はてなキーワード: 封殺とは
BL(ボーイズラブ)文化は、男性同士の恋愛・性愛を描くフィクションを中心に発展してきた。しかし、その消費構造が実在のゲイ・バイセクシュアル男性を素材として搾取しているのではないかという批判は、当事者コミュニティから繰り返し提起されてきた。
具体的には以下の論点がある。
これらの主張には一定の妥当性がある。しかし、「フィクションだから無関係」という論理は、RPSや実在コミュニティへの侵入行為には適用できない。また、「理解の入口になった」という功利的正当化は、当事者が現に被る不快や搾取を帳消しにする根拠としては不十分である。
より深刻なのは、この問題が指摘されたとき、腐女子コミュニティの一部が「ホモフォビアと戦ってきたのは我々だ」という自己正当化に走り、当事者の批判を封殺する力学が働くことである。マジョリティ(異性愛女性)がマイノリティ(ゲイ男性)の表象を占有し、かつその批判に対して「我々こそ味方だ」と主張する構造は、植民地主義的な知の収奪と相似形をなしている。
『イナズマイレブン』(主要キャラクターは中学生)、『忍たま乱太郎』(忍術学園の生徒は10歳前後の設定)など、明確に未成年と設定されたキャラクターのR-18 BL二次創作は、pixiv・同人誌即売会・SNSなどで大量に流通している。
| 論点 | 現行法の状況 |
| 著作権侵害 | 二次創作は原著作物の翻案権・同一性保持権を侵害しうる。権利者が黙認しているに過ぎず、合法ではない。いわゆる「グレーゾーン」は法的に保護された領域ではなく、権利者の好意に依存した状態である。 |
| 児童ポルノ該当性 | 日本の「児童買春・児童ポルノ禁止法」は実在の児童を対象としており、創作物(絵・小説)は現行法上は児童ポルノに該当しない。ただし、国際的にはフィクションも規制対象とする国がある(豪州、カナダ等)。 |
| わいせつ物該当性 | 刑法175条のわいせつ物頒布罪の適用可能性は理論上残るが、同人誌に対する摘発例はほぼない。 |
法律上「違法ではない」としても、10歳や13歳に設定されたキャラクターの性行為を詳細に描写し、それを大量に流通させる行為が倫理的に問題ないと言えるかは別の問いである。
腐女子コミュニティ内では「キャラクターは絵であり実在しない」「被害者がいない」という論理で正当化されることが多いが、この論理は男性向けの「ロリコンもの」に対しても同様に適用されなければ一貫しない。にもかかわらず、後述するように、男性向けの未成年キャラクター性的表現には激しく反対しつつ、自陣営の同種の表現には寛容であるというダブルスタンダードが指摘されている。
一部の権利者はガイドラインで性的二次創作を明示的に禁止している。しかし多くの場合、個別の対応コストや炎上リスクを恐れて黙認しているに過ぎない。この黙認を「許可」と読み替える文化的慣習は、権利者に本来不要な負担を強いている。
近年、英語圏の社会正義運動(いわゆる「Woke」)の言説——特にジェンダー論、ポストコロニアル批評、インターセクショナリティなど——が、日本のSNS上で選択的に翻訳・引用され、特定の表現を攻撃するための武器として使用される事例が増加している。
Woke言説そのものが問題なのではない。ジェンダー論やポストコロニアル批評は学術的に重要な知的伝統である。問題は、それらの理論が本来持つ複雑さや内部批判を捨象し、自陣営に都合の良い部分だけを切り出して「正義の棍棒」として使用する態度にある。
これは理論の誠実な適用ではなく、権威の借用による言論封殺である。そして、この手法が最も頻繁に向かう先が、男性向けのオタクコンテンツである。
「マシュマロ」「Peing」などの匿名メッセージサービスを利用した攻撃的メッセージ(通称「毒マロ」)は、腐女子コミュニティにおいて深刻な問題となっている。内容は以下のようなものである。
