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2026-01-18

anond:20260118125353

続き

PSON PC-486SE

そのうち、世の中はウィンドウ時代突入し、パソコンも16ビットパソコンから32ビットパソコンへと移行していったのである。…といっても、ウィンドウズ3.1は、とっくに発売されていたが、ゲーム世界が未だにDOSベースだったので、それまでは何とかなっていたのであった。が、こう周りがウィンドウズだらけになってくると、流石に不安になって、DOSからの移行を考えざるを得なくなってしまったのであった。

上述のPC-286VEでも、ウィンドウズを試してみたことがあった。そのころは、ウィンドウズは3.0で、フロッピー5枚組という、今から考えればささやか構成であった。当時は、ウィンドウズ3.0対応ソフトほとんどなく、これは試してみるだけで終わったが。

実は、32ビットパソコンへの移行の際に、一つの考えがあったのである。つまりMacへの移行である。当時、Mac世界も変革の時期を迎えていたらしく、小さい筐体が却って可愛らしいマッククラシックカラーマック(多分これでいいんだよな…)が発売されると共に、通常のサイズマックも、そこそこの(ウィンドウマシンと変わらない)価格で発売されるようになっていたのである

しかしながら、相変わらずゲームユーザーであった私は、ゲームソフトのコーナーを一瞥して、やっぱりゲームはDOSベースが多い、とばかりに、ウィンドウマシンを選んだのであった。思えば、ここが運命の分かれ道であった。

まぁ、ウィンドウズがいいかマックがいいかは、今でも議論が分かれるところではあるが、このときマック選択していれば、今の私のパソコンライフは、かなり違ったものになっていただろうことは、疑いのないところではある。

で、購入したマシンは、16ビットに引き続き、EPSONの、いわゆる「ジャケットサイズ」(…といっても、今はもうLPレコードのものマイナー存在であるが…)の小さな筐体がウリのマシンであった。CPUは、486DXの廉価版の486SXで、クロックは20MHzだった、確か。この辺は記憶曖昧。120MBのハードディスクと8MBのメモリが付いていた。一応、ウィンドウズ3.1は動くというスペック

このPC-486SEは、当然のことながら、後にいろいろと手を加えた。

こんな具合に。

サウンドボード追加(メルコ製)

グラフィックアクセレータ追加(メルコ製、サウンドボードに装着するタイプ

メモリ8MB追加して16MBに。

ハードディスク中古で購入した340MBのものと交換。

CD-ROMドライブ追加(メルコ製のサウンドボードに直結のタイプ、2倍速)

オーバードライブプロセッサ(確かIOデータ製)追加して、CPUPentium 75MHz相当に。

ディスク圧縮ツールを購入し、340MBのハードディスクの容量を540MB相当に。

これだけの改造(とはいわないか…)を施し、やっとウィンドウズ3.1が快適に動作するようになったのだ。しかし何ですな、よくこれだけ発展性のない改造をやったものだと、我ながら思う。CD-ROMは、インターフェイスが専用なので使い回しができないし。

因みに、CRTは、グラフィックアクセレータを追加するまでは、8801の頃から使っていたNECのPC-854Nを使っていた。アクセレータ購入後に、CRTがマルチスキャン対応ではないことに気づき、CRTを買い換える。ソフマップブランドの、Susteenのものでした。安い割には結構画質が良かった。

ウィンドウズ3.1にしてからインターネット接続も始めた。最初は何がなんだか分からなかったので、接続ソフトは、取り敢えずインターネットオフィスという、パック品を使用接続は、スムーズであった。付属ブラウザは、今や懐かしい「モザイクであるモデムは友人から譲り受けた14,400bpsのものだったが、このころはこれで十分なのであった。

ホームページもこのころから作り始めた。かねてから懸案のFrank Zappaのページ作りを始めるに当たり、ジャケット取り込みのためのスキャナを購入。このころは、真裸婦ラットベッドの製品は非常に高価であったので、ハンディタイプのものを購入。LPジャケットを8回に分けてスキャンし、付属の合成ソフトで合成するという、涙ぐましいものであった。

このPC-486SEでも、ゲームはずいぶんとやった。でも、以前ほどたくさんはやっていないのだな。

同級生

上述したELFの「同級生」の続編。こちらの作品は、「兄と妹」という設定で大ヒットしたという記憶がある。前作のシステムやノリをそのまま引き継ぎ、内容をさらに充実させた、名作。

メルクリアスプリティ

ホムンクルス妖精)を育てて人間にするという、育てものゲームキャラデザが、イラストレーター中村博文(どじ)氏だということで購入。そこそこやったが、何故か私が育てるとみんな悪魔になってしまい、そのうち断念。

…印象に残っているのは、このくらい。この時期は、ゲームスパーファミコンを中心にプレイしていたような気がする。パソゲーが少ないのはそのせいかな。

自作DOS/Vマシン

さて、ここでウィンドウズ95の発売となるのだが、EPSONがEPSOパソコン対応ウィンドウズ95の店頭販売を断念し、注文販売だけにしてしまったので、これは先が無いことが判明してしまった。新規パソコンを買う予算も、早々には調達できない私は、しばし呆然とし、どうしようかと思いあぐねたのだった。

1.メーカー不詳MB

そのとき、天の導きかはたまた悪魔の誘いか職場の先輩から、1枚のマザーボードが私の下へ転がり込んだのである。この1枚のマザーボードを発端として、今に至るまでの私のパソコン自作時代パソコン大散財時代へと突入するのであった。

この譲り受けたマザーボード製作した最初システムは、以下の通り。

MB(Mother Board):メーカー不詳、P54C対応マザー

CPU:Pentium 120MHz

RAM:EDO-RAM 32MB(16MB×2)

HDD:Quantum FB1280(1.2GB)

