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はてなキーワード: 敬愛とは

2026-05-12

anond:20260512103105

感性が違うんやろな

リベラル敬愛する人物辺野古の抗議団体のような人たちなのに

何故か彼らのような市民団体左翼から人格評価されているがネトウヨからは叩かれる

事故を起こした船長野党の多くの議員から評判も良く慕われているのに

2026-05-09

はじめてのヘアサロン

今まで1000円カットで「スポーツ刈りで!」しか言ってこなかった人間が、今日、はじめてヘアサロンに行った。

ことの発端は先月のこと。5月半ばに開催される某フェスにて自分の「推し」と話す機会を得てしまたから。

まさか当たるとは思ってなかった。実際、彼女は超がつくほど人気の人。

TLには落選したとの声が無限にあったのに、まさか自分は前回(4年前)から連続当選

ほんとうに、まじか・・・・・・・・・・・

 

私の中の「推し」の概念は付き合いたいとか、自分を見てほしいとかではなく、

敬愛というか、生き方の指針というちょっと離れた価値観を持ってる気がする。

から、直接触れたいとかはあんまり思ってなかった。(推し恋愛とかあんまり興味がないみたいな話をしてた)

けど、実際に会うのだから友達みたいなラフさではなく、尊敬していますよという誠意を見せるためにそれなりの身なりをしないといけないな…と思い今回このように決めた。

 

準備は…とくにしていない。なんか髪型とかあらかじめ決めておいた方がいいかな、とか思ったけどなーんも美的感覚がないからよくわかんなかった。

 

当日。時間通りに店に入る。雰囲気は明るい感じで嗅いだことのない匂いだった。

荷物を預かりますと言われ、荷物差し出す。VIP待遇すぎるな、ってその行動だけでも思ってしまった。

 

最初アンケートを書いた。個人情報普通に書いたのち、髪の話がいっぱい書いてあった。

髪のセットはどのくらい時間がかかりますかと聞かれ、2、3分から20分くらいまで書いてあったので世の中の人間は髪に結構注意してるんだな…って気持ちになった。

あとは髪のイメージとか書いてあったけど、とりあえずで書いた。

 

自分担当理容師さんは同年代ちょっと上くらいの穏やかで性格があってそうな人だった。ちょっと安心感あった。

最初ちょっとお話した。

自分の横に座ってたので、鏡を見るべきなのか横に座っている理容師さんを見るべきなのかわからなかった。

話をしたときは、まったく美容院に行ったことがないこと、いろいろお試しでやってみたいとかそういう話をした。

けど、なんもわからないし、美的感覚もクソもなかったのでとりあえず紹介してもらったやつにした。

普段は1か月で髪を切ってたんだけど、3か月も伸ばしてたので「これだったらいろいろいけるだろ」って思ったら「ちょっと短いですね…」って言われた。

けっこう髪の毛はむしむしするレベルだったのに、これだけで短いなんて言われたので世の中の人間、ずっと頭むしむししてて大変なのかなって気持ちになった。

もちろん髪質とかあるんだろうけど。たぶん。

そんなこんなでどうにか決めてもらった。なんとなくの雰囲気だけで決めた。

 

最初シャンプーした。めっちゃあたまもみもみしてもらった。てか最初にやるんだ、シャンプー…どうせ切るのに。

あと、あおむけだったんだけど顔を隠すなぞの紙もかぶせてもらった。最初はなぜって思ったけどよく考えたら顔に水がかからないためか。

いっつも自分頭皮に脂がたまらないためにわしゃわしゃしてたのに、めっちゃ髪の毛を洗ってた。また、なんかぽふんぽふんしてた。何か理由があるのかはわかんないけど。

 

次に、髪のカットをした。

ガウンを上からかけられるかと思いきや、手を入れることができますと言われたので、ガウンに腕を通した。

いままで手を出せないからかゆくてもずっとがまんしてたのに、手が自由に動かせるのが新鮮だった。

最初は下を向いたり寝てたりしてたから無言で進んでいった。

会話デッキとかちょっと用意してたのに。

趣味VTuberという推しコンテンツの視聴…ではなくカフェ巡り。仕事は本当のことを言うと若干説明が難しくなってしまうので、事務職をしてます…とか。

というか、バリカンじゃなくって髪の毛でちょきちょき進んでいくのが心地よかった。

いっつも2次元的に頭を丸くする髪型だったのに、全体的にまとまりを持ちながらも複雑な髪型を作り上げていくの、大変だなぁと思いながら見てた。

というか、芸術の域だなって思った。見た目、大切。

いったん完成して見たら、めっちゃ髪がふわっとしてた。自分の髪ってずっとぎゅうぎゅう詰めだったんだけど、想像以上にふわふわしてた。こんなに変わるんだ、って思った。

 

仕上げのタイミングで、髪のメンテナンスの方法をいろいろ教えてもらった。ワックスはこんなかんじでぺたぺた塗るのよ~みたいな話。

あとは雑談ちょっとした。都会のスーパーきらきらしてるんだとか、満員電車メンタルがやられるとか都会にまつわる変な話をした。

ともかく、コツを教えてもらったし初心者にもやりやすそうな気がした。

 

これでお値段としていつもの2.5倍くらいのおねだんだった。すべてが新鮮に思える体験をしてこの値段なら安いなって思った。

店員さんも思ったより優しかったし、全然通えるなって思った。

 

店を出た後は、頭の感覚をずっと確かめてた。

髪の毛を立ててるので、めっちゃふわふわしてる感覚で、頭を実際に触ってみるとべたべたでつんつんしてるなとか。

頭に一切興味を示さなかった自分が、髪の毛を本当に変えてもらったんだって実感してた。

 

帰り際、服も買った。前に推しお話ししたときに「トレンドカラーをしっかり押さえてるね」って言われたので、

今回もトレンドを見ながらシンプルな服を買った。オタクイベントなので、フォーマルすぎると目立つので、若干カジュアルめに。

あとは何をお話しするのか、残りの期間で固めます

 

新しい経験だったけど、思ったよりよかったです。ヘアサロン

2026-05-06

戦争反対の訴えとは、戦争の、空気を作らないこと

短くまとめる

日本人空気を読む

日本社会空気支配されがちである

戦争反対メッセージを送ること

社会に影響力がある人が戦争反対メッセージを送るのは、そこへ意味がある。

かに戦争反対を訴えかけたところで現実戦争は終わらない。

すでに始まっている戦争への影響力はゼロといってもいいほど微小なものだ。

から、そのメッセージ意味はない。

とうことではない。

日本社会空気支配されると言われる。

まだ100年にもならない昔、日本軍国主義という時代を迎えていた。

その中では、戦争反対なんてことはいえなかったし、

徴兵に従わないなんてことも出来なかった。

なかには若くして自らの命を直接的に差し出すことを命令されたりした。

なぜなのか?

国家が厳しい監視をしたからか?

国家非国民弾圧たからか?

それもあるだろう。おおいにあるだろう。

しかし、それよりも「空気」がそうなっていたからではないのか?

戦後日本民主主義へと大きく舵を切り、

そして、それまでの最大の敵国の米国兄貴分としてあがめ、

その文化享受し、経済で強く結びつき、軍事同盟の傘に入った。

なぜなのか?

なぜそれまでと真反対の方向へと一気に進むことが出来るのか?

米国日本モデルケースとして、何度も何度も戦争で屈服させた相手米国敬愛する同盟国として育てようとした。

しかし、そうはならなかった。

なぜなのか?

日本とそのほかで何が違うのか?