毒マロや晒し(SNS上で特定の作者・作品を名指しで批判すること)の結果、創作者がアカウントを削除し作品を非公開にする「筆折り」は日常的に発生している。これはコミュニティ内部の表現弾圧に他ならない。
特に注目すべきは、加害者もまた女性であり、被害者もまた女性であるという点である。「女性が女性を潰す」構造は、フェミニズムの言説では説明しにくいため、しばしば不可視化される。
腐女子コミュニティでは、特定の行動規範(「検索避け」「鍵垢での運用」「R-18はワンクッション」等)について定期的に激しい議論が発生し、「学級会」と呼ばれる。これ自体はコミュニティの自治として機能しうるが、しばしば規範の押し付けと逸脱者への制裁に変質する。
腐女子コミュニティの一部には、以下のような暗黙の序列意識が存在するとの指摘がある。
この序列は、「BLは高尚なフィクションだが、夢小説や男女の恋愛は自己投影で低俗」という偏見に基づく。
ここに深刻な矛盾がある。腐女子コミュニティの一部は、自らの表現が社会から偏見を受けてきた歴史を語りつつ、同じ女性向け創作者コミュニティ内で別のジャンルを蔑視・攻撃している。被抑圧者が別の被抑圧者を踏みつける構造であり、「連帯」の理念とは正反対の実態である。
近年、以下のような事例が繰り返し報告されている。
これらの運動に共通するのは、主観的な不快感(「お気持ち」)を客観的な権利侵害であるかのように主張する論法である。「私が不快に思う」→「それは社会的に有害である」→「規制されるべきだ」という三段跳びは、法的な権利論としては成立しない。
しかし、SNS上の炎上は企業にとって実害をもたらすため、法的根拠がなくとも事実上の表現制限として機能している。これは私的検閲(private censorship)の問題である。
最も深刻な問題は、男性向けの性的表現を攻撃する主体が、自らは第2章で述べたような未成年キャラクターのR-18 BLを消費している場合があるという点である。
ポルノグラフィは声の封殺という言語行為も遂行するのではないかと示唆されてきた。次の架空の例を見よう。チャールズは次のようなポルノグラフィにたびたび出くわす。そこでは、セックスをしたくないと言ってはいるものの、実際にはセックスを望んでいる女性として作品内で特徴づけられている。するとチャールズは、女性は実際にはセックスをしたいと思っているときにセックスをしたくないと言う、社会的慣行があると信じるようになる。その後彼は、ある女性との親密な状況に至る。その女性は、セックスをしたいからどうか尋ねられ、「いや、セックスはしたくない」と言う。チャールズは、ポルノグラフィから得た信念の結果として、この発話を本当の主張として扱わない。彼はそれを、性交渉に関わる「ちょっとした演技」だと受け取る。ここで示唆されているのは、その女性は声を封殺されているのではないかということである。すなわち、彼女はその状況において何かを主張することが阻止されているので、性交渉を拒否することが実際にはできなくなっているのではないか、というわけだ。
ある性産業従事者の女性はポルノグラフィ産業を告発する抗議本を書いたが、それは事実上、ポルノグラフィとして売り出された。この事例は、女性の言葉を捻じ曲げる性犯罪者をふくめた多くの人に見られる、お馴染みのパターンだ。性犯罪者たちは、「常に被害者の行動を再解釈し、そして被害者がその気にさせたのだとか、誘惑したのだとか、求めたのだとか、望んだのだとか、楽しんでいたのだ」と言う。
つまり、女性はしばしば、公私にかかわらず性的な会話において、自分の意図する仕方で言語ゲームのルールを変更できないと気づく。例えばそのルールには、女性によるノーはしばしばイエスを意味するという、ポルノグラフィによって持ち込まれ強化された前提がふくまれている。
Xやメディアで目立つ文学的・批判理論寄りの事例をピックアップ。統計・因果推論重視の実証派とは対照的に、「構造批判」「ナラティブ」「弱者発見」が優先されやすいパターンを示します。