SB(Sound Board):Sound Blaster互換バルク品

Graphic Card:Canorpus PW-3DV

FDD:Mitsumi 2mode

CD-ROM:Mitsumi バルク品、4倍速

以下は、PC-486SEのころのもの継続して使用している。というか、このころは、PC-486SEも併用して使っていた。

Printer:HP DJ-560

Modem:Microcore 28.2kbps

CRT:Susteen 15inch

とにかく安く上げようとして組んだ結果がこれである。ま、最初にしては上出来だったのかもしれない。

確か、このシステム半年くらいは稼働させていたと思う。

2.GIGA-BYTE GA586HX

で、そろそろこのシステムでは物足りなくなり、もう少し上のシステムに組み替えようと思い立ったわけである

さらに、ホームページ作りに役立てようと、スキャナを購入したのも、このころかな。

MB:GIGA-BYTE GA586HX

CPU:Cyrix PR166+ (Clock=133MHz)

RAM:EDO-RAM 64MB(16MB×4)

HDD:Quantum FB1280(1.2GB)

SB(Sound Board):Sound Blaster互換バルク品

Graphic Card:Canorpus PW-3DV /VRAMを4MB増設ビデオキャプチャ機能増設

FDD:Mitsumi 2mode

CD-ROM:Mitsumi バルク品、4倍速

SCSI:Tekram DC-390

Scanner:EPSON GT-5000wins

Printer:HP DJ-560

Modem:Microcore 28.2kbps

CRT:Susteen 15inch

MBにGIGA-BYTEを選んだのは、メーカー名が気に入ったのと、当時大攻勢だったASUSのものは使わないというコンセプト(?)からである。それと、SIMMのスロットが6本あるというのも、魅力であった。結局、SIMMは4本しか使わなかったが。これは、RAMマッピングするTAG RAM増設億劫がったためであるTAG RAM増設しないと、64MB以上のメモリ空間に対してアクセスが遅くなり、全体的にパフォーマンスが悪くなるらしいのだ。

さらに、このシステムに対して、CD-Rドライブ増設ヤマハのCDR-400t-VKである。I/Fは、SCSIである。このころから音楽製作関連にも大散財時代が訪れたのであった。

CD-Rを使って、現在も続いているPSY-DOLLというバンドCDを焼きまくったのであった。当時は、CD-Rの原盤の質もそれほど良くはなく、結構エラーが発生して板を無駄にすることが多かった。

この後、システムは急速に変遷を続け、私は、大散財を続けるのであった。

1999/05/05現在システムは、下記の通り。

MB:DCS S7AX

CPU:AMD K6-2 400MHz

RAM:DIMM PC-100/CL2 192MB(64MB+128MB)

HDD:Quantum FB CR8(8.4GB)

SB:Sound Blaster Live!

Audio Card:emagic Audiowerk8

Graphic Card:Creative Labs Graphics BLASTER/RIVA TN

CD-R:YAMAHA CDR-400t-VK

CD-ROM:Mitsumi バルク品、4倍速

FDD:Mitsumi 2mode

SCSI:Adaptech AHA-2940AU

Scanner:EPSON GT-5000wins

Printer:HP DJ-560

Modem:AIWA PV-BW5605

DISPLAY:MITSUBISHI RDT141X(LCD)

PC履歴(~1999年

フォルダを漁っていたら、1999年5月に書かれた、自分PC履歴が発掘されたので、貼り付けてみる。

特に面白いものではないけども。

私のパソコンHistory

なんだかんだ言って、私がパソコンを使うようになってから、10年近く経ってしまったのであるプログラムを組んで実行できる最初マシンは、高校ときに購入したCASIOのプログラム電卓FX-502Pであるが、これはあくま電卓であり、パソコンとは多少趣を異にするものであった。

パソコンとして最初に購入したのは、NECの8ビットマシンPC-8801MA2であり、完全なるゲームマシンであった。以下、16ビット時代突入してEPSON PC-286VE、32ビットマシンのEPSON PC-486SEと続き、とうとう自作DOS/Vマシンをメインのマシンにするようになってしまうのであった。

これから、私のこのしょ~もない足跡を辿ってみたいと思う。PC-8801MA2~PC-486SEの項には、そのときハマったゲーム感想なども記してある。暇な方はこちらもどうぞ!?

そもそもの始まり

小さい頃から電気電子関係が好きで、親にマイキット(パネル上にトランジスタとか抵抗コンデンサなどが並べられており、スプリングになった端子にコードを挟んでそれらを繋いで回路を作る)や電子ブロック(透明なブロックトランジスタ抵抗などが入っており、ブロックボード上に配置して回路を作る)などを買ってもらい、それでラジオなどを作って遊んでいたのである。マイキットでラジオを作り、夜中にこっそりと深夜放送を聞いていました。(^^;

アマチュア無線免許なども取ってみた。

因みに、私がアマチュア無線免許を取得したのは、小学生ときである。これは、ちょっと自慢してもいいと思う。

当時、「初歩のラジオ」とか「ラジオ製作」、「電波科学」などの雑誌をよく読んでいたのだが、流石に、中学生の私にはディジタル回路は難しく(というよりも、何をするためのものなのか、イマイチ理解できなかった)、ボードマイコンTK-80などに手を出すには至らなかった。

まぁ、何しろ当時は、マイコンといっても論理回路動作から入る必要があったので、当然といえば当然であろう。

カシオ FX-502P

そして、関数電卓などをいじくり、「このキーとこのキーを同時に押すと変な表示になる!?」などと遊んでいた私が、最初に手にしたコンピュータらしきものは、カシオプログラム電卓FX-502P」である

これは、512ステップまでのプログラムが組めるというもので、ちゃんと「GOTO」キーや「GOSUB」キー、「LABEL」キー、条件判定を設定するキーなどが用意されていて、結構本格的なものでした。レジスタも10個使えた。ランダムに数値を出力するキーも付いていたな。

プログラムライブラリ(本ですが)なども付いてきていて、掲載されている通りに打ち込むと、科学計算をやったりゲームなどを楽しむことができた。もちろん、プログラムを外部に記録しておくこともできたのだ。オプション必要だが(買った)、普通ラジカセなどを使ってカセットテーププログラムを記録するのである

あと、FX-502Pでは、キーに4分音符や16分音符などが割り当てられていて、短音だが楽曲を打ち込むこともできた。上述のオプションを利用して、ラジカセなどで鳴らすのである

因みに、このFX-502Pは未だに現役で動いてます

NEC PC-8801MA

学生時代は、ビンボーだったせいもあって、パソコンには縁がなかった。友人宅でシャープのTurboIIIなどでゲームをさせてもらうのが関の山なのであった。

で、就職して最初に購入したパソコンが、NECの8ビットパソコンの最終形態ともいうべきPC-8801MAである

当時は、既に16ビットパソコンPC-9801Vm2なども発売されていたのだが、私の選択したのは8ビットマシンの「ハチハチ」なのであった。何故か?