それは日本人空気従順にしたがう国民性にあるのではないか

軍国主義空気にも容易く染まるし、

戦後民主主義空気にも容易く染まる。

それが日本人というものなのではないか

もしも、これが正しいのであれば、

社会的に影響力がある人が

戦争反対を大声で訴えることは

決して無駄なことではない

わたしたち空気に唯々諾々と従う人々であるのならそれは決して無駄なことではない。

戦争するのは、まあ仕方がないよ。

子どもたちが戦争に行くのはすごく反対だけど、まあ仕方がないよ。

仕方がないよ

仕方がないよ

仕方がないよ

そういう社会を望むのか?望まないのか?

2026-04-25

友達が口癖みたいに「失礼しちゃう」ってよく言うんだけど

失礼ってことは自分もっと丁寧に敬愛された対応をするべきなのにされなかったと思ってるわけだよね

まり自己評価のほうが他者評価より高いってこと?

なんかやなやつに思えてきた

2026-04-24

冒頭で「3点」と提示しながら、3つ目の項目が明文化されていません

https://anond.hatelabo.jp/20260424140434

編集者仕事しろ

■主張(要約)

作品への登場を通じて「他者自分という存在のために時間と労力を割いてくれること」の尊さを実感し、それが自己肯定感や生きた証としての深い愛着に繋がっている。

■元記事問題点

冒頭で「3点」と提示しながら、3つ目の項目が明文化されていません(内容から推察すると「自己存在証明承認」にあたります)。

また、全体として「嬉しかった」という感情記述が先行し、なぜそれが「銅像」や「バレンタインチョコ」の比喩に結びつくのかという論理的飛躍が見られます

さらに、特定ネット文化はてな村)の内輪話に終始しており、普遍的な「創作物個人関係性」という視点が不足しています

書き直して

創作物における自己投影:『はてな村奇譚』に見る承認の形

特定創作物に対して、批評的な良し悪しを超えた「抗いがたい愛着」を抱く瞬間がある。

私にとってのそれは、WEB漫画はてな村奇譚』という作品だ。

かつて「はてな村」と呼ばれたコミュニティ舞台にした本作に対し、なぜこれほどまでの思い入れがあるのか。

その理由は、単に知人が描いたからという近接性にあるのではなく

創作という行為を通じて「自己存在他者の手に委ねられ、肯定される」という稀有体験をしたからに他ならない。

本作に深く傾倒する理由は、主に三つの力学に整理できる。

第一に、記号化された自己客観である

私は本作に「金髪魔法使い」という、自身トレードマークを反映したキャラクターとして登場した。

高校時代から敬愛するプロの手によって、自分という存在が「四天王」という物語上の重要役割(たとえそれが「最弱」という道化的な立ち位置であっても)を与えられ

独自ビジュアルで再定義される。この「他者視点による自己再構成」は、単なる自意識の延長では得られない新鮮な自己肯定感をもたらした。

第二に、作品を介した読者との双方向的な距離感だ。

本作は連載中、常に5,000人規模の読者から展開を予想され、議論対象となっていた。

私というキャラクターが登場することを読者が期待し、実際に登場すれば熱狂生まれる。

この「期待と充足」のサイクルを当事者として観察する体験

私を単なる読者から物語共犯者へと引き上げた。

作者から直接献本された書籍も、その密接な関係性の象徴となっている。

第三に、そして最も本質的理由は、他者リソース自分という存在のために費やされることへの感動である

かつての私は、偉人銅像や記念館に対し、本人の名誉欲を満たすための虚栄に過ぎないという冷ややかな視線を送っていた。

しかし、いざ自分物語の一部となり、誰かが私を描くためにペンを動かし

読者が私という存在について思考を巡らせる時間を割いている現実に直面したとき、その認識は一変した。

自分のために誰かが手間暇をかける」という事象のものが、生存証明として機能するのである

これは、バレンタインチョコ価値が味そのものにあるのではなく、贈る相手自分を想起し、準備に費やしたプロセスに宿るのと同義だ。

結論として、この作品は私にとっての「生きた証」であり、名刺代わりのアイデンティティとなった。

たとえ数百万の発行部数を誇るメジャー誌でなくとも

特定コミュニティにおいて明確に記憶され、誰かの創作意欲を刺激したという事実

人生無意味さを打ち消すに十分な重みを持っている。

私たち創作物に深く惹かれるのは、そこに描かれた物語の質もさることながら

その背後にある「自分に向けられた他者眼差し」を感じ取ったときなのかもしれない。

【読者への問い】

あなた特定作品サービスに強い愛着を感じる時

それは「内容の素晴らしさ」に感動しているのでしょうか?

それとも、それに関わることで「自分存在が認められている感覚」を得ているからでしょうか?

2026-04-20

anond:20260420140342

あなた近親相姦とか、知らないの?

愛子様悠仁様で近親相姦しろ」って言葉に対して、あなたは怒らないんですね。

皇室とか人間をなんだと思ってるの?


勝手に推察なんてしてないよ。

愛子様はやるきがある」と俺は愛子様の行動から推察していますよ?

これは勝手な推察なんですか?


俺的にはどっちも差がないんだけどな

↑君が書いている言葉だけど、まあ皇室に興味がないんでしょうね。

普通に皇室敬愛する国民は、愛子様のやる気を感じると思います

あなた特殊な何も感じない人間なんでしょ。


あなた勝手な推察だと、何の根拠もしめさずに言ってくるけど、

あんたは皇室に興味がないのに、なんで俺に反論してくるの?

俺の方が皇室に興味を抱いているから、あんたよりも正しく情報を推察できる。

ただ、それだけのことなんだけど?

あんた何考えて生きてるの?皇室に興味はないけど、俺の意見の方が正しいって言いたいの?

謎の生命体だなw

皇室に興味がない。近親相姦も興味がない。ただ目の前の人間に偉そうにいいたい。おこちゃまかよw

君の意見なんて、こんなこと言われるだけで、男系カルト的にもマイナスなんだから永遠に黙ってろよ。

2026-04-18

ブルバ収益垢に挑戦したらただの「社会」だった

月1270円課金するとブルーバッチ名前の横に付く。ブルーバッチが付くと「信頼」されてることになるらしい。信頼されるとインプレッションポストが表示される回数)が上がるらしい。信頼されると返信ブーストが発生してリプをしたら上位に表示されるらしい。また、一定条件を満たせば収益化することもできるらしい。

「信頼とは」と考えてしまいそうになったが、月1270円払えばフォロワーが増え、いいねが付き、お金が振り込まれるのであれば安いかもしれない──

と、思ってしまった。

1270円課金してブルーバッチを手に入れた。といっても、ブルバ垢になったら何もしなくてもフォロワーが伸びることはない。「ブルバ」で検索してみると、ブルバ垢としての正しい振る舞いや行動を伝授している親切なアカウントが大量に現れた。だいたいのアカウントが言っていることはこうだ。

フォロワーインプレッションを伸ばすコツ】

挨拶しろ

いいねを付けろ

引用積極的しろ

リプを貰ったら必ずリプを返せ

強垢に気に入られろ

なんだ、簡単だな、と思い従った。

ひたすらリプをつけた。これがインプレゾンビというやつなのかもしれない。

引用もつけた。いいねもやった。どんなクソリプでも収益目的のブルバ垢は必ず返信をしてくれる。

数日でフォロワーは140程度に伸びた。

90%以上がブルバ垢だ。相互フォローになっている。

収益条件となる500人フォロワーまでひたすらこれをやるのだろう。

挨拶いいね、リプ、引用

挨拶いいね、リプ、引用

挨拶いいね、リプ、引用

これ、ただの厳しい社会じゃねえか。

敬愛するツイッタラーたちも、こんなことをしながらツイタッタラーになったのだろうか。違うだろうな。最悪だ。

2026-02-13

差別者である自覚はあるか?

差別者である自覚はあるか?

