はてなキーワード: 微塵もとは
精神病院から退院したレメスロ氏(anond:20260505233557)が、かつてのトランプ・ゼレンスキー会談をダシに、今のロシアの現状を嘆いている。
https://t.me/ilya_remeslaw/11315 - 日本時間 5月8日(金) 16:59
例年通り、戦勝記念日にふさわしくない暗いニュースだ。「停戦」の現状はこうなっている。
ウクライナのドローンがロシア全土で数百回の攻撃を行った。再びペルミ、ヤロスラヴリ、その他石油精製所がある都市が標的となった。
また、航空管制の行政庁舎にドローンが撃ち込まれたため、ロシア南部の13の空港(アストラハン、ウラジカフカス、ヴォルゴグラード、ゲレンジーク、グロズヌイ、クラスノダール、マハチカラ、マガス、ミネラーリェ・ヴォディ、ナルチク、ソチ、スタヴロポリ、エリスタ)の運航が停止された。
敵が外務省や国防省の威嚇的な警告に対して、ほんの少しの恐れすら抱いておらず、ましてや敬意など微塵も払っていないことは明らかだ。西側諸国の大使館はキエフに留まっている。
以前、前線の情勢が比較的良好だった頃には、取引成立に向けた好機が存在していた。トランプ、エルドアン、様々な欧州諸国がプーチンの周りを駆け回り、一方のゼレンスキーは示威的に屈辱を与えられ、交渉へと追い込まれていた。
ホワイトハウスでのあのスキャンダラスな会談で、トランプがゼレンスキーに「お前には切り札など何もない」と言ったのを覚えているだろうか?当時、私たちはどれほど喜び、今こそ我々の地政学の達人(訳注: プーチン)が素早く有利な和平を締結してくれるだろうと考えたことか。(訳注: レメスロ氏はあくまでロシア愛国者であって、親ウクライナなわけではない)
しかし、その機会は取り返しのつかないほど過ぎ去ってしまった。戦争が長引けば長引くほど、我々に突きつけられる条件はより過酷になり、同時に後方への破壊も加えられることになる。
どうしてここまで台無しにできたのか? まったく理解に苦しむ。歴史上、序盤に恐ろしい軍事的過ちを犯しておきながら、勝利への不釣り合いな好機を与えられ、それを見事に台無しにしてしまうような事例は他に知らない。
https://t.me/ilya_remeslaw/11326 - 日本時間 5月9日(土) 20:10
https://t.me/ilya_remeslaw/11327 - 日本時間 5月9日(土) 20:16
— お前の自由のためだよ、孫よ。
https://t.me/fontankaspb/103798 (訳注: リンク先は、軍事パレードが終了するまで大通りが閉鎖され、そこに住む住民が実質的に外出禁止処分を受けているという内容)
その家の一つには、私の知り合いである99歳の第二次世界大戦退役軍人、ボリス・セルゲイヴィチ・オレホフさんが住んでいます。
文字通り、全員を閉じ込めたのです。上層部を満足させるためだけに。退役軍人の誰かが薬や食料を必要としていようが、どうでもいいのです。
マルガリータ・シモニャン(訳注: ロシアの大物プロパガンディスト)は今日、ヨーロッパで復活しつつあるファシズムについて何か書いていた。
https://t.me/ilya_remeslaw/11329 - 日本時間 5月9日(土) 20:36
DeepL.com(無料版)で翻訳しました。太字は原文を反映しています。
これまでの投稿 anond:20260321192723 プーチン氏に反旗を翻したイリヤ・レメスロ氏の告発文の翻訳 anond:20260321225918 その後の彼の投稿から、いくつか抜粋して翻訳しておきます。(すべての投稿.. anond:20260505233557 反プーチンのイリヤ・レメスロ氏が、精神科病院から退院していた
設定と話の大筋だけ考えて漫画描く人に個人依頼で投げてそれを同人サイトで販売している人がいるらしく
先日その方法で販売していた人が作品を違法アップロードしたアップロード者に対して訴訟を起こし勝訴した旨のポストに「自身が制作した」と書いてあってなんか違和感を感じた。なんも間違ってないし悪いこともしてないのになんだろう。
たぶん増田的には「自身が原作を担当し発表した作品」と言って欲しかったんだと思う。
その人の作品一覧を見てみると作画した人の名前はちょこんと概要欄に載っているだけで、コミックなどの商業誌によくある「原作:◯◯ 作画:◯◯」の表記はどこにもない。
極端な話、漫画は設定やら話だけなら5分もあれば決まるが作画は少なくとも数ヶ月は掛かる。だからと言って作画してる人が一番偉いとまでは言わないが、最近はこんな手法で承認欲求を満たしてるのかと驚いた。
全作品購入し内容を確認したわけではないが、重厚なシナリオや漫画は描けないけどストーリーだけなら勝負できるという人にはとても見えない。
安易に流行に乗っかった題材に山場もオチもないチープな作品ばかりで、作画した人へのリスペクトが微塵も感じられない。
それで作者を名乗るのか……うーん。
増田において俺は、長らく同一の形式・同一の動機で投稿を繰り返してきた。
それは外部から観察すれば、供給曲線が右方にシフトし続ける、いわば自己放尿の持続的過剰供給である。
しかし重要なのは、その供給が制度や思想に強制されたものではなく、あくまで私的選好に基づくものであったという点だ。
そして今、俺はその自己放尿をやめる。
だがこれは、言論の自由に対する否定ではない。むしろ逆だ。自由な発言と競争的な言論市場は最大限に尊重されるべきである。
多様な主体が自己放尿を行い、それが淘汰されるプロセスこそが、情報の価格メカニズムに相当する。
