はてなキーワード: 承認欲求とは
作中で嫌な編集者を「プロにはなりたいですが、それは貴方とではありません」と言い放って草食系オタク男編集者と組むんだけど、な~んかモヤる。
もしかしたら嫌な編集者がマシリトみたいに口は悪いけど物事の本質を突くタイプかも知れないじゃん。
要するにこの女はプロになりたい訳じゃないのね。同人みたいにわかる~!〇〇君良いよね~!って言いながら漫画書いてたいだけなのこの女は。まあそういう漫画なんだけどね。
分かります、その「な〜んかモヤる」感じ。
現実のヒット作は「作家のこだわり」と「編集者の客観的な市場視点」が衝突した火花から生まれることが多いものです。
最初から「わかる〜!」で繋がっている関係は、読者から見れば「ただの仲良しごっこ」であり、プロの現場としてのヒリついた緊張感が欠けているように映るのでしょう。
結局のところ、この作品は「創作の苦しみ」を描くドキュメンタリーではなく、「理想の理解者に会えて肯定される」という承認欲求を満たすためのファンタジーとして設計されているのだと思います。
私は独身女だ。
近く同い年の同僚が産休(2人目)に入ることになった。
彼女は夫婦揃って実家が遠方らしく事あるごとに大筋「実家が頼れない私に会社が配慮してくれないのマタハラだと思う」といった不満を口にしていた。
彼女は勝ち気で承認欲求が強く、キャリアも家庭も両立するスーパーウーマンに対する憧れが捨てきれない質だった。
「35歳までに2人目産み切りたかったからホントに良かった〜」「お子が保育園入ったら絶対仕事復帰してバリバリ働く」と日々軽いマウント?のようなコメントで私の神経を逆なでする。
彼女の業務は派遣の事務員レベルの作業を正社員の給与水準で通常のスタッフの1.5倍程度の時間をかけて終わらせること。
会社が勤続年数の長い彼女をなぜ甘やかしているのか甚だ不明で、時短勤務の彼女の雇用をささえる為に私は月200時間働いて土日は婚活するでもなくぐったりしている。
平日チームスで「増田さん今日ランチ行きません?」の連絡がある度にお前と違って忙しいから無理!の言葉を飲み込んでやんわり断る。正直東京のランチ高すぎ。旦那が生活費払ってくれてる人には分からないんだろうけど。
日本のネットユーザーの一部に、奇妙な「勝利条件」が定着している。リアルでのコミュニケーションを避け、オンラインでも積極的に拒絶されること、すなわち無視・ブロック・炎上・排除されることを、むしろ自分の正しさや純粋さの証明として受け止める人々だ。彼らにとって「勝ち」とは、相手に反応されないこと、集団から弾き出されること、沈黙の海に沈むことである。こうした病理は、匿名性に守られた日本のネット文化が長年育んできた特有の歪みと言える。
背景には、1990年代後半からの2ちゃんねる文化がある。実名を晒さず、顔も見せず、責任を負わないまま攻撃や皮肉を浴びせ合う空間。そこで培われたのは「空気を読む」ことの逆説的な極端化だ。反応されれば負け、絡まれると面倒、褒められても胡散臭い。理想の状態は「存在を認められず、静かに漂う」ことなのだ。この傾向はSNS時代に加速した。彼らにとって拒絶は「俺は間違っていない、周りが腐っている」という自己肯定の証拠になる。ひきこもり研究でも指摘されるように、社会的つながりの希薄化と承認欲求の異常な形骸化が重なる。リアルで拒絶される恐怖を、ネットで「自ら選んだ勝利」として再解釈することで、心のバランスを取っている。
病理の根は深い。長時間労働、低賃金、将来不安、人間関係のストレスで疲弊した人々が、ネットを「安全な逃げ場」とする一方で、そこでも本物のつながりを恐れる。匿名性が攻撃性を増幅し、集団極性化を起こす環境では、穏やかな会話より「叩かれること」や「無視されること」の方がエネルギーを消費せずに済む。結果、コミュニティは細分化し、エコーチェンバー内でしか生きられなくなる。外部の声は即座に「荒らし」認定され、拒絶される。
こうした人々は、決して少数ではない。40代ひきこもり問題や、若者の「ドライ志向」の裏側にも通じる。日本社会の「調和優先」「不都合な真実の拒絶」という構造が、ネット上で極端に増幅されていると言える。コミュニケーションを拒絶されることを勝利条件に選ぶのは、究極の防衛機制だ。しかしそれは、孤独を美化し、成長を拒否する悪循環を生む。本当の勝利は、拒絶されることではなく、拒絶されてもなお繋がろうとする勇気にあるのかもしれない。ネットがリアルを侵食する今、日本人はその病理からいつ目を覚ますのだろうか。(約980文字)