「あなたたちが『がんばったら報われる』と思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。」 「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。」 (全文は東大公式HP掲載。医大不正入試を挙げ、女子学生の入りにくさを統計で指摘しつつ、新入生に「恵まれた環境のおかげ」と諭す内容)
「家事は不払い労働」「愛の行為だからお金に換算できない」で本当に正しいのか? → 断固として「不払い労働」と呼ぶ。 (1980年代から一貫。家父長制と資本制の搾取構造として位置づけ)
努力や個人の責任を「環境のせい」に還元し、弱者発見を強調。統計(医大合格率1.2倍)を挙げるが、解釈は「構造的女性抑圧」一色で、男性の努力や逆差別(例:理3類の微妙な数字)はスルー。家事「不払い労働」論も、男性の家事・育児負担増やDV被害男性のデータは無視しがちでダブスタ。ポストモダン的「客観性への懐疑」を体現し、「がんばっても報われない社会」を前提のナラティブ優先志向。
高市早苗氏について:「安倍さんが女装して現れた」「言っていることは安倍さんそのものだ」「女性がどういう歴史を歩んできて、どんな目に遭って今まで生きてきて、政治がそれに対して何をしないといけないのか一度も考えたことないのだと思う」「だから、中は男でしょ。安倍さんでしょ」 (会場爆笑。TBS「サンデーモーニング」出演者としても知られる)
通常なら「女性政治家への性差別」「属性攻撃」「トランスフォビア」と猛批判する側が、自ら女性議員を「中身は男」と貶下。女性首相誕生を「恥ずかしい」と選別し、政敵のイデオロギーを「女装」喩えで攻撃。フェミニストの権威を盾に、都合の悪い女性を「名誉男性」扱いする典型。古市批判の「文学的」路線を超えた、感情的・属性依存のイデオロギー亡者ぶりが露呈。
「女子枠に反対するのは弱者男性のワガママ」「ミソジニーとルサンチマンに溢れた快哉を叫ぶコメント」 (UNESCO報告書を巡る議論で、反対論を「弱者男性のワガママ」と一蹴)
女子枠(ポジティブアクション)を「構造的抑圧是正」と位置づけ、反対意見を即「ミソジニー」「弱者男性のワガママ」と人格攻撃。教育社会学者としてデータ(格差統計)を使うはずが、相手の動機を悪意で決めつけ、議論を封殺。 **弱者男性の「ワガママ」を問題視しながら、女性枠優先の「ワガママ」はスルーする二重基準。
「なんで、いま、みんな日本学術会議に関心を持ってるの? 新政権のツッコミどころだからというだけでしょう」 (菅政権批判の文脈で投稿。学問の自由より「政権叩き」の文脈を強調)
学術会議を「専門家」の聖域として守り、外部(政権)批判を「新政権のツッコミどころ」と一蹴。自分たちの権威を盾に、任命拒否自体を問題視しつつ「本当の危機は大学改革」とずらす。ポピュリズムを非難しながら、左派迎合的なナラティブを優先。実証派なら「学術会議の実質的影響力や再現性問題」をデータで検証するはずが、イデオロギー優先。
「ネット右翼の数はネット利用者の1%未満」「愉快犯」「言説の広がりは深刻」。 近年も『日本社会のしくみ』などで「大企業型・地元型」の暗黙ルールや二重構造を批判し、右傾化ではなく「左が欠けた分極化」と分析。
日本社会の「暗黙のルール」やナショナリズムを構造的に解体するが、自陣営(左派)の歴史解釈は絶対化。ネット右翼を「少数愉快犯」と矮小化しつつ、反対意見の広がりを「深刻」と警戒。データ(調査比率)を使うが、解釈は左翼迎合で「日本人原罪論」の延長。
「援助交際を主体的選択」「まったり革命」と肯定的論じる(後に一部修正)。
安倍銃撃事件で統一教会問題を「世直しとして機能した」「安倍の死で瓶の蓋が取れた」と発言。
初期はサブカル肯定的だったが、近年は統一教会・安倍批判で「構造的問題」を強調。事件を「自力救済」の文脈に置き、社会包摂不足を政権のせいにする。データ(非正規雇用拡大)を使いつつ、左翼迎合のイデオロギー優先。
