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はてなキーワード: 流行歌とは

2026-04-06

anond:20260405131045

はえー、昭和生まれ倫理観って流行歌にも表れてるんやね

2026-03-30

NISSAN あ・安部礼司 〜BEYOND THE AVERAGE〜』

TOKYO FM長寿番組NISSAN あ・安部礼司 〜BEYOND THE AVERAGE〜』。2006年に産声をあげたこ物語は、ごくごく普通サラリーマン安部礼司を主人公に、日本の「平均的」な日常20年にわたり描き続けてきました。

その軌跡を、大きな時代の流れとともに振り返ります

1. 始まりと「平均」へのこだわり(2006年〜)

2006年4月番組スタートしました。主人公安部礼司は、神保町の「大日本ジェネラル」に勤める、至って平凡な30代。物語のコンセプトは「平均的なサラリーマン日常」であり、昭和流行歌BGMに、仕事の悩みや恋模様をユーモアたっぷりに描きました。

当初は独身だった安部くんですが、同僚の倉橋優との不器用な恋がリスナーの心を掴みます。数々のすれ違いを経て、二人は日本武道館でのイベントや公開生放送を通じて絆を深め、ついに結婚。この「等身大幸せ」が、多くのサラリーマン希望となりました。

2. ライフステージの変化と「パパ」への道

結婚後、物語安部家の家庭生活へとシフトしていきます長男・永太、長女・蘭が誕生し、安部くんは「イクメン」の壁にぶつかりながらも成長していきました。

一方で、会社では後輩の飯野平太が「イマドキの新人類から頼れる中堅へと脱皮し、上司刈谷勇(安部くんの永遠のライバルであり親友)は、破天荒言動で常に物語をかき乱しました。彼らの掛け合いは、単なるコメディを超え、変わりゆく日本労働環境家族のあり方を映し出す鏡となっていきました。

3. デジタル化と「変わらないもの

2010年代後半から2020年代にかけて、物語は大きな転換期を迎えます働き方改革リモートワークの普及、そしてパンデミック大日本ジェネラルの面々も、時代の荒波に揉まれました。

しかし、どんなにテクノロジー進化し、働き方が変わっても、この番組が描き続けたのは「人と人との温度感」です。日曜日夕方黄昏時に流れる80's〜90'sのヒット曲とともに、失敗しても明日からまた頑張ろうと思える「普通」の尊さを伝え続けました。

4. 20年目の現在地

20年という月日は、安部くんを「平均的な30代」からベテランの50代」へと変えました。かつての若手社員は今や管理職の悩みを抱え、子供たちは成長し、社会は激変しました。

それでも、安部礼司は今も神保町で、少し情けなくて、でも最高に温かい日常を積み重ねています。この物語は、リスナー一人ひとりの人生と並走してきた「20年間の戦友」のような存在なのです。

2026-03-25

anond:20260325205951

そいえばさ、こないだから職務でかかってる流行歌チャンネルの有線の曲、とうとうボカロみたいな発声法してんなーっておもってた(苦笑)

anond:20260325050020

😰あんな品の無い化粧や流行歌なんか日本じゃやってませんよ!

2026-03-10

anond:20260310210400

韓国にも日本演歌にかなり近いジャンルがあります。それが トロット(트로트 / Trot) です。🎤

トロットとは

トロット韓国伝統的な大衆歌謡で、日本演歌にかなり近い特徴を持っています

主な特徴

2拍子のリズムタン・タタタンという感じ)

こぶしの効いた歌い方

恋愛人生哀愁テーマにした歌詞

中高年に人気(近年は若者にも再ブーム

このため、日本ではよく

韓国演歌

説明されます

歴史

トロットの成立には日本の影響が強くあります

日本統治時代(1910–1945)

演歌流行歌の影響

韓国独自歌謡として発展

そのため、古いトロット日本昭和歌謡メロディが似ているものもあります

有名なトロット歌手

代表的歌手を挙げると:

