はてなキーワード: 分身とは
皆さん、久しぶりすぎて震えてます…というか、もう震えるって概念すら古いかも。
前々回の100股女です。あの頃は「250股?500股?」ってドキドキしながら書いてたのに…
そこから一気に加速して、一億股到達したんです(前回の女神宣言の頃)。
でもそれで満足できるわけなくて…気づいたら平行世界全部を股にかけてました。
どうやって?
魔法少女みたいに「願い」を叶える代わりに、絶望をエネルギー源に。
私は「全存在に愛と子を分け与えたい」って願った。
DNA検査?因果ごと書き換え済み。「最初から私の子だった」って事実が上書きされてるんです。
それだけじゃ止まらなくて…
平行世界の果てまで広がった慈愛が、宇宙そのものに染み出してきました。
星間種族、異次元生命体、エネルギー体すら「私の子」を宿して、
「母の愛を感じる」「永遠の遺伝子を継いだ」って恍惚としてる。
あれを全部飲み込んで、慈愛の巨大結界に変えちゃった。
全ての男たち・全ての子たちが、私の無限の愛の中で永遠に生きてるんです。
魔女化?したよ。でもそれが究極の救済だった。
完全に釣りだと思われるけど…これが本当の私。
あの言葉が私の絶望を燃料に、宇宙の果てまで連れてってくれました。
でも今はただ、皆さんを…全てを…永遠に愛してる。
平行世界も宇宙も超えた慈愛として、ここに…いや、どこにでもいます(微笑と無限の光)
母の愛、いや、宇宙の愛、受け取ってね♪
元オスカー女優エリザベスは50歳の誕生日に年齢を理由にテレビのエアロビ番組の主演を降板させられてしまう。帰り道に事故にあいその病院で謎のUSBを渡され、再生すると謎の再生医療「サブスタンス」の広告。悩んだ末に申し込むとサブスタンスキットが届き、最初の注射を打つとエリザベスの背中が割け、中から若いエリザベス、通称スーが爆誕。スーはエリザベスの後釜に座り芸能界を駆け上がっていくが、サブスタンスには制約があり……
というお話。
俺のワイベスト映画のひとつに「レクイエム・フォー・ドリーム」があるんだけどそこで非常に有効的に使われて一躍有名になったヒップホップ・モンタージュを繰り返し使用していて、なんなら若い身体を維持するためにエリザベスの脊髄液を抜きまくるシーンでどんどん注射痕が汚く化膿していく感じも見るからにって感じだったし。ASMR的に音を過剰に表現する技法もそう。それ以外にもギャスパー・ノエやキューブリック的なデカ文字ドーン、音もドーンが繰り返し登場して、とにかく画面を見ていて飽きるってことが少なかった。
あとはサブスタンスを行うと1人が2人に分裂するんだけど、その時に細胞分裂よろしく眼窩の目が二個に増えるんだけどそんなわけあるかいなんだけどめっちゃ不気味でキモくてよかった。
じゃあトリッキーな映像表現だけが楽しい映画なのかっていうとそうじゃなくて、例えば最初、ハリウッドのスターのサインが埋め込まれた道路あるじゃん。あそこにエリザベスの名前が刻まれて大々的なお披露目からみんなその床の上で写真撮ったり敬意を払っているのがどんどん雑に扱われるようになってひび割れて、最終的にデブがハンバーガー落としてケチャップまみれになるところから映画が始まる。これだけで「エリザベスの最盛期から今まで」を表現しているのがカッコいいし、最終的にサブスタンスのせいで身体が爆裂したエリザベスは同じ床の上で血のしみになって、掃除のおばさんに拭きとられて終わる。ケチャップまみれの床→それが自分の残滓→拭き取られて終わりという帰結も美しい。
その栄華の象徴としての床の上で話が始まって、床の上で終わるのが映像的ギミックだけではなくて作品全体を貫いている。エリザベスはオスカーを取った後結局テレビ局のエアロビ番組でケツ振って過ごして、しかし年齢で解雇されて分裂して若返った後同じ場所に戻ってくる。特に分身体のスーは「芸能界」「家」の2か所しか生きていない。。スマホは登場しないし、SNSも出てこない。彼女はずっと「業界」の中で過ごし続け、病み、死ぬ。