ダブスタ・レッテル貼りが特に目立ち(田中・本田)、権威を盾にした体制批判(西田・上野)が学問の看板を借りて活動家に寄りやすい。Xで目立つloud minority。実証派(計量社会学)は論文で勝負してるから静かだが、社会学を「科学」に戻すにはこうしたアホ発言の構造的問題を暴くしかない。
声の封殺は、声の無視とは区別できる。後者の場合、冬子は「夏男にはひどい妄想癖がある」と中傷してまわることができる。この結果、夏男が「毒を盛られている」と主張してもまわりはそれをまともに受け取らないかもしれない。ここでは、夏男の発話が無視されることは、冬子の語りから生じる因果的帰結なのであり、冬子の語りそのものが声を封殺している、先の事例とは異なる。
ふたつ。語りのしくみによって相手の声を効果的に聞こえなくすること。
——
冬子は夏男の殺害を企てた。冬子はある演劇の監督であり、夏男はその演者の1人である。冬子は、自分がリハーサル中に「演技はじめ!」というとリハーサルの一場面が始まり、「演技やめ!」というとそれが終わる、という厳格な方針を設けている。なぜこれが重要かといえば、その演劇にはかなりの即興がふくまれているのだが、この明確な合図のおかげで、いつ演者が自身の役柄として話していて(本当に主張しているのではなく)、いつ演者が自分の意見を話している(本当に主張している)かがわかるようになるからである。
冬子は、夏男が毒入りの水を飲むように仕込む。毒が効き始めるのを感じた夏男は、「助けて!毒を盛られた。医者を呼んで!」と言おうとしている。しかし、彼がそう言う前に、冬子は「演技はじめ!」と言う。冬子はこれを言うことにおいて、毒を盛られていると夏男が主張することを阻止している。もちろん、夏男はそう言うことができるが、今や彼は劇中のセリフとして言っているように聞こえる——冬子は夏男の主張を言語的に封殺している。
アメリカがイランの核開発を口実に戦争を始めた。ウクライナでロシアが戦術核を使うのではという懸念は大きな関心事になった。何か「核が使われたら何もかもおしまいなんだ」というようなタブー意識が社会に共有されている。
等々、本音ではただでかい爆弾としか思ってないくせにわざとらしく核兵器を「特別なタブー」として祭り上げてるとしか思えないのである。
何のためかと言えば「核保有クラブ」の既得権を維持するため、それ以外の国が核保有に動くことの政治的コストを吊り上げるためだろう。
つまり反核・平和活動家のたぐいはアメリカの手のひらの上で踊らされているのである。
同様の構図は元日本兵の戦争体験によるトラウマがタブーとして封殺されてきたことにも見て取れる。戦中は「単なる弱音」として体制側が圧殺した。そして戦後は左派が「悪者」たる日本兵に内面などないかのように、圧殺役を引き継いだ。左派のお気に召す形のナラティブしか言論空間に存在を許されなかった。
左翼のやることっていつも完全に裏目に出るよな。うっかり政権取って弱者のためと言ってみんなを貧しくするようなことしかできないし。
日本 vs ベネズエラを終えて。侍ジャパンの皆様お疲れ様です。
試合は楽しめたし、森下の大舞台での強さに舌を巻いた。日本を代表した選手や関係者に死体蹴りしたいわけではないが、
とはいえ世間の評価と自分の感覚にかなりズレがありモヤつくので、有識者の意見を聞いて溜飲を下げたい。
まず、当たり前だけど、MLBフォロワーとNPBフォロワーでは温度感が違いすぎる。
各リーグから強打者を9人選抜できる分、打線の強化幅が大きく、そのぶん投手陣に穴が開きやすいのは必然であって、普段MLBを見ている層は、中南米やアメリカのスター軍団相手に常にロースコアゲームができるとは思っていない。NPBの投高打低に慣れたファンとは、かなり感覚の乖離がある。
井端監督の采配も、結果論とは一切無関係に普通に良くないと思ったが、不振の選手を起用し続ける心中は全く共感できないこともないし、