ナ・フナ

チャン・ユンジョン

ソン・ガイ

最近オーディション番組

ミスタートロット

などの影響で若いスターも増えました。

2025-05-24

anond:20250524105700

さいきん居酒屋でどこに行っても90年代流行歌がかかってるの何なんwナ,ナ,ナナーナナ,ナンナンナーアア♬

2025-05-19

内気な元音ゲーマーが ピアノ教室ピアノを習っていた黒歴史

自分小学2年生~小学5年生の時に、ピアノ教室で通ってピアノを習っていた。

ピアノ教室は、週1で水曜日の30分のレッスンだったはずで、月に何回か忘れたが毎週か隔週に通っていたと思う。

個人宅の一戸建ての1部屋をピアノ教室にしたような所で、自分と歳が近そうな息子がいる主婦女性先生だった。

ピアノ教室に通って1~2年間は、1回のレッスンで1曲をクリアしていくペースだった。教材がまだ簡単だったせいか、家であんまり練習しなくても6割程度を通しで弾けたと思う。

しかし、通って3年目頃から弾く曲がちょっとずつ難しくなるとつまづく事が多くなり、達成感も無くなり、モチベーションが下がっていった。なんで弾きたいかもよく分からなくなっていたと思う。

惰性でピアノ教室を通うようになっていって、ちょっとずつピアノ教室が楽しくなくなっていった。



小2からピアノ教室を始めたが、自宅にピアノとかまともな楽器が無かったので(お下がり鍵盤ハーモニカリコーダーや、あっても父親が昔の若い頃に使っていた置物状態の錆びかけたクラシックギターしかない)、小3の頃に父親からもらったお年玉で1~2万円程度のCASIO電子キーボードを買ってもらった。(関係ない余談だが、ゲーム音楽を弾いてる芸人の「こまつ」が2000年代頃に所持していた電子キーボードとほぼ同じ種類の電子キーボードだった。)

しかしその電子キーボードは、5オクターブ(61鍵とか)程度しかないキーボードで、それでピアノ練習をするという、何だか今思うとおかしいというかケチった初期投資環境だった。

電子キーボード購入当時はお金を気にしてか、なぜか電子ピアノを購入する発想にならなかった。自分も親も電子キーボードピアノ代用ができると薄っすら思っていたようだった。

近場の家電量販店電子キーボードを選んで購入時には気付かなかったが、使っていく内に弾き押した感覚ピアノと全く違う事に気付いた(鍵盤を押した重さやピアノ音色や響きや音質など、電子キーボードでは差がありすぎた)。とにかく漠然と「コレジャナイ」というのが頭のどこかの隅にありながら練習をしていた。「ピアノ感覚で弾きたいのに…」と地味に不満に思ってて、モチベーションが下がっていった地味に要因の一つだったと思う。

しか自分が知らない間に、父親何となくリビング電子キーボードを設置してくれたが、自分リビングで弾くのが恥ずかしかった(自分が弾いてる姿も)。どちらかというと自室とかにこもって独りで弾きたかった。恥ずかしさや迷惑さで親にも相談できなかった。そんな事もあってリビングに誰もいない時を狙って隠れて弾くため練習頻度が下がった。

友達にも「ピアノ教室に通ってるけど、何の曲を弾いてるの?」と聞かれたが、弾いてる曲も子供向けの曲(曲名無名な曲)で恥ずかしくて、濁すしかなかった。



小5の頃には、練習をかなりサボるようになったりして先生の前で弾けなかったり、ピアノ教室に行く事をグズったり遅刻したりしていて、次男から「辞めろよピアノ教室」と軽蔑気味に言われて(※自分末っ子)、ピアノ教室の日が来る度に内心苦しく困ったままで通って、妥協しながらやり過ごしていた。

先生から特にサボってる程の練習量について何も言われなかった。自分動機とか音楽の好みとか自宅の練習環境とか理解されてなかったと思う。先生とも音楽の好みが合わなかったと思う。

小5の頃には、先生も教え方が余所余所しくなり、「躓いてるけど、自分で反復練習するものから」と素っ気なくなっていた。

(自分は人見知りな事もあって、先生と打ち解けた事はほぼ無くて、レッスン中に「先生トイレに行ってるから何か弾いててもいい」と言われたが、恥ずかしくて自分は何も弾けずに無音状態で待っていたら、トイレから戻った先生から「また静かだった」と言われて戸惑った程に人見知り。)