俺はその制度を歓迎しているし、他者の自己放尿を規制しようなどとは微塵も考えていない。
問題は完全に私的な領域にある。すなわち、俺の効用関数の変化だ。
かつては、増田における自己放尿から得られる限界効用は正であった。
しかし時間の経過とともに、その限界効用は逓減し、ついにはほぼゼロに近づいた。
にもかかわらず慣性により供給を続ける状態、それこそが利益ゼロと習慣依存のダブル放尿である。
この状態は非効率である。なぜなら、投入される時間という希少資源が、より高い効用を生む代替用途へと再配分されていないからだ。
価格理論的に言えば、機会費用の無視であり、合理的選択からの逸脱である。
ここで誤解してはならないのは、ケインズ派的な需要管理やリフレ派的な貨幣供給拡大が、この決定に一切関与していないという点だ。
連中の貨幣供給と政策介入のダブル放尿は、あくまでマクロ的な議論であり、俺のミクロ的選択とは独立している。
俺は連中に屈したのではない。単に、俺の主観的評価において、この活動の相対価格が変化しただけである。
むしろこれは、個人の自由な選択の実践である。外部からの強制も、集団的圧力もない。
ただ自らの効用最大化問題を再計算し、その最適解として自己放尿の停止を選んだにすぎない。
この決定は規範的な主張ではない。他者に自己放尿をやめよと説く意図もなければ、言論市場における供給を制限しようという意図もない。
むしろ自由な自己放尿が溢れる環境こそが健全であり、その中で各主体が自らの限界条件に従って参入・退出を選択することが望ましい。
俺は自己放尿をやめる。しかしそれは、思想的敗北ではなく、個人的最適化の帰結である。
そして市場には、これからも無数の自己放尿と、時に自己放尿と他己放尿のダブル放尿が溢れ続けるだろう。それでいい。それが自由市場なのである。
私は多様性が嫌いだ。
男は強く在るべきだし、成長すべきだ。
基本責任を引き受けるべきは男で、逃げることはある一定の年齢を超えれば許されない。
不幸なことがあってもそこから立ち直るべきだろう。
甘えた態度を続ける男は、場合によっては生きる価値がないとすら思う。
一方で女は違う。
別に弱くてもいいし、幼くてもいい。決断をしたくないならそれでいいし、いい歳してその調子でもまあ悪くないだろう。
この人男だったら今よりニ、三段階社会的に不利な立場にいただろうなと感じる人もそこそこ見る。
それがいいのか悪いのかは分からない。
周りにいる女性のそういう様子を見る度、可哀そうだなと思う。
結構馬鹿にした話だと思うのだが、それを恥ずかしげもなく享受している感じもある。
自分で書いてて余りにも馬鹿にしているなと思うが特にこの考え方を変えるべきだとも思わない。
弱さ全開な所は可愛い。
十分な能力があるにも関わらず、性別を理由にギャップを作るのは本当にくだらない。
営業の仕事をしていると、女性社員が出向くと客先でまともな対応をされないケースがある。
その時は、男の自分が代わりに向かう。なんてカスな社会だと思う。
強い侮辱を感じるし、当の女性社員がそれを笑って話したり頼んだりしにくるのもきつい。
本当は能力があるのにこれで不当に自信を奪われて委縮するようになったら最悪だ。
その手の話は二度と起こしたくない。
私の考えを堂々と言っていい世界は、今よりずっと悪い所だ。
頭に侮辱的な言葉が浮かんだら、必ず言わないようにキャンセルしている。
それがなくてならない姿だと思う。
私は幼い頃から中学生くらいまで、知的障害を持った叔母と同居してきた。
分かりやすさのため敢えてこの表現を使うが、大体犬と同じくらいの知性だ。
意味のある言葉は話せないし、所構わず大声をあげる。怒った時は手加減がないから強めの暴力が飛んでくる。
そんな叔母に対して、特に何も思わない。
当たり前に傍にいたし、そういうものだと思っている。
叔母に意思がないではない。
彼女には彼女なりの優しさがあるし、怒りや悲しみも感じている。
実家で飼っている犬のことは特に好きみたいで、楽しそうに撫でていることもある。
そんな叔母が、障害があるからという理由で差別されるとやはり許せないと思う。
ある時祖母は、自分の母親の法事に(つまり私の曾祖母)祖母、叔父、叔母、母の四人で向かった。
その時障害があるやつを何故連れてきたと言われたことがあるらしい。
祖母は会をぶち壊して途中で帰ってきた。
それは正しい行為だ。少なくとも私にとっては。
ふと視界に入って、反射的にネガティブな感情が出てくることがある。
そしてそれは絶対に表に出してはならない。
障害者に向かって露骨に顔をしかめる。ヘイトを当たり前のようにぶつける。殺してしまえとすら言う。
そんな社会は嫌だ。自分の感情とは別にやるべきことがあり、それを実行すべきだ。
あるべき理想の社会がる。一方で、自分の直感にとって最も快適な社会がある。
そして自分が想像していたより、その偏見が大きかったこともあるはずだ。
社会的に許されない、でも思わず表に出したくなるような強い衝動を伴う不快感。
特別な出来事や理由が無くとも、なんとなくでそれは育っている。
それは正しくない感情のはずだ。
何故ならその感情に素直に従った行動は、筋が通っていなかったり、自分の過去の苦しみを加害者として再演したりするからだ。
自分は嫌だ、これを認めたくないと感じながらも、認めなくてはならないものが存在する。
これは苦しい。自分にとっての理想の社会は有り得ないと認めることも、自分が思う不正義を放置することも、自分が無茶な論理を押し付けようとしていたことに気が付くことも、どれも苦しい。
それでも葛藤と向き合っていくからこそ、多様性という言葉は重い。
言行一致しているか?