1.高市政権の発足を機に女性天皇容認を巡る報道に触れることが増えた。リベラルは「男女平等」を錦の御旗に賛成論を唱え、保守派は「伝統」というワードねじ伏せようとする。だが、どちらの陣営も自らが口にしている議論が、皇室というシステム本質無視した暴論であることに無自覚だ。

本稿で問題にしたいのは、女性天皇の是非などという表層的なことではない。我々日本人皇室という存在に対してどのような「加害」を行っているか、そして、我々がその差別構造いか無自覚であるかということである

2.まず我々が直視すべきは、天皇とは日本において唯一「人権」を事実上剥奪された存在であるという事実である

象徴」として天皇家を戴くということは、我々日本人が総意の名の下に特定家系差別し、特別地位という檻に閉じ込め、「国民伝統形式のためにのみ祈る装置であることを強いる行為に他ならない。

この「高貴なる犠牲」を中心として国民が一致団結し、国家連続性を担保しているのが日本という国の正体だ。我々は特定家系差別し、生贄に捧げることで統合している集団なのだ。この構造残酷さを自覚せず、単なる敬愛対象としてのみ語るのはあまり偽善である。その自覚はあるか。

3.この差別構造が最も醜悪な形で露呈したのが、眞子内親王結婚騒動だった。

当時、国民総出で繰り広げられたバッシング本質は、「皇族に『結婚自由』などあると思うな。結婚したいのであれば、我々主権者のお眼鏡にかなう男を連れてこい」という、むき出しの差別意識である。我々日本人は、一人の女性の「自己決定権」を完膚なきまでに蹂躙したのだ。その自覚はあるか。

4.極めて不可解なのは、その舌の根も乾かぬうちに、今度は「女性権利向上」や「男女平等」といった文脈で「愛子天皇」を待望する世論である

自分たちがつい先日一人の女性人権を踏みにじった事実には目をつむり、今度は「進歩的人権派」を気取っている。

だが、少しでも想像力があれば気づくはずだ。愛子内親王に「天皇の座」を求めることは、本来であれば結婚によって皇籍から離脱自由を得るはずだった彼女から基本的人権永久に奪い去るという、残酷な宣告だ。彼らはそのむき出しの暴力性を「男女平等」という美辞麗句グロテスクに飾り立て、彼女を「人権のない檻」に閉じ込めようとしているのだ。

繰り返すが、天皇家とは個人幸福を追求することが許される存在ではない。国民全体のためにの存在することを許された「純粋なる形式である。その「差別」を大前提としたシステム中途半端に「個人尊重」や「平等」などという近代的な人権概念を持ち込むことは致命的な自己矛盾である。その自覚はあるか。

5.特定血筋差別し、職業選択結婚言論居住もありとあらゆる自由権利を奪い続けることに対し、近代的な理性を備えた人間であれば耐えがたい罪悪感を覚えるはずである

しかし、日本人はその罪悪感から逃げるために天皇家を「神聖なる存在」として奉り、莫大な公金を投じて尊厳格式という金箔を貼り付けてきた。「尊崇の念」さえ抱いていれば、一族から自由権利を奪い、生贄にしても許されるという傲慢さだ。

これらはすべて自分たちが加担する非人道的構造から目を逸らし、己の良心麻痺させるための「鎮痛剤」に過ぎない。その自覚はあるか。

6.「伝統を守りたい」という形式維持の欲求と、「差別者になりたくない」という人権思想のいいとこどりは不可能である

天皇制に人権思想を持ち込み、愛子内親王を「男女平等」という文脈で語るのであれば、その論理的帰結は「皇室廃止」以外にあり得ない。人権世襲差別水と油であり、混ぜれば制度は内側から崩壊するからだ。

誤読されないようにはっきり言っておくが、私はここで「女性天皇容認せよ」、「皇室廃止せよ」と主張しているのではない。また、逆に「伝統を死守せよ」と言っているわけでもない。

私が問うているのは、この矛盾直視する知的誠実さだ。

もし皇室というシステムを存続させたいのであれば、「我々は人権蹂躙する差別者である」という汚名を甘んじて受け容れなければならない。逆に、その差別者という汚名にどうしても耐えられないのであれば制度解体するほかはない。

最も許しがたいのはそのどちらの覚悟も持たず、「自分差別などしていない」という無邪気な顔をして、安全から女性天皇男女平等」や「麗しき伝統」などとさえずることだ。

どちらを選ぶも日本人自由だ。だが「綺麗な差別」など存在しない。我々は差別者なのだ。その自覚をもて。

2026-02-05

新聞社は誰と戦ってるんだろ

とりあえず選挙否定し始めてるけど中国共産党敬愛でもしたの?

沖縄本島新聞社は本当にヤバいなあ

2025-12-30

いち在日コリアンとして、沈みゆ日本を想う

俺は平成ヒトケタ世代90年代初期生まれ在日コリアンだ。ウルトラマンティガダイナ、ガイア三部作世代で、ゲーム機だとNINTENDO64を散々遊んだバブル期の豊かさ、明るさに裏打ちされたオプティミズム90年代を通じて漸次的に減少していった(のだろう)が、俺はその恩恵ギリギリ与りながら育った。

くたばれゼロ年代、憧れちゃうんだ80年代

しんどいのは小学校低学年から始まったゼロ年代だった。小学校中学から日韓W杯が契機のネトウヨの跳梁跋扈拉致問題などで雲行きが怪しくなる。高学年になると、俺が外国人であるということを認識したクラスメイト「チョン」韓国帰れ」などと喚きだすようになった。中学に上がると、それは余計に悪化した。オタク気質の奴が多い校風だったから、2ちゃんの言説を真に受けて俺に論戦(笑)をふっかける奴も現れた。「チョン、チョン」と罵る奴も勿論いた。

思えばゼロ年代は、何とガサついた時代であったことか。音楽TV番組も、何一つ面白いものが無い。ただただガチャガチャと騒がしいだけである女の子たちの髪型も、毛先を細くした荒んだ感じのもの流行していた。「こんなのどこが美しいんだ?」と、俺は自分のイモ臭さ全開オタクルックを棚に上げつつ嘆息していた。

ネットが大々的に普及し、過去の風物に手軽にアクセスできるようになったのがせめてものいか。俺はTVでたまにかかる懐かし番組特集などで、聖子ちゃんカット80年代アイドルに「めっちゃカワユイ!(この表現も当時の漫画などに触れて知った)」と悶絶し、シティポップ・テクノポップの爽やかなシンセ音色に耳が洗われるような快感を覚えた。当時勃興しはじめたYouTubeでは、80年代から90年代初期のアニメOPを片っ端から探して、なんとも言えない郷愁をそそられていた。「60年代に生まれて、70年代の豊穣な子ども文化を吸収し、80年代青春謳歌できたらよかったのに…」それが当時の俺の願いだった。

キモウヨ諸君、NDK(死語)**

さて、時代は進んで今は2020年代である日本韓国を巡る状況は完全に刷新された。韓国は今や、一人当たりの豊かさで日本を抜き去った。一人当たりGDPは、名目で見ても購買力平価で見ても韓国の方が上であるビッグマック指数というやつでも上だ。さらに、文化的影響力でも韓国の躍進は凄まじい。ゼロ年代の時点で韓流ブーム日本に起こっていたが、韓流映画ドラマの人気は全世界規模に羽ばたいた。『イカゲーム』『パラサイト』の大ヒットは記憶に新しい。そしてなんといってもK-POPであるハイクオリティパフォーマンスSNSを巧みに活用したマーケティング、多言語対応立場の弱い人々を支える政治的社会的メッセージ性。俺は80年代シティポップが専門なので、こうしたK-POPの強みについてはざっと調べた程度しか知らない。だが、幼稚園のお遊戯同然の和製アイドルには到底真似のできない世界を彼らは作り上げたということは分かる。また、特出したコロナ対策韓国が凄みを見せつけたことにも言及せねばならない。

