はてなキーワード: 朝鮮戦争とは
https://anond.hatelabo.jp/20200304115839
6年前、志村けんが亡くなる前にこの増田を書いた。結局これを書いても世間の対策は変わらず無事SARS大流行で世界は一度終わり再開したが、また死にそうになっているので筆をとる。
新型コロナや麻疹なんかより遥かに致死率の高いハンタウイルスがクルーズ船で発生してしまい、おまけに乗客の隔離措置も十分に行われないことが確定したので世界はまた終わります、という話。まだ元気があった6年前と違って長文を書く気力も無くなってきているので一次ソースのURLは各自調べて欲しい。
今回の増田で伝えたい要点としては、
の3点。Plague Inc.の最低難易度モードかな?というくらいノーガードで世界に拡散する事が決まったので来年の今頃は結構な人数が亡くなると思われる。
経緯が経緯だけに弱毒化とかそういうのも一切期待できないのでとりあえず滋養強壮で生存率50〜60%の可能性に備えるしか無い、と言うところ。
ハンタウイルスは大雑把に言うと2種類ある。朝鮮戦争などで流行り風土病と呼ばれていたもの。こっちは新型コロナのように「ただの風邪」くらいで収まる患者も多くあんまり危険じゃない。
もう一つはハンタウイルス肺症候群(HPS)を引き起こす凶悪なもの。こちらが今回流行っているもので初めて発見(同定)されたのは1993年と人類との関係がエボラよりも浅い新顔の致死性ウイルスだ。肺症候群というと咳とかそういうのを想像すると思うが、これは肺水腫を引き起こして患者が溺れたような苦しみを味わう。おまけに直接の死因は心臓がウイルスに侵される事による心原性ショックのため致死率がとんでもなく高い。上に書いたようにPlague Inc.だったら人類滅亡確定レベルのハイエンド症状だ。
通常のハンタウイルスはネズミのようなげっ歯類起源なので人から人へ感染拡大もしないが、今回のハンタウイルスは南米アンデス株なので人から人へも簡単に感染する。しかもコロナのような飛沫感染ではなく麻疹のような空気感染(不織布マスクでも防げないやつ)が確認されている。アルゼンチンで2018年に流行した際は村ごと隔離する事でアウトブレイクを抑えたが、それでも11人の犠牲者が出た。今回のアンデス株もアルゼンチン国内で死亡者が増えており、既に32人がここ1年で亡くなっている。
そんな南米発の激ヤバウイルスが何故今回クルーズ船で発生したのか。報道によると第一感染者は既に特定されており、3月27日にアルゼンチンに寄港した際にオランダの鳥類学者(死亡済み)がバードウォッチングのためにゴミ捨て場の埋立地に滞在した際に空気感染したらしい。都合良すぎるだろ洋画のアバンタイトルかよふざけんなよ。
なおこのハンタウイルス、タチが悪いことに潜伏期間が最長6週間あると確認されており本人も2週間後の4月11日に船上で死亡している。本人が高齢のためその時はハンタウイルスとは思われず自然死として扱われた。そして同室の妻も既に亡くなっている。ハンタウイルスはいつの間にか感染して周囲にウイルスを撒き散らしながら生存率50%の地獄の苦しみを味わうのである。センターマンがキレた時の必殺技か何かか?
