はてなキーワード: イメージとは
昔は、「陰謀論にハマる人」って、どちらかというと右派のイメージだった。
ディープステートとか、反ワクチンとか、Qアノンとか、そういうの。
だから左派の人たちは、「ファクトを重視しよう」「デマに騙されないようにしよう」って側にいるんだと思ってた。
でも最近、SNS見てると、左派も普通に陰謀論やデマに乗っかってない?と思うことが増えた。
しかも厄介なのが、「自分はリテラシーが高い側だ」という自負があるぶん、ブレーキが効きづらそうなところ。
まだ情報が全然出揃ってない段階なのに、「これは権力側の情報操作だ」とか、「メディアが隠してる」とか、「絶対に裏がある」みたいな話が、一気に広がる。
で、あとから普通に誤情報だったとわかっても、あまり訂正されない。
あれ見てると、陰謀論って知能の問題じゃなく、“気持ちよさ”の問題なんだなと思う。
「自分だけが真実に気づいている」感覚って、めちゃくちゃ強い快感がある。
怒った投稿ほど伸びるし、「信じたい物語」に合った情報ほど拡散される。研究でも、感情的で怒りを含む情報ほど陰謀論的な内容は拡散されやすいと指摘されている。
だから最近は、「右派だから陰謀論、左派だからファクト重視」みたいな時代じゃないんだろうなと思う。
SNSによって、みんな少しずつ“自分に都合のいい現実”の中で生き始めてる。
そして怖いのは、本人たちは「自分こそ冷静だ」と思っていることだ。
日常会話で「読書」という単語を発するのは「小説を読むことだけを読書と呼んでる奴」だけなイメージ。「読書」という概念を切り出して持ち出すことそのものに違和感あるって感じだな。(そしてそういう奴って小説しか読んでないイメージ)
アメフトとかラグビーのゴールポストがニュアンス的には正解なのかなと思う
ゴールした(あるいはゴールに近づいた)と思ったらゴールポストを動かされたのでまた振出しに戻ってしまった、みたいな使い方だと思うけど
距離を詰めることが最終的なゴールに大きな影響を与える競技として、アメフト/ラグビーのイメージがある
横にズラすのは何か違うよな
それだと振出しに戻る感が無い気がする
私は、もうすぐ結婚を控えているんですが
結婚するってなんなんでしょうか。
親の考えが古臭くて、苦しいです。
私には男兄弟がいません。
だから、
「長女の私が家を継がないと」
と、言われ続けてきました。
私は結婚したら
何も変わらないと思います。
私の名字はありきたりなので
いまの婚姻制度は
2人で新しく戸籍を作るという仕組みです。
しかし、親はよく「嫁に行く」
そして「嫁ぎ先」とか言います。
私としては、嫁に行くつもりはありません。
2人で新しい家を作るイメージです。
「しきたりを教えてもらいなさい」
とか言われても
義実家に同居するわけでもないですし
義実家の近くに住むわけでもありません。
私としては、ただ名字を変わるだけ。
あとは家計とかが一緒になる、ぐらい。
話は逸れますが、たとえ〝嫁に行った〟としても
荒れ果てた山林を掻き分け掻き分けって感じで
確認しに行くだけでもひと苦労です。
家は築400年近くで、とにかく古いですが
まさに負の遺産です。
これらを相続しなければいけないと思うと
心が真っ黒になります。
そして、それにも関わらず
「これから、家に来る時にただいまは使えない。ごめんくださいと言え」
と教えられたそうです。
そんな祖母に育てられた母も
母の実家に帰る時は
「ごめんください」と言ってます。
でも、私はたとえ結婚したとしても
長年の人生で作られた親の考え方は
もう覆せないと思います。
これ以外では仲が良いほうだと思いますが
この件に関してはお互い寄り添えません。
親と分かり合えないのが辛いです。
これは進化が「ゆっくり少しずつ」ではなく、次のような形で起こるという考え方です。
① 安定した期間(平衡)
② 短期間の急激な変化(断続)
③ また安定へ
⸻
「ずっとゆっくり変わる」のではなく
⸻
たとえ
→ その後また安定する
⸻
対になる考え方
昔からよく言われていたのは「少しずつ連続的に進化する」という説(漸進説)ですが、断続平衡説はそれに対する新しい見方です。
「ゴールポストを動かす」って何?という疑問をずっと持っている