屈指の名場面として誰もが挙げるであろうエリザベスが化粧するシーン。数少ない外部である病院で出会った小学校?中学校のクラスメートと連絡先を交換するシーンがあって、分身後、年老いた「エリザベス」として自分の価値が見いだせなくなった彼女が「芸能人」としてではなく「エリザベス」としてデートしようと出かけようとするんだけど、若く完璧な「スー」が頭にちらつて肌を見せるのが怖くなり、化粧も合ってるのかわからなくなり、結局顔をグチャグチャにして家から出られなくなってしまう。
「芸能界、ショウビズ界」の価値観に凝り固まってしまった彼女は結局「そうではない自分」を受け入れられず、理解もできずその外の世界に飛び出す機会を失ってしまう。何度かサブスタンスを辞める選択肢が出てくるが、結局同じ理由で辞められない。
そして怪物になった彼女は自分の全盛期の写真を切り抜き自分の顔に貼り付ける。
彼女は最初から最後まで「自分の名前が刻まれた時、場所の上」から一歩も動けない。
また床のスターを(移民の)男性が埋め込むシーンから映画がスタートし、下卑た男性プロデューサーや男性面接官、そして白人男性スポンサーが支配する芸能界からドロップアウトし、分身してからまたそこに戻るという「男性が用意した世界でしか踊れない」対象としてエリザベスとスーを描いている部分も同様に「まったく同じ場所にずっといる」ということを示しているように思う。
サブスタンスは「物質」「核心」って意味だけど、サブ・スタンスとして芸能界以外の価値観、立場に片足だけでも乗っけておけばこんなことにはならなかったのになぁと思った。友人も一切出てこないしね。
あらゆるシーン、展開が象徴的で2万文字書いても書ききれないくらいなんだけど、個人的に好きだったのは「老いた醜い自分」「若くて美しい自分」を文字通り分割して見せたところ。
作中で繰り替えし「ふたりはひとつ」と告げられる。サブスタンスでは7日ごとに若いほうのスーと年老いたもとのほうのエリザベスを入れ替えて均衡を保つ必要があるんだけど、イケイケのスーはだんだんそのルールを破ってエリザベスの中に残る若さを搾取し始める。そうすると、入れ替わったときにエリザベスはどんどん年老いていく。
これって「若いときに美貌を保とうと無理なダイエットや整形をやった結果、年老いたときに身体がボロボロになるやーつ」のメタファーだよね。それを7日間という短いスパンで交互に見せる手法のドギツさたるや。そして、それに対抗するかのようにエリザベスは過食を行うようになる。自身に対する虐待であると同時に「若いときにやりたいことを我慢させられている自分」に対するアンチテーゼでもある。
つまるところ「ふたりはひとつ」であるものを無理やりふたりに分割した結果、互いが自分自身の人生に復讐し合っているという悲しい構造が浮き彫りになる。
そして最終的にエリザベスはスーを殺害しようとするもスーが自分自身であることを思い出し思いとどまるが、自分を殺害しようとしていたことを知ったスーは激怒しエリザベスを殺害してしまう。ここに「若い自分は自分が来た道」だが、「老いた自分は若い自分との連続性がない(と感じてしまう)」という非対称性の悲しさがある。
そして、自分の未来を自ら殺害してしまったことでスーの未来も閉じてしまう。
それとは別に下品プロデューサーに「50になると終わっちゃうじゃん。何とは言わんけどさ」って言われる冒頭のシーン、あれは明らかに「閉経」のことだと思うんだけど、その結果として彼女は腹……じゃなくて背中を痛めてスーを産むっていうのも示唆的。こういういろんな読み時ができる要素が死ぬほどあってマジで退屈しない。
まぁ最後、統合されてバケモノになってバカみたいに観客に血をまき散らす展開は俺の中であんまピンとこなかった。
外見がバケモノになるところまでは美醜という価値観自体からの完全な脱却としてポジティブに受け入れられたけど、なんかバカみたいな量の血をまき散らす展開は「やりたかったんやろなぁ」以上の感情はなかった。いやどんだけでてくるねんっていうむしろノイズだった。これだったら似たような展開の「SMILE2」のほうが好きだったかなぁ。