それは、パソコンゲームがしたかたかである。当時は、違法行為に限りなく近いレンタルソフト屋が横行していて、ゲームソフトなどが比較的安い価格で入手できた(ソフト毎のパラメータファイルコピーを行うFile Masterは必需品)。また、ゲーム市場も8801主体であって、9801用のものはごく少なかったのである

とにかく、とても全部やりきれないくらい、ゲームを借りまくった。

その中で、印象深いゲームを、記憶を頼りに書き綴ってみよう。

マイト・アンド・マジック

何を隠そう、私が8801を購入して、最初に買ったゲームがこれである。何で、最初からこんなに難易度の高いゲームを、と疑問を持つ向きもあろうが、要するに、当時はパソゲーなるものが全く分かっていなかったのであるしかも、あろうことか、購入時には、アクションRPGの先駆け的存在であるソーサリアン」とこの「マイト・アンド・マジック」を天秤に掛けていたのである

世間では、「クソゲー」との評価一般的であるが、私は、このゲームは名作であると信じている。とにかく、世界存在していて、プレイヤーはその世界に住むところから始まるのであるストーリーは、最初は与えられず、発見したものけがストーリーに参加できる。しかし、ストーリーに参加しなくても、とにかく世界が広大・深淵なので、アイテム探しやダンジョン探検だけでも、十分堪能できる。私は、後述する16ビットパソコン時代まで、約3年以上もこのゲームにお世話になったのである

アンジェラス

ドラクエシリーズで有名なエニックスアドベンチャーゲーム(AVG)。

不気味な感じが大変心地よい秀作。本作では謎を残したまま終結し、後に「アンジェラス2」が発売されるが、時期を完全にはずしていたし、余り面白くなさそうだったので私はやっていない。

水龍士1,2

今はHゲーのメーカーになってしまった、しゃんばらのRPG。私の大好き(だった)漫画家松田紘佳がキャラデザ他を手がけている。音楽もこの人だったな。もしかすると、「2」は後述のPC-286VEでプレイしたのかもしれない。海が舞台の、異色のRPG。とにかく海なので、3次元的に自在に移動できるのがミソ。階段を使って他の階へ移動する一般的ダンジョンとはひと味違うのである

ストーリーも大変感動的なもので、キャラデザも秀逸であった。

ただ、惜しむらくは、これは私がコピー品でプレイしていたから良くないのであろうが、2作ともエンディングを見れなかったことだ。

1作目では、「ピー」とビープ音がしてゲームハングアップ。2作目では、たぶん最終場面であろう画面から1歩も進めず、アウト。

今あったら、正式に購入して再度挑戦してみたいゲームではある。

カオスエンジェルス

かのアスキーが発売していた、Hゲー。ダンジョンを歩き回るRPGである

このゲームは、とにかくノリが非常によく、テンポが軽快で楽しいゲームであった。ゲーム自体は、6階+αの「ウロボロスの塔」を探検して、秘密を探るというもので、出てくるモンスター女の子で、ダメージを与える度に女の子が1枚ずつ服を脱いでいくという、他愛もないものである

このゲームをして最初に驚かされたのは、グラフィックの描画の早さである何だかんだ言っても、8ビットパソコンであるので、当時のゲーム特にグラフィックを強調したゲームでは、描画に恐ろしく時間がかかった。一枚の画像を出すのに数秒、ひどいものでは、数十秒、なんていうのもあった。

そんな中で、この「カオスエンジェルス」は、とにかく、一瞬で画像が描き換わった。これは、当時ではとても新鮮なことであった。

また、そのBGMもとても斬新で、簡単なFM音源を使いながら、とてもハイセンス雰囲気を醸し出していたのだ。音楽の秀逸さでは、水龍士といい勝負かもしれない。

しかし、このゲームの最大のポイントは、「洒落っけ」にあると思う。ダンジョンの壁に、前に探検した人の落書きがあって、これがまた奥が深く面白い。この落書きゲームのヒントにもなっているのだが、関係のない落書きもあって、これを探すだけでも、結構楽しめた。

うる星やつら」のゲームタイトル忘れた)

当時、特にスタジオピエロ系のキャラクターものゲームを数多く出していた、マイクロキャビンのAVG。マイクロキャビンでは、この後も、「めぞん一刻」や「気まぐれオレンジロード」などのキャラゲームを続々と発売していた。

このゲームは、少年サンデーに連載されて、アニメ化もされ一世を風靡した、高橋留美子の同名の漫画うる星やつら」をゲーム化したものである

ゲーム内容は、確か、面堂家の誰か(終太郎か、了子か、どっちか忘れた、たぶん了子だ)の誕生日に招待されたお馴染みのメンバーが「迷路」を探索しながらゴールにたどり着くというものである。何かのイベントを経る毎に、時間が経過していき、それにより結果が変化するというのと、途中の行動で結果が変化するということで、数種類のエンディングが用意されていたように思う。