一方、日本はどうか。失われた20年が30年になり、もう間もなくで40年になる。これは今後も50年、60年と伸びていくことは誰の目にも明らかだろう。経済成長率は上がらない。GDPも上がらない。実質賃金指数90年代よりも下がってる。高くなる一方の税金はロクなことに使われない。なのに日本人は無能きわまる自民党政権を支持し続ける。自分たちは民主主義社会の成員なのだから政治不正には目を光らせて対抗しよう、自分たちの暮らしを守る政治家を選ぼう。という発想は、日本大衆には無い。

さらにケッサクなのは自民党統一協会(「教会」ではなく、こっちの表記が正しいらしい)とズブズブの癒着関係にある―というより、事実上統一協会支配されているということだ。安倍晋三韓鶴子に祝賀メッセージを、タダで嬉々として送ったということ。統一協会選挙支援の見返りとして、自分たちの要求する政策自民党に呑ませていたこと。これらのことを考えても、「自民党統一協会支配されている」という表現は決してオーバーではあるまい。安倍因果応報のものの末路をたどり、それを契機として自民統一協会との関係は白日の下に晒された。

だがこうしてすべてが明らかになった後も、日本大衆自民支持をやめないのであるキモウヨは「安倍さんはカルトすら手懐ける懐の深いお方だったのだ」と意味不明擁護をし、冷笑バカは「たしか自民統一協会癒着問題だが、リベラル派の過激発言は一線を越え云々(でんでん)・・・」とトーンポリシングに終始している。その他の民衆は「なんとなく有名な人がいるから」「政権運営能力のある政党自民しかない」などと噴飯もの見解披露している。

奴隷根性の唄

統一協会教祖である文鮮明日本への強烈な敵意を抱いており、日本は罪を犯した「エバ国」なのだからアダム国」である韓国奉仕せねばならない、ということを基本教義に据えた。日本反共のための基地にすべく、日本からどんどん税金を取って軍事力を増強させよう。日本人の生活水準は三分の一にしてしまえ。ついでに信者からは高額献金で搾り取れ。これが統一協会理念だ。こうして日本から収奪された金は韓国渡りさら北朝鮮渡りミサイルの開発資金にもなっている。1991年文鮮明と金日成の会談以後、統一協会は「反共」を建前にし、むしろ北朝鮮との結束を強めたからだ。

こんなことは各種の報道でとっくに知れ渡っている。知ろうと思えば、誰もがたやすく知れる。そこまで行かなくとも、自民統一協会癒着ぶりはTVでも散々報道されている。なのに人々は、自民を支持し続ける。

彼らの怒りは、決して自民政権には向かわない。自己責任論、弱者叩き。生活保護受給者クルド人バッシングすれば、彼らの溜飲は下がる。不っ幸五輪、もとい“復興五輪のようなムダ事業や、下卑た大臣が仕立てるウン十万のスーツ血税が使われても、彼らは怒らない。パンとサーカスどころか、パンが無くても日本人は満足なのだ

奴隷といふものには、ちょいと気のしれない心理がある。じぶんはたえず空腹でゐて 主人の豪華な献立のじまんをする。」「いまや森のなかを雷鳴が走り いなづまが沼地をあかるくするとき『鎖を切るんだ。自由になるんだ』と叫んでも、やつらは、浮かない顔でためらって『御主人のそばをはなれて あすからどうして生きてゆくべ。第一、申訳のねえこんだ』といふ。」

金子光晴の「奴隷根性の唄」そのものである

こうした韓日両国の状況を見るにつけ、俺は「ざまあ見やがれ!」と快哉を叫ばずにはいられない。秀吉朝鮮侵略近代史におけるアジア侵略植民地化、大量虐殺、性暴力。それらのツケを貴様らは払わされているのだ。しかも、犯人構造が明らかになっても、貴様らには反抗する気力すら無い。何たる怯懦、腰抜けぶり。ことによると、文鮮明安重根匹敵する快男児かもしれぬ。極めて巧妙に、韓民族による日本への復讐を成し遂げたのだから。これで俺の在日コリアンとしてのナショナリズムが、くすぐられずにおれようか。

しかし俺とて、日本社会の一員

・・・でも待て。この俺とて、日本社会で生きる一市民なのだ。こうしたズタボロ日本崩壊ぶりは、俺の生活をも直撃する。俺は、海外へ打って出るだけの才覚は身に付けられなかった人間だ。嫌でもこの日本に根を張り、額に汗して生きてゆかねばならぬ。沈みゆく泥船に乗るタヌキが日本民衆なら、俺はその毛皮に引っ付いているダニのようなものだ。水底へと沈んでいくタヌキを見て「思い知ったか正義は勝つのだ!」とカッコよく啖呵を切れるウサギは、本国韓国人や、その他アジア諸国の民衆だ。

日本人とて、タヌキばかりではない。歴史直視し、差別への怒りを表明してくれた尊敬すべき人々はたくさんいた。歴史政治問題抜きにしても、愛すべき友人たちにたくさん出会ってきた。そして何より、俺は日本サブカルチャー文学を愛している。円谷英二のような特技監督になるのが、小学生の頃の目標だった。俺の憧れとなり、模範となってくれた光の巨人たちや、進んでやられ役を引き受けてくれたソフビ人形怪獣たちは、かけがえのない竹馬の友だ。太宰治は、自意識を持て余す思春期の俺と肩を組み、共に泣いてくれた。

そうした敬愛すべき友たちと団結し、この沈みゆく泥船を、丸木舟程度には変えていこう。これから日本は、どれだけマジョリティが嫌がろうが移民を大量に受け入れねばならぬ。これまた、自民支持者が払わされるツケである。そうして増えた海外ルーツの人々とも連帯し、全ての人が生きやす社会へ変えていくこともできるはずだ。

ウルトラマンジャックこと郷秀樹は、最終回で弟分の次郎少年にこう言った。「次郎、大きくなったらMATに入れ。 MATの隊員達は皆勇気ある立派な人達だ。君も嫌な物、許せない者と戦える勇気ある男になると良い」

キューモンの腹の中のごとく窒息しそうなこの世の中でも、なんとか風穴を見つけることはできる。仲間と出会い、その風穴を広げてゆくこともできる。郷さん、見ていてくれ。俺も次郎くんと同じように、勇気ある立派な人達連帯する。そして嫌な物、許せない者と戦える人間になってみせる。

2025-11-28

anond:20251128185636

保守皇族を崇拝?

ちょっと知らない世界ですね……

そもそも天皇というシステム盲目であるのが日本における保守本流

なので占領日本では右も左も昭和天皇個人処刑はやむを得ないと言っていた。ただし天皇の存続であるという条件付きで

多少緩い保守でも天皇家の誰それがを論じること自体が不敬だし烏滸がましいからやらん

せいぜい敬愛の念程度

天皇に対して個人崇拝を持ち出す時点でズレてるんですわ

2025-11-20

anond:20251119214409

ホタテマンは、かつてフジテレビ系で1981年から1989年まで放映されたお笑い番組の『オレたちひょうきん族』内に登場した、安岡力也が扮するキャラクターの一つであるグループサウンズから悪役俳優転向した安岡テレビタレントとしての代表作となり、後にレコードも発売されてヒットとなった。

概要

見た目はホタテから手足が出たような姿の着ぐるみである。顔には悪役プロレスラーペイント風のメイク[1]が施されており、着ぐるみには傷跡が残され腕には安岡敬愛していた[2]エルビス・プレスリー衣装を模したウェスタンファッション特有の水切りが付いている。胸には「ホタテマン」と書かれた名札が付けられていた。