自分の意思で愚かな選択をする人に限って自己肯定感が低く承認欲求が強く、自分を肯定してくれる人だけに寄生する。根本の人格が直らなければ行動も直らないので人格ジャッジせざるを得ない。そういう人に寄生されると精神がすり減る。被害者に見える人が加害者かもしれないことも考えて欲しい
最近、SNSを見てて覚える違和感
他人の選択がどんなに愚かに見えても、その人の積み上げてきた過去が背景にあり、真摯な選択あるいは「それしか選べない」という状況でされた選択なんだということを思えば、外野が軽々しく蔑んだり嘲笑したりするものではない
ということを時々、思います…— このは舎 (@konoha_voice) May 6, 2026
異論はあっても、相手の人格についての評価やジャッジなしに行動だけを問う ということはできるし、それをしなきゃいけないんじゃないかと思いますよ
なんでそういちいち、ジャッジが入ってくるんだ
と色々な場面で感じてしまうんですよね— このは舎 (@konoha_voice) May 6, 2026
「知能」云々は論外です
本当にやめてほしい
自分たちが何を言っているのか省みてください— このは舎 (@konoha_voice) May 6, 2026
前提として、自分は生成AIでイラストを生成・加工したことはないし、これからするつもりも全くない。
理由としては、生成AIはいろんな人の絵や写真を無断学習しており──という事ではない。単に、自分の手で描く方が楽しいから絵を描いている。プロンプトでのイラスト生成より、ペンで線を引く方が、自分の思ってるものを出すには早くて楽だ。だからAIでの画像出力には興味がない。
その上で、絵師をアイデンティティにしてる連中の生成AIアレルギーが最近どうにも気持ちが悪い。
言っておくが、もちろん「この経緯だとそりゃAIを嫌いにもなるよな」と感じる反AI絵師ももちろん知っている。AIを使って嫌がらせを受けたり、自分の絵柄を模倣したAIで悪意あるイラストを生成されたり。そりゃあ嫌にもなると思う。
その上で、「「絵師」というカテゴリーの人間は全員生成AIが敵である」という絵師たちの空気感が気持ち悪くて仕方がない。
個人的な意見だが、今の絵描きたちは、AIよりもむしろAIを嫌うものたち(絵師たち自身を含めてだ)のほうに攻撃されていると思っている。
Twitterひとつとっても、綺麗な絵に「これは生成AIだ」と決めつけるツイートが毎日のように投稿されている。
AI認定の論拠はさまざまだ。指が6本、細部が溶けているという明確な理由のものから、原作デザインと細部の模様が違う、指の数を間違えているなんて手描きでも当然のように出てくるミスまで、山ほど。
そして悪いことに現代インターネットは「悪者」を燃やすことに命を賭けられる人間が目立ちすぎる。その中で分かりやすい「生成AIを使う絵師もどき」はそりゃあ格好の餌だ。本当にAI製だなんて本人以外にわかるはずもないのに。
下書きが雑なのにいきなり線画が綺麗になるからどうした。一発描きで美しい絵を描ける人間なんていくらでもいる。絵柄が典型的なAIだからどうした。その人は2020年からもうその絵柄を確立させている。
話は変わるが、とある可愛らしいマスコットがインターネットで人気を博しているのは知っているだろうか。教育番組をテーマにした、あの非常に可愛らしい大人気のマスコットだ。
かのマスコットを描いた絵師が、あえて生成AI風のイラストを公開し、あとからタイムラプスを添えてそれが手描きであると証明したことがある。
そのイラストに対してあったのは、最初は大批判、手描き証明のあとは大賞賛だった。
生成AIの画風(と言っていいのか定かではないが)を誰にも見分けがつかないよう模倣するその技術力は素直に賞賛ものだ。本当にすごい絵師さんだと思う。
だが、それを見ているものはどうだっただろう。
同じイラストを見て、AI製だと思ったらゴミと殴りつける。手描きだと思ったら神と崇め奉る。
変だ。
例えば、ここに料理があるとする。
そこで料理したのが人間のシェフではなく機械調理だと知ったならば、その料理をゴミ箱へと捨てるべきなのか。
人が考えたレシピをそっくりそのまま調理して作られた料理でも、それはゴミとしていいのか。
人間のシェフにとっては、美味しいと喜んだ人間も、それを調理した機械もゴミとなるのだろうか。
おかしい。
そして何より、機械調理をゴミだと呼ぶシェフたちが、同じ料理人たちに向かって「機械は悪だ」「お前も機械を使っているんじゃないか、ならばお前も敵だ」と殴りかかっている。