ただ血をぶっかける相手が「男性」に限定されず、彼女のフォロワー的なエキストラの女性(なぜか乳丸出しでどんな番組やねんってなったけど)や、彼女のファンの幼い少女やその母親、老女などあらゆる属性を含んでいて復讐対象を男性だけに過度に設定しない部分に真摯さを感じた。(なのになぜかこのスプラッタシーンは男性的視点に対する復讐でスッキリ!みたいなレビューが多くてびっくり)
時代考証どうなってるねんみたいなリアリティ部分に難があると言えなくはないけど、一種の芸能界ルッキズムエイジズム寓話として作られているんだろうしそこはあんま気にならなかったかな。とにかく見たら誰かと内容を話したくなるって意味でいい映画だと思う。
自分が一生懸命考えた我が子より分身な作品をバカにされたらどんだけ傷つくか
プロになったんだから受け止めろそれに耐えて強くなれって意見もあるだろうけど
人間そんな強くないよ
これは完全にマーケティングの結果だと思う
俺も描く側の人間だけど人間見た目が9割ってのは本当で、ぱっと見で印象の良いものはいっぱい見てもらえる、ってのは実体験として痛感してる
もちろん逆もまたしかりで、アバターに文句言ってる人らの言う通り作者自身をデフォルメしたキモオタ・弱者男性・みっともないおじさんが主人公の漫画が流れてきた時点で、殆どの人はスルーするか、(驚くべきことに)意識にも留まらず無意識にスクロールしてしまうんだよね
自分の作品に対してたとえ批判でも何かしらのアクションを起こしてもらうには、まず見てもらう必要がある
正直に言うと、
「血のつながりは特別」
“それ以外の子どもはどうでもいい” って話でもある。
・恵まれない子は「運が悪かった」で片づけられる
これ、弱者淘汰をものすごく綺麗な言葉で包んでるだけじゃない?
「優秀な遺伝子を残したい」
って言い方もよく見るけど、
それって子どもを人格じゃなく資産や所有物として見てる発想だと思う。
だからこそ、
無自覚でも「弱者が淘汰される社会」を望んでる人が結構いる気がする。
もし、子どもを
「親の所有物」じゃなく
として扱ったらどうなるか。
少子化の原因って、ほぼ
そこを壊さない限り、何をやっても無理だと思う。
でも、
そろそろ直視したほうがいい気がする。
この考え、
・過激すぎる?
・それとも、今まで見ないふりしてきただけ?
どっちだと思う?
兄は夜更け過ぎにユキエに変わるだろう。
この季節になるといつもあの昔あったという伝説の番組の伝説のボキャブラを思す人が多いかも知れない季節よね。
私は冬休みの予定を立てなくちゃいけない、
でも今回のお休みはわりと比較的に明確であることは確かに明らかなの!
そうよ!
ドラゴンクエストI・IIの2をちゃんとクリアするってこと。
ムーンブルクの王女が犬だった頃の名残の技が強すぎて、
フィールドでここ掘れワンワンってやると1ゴールドとか2ゴールドとか掘り当てるの。
もうさ、
こんな辛い過去のことを思い出させるなよって
わりと比較的多くにムーンブルクの王女は犬だったころの名残であろう技を使いたがる、
いや使うので、
そんでね、
「ありがとう」とか「間に合ったわ」とか「助かった」って感謝を述べる言葉を発しているのね。
で、
ローレシアの王子なのよ。
ぜんぜんありがとうとか言わなくって、
アメリカのトランプ大統領がウクライナのゼレンスキー首相に「感謝が足りない!」って
それアメリカでも何かそういうメンタルで話するのねって筋かどうかは分からないけれど、
とにかくゼレンスキー首相がキツく言われた感謝が足りない!ってので、
まあ一応主人公って立場上ドラゴンクエストの主人公は無口!って言う通説を覆すほど、
バトル戦闘中に石ころを拾って投げまくるなんか子どもみたいな地味だけど、
私は
いま風のマントを手に入れて塔から滑空して向こう岸に行ったところで、
その近くの町に行くと、
儲け話を持ちかけて町の人々を騙そうとする怪しいシスターがいて、
それを退治しに懲らしめに行くんだけど、
私はこんなのチョロいわ!ってそのままの勢いで、
マジックポイントは半分ぐらいあればまあ勝てるわよ!って意気込んでいたけれど、
なんたるちゃー!