そのためクルーズ船の乗客が既に世界に拡散されており、新型コロナが武漢で大流行した時よりも状況は既に悪い。しかしWHOは今もWHOなのでクルーズ船乗客の強固な隔離措置は推奨しない方針を既に出した。2020年1月にも聞いた言葉だ。
そんなこんなでいつ死ぬか分からないウイルスが世界に拡散されたので世界はもうダメです。ジョブズの言葉を最後に置いておきます。
地政学的な文脈で見るという前提ではありますが、朝鮮半島を舞台にした「大陸勢力 vs 海洋勢力」の衝突という構図は歴史の中で形を変えて繰り返されています。
朝鮮戦争を「第3次日清戦争」と捉える考え方は、歴史ファンの間でも一種のメタファーとして語られることがありますが、正確には「役者が入れ替わり、規模がグローバル化したアップグレード版」と言えるかもしれません。
いくつかのポイントで、その共通点と決定的な違いを整理してみましょう。
朝鮮半島は、大陸(中国・ロシア)にとっては「海への出口」であり、海洋勢力(日本・アメリカ)にとっては「大陸への足がかり」です。この「半島というチョークポイント」を巡る争いという点では、まさに日清戦争と同じ構造です。
※日本は直接参戦していませんが、米軍の「後方兵站基地」として事実上、海洋勢力側の不可欠なパーツでした。
一方で、朝鮮戦争には「日清戦争」という枠組みには収まりきらない20世紀特有の複雑さがあります。
日清戦争は「帝国主義的な利権と影響力」の奪い合いでしたが、朝鮮戦争は「共産主義 vs 自由主義」という、世界を二分するイデオロギーの衝突でした。単なる国の領土問題ではなく、「どちらのシステムが世界を支配するか」という聖戦の側面があったのです。
主役はあくまでアメリカです。もしこれを無理やり名付けるなら、「米中戦争の朝鮮代理戦争」の方が実態に近いかもしれません。
日清戦争当時は、朝鮮(李氏朝鮮)の意向は二の次で、大国が勝手に戦っている側面が強かったです。しかし、朝鮮戦争は北と南がそれぞれの正義を掲げて激突した「内戦」からスタートしています。ここに外部勢力が「介入」したという形です。
| 項目 | 日清戦争 (1894) | 朝鮮戦争 (1950) |
|---|---|---|
| 大陸側主役 | 清(中国) | 中国(義勇軍)・ソ連 |
| 海洋側主役 | 日本 | アメリカ(国連軍) |
| 日本の役割 | 当事者(プレイヤー) | 後方基地(サポーター) |
| 主な争点 | 朝鮮への宗主権・権益 | イデオロギー・冷戦の主導権 |
地政学の文脈では「朝鮮半島の支配権を巡る大陸と海洋の衝突」という歴史のテンプレートになぞらえられる朝鮮戦争は「第3次」に見えます。
ただ、日本が「戦う主体」から「アメリカの盾であり工場」へと変化したこと、そして核兵器の影がちらつく冷戦構造であったことを踏まえると、「日清戦争の皮を被った、実質的な第3次世界大戦の局地戦」と呼ぶのが、より現代的な解釈かもしれません。
自分は専門家でもないんですが、そもそも上陸作戦って大博打だし、これをやることによって決定打を与えることが出来るから、みたいな理由がないと駄目だと思うんですよね。
有名なノルマンディー上陸作戦にせよ、朝鮮戦争での仁川上陸作戦にせよ、「ここで成功させれば戦争の流れを決定的にひっくり返せる」という、かなりはっきりした目的があった。
だからこそ、膨大な犠牲とリスクを覚悟してでもやる意味があったし、これをやらなかったら、もう他に選択肢がないという追い込まれ方もしていた。
ノルマンディーでは、フランスに橋頭堡を作ることで西側からドイツ本土へ攻め込む道筋を開く、という明確なゴールがあった。
仁川では、釜山橋頭堡だけで踏ん張っていた情勢を、一気に逆転させるための一撃としてソウル周辺を押さえる、という狙いがあった。
どちらも、大きな見返りが具体的に見えていたからこそ、無茶をやった、という側面があると思うんです。
それに比べると、トランプ政権の対イランで語られるようなカーグ島やホルムズ海峡への軍事行動って、もし本当に上陸したとして、その先に何をどこまで達成するつもりなのかが正直よくわからないところがあります。
イラン政府に譲歩を強いることなのか、体制そのものを崩壊させることなのか、そのあたりの最終目標がはっきりしない。
目標がぼんやりしたまま、とりあえず重要そうな場所を押さえるという発想で上陸作戦まで検討するのは、本来の戦争を決定的に終わらせるための大博打としての上陸作戦とは、かなり性格が違うように感じてしまいます。