マルチエンディング時間概念は今でこそ珍しくもないが、当時では結構画期的なことであったのだ。

リップスティックアドベンチャー

フェアリーテール(ELF)の伝説的名作AVGである。確か「2」もあった。フェアリーテール(ELF)のAVGは、何かこう、独特の雰囲気があって、それが私は非常に気に入っていた。なんていうか、どことなく寂しげな感触というか、ちょっと空虚な感じとでもいおうか。キャラクターや展開、秀逸なBGMなどが、この雰囲気を醸し出しているのだ。

フェアリーテール(ELF)のAVGは、この他にも相当やった。「ELLE」なんかは、最後どんでん返しが強烈でした。

そのほかにも、いろいろゲームはやったが、とんでもねーゲームを一つだけ…

番外:世紀末美少女伝説

これは、要するに当時大流行の「北斗の拳」のパロディーHゲーである

ゲーム内容がくだらないのもさることながら(あまりにくだらなすぎて、ケンシロウのようなキャラが出てくること以外、忘れた)、その作りがとにかく凄い。

これは想像だが、このゲームは、おそらくN88-BASICで組まれている。なぜなら、まず、ストッキーゲームが止まってしまう。そして、そのとき、画面の左上隅に「>C^」が出る(分かる人には分かるね!?)。

そして、NECの8801,9801シリーズパソコンには必ず付いていた、画面のハードコピーを取るキー「COPY」を押すと、押したときに表示されている画面をプリンタ印刷することができる。

なんか、「流行から適当に作って一発当てよう」という意図の見え見えなゲームでありました。

PSON PC-286VE

…そうこうしているうちに、8ビットパソコンは衰退し、ゲームソフトも発売されなくなって、世の中は16ビットパソコン時代へと、大幅に突入したのだった。

そこで購入したのが、NECではなくて、EPSONのパソコンなのである。ここいらへんに、私の偏屈さがにじみ出ていますね~。(^^;

パソコンに金をかけだしたのも、このころからである。…まぁ、8801じゃあ、金をかけようにもかけるところがないですが。(^^)

先ずメモり。1MB(!)のメモリを積んだ。

今ではもう信じられないが、当時は、1MB/1万円がメモリの相場であった。しかも、メモリをパソコンに組み込むには面倒な設定がいくつも必要で、さらに、汎用のスロットを一つ占有してしまうのだった。また、今でこそ、SIMMとかDIMMとかいって、大容量がコンパクト収納されているが、当時は、たとえ1MBでも、12cm角くらいの基板にチップがびっしり載っていたのだった。

それでも、1MBあると無いとでは、雲泥の差があった。

そして、ハードディスク。奮発して40MB(!!)を買った。

これも、今ではもう信じられないが、当時は、例えば40MBで8万円位した。しかも専用のインターフェイスが要る。これでまたスロットが一つ埋まったのであった。

でも、当時のソフトは、40MBでもお釣りが来るくらいの容量だったんだよね~。

あと、このマシンからパソコン通信を始めた。当然NIFTY Serveから

当時は、WTERMを使い、通信速度も2400bpsであった。50kBの画像ダウンロードするのに何分もかかり、さらにその画像を表示するのに何分もかかった。大変な時代であった。

このPC-286VEは、後に友人の手に渡り、そこでVRAM異常が発生してお亡くなりになってしまいましたとさ。合掌。

このマシンでも、ゲームはずいぶんとやった。中で、印象深いものをいくつか紹介しようと思う。

マイト・アンド・マジック

上述したものと同じである。当然、続きではなくて、新規に始めた。やはり8ビットのものと比べて速い。何しろ、8ビット版は2DDのディスク4枚組で、地上、ダンジョン、城、と場所を変える度にディスクの入れ替えが必要だった上、そのたび毎に、システムディスク書き込み(1分くらいかかった、マジで…)をしていたのだ。それがなくなっただけでも、快適である。ただ、8ビット版の頃はあったBGMがなくなってしまったのは、ちょっとしかったが。

プリンセスメーカー

いわゆる「育てゲー」の元祖存在

なかなかハマった。各エンディングも味わい深いもので、30数種類あるといわれているエンディングを20数種類まで見て、飽きてやめた。プリンセスと謎のエンディングは見ていない。けど、いいや。

ドラゴンナイト1~5

これもELFのゲームで、RPGである

「1」と「2」は、3Dダンジョンもの。当時は3Dダンジョンでさえ珍しかったのに、Hゲーで3Dダンジョンというのは、相当なインパクトがあった。ゲーム的にもよく練れており、ダンジョンの仕掛けも良くできていた。Hゲーという観点排除して、単にゲームとしてみた場合に、非常に完成度の高いゲームであった。

「3」は、確かドラクエタイプの2DのRPG。「4」は、ダンジョンに戻ったのだっけかな?この辺はあんまり印象にないのだな。「5」は、私の大嫌いなシミュレーションで、遂にエンディングを見ることができなかった。…と言うよりは、途中でつまんなくって止めた。「4」と「5」は、多分、後述のPC-486SEでやっている。

同級生

これは、今更説明するまでもない、ELFが世に放つ名作中の名作。このゲームが今までのゲームの流れを一気に変えたといってもいいでしょう。味のあるキャラクタ(しか大勢!)に、深みのあるストーリー。それぞれが練りに練られたマルチエンディング。とってもシビア時間概念。所持金の存在も内容に深みを与えています

さらに、複雑なフラグ制御がすばらしい。よくあれだけの条件設定をして、ゲーム破綻しないものだ。

そして、何より高校最後夏休みという、絶妙のセッティング

とにかく、この「同級生」は、何遍やっても違った展開になるし、違った楽しみ方ができるゲームという、画期的ゲームでした。

このゲームは、マニュアル本見ない方がいいと思う。

後に「2」も出て、共通するキャラクタも出演している。私は、「2」は後述する32ビット版でやったのだけれど、その面白さは全く失われてはいませんでした。恐るべし、ELF。

PSON PC-486SE

そのうち、世の中はウィンドウ時代突入し、パソコンも16ビットパソコンから32ビットパソコンへと移行していったのである。…といっても、ウィンドウズ3.1は、とっくに発売されていたが、ゲーム世界が未だにDOSベースだったので、それまでは何とかなっていたのであった。が、こう周りがウィンドウズだらけになってくると、流石に不安になって、DOSからの移行を考えざるを得なくなってしまったのであった。