素直に他人を排除しようとしたり、かつて排除されていた体験を用いて他人を攻撃したり、そもそも苦しんでいる他人を認めず存在を無かったことにしてないだろうか。
政治や人権について強い関心があったようで、パワポケの二次創作で繋がった相手だったが時折そんな話をしていた。
この前久しぶりに彼のアカウントを見に行く「女性に性犯罪を行うキチガイストーカーが死刑になりますように」とつぶやいていた。
https://x.com/kyoto_spiders/status/2037488161270661540?s=46
『キチガイ』何故使った?
一つは、これまで見過ごされていた苦しみに気が付けるように、という願いがあったと思う。
精神障害は、特に辛さが見えづらい。見た目には分かりやすい変化がない場合もある。
一見忘れられてしまいそうになることを繋ぎとめる。これも人権について考えるでも重要な要素のはずだ。
それを自分で表明しておきながら、あの無様な姿。
多様性なんてどうでもいいと言う奴は論ずるに値しない。
ただ多様性を謳いながらその実全く興味を持ててないやつ、そのことに自覚もない奴は別の醜悪さを孕んでいる。
ましてやそんな人間は社会的に立派そうな立ち位置にいることもある。
自覚無しに人を区別する権力者など、差別主義者より性質が悪い。
それを指摘されても聞く耳を持たない。
俺はああはなりたくない。
辛くて苦しくても、俺たちは悩み続けなければならないはずだ。
その上で他人を踏みつけたとしても。
それでもなお決意をもって踏み込む必要がある。そうでないと社会は変わらない。
私は発達障害がある。
高校生くらいまで社会常識やコミュニケーションが微塵も理解できず、ずっと孤立してきた。
他人の振る舞いを観察し、ある程度型にはまれるようになってきた今で、時折とてつもない見落としがある。
今仕事についてなんとかやれているのは、運よく素晴らしい友人に出会えたからだ。
失敗を許容し、解決策を提示し、黙って機会をくれる人間がいたからここにいる。
もっと根本的に、自分と言う人間を舐めずにそのままぶつかってきてくれたからだ。
今の自分にそれが出来るかは分からない。彼らほど誠実には出来ないかもしれない。
働き出してみると、自分と似たような特性を持った人間に出会う。
彼らが、社会的に尊重される時が来るだろうか。多分ないだろう。
彼らに人権はない。キモいし可哀想じゃない。だからわざわざ考慮しようという人がいない。
だから、共に仕事をする時はどうすれば周りが納得するのかや、どうすれば仕事が終わるかを話すようにしている。
彼らはお礼を言わないし声もはデカいまたは聞こえない。不要な独り言もめちゃめちゃ多いがこちらの態度は変えない。
障害だから変わらなくていいという論理に飲み込まれ、裏でヘイトを溜めながらいつか底が抜けた時に、盛大に排除されるだろうか。そうなるくらいなら、過剰に叩かれながらも自分を変えなければと思い至る可能性がある現状の方が、まだ不幸になる人は少ないのかもしれない。
人権を重んじたことを言いたい方々は役に立たない。興味がないから。
そんなことより隣にいる人間に声をかけられる人間の方がよほど社会のためになる。
嫌な奴に声をかけて、背景を知ったら嫌えなくなってくる回数が増えるほど、多様性は身体の中に作られてくる。
不愉快でたまらないけれど、社会も自分も、それで少しずつ良くなるのだと信じている。
弱いことは悪ではないけど弱く在り続けることは悪だ。
昔はコンテンツを見て涙を流す人のことが全く理解出来なかった。
最近泣きはしないけど、ちゃんと感動したり涙腺が刺激されたりするようになった。
嬉しい。絶対楽しめない物だと思っていたから。もっと普通になりたい。
映画を見て泣ける人は羨ましい。そこまで豊かに何かを感じる事は苦手だ。
でもいつかそうなれる気もする。
大前提として、尾田先生へのリスペクトは今も微塵も揺らいでいない。週刊連載という過酷な環境下で、30年近くジャンプの看板を背負い、第一線を走り続けている。とても人間業とは思えないし、奇跡と言っても過言ではないだろう。
何よりもしんどいのは、麦わらの一味の、いや一味に限らず長年愛してきた既存キャラクターたちの扱いが、目を覆いたくなるほど疎かになっていることだ。
私の心が折れたのは、巷でも物議を醸した、エルバフにおけるウソップの扱いである。
リトルガーデン編を読んで以来、ウソップがエルバフに至るまでどんな活躍を見せ、いかにして「勇敢なる海の戦士」へと成長するのか、何年も胸を躍らせて待っていた。にも関わらず実際に描かれたのは期待を裏切るような姿だった。
不評を察して慌てて差し込まれたような、薄っぺらで付け焼き刃のスピーチが読みたかったわけじゃない。
私が見たかったのは、ボロボロになりながら、格上の敵に当たって砕けて、それでも知恵と勇気で辛勝をもぎ取る、あの泥臭くて憎めないウソップが成長した姿だ。
そもそもウソップは、病床の母を励ますために「海賊が来た、父ちゃんが帰って来たんだ」と嘘をつき、両親を亡くした心痛から病床に伏すことが多かったカヤのために嘘の冒険譚を語る、誰かを救うための「嘘」を吐く漢だったはずなのだ。
だがワノ国では、偽薬を売る“ガマの油売り”として描かれ、その嘘を信じて父を救おうとしたおトコに対し、明確な贖罪もないまま終わってしまった。