血バカについて思い出した。
千葉県か茨城県かで誘拐されてた幼女を俺が埼玉県あたりの家に連れ帰ったら、警察が俺を殺しに来た件の後日談の事。
あのあと、同じ犯人が同じ年齢の幼女を誘拐するのをいくつかの警察が捜査しようとして皆殺しにしたんだけど、
20人くらい皆殺しにすっきりしたと自供した最初の警察官について調べた。
その警察官は、てっきり俺が誘拐犯なんだと勘違いしたと嘘をついた。
その警察官に、捜査や本人について質問したが、本人に関する話の7割が嘘だった。
「活動家ですか?」と聞くと違うと嘘をついた。革マル派だったかどうかは忘れたが、国会に乗り込んでそれを聞いたので、当時の国会議員は全員それを知ってる。
名前を聞いたら嘘ではなかったが、「生まれた時からその名前でしたか?」という質問には「生まれた時は名前がない」と正直に答えた。
それで、生まれてすぐに届けられた名前か聞いたけど、はぐらかされるばっかりだった。
だから、「生まれた場所は韓国でしょ」って聞いたんだけど、「違う」て嘘をついた。
結局のところ、朝鮮戦争でスパイになって日本の警察官になった奴が、
誘拐事件をベルトコンベア式にやって、娘を人質に日本の会社の経営者を操ってるから経団連は人間のクズなんですよ。
「激しく戦ったから戦後に尊敬が生まれた」という説明は、一見それっぽく聞こえるけれど、日米関係の改善を説明する要因としてはほとんど根拠になっていない。
日米関係が戦後急速に改善した最大の理由は、冷戦構造の中での政治・安全保障上の利害の一致と、アメリカによる占領政策・経済復興支援だ。
日本はアメリカの占領下で政治制度・経済体制を再編され、同時にアメリカは日本を反共の拠点として再建する必要があった。
つまり、両国が関係を改善したのは「互いに尊敬したから」ではなく、「そうする必要があったから」だ。
そもそも、戦争で激しく戦ったから仲良くなるという理屈自体がかなり怪しい。
第二次世界大戦でも、ドイツとソ連は史上最大規模の死者を出す凄惨な戦争をしたが、その後に特別な相互尊敬が生まれたわけではない。
朝鮮戦争やベトナム戦争でも、激しく戦ったからといって相互理解や敬意が生まれたとは言い難い。
さらに言えば、「互いに死力を尽くしたから畏敬が生まれた」という発想自体が、戦争をかなりロマン化している。
実際の戦争は、兵士にとっても民間人にとっても、尊敬や騎士道が生まれるような場ではない。
飢餓、虐殺、略奪、空爆、捕虜虐待などが日常的に起きる極限状態であり、多くの場合に残るのはトラウマや憎悪だ。
日中戦争に関しても同じで、両国の歴史認識の対立は今も続いている。
「死力を尽くして戦ったからどこかで尊敬が生まれた」という説明は、現実の政治関係とも、歴史研究ともほとんど整合していない。
また、中国が近年の戦争で「圧倒的な格差で勝った」という前提もかなり雑だ。
中越戦争や朝鮮戦争などを見ても、中国軍が常に一方的な圧勝をしているわけではないし、むしろ多大な損害を出した例も多い。
結局のところ、その文章は
戦争を「全力でぶつかり合った者同士の理解」という物語で説明しようとしているけれど、
・安全保障
・経済
といった現実的な要因で決まる。
日米関係が改善したのも、日中関係が複雑なのも、そうした構造の問題であって、「互いに死力を尽くして戦ったから」という感情論で説明できる話ではないと思う。
平和主義者は、話せば判ると主張する。
相手にはこちらの主権や生命を尊重する気など無い可能性もあるのに、その可能性を考えない。
要は、『話しても分からない』レベルの多様性を認めていない。相手がこちらの権利を尊重し、こちらの言葉に耳を傾けるに違いないと考える。これは傲慢である。
私のようないわゆる右翼は、そんな期待はしない。他国が全力で国益を追求する可能性を当たり前と考える。『国益を追求した結果、日本から島を奪って泣き寝入りさせるのが最善という判断になりました』という結論を出させるわけには行かないのだ。戦力を持つというのは、『日本に割を食わせるのは国益につながらない』と算出させるのに必須であると考える。
そして、平和主義者はその辺を議論すると無理な理屈をひねり出す。
確かに戦略上は、相手が強くなりそうなら、相手が弱いうちに攻撃するのは理に叶っている。藪蛇になる可能性もゼロではないだろう。
しかし「だから武装を強化しない」というのは、相手を『他国が強くなりそうなら攻撃するような国』を想定しているのに、『そんな国が弱い国に何もしない』という無理な仮定を置いている。