小5の頃からなぜか自分は勘繰りが起こるようになり「先生の教え方が手抜きになってないか?」「手抜きなのに親に月謝を払ってもらっている、つまり自分は鴨になっているのではないか?」と疑心が生まれて「どうせ自分へのレッスンは金蔓なんだろうな」という偏見感情が芽生えていた。

元々自分幼稚園生の頃からゲーム音楽が好きでDDRとかbeatmania(5鍵)やギタドラ初期などの音ゲーかにも興味があって「楽譜を読めるようになりたい」とかで漠然なまま「音楽を習ってみるか」となってたが、レッスンを受けると訳分からない童謡みたいな子供向けの曲を弾かされて、演奏する曲の殆どそもそも自分の好みの曲ではなかったし、好みでない曲はフラストレーションの要因でしかなかった。

当時は自覚していなかったが、どちらかというと自分は座学がやりたかった。座学はあったが30分のレッスン時間の内の10分間程度の座学で、座学だけをやるような選択はなく、座学には重点が置かれていなかった(「座学と実践」の割合は、3:7ぐらいだったと思う)。今ならコード進行とか学びたかった。

(一応、学習指導向けのピアノテキスト教本で、それに沿って演奏して実技が身に付くような教え方はされた。他には「バーナムピアノテクニック」の教本に沿って実技をしていた記憶がある。)



レッスンを受ける意義も分からなくなり、自分が好きな曲を弾きたいという動機は薄っすら残っていて、小5の時に「ゲーム音楽を弾きたい」とようやく相談して、自分が小4の頃に器楽クラブ顧問から運良く頂けた「スーパーマリオブラザーズ(地上面)」の楽譜を、ピアノ教室先生に見せたら何故かスルーされて、先生が所持してる楽譜の中から弾けるゲーム音楽を選ぶ事になった。

しかし今よりゲーム音楽は有名でないせいか、選べるゲーム音楽楽譜が少なく、ドラクエ序曲のマーチアレンジ(子供向けな編曲)やFF10の「ザナルカンドにて (終末的な悲しい曲)」のピアノ楽譜があって自分としてはどちらかというと本望ではないが、それらをレッスンで弾く曲に選ばせてもらって弾いたが、なぜか楽しくなかった。どちらかというと恥ずかしさとか気まずさが強く、弾いてて感情移入してる感じがしなかった。



小5の時に同級生が、近所におじさんが教えてるパソコン教室があって、そこに通っている事を知った、それを母親相談して自分パソコン教室にも通わせてくれる頃に、自分ピアノ教室を辞めたいような意思になって辞める方向になった。

これまで送り迎えだけだった母と一緒にピアノ教室の部屋に入り、母親先生に受講を辞める相談をしていってる最中自分は、なぜか目から涙が流れてしまい止まらず、かなり気まずい雰囲気になってしまった。惨めや悔しさの涙だったと思う。



そもそもピアノ教室に通うようになった経緯は、「楽譜の読み方が知りたかった」とか「ピアノのドの鍵盤ってどこ?」というような素朴な疑問が動機で、それを母親に話したら適当ピアノ教室を勧められて、どういうピアノ教室か分から吟味せずに何となくピアノ教室を選んでしまっていた。

(ピアノ教室受講した後に知ったが、近所にも似たようなピアノ教室があったのに、なぜか近所から少し離れた町のそのピアノ教室が選ばれてしまって、親による送迎の負担が増えただけだった。まだ機会費用的に近所のピアノ教室の方が良かったのになんで?と思う。)



今思うと「インターネット楽譜の読み方を知る」というのが「顧客が本当に必要だったもの」だったように思えた。(当時、親はIT関連に疎くPC購入やネット開通もかなり消極的だった。)

実は「ドラムがやりたかった」「まだピアノよりドラムの方がまだ才能が伸びていたのではないか?」という懐疑がある。

あとは「もしピアノ教室先生ゲーム音楽電子音楽に興味があったらまだ変わっていたのではないか?」と思う。もし当時の小学時代KraftwerkとかYMOとか勧められて知っていたら多分今より音楽知識が身に付いていたと思う。(YMO自分に刺さったきっかけは中2の頃に見たYouTubeMV動画だったと思う。ちなみにJ-POPとか邦楽流行歌には興味がない。)