「この言い回しがされるとき、言った人はどのような情景をイメージしているのだろう」という話
まずそもそもサッカーのゴールポストなのかどうか、という話もある
次に動くのは左右方向なのか、前後方向なのか、上下方向なのか、どれをイメージしているのか、という話がある
あるいはゴールポストを殴るなどして揺らして「ゴールポストに嫌われる」を人為的に発生させるイメージというのもありえる
100人いれば100通りのゴールポストの動かし方がありそうな気がする
個人的には映画『少林サッカー』の作中描写であった、ゴールポストをとっさに揺らしてゴールを緊急回避するシーンを想起する
『少林サッカー』が好きなだけ
日曜に日記を書いた
おわり
4年間ずっと暖めていたのか
今まで1000円カットで「スポーツ刈りで!」しか言ってこなかった人間が、今日、はじめてヘアサロンに行った。
ことの発端は先月のこと。5月半ばに開催される某フェスにて自分の「推し」と話す機会を得てしまったから。
まさか当たるとは思ってなかった。実際、彼女は超がつくほど人気の人。
TLには落選したとの声が無限にあったのに、まさかの自分は前回(4年前)から2連続当選。
私の中の「推し」の概念は付き合いたいとか、自分を見てほしいとかではなく、
敬愛というか、生き方の指針というちょっと離れた価値観を持ってる気がする。
だから、直接触れたいとかはあんまり思ってなかった。(推しも恋愛とかあんまり興味がないみたいな話をしてた)
けど、実際に会うのだから、友達みたいなラフさではなく、尊敬していますよという誠意を見せるためにそれなりの身なりをしないといけないな…と思い今回このように決めた。
準備は…とくにしていない。なんか髪型とかあらかじめ決めておいた方がいいかな、とか思ったけどなーんも美的感覚がないからよくわかんなかった。
当日。時間通りに店に入る。雰囲気は明るい感じで嗅いだことのない匂いだった。
荷物を預かりますと言われ、荷物を差し出す。VIP待遇すぎるな、ってその行動だけでも思ってしまった。
最初はアンケートを書いた。個人情報を普通に書いたのち、髪の話がいっぱい書いてあった。
髪のセットはどのくらい時間がかかりますかと聞かれ、2、3分から20分くらいまで書いてあったので世の中の人間は髪に結構注意してるんだな…って気持ちになった。
あとは髪のイメージとか書いてあったけど、とりあえずで書いた。
自分の担当の理容師さんは同年代かちょっと上くらいの穏やかで性格があってそうな人だった。ちょっと安心感あった。
自分の横に座ってたので、鏡を見るべきなのか横に座っている理容師さんを見るべきなのかわからなかった。
話をしたときは、まったく美容院に行ったことがないこと、いろいろお試しでやってみたいとかそういう話をした。
けど、なんもわからないし、美的感覚もクソもなかったのでとりあえず紹介してもらったやつにした。
普段は1か月で髪を切ってたんだけど、3か月も伸ばしてたので「これだったらいろいろいけるだろ」って思ったら「ちょっと短いですね…」って言われた。
けっこう髪の毛はむしむしするレベルだったのに、これだけで短いなんて言われたので世の中の人間、ずっと頭むしむししてて大変なのかなって気持ちになった。
もちろん髪質とかあるんだろうけど。たぶん。
そんなこんなでどうにか決めてもらった。なんとなくの雰囲気だけで決めた。
最初はシャンプーした。めっちゃあたまもみもみしてもらった。てか最初にやるんだ、シャンプー…どうせ切るのに。
あと、あおむけだったんだけど顔を隠すなぞの紙もかぶせてもらった。最初はなぜって思ったけどよく考えたら顔に水がかからないためか。
いっつも自分は頭皮に脂がたまらないためにわしゃわしゃしてたのに、めっちゃ髪の毛を洗ってた。また、なんかぽふんぽふんしてた。何か理由があるのかはわかんないけど。
次に、髪のカットをした。
ガウンを上からかけられるかと思いきや、手を入れることができますと言われたので、ガウンに腕を通した。
いままで手を出せないからかゆくてもずっとがまんしてたのに、手が自由に動かせるのが新鮮だった。
趣味はVTuberという推しコンテンツの視聴…ではなくカフェ巡り。仕事は本当のことを言うと若干説明が難しくなってしまうので、事務職をしてます…とか。