侵略なんて、隣の国が土地を持ってるという理由だけで起きるものなのに。
南海トラフ地震に備えない人は馬鹿だ。それは可能性の問題でいつか起こる可能性が高いからだ。
しかし平和主義者は、可能性に備える事をしない。『何もしなければ何も起こらない』に全賭けするのだ。本人が賭けるだけなら勝手にすれば良いのだが、かかっているのは国民全員の命運である。つまり、私の命や財産も含まれている。
戦争に備えると戦争を招き寄せる、と言わんばかりのシャーマニズムみたいな平和主義に自分や家族の命運を賭けるなどまっぴらなのだが、備えろと主張すると戦争大好きな人非人扱いである。
他国が強くなりそうなら攻撃するような国に対して武装しないというのは、その支配を受け入れるという事なのに。
あげくの果てに『今までもこれで大丈夫だったじゃないか』と主張するのだ。『これ』の中には、東京のど真ん中に朝鮮戦争の国連軍後方司令部や第五空軍や第七艦隊が存在して米国の太平洋戦略の中核をなしているという現実もあるはずだが、多分こういう人達には、そういう世界最強国の軍事拠点ではなく、憲法9条を指して『これ』と言ってるのだろう。
国際環境はどんどん悪い方向に変わってるのに、『このままでも何も起こらないだろう』という読みというより願望に、他人の生命と財産を賭けさせようというのは、傲慢以外のなんだろうか。
これは、過去の話としてなら正しい
朝鮮戦争やベトナム戦争の時、アメリカの戦争に直接駆り出されずに済んだのは事実
当時のアメリカにしても、自分たちが押し付けた手前、日本の再軍備を強くは迫れなかった
それに、アジアの安定や「かつての敵国」が再び牙を剥くリスクを考えれば、あえて片務的な同盟を維持するメリットがあった
しかし、トランプ政権(あるいはその路線を継ぐ勢力)が登場した今、その前提は完全に崩れた
彼らは世界の警察官をやる気なんてさらさらないし、日本にも相応の「コスト」を求めている
この状況で「9条さえあれば平和が守れる」なんて、もはや通用しないのは火を見るより明らか
結局のところ、日本の平和を物理的に担保してたのは米軍の抑止力であって、9条は「アメリカに楯突かない誓約書」兼「面倒な戦争を断る口実」として機能してたに過ぎない
私は40代の氷河期世代で、湾岸戦争(1990年〜1991年)の記憶があるが、その時マスコミで「日本は金だけ出して人は出さない」と責められていたと報道されていたのをを覚えている。私はそれの何が悪いのか分からなかった。金を出しているならば十分ではないか、と。
アメリカを中心に組織された多国籍軍に日本の自衛隊は参加していなかった。
結果は多国籍軍の勝利に終わったが、戦死者は出ている。自衛隊が加わっていたら、ここに日本人も含まれていた可能性が高いだろう。
つまり、憲法9条は確かに、日本人の命を守っていたんだよ。「憲法9条で日本は守れない」は、派遣される自衛隊員の命を換算しない考え方だ。
自民党改憲案による9条改正によって、自衛隊員が海外で戦死する可能性は高まる。
憲法に自衛隊が明記されず違憲状態なのが可哀想だから明記してあげようという声は、一見優しいように見えて自衛隊員の命を考えない冷酷な意見だと思う。
結論から言うと、「この80年間、戦争が起きていない国は世界に9カ国しかない」という主張を裏付ける信頼できる一次情報は、検索結果からは確認できませんでした。
ただし、この話題にはいくつか背景があります。あなたのように比較制度や歴史のロジックに関心のある方には、むしろ「なぜこの数字が広まったのか」を読み解く方が面白いと思うので、少し丁寧に整理します。
実はこの数字は、学術研究や国連の公式統計ではなく、「独立後に一度も戦争を経験していない国」を数えた際に、ブログやSNSでしばしば引用される“俗説”の一つです。
しかし、どの国を「戦争」とみなすか、内戦・紛争・国境衝突・PKO参加をどう扱うかで大きく変わります。
例えば:
• 日本は「戦後80年戦争していない」と言われることが多いが、朝鮮戦争時に後方支援を行い、米軍基地が作戦に使われた事実がある。
このため、どの研究者も「世界で戦争をしていない国は○カ国」と断定するのは非常に難しい。
学術的な議論では、以下のような国が候補に挙がることがあります:
• ブータン
• アンドラ
• サンマリノ
• バチカン
• モナコ
ただし、これらも「80年間完全に戦争と無縁だった」と断言できるかは、定義次第で変わります。
「9カ国」という数字は、学術的に確立した事実ではなく、根拠が曖昧な俗説に近いと言えます。
ただし、