もちろん、ウソップ含め、ワンピースのキャラクターに清廉潔白さや完璧さを求めているわけではない。むしろ失敗はいくらでもあっていい。ただ、それを泥臭く乗り越える過程こそが魅力だったはずだ
最近はこうした、過去の積み重ねを裏切るような描写が少なくない。そのたびに、作者への信頼が揺らいでいく。何か意図があるのかもしれない、後の展開への布石かもしれない、そう信じて待ちたい気持ちさえ、応えられることのない虚しい期待に終わってしまう。
この不信感は、ゾロのバックボーンの扱いにも通じている。スリラーバーク編から示唆されていたリューマとの繋がりや血筋の話が、物語の深部に組み込まれることなく、最終的にSBSで事務的に明かされたことには強い落胆を覚えた。
そもそも、5年という長い時間を費やしたワノ国編で、本筋に関わる大きな謎として明かされたのはプルトンの在処くらいで、それすら決戦後に数ページで処理されてしまった。ワノ国の人々がその秘密をどう語り継ぎ、どんな歴史的背景を背負ってきたのかといった部分はほとんど描かれていない。
その一方で、太陽の神ニカ、ロジャーたちがラフテルで笑った理由、オーロ・ジャクソン号の巨大な卵、ヒノキズの男、ルフィの夢の果てなど、「伏線」という名の新設定ばかりが、既存キャラの描写を押し退けるようにして際限なく追加されていく。
しかし、それら新設定を担うキャラクターや世界観が、かつてのような魅力を持っているかと言われると、正直疑問が残る。伝説のバーゲンセールのような状態で、かつてのロジャーに感じた底知れなさや未知への期待を超えることはない。
おでんやロックスやハラルドにしても、「どれだけ凄まじい規格外の行動をしたか」という武勇伝の羅列が中心で、その行動の根源にあるはずの血の通った人間性と、その人間性に説得力を持たせるための掘り下げの描写が十分になされていないように思う。伝説を伝説たらしめるための「凄さの演出」が先行しすぎていて、彼らがどれだけ活躍しても記号的な凄さ以上の印象が残らない。
エルバフ編のメインゲストキャラとも言えるロキでさえ、十分魅力的に描けているとは言い難い。彼の語りから始まったはずの回想は、突如ナレーターにマイクを奪われ、ロキ自身が直接関与していないゴッドバレー編が物語の中心となった挙句、ロキと彼の父ハラルドの親子物語は、まるで「おまけ」のエピローグのような扱いに成り下がっていった。
さらに最近では、五老星に謁見し「ある海賊について話がある」と発言したあのシャンクス似の男の正体が、実はシャムロックであったという衝撃の事実さえもSBSで開示されてしまった。
本来であればあの場で言及された「ある海賊」が誰なのかを明かすタイミングこそが、「なぜあれはシャンクスではなかったのか」「どんな背景と意図を持った発言だったのか」が結びつく、読者にとっての答え合わせの瞬間になり得たはずだ。
それを物語の中ではなく、SBSという形で先に明かしてしまうのは、せっかく成立し得た「伏線回収」を自ら手放しているようなものだ。
「最終章で尺がないから設定開示がSBS送りになるのも仕方ない」という擁護をよく耳にするが、エルバフ編冒頭で突如差し込まれた「レゴの城で迷子になる」という、コラボ商品の販促のようなアニオリ的「遊び」を描く余裕があるなら、できないなんてこともないはずだと、一読者たる素人は考えてしまう。これは見当違いだろうか。
新世界編後半で突如現れたイムvsニカという新設定を軸に、それらを補強するために新キャラが乱立し、既存のキャラクターが物語の端へ追いやられていく。追いやられるだけならまだしも、既存キャラの設定とは矛盾した、ともすると既存キャラの魅力を棄損しかねない描写が付け足されることすらある。
そして、乱立される新設定も、今の物語においては「新たな謎の匂わせ」で読者の期待感を煽るか、「設定の開示」という仮初のカタルシスを演出するための舞台装置に過ぎない。
この現状では、読者が20年以上積み上げてきたキャラクターへの情熱が置き去りにされていると読者が感じるのも無理はない。
これだけの連載期間を共にしてきて、一味を含めた既存キャラの成長や関係性、バックボーンがいまだに描写不足に感じられるこの現状が、悲しくて仕方がない。
麦わらの一味はいまや事あるごとに使い回された持ちギャグと「ルフィは海賊王になる男だ」という定型句を唱えるだけのbotのような扱いで、物語の核心である空白の百年の謎からは全くの蚊帳の外だ。
大好きだったワンピースをの最新話を読むと、悔しいながらも、反転アンチの言葉に頷いてしまう。
今のワンピースは楽しくない。
テミス像の目隠しは目に見えるものに騙されないとか偏見にとらわれない、みたいな説明が一般的っぽいけど、微塵も納得出来なかった
いや変だろ
公正以前に、まず何も見えなきゃ裁くもんも裁けんだろ
目を塞いじゃったら見るべきもんも見えんようなるだろ
目を塞げば騙されません
ってそんなんもう死ねば苦しまずに済む、とか挑戦しなければ失敗もしない、とかそんなレベルのちゃぶ台返しだろうが
見るべきものもそうでないものも一体に存在する危うさの中で、それでも状況をしっかりと見定めて不確かさと直面しながらも公正さを追求する事こそが理念なんじゃねえの?