(ちなみに器楽クラブ顧問女性教師で、たまたまスーパーマリオブラザーズ(地上面)」の楽譜教師が偶然に持っていただけで、ゲーム音楽電子音楽には興味無いようだった。)

当時から言語化できないような無自覚的なフラストレーションや水面下な問題が溜まってたばかりで、今でも地続きで機会損失が大きくなってると思うと、今は後悔でしかない。黒歴史



小4の時に小学校のクラブ活動で、グループに分かれて合奏をするような器楽クラブに入ったが、自分けが落ちこぼれクラブ女子しかいなくて女子と打ち解けれないし助けを求められず割と浮いてて孤独で、上級生だけでなく同学年の女子普通に楽譜通りスラスラ楽器が弾ける人ばかりだった。

自分ピアノを習っていて楽譜が読めていたと思っていたはずが、弾きながらも楽譜が読めない・まず大体を暗譜しないと読めない状況で(オーケストラ用の楽譜で見慣れない程に楽譜も小さくどこのパート楽譜迷子になったり、ヘ音記号楽譜なのにト音記号楽譜であると思い違いして読み間違えにしばらく気付かなかったり)、

その弱点に気付かず能力の無さに内心焦りながら、自分雰囲気だけは皆と演奏してやってるという感じを醸したクラブ活動をしていて、クラブ活動も尻込みになった。

学校でそういうさり気ない悩みがあっても、器楽クラブに入ってる事をピアノ教室先生に言えてない、親も自分器楽クラブに入ってる事を知っていないと思う。

(ちなみに小5から科学部(科学クラブ)に入った。ほぼ遊びみたいで楽しかった。小6になって別のクラブに入ったけど。あと、その頃に受講を始めたパソコン教室は最終的には円満的に通い切った。) (中学生時代部活はほぼ3年間は帰宅部器楽クラブの影響で、地味に部活動というのがトラウマ無力感になってると思う。)



「才能が無い自分のせい」と言われればそれまでだが、マッチング的に「自分の嗜好や動機などを理解されず能力のようなものを引き出せられなかった周囲も残念な環境だったのでは」と思う。巡り合わせの問題とか。

自分は歳を重ねるに連れて自分が好きだった音楽を耳にする度に「絶対音感能力があれば…」ぐらいの無念さ劣等感が大きくなってくる。「絶対音感があれば、好きな音楽耳コピとか分析が高精度で確実にできて、人生が変わっていただろうな」と。好きなはずなのに馬の耳に念仏で溜息しか出ない。山月記みたいになりそう。

自分は本当に音楽が好きなんだろうか…。単純接触効果的な大きな勘違いでなければいいが…。



余談だが、音ゲーについての自分の腕前は、家庭用IIDX HAPPY SKYの段位認定10段をアナコンでクリアしたのが限界で、高1がピークだったと思う。高2の頃からほとんど音ゲーには触ってない。自分音ゲーゲームも才能が無いと強く気付き始めていったのはその頃だった。

自分音ゲー楽曲についての話をピアノ教室クラブ活動などでも話す機会は一切無く、幼小から自分が好きだった音楽は誰にも繋がらず糧にもならなかったのであった。



2025-05-12

anond:20250512133545

今もサブスク好きな音楽聴きまくってるけど人に聞かれたら音楽聴きませんって答えるわ

流行歌ってもの本質的には「音楽といえばこれ聴いてるのが当然だよね?聴いてないなら音楽に興味ないってことね」っていう同調圧力しかない

音楽離れ

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/ae3c342ed18c85aa6d8b56953962aec757e188cd