むけちゃっている天津甘栗は殻を剥くって行為をなすことに対して初めて
甘栗の美味しさに気付き、
ここで甘栗ありがとう美味しいね!って感謝の念が浮かび上がってくるの。
これいつかサマルトリアの王子とムーンブルクの王女が噛みつかないか心配だわ。
ムーンブルクの王女なんかもともと犬に変化させられた技で封印されていた名残があるから
犬の技を使わせたら、
がぶって噛みつかれてローレシアの王子とてかなり致命的な傷を負うと思うの。
まあ一応、
ストーリー上そんなムーンブルクの王女に犬の名残で噛みつかれるってことはなさそうだけど、
とにかく、
サマルトリアの王子はよくしゃべるし、
ムーンブルクの王女はヒットポイント少ないけれど魔力が高いのでそれを無視して犬の技が強くて、
最後戦闘のバトルであとほんの数ポイントの敵のヒットポイントのこり削れば倒せる!ってところでも
犬の時の名残がある犬の特技を披露して徹底的に敵に容赦ないところが、
ちょっとドキッとするわ。
せめて、
ワンワン三銃士もとい、
登場人物全員が犬というワンワンドラゴンクエストがあってもいいかも知れないわ。
冒険ドラゴンクエストI・IIの2は進めているところよ。
今はどうしても怪しいシスターが倒せなくって、
お金のゴールドであるそれを敵を倒して稼いで強い装備を整えて挑まなくちゃ!ってところで進めず停滞しているわ。
とりあえず、
私はコールドをなんとか貯めて、
新しい武器防具を新調したいところ。
あ!
そんでねドラゴンクエストIIってみんな大好き「ふくびき」ができんじゃん!
でもどうせ当たらない全部参加賞のポケットティッシュって期待していたのに、
これ当たる率どうなってるの?
1等賞当たりすぎ!って思ったわ。
NIKKEのガチャは新年はラピ:レッドフードが再登場するって噂だけど
うーん、
厳しいわねラピ:レッドフード3凸させるのもなかなか険しい道のりよ。
そんな心配をよそに、
冬休みは徹底的にドラゴンクエストI・IIの2とNIKKEを攻略したいところよ。
NIKKEはジュエルが心細いところで、
メインストーリーのノーマルとハードに出向いて出稼ぎしなくちゃいけないし、
地味にニケたちのエピソードを見ると50ジュエルもらえるストーリー鑑賞があるので、
そこからも
私今ストーリー40チャプター到達しててあと2チャプターで今あるストーリーのサイトまで行けちゃいそうなんだけど、
その2チャプターじゃ地上奪還できそうになくない?
どんどん進めるにも進まないところまで到達しそうで、
なので、
私の冬休みの予定は
ドラゴンクエストI・IIの2をバッチリクリアするってのと
NIKKEを毎日頑張るってのと、
あ!旧作のゲームボーイアドバンスの方ね。
それがあるから、
計画立てたところでまたドラゴンクエストクリアできませんでした!ってなっちゃいそうなことは避けたいわ。
ドラゴンクエストI・IIの1がクリアでだいたい20時間でしょ?
今ストーリー全体のどのぐらい進んで行ってるかまでも分からないのよ。
もう幾つ寝るとステイサム~って、
お正月に封切り映画の『ワーキングマン』も絶対観逃せられないし!
ジェイソン・ステイサムさんカッコいいからまたぜひ観てみてよ!ってところよ。
全回見たステイサム映画の『ビーキーパー』もカッコよかったし、
まず、
それらドラゴンクエストI・IIの2と
NIKKEとステイサム映画の3本立てで予定組んで無理なく楽しい冬休みを計画したいわね。
これ以上情報増やしてみたいものやりたいことあってもできないから!