こんな事態が起こっているのは、少なくとも自分の観測範囲では我々イラスト界隈くらいなものだ。
プログラマーというAIに近しい人々は勿論、コスプレイヤーだって画像加工にAIを使用しているし、字書きだってAIと共に作った作品を文学賞に出して選考を進んでいる。
勿論プログラマーもコスプレイヤーも字書きも「生成AIは嫌だ」と言う人はいるだろう。それは個人の自由だ、制限することも批判することもない。
だが、こと絵描き界隈においてだけは「生成AIを使う人間は畜生以下だ」という暗黙の協定ができてしまっている。
生成AIへの強すぎる嫌悪と晒し上げが、自分は本当に嫌だし怖い。
ほんの少しの悪意に見つかってしまえば、自分は本当にAIを使わずに手で描いていたとしても「AIだ」とレッテルを貼られる。「AIかもしれない」という偏見はその後ずっと残り続ける。
以前Twitterには、絵描きの絵を引用しては「これはAIだ」と判定するだけのアカウントがあった。自分も何度か覗いたが、本当にめちゃくちゃな因縁の付け方も数多くされていた。それでも絵師たちはそのアカウントを見て「こいつはAIだ」と引用されたアカウントを敵視した。
その後、そのAI判定アカウントはフォロワー数が集まったところで売りに出された。
AI嫌悪の絵師たちの過剰に煽られた怒りは、それ以上の悪意によって金にされるだけのものなのだ。
どうにかこの絵師界隈に蔓延る「生成AIを使うやつはみんなの敵だ」「だからAI信者は探し出して吊し上げるべきだ」という空気感から逃げたい。
ひとくちに絵師と括っても、中にいるのはAI嫌悪たちの大好きな人間そのものなのだ。AIが嫌な人間もいれば、私のようにAIをあまり嫌だと思えない人間だっている。その方向性は全員違う。巻き込まないで欲しいと言うのが本音だ。
今はまだ、AI判定吊し上げの当たり判定は「画像」という範囲に収まっている。だがそれでもその当たり判定はどんどん拡大しているように思う。
最初は生成AIでのみ作られた絵を叩いた。次に、AIイラストを加筆した絵を叩いた。その次は生成AIをトレス元に使った絵を叩いた。最近は生成AIを模写したものまで叩かれるようになっている。ここまで来たらもう、疑われた時点で終わりだ。AI不使用の主張は悪魔の証明と化している。
おそらくだが、このまま行けば「AIを使ってイラストの構想を練った」「AIでネタ出しした」くらいまでは叩かれるようになるんじゃないかと思う。このネタはAIっぽい、この構図はAIっぽい、そんなことまで言われてしまえばもう終わりだ。もし自分に悪感情を勝手に抱いた誰かが自分にAIの難癖をつける引用ツイートをしたら簡単にこれまでの歩みは終わるようになる。
絵描き以外は、各々の方向でAIと付き合い、活用し、和解し、共に歩もうとしている。どうして絵描きだけこうもヒステリックなのか。どうして「自分は線を引くのがただ好きなだけだ」という心に戻ることができないのか。本当に恐ろしい。
生成AIの何がそんなに嫌なんだ。AIで嫌がらせされるのはそりゃあ自分も嫌だが、じゃあAIに過敏なあいつらは全員AIを使って集中攻撃でもされたのか。
自分の描いた絵よりも生成AIの方が数字が伸びることが許せないだけだろう。
もうみんな、数字を伸ばしたい承認欲求を満たしたい、だから自分より楽してみんなに認められ数字を稼ぐあいつらが許せない、になっていないか。
その気持ちは、貴方たちの大嫌いな「生成AIイラストで承認欲求を満たしたいだけのアカウント」と何が違うんだ。
自分の満たされなさで他人を攻撃しないでくれ。AIイラストにたくさんいいねがつくのなら、それはAIイラストだったとしてもこれは素晴らしいと思った人がそれほどの数いたということじゃないか。
だからといって自分の絵がAIイラストに劣るという証左になるわけでもないだろう。絵が伸びるかは、昔からずっと、ただの運だ。ガチャを回して、自分は目当てを引けず誰かが目当てが引けたからと言って、自分の価値が下がると本気で思うのか。
つらい。
こんな増田の自己開示なんてだれも当てにしないとは思うが、自分だってそれなりに人に見てもらえる方の絵描きだ。見てもらって喜んでもらえることは嬉しい。だからって、他の絵師を見て「あいつのほうがどうして喜ばれてるんだ」と逆恨みすることはない。自分が絵を描いていて楽しいのなら、他人の絵の評価なんて気にしなくていいじゃないか。これが美大受験やコンクールなら大いにわかるが、ただのSNSなんだぞ。