メクラで剣を振るわれちゃたまったもんじゃねえだろ
と思っていたけれど、更に聞くところによれば元は目隠しなんてしていなくて、目を塞ぐ風刺画か何かがあったらしい
それは滅茶苦茶納得出来るというか、やっぱそうだよな!?と思った
スタートアップはオワコンと言われる時代になぜ若者がスタートアップに行くのか聞けよ我が社の採用担当オジ。
スタートアップに凄いやつなんて居ない、大企業の、巨額の資本が動く大規模プロジェクトを動かすという事が何か理解できず、そこで生き抜けなかった人が行く。それは間違いではないだろう。
実際、大企業で賢くやってる給料の高い奴らはスタートアップなんかに興味は微塵もなく、むしろ、よく分からないその辺のスタートアップの人間に比べたら、世の中にイノベーションを生んでいるのは奴らだろう。
転職活動でも大企業からスタートアップは簡単、スタートアップから大企業に行くやつは一握りだ。大きな資本や人を動かす能力の有無に差があり過ぎる。それは仕事の丁寧さや考慮を含めてだ。
日本の市場から言って、株やSOを貰って、シリーズA~B入社じゃ数年かけてもIPOゴールで2000万程度。それ以降の入社じゃあもっと低くて、税金を考えれば意義すら感じない。
初期に入社しても株の知識がなければ、人生賭けて(笑)5000万行けば良いほうだろう。9割のスタートアップが潰れるリスク、事業を見抜くセンスのない社会人の烙印というリスクを背負ってだ。
創業者でも数億〜数十億の資産しか作れないと調べれば分かるこの時代に、会社員として入る意味は、スタートアップを経験したことのある俺だってもう分からない。
それでも目を付けていた優秀な学生が、聡明な東大生達がスタートアップに取られる理由はなんだ。
若い人間は、(実際には若くなかろうが)外面が若々しい人間と仕事がしたいだけだ。
年収イッセンマンだの、スタートアップは上場ゴールがどうのと言っているのは全部建前で、現実は甘くないと賢い学生達は知っている。
それよりも問題なのは、明らかに会社の速度がオジのありがたい話のペースで進むんだろうなというイメージが、牛10頭分くらい足を引っ張る要素だからだ。
オジは引っ込んで、若者を前に出せ。YouTubeチャンネルを若手にやらせろ。喋らせろ。踊らせろ。
そして、オジが学生にありがたい話をするのをやめろ。
健常者の場合
健常者(あ!相手が不機嫌になってる!俺は相手に失礼なことを言ってしまった!)