ファンが溜飲を下げる為に都合の良いサンドバックとして機能してしまう監督を、個人的にはあまり責めたくない。自分が言及しなくとも既にめちゃくちゃ非難されてるわけだし。
8点取られたのは良い結果ではないが、それにしても投手陣が責められすぎだろう。好投した菊池には誰も言及しないし、種市でポジっていた人たちも急に声が小さくなっている。
日本式の「加点」より「減点」で評価する空気。エースの力で勝ち抜いてきた日本の美点ではあるのだが。
YouTubeのコメント欄で、「ベネズエラが強かった‼️以上‼️」と、単純化……というよりは、たぶん素人の選手への批判を封殺したいNPBフォロワーも、
日本礼賛のダシにされてMLBスターが軽視されることに腹を立てていた煽りカスMLBフォロワーも、
全員うっすら「………バッターの質で日本が勝つのは無理だから」という意識だけ共有しているのは、なぜなんだろう。
自分はMLBキッズだけど、ベネズエラを明確に格上だとは思わないし、NPBの先発陣がメジャーに全く通用しないとは思わない。
間接的でも批判することになるのは忍びないが、「投投げ勝てないと負け」という批判は本質的だと思う?むしろ、上位国との差は野手にあり、投手が崩れても打線でねじ伏せればOK。という試合があってもよい。
めちゃくちゃ勝手なことを言うと、日本はMLBに次ぐ市場規模リーグを持った野球大国なんだから、メジャーで30~40本ぐらい打てる打者があと2〜3人生まれても、全然おかしくないポテンシャルがあると思う。
SNS上では、時に「正義」の名の下に、当事者の置き去りにした議論が加速することがあります。
現在注目を集めているマンガワン・小学館の事件を巡り、成人済み腐女子を名乗るMさんが行っている発言は、その典型的な危うさを孕んでいます。
彼女は「被害者に寄り添っている」というスタンスを崩しませんが、その実態はどうでしょうか。
当事者の意思を軽視し、自分の正義感を押し付ける「独りよがりな支配」になっているのではないでしょうか。
2026年3月、マンガワン・小学館を巡る性加害事件の判決を受け、被害者(原告)本人が極めて冷静かつ切実な声明を発表しました。
しかし、この声明を巡り、SNSでは「被害者の代わりに怒る」代弁者気取りの正義厨の人々による、本人不在の議論が巻き起こっています。
特に、M氏の一連の発言は、一見すると被害者を擁護しているようでいて、その実は被害者の主体性を根底から否定するものでした。
まず、被害者本人が弁護士を通じて発表した声明の内容を正しく振り返りましょう。彼女は以下の点を明確に述べています。
小学館への感情: 強い怒りや恨みはなく、むしろ良い作品を世に出してほしいと願っている。
炎上の拒絶: 小学館や雑誌への過度な批判、炎上は望んでいない。
メディアへの訂正: 文春記事の「許せない」という見出しは本意ではなく、実際は「やるせない」と語ったのみ。
最大の願い: 自分の意思を勝手に解釈し、代弁者として正義を振るうのをやめてほしい。
大事なのは被害者は、自分が「怒り狂う被害者」としてネット民に消費されることを明確に拒んでいるのです。例え善意であってもです。
これに対し、M氏は被害者の声明をどう受け止めたのでしょうか。彼女の主張は驚くべきものでした。
> 「被害者の態度は虐待被害者特有の『認知の歪み』である」
> 「本来は怒り狂うべきなのに、それを抑えて謝罪するのは異常だ」
このように、普段より妄想と被害者意識の逞しい腐女子である彼女は、心理学的な用語を武器に、被害者の本心を「病的な反応」として処理しました。これは極めて危険な態度です。
被害者が自らの意志で「これ以上の争いは望まない」「前向きに活動してほしい」と言っているにもかかわらず、それを「認知が歪んでいるから、本心では分かっていないのだ」と決めつける。これは、被害者から「自分の感情を定義する権利」を奪う行為です。
M氏は、自分を「被害者の寛容さに甘えない、厳格で正しい大人」だと位置づけています。