誕生過程

安岡力也1982年11月20日の『オレたちひょうきん族』のコント劇(タケちゃんマン)に暴力団員役でゲスト出演した際、タケちゃんマンを呼ぶ為の道具の一つである「ホラ貝」の事を思わず間違って「ホタテ貝」と言ってしまったのがきっかである[3][4]。これを他の出演者が軽く冷やかしたところ、力也が「何だと?そんなにおかしかったのかよ!」と突如怒り出してしまい、スタジオ内にあるセットの大道具小道具を投げ付けたりなぎ倒して大暴れとなり、他の出演者が血相を変えて逃げ出してしまうというハプニングとなった。

このような大騒動となってしまった原因は「後輩から馬鹿にされて屈辱だと思い込んだ力也が本気で怒ってしまった」「決して本気ではなく安岡がその場でわざとボケた」「腫れ物に触るような雰囲気だったので怒った振りをしてビビらせた」「事前の打ち合わせ通りで演技だった」など様々な説が存在するが、真相は定かではない。

この「力也ホタテ貝に絡んで大暴れ」のシーンが当時話題となり、力也は「ホタテマン」として『ひょうきん族』にレギュラー出演するようになった。タケちゃんマンのコーナー内で誰かが「ホタテ」という言葉を思わず口にした際には[5]、“ジョーズ”のテーマに合わせて力也が登場し、大暴れをして皆が逃げ出してわめいて大騒ぎになるのが定番パターンであった。当初は生身の力也が暴れていたが、番組内で「力也ホタテ」というイメージが定着したことで、着ぐるみを付けた「ホタテマン」というキャラクターへと変化していった[4][6]。

その後は、上記の流れが「ワンパターン化」して飽きられたと判断されると1シーンのみの出落ち要員となり、途中からたまたま場面に居合わせ榎本三恵子[7]演ずる「ハチの三恵子」に一目惚れをしてしまい、猛アタックの末に結婚榎本と共に番組降板となった。

その後、最終回ゲスト出演した。後日安岡不祥事逮捕された際、ワイドショー女性レポーターに「安岡さんは「ホタテマン」として子供たちに夢を与えてきたのに、こんなことをして申し訳ないと思いませんかね?」と質問をされたというエピソードがある[要出典]。

レコードリリースミニヒット


1983年5月5日に「ホタテロックン・ロール」を、ワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパンから発売。コミックソングながらも作詞内田裕也横澤彪城悠輔[8]、作曲加瀬邦彦という豪華な顔ぶれによるものであった。

更にアレンジは当時駆け出しだった小室哲哉担当している[9]。最終的には32万枚のセールスを記録した[10]。そのホタテ宣伝功績により北海道ホタテ漁業組合から表彰されるに至った[4]。

なお、この歌は『まんがジョッキー』の主題歌マンジキロックンロール」を改変したものであり、作詞作曲は同じコンビである[11][12]。

サンヨー食品の「サッポロ一番ほたてラーメン」や、かねてつ食品の「ほたて風味フライ」のテレビCMにも出演し、人気を博した。

他に広告活動として、BASFジャパンハイポジションクロムポジション)用コンパクトカセットテープCR-X」の広告に、写真のみで出演していた[13]。

柏レイソル応援歌がこの曲に似ているという指摘もある。

2025-10-08

anond:20251008043918

からあの時苦しんだ国民民主党政権を許さないし、立て直した安倍さんを今でも敬愛してる。

とにかく金融緩和市場に金を回して活性化させるのが第一安倍さん経済スペシャリストだったよ。

2025-10-01

授業中に「仏教を始めたのは釈尊です!!」と言われても「宗教家きっもwwww」としかならんのは当たり前だろ

自分客観視出来てなさすぎる。

キリスト教を始めたのは、聖なるイエス・キリスト様でございます」と言い出すようなもんだ。

それこそ「偉大なる毛沢東様です」と言うようなものもっと言えば「わが敬愛するハイルヒトラー」と口にしたと考えるほうが近いかな?

まあ嘘松なんだろうけどさ

2025-09-24

夏目漱石以前の「浪漫

浪漫」という言葉は、夏目漱石1907年ごろに「Romanticism」の訳語として当て字したものとされている。

よって、ここでは1907年以前の用例を見ていく。

なお、「波浪漫々」のような用例もあるが、これは「波浪/漫々」であろうから除外する。

1891年明治24年)、『民主灯』。

放逸となり大胆となり軽躁となり傲慢となり怠惰となり敬愛の美風を失ひ義侠の真を誤り浪漫ならずんば悲憤ならさる可から


1894年明治27年)、『少年園』。

青年真正改革家なるものは、軽挙暴動乱踏浪漫なるものなるべから


1895年明治28年)、『自由党党報』。

終に責任問題提出の前後を争論するが如きものあるに至ては、其浅薄浪漫なる、人をして噴飯失笑せしむるに足るなり


1895年明治28年)、『交通』。

野戦貯金軍夫野戦為替の送金等は何れも苦難を経たる上の蓄積なれば其社会の中等以下なるに関らず之を消費する決して浪漫ならず惹れ一般の貯蓄心を誘発したると著るしかるべし


1905年明治38年)、『失意之青年』。

今日之レヲ興サント欲セバ、須ベカラク諸種ノ寄生物ヲ芟除シ、謂レ無キ浪漫ロウマン)ノ妄説ヲ排斥シ、真虚有無ノ分界ヲ明カニシテ、合理的解釈ヲ付セザル可カラズ


さて、これらの「浪漫」はどういう意味で使われているのだろうか。

「浪」「漫」どちらの漢字にも「みだりに」「とりとめがない」といった意味がある。

「浪費」とか「放漫」とかの用法である

上記の用例ではいずれも「軽はずみで深い考えがない」というような意味合いで通じそうである

これらの「浪漫」が用例として認められるならば、

夏目漱石が「浪」「漫」という文字を「Romanticism」に当てたのではなく、

浪漫」という語がもともとあって、それを夏目漱石が「Romanticism」の訳語として当てた、ということになる。

2025-09-17

クリエイター推し友達、全員「バズり」に寝取られて病む

 長年創作活動趣味にしているが、「バズりたい」という感覚マジでからない。

 

 まず、俺が誰からも注目されず相手にされず流行りについていけないのは前提なので、落ち込む理由にはならない。誰からも期待されず好きなときに好きなように作品を作り、たまたま通りかかった中にときどき、作品メッセージ真剣に読み取ろうとしてくれる人や、楽しんでくれる人がいる。

 十分ハッピーだ。これ以上の幸せはないと思う。

 

 それに、酸っぱい葡萄と言われればそれまでだが、「バズった」ところで金以外に何か得があるか?

 アンチが沸き、ゾンビが沸き、よく知りもしない奴から急に馴れ馴れしく話しかけられ批評され消費され、フリー素材のオモチャ扱い。自称知識人からはただ「流行り物」というだけで唾を吐かれ、ほとんどの人間作品が何を伝えたいのか真剣に考えすらしない……。

 ちょっと想像しただけでも幸せになれそうなビジョンほとんど浮かんでこない。全く羨ましくならない。

 

 もちろんこれは俺の考え方が著しく歪んでいるだけで、「バズること」を目標に日々活動しているクリエイター否定するつもりも、貶めるつもりも全くない。むしろ俺は彼らを尊敬している。

 たとえ承認欲求を満たす為だとしても、ひとりよがりになりがちな創作活動において、自分客観視し、他人のための努力ができるというのは素晴らしいことだ。アートだって突き詰めればコミュニケーションだし、より多くの人に伝え届けるために上を目指して試行錯誤した者こそが報われて大成すべきだと思う。

 そもそもどんなモチベーション創作していようが出来上がる作品とは無関係なので、「バズりたい」という願望があなたの力になっているなら、ぜひ胸を張って堂々と「バズること」を夢見て頑張ってほしい。

 

 話が逸れた。

 バズりたい、もっと人気になりたい、それ自体別にいいんだ。ピンとはこないが理解したいと思う。敬愛するクリエイター達には夢を叶えて幸せになってほしいから。

 