自分はとある漫画の二次創作をしているオタクだ。少し前相互の一人がジャンル移動して別垢を作った。それ自体はいいのだ。よくあることだし自分も何度も移動しているから。オタクをやってたらよくあることにいちいちイライラしないしその人の自由だ。
じゃあ何にイライラしているのかというと、いちいち自ジャンルの垢に戻ってくることだ。たまに戻ってきてくれるなら良かったじゃないかと思うかもしれない。だが全然嬉しくない。
何故なら移動先のジャンルの新刊の宣伝、移動先ジャンルの供給の宣伝、キラキラ生活の投稿しかしないからだ。戻って来たって自ジャンルの話なんてしやしない。
別ジャンルで新刊出します、イベント来てください、みんなこの映画・アニメ(移動先の作品)見て!、アフヌン行った(移動先ジャンルのぬいとキラキラの爪が写る画像)こんなのばっか。
移動先のジャンルが好きな人や興味がある人はとっくに別垢フォローしてるっつうの。ご丁寧に別垢作りました興味があったらどうぞって宣伝を別垢作った時にとっくにやってんだから。
興味本位で別垢覗きに行ったら全く同じキラキラ日常画像投稿しててどんんだけ見てほしいんだ、自分たちはお前の承認欲求満たす存在かと呆れた。
お前が好きなんじゃなくてお前が書く自ジャンルの二次創作が好きなだけだから別ジャンルとキラキラ日常の話されても知らん。わざわざ別垢作ったんだったらずっとそっちに籠ってろよ。
もういい加減鬱陶しいだけで未練も何もないのでブロックした。
インセル、入ってる。67点。
ボケた祖父を介護しながら大型スーパーで働く主人公のジョナサン・メイジャースはIFBBプロを目指すボディビルダーの卵。怒りを制御できない彼はカウンセラーに通いながらもゴリゴリにステロイドを打ちジムに通うもジムにも職場にも彼の周りには誰もいない。そんな彼は白人のボディビルチャンプに心酔しており、彼に返事のないファンレターを書き募る日々を送っている。そんな彼の日常が些細なことがきっかけに崩れていく。
みたいな話。
なんかさー、つらい映画だったよなぁ。
ジョナサンは黒人でユーザーだけどちゃんと鍛えてて、でも大きくならなくて、ジム仲間もいないからポージングがへたくそで全然承認が得られなくてさぁ。黒人なのに黒人コミュニティにも所属してなくてなんなら白人のいい子ちゃんみたいな服装ばっかりしてる。シャツは襟付きだし、もこもこの手編み風のセーターを着てる。途中で、レストランでブチ切れて周囲の客全員をののしるシーンがあるんだけど「ハゲ!」「チビ!」「デブ!」「ブス!」っていう、子供の悪口みたいなことしか言えない。黒人らしいF〇uckとか一切言えないの。
一方で、バイト先のスーパーで客が買ったパイに唾たらしたり、仕事のやる気がなかったり、職場の気になるあの子のシフトを調べて通い詰めたり、人に好かれる方法をネットで調べたり、まるで非モテ増田のルサンチマンを煮詰めたような行動をどんどんお出ししてくる。また、祖父を馬鹿にされたと思ったらブチ切れてペンキ屋の店をバッキバキに破壊したりとマジでろくでもない奴でもある。
典型的なコミュ障でアスペ気味というか明らかに定型発達障害の傾向も見えるし、そんな中でヤングケアラーとして今の社会に呪詛を吐き続ける従軍経験のある祖父をリスペクトしながらも面倒を見続け、さらにはステロイドの副作用で身体はボロボロだし精神はロイドレイジを発症しているという生きづらさ三倍満。そしてキモ・ヲタらしく推しビルダーへのファンレターにも「なんで連絡くれないの?」「これ届いてる?埋もれちゃった?」とか書いちゃうのもさぁ、なんかつらいよね~。ジャパニーズ・キモ・ヲタが部屋中にアニメポスターを張るように彼は部屋中にボディビルダーのポスターを張っている。
せめて鍛えた筋肉で人気者になりたいとSNSに動画を上げるも、散々バカにされインセル臭がすごいとまで言われちゃう。
でもそんな中で職場の気になる女の子を頑張ってデートに誘ってオッケーをもらってしまう。非モテ増田ブチ切れ。裏切者。しかし、そのデート先でボディビルダー特有のコダワリを発揮して店員を困らせ、バカみたいな量を注文し、推しビルダーを知らないと言われると説教までしてしまった結果、彼女には逃げられてしまう。
ここでさぁ、彼が「男に生まれたからにはデカいことを成さないといけない。じゃないと忘れられてしまう」って話をするんだけどさぁ。思うんだよね、目の前にお前を見てくれている女性がいて、この女性を本当に大事出来たら世界のだれもお前を覚えてなくても、彼女はきっとお前のことを忘れない。それこそが生まれてきて人がなすべき本当のデカいことなんじゃないかって。