というか、バリカンじゃなくって髪の毛でちょきちょき進んでいくのが心地よかった。
いっつも2次元的に頭を丸くする髪型だったのに、全体的にまとまりを持ちながらも複雑な髪型を作り上げていくの、大変だなぁと思いながら見てた。
というか、芸術の域だなって思った。見た目、大切。
いったん完成して見たら、めっちゃ髪がふわっとしてた。自分の髪ってずっとぎゅうぎゅう詰めだったんだけど、想像以上にふわふわしてた。こんなに変わるんだ、って思った。
仕上げのタイミングで、髪のメンテンナンスの方法をいろいろ教えてもらった。ワックスはこんなかんじでぺたぺた塗るのよ~みたいな話。
あとは雑談もちょっとした。都会のスーパーはきらきらしてるんだとか、満員電車はメンタルがやられるとか都会にまつわる変な話をした。
ともかく、コツを教えてもらったし初心者にもやりやすそうな気がした。
これでお値段としていつもの2.5倍くらいのおねだんだった。すべてが新鮮に思える体験をしてこの値段なら安いなって思った。
髪の毛を立ててるので、めっちゃふわふわしてる感覚で、頭を実際に触ってみるとべたべたでつんつんしてるなとか。
頭に一切興味を示さなかった自分が、髪の毛を本当に変えてもらったんだって実感してた。
帰り際、服も買った。前に推しとお話ししたときに「トレンドカラーをしっかり押さえてるね」って言われたので、
今回もトレンドを見ながらシンプルな服を買った。オタクイベントなので、フォーマルすぎると目立つので、若干カジュアルめに。
最近AIをガッツリ使ってて思うんだが、AIが10分で終わらせたタスクでも、人間側は30分から40分はレビューと確認に時間を取った方がいい。
AIってやつは、プロンプトで「期待される結果」を出力しようとするとき、その過程については詳細に指示されない限り基本的に無頓着なんだよな。
結果のみを重視して、過程はほぼ重視しない。
たとえばDB連携するWebアプリで、クライアントに返却すべきデータを、本来DBから取得するところをハードコードして返すみたいなことが普通に起こる。
もちろん開発過程でDBからの取得を明示的に指示するのが普通だから、現役エンジニアがAIを使う場合にはこういう問題はあまり起きないかもしれない。
でもこれは「結果さえ出せればいい」AIの思考様式をよく表してると思う。
もう一つ。出力結果が同じでも、コード実行過程の副作用が重要なケースがある。キャッシング、監査、ロギング。AIは指示がなければこの種の副作用について検討することはまずない。
プロンプトに書き込めていればいいが、ユーザがこれらを書き漏らしたら無視される。
そしてこれ、モデルが改良されても残るんじゃないかと思っている。
上位者が意識していない過程の詳細は、モデル品質が上がっても無視され続けるんじゃないか。
こう考えると、エンジニアを大量にレイオフしてAIに置き換えてサービスが回るわけがない、と感じる。
イメージで言うと、こうだ。
AIは出力誤差を最小化しようとするが、そこに至る経路はものすごく多様で、その中から一つを選んでるに過ぎない。
風来のシレンとかトルネコみたいなローグライクを思い浮かべてほしい。
ダンジョンの全貌は見えていない。でもゴールのおおまかな位置は分かっている。AIは宝箱もアイテムもボーナスも全部無視して、「最もエラーの少ない最短経路」をゴールに向かって突っ切る。
優秀なエンジニアは違う。ボーナスの存在、回避すべきトラップ、寄り道で拾えるアイテムを熟知している。だから得点を積み上げながら、時間をかけてゴールに辿り着く。
一方、「最高の結果を出せ」みたいな曖昧な指示でAIに任せると、罠を踏んでボロボロになりながら、いろんなものを失った状態で、ゴールにだけは最速で到達する、というイメージになる。
ゴールしたかどうかしか見ない上位者には、AIが最速で結果を出しているように見える。失われたボーナス、踏んだトラップ、本来拾えたはずのアイテムは目に入らない。
多くの人がイメージしているのは、日本人は節約上手で計算が細かく、ライフスタイルもお手本にされているということです。しかし、お金を節約しているように見える習慣の多くは、長期的にはかえってお金がかかり、精力が消耗します。次にお話ししますが、それらは実は逆効果の節約習慣です。