 ただ、それで病んだ奴の言い分が気に入らない。

 

 今いるのが創作界隈の中でも週2くらいで揉め事炎上が起こる限界部落な上、俺自身がこんな性格なので、変な言い方だが、俺は付き合う奴はかなり慎重に選ぶようにしている(大勢とうまくやっていけるほど器用じゃないという方がでかいが……)。

 おかげさまで鍵垢で繋がっている相互は皆、炎上騒ぎに動じることのない思慮深さと分別を持ち、ストイックに界隈のトレンド創作活動と向き合い、素晴らしい作品を生み出す、クリエイターとしても友人としても尊敬できる人達ばかりだ。

 そんな人達でも病む。

 そして決まってこういうことを言う。

 

「誰にも見てもらえない」

「どんなに頑張っても報われない」

自分作品必要とされていない」

 

 ふざけんじゃねえよ。

 この俺が好きだっつってんだろうが。

 お前の作品は最高で、お前は天才だって何回言えばわかるんだクソッタレ

 

 順番が前後したが、そんなことになる随分前から、俺は相互に「作品が好きだ」ということは欠かさず伝えてきたつもりだ。本当に、本当に手を替え品を変え再三伝えた。いいね拡散コメントファンアート二次創作、俺も自分作品生活があるので24時間365日とはいかないが、ファンとして友人として、やれることは全てやったと断言できる。作品ハッシュタグを賑わせ、オリジナルグッズを出し、コラボ作品でそこそこ権威のある賞も取った。お前らあとほかに何が足りないんだ?

 そういうことじゃないんだろうなとは重々承知の上だが、思わずはいられない。「誰にも」って何だ? 俺のことは見えていないのか?

 

 お前らや世間の皆様がどうなのか知らないが、俺はな、お情けや社交辞令二次創作ができるほど暇でもお人好しでもないんだ。本当に心からお前らの作品が良いと思ったか自主的にやってんだよ。お前らの作品世界観理解深めて二次創作に活かすために、俺新しく習い事始めたんだぞ。お前らの作品は人ひとりの人生を変えてるんだ。めちゃくちゃ凄いことだろうが。堂々としててくれよ、俺が惚れ込んだクリエイターなんだから

 そもそも俺がこんな治安の悪い界隈に来たのだって、お前らの作品に憧れたからなんだよ。どうしてくれるんだよ俺だけ残っちゃって。

 

 無論、俺の感情人生や尽くした労力がどうかなんて、悩める彼らには何の関係もない。彼らが足りないと言うなら足りないし、報われていないと思うなら報われていないし、不幸だと感じているなら彼らは不幸なのだ

 可哀想だ。助けてやれるもんなら助けてやりたい。

 信じてもらえないかもしれないが、これでも俺は相互の良きファン、良きライバル、良き友人でありたいと思っている。彼らの求めているもの、大切にしている価値観理解尊重したい。

 だが正直なところ、俺に共感できない問題相互が次々と病んで消えていく現状にかなり参っている。少しでも気を抜いたら「お前の価値理解しない有象無象クズどもとこの俺とどっちが大事なんだ」と、一昔前のめんどくさい彼女みたいな台詞叫びながら胸ぐらを掴みそうだ。

 

 どうしてやればいいんだ? 俺は。

 俺がもっと数字を持っている有名インフルエンサーになればいいのか。

 あるいは俺の行動や存在自体が彼らのプレッシャーになっていて、俺は今すぐ全てのファン活動を辞めて彼らの前を去るべきなのか。

 どちらも根本的な解決にはならない気がする。いや、まず他人の抱えている悩みを俺一人がなんとかしよう、できるという考え自体傲慢なのは間違いないのだが。

 

 俺はたぶん、側から見れば、世間の「バズりたい」クリエイター達が「そうできたらいいだろうが、そんなもの綺麗事理想論だ!」と声高に叫んでいる「綺麗事理想論」にそこそこ近いメンタリティ創作をやっているんだと思う。この増田共感されないだろう。(実際相互創作趣味の人と話していても、「純粋創作を楽しんでいる俺さんと違って周りを気にする惨めな自分…」みたいな自己陶酔のダシにされているのを露骨に感じることがある。正直けっこう不快だ。俺を鬱シコのズリネタにするんじゃねえよと思う)

 ただ、そこは仕方がない。創作活動モチベーションというテーマにおいて、マイノリティは俺だ。

 

 だからこそ教えてほしい。承認欲求を拗らせているクリエイターに対して、無名個人ができることは何なんだろうか?


 ……蛇足ながら最後愚痴らせてほしいんだが、俺だって別に承認欲求がないわけではない。不特定多数に期待しない分、「たまたま好きになってくれた最初の数人」に死ぬほど依存しているだけだ。

 つまり相互が病んで活動していない今、メチャクチャモチベーションが下がっている。 困る。

 誰だよ「みんな」って……

 思い通りの反応してくれない奴らのことなんか放っとけよ、俺がいるんだから俺で良いじゃん……

 前みたいに俺と遊んでくれよ……

2025-09-16

クリエイター推し友達、全員「バズり」に寝取られて病む

 長年創作活動趣味にしているが、「バズりたい」という感覚マジでからない。

 まず、俺が誰からも注目されず相手にされず流行りについていけないのは前提なので、落ち込む理由にはならない。誰からも期待されず好きなときに好きなように作品を作り、たまたま通りかかった中にときどき、作品メッセージ真剣に読み取ろうとしてくれる人や、楽しんでくれる人がいる。

 十分ハッピーだ。これ以上の幸せはないと思う。

 それに、酸っぱい葡萄と言われればそれまでだが、「バズった」ところで金以外に何か得があるか?

 アンチが沸き、ゾンビが沸き、よく知りもしない奴から急に馴れ馴れしく話しかけられ批評され消費され、フリー素材のオモチャ扱い。自称知識人からはただ「流行り物」というだけで唾を吐かれ、ほとんどの人間作品が何を伝えたいのか真剣に考えすらしない……。

 ちょっと想像しただけでも幸せになれそうなビジョンほとんど浮かんでこない。全く羨ましくならない。

 もちろんこれは俺の考え方が著しく歪んでいるだけで、「バズること」を目標に日々活動しているクリエイター否定するつもりも、貶めるつもりも全くない。むしろ俺は彼らを尊敬している。

 たとえ承認欲求を満たす為だとしても、ひとりよがりになりがちな創作活動において、自分客観視し、他人のための努力ができるというのは素晴らしいことだ。アートだって突き詰めればコミュニケーションだし、より多くの人に伝え届けるために上を目指して試行錯誤した者こそが報われて大成すべきだと思う。

 そもそもどんなモチベーション創作していようが出来上がる作品とは無関係なので、「バズりたい」という願望があなたの力になっているなら、ぜひ胸を張って堂々と「バズること」を夢見て頑張ってほしい。

 バズりたい、もっと人気になりたい、それ自体別にいいんだ。ピンとはこないが理解したいと思う。敬愛するクリエイター達には夢を叶えて幸せになってほしいから。

 ただ、それで病んだ奴の言い分が気に入らない。

 今いるのが創作界隈の中でも週2くらいで揉め事炎上が起こる限界部落な上、俺自身がこんな性格なので、変な言い方だが、俺は付き合う奴はかなり慎重に選ぶようにしている(大勢とうまくやっていけるほど器用じゃないという方がでかいが……)。

 おかげさまで鍵垢で繋がっている相互は皆、炎上騒ぎに動じることのない思慮深さと分別を持ち、ストイックに界隈のトレンド創作活動と向き合い、素晴らしい作品を生み出す、クリエイターとしても友人としても尊敬できる人達ばかりだ。

 そんな人達でも病む。

 そして決まってこういうことを言う。

「誰にも見てもらえない」

「どんなに頑張っても報われない」

自分作品必要とされていない」

 ふざけんじゃねえよ。

 この俺が好きだっつってんだろうが。

 お前の作品は最高で、お前は天才だって何回言えばわかるんだクソッタレ

 順番が前後したが、そんなことになる随分前から、俺は相互に「作品が好きだ」ということは欠かさず伝えてきたつもりだ。本当に、本当に手を替え品を変え再三伝えた。いいね拡散コメントファンアート二次創作、俺も自分作品生活があるので24時間365日とはいかないが、ファンとして友人として、やれることは全てやったと断言できる。作品ハッシュタグを賑わせ、オリジナルグッズを出し、コラボ作品でそこそこ権威のある賞も取った。お前らあとほかに何が足りないんだ?