ASD(不機嫌さを読み取れなかったのでいきなり怒り出したと思ってる)
ASD「いきなり怒らないで💦」
相手(ブチギレ)「散々言っただろうが!!!こんなに失礼な発言を繰り返して、俺のことを嫌ってるのか!???お前とは終わりだ!!!」
ASD「なんでぇーーー!俺悪くないのにーーー!!!」(俺は悪くないは俺は悪意を持って発言をしてないという意味で相手が失礼だと捉えられる発言はしてないという意味)
相手「こいつここまで失礼な発言して自分が嫌われてないと思ったのか!?頭おかしいじゃん、友人知人全員に伝えよ!」
まれにDIY、サバイバル、ゲテモノ料理の動画も投稿している。
動画収益を元手に食品加工工場を建て、漁場の地域経済に貢献している。
そんな彼が先日、海ではなく、なんと山でサバイバルする動画を投稿しはじめた。
そのハイライトとして、罠で捕獲した野生の鹿にとどめを刺す動画がある。
思いつくことは準備したと言う印象。
ただ、鹿のとどめについての準備は杜撰だった。
賛否の主な軸は二つある
「殺すなら苦しめるな」と「命の食育」
前者については最低のスナッフムービーと化していると私は批判する。
後者については意義があると思うが、凄惨な動画編集でせっかくの意義が薄れている。
閲覧者のうち批判側は苦しめるなと言っているが、擁護側は命の食育について語っている。
軸は二つあるが、混合したまま語られるか、片方だけを批判擁護している。
1:鹿を苦しめすぎ。
とどめ用の道具がないため、肉薄の鉄パイプで頭部を滅多打ちにしている。
初見時はこれが現実なんだと受け止めようとしたが、ぜんぜんそんなことはない。
他の狩猟動画のとどめを見てみるとほぼ2、3発の殴打で気絶させている。
それは下調べや準備がしっかりしているから。
2:準備が杜撰すぎ。
罠猟なのに捕獲後のとどめを想定した道具を持ち込んでいない。
免許をとっているはずなのに罠の扱いがおぼつかない。
苦しめた言い訳として命の食育論を持ち出しているだけに聞こえ非常に不快。
あと切り落とした首を長尺で写して目に生気がないと言うのも不敬すぎる。
全体的に敬意がない。
敬意がないんだっつーの。
敬意を払う趣旨の言葉はもちろんある。でも行動としては「杜撰な準備で見切り発車された動画企画の末に大型哺乳類が不必要に痛めつけられ絶命した」だけだ。
見慣れない屠殺シーンだからみんなびっくりしちゃって「これが現実なんですね。貴重な動画です」とか言っちゃってるけど、命の食育と獲物の痛ぶりは別軸なんだよ。
猟を勉強してきたって言うけど参考書籍にゴールデンカムイ読んできたとか言ってるし。
そんなことだから獲物固定ロープを準備しなかったり、罠の扱いきちんとできなかったりすんだよ。
参考書籍としてわざわざ読んだんじゃなくて好きで読んでた漫画を参考書籍としてあげただけに思えてしまう。
ひでー。
ひどすぎる。
ムカデ人間ってホラー映画があって、マッドな医者が人間をさらって残酷な人体実験するの。
で、続編ではそれに憧れた素人が医療知識なしで真似て更に凄惨な事件が起きるの。
鹿の動画を見て俺はこの続編を思い出した。
とにかく俺は怒った。
こんなこと許されねーよ。
食べるために殺すのはしょうがないけど、こんな凄惨なことしておいて「これが現実です」なんて言うな!
1:彼は罠猟初経験だった
2:鹿を捕獲した日、サバイバル生活のため風邪をひいて体調がとても悪かった
4:サバイバル企画のため思考が朦朧とするほど栄養失調になっていた
全部企画の影響。
鹿「そういうことなら私が滅多うちにされるのも納得です」とはならないだろ。
怒りによって私は狂っている。
それと同時に、悪意は悪意ではなく、拙さから単なる過失だろうとも理解している。
わかっていてなお怒りが収まらない。
狂っているからだ。
企画するなとは言えないけど、その前に適切な指導員と練習してくれよ。
けど、結果としてこんな凄惨な動画になっっちゃったんならお蔵入りにしなよ。
勿体無いから公開したんだろうけど、それにしたってこんな露悪的な編集をするなよ。
踏みとどまれる機会はたくさんあったはずなのに。
俺が一番腹が立ってるのはここまでの惨事を起こしておきながら、そのことに対してまったく自覚がない”フリ”をしてることだ。
意図せずに大型哺乳類をあそこまで痛ぶってしまったんだ。絶対不快感があったはずだ。
ぜんぜんちがうぜ?
こんな残酷な感じじゃないんだよ
同じとどめでも全然違うんだよ
失敗して痛めつけちゃったのはもうしょうがねーよ。
でもそのあと動画公開するまでに、編集してる時とか、痛めつけた感触を思い出しちゃってる時とか、踏みとどまる機会はたくさんあったはずだ。
そこを踏みとどまれなかったのはなんでだ。
他の狩猟者は失敗してもお前のようにスナッフムービー制作公開はしない。
お前は特別露悪的なことをしたんだよ。
その自覚を持てよ。
鹿のことをラスボスだの、ゴールデンカムイだの、とどめに対して軽薄な表現がこの動画には多い。
悪意がないのはわかる。俺だってゲームするしゴールデンカムイ読む。
そういうエンタメに触れたから表現がそうなっちゃってるんだとわかる。
大型哺乳類を屠殺するときにそういう表現をわざわざ選ばねーんだよ。
頭に浮かぶことはあるだろうけど、それを動画編集時にアフレコで入れないんだよ。
なぜかわかるか?
不敬だからだ。
正気を取り戻した上でこの動画を作ってYotubeに公開してることが俺はめちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃ腹立たしいんだよ。
経験不足から失敗しちゃうのはしかたねーよ!そこは同情する。まあ準備不足はひどいけどさ。
でもここまで自己弁護的なスナッフムービーを公開してんじゃねええええええええええええ!!!!