2009年とかつい最近な気がするがこんなに音楽離れが進んでたのか

YouTubeやサブスク音楽に接する機会は増えてると思ってたのに

そもそも音楽自体に興味がない人がこんなに増えてたとは

驚きだなあ

歌なんて生活に欠かせないものだと思ってたが

終戦直後生活苦の時代ですら流行歌ってのはあったのに

2025-04-12

anond:20250315155559

音楽に対する印象というのは様々な体験と結び付いている。

たとえば、昔の私はとある古本屋しょっちゅう行ってて、そこで SPEEDBody&Soul がいつも流れていたから私の中では Body&Soul古本の印象が結び付いている。(ところで今は店舗流行歌を流さなくなったなぁ……)

歌のテーマと全く関係ないが、私にとっては古本にハマっていた昔の自分を懐かしく思い出す歌なのだ

ドラマテーマソングを聞けばドラマを全く思い出さないってこともないだろうし、歌手麻薬逮捕されたことを連想したりすることもあるだろう。

コンサート熱狂した経験があれば歌を聴いたときによりエキサイトできるんだよ。

まあ私もコンサートは好きではないが好きな人がいるのは理解できる。

2024-12-09

anond:20241208220342

コピペ引用なのここまで明確に示してるのになんで内容の不満が俺に向けられてんだよ

だってけが多いなっておもったのによ

NHK朝ドラ 実在する人物を描いた作品一覧

1964年うず潮

作家林芙美子モデル

原作放浪記」「うず潮」など。

1966年おはなはん

原作者・林謙一の母、林ハナ(旧姓:深尾)がモデル

林謙一「おはなはん

1977年いちばん星

昭和流行歌手第1号で日本初のレコード歌手

佐藤千代子がモデル。「あゝ東京行進曲」が原作

1978年おていちゃん

女優 沢村貞子の半世紀。

沢村本人の「私の浅草」「貝のうた」が原作

1979年マー姉ちゃん

漫画家長谷川町子の姉、長谷川鞠子がモデル

長谷川町子の役は、田中裕子が演じた。

サザエさんうちあけ話」が原作

1981年本日も晴天なり

NHKアナウンサー作家近藤富枝モデル

1984年心はいつもラムネ色

上方漫才代表する漫才作家秋田實モデル

わろてんか」では藤井隆が演じている役。

秋田實関連書籍

1986年はね駒

女性新聞記者草分け、磯村春子モデル

1987年チョッちゃん

黒柳徹子の母、黒柳朝自伝エッセイ

チョッちゃんが行くわよ」が原作

1990年凛凛と

早稲田テレビジョン開発者川原田政太郎モデル

発明家でもあり、特許取得数は60にも及ぶ。

1994年春よ、来い

戦争を乗り越え、大学に進学し脚本家として成功した後、

最愛の夫を見送るまでが描かれている。

原作である脚本家橋田壽賀子モデル

1997年あぐり

美容師草分け的存在で、

女優吉行和子の母、吉行あぐりモデル

原作梅桃(ゆすらうめ)が実るとき

2000年オードリー

本作の作者である脚本家大石静モデル

DVD未発売。

2003年てるてる家族

作詞家作家なかにし礼の妻で、

女優いしだあゆみの実の妹、石田ゆりモデル

原作てるてる坊主の照子さん

2006年芋たこなんきん

ソフト化されていない。

小説家随筆家田辺聖子自伝ドラマ

田辺本人のエッセイなどが原案

楽天少女通ります私の履歴書

2010年ゲゲゲの女房

漫画水木しげるの妻、武良布枝モデル

原案は、妻布枝の自伝エッセイ

ゲゲゲの女房 人生は…終わりよければ、すべてよし!!」

2011年カーネーション