一、節約すればするほど損をする:なぜ節約の中には「逆回転」があるのか
多くの節約方法は、目先のお金だけを見て、時間、健康、隠れたコストを無視している。物は捨てたくなくて、ラブグッズ 習慣は直したくなくて、最後にかえってもっと大きい代価を払います。この「偽節約」は、生活コストをこっそり増やしている。
1.買いだめが多すぎる:お得だと思って期限切れにする
スーパーの割引で日用品、食品を大量に買って、ディルド 結局長く置いて期限が切れて、変質します。単価を節約したように見えて、実際にはもっと捨てて、計算するとかえって損になる。
2.古物を捨てるのが惜しい:スペースを取っておいて、生活にも影響を与える
服や家電が壊れたり、古くなっても処分を惜しんだり、家に積んで場所を取ったりします。
3.時間コストを過度に節約する:小さなお金のために精力を浪費する
交通費を少し節約するために歩いたり、安いために遠回りしたりして買い物をしたりします。お金を節約しているように見えますが、多くの時間と体力を浪費し、休みや仕事に影響を与え、長期的には非常に割に合わない。
本当の節約は無理をするのではなく、無駄にしない、買いだめしない、消費しない。必要なものだけを買って、不要なものをタイムリーに整理して、時間と健康を第一にします。このような生活こそ、本当に楽で、お金を節約することができます。
結語節約は節約すればするほどいいのではなく、取捨選択を知っている。「偽節約」に生活を引きずられず、理性的な取捨選択を身につけてこそ、楽でお得に暮らせる。
漫画「バガボンド」はもう完結はしないだろうけど、せめて、なんかイメージボードというか、単発イラストというか、そういう感じで巌流島に至るイメージや、巌流島の決闘イメージを描いてもらって、最終巻は特別仕様ということで区切りつけてもらえたらなと思わないこともない
話の終着点は決まっているだけに、ビジュアルがあれば納得はする
https://togetter.com/li/2694689
昔話+古い風習+昭和の親のノリが全国的に定着した文化現象。要するにガチモンのミーム。
ただし定説としてよく知られているのだが決定的な論文などは見つからなかった。
親が元ネタをちゃんと知っていたら厄落としの愛を表現できたんだけどね。
知らずにやってたならその親はギルティ
桃太郎(川から流れてきた桃から生まれる)、一寸法師、瓜子姫など「川や水辺から子どもが授かる・拾われる」話がたくさんある。
水=命の源・神秘的な場所というイメージが強いんです。橋の下=川岸というイメージが重なって「拾ってきた子」という言い回しが生まれたと言われています。
江戸時代〜戦前まで実際にあった習慣に「拾い親」というものがある。
体の弱い子・厄年に生まれた子を一度「捨て子」に見せかけて道端や橋の下に置き
別の人が「拾う」まねをすることで厄を落とす・丈夫に育つように願う儀式だった。
これが形骸化して、親が子どもをからかうときの定番フレーズになった
特に馬鹿な親は「本当の子じゃないよ」「拾ってやったんだから感謝しろ」という恩着せがましいニュアンスまで付加した。
『お前はうちの子ではない 橋の下から拾ってきた子だ』でも、この風習がそのまま言い習わしになったと分析されている。
https://www.amazon.co.jp/dp/4791104072
地域によって「紀の川で拾ってきた」「多摩川の橋の下」などバリエーションがあり
関西では特に「わがまま言うたら橋の下に返しに行くで!」という発展形も多かった。
「実はお前は私の息子じゃない」も同じノリで、血のつながりを否定してショックを与える・恩を着せるための定番バリエーションとなっていた。
昭和生まれ・70歳前後の親世代が「鉄板ギャグ」として使っていた話が大量に集まってますが現代の親(特に40代以下)は「絶対言わない」「トラウマになる」と明確に拒否する声がほとんど。
2020年代後半の記事やSNSでも 「今は子どもに傷つく冗談は言わない」 「時代錯誤」「ハラスメント」という認識が主流。
昔は「親の愛情表現のつもり」「子どもが泣くのが可愛いから」だったのが、今は「相手が嫌がったら即やめる」が当たり前になった