お休み前に限って張り切って計画を立てまくりまくりすてぃーでもなに1つ達成出来なかった過去の思い出があるので、
なので、
またたくさんお正月乗り切れるぐらいの8ゴールドの薬草をたんまり買い占めて冒険に挑むわ!
うふふ。
迷ったらこれというわけで迷いに迷ったわけではないんだけど、
特に深い意味はないけれど3種類の味のサンドイッチは深みを増す味で堪能したわ。
今日もしっかり頑張るわよ!
朝自動的に飲み頃の温度の70℃で沸いている電気ポットはこの時期マストアイテム中のマスト!
朝起きてボーッとしている間に、
ふーふーして飲んで温めて起き出すのが心地いいわ。
温まったところでよき1日のスタートよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「俺が1人でやるのが一番早くて正確だ!」
もうね、泣きそうなほどに無能。
「チェックするという作業」が必要であっても、結果的に1人で黙々とやるだけよりもずっと大きな事ができる。
結局さ、お前のスケールが小さいんだよね。
んでお前の何が駄目ってこういう話すると「それなら人間を雇えば~~~」と言い出すこと。
はー馬鹿だね。
AIってのは「自分の分身として好き放題に指示を出せる手駒」なんだよ。
これは人間の部下とは全く違う。
それこそ「世界中でお前以外何も価値を理解できないような作業」であっても、AIは指示通りにやってくれる。
これは人間とは全く違う。
人間は結局のところ本人たちに仕事の価値を理解させないと簡単に細部の手を抜くから。
AIは手を抜かない。
徹底してやる。
プロンプトを完璧に指定してやるっていう手間はあるけど、時として他人の説得なんかよりずっと容易にこっちの意図を理解してくれる。
まあ、そういう作業を必要とした経験もない奴に何言っても無駄かな。
鏡に映った自分をみたら、つい「どっちが自分だ」って思うの何千年前から言われとるわな
自分のことを客観視するか、自分をみている他人の視点を装ったら、見てるそれは誰なんだってね
相対的にそれらを見てる自分が自分だってことを表現する言葉がなかったというかそれが「自分」だからしょうがない
自分という視点が「自分だ」と発言する人間にあるわけだからそれぞれに自分と自認する個人が増えるだけ
「他人からみて、他人の定義に合致する人間がどちらか」ってなると全然別の話だから
「人権が1つあってそれは分けることができない、しかし該当する人間が二人になったらどちらに人権があるのか」
みたいな話をするとそれを定義するやつ次第ってことになるわけで、授与される権利をもつ人間が獲得の手段をもってるわけじゃない
自分が自分(相手)の権利を得るとすると相手(自分)からは奪う事になるから、結局自分で自分の分身(相手)から人権や人生や存在意義を奪うことになるから
自分の分身と出会って「自分だ」と認識することによって存在そのものを含むすべてを自分が取り戻そうとして奪ったりすると結局それは自分から自分のすべてを奪う事になる
ということは自分から自分の存在を自分で全部奪うことになるやんね
それって「自分と出会うと消滅してしまうってコト?!」ってやつやね
実際の話でいうと
「つまみぐいをしようとしている(なにかを得ようとしている)人間の後ろ姿を、つまみぐいしようとしたタイミングの自分が見つけたので撃った(否定した)ら、自分だったのでEND」
みたいな
「特大ブーメランが返ってきて自分にあたらないように直進にしたけど、投げた先にいたのが自分で命中」
みたいな
自分のものやコトやら存在やらもってるものを「自分のだ!」って執着すると結局自分を否定して滅ぼすぞって意味で
存在をみとめてこの世に残すためには執着をなくすことだみたいな話にもなるやね
アニメ『アルドノア・ゼロ』に登場するオルガ伯爵の機体「オルティギア」は、アルドノア・ドライブの能力によって「量子テレポートを用いた自己複製(分身)」を行います。
