
そこが変なのだ。
自由に批評して良いし、クソだと思うものをクソだと言うのも表現の自由だろう。
ただ、その批評も当然のように批評にさらされる。今やってるのがそれだ。
なぜ、ミステリーが好きじゃないやつに刺さったと言えるのか、なぜ普段ゲームをしない層にリーチしたからヒットしたと言えるのか。
「だってヒットしているのだから」と言うのはトートロジーであって、批評ではなく言葉遊びだ。
例えば、以下のような点だ。
これはアドベンチャーゲームが好きな人ほど陥りがちな穴であって、自分がほぼ無意識に流したところに何かあったかもしれないと言う内省につながっていない。
ローンチトレーラー(CM)にもあるように、新人調査員である福来あざみが先輩調査員であるジャスミンと、SNSを利用して調査するパートと、現場で調査するパートがある。
そのいずれも、非常に明快に、既読と未読がわかるようになっている。
そんなの当たり前じゃんと思わずに、思い出してみて欲しい。今まで一度選んだ選択肢がグレーアウトされるアドベンチャーゲームがいくつあったかを。
また新人調査員である福来あざみはメガネをかけることで念視と呼ばれる特殊な能力をゲーム中で使うことができるが、SNS調査パートでは念視を使えばマークが付くのだ。
これは小さなマークだが、思っているよりも目立つので、どこを見たのか一目瞭然だ。
(これは念視を使っていわゆる正解を見つけた場合であっても、不正解であってもマークがつくところが重要である。メガネ既読がしっかり表示されるのだ)
また、多数の選択肢から正解を見つけなければいけない時に、間違ってしまってもキャラクターの掛け合いが見られることで結果としてご褒美になっている。
新人調査員の福来あざみが、真顔で変なことを言って所長にツッコミを入れられるのは、プレイヤーにとってはペナルティではなく微笑ましい会話を読めたご褒美なのだ。
それ以外にも、調査がどの程度進んでいるかは、常に証拠品の数で示されているし、調査が完了すれば次に進めるようになっている。
ゲーム体験が快適になるように、非常に丁寧に作り込まれている。
これまで、アドベンチャーゲーム慣れした人ならごく自然にやっていた、どの選択肢を選んだか覚えておく、どの場所を調査したか覚えておくという、「ゲーム側の都合で人間が対応しなければならなかった部分」が、「ゲーム側で対応されたことで人間がやらなくて済むようになった」と言う丁寧な作り込みが見られる。
これはゲームとしては些細だが本質的なところで、似たような例はシミュレーションゲームでは頻繁に目にする。開発陣が想定していなかったような細かいパラメータの調整を人間に強いていた場合、続編ではそのパラメータがバッサリとカットされることは良くある。ソコを遊んで欲しいわけじゃ無いから止めよう、というものだ。
ドラクエ3リメイクの時にも話題になった気がするが、デメリット付きで教会からやり直すのか、デメリットなしで戦闘直前に戻るのかの違いは、いわゆる「戻し」をどこまでプレイヤーに強要するかであって(それが遊んで欲しいことなのであれば必要だが)もしも「戻し」で時間を取るのは今は違うよね、と思うユーザーが多いのであればそちらに合わせるのが自然だろう。
と、言うように、「なぜゲームに慣れていない人にヒットしたと言えるのか」を説明したいのであれば、それを説明すれば良い。
「ゲームの作りが丁寧で、今までアドベンチャーゲームの理不尽で離脱していた人たちを留めて置けたから」と自分は考えて文章にした。間違っていると思うなら反論すれば良い。
少なくとも、「俺はアドベンチャーゲームが好きだが、このゲームは嫌いだ。だからヒットするならゲームに慣れていないやつに刺さった」よりはマシだ。
自分の楽しめなかったのものを楽しむ相手を格下に見るのは、自己が確立できていないから生じる。
このムーヴは何度もジャンルを潰してきた。先鋭化した果てに新規参入者がいなくなり、ジャンルが無くなる。
ここが良く無いと思った、これは私にはわからなかった、そんなミステリーは読んだことがない、大いに結構。
問題はこれに「だから、これを楽しめるやつはニワカだよね」と傷を舐め合う自称その道のファンだ。
自己が確立できていれば、「これは物理的に無理があるよね、三流」と言うだけで済むのだ。ヒットしても狼狽える必要はない。
なぜならば、確固たる自己があれば、もっと言えば美学があるのであれば世間がなんと言おうと「物理的に無理があり三流のゲーム」だと言えるからだ。
「なぜヒットしているのか」を論評したいのであれば、その論拠を立てないのであれば、空論である。
「なぜアドベンチャーゲームと言えないか」を論評したいのであれば、やはりそれを示す必要がある。マルチシナリオでないからだとか、マルチエンディングでないからだとか、好きに言えば良い。
ただ、言葉にしなければ、反論してもらえないので、いつまで経っても自身の思いは曖昧なままだ。