ファッションデザイナーコシノ三姉妹」の母、

小篠綾子モデル。「コシノ洋装ものがたり」

2014年花子とアン

児童文学翻訳で知られる、村岡花子モデル

村岡恵里(孫)「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」が原案

2014年マッサン

ウィスキー製造技術者ニッカウヰスキー創業者

竹鶴政孝とその妻リタ夫婦モデル

竹鶴夫妻 関連書籍

マッサンとリタ ジャパニーズウイスキー誕生

2015年あさが来た

炭鉱事業大同生命創業に参画、銀行女子大学

設立した女性実業家広岡浅子モデル

吉川智映子「土佐堀川 広岡浅子の生涯」が原案

2016年とと姉ちゃん

暮しの手帖編集者大橋鎭子モデル

大橋鎭子著書「「暮しの手帖」とわたし

2016年べっぴんさん

子供服を中心とするアパレルメーカー

ファミリア」の創業者のひとり、坂野惇子がモデル

坂野惇子著書「子供服にこめた「愛」と「希望」」

2017年わろてんか

吉本興業創業者吉本せいモデル

吉本せい関連書籍お笑い帝国を築いた女」

2018年まんぷく

チキンラーメンカップヌードル開発者で、

日清食品創業者安藤百福の妻、仁子がモデル

関連書籍チキンラーメン女房 実録安藤仁子」

2019年なつぞら

アニメーション時代考証担当した

アニメーター小田部羊一の亡き妻奥山玲子がモデル

漫画映画漂流おしどりアニメーター奥山玲子と小田部羊一

2019年スカーレット

女性陶芸家草分け神山清子がモデル

自然釉薬を使った陶芸第一人者

ドラマ内の陶芸作品は、神山から借りた作品

緋色のマドンナ 陶芸家神山清子物語

2020年エール

作曲家古関裕而とその妻で歌手金子モデル

古関著書「鐘よ鳴り響け」

2020年「おちょやん」

松竹新喜劇活躍した女優浪花千栄子モデル

関連書籍昭和日本笑顔にしたナニワのおかあちゃん女優

2023年「らんまん」

植物学者、牧野富太郎モデル

牧野富太郎関連書籍

2024年ブギウギ

ブギ女王といわれた歌手笠置シヅ子モデル

笠置著書「歌う自画像 私のブギウギ伝記」

2024年「虎に翼」

日本初の女性弁護士の1人であり、

初の女性判事及び家庭裁判所長の三淵嘉子がモデル

三淵嘉子関連書籍

2025年あんぱん」

漫画家やなせたかしの妻、小松暢がモデル

関連書籍アンパンマン誕生までの物語

2025年「ばけばけ」

小泉八雲パトリックラフカディオ・ハーン)の

妻・小泉セツがモデル

関連書籍思ひ出の記」小泉節子

2024-11-02

anond:20241102073629

若くて都会育ちの人かな

自分80年代まれで、中高時代にいくつかの田舎転入、そこでは流行歌デカ共通言語だった

知らないと同じ部族と見なされない(嫌がらせ妨害を受ける)ため死活問題

娯楽が少なく、多様性忌避する社会構造からそうなるっぽい?

逆に言えば、流行歌に詳しくアンテナ感度が高ければ、容姿コミュ力を問わず馴染めていた(※個人観測範囲

anond:20241101214902

流行歌やを好きになれないと支障出るような対人関係

興味ない、というかマイナスの興味かな。

「何聞いても興味がフラット苦痛なままだった」というのは同じ。

歌だけでなく野球サッカーなども。昔は聞かれなかった球団名、未だに覚えられない

覚える努力もしない

2024-11-01

anond:20241101121056

流行歌かな、あと野球

(みんなある程度知ってるもの、という前提で)