 そういうことじゃないんだろうなとは重々承知の上だが、思わずはいられない。「誰にも」って何だ? 俺のことは見えていないのか?

 お前らや世間の皆様がどうなのか知らないが、俺はな、お情けや社交辞令二次創作ができるほど暇でもお人好しでもないんだ。本当に心からお前らの作品が良いと思ったか自主的にやってんだよ。お前らの作品世界観理解深めて二次創作に活かすために、俺新しく習い事始めたんだぞ。お前らの作品は人ひとりの人生を変えてるんだ。めちゃくちゃ凄いことだろうが。堂々としててくれよ、俺が惚れ込んだクリエイターなんだから

 そもそも俺がこんな治安の悪い界隈に来たのだって、お前らの作品に憧れたからなんだよ。どうしてくれるんだよ俺だけ残っちゃって。

 無論、俺の感情人生や尽くした労力がどうかなんて、悩める彼らには何の関係もない。彼らが足りないと言うなら足りないし、報われていないと思うなら報われていないし、不幸だと感じているなら彼らは不幸なのだ

 可哀想だ。助けてやれるもんなら助けてやりたい。

 信じてもらえないかもしれないが、これでも俺は相互の良きファン、良きライバル、良き友人でありたいと思っている。彼らの求めているもの、大切にしている価値観理解尊重したい。

 だが正直なところ、俺に共感できない問題相互が次々と病んで消えていく現状にかなり参っている。少しでも気を抜いたら「お前の価値理解しない有象無象クズどもとこの俺とどっちが大事なんだ」と、一昔前のめんどくさい彼女みたいな台詞叫びながら胸ぐらを掴みそうだ。

 どうしてやればいいんだ? 俺は。

 俺がもっと数字を持っている有名インフルエンサーになればいいのか。

 あるいは俺の行動や存在自体が彼らのプレッシャーになっていて、俺は今すぐ全てのファン活動を辞めて彼らの前を去るべきなのか。

 どちらも根本的な解決にはならない気がする。いや、まず他人の抱えている悩みを俺一人がなんとかしよう、できるという考え自体傲慢なのは間違いないのだが。

 俺はたぶん、側から見れば、世間の「バズりたい」クリエイター達が「そうできたらいいだろうが、そんなもの綺麗事理想論だ!」と声高に叫んでいる「綺麗事理想論」にそこそこ近いメンタリティ創作をやっているんだと思う。この増田共感されないだろう。(実際相互創作趣味の人と話していても、「純粋創作を楽しんでいる俺さんと違って周りを気にする惨めな自分…」みたいな自己陶酔のダシにされているのを露骨に感じることがある。正直けっこう不快だ。俺を鬱シコのズリネタにするんじゃねえよと思う)

 ただ、そこは仕方がない。創作活動モチベーションというテーマにおいて、マイノリティは俺だ。

 だからこそ教えてほしい。承認欲求を拗らせているクリエイターに対して、無名個人ができることは何なんだろうか?


 ……蛇足ながら最後愚痴らせてほしいんだが、俺だって別に承認欲求がないわけではない。不特定多数に期待しない分、「たまたま好きになってくれた最初の数人」に死ぬほど依存しているだけだ。

 つまり相互が病んで活動していない今、メチャクチャモチベーションが下がっている。 困る。

 誰だよ「みんな」って……

 思い通りの反応してくれない奴らのことなんか放っとけよ、俺がいるんだから俺で良いじゃん……

 前みたいに俺と遊んでくれよ……

2025-09-15

戦後保守」と鎮魂と平和

ちょっと前にtwitter(現X)に、民族主義右翼団体一水会を「戦前の亡霊みたい」と揶揄する投稿が流れてきてびっくりした。この投稿によれば、一水会は、大アジア主義などの戦前思想を受け継いでいる「サヨク」と同類であり、戦後保守本流は「親米反共統一協会在日米軍とも仲が良い」のだそうだ。いまどき大アジア主義など意識しているのはこの twitter子くらいで、この指摘はかなりトンチンカンだと思ったが、妙に心に残った。

親米反共統一協会在日米軍とも仲が良い」のは、国家主義右翼生存のための苦渋の方便だとずっと思っていたが、外面が内面侵食規定してしまったのが現在の(戦後のでは断じてない)「保守本流」なのか。

民族自決放棄した保守本流はあり得ないだろうと、その時は仰天したが、一方で、いろいろ合点もいった。

私は、ある年に靖国神社にご縁ができて以来、毎年数回参拝に行っている。すると祭以外の平日でも、たまに境内オールアメリカンスタイルマーチングバンドに遭遇する。その度に、戦中のアメリカ軍楽隊役割を思い、この人たちはなぜ英霊への敬愛のていで御霊が嫌がることをするのだろうと不可解だったが、そうではなかったのだ。

彼らが敗戦から学んだのは、国力に勝る大国と戦ってはいけないということではなく、固有名詞としてのアメリカと戦ってはいけないということだったのだ。だからアメリカン楽曲靖国神社境内で派手に演奏して御霊に聞かせるというパフォーマンスを行うのだ。それは、こんなにアメリカと仲良くなりましたよ、安心してお眠り下さいという彼らなりの鎮魂なのだ

この英霊への鎮魂は、しかしやはり冒涜ではないか。聖域で禁忌を犯し神を怒らせて雨乞いをするような平和への願いは、無事叶うのだろうか。

2025-09-01

雑記

お世話になった方へ何か贈り物を、と思案していたところ、ふと、旧い友人が営む店の品が頭に浮かびお品の準備をお願いしたのが昨年の夏のこと。

その品は、家業伝統技術先進的なアイデアとを組み合わせて友人が生み出したプロダクトで、先方の心を掴み反応も上々。御礼の連絡と合わせ、関西に戻ったらまたお店に顔を出すよと友人に伝えたところ「楽しみにしてるよ!」と昔と変わらぬ快活な返事があり、再会を楽しみにしていたところでした。

その友人がこの夏に亡くなりました。京都人らしいユーモアに溢れ、誰からも愛される素敵な人でした。

こうした深い悲しみはそっと胸の内に秘めておくのが望ましい態度であることは承知しているのですが、今日何気なく私が敬愛するソングライターSNSを開くと、彼もまたその友人と親交が深く、離別の悲しみを綴っており、それを見て驚き、また感極まって匿名の海の中で筆を取った次第です。

今年に入り、様々な人との今生の別れが続き、心重い日々が連綿と続いているのですが、強く前を向いて生きていければな、と思っています

〜〜〜〜〜〜

前述のソングライターSNSでの発信と合わせて遠い昔の曲のサブスク配信を始めていました。

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真珠色の雲が散らばってる空に 誰か放した風船が飛んでゆくよ