上述のPC-286VEでも、ウィンドウズを試してみたことがあった。そのころは、ウィンドウズは3.0で、フロッピー5枚組という、今から考えればささやか構成であった。当時は、ウィンドウズ3.0対応ソフトほとんどなく、これは試してみるだけで終わったが。

実は、32ビットパソコンへの移行の際に、一つの考えがあったのである。つまりMacへの移行である。当時、Macの世界も変革の時期を迎えていたらしく、小さい筐体が却って可愛らしい Permalink | 記事への反応(1) | 12:53

2025-12-04

自炊予定調和でつまらん、と女性に言われたら、おまえは涼宮ハルヒか?みたいに思ったり…😟

原作ちゃんと読んでないのであれだけど、冒頭で未来人とか異星人とか言ってるけど、

それって、そもそも、くれくれくんじゃん…😟

自分から、ワクワクを取りに行こうとしてない…😟

クワクが来ないから、つまらん!

じゃなくて、ワクワクが欲しいか海外行ったり、宇宙行ったり、深海行ったりするんだし、

金のない自分ネットとかgithub徘徊するのは、ワクワクするなにか、落ちてないかなあ、と思ってるからなわけで、

何も起こらない!つまらん!というのは、単なる、くれくれくんだよね…😟

終わりなきつまらない日常ハルヒも生きてるんだろうし、みんな日常がつまらないと思ってるけど、

まらないと思うんだったら、今からインド行ってくるわ、とか、アフリカちょっとライオンと格闘してくる、とか、

今の日本なら、北海道とか東北に行けばクマに遭遇できるよ、という話なわけで…😟

でも、涼宮ハルヒがくれくれくん、つまりアクティブなようでいながら、

なんだかんだ学校に来る、くれくれくん、じゃなかったら、物語が成立しないんだよね、当たり前だけど…😟

ハルヒは結局、神さまであって、彼女妄想現実世界を改変しているわけで、

彼女が本当に行動的なら、まず、学校に来ないと思うんだよね、いきなりステーキ、いきなり不登校…😟

で、インド行ったり、アフリカ行ったり、東南アジア沈没して、同じヒッピーバックパッカー結婚して、

って、昔、どっかで見た女性の話だな…😟

まあ、それがハルヒレベルだと、映画コンタクトみたいに宇宙に行こうとかなるのかもしれんけど、

一般市民としてはそこで限界で、前澤なんとかみたいに札束宇宙に行くことも凡人には不可能なんで、

そこからLSD使って、人間意識拡張できるとか、ドラッグの力で脳内モデム形成できるとか、

インターネットドラッグカルチャーの影響を強く受けているとか、

そういった妄言に繋がっていくだけなので、ここでこの話はおしまいです…😟

2025-10-07

anond:20251007102226

「ピ~ヒョロロ~」はアナログモデムでは? Hayes とかの。

ISDNデジタルで黙々とやり取りしてたぞ。

2025-08-30

プログラマーって別に稼げる職業じゃなかったんだよ

プログラマーって聞くと今の若い人は稼げる業種って思うかもしれない。でも昔は、そのイメージとはまるで真逆だったんだよ。

90年代初頭、日本バブルの余韻が残ってたけど、IT業界なんてまだオタクの延長みたいに見られていた。NECPC-9801シリーズオフィス定番で、OSMS-DOS 3.3とか、その後にWindows 3.1が出ておお、マウス操作できる!なんて騒がれていた時代だ。

もちろんインターネットなんて一般にはまだ普及してなかった。せいぜいパソコン通信ニフティサーブPC-VANアスキーネット回線速度は2400bps。ピーヒョロロっていうモデム音が夜中の住宅街に響いていた。

俺らはそういう環境C言語アセンブラを叩いてたんだ。コンパイル時間がかかるからトイレに行って戻ってきてもまだ終わってなかったりした。

今みたいにGitHubコードを共有なんて夢のまた夢。ソースのやり取りはフロッピーディスクで手渡しだ。5インチのぺらぺらのやつな。運が悪いと磁気にやられて一発で飛ぶ。だから俺たちはよくフロッピー神社に参拝とか冗談言ってた。

当時のプログラマー給料なんてひどいもんだよ。

正社員手取り20ちょっと下請けフリーランスだともっと安い。今でいうSESの走りみたいな人売りも普通にあった。客先常駐COBOLやらされてバグが出れば徹夜オフィスに寝袋持ち込んで、カップヌードル缶コーヒーの山を築く。徹夜明けに食う吉野家の牛丼が唯一のご褒美。今みたいにエンジニア市場価値が高いなんて考え方はなかったからな。ただの駒だよ。

バブル崩壊後はさらにひどくなった。

仕事は増えるのに単価は下がる。Windows 95の発売で世の中はインターネット元年なんて浮かれてたけど俺たちプログラマー現実は泥臭いコード修正の山。Visual Basic 6.0やDelphiが出て「これで開発効率が上がるぞ」なんて言ってたが、結局は納期に追われるだけ。SunJavaが登場したときも「Write once, run anywhere」なんて夢を見せてくれたけど、実際には動かないアプレットと格闘する日々。

Linuxが台頭してきたのもこの頃だ。

SlackwareRed Hat Linux 5.2をCD-ROM雑誌付録で手に入れて、夜な夜なインストールに挑戦。LILOがうまく動かなくて起動しない、ネットワークカード認識しない、X Windowが真っ黒。そんな壁に何度もぶつかっては2ちゃんねる(当時はまだ草の根BBSが多かったが)やUNIX USER誌を読み漁って解決する。それが楽しくて仕方なかった。でも金にはならなかった。オープンソースに貢献しても無償善意で済まされるだけ。Red HatMySQL ABが上場するまでは、ただのボランティア活動と見なされてた。