野球ルールすら知らない

流行歌は好きになれないと対人関係に支障出るから頑張って好きになろうとしたけど、何聞いても興味がフラット苦痛なままだった

2024-09-25

anond:20200806151101

「旅の恥は掻き捨て」にならんようにするマナー講座なんだから旅行のものが楽しくなるわけがないさ

ワイの高校なんか学年合同で一時限つかってグラウンド白線ひいて

なんちゅうのがあったぞ

そりゃ「先生貴方は、か弱き大人の、代弁者なのか♪」なんて流行歌があった時代だけど、とにかく学校教師がとことん生徒や児童を信用していなかったんだなぁ

2024-08-18

anond:20240818014806

しろ流行歌を作る側って30代くらいが中心じゃね?映像作品だと40代くらいになる。

10代のキッズ100%消費者マインドなのはまぁ仕方ないけど、30代で社会を作る側としての実感が無いのはちょっとヤバいよ。

時代の中心から離れていく

10代や20代の頃、自分たち社会の主役であることに疑いはなかった。

流行音楽映画テレビ番組は、すべて自分たちのためにあるように感じ、その中心に自分がいることが当然だと思っていた。

しかし、30代になり、その感覚は少しずつ変わっていった。

最近流行歌を耳にしても、歌われているのは学生時代青春の甘酸っぱい物語ばかりで、そこに自分の姿はもう見当たらない。

気がつけば、時代の中心は次の世代に移り、自分は少しずつその舞台から遠ざかっていく。

それが人生というものなのだろう。誰もがそうやって、自分時代を少しずつ手放していくのだ。

2024-06-12

好みじゃない流行歌は聞き返さないから時が経ってから偶然耳にすると当時の思い出や心の雰囲気の密封力がすごいな。気に入った曲は長く聞く分特定の時期との結びつきは薄れる感じ

2024-04-03

anond:20240403185236

近所の小学生たちがこの歌を合唱してて「バズる」を超えた流行歌になってることを実感したわ

2024-03-20

平成女が昭和アイドルに思いを馳せる

アイドルといえば、私(25歳女性)が小学生の頃にAKB流行っていた。

学校で嵐とAKB話題を挙げない日はなかった気がする。私もFCに入っていたとかではなかったけど、あっちゃんが好きでCD買ったり絶対Mステをチェックしていた。小学校卒業式では、AKB衣装風のブレザーとスカートを着た。

今考えると謎だけど、ハレの日にそういう格好をした小学生女子は多かった。体感で6-7割の女子は、近所のデパートで買ったよくわからんチェーンが腰に付いてるチェックのスカートと胸元の謎ネクタイという組み合わせだった。(セット売りだった)

今は大学生と同じく、はいからさんスタイルが主流らしい。絶対そっちの方がいいと思う。

大人になって、テレビが必需品ではなくなった。テレビ番組を観ることが少なくなった。逆にYouTubeなどの動画サイトを暇さえあれば開くようになって、ある日動画おすすめ欄に昭和の大アイドル松田聖子動画が流れてきた。ふーんって感じで動画を開いた。親がよく「赤いスイートピー」をカラオケで歌ってたか名前は知っていた。

で……気づいたら聖子ちゃんほとんどのシングル曲を聴いていた。歌っている動画を観あさっていた。(昔のオタクの皆さま映像を残してくれてありがとう

それでふと、昭和アイドルって凄いなーとしみじみ思った。備忘録として、私が思う昭和アイドルのすごポイントをゆるく3つ挙げる。




(1)歌うますぎんか?!?


けっして、今のアイドルが下手という意味ではない。

なのでこれは私の好みだが……なぜ歌が上手いと感じたのか少し解説したい。

専門家ではないので発声理論(?)はよく分からない。

けれど、昭和アイドル歌声は「ミュージカルの声」のような印象がある。音に芯があってお腹から出してる感じがする。対して、今アイドル歌声は「ライブハウスで聞く声」な印象がある。声の芯を残しつつ、喉で息をコントロールしている。(違ってたらすみません

歌唱の違いが生じたの理由の一つに、音響技術の向上がある。

昭和アイドル動画を観ると、マイク歌手の声を拾ってくれない場面がたまに見られる。きちんと音を届けるために、舞台に似た歌唱をする→その歌唱法が当時のトレンドとなったと思われる。

平成以降では、テレビコンサートで使うマイクは非常に高性能になった。生放送で観客に音が届くかを心配しなくなり、曲に合わせてさまざまに歌唱法を変えることが出来る→今の歌唱トレンド、となったのかな。

昭和的な歌い方は、それこそ某番組の歌のお姉さんが使っている歌い方で聴いていて気持ちがいい。歌声が伸びやかに聞こえる。

同時に、昭和的な歌い方で今の曲を歌うのはすこし難しいかな?とも感じる。感情の細かい機微などを早いテンポ表現するには向いてない歌い方かも知れない。


(2)ブリブリ衣装かわいい!!!