公開して視聴数稼ぐのはお前の自由だぜ。
でも俺は今回のお前の行動が大嫌いだ。
お前のことは好きだが、今回のお前の行動は大嫌いだ。
自覚を持て。お前は失敗した。失敗は恥じゃない。誰でも失敗する。
失敗に無自覚なふりして『現実』という言葉でデコレーションすんな。
ちょっと話戻るけど。
動画擁護してる側は命の食育について評価してるだけで、スナッフムービーを肯定してるわけではない。
俺は俺が狂っていながらも客観性を保っていることを文章の随所で示そうとしている。
この文章を書いた後、彼の過去の行動を調べて、2件の炎上事件を初めて知った。
同業者への執拗なコラボ要求と、断られた後の攻撃的な言動からのネットでの謝罪動画。
SNSで知り合った女性の実名と写真をネットに晒し、勤務先にまで押しかけて警視庁から警告を受けた件。(これは彼自身も暴行被害者になっている。なにが起こったかの詳細はわからないが、女性は加害者ではない)
行動力のある人間が自己認知の弱さを持ったまま巨大なプラットフォームを手に入れたケースだ。
この循環が回り続けてる。
私ははこの批判文章で「自覚してないフリをやめろ」と書いた。失敗を認めろ、偽装するなって。
彼はたぶんマジで偽装してない。悪も微塵もない。怠慢でもない。
無自覚な「フリ」ではなく、本当に認知できていない可能性を感じる。
同業者との炎上では、相手のインフルエンサーからこの特徴を指摘され激昂している。
彼にこの特徴を見出しているのは俺だけじゃ無い。
俺の怒りは的外れだった。
想像力のセンサーが無いのは人格とは全く別の要素で、体質に近いものだ。
鹿はかわいそうだ。
それは変わらない。
ただ、これは怠惰な人間の引き起こした過失ではなく、共感性のない生物が起こした痛ましい自然現象だったのだと認識を改めた。
ジョーズとかジュラシックパークとかエイリアンみたいな凶暴な生き物の話だ。善悪とか無い。
正直怒りはもうない。
獰猛な虎が残酷に鹿を殺したとしても「獰猛な虎だもんな。しかたなし」となるだけだ。
今回のことで私が気付けたこと。
言葉が通じる対象を、私は自分と同じ存在なんだと錯覚してしまう。
言葉が通じるだけで同じではない。
性質が異なる別の生き物というだけだ。
もしかしたらマサルだけじゃなくてみんなそれぞれ違うのかも。私が思ってる以上に。
それでもあの動画が異常だったという記録は残したい。
同じ動画を見て違和感を覚えた人が、自分の感覚が間違っていなかったと確認できる場所として文章は残す。
もう好きでも嫌いでもない。
あーあ。
それは「自分たちが戦争を起こす人間になる」と微塵も思ってないところなんだよな。
高市首相も進次郎も自民の改憲内容だって「戦争推進」なんてしてない。
だけれど「戦争反対」の人たちは、だんだんと戦争可能になっていくと疑っている。
与党を勝手に悪魔化してるけど自分が悪魔になるとは思っていない。
考えてみれば「戦争反対」の人たちは内乱を起こしたり、自分たちが有利になるよう
(今さんざん言われてる)外患誘致をしたりしても不思議ではない。
しばき隊のような人たちが増えまくればそんなことも起こる。
「戦争反対」の人たちは、太平洋戦争中の戦争推進庶民に似てないだろうか?
上からの情報には疑いもたずリポストリポスト。(なぜかこの行動を取る人が多い)
とかとか。もうちょっと落ち着いていこうぜ。
いつまでもこんなんで司法が暇空の住民監査請求は嫌がらせであったことを事実として認めた。
とか無関係な野次馬が野次馬にイキり散らかすの恥ずかしすぎるので教えてあげますね。
このケースで言えばColaboと暇空茜、その二者間でのみ適用される話。
だから、この判決を持って野次馬が野次馬に棍棒にして殴ろうたって効力があるもんじゃないのよ。
そもそもなんでこの判決に至ったか、システムをちゃんと理解しよう。
民事裁判では捜査があって確実な物的証拠があっての真実や事実を争うわけではないので、真実相当性と言う言葉が使われる。例えば“嫌がらせ”なんて証拠を提示しようがない曖昧なお気持ちが認められるのもそのため。
キモは暇空茜が真実相当性について主張する場に出席しなかった事。
だから、Colaboに有利な判決とかでもなく、Colaboの言い分がそのまま通った結果となった。
裁判に暇空がちゃんと出席してたらどう変わってたかは知らんけども、この結果は事実かどうかとかよりColaboの『暇空茜が住民監査請求を行ったのは嫌がらせであったことが事実です』と言う言い分が通っただけ。
なので同じようにColaboが他の人物を誹謗中傷と訴えても、相手によってはColaboの訴えが通らなくても不思議じゃない。
特に、住民監査請求は住民の当然の権利であり、司法がそれ自体を悪と断じるわけがない。
どんな人物であれ平等にある権利を人権と言う。この人は悪人だからその権利はないなんて言うのは人権の否定である。
増田や増田の主張に同調する人は、この点重々理解して主張しな。
ちなみに、暇空茜は、裁判に出席したら身の危険があるため欠席したと常々言ってたが、裁判所からはそれが欠席のための正当な理由ではないと弾かれたんでしょう。(正当な理由としては病欠など)
まあ、妥当だと思うよ。
takahire_hatene じゃあ、colaboの言い分が正しいんでしょw頼むから、法律の話をしないでほしい。「colaboが気に食わない」と言えばいいじゃない。実際問題、正義病なんだから。本当に炎上が嫌なら、ネット活動を自粛するべしだし。
この文のどこの何を読んだらそうなった?