今思うと、あの頃は純粋だった。

技術のものが楽しくて、ASCIIOh!Xを小脇に抱えて徹夜コードを書いた。秋葉原ジャンクパーツを漁って自作PCを組み立ててベンチマーク数字一喜一憂した。

飯代を削ってもSCSIハードディスク投資したし、月刊アスキー付録CD-ROMに入ってたシェアウェアを片っ端から試した。儲けようなんて意識はなかった。ただ、面白いものを作りたかった。

それが今じゃITは完全に拝金主義コードの美しさより投資家の顔色を見てる。エンジニアもどこが年収いかばかりで、言語フレームワークを選ぶ基準が金になっちまったPython流行るのもAIブームに便乗してのことだし、ブロックチェーンやNFTなんかバブルがはじける前提のネタ探ししか見えなかった。

もちろん、技術商業化されて豊かになった面もある。AWSGCPのおかげで誰でも世界規模のサービスを立ち上げられるようになったし、GitHubDockerで開発環境も夢みたいに便利になった。だがその一方で楽しいからやるという純粋さはどこへ行ったんだろう。GitHubの草がどれだけ生えてるかが採用基準になる時代Qiita記事投稿するのも、技術共有じゃなくて転職市場でのポイント稼ぎ。

あの頃には確かに、金ではなく面白さに突き動かされる熱があった。それが今は金の匂いに上書きされてしまったように感じる。

プログラマーって、本当は稼げる職業じゃなかったんだよ。

でも稼げなくても、やる価値があった。

今の若いエンジニアたちにその気持ちがどれだけ伝わるかは分からない。

当時「Hello, world.」と表示されるだけのプログラムに、30年前の俺は心を震わせていた。

その震えを知っているからこそ、今の金の匂いにむせ返る業界がどうにも虚しく見えてしまうんだ。

2025-07-27

nvidia(CUDA)を倒せたのは2022-2023年ラストチャンスだったのでは説

もし、昔のyahooBBモデムみたいに、2022-2023年GPU開発者コミニティにタダで配りまくっていたら、nvidia(以降 NVDA)に勝てていた可能性を考えた。

NVDAの強さはCUDAにあり、CUDA利用者が多いからpytorchをはじめとしたライブラリがより最適化されていることにある。

ではこれをひっくり返すことはできなかったのか?

これまでなんどかそのタイミングはあったが、そのラストチャンスは2022-2023年だったと思う。

2022年はstable diffusionが出た年だ。

AIで"実用的"なエロい絵が描けるようになったのだ。

そして、当時のPCで使えるハイエンドGPUは数万円程度。

もし、この波にうまく乗って、GPU開発者コミニティにタダで配ることができたら、巨大なコミニティを作れていた可能性が高い。

エロの力は偉大である

もちろん、これでエロい絵を描いて(*´Д`)ハァハァしろなんてことは一切言わないし、言えない。

ただ、最先端AIを君も体験してみよう!とかのキャンペーンとして配る感じだね。

それで無視できない規模のユーザを獲得できれば、そのGPU処理系に対して、pytorchを始めライブラリバックエンド最適化する強い動機を与えることができるだろう。

仮に売値5万円のグラボがあったとして、製造原価は半分の3万円ぐらいとしましょう。

広告予算30億円だったとして、10万台のグラボを配れることになる。

10万人のユーザーの需要ドンと生まれれば、最適化圧力をより強く与えられると思う。

申請ベースで配るので誰にでも配るわけではない。優先的な配布先は技術者コミニティリーダーかになるだろう。残りはランダム抽選かな。

もし予算が300億円なら、100万人の需要を買える。

無視できない規模のユーザ数を持つことが何より大切だし、エロという最適な材料もある。

結構いいところまでいけたのではないかなあ。

これが2024年に入ってしまうと、データセンターの方が主戦場になってしまい、GPU価格めっちゃ高騰するので配るのはもう無理である

仮に配ったとしても、専用の冷却システムがないと動かせないだろう。

また、画像生成よりもはるかに重たいLLMが対象になるだろうし、ちょっと無理だと思うんよね。

したがって、CUDAを倒せていたラストチャンスは2022-2023年あたりがラストチャンスだったと思う。

2025-07-17

電話営業テレアポについて

私は田舎零細企業(建築系)に勤務している。

当然のごとく「電話を取るのは新人仕事」という考えが根付いている。新人が入ってこないためかれこれ5年は電話番をしている。

最初の頃は、電話営業テレアポと本当に必要電話の違いが分からなくて、怒られたものである

これから電話番をする人は参考にしてほしい。

PR会社

社長インタビューしたいと、メディア名で名乗ってくる(当然つながない)。

そのwebメディアだが、知名度は無いに等しく誰が見るのだろうかというレベル。得意そうに腕を組んだ社長(中小)の写真と簡潔なインタビュー掲載されているだけである

もはや社長商法に引っかかった気の毒な経営者被害者名簿である

人材採用業界

この業種からは本当によく電話がかかってくる。下手したら毎日レベルである

この無駄電話を掛けてくる人間生産性のある仕事就業させたら、人手不足は解消するのではないだろうか。

インチキ電力営業

計測方法が変わったため、メーターを変えると安くなるとかアヤシイ営業をかけてくる。

本当に計測方法が変わるとしたら、単位基準法則が変わるという事に等しいので、大きなニュースになるはずである

東京電力関西電力を名乗ってくる。電気設備点検が口実のバージョンもある。

内容がほとんど同じで、光回線バージョンもある。

これもモデム(光はそもそもONU)や固定電話を変えると料金が安くなるなどと言ってくる。

NTTを名乗ってくるので注意。

●MandA編

本音を言うと、高齢化した社長と、引き継ぐ予定の馬鹿息子の事を考えると、もっと大きな企業に買収してもらいたいくらいである。

断っても時間を置いてかけてくるので非常に迷惑である

2025-05-22

anond:20250521191141

ごめんタイトルしか読んでないけど、ADSL普及させるためにモデム無料で配った経営センスはやっぱすげーわ

2025-02-23

モデムルーター接続をCAT5からCAT8にした

今まで家のWifi遅いなーと思っていたけど、古いケーブル使っていたのが原因だった・・・

今まで5Mbpsとかだったのが、90Mbpsとか出て感動した。

2025-01-29

anond:20250129144751

USB接続FAXモデムもあるやで。

前に、FAXしか注文受け付けてくれないObento屋さんに社内システムで注文取って自動的FAXする仕組みを作ったときつこた。

って、今見たら15年ぐらい前だったわ。もうまぢヤンキー役所野蛮すぎFAX滅べ

あーもう、やりたくねえっす(時差待ち)