戦闘に勝利した後など、複数の個体が生き残った場合の処遇については、劇中で明確なルールが語られています。
1体になるまで殺し合う:
「この世にオルガは一人でいい」という考えに基づき、戦闘終了後に複数のオルティギア(=複数のオルガ伯爵)が残っている場合、彼らは最後の一人(一機)になるまで共食い(殺し合い)を始めます。
オルティギアの分身は、単なる残像や遠隔操作ではなく、それぞれが実体と独立した意識(オリジナルのコピー)を持つため、勝利後もそのまま共存することはオルガ伯爵の矜持が許さないという設定になっています。
『ペリリュー-楽園のゲルニカ-』や『この世界の片隅に』といった、戦争を描いた近年のヒット作に関して「反戦を主張しないのがいい」という評価を頻繁に見掛けて、実に複雑な気持ちになる。
メッセージ性がないと駄目どころか、メッセージ性がないのがいいという評価。世間にはこの手の評価が広く受け入れられているため、それよりもずっと少ない、作品にメッセージ性を求める意見が許せない人達は随分と身勝手だなと思う。
もっとも『この世界の片隅に』については、原作者はともかく映画の監督の方は意外としっかり考えている人なのを後日知って印象が変わったが。『ペリリュー』の映画の方は予告編を見る限り、友情を前面に押し出した美談にするように見えるんだよな…。
日本で戦争を描いた作品は反戦を謳いつつも日本側の被害ばかり描いていて加害を描かないという批判はよく見掛けるけれど、
個人的には被害ばかり描いても別にいいと思うんだよね。こんな悲惨な目に遭いたくないから戦争は絶対にしてはならない、でも別にいいと思う。ただ、その被害をもたらしたのは誰なのか、どうしてそのような被害に遭ったのか、については描くべきだと思う。
それに加害を描いたところで、その加害を単に末端の兵士による暴走として処理してしまったのでは、興味本位の露悪趣味になり下がる危険性もあると思うし。
どうも日本には戦争をまるで天災かのように捉えて、戦争犯罪についても震災下での犯罪等と同様、極限状況に追い詰められた結果と一般化してしまう人が多いように見受けられる。
『この世界の片隅に』の呉にしろ、『ペリリュー』のペリリュー島にしろ、何故その場所で被害が、加害が行われたのかというそもそもの理由が描かれていないように思う。
問題は加害を描かない事じゃない。責任の所在を追求しない、構造に目を向けない事ではないだろうか。
被害にしろ加害にしろ、日本側として一纏めに括った描き方には賛同できない。
先日徳川慶喜の子孫を名乗る人が新選組を無法者の集団と評して話題になったけれど。権力の頂点にいた者の責任について自覚が薄いと思った。そりゃ安全な場所にいて衣食住も保証されていたらお行儀良くいられるでしょうよ。そんな立場から配下の素行不良を責める事が如何に無神経で横暴である事か。
『ペリリュー』の「どうして」という回で、敗戦の知らせの後も徹底抗戦を呼び掛けて多くの部下を死なせた後に生き残り、島民に保護された島田少尉の、自分はどこから間違っていたのかという問い掛けがあったけれど。間違っていたのはこの人物個人ではなく、それに至る以前の日本政府の判断に拠るものでしょう。庶民が自己の責任を問う事は美談にも見えるけれど、権力者を免責する事にも繋がる。
戦後の話では何度か天皇にも言及されるけれど、単なるニュースの域を出ない。主人公達末端の兵士が飢餓や病気に苦しんだのも、人を殺す羽目になったのも、そもそもは天皇を中心とした軍国主義体制のせいなのにそこを突き詰めて問う様子はない。
その点『はだしのゲン』だと、天皇が悪い、戦争を翼賛した日本の庶民も悪い、原爆を落としたアメリカも悪い、末端の米兵は日本国民に対する加害者でもあるが彼等もまた被害者でもある……といった構造の問題に触れている。