colaboが気に食わないとかそんな感情的な事は微塵も書いてないし思ってもない。
暇空茜とColaboの名誉毀損裁判結果と言う事実を受けての話だよ。
炎上が嫌とかも書いてないし思ってもない。
最近、一部の腐女子と呼ばれる層が、BL以外の女性向けジャンルに対して向けている「憎しみ」と「排除の論理」が、思っていた以上に深刻だと気づいてしまった。
単に「イケメン同士の恋愛が好き」というだけなら、どうぞご自由に、という話で終わる。だが、彼女たちの活動の一部は、もはや趣味の域を超えて「他ジャンルの破壊」に近いものになっているのではないか。
元々は男女の恋愛(非BL)として人気を博し、グッズ展開までしていた音声作品シリーズがあった。それが続編で突端、濃厚なBL展開をぶっ込み、あろうことか「それを見ている女性リスナー」をダシにするような描写を加えた。
「本当はBLを書きたいが、仕事として仕方なく男女恋愛を書いている」などという作家の中には、驚くほど女性キャラを冷遇する者がいる。
女性キャラだけを執筆者の私怨をぶつけるかのように悲惨な目に遭わせ、一方で男性キャラは聖域のように無傷。
あとがきでそのジャンルへの敬意を欠く発言をすれば、当然叩かれる。金のために好きでもないジャンルを汚すなら、せめてプロとして割り切るべきではないか。
特に理解に苦しむのが、男女恋愛特化の「乙女ゲーム」への要求だ。
「女主人公は邪魔」「男主人公を出せ」と公然と要求し、ジャンルの根幹を壊そうとする。そのくせ、最初から自分たち向けに作られているBLゲームには見向きもしない。
自分が客扱いされていない場所でだけ「自分好みに変えろ」と叫び、BL以外の女性向けジャンルをすべてBL化しようとする。その侵略的な姿勢には、多様性への配慮など微塵も感じられない。
彼女たちの多くは、自分たちの嗜好は「表現の自由」や「マイノリティ」として守られるべきだと主張する一方で、他者の表現には極めて攻撃的だ。
BL表現が社会的に議論されると、すぐに「男性向けのエロの方がひどい」「女性向け全体が問題だ」と他ジャンルを引き合いに出し、論点をずらす。
かつて「キモオタ」と蔑まれた層の無遠慮な振る舞いを、差別という盾を使って正当化しているようにさえ見える。
まとめ
彼女たちが本当に憎んでいるのは、女性そのものや、女性が主役として楽しむ物語なのではないか。自分を投影する先が「女っぽくされた男(受け)」であることも、その自己嫌悪の裏返しに思えてならない。
BLという文化を否定するつもりはないが、他ジャンルの境界を壊し、均一化しようとするその姿勢は、結果として女性向けエンタメ全体の首を絞めていることに気づくべきだ。
結論から言う。結婚するなら「共産党系」のメンタリティを持った女が最強だ。
あ、誤解しないでほしい。政治団体の話じゃない。**「資本主義のマーケティングに脳を焼かれていない女」**という意味だ。
うちの妻がまさにそれなんだが、控えめに言って人生の難易度がイージーモードになる。
「あんなのは記号を売っているだけで、原価と機能が見合っていない」と切り捨てる。流行やマーケティングに対して極めて批判的で、いわゆる「バカ女」特有の軽薄さが1ミリもない。
「あれは流行りもののプロパガンダでしょ」と一蹴し、独自のリアリズムで生きている。
2. 性に対して「健やかすぎる」
隠蔽的で、もったいぶった、変な「恥じらい」という名のコストがかからない。
映画『コミュニストはセックスがお上手?』を地で行くような、あっけらかんとした開放感がある。お互いに一人の獣として相手の体を喰らうようなセックスをしている。
マンガの高校生田中で先生が溶け合うようなセックスをしろと説教したようなセックスだ。
例えるなら、改革開放前の上海の公園で、男女が等身大の欲望を謳歌していたような、あの「健全な図太さ」だ。楽しむべきときに、全力で楽しむ。そこに資本主義的な「エロの搾取」が入り込む余地はない。
今、多くの親が「中学受験」という名の不安産業に、なけなしの金と精神を吸い取られている。
だが、うちの妻は微塵も揺るがない。
「公教育で十分。足りないなら、私たちが学校や学童の運営に関わって、現場を底上げすればいい」
塾に課金して外注する代わりに、彼女は自らコミュニティに食い込み、教師をサポートし、学童の運営を立て直す。
その「揺らぎの少なさ」を見て育った子供たちは、驚くほどメンタルが安定し、社会性も高い。
4. 結局、強い女がすべてを解決する
世間が「こうあるべき」と押し付けてくる幸せのパッケージを、彼女は鼻で笑って踏み潰していく。
夫である俺は、この「シゴデキジャイアン」な妻に一生勝てる気がしないし、負けていることが最高に心地よい。
資本主義の甘い言葉に踊らされ、ブランドと塾の月謝に殺されかけているお前ら。
悪いことは言わない。
世界が変わるぞ。