駅に立つ僕や人混みの中何人か 見上げては行方を気にしている

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まだまだ暑い日が、続きそうですね

2025-08-04

子どもを持つべきなのか

既婚30代前半。子どもを持つべきか悩み続けてる。

自分は優秀な遺伝子じゃないか子どもを持つべきではないとずっと考えてきた。

容姿も良くないし、遺伝的な外見に出る持病もある。20代前半まではコンプレックスもひどくてつらい人生だった。

内面も良くない。賢くもないしおおらかで優しい訳でもない。

から自分遺伝子が半分入ってしまうことが申し訳なくて、子どもは作らないつもりだった。

ただ案の定、この歳になると子どもを作らないと後悔するぞ、子ども笑顔こそ人生幸福なんだと言われる機会が度々あった。

実際我が子を愛おしそうに見つめる友人の顔を見ていると、子ども可愛いだろうし、幸せなんだろうなと感じる。

でもそれは、敬愛する友人の子から可愛いのであって、自分の子だったら可愛くないんじゃないかと考える。

そんなことをぐるぐる考えている間に何年も過ぎて、歳をとった。

趣味サークルに入っているのだが20代〜30代の方は子どもができると参加頻度も下がってどんどん入れ替わっていく。

ずっと通い詰めているのはアラフォー以上の独身や、自分みたいな子なしばかりだ。

自分より若い方が子どもを育てて社会貢献しているのに、自分は…みたいな自己嫌悪を正直ある。

そんな理由子ども作ったところでエゴしかないし、そんなことを考えてしま自分は未熟過ぎてやはり親になることはできないとも思う。

ただタイムリミットが来るまで悩み続けて、どうしたって後悔するんだろうなと思うと

どうしたら一番後悔を減らせるのか悩む。

2025-07-24

30年前、オジー・オズボーン武道館舞台裏で遭遇した話。

から約30年前、私が大学生だった頃、コンサートスタッフバイトをよくしていた。

武道館東京ドームなどの大きな会場で、日雇いバイトとして警備や搬入・搬出を手伝う仕事である

1998年3月5日日本武道館で警備のバイトに入った。

集合時間になると、数十名のバイト仲間が武道館の所定の場所に集まり、その日にどこの警備担当になるかが振り分けられた。

当然ながら、バイトから最前列の警備やりたいっす!」などと言えるような世界ではない。仕事なのだから、言われた通りに配属されるだけだ。

私はなぜか舞台裏に連れて行かれ、「ここにずっと座っていて。関係ない人が来たら入れないで」とだけ言われた。

そこは、武道館の中にある道場ライブ会場をつなぐ通路のドアの前。一般の人がライブとは別の目的で出入りしている場所だった。

「これじゃあ本番の音が聴けない……」と落胆しながら、パイプ椅子にただ座ってボーッとしていた。

すると突然、私の2~3メートル先に、徘徊する老人のように怪しくヨボヨボと歩くスウェット姿の男性が現れた。

よく見ると、それはオジー・オズボーンだった。人生で最も震えた瞬間だった。

オジーは近くにいたスタッフを捕まえ、私のすぐ右横にあった自販機を指差しながら、「ワンダワンダ!」と、缶コーヒーWONDAを買ってもらっていた。

その後、WONDAを手にしたオジーは、忙しく準備に走るスタッフの周りをウロウロしながらそれを飲んでいた。

想像してみてほしい。誰もが敬愛するヘヴィメタル帝王が、ノーメイクスウェット姿で、誰にも話しかけられることもなくうろついているのである

ここまで“素”のオジーを目撃した日本人は、私以外にあと何人いるだろうか。

そこへ今度は、長いブロンドヘアにベルボトムジーンズ長身男が颯爽と大股で歩いて現れた。ザック・ワイルドだった。カッコよかった。

ザックはオジーを見つけると、何やら話しかけ、そのまま二人は私の視界から消えていった。

ここまで来て、「今日の配属先、最高の大当たりじゃん!」と、一人感動していた。

やがて開演時間が近づき、私はそのタイミングトイレに行きたくなり、持ち場から少し離れたトイレへと向かった。

その道中、髪をなびかせて堂々とステージへ歩いていく一人の男性とすれ違った。オジーだった。

さっきの“徘徊老人”とはまったく別人。間違いなくそこには、ヘヴィメタル帝王がいた。

私は“スター”という存在本質を、この目でしっかりと見たのだ。

今でも忘れられない、貴重な瞬間だった。

そんな昔の思い出を、私は昨日(7月23日)の早朝、目が覚めた瞬間に急に思い出した。

その後、何気なくPCを開いてFacebookタイムラインを眺めていると、何やら海外アーティストたちが一斉にオジーのことをポストしていた。

!?」と思って、オジー・オズボーンニュース検索してみた。

↓↓↓

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250723/k10014871841000.html

驚いた。前触れもなく、夢でもなく、ただ目覚めた瞬間に思い出したオジーとの遭遇話。

亡くなった飼い犬が夢に出てくる……なんて話はよく聞くが、それに近い、なんとも言えない嬉しさがあった。

きっとオジーは、成仏される前にファンへきちんと最後挨拶をしてくれたのだと、私は思っている。

ありがとうオジー。安らかに

2025-07-17

anond:20250717040810

権力弱者や多数と少数に関わらず、すべての人に敬愛をもって接することができる人をリベラルと呼びたい

2025-07-10

anond:20250709160148

おおう、意外にホッテントリ入ってびびたわ。すまんな、投票先がないといったのは嘘だ。選挙区自民に入れる予定だわ。

で、佐賀県民が居ないようだから候補者解説?するやで(敬称略

佐賀市市議。ワイは今回この人に入れようと思ってたけど、敬愛する原口氏の立ち上げたゆうこくの同士 https://yukoku.org/ ということを知って回れ右したで。

そのショックで元記事書いたってわけ。

元々アレって感じはしてたんだけど大串さんあたりと繋がっていればまだましかなと思っていたところ、がっつり原口派閥なのはちょっとね。

2年ぐらい前からよく辻立ちしているのを見るようになった子や。がんばっとりますわ。自称ひきこもりらしいで。 https://x.com/higoshi_sansei/status/1929162216399622307

名字めずらしい!何回見ても読めねぇ

  • N党

未だに選挙ポスターも貼られてないからようわからん名前も覚えてない。調べる気もナッシング

ポスターが遠目に見ると某国民的ヒーローによく似ているんや。

佐賀選挙区自民党国政議員共通して言えることなんだけど、党内での立ち位置が低いのか全然主張が見えてこないんや。無味無臭

方針に従っている感ありありで面白みに欠けるのよな。比較的若手なのでがんばって欲しいんだけど。

今まで清和会が力持ってたか自民はナシだったんだけど、岸田-石破の流れ、清和会解散自民もアリなお気持ちです。

最初選挙区立民、比例区自民記名でいこうかと思ってたのだけど、選挙区自民比例区どっかor誰かで行く感じですハイ

もっと絶望的な選挙区があれば教えてくれると嬉しいな

おまけ追記: なぜか選挙公報GitHubのOctcatが居るんだが https://anond.hatelabo.jp/20250710185643

2025-07-03

昭和天皇夫妻って、考えてみるとすごいな

天皇男系男子が継ぐ!ってのに誰も疑問なんか挟まない時代に、4人連続女の子しかまれず、側近が側室を迎えることを提案するも昭和天皇は断固拒否

そのあとようやく男子(今の上皇)が誕生、でもそれで満足せずにさら男の子1人、女の子1人をもうけてる。

これはもう杉浦太陽辻希美夫妻レベルな仲の良さだ。

もちろん国家元首任務としてせっせと励んだ面はあるのだろうが、それでも“じゃ、朕の側室はこういう感じで”と希望を述べればいろいろ周りが動いてくれたのだろうに、そんなことはせず皇后一筋に励んだの姿勢は、日本男児たるもの、見習うべきであろう。

昭和天皇夫妻が仲睦まじいことは有名で、淳皇后はその温厚な笑顔と、いかにも“日本のお母ちゃん”然とした安産体型も相まって、“国母”として敬愛されていたというが、宜なるかな

七人も子供もうけて夫悠然と微笑む姿は、なるほどかつての“理想女性像”だったのだろう。

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