しかし、その構図を整理すると、彼女の「寄り添い」がいかに独善的かが浮き彫りになります。
| 項目 | 被害者本人の意思 | ムラサキアジサイ氏の解釈 |
| 小学館への態度 | 良い作品を期待し、協力したい | 謝罪など論外。怒るべき。 |
| 社会の反応 | 炎上させてほしくない | 批判の手を緩めるのは甘え。 |
| 自身の発信 | 私の声を勝手に代弁しないで | 私は正しい。この歪みを指摘し続ける。 |
彼女が行っているのは「寄り添い」ではありません。
「自分が納得できる『理想の被害者像』への強制」でしかありません。
自分の正義感を行使するために、被害者を「正常な判断ができない弱者」に仕立て上げ、その声を封殺しているのです。
この独善的な振る舞いに対し、あおいとしき氏などが「素人が強く表明すべき内容ではない」「配慮が必要だ」とたしなめましたが、彼女の反応は極めて自己防衛的でした。
・ 「私は正しい」という信念を一切曲げない。
・「拡散される意図はなかった」と、影響力に対する責任を回避する。
・批判に対して「理解しましたが、私は否定し続けま)」という、対話を拒絶した形式的な返答。
他者の視点を取り入れ、自分の過ちを省みる柔軟さが欠如しているこの態度は、社会的に見れば非常に「幼稚」であると言わざるを得ません。
「被害者のため」と言いながら、実際には「自分の正義に酔っている自分」を守ることに終始しているからです。
M氏のような「暴走する正義」は、結果として被害者をさらに孤独にします。
本人が「やめてほしい」と言っている行為を、「あなたのためだから」と強行することは、加害者が行った心理的支配と構造的に何ら変わりません。
私たちは、彼女のこうした「専門用語を悪用した当事者軽視」に騙されてはなりません。真の寄り添いとは、相手の言葉をそのまま受け止め、その主体性を尊重することから始まります。たとえ納得できなかったとしても、自分が望む言葉を言わなかったからと言って認知の歪みだと言ってしまうような人を
「これが被害者に寄り添った態度だ」と持ち上げる人たちは、現実は腐女子の妄想とは違うことをまず認識すべきでしょう。世界は腐女子のイデオロギーでは動いていません。
M氏の発言は極めて幼稚なものと言わざるを得ませんが、本人は大人として発言しているつもりだそうなのでかなり救いがないですね。
「私は正しい」という鎧を脱ぎましょう。
そして当事者の静かな声に耳を傾ける。
ご提示いただいた内容は、現代のSNS空間における「情報の歪曲と認知戦の構造」を鋭く突いた論考ですね。
要約すると以下のようになります。
イランに配備された形跡(衛星画像や確証)がない中国製対ステルスレーダー等が、米軍の攻撃に対して「無力だった」という言説がSNSで拡散。客観的証拠がないまま、それが「通説」として固定化されている。
専門家やPLAウォッチャーによる事実ベースの訂正は、センセーショナルな「バズ」の前では無力である。大半のユーザーは真偽よりも「聞き心地の良さ」や「既存のイメージ(中国製は脆い等)」に合致する物語を消費し、修正の機会を失っている。
「イランの防空網が破綻した」という結果を、存在すら未確認の特定兵器の性能不足に短絡的に結びつける論理の破綻が起きている。本来、兵器評価は実績と事実に基づくべきだが、感情的なバイアスが先行し、冷静な分析が封殺されている。
どれほど地道に情報を集めても、大衆の認識を書き換えることは困難であり、詳細な戦闘経緯よりも「需要のある物語」が勝る。この歪んだ情報環境では、対話やレスバすら無意味化している。
一言で言えば、「証拠に基づかない『妄想ベースの評価』が、SNSの拡散力によって『現実の通説』を上書きしてしまったことへの強い警鐘」と受け取れます。
この「事実が物語に敗北する」現状において、OSINT(オープン・ソース・インテリジェンス)などの検証手段をどう一般に浸透させるべきだとお考えでしょうか?