2025-01-24

Twtter画像出るの遅すぎ

モデム使ってんのかよ

2024-12-14

三大、孫さんの実績

WindowsOfficeを普及させて日本OA生産性を上げた(ソフトウェア

ブロードバンドを半額以下にしてモデムを配って高速回線を普及させた(通信

Appleを救ってスマホを普及させた(デバイス

ARM買収と成長に成功してCPU歴史に一石を投じた(プロセッシング)

AI啓蒙おじさんと化して人類進化に貢献する(人工知能)New!

あとひとつは?

2024-11-22

あ、Win10の💻️がWi-FiダメになってLANケーブルモデムルーター?のどっちに差すといいの?問題ルーターのほうに差し解決しました!てか型番うちこんで検索したらモデムじゃなくて光通信ONU?だったです。そっちじゃなくて隣のルーター差し直したらちゃんと今までブラウザで視てたページがぜんぶ見れました!

お騒がせしました、ご教示いただいた皆様ありがとうございます

m(_ _)m

2024-11-20

ネット用のLANケーブルモデムルーターのどちらに差せばいいのかすら判らない

十年以上まえのWin10のPCが突然Wi-Fi効かなくなったので仕方なくLANケーブルモデムルーターから繋いでネットしてみたけど、二階までの距離が20m()だからなのか、重た過ぎて表示できないサイトのほうが多い😢

なんなら起動にまで時間がかかってる

2024-10-16

あーあー、履歴書かくのいやだなー

ネットアカウントデータあるサービスでまた手直ししてプリントすればいーやー、っておもってたけど、💻️がWi-Fiにつなげられなくなっててどうしよう😢

OS自動バージョンアップできなかったときからおかしくなって、今朝わざわざモデム?にLANケーブルで繋げてバージョンアップはできたみたいなんだけど、やっぱりWi-Fiできませんって出てた

2024-09-13

レンタル機器を捨てたけど機器損害金が発生しなかった話

インターネット回線に申し込んだことがあった。宅内工事完了後に、屋外工事許可大家から降りなかったので、サービス退会したことがあった。その時にモデムは自宅に設置したままで返却指示もなかった。数年経過して返却していないことに気がつき、めんどくさかったのでそのまま捨てた。さらに数年後、某インターネット回線からレンタル機器を返却してね、という封筒が届いた。無視していたらさらに翌年に最速の封筒が届いた。

もう逃げきれん!クッ!殺せ!と思って、サポートに「捨てました」と問い合わせたら、企業側が返品の案内をしなかった不手際として、損害金の請求はなく、お咎めなしで終わった。僕は昔から嫌なことから逃げる癖があったけど、今回は向き合ったら良い方に転がったよ。ほっとした。

2024-07-27

実家モデム故障したっぽいが、光コラボ契約先がわからん

経緯として、もともと実家住まいだった弟がどこかと光回線契約

弟が実家を出ていく際に契約そのまま

私が実家に戻る

弟が料金が毎月引き落とされているから何とかしてくれと両親に相談

母にお支払い方法登録の変更のための利用料金支払い申込書が送付される

ここでおそらく私の口座を登録

今回、ネットがつながらなくなる

最初wifiルーターを疑ったが、モデムから有線直つなぎでもネットに繋がらない

おそらくモデムが死んでいると推測

契約先どこだ?となり、フレッツ光ネットでのお問い合わせを試すが、どうやら光コラボらしく、問い合わせできない

多分私の口座から引き落とされているが、不精のため記帳もネットバンキング登録もしていないため支払先が確認できず

家中を探すが契約書等が見つからない(おそらく弟が処分したため)

2年前の母宛のソフトバンクの利用料金支払い申し込み書を発見し、おそらく光コラボ契約先がソフトバンクらしいとさっきなった

ただ契約内容の記載が無く、ネットでのお問い合わせで詰まる(ソフトバンク光とYahooBB光などいろいろあるらしい)

記帳とネットバンキング登録銀行の開いている月曜日以降しかできず、ソフトバンクペイメントへの問い合わせも平日しか電話できない

とりあえずソフトバンクペイメントへメール問い合わせしてもいいが、返信はどうせ月曜以降なのではとも思う

スマホテザリングPC動かして色々調べて疲れた

なんか固定電話もつながらなくなっているとさっき母から報告を受けた

当然のことだが、各社サイトお客様であるかの確証がとれない個人に対しては詳細なお問い合わせ先を用意していないのに、サイトの見かけ上は親切な作りをしているので延々と動線に沿って回され続けて電話やらチャットやら試して疲れた

総当たりでクリック謎解きゲーやってるみたいな気分だ

言い訳仕様が無いくら自業自得の状況なのだが、契約名義(母扱いなのか私なのか)、契約内容、お申込み電話番号(誰のどの電話だよ)、カスタマーID無しの縛りプレイきつすぎる

いつになったらネット回復というクリアにたどり着けるのだろう

2024-03-13

昔のパソコンの話

IBMのAptivaを持っていて、タイマープログラムを起動できる機能がついていた。

自分Nifty-Serve巡回ソフトを早朝に起動させて、各会議室ログを集めていた。

で、モデム接続してるからピーーーープーーーパーーーガガガガガって音が鳴って、必然的によい目覚ましになってたんだよね…。

2024-02-06

賃貸失敗した

こっちの確認不足と言われりゃそれまでなんだがよ。

部屋に光回線の差込口がちゃんとあって、プロバイダーはユーコム光です、って言われて入居してみたら、実際の提供VDSLモデム使って電話回線ネットしてくださいってさぁ…

コンセントはただの飾りかよ……

2024-02-05

若い人が知らなそうな昔のネット知識

ノートPCがしょぼかったので若者もみんなデスクトップPCを家に置いていた

WIFIなんてものはなくモデムというのを細いケーブル電話線につないでいた

23:00~7:00には無料ネットタイムというのがありそれ以外は高額請求された

あと1つは?