実際、最後の最後の最悪の瞬間にこれまで話の中でちょろっとしか出てこなかった母親が主人公を愛していた瞬間のことがフラッシュバックで表れて彼は最悪の選択を避けることができる。つまりあの瞬間、彼の母親は「忘れられてしまわない」ってことで、何より「デカいことを成した」んだよね。そしてそれをたぶん彼は自覚してステロイドを捨てて、自分自身を承認するために再び自分の身体に向き合うことを決める。
このエンディングを甘いと思う人もいると思うんだけど、俺はめちゃくちゃ誠実だと思った。
もろちん、彼が引き金を引いてレガシーを残してあのバカみたいな笑顔を浮かべてエンドでもよかったかもしれないけど、それじゃあジョーカーじゃん。
彼は審査員を銃で脅していて、ステの副作用で心筋は肥大しいつ止まってもおかしくなくて、腎臓にもクソデカ腫瘍ができていてはっきり言って未来なんかなんもないんだけど、なんもないんだけど最後に心の平穏を得られたのはよかったかな。
話は戻って彼が黒人コミュニティに属せない人だってのもなんか切なくて、彼が狙ってるかわいこちゃんは当然白人だし、ボディビルヒーローって現代で言えばロニコーとかも含めて黒人はいっぱいいるんだけど、彼は白人ビルダーを推しに選んでいる。自業自得でコンテストで失敗した彼は(ここの展開あまりにセッション過ぎて笑っちゃった)、筋肉はあきらめ筋肉の代わりに男性性として銃を手に入れる。そしてクラブに行ってすわ乱射事件かと思ったら、そこでボディビルのポージングをとるんだよね。黒人ばっかりのクラブの中で彼らのダンスのノリにも結局迎合できず、孤独にポージングをとる。
黒人娼婦を買って彼女の前で服を脱いで筋肉の評価をしてもらう展開があって、いやこれ自体もゲロキショなんだけどそこで全肯定されてついに自分を受け入れてくれる人に出会えたと勝手に勘違いしてキスしようとしたらぴしゃりと拒絶される展開もあまりに哀しくてねぇ。キショいんだけど。そして童貞喪失失敗した後に推しビルダーから連絡が来てウキウキでついていったらケツ掘られて、しっかり性的搾取までされてしまうのはさすがにちょっと草だった。けど、ボディビルというマッチョイズムの頂点にいる人間も結局醜い搾取者だったという主人公の美しい信仰を最悪の形でぶち壊してるんだよね。
なんていうかアメリカ的なマチズモの中だからこそ生きづらい人なんだろうなって思った。
彼のコミュニティからの断絶って最小単位のコミュニティである家族ってものが、父親の心中によって幼少期に壊されたことに端を発していて、以降、彼は祖父の介護という形で自身を常にギブし祖父からのテイクは従軍時代の男とはという価値観だった。そしてその男性性を保つために彼はボディメイクを始めたんだと思うんだよな。そしてそれを最悪な行為によって失った結果、彼はすべてをかなぐり捨てて無敵の人になるんだけどそれでも最後に、母親から愛されていたことを思い出して踏みとどまる。この映画っていろんな生きづらさを描きながらもコミュニティに承認されることの映画だったのかなと思った。
まぁ、そんな感じかな。
正直ちょっとダラダラした展開もあるしボディビルダー的な話は中盤で終わっちゃってそこからはインセルと無敵の人の綱引き大会が始まるのでなんか思ってたんと違うなぁって感じがするかもしれない。でもまぁ、現代はMagazine Dreamで雑誌の表紙を飾ることで承認されたい、人に記憶に残りたいって話で、その承認欲求の行きつく先の一つに無敵の人化があるっていう話なんだろうなとは思ったかな。
原神でもブルアカでもホロライブでもいいけど、ガイドラインの最後の方をちゃんと読めよ。
この最強のジョーカーが入ってる時点で、公式はお前に何も約束してないんだわ。
お前がどれだけルールを守ってるつもりでも、公式が「あ、こいつの絵、なんかムカつくわ」「ブランドイメージに合わないわ」って思ったら、その瞬間にアウト。
ガイドラインは「ここまでは安全」という保証書じゃない。「俺様が機嫌を損ねたら、いつでもお前を潰せるけど?」っていう最後通牒の猶予期間にすぎない。
そもそも法的に言えば、二次創作はどこまで行っても著作権侵害なんだよ。
あれは「契約」じゃない。ただの「一方的なお願い」か、良くて「今のところは訴えないでおいてやるリスト」だ。
「お願い」に従ったところで、著作権者と対等な立場になれるわけじゃない。お前らは依然として「泥棒した素材で勝手に商売(あるいは承認欲求の充足)をしてる居候」でしかないんだよ。