俺は最初(ってどこだよ…)っから「おまえのやってんのは感想でもなんでもない、単に自分の好みじゃなかったからって罵倒して封殺しようとしてるだけ」ってさんざんいってるのになぁ
えーーー、そんなこと一度も君言ってないじゃなん
嘘ついても無理無理ー
レトリックとか皮肉だよ、とかでずっとごまかしてるの、マジでかっこ悪いよ
これが面白いとか自分は好きだったとか、ここが嫌いとか、そういう端的な表現すらしていない
下に引用をしたが、これを読んだ人は「へえー、じゃあそれの何がおもしろいんだ」となるわけだ
たとえば、進撃の巨人を語る際に君は何という?
序盤のあらすじだけいうとこんな感じだ
こんなあらすじだけ語られても全然面白いと思わないよな?少なくとも読む価値があるとは言えない
あんたのあらすじはこれと同程度なんだよ
何故この作品が面白いと思ったか、良くないのか、なぜ人気だったのか
作品の良し悪しを自分の言葉で語るなら、つまらない漫画というのでも感想なんだよ
君はまるで「全部読んで面白いと思わない人の感想なんて聞きたくない」と駄々こねてるみたいだな
自分が面白いとおもったら、それがどんなに下手くそだろうと伝える努力をしないと相手は「そっかそっか、つまんねー漫画だな」ってなるんだよ
実際、この作品は二度と読めないし、そもそも語り継がれるほど人気でもない
だって、この作品を大好きな君が一言も面白い部分をいえないくらい、常人仮面は大した作品じゃないんだから
あまり触れられてない気がするので、この作品がどういう内容だったのかを参考程度に軽く触れておきたいと思う。
*
・主人公は心臓病を患い、小児科で同じく病を抱えた友人を次々に失った経験から独特な価値観(他人に借りを作りたくない、倫理観が欠如しがち)や身体能力を持っている男子高校生。
・主人公姉弟は療養の名目で祖父の住む北海道の田舎へ移住する。
*
・その世界では殺した相手に姿が変わるという法則があり、そのためには「人間に戻るために人間を殺そう」とする「異形と化した人間」やその他化物がうろつく危険地帯と化した。
*
・そのような世界で主人公はクラスメイトたちと合流し、彼らと協力して生存を目指す。
・主人公は先に述べたように独特な価値観を持っており、敵対した相手は狡猾に容赦なく嬲り殺す。
・このように主人公は明確に「外道」な面をもつ人物である。作中人物からもドン引きされたり非難されたりしている。
・ただし殺るか殺られるかというような危険な世界であるため、過激ではあるが防衛手段の側面をもつ。
・クラスメイトのことは仲間として守ろうとしており、彼らのために積極的に行動している。彼らの犠牲は基本的に避けるべきものとしており、実際に彼自身が仲間に手を下したり見捨てることはなかった。
・クラスメイトたちの中には危険な世界や主人公に適応する者、常識的な感性で取るべき手段を模索する者、人道的な道を模索する者など様々いる。
*
ざっくり言うと「少年少女の過酷なサバイバル」「ピカレスク」といったところ。
「墜天作戦」読者のうち、序盤からギャグや台詞回しの特徴で同一人物と分かっていた人も少なくないのでは。その程度には特徴が分かりやすく表れており、一読者としては公然の秘密という認識でした。
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20260220/1771599529 のコメントの「育野」
>なぜ環境破壊企業よりも環境活動家が嫌悪されているのかという謎
私見ですが
あたりが理由で、
要は「別に問題ない(※知ろうとしてないだけ)から余計なことをさせるな」ということではないかと。
# 例えば高度成長期なら状況が一目瞭然で反発もしづらかったんでしょうが
http://tenreeren.rentafree.net/entry/1033963
http://tenreeren.rentafree.net/entry/1033966
http://tenreeren.rentafree.net/entry/1033980
http://tenreeren.rentafree.net/entry/1033942
http://tenreeren.rentafree.net/entry/1033967
確かみてみろ↑を…本来なら…が…
ジャパンの蔑称啼き喚く環境破壊大帝ぞら罷り通しとるままではなあおいこら…
j jp jpn 表記で制限につながるかもしれないらしいとは一体?