昭和 アイドル 衣装」と検索すると、パステルカラーの姫みたいなドレスを着たアイドル画像が沢山見つかる。もちろん他にも色々な衣装を着用していたのだが、私の中では昭和アイドルお姫様ドレスの印象が強い。

ドレスを着用するアイドルは今もいるけど、昭和ドレスはまるでリカちゃん人形衣装のような夢夢しいデザインで、はちゃめちゃ可愛い(例: 『センチメンタルジャーニー』の赤ドレス、『風は秋色』の白ドレスなど)

すこし表現を変えると、デザインがめちゃくちゃブリブリしている。フリルと大きなリボンハートが付いていたりして、いかにも母親世代が好きそうなデザインなのかも?

しかし、そのブリブリデザインが「夢の中にいる女の子」「手の届かないアイドル」のような雰囲気をうまく演出していると思う。

こういった衣装が好きかどうかも個人の好みによるけど、ブリブリドレス世代に関わらず全女児の夢だったと私は思う。大人になった今見ても、ときめいてしまう。

余談だが、80年代の後半になるとテンプレ的なブリブリドレスはほぼ消える。その後のバブル期のギンギラファッションも現在レトロブームとして再評価されている。

(3) バックミュージックが良き



令和の音楽番組と聞いてパッと思いつくのが「Mステ」だろう。昭和には「夜ヒット」「レッツゴーヤング」「ベスト10」など、さまざまな音楽番組があった。

また、今の「FNS歌謡祭」のような歌謡祭系の番組豊富新人歌手登竜門だったり、その年の流行歌手などが多く出演していたらしい。

こうした番組では生演奏をバックに歌っていたのだが、このバックバンド技術が凄いと思った。

音楽は好きだけどいうて詳しくないので、何がどう凄いかと聞かれると説明に困る。

レコードに収録されていないおしゃれアレンジ即興なのかはわからない)を後ろでブンブン演奏していたりすると生演奏っていいな〜と思った。

加えて当時(80sごろまで?)のバンドが使っていた楽器ピアノトランペットクラリネットサックスフォーンやウッド・エレキベース……etcクラシック楽器が多い。

なんだかディズニーシーにあるジャズバンドアトラクションみたいで、とてもオシャレだと思った。



おわりに

アイドル業界は激しい人気レースの繰り返しだと思うが、今も昔もアイドルは「選ばれし者」なわけで、貴重な若い時間を使って観客に夢を見せてくれた(くれている)アイドルは本当にすごい。

おニャン子クラブ以降のアイドルグループデビューが多いけれど

個人的な好みで、あややとか聖子明菜ちゃんとかピンで活躍した(している)アイドルが好きだ。

もしタイムマシンがあったら、80年代に行ってみたい。岡田有希子ちゃん河合奈保子ちゃんコンサートに行ってみたい。

2023-11-30

遺ったな

吉井和哉ラジオで「け~っていてき、チャンス!」「ア↑ドベンチャ~♪」ってメンバーの前で口ずさんでみんなで嗤ったとか、大阪フリーペーパー流行歌批評コラムに呼ばれた立花ハジメが「(何百曲分のストックあるとかいってるけど)あれはぜんぶ剽窃だよね~」て発言して、そのコラムがまとめられて出版された際にはその回だけカットされたとか

2023-11-14

anond:20231114135313

でもさあ、一昔前には一昔前のことを割と身近に感じてたわけよ

から一昔前にはふた昔前の流行歌が頻繁に流れてたりしてね

からふた昔前は一昔前なんだよ

2023-10-03

anond:20231002222659

なんで平成okなんだよ

平成中期末期生まれならまだまだ若いけど、初期生まれ人間はもう中年

そいつらが若い頃使っていた言葉も既に古臭いだろう

古い言葉面白いという感覚でいないと辛いぞ(音楽と同じだ。古くても良い曲はどの時代に聴いても良いものだし、陳腐流行歌懐メロとして楽しめるだろう)

昭和なんて1/3が「近代」だ。明治ほどではないが、大正と大差無い。その時代言葉なんて我々にとっては「ほぼ古文

そうやってどんな言葉も直ぐに「ものすごく古い言葉」になる

ものすごく古いものには「価値がある」と思われているんだから、古いものを徒に忌避するのは文化否定だよ

(中途半端に古い言葉は恥ずかしいという感覚は分かるが、人に「使うな」というわけにはいかない

そんなことを言うならば「駄洒落はやめろ」「下ネタやめろ」とかもokになる)

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