ガイドラインを読んで「公式公認!」とか言ってる奴は、マジでリテラシーが低すぎて見てられない。
→ 読解力ゼロ、将来なんて気にしない。今が良ければそれで良い若者バカの巣窟。
・X(Twitter)
→ 読解力3行、小学生レベルの文章力で日々マウント合戦する、炎上大好き野次馬根性バカの巣窟。
→ 読解力5行、人生に疲れ、X(Twitter)にも疲れたけどSNSを卒業できないバカの巣窟。
・note
→ 読解力10行、特にこれといった特徴がない無個性バカの聖域。(炎上が起こりにくい)
→ 読解力1行、感情と偏見だけで回ってる、被害者意識バカの井戸端サロン。
・5ちゃんねる
→ 読解力1~10行(気分次第)、もはや会話じゃなく怒鳴り声の応酬。自己矛盾も気にしない老害系バカの終着駅。
→ 読解力20行、説教・自己啓発・人脈マウントが日常。現実で評価されない中年バカの避難所。
・Quora
→ 読解力100行、長文を書くこと自体が目的化した高学歴こじらせバカの博覧会。
→ 読解力15行、日常・美容・育児・芸能のリアルと盛りの間を行き来。共感と自己ブランディングで回る“キラキラ系バカ”の生活展示場。
→ 読解力30行、冷静に見せかけて内心は承認欲求のかたまり。独自ドメインと収益報告でマウントしがちな“静かなバカ”の研究室。
→ 読解力5行+一言コメント、記事は読まずにタイトルで斬る“知ったか評論家バカ”の闘技場。スターの数が戦闘力。
→ 読解力40行、自意識と承認欲求を匿名でこじらせた長文の海。たまに名文が生まれるが大半は“共感待ちバカ”の文学ごっこ。
→ 読解力50行(英語込み)、やたら合理的で皮肉屋。賢そうに見えるが結局ミームで全部済ます“インテリ風バカ”の集合体。
→ 読解力∞、文章というより“布教”。読者不在でも語りたい、孤高のバカたちの電脳寺。
・SNSをやらない人
梅原大吾を裸の王様になっていると批判する人は根本的にズレてるよ。
もちろんそう指摘する人自体もウメハラファンでファンだからこそ現状の客寄せパンダのウメハラを見ていられないという気持ちはわかる。
でも、そもそもウメハラを崇拝する人は結果を見てウメハラを尊敬してるわけじゃないんだわ。生き様に惚れて応援してるのであって結果はマジでどうでもいい。
大成功してタワマン住んで引退して大会の解説とか格ゲー教室だの広告塔だけで十分遊んで暮らせるのにいまだに馬鹿にされならも現役続けてる生き様に惚れてるのよ。
だからウメハラを叩く人自体が周りの評価だの目線を気にして生きて苦しんでるというブーメランになってるわけ。ウメハラは他人の評価とか承認欲求とか全てどうでもいいと思ってるからかっこいいのよ。
知っていること。
言語化できること。
抽象化できること。
それっぽく批評できること。
構造を整理できること。
かつては、それだけで飯が食えた。
だが今は違う。
しかも、そこそこの精度で。
「何を知っているか」ではない。
何を背負っているのか。
何に身体を張っているのか。
何を本当に変えようとしているのか。
何を残そうとしているのか。
そこに尽きる。
知識人が本物か偽物かなど、もはやどうでもいい。
本物の知識人であっても、ただ言葉を並べ、時代を論じ、既存の概念をこねくり回し、SNSで拍手を集めているだけなら、AI時代にはほとんど価値がない。
それはただの言語芸人であり、情報商材屋であり、時代のノイズでしかない。
彼らがやっていることは、
社会を前に進めているように見えて、
実際には社会の表面を撫でているだけだ。
画面の中で騒ぎ、
言葉の中で勝ち、
数年後には誰も覚えていない。
歴史でもない。
思想でもない。
ただの消費物だ。
彼らは土地を耕す。
水を読む。
季節を見る。
土を守る。
種をつなぐ。
食を支える。
これはAIにはできない。
だが、それでも最後に残るのは、土地に対する責任であり、身体性であり、継承であり、生活そのものだ。
そこには歴史がある。
蓄積がある。
失敗がある。
覚悟がある。
それに比べて、Claude Codeの使い方をnoteで売り、AI活用セミナーで小銭を稼ぎ、SNSで「これからは一人で会社が作れる」などと叫んでいる人間たちは何を残すのか。
何も残さない。
残るのは、AnthropicやOpenAIやGoogleの売上。
それだけだ。
AIを使っているつもりで、
自由になったつもりで、
未来を語っているつもりで、
ただ流行語を転がしているだけだ。
何に向き合うのか。
AIによって増幅された力を、
どこに投じるのか。
人間は何を守り、何を作り、何を受け継ぐのか。