2023-12-04

Cat5eを使い切る未来はあるか?

要するに1Gbpsと10Gbps論争

最近10Gbpsを諦めて2.5Gbpsになってきているので、1Gbps越え論争の方が正しい

インターネット接続の1G越え対応

5/10Gbps提供はかなり広まっているのでここはそんなに問題無い

価格も1Gbpsと大して変わらない

実測としては10Gbpsは絶対に出ないが、2〜3Gbpsなら出る

ただし、それはスピードテストをしたときの話であってEnd-to-Endでそれだけでるかどうかは全く別の話になる

有線接続の1Gbps越え対応

高性能PCでは2.5Gbps対応NICが増えてきた

10Gbpsは依然としてまだまだだが、1Gbpsを越えるという意味では使えるようになってはい

またType-C接続のRJ-45ドングルも2.5Gbps対応が出てきている

無線接続の1Gbps越え対応

ノートPCだけでなくスマホでもWiFi 6(11ax)対応が増えてきている

11axなら理論上は最大9.6Gbps使えるが、これは160MHz帯域を8本同時利用した場合で、そんなPCは無い

現状では2本同時利用なので2.4Gbpsが上限となるので、1Gbps越え通信可能である

アプリケーション

本題のアプリケーションだが、単体で1Gbpsを越えるような通信をするアプリケーション存在しない

8K映像を非圧縮で送れば72Gbps必要だがH.265だとせいぜい100Mbps、将来的な規格では50Mbpsほどまで圧縮できる

10部屋あって全員が8K映像を同時視聴すれば1Gbpsを越えるかもしれない

オンラインゲームでは遅延を嫌ってUDPバカスカ送ることもあるが、それでも100Mbpsもあれば十分である

圧縮で送るとコーディング遅延がなくなるが、そもそも伝送遅延がバカみたいに大きいので圧縮しても大差が無い

一方でファイルなどの送受信では帯域幅がそのままダウンロードアップロード時間に直結する

5GBのイメージダウンロードする時間は1Gbpsから2.5Gbpsにすればまぁ半分ぐらいにはなる

オンラインストレージバカスカ使う人にとっては1Gbps越えが魅力的に思えるのだが

実際にはソフトウェア側の工夫(キャッシュなど)によってそれを体感できるかどうか怪しい

実際にDropBox, iCloudOneDriveはどれもよくできているので帯域幅による違いを感じにくい(細すぎるとダメダメだが)

将来性

モデム28.8kbpsで頑張っていた頃は1Mbpsも出れば夢のような未来が待っているという期待があった

ADSLで1〜10Mbpsもつかえ始めると「1Gbpsも使えるの?」と思っていたが実際には10Mbps越えの通信は十分に需要があった

なので今、「1Gbps以上必要あるの?」と思っていても、将来的には必要になるかも知れない

否定はしないが、1〜10Mbpsの頃から4K8Kの話やクラウドストレージのような話はあって

将来的に1Gbpsが使えたときの利用方法は山のように案があった

今、10Gbpsの利用法として合理的ものは知る限り全くない

特にコーディングに関する技術が進みすぎて映像伝送に帯域が不要となったのが大きいように思う

何より1Gbpsの状況が10年以上続いているのが好例だと思う

ネットワーク業界未来

伝送スピードよりも接続の確実性の方が圧倒的に需要が高い

特に5Gでモバイル網のスピードが固定網に追いついてしまっているので

ハンドオフ等を考えれば全て5G(もしくは6G)でカバーする方が接続性・速度ともに満足度が高い

5Gアンテナを多人数で共有している限りは速度上昇は見込めないので

この業界に求められているのは5GC内蔵の屋内5GプライベートアンテナをeSIM認証自由ハンドオフできる世界線だと思う

WiFiの設定もいらないし契約も一本化できる

PCにeSIMが入るようになれば屋内でも屋外でもシームレスネットワーク接続できるし

スタバWiFiに繋がらなかったりドコモフリーWiFi勝手に繋がってLINEが来ない、という未来もなくなる

ただ、そのときであっても家庭の屋内配線は1Gbpsで十分である

マンション店舗のように複数人で共有するなら当然1Gbps以上の回線必要だが、伝送距離を考えればファイバーの方が有利である

ということでLANケーブルはCat5eで打ち止めではないか、というのがここ10年ぐらいの温度感だと思う

2023-10-11

最近ネットワーク、速すぎて怖くない?

  1. Google検索ワード放り込むと1秒以内に数万件の結果が返ってくる。

その検索ワード距離にして数万キロのかなたにあるサーバ上で処理して返ってきてるわけじゃん。

参照したデータベースレコードってエクサバイトみたいなサイズでしょ?

そこからあれこれ演算して最適な結果を抽出して返すわけでしょ?

1秒以内でそれができるのかよ。マジかよ。こわい。ちょうこわい。

  1. レジバーコード決済すると1秒以内にスマホの方に決済結果が返ってくる。

バーコードスキャナレジ回線→数万キロのかなたにあるサーバ上のおれのカード残高情報を参照&更新回線沖縄のクソ田舎にあるおれの最寄りの楽天モバイル基地局電波塔→おれのスマホという経路を1秒で往復するとかヤバくない?どうやってんの?

1990年代パソコンだと、バーコードPCモデム、のバーコードからPCまでで1秒はかかってたじゃん。

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