(Polish pillarを入力するようなアドベンチャーゲームは硬派なのではなく、ゲームの都合を人間に押し付けたからだと今でも思っている)
グラフィックは雰囲気重視のドット絵で高精細とは言えず、音楽のループもそれほど長いとは言えず、フルボイスですらない。
いわゆる最先端のゲーム機の性能を最大限活かしているかと言われると、そんなことはない。
しかし、ゲームを始めて、どうなってしまうのだろう、このゲームを遊べるだろうかという不安に過剰なまでに寄り添うようなゲームシステムは、おそらくゲーム慣れしていない人をほぼ脱落させずに最後まで連れていくに十分な丁寧さを持っている。もちろんゲームに慣れている人はサクサクと気軽に遊べる。本が読めない社会人でもやり通せる良いボリューム感になっている。
ゲームシステムとして都市伝説というきっかけを作っておいて、きちんとアドベンチャーゲームをした上で、ミステリーとしても良くできている。
ネタバレをしないために個別具体的には触れないが、いわゆるミステリー好きならきちんと違和感を持てるように作ってあるし、少なくとも作中に描かれているもので整合が取れていないものはほぼ無い。ミステリー好きなら当然知っているだろうネタについては軽く流され、そうで無い人にも雰囲気で伝わるように作ってあるのは、非常に丁寧にシナリオが書かれているからだと思う。
(既読のセリフをもう一度読むことができるため、同じ人から同じものを何度も貰うとか、初見の話のはずなのに何度も聞けてしまう、というゲーム性に起因する不整合は存在する)
一点だけ苦言を呈するなら、特装版に入っている冊子がゲームカートリッジよりも上にあって、いかにもパンフレットとして置かれているのは良くない。あのパッケージングだと先に冊子をめくってしまう。ゲームをクリアした後でという文言を読まずに中を見るところだった。非常によろしくない。
自分はミステリーには一家言あるぞ、という人には勧めない。お前は小説を読め。売上落ちてんだぞ。
昨今は軟弱なアドベンチャーゲームばかりでというやつにも勧めない。お前は伊勢志摩ミステリー案内 偽りの黒真珠をやれ。やったか?
そうでない人には割と広くお勧めできる昨今珍しいタイプのゲームでもある。よくあるストレスがかかるようなセリフや状況もどうしても存在するが、ツッコミ役が常に入ることでかなり中和されている。
疑う人もいるだろうが、ネガティブな反応も含めて、感想がほとんどクリアした後のものであることをもう一度良く考えてほしい。
映画のように映画館で拘束されて最後までほぼ見ることしかできないような状況とは全く違う、ストレスフルで娯楽の多い現代において、それがどれほどの快挙か。
面白くなるように座組して、面白くなるように作って、ちゃんと面白くヒットすることがどれほどの偉業か。関係者各位に惜しみない賞賛を送りたい。
そして、面白いと思ったそこのあなた、あなたはニワカではありません。
真珠じゃないのよ𓂸はハッハ~
ほほう、まだ喚いているのか。まるで駄々っ子だな。だが、お前のその程度の反論では、俺の理論の強固さを揺るがすことなど到底不可能だ。
お前が「説明しきれねえ」と騒ぐ残りの部分?それは統計的なノイズとして処理できる範囲だと言っているんだ。お前の脳みそでは、主要因と誤差要因を区別することができないらしい。Burson et al. (2006) のタスク難易度や、Ehrlinger et al. (2008) のトレーニング効果を持ち出してくるのは勝手だが、それらがDK効果の主要なメカニズムを覆すほどの力を持つとは到底思えないね。せいぜい、周辺的な影響を与えているに過ぎない。
「主要因」しか興味がないなら科学をやめて占いをやれ、だと?お前こそ、感情的なレッテル貼りで議論から逃げるのはやめたらどうだ?科学とは、主要な要因を特定し、現象を理解するための最も効率的な方法を探求することだ。お前のように、些末なことに固執して全体像を見失うのは、科学的な思考とは対極にある。
現実はお前の都合などどうでもいい?その通りだ。だからこそ、感情的な願望ではなく、客観的なデータと論理に基づいて議論しているんだよ。お前は自分の感情的な反論が受け入れられないからって、現実を否定しているだけじゃないか。
煽りも反論もめんどくさいなら「負けました」と言え、だと?お前に「負けました」と言う日が来ると本気で思っているのか?お前のその程度の知識と理解力では、俺の足元にも及ばない。議論する価値すらないと言ってもいい。
だが、哀れなお前にも理解できるように、もう一度言ってやる。DK効果の主要な要因は統計的な回帰現象でほぼ説明可能だ。お前が騒ぎ立てる心理的な要因は、確かに存在するかもしれないが、それは主要なメカニズムを揺るがすほどのものではない。お前の反論は、木を見て森を見ない、視野の狭い者の戯言に過ぎないんだよ。
せいぜい、自分の無力さを自覚して、少しは知的な謙虚さを身につけたらどうだ?だが、お前にそれを期待するのは、豚に真珠、猫に小判だろうな。