そこを問わないAI論は、すべて浅い。
一人ユニコーン。
聞こえはいい。
だが、それが結局、
広告を増やし、
どうでもいいSaaSを増やし、
どうでもいい資料を増やし、
どうでもいい会議を減らすためのどうでもいいツールを増やすだけなら、
水道がある。
電気がある。
食料がある。
住居がある。
山がある。
川がある。
森がある。
物流がある。
介護がある。
教育がある。
治安がある。
災害がある。
共同体がある。
そこが決定的に間違っている。
世界は身体であり、土地であり、時間であり、関係であり、責任だ。
土を扱う人間。
食を作る人間。
家を建てる人間。
人を育てる人間。
場を作る人間。
他人の作ったプラットフォームの上で賢そうに振る舞ってきた人間は、
AIによってどんどん薄くなる。
なぜなら、彼らのやってきたことの大半は、
知識人は本物だろうが偽物だろうが、
その多くはすでに価値を失い始めている。
社会の深部に触れず、
どれだけ賢そうに見えても、
どれだけフォロワーがいても、
どれだけ金を稼いでいても、
3年後には忘れられる。
派手ではない。
バズらない。
高単価noteも売らない。
だが彼らは、確実に世界を支えている。
どれだけ早くコードを書けるかでも、
どれだけAIを使いこなせるかでも、
どれだけ賢そうな言葉を並べられるかでもない。
この世界のどの根に触れているのか。
その一点だ。
根に触れていない仕事は、軽い。
魅力的に見えるのは、
根を張る人間だ。
BeRealの「2分間投稿縛り」という仕様の問題だとか、Xをやっている人間の方が情報の取捨選択に長けているだとか、色々と語られているが
まず、この手の「閉鎖的・特権的な空間」を可視化するSNSのルーツを辿れば、前略プロフィールやmixiに行き着く。
あくまで身内向けのコミュニティでありながら、個人情報や写真を共有して悦に浸る場所だ。
その後、インスタのストーリーズのように「一定時間で消える」機能が一般化したが、20年ほど前の「2ちゃんねる」や「mixi」が玉石混交だった時代とは、ユーザーの前提が根本的に違う。
かつて、クラス単位でこうしたツールを使い倒していたのは、昭和の最後~平成一桁生まれの世代だ。
完全に個人的な肌感覚だが、この世代の「まともな人間」は、FBやTwitterを一度は触ってみるものの、リスクを察知して早々に身を引いている。
今回、おそらくそれなりの大学を出て、それなりの組織に属する人間たちが立て続けに不祥事を起こしている背景には、売り手市場による「質の低下」もあるだろう。
だが、彼女たちの行動原理を推測すると、より根深い問題が見えてくる。
BeRealには「2分以内に投稿しなければならない」というルールがある。
別に真っ暗な画面を撮って上げれば回避できるはずなのに、彼女たちはそれをしない。
それをしないのは、彼女たちの中に「クランの掟」への忠誠心があるからだ。
それと同時に、「今の自分は特別な場所にいる」という優越感を、無意識のうちにグループ内で示したいという承認欲求が、理性を上回ってしまう。
これに拍車をかけたのが、コロナ禍による物理的な社会的摩擦の減少と、過剰なまでのハラスメント教育。
本来、人間は人前で叱られたり、恥をかいたりすることで「公共」と「私的」の境界線を学ぶ。
最近めっきり聞かなくなったが、それがかつて「TPO(時間、場所、場合)」と呼ばれていたものだ。
過剰に保護され、現実の社会摩擦に晒される経験を奪われた彼女たちは、「社会から自分がどう見られるか」という客観的な視点を養う機会を永遠に失ってしまった。
※永遠に、とは言いすぎかもしれないが、もう彼女たちにそれを教えてくれるお節介な人間は軒並み消えている上に、おそらく彼女たちは忠告を聞き入れるつもりがない。
彼女たちにとって、人生は常に誰かに見られていることがデフォルトだ。自宅、通勤中、そして勤務中。
本来、気を張っているべき「オン」の時間に、SNSという「オフ」の感覚が溶け込んでくることに、何の抵抗も抱かない。
ブラウザ経由でネットに触れ、2ch、mixi世代の洗礼を受けた「90年前後生まれ」と、
物心ついた時からスマホが身体の一部だった「2000年前後生まれ以降」の間には、マリアナ海溝よりも深い溝があるように思う。
とまあAI生成の適当な考察を並べてみたが、これはリテラシー教育でどうにかなるレベルではない気がする。
ある意味、氷河期世代よりもかわいそうな世代なのかもしれない。
だって、子供の頃に経験しておくべき摩擦で学ぶことは、一体誰にどうやって教わる?