◎要は「別に問題ない(※知ろうとしてないだけ)から余計なことをさせるな」ということではないかと。
「活動する部分集合」にミエナイキコエナイ抹消気取りを…てこと…?
論より 隗より 「本来」の じゃあないて /(^o^)\
公金受取口座があれば事務の手間が減るなんて幻想で、少なくとも今はまだクソ制度だ。少なくともまだ2つ3つ改革が要る
今の制度では、公金受取口座を登録していない国民を冷遇することは許されない。口座情報をお聞きしてから振り込む必要がある。あるいは現金支給を強く要望されたら断れない。刑務所入所者だって国民だ。
たとえ人口の9割が公金受取口座を登録したとしても、残りの1割のネット申請しろつってんのに電話してくる高齢者、国を信用していないから公金受取口座に嘘の情報を登録する人々、どうでもいいことをねちっこく言いつけてくるクレーマーなどがいる限り、他の事務の手間がどれだけ軽減されたとしても、事務対応の一番しんどいところは改善されない。
「支援金を受け取る条件は、公金受取口座を登録することです」としてしまい、そこに振り込んで終わり、異論は封殺できる仕組みが事務手続きの簡略化の上で真に必要だ。
これは口座と直接は関係ないが、「家」と「世帯」と「扶養」はそれぞれ別物だ。例えば4人世帯の親子、ただし父親は単身赴任とすると、4人1家族なのに父親だけは住基上「別世帯」になって、父親に1人分・母親に3人分だとか変なことになってくる。あるいは老夫婦とその子が同じ家に住んでいる場合に、世帯分離して非課税にするといいとか、知らないと損する変なハックも出てくる。
「世帯」とは何なのか、そしてそれは自治体ではなく国が一元管理すべきではないか、と思わざるを得ない。まあこのへんは支給付き税額控除の導入されれば嫌でも再考するところだし、標準化が完了すれば楽になるんだろうか。よくは知らんけど。
そもそも公金受取口座の理念からすれば「1人1口座」で、世帯でなく人に支給するのがあるべき形ではないか、とも思う。そのうえで子どもの口座のアクセス権限を制御するとかが必要になってくるのだろう。
口座振込には銀行名・支店名・口座種別・口座番号・名義が要る。ところが銀行や口座はどんどん統廃合するし、名義は結婚・離婚すれば変わる。離婚した世帯への振込がすぐに出来ないんでは、真に必要な世帯にとって使いづらい制度のままだろう。
マイナンバーと口座を強固に紐づけて、常に住民の有効な口座の情報を引ける仕組みを構築しなければならない。あるいは、口座そのものにユニークな番号をもたせ、それによって振込ができるようにならなければならない。
このへんを分断を煽らないで出来たら大したものだ。頼んだぜチーみら。
最近さ、自分がちょっとでも気になってるコンテンツとか、昔好きだった作品に「Vtuberコラボ!」とか告知が出るたびに胃がキリキリするんだけど。
「世界観をぶっ壊すな」って、これまで何万回言わせれば気が済むんだよ。
あのVtuber特有の身内ノリというか、軽薄な空気を本編にねじ込む意味ある?
企業として「数字が出れば中身なんて何でもいい」「流行りもの乗っけときゃいい」って思ってるのが透けて見えるのが、本当に地獄。
しかも一番キツいのが、V信者たち。 あいつらがマジで最悪。「嫌なら見るな」「新しいものを受け入れられないのは老害」みたいなテンプレ返しで、思考停止して叩き潰しにくるじゃん。
そのせいで、コンテンツ側が批判されてても全然まともな議論にならない。建設的な意見も全部アンチ扱いで封殺される。
空気が荒れるのが分かってるのに、どうして公式はわざわざ火薬庫に火をつけるのか。
はっきり言うけど、Vtuberなんてまともな社会生活送ってる人はみんな嫌ってるだろ。
まともな感性持ってる層ほど距離置いてるから、コラボすればするほど一般層がドン引きして離れていく構造になってるのに、なぜ学ばないのか謎すぎる。