炎上して怒られてからじゃないと学べないのなら、そんな人間怖くて採用できないでしょ。
本人はたったスマホで撮影しただけ、何が悪いの?という感覚でいて、OJT、課長、支店長は飛ばされちゃうのにね。
動画で取られている同期か先輩社員見た?「辞めてよ~笑」って感じで叱ってもくれてないじゃんね。
新入社員が入るたびに、爆弾持たされた~という感覚で一生懸命、優しく、辞めないように根気よく説明・教育できる?
というより、たぶん教育でどうにかなるような問題じゃないんだ、これは。
だって情報リテラシーや社内規定や社会規範なんかより、SNSという謎のクランの掟や承認欲求を満たすことの方が優先順位が高いんだから。
能力(社会的・実務的能力)が低い女性が「詰み」の状態を回避するための具体的な方法は、主に以下の5つのポイントに集約されます。
人生が破綻する最大の要因は「能力の低さ」そのものよりも、それを埋めようとする「過剰な承認欲求や寂しさ」であると指摘されています。
社会的能力が低いことを自覚している場合、自己主張を控えて「すみっこでひっそり生きる」ことが推奨されています。
自力で健常者と同じように振る舞おうとして失敗を繰り返すのではなく、早い段階で適切な支援を受けることが回避策となります。
自分の特性がマイナスになりにくい、あるいは希少価値として扱われる環境を選ぶことも有効です。
「理解ある彼くん」や「性の安売り」は不安定なセーフティーネットであり、最終的には破綻するリスクが高いです。
結論として、「自分の能力の限界を認め、寂しさに流されずに、身の丈に合った静かな生活や公的な支援を受け入れること」が、人生の破綻を避けるための現実的な生存戦略となります。
あらかじめ言っておくけど、AI推進派の全員がそうだって言いたいわけじゃないよ。純粋に法的な解釈やテクノロジーの未来について語ってる法の専門家やエンジニアみたいな層もいるし、単にネットでレスバしてマウントを取りたいだけの暇人もいる。
でもさ、X(旧Twitter)とか見てると、明らかに「クリエイター(絵師)という存在そのもの」に対する鬱屈としたコンプレックスをこじらせてるAI推進(というか反・反AI?)のアカウントって結構いるじゃん。
そういう奴に限って、プロフィールには「絵とか創作を適当にやってます」みたいな予防線を張ってるんだよね。自分も創作者の端くれです、みたいなスタンス。でも、肝心の自分の作品は全然上げてないの。毎日やってることと言えば、反AI派の絵師の引用RPをして、相手の矛盾や偽善をチクチクつついて回るだけ。
「BLは女性向けポルノなのに擁護して、男性向けの表現規制には加担するのか、ダブスタだ」
こういうことを、いっつも論理的で冷徹なフリをして長文で語ってるアレね。
あれ、ぶっちゃけ「AI技術の発展」とか「表現の自由を守りたい」から戦ってるんじゃないんだよね。単に、界隈でチヤホヤされてる「絵師様」たちの特権意識や、クリエイターとしてのプライドが鼻について仕方なくて、それを叩き潰すための棍棒としてAI論争を使ってるだけなんだわ。
彼らの根底にあるのって、異常なまでの「クリエイターへの憎悪」なんだよ。
だからそういう奴って、AI論争だけじゃなくて、クリエイターが福祉やセーフティネットに頼ることにも異常に噛み付く。「売れるまで生活保護をもらいながら配信や創作活動をするのはモラルハザードだ」「夢を追うなら人生賭けたギャンブルなんだから自己責任でリスクを負え」とか言って、ガチギレするわけ。
これって結局、何だと思う?
自分は日陰でやってるのに、ちょっと絵が描けたり配信ができたりする連中が、アイデンティティを盾にして被害者ヅラしたり、制度の隙間をついて甘えた環境で創作を続けようとするのが許せないの。「俺はこんなに我慢してるのに、あいつらずるい!」っていう、相対的なフラストレーションの裏返し。
「論理的で公平な表現の自由戦士」を気取って、他人のダブスタや偽善を論破してるつもりなんだろうけどさ。隙あらば界隈のヒエラルキーを呪って、特別な才能やポジションを持ってる(ように見える)連中を引きずり下ろそうとしてるその姿、マジでコンプレックス丸出しで痛々しいよ。
他人の粗探しして一日中お気持ち表明のレスバしてる暇があるなら、お前も創作をアップして、素直に承認欲求満たせばいいじゃんって思うわ。