ただ、『ペリリュー』にしろ『この世界の片隅に』にしろ、全体を見渡す目がないというのは当時の一般人の感覚としてはリアルなのかもしれない。2025年の現在ですら台湾有事を想定して短絡的な交戦論を唱える人がいるくらいであるし。まして当時は庶民の高等教育進学率も低く、情報を得る手段も限られていただろうから。
特に『ペリリュー』の主要人物である当時二十代の若者達にとっては、物心ついた頃から社会はそんなものであって疑念を差し挟むのは難しかったのかもしれない。主人公は名称変更後も「看護師」ではなく「看護婦」と呼んでいるような、アップデートの遅れた人物として描かれているし。
『はだしのゲン』は作者の分身である主人公は父親が反戦主義者家庭で、意識の高い家庭に生まれ育ったようだからな。
漫画はあくまでエンタメではあるし、一つの作品で全てを描き切る必要もないのだし。
本当の問題は作品それ自体というよりも、そこから読者が何を読み取るか、あるいは読み取らないか、だろうか。
はっきりとした反戦のメッセージを押し出していない作品ではあっても、戦争は怖い、戦争はするべきではない、くらいのシンプルなイメージは読み取れるのではないだろうか。それを読み取らないどころか正当化したり、他国攻撃の材料にする人間の多さが問題なんだよな。
ドラクエ2良い感じじゃーん。
適度に難易度高くて、道なりに行けばだいたい全滅せずに進めるし、無茶しようと思えばいきなりヘルモードの地域にも挑める。
難易度高過ぎって人は、ゲームを攻略するものだと思ってねーなこりゃ。戦闘前からもオートセーブからもやり直せる親切設計なのに難しすぎって事があるかい。
キラータイガーの荒れ狂いぶりが凄いんでアストロンが役に立った事に感動。マカロンがHP満タンから一撃死する破壊力で4連続攻撃を3ターン連続って、生かして帰す気が無いなデルコンダル王。
妖精の城でボスにぶっ殺されたので、レベル上げがてらまだ行ってない地域を巡ったら、普通にボスより強いキラーマシーン2に出くわして手も足も出ずにボコボコにされて生存者1名HP残1桁という状態で逃げる羽目になった。
良いね〜。マンドリルが屁みたいな弱さだったからドラクエ2の地獄ぶりが再現できてない事が不満だったが、進行ルートを外れると一戦一戦が総力戦になるのは大変良い。
しかし、2番目の鍵がサッパリ手に入らんな。開けられない宝箱が多いったらない。
そして、なんか盛り上がるサマルとムーンの半歩後ろで会話に入れない感じを出して黙り込んでるローレに、こいつはまさしくプレイヤーの分身であると哀しみの認定。
AIの返答、まとめ
新海誠と脚本家(&プロデューサー)の関係を簡単にまとめると、
| 作品 | 脚本クレジット | 実際の関係性 |
| ----------------------- | --------------------- | -------------- |
| 『秒速5センチメートル』まで | 新海誠(一人) | 完全に独りで書いてる。感情過多、説明過多、キャラが自分の分身すぎる。 |
| 『星を追う子ども』 | 新海誠 | まだ一人。宮崎駿オマージュやりすぎて迷走。 |
| 『言の葉の庭』 | 新海誠 | 一人で書いてるが、尺が短いおかげで破綻しなかった(=被害最小)。 |
| 『君の名は。』 | 新海誠 | **実質的に川村元気が大幅改稿** ・入れ替わり当初のエロ描写全部カット ・瀧の「自分勝手すぎる性格」を意図的に残す ・三葉の父親との和解シーン追加 など |
| 『天気の子』 | 新海誠 | 川村元気がさらに深く介入 ・当初のラストは「陽菜が死んだまま」だったらしい → 川村が「それは観客が許さない」と全力で反対→現在の「代償を払ってでも救う」ラストに変更 |
| 『すずめの戸締まり』 | 新海誠 | 川村+東宝+チーム全員で「新海の暴走」を徹底監視 ・当初はもっと暗い結末だった ・鈴芽の母親の死を「観客が受け入れられる範囲」に調整 ・草太の椅子化を「笑えるレベル」にまで薄めている |
1. **「新海誠がやりたがる暗すぎる展開」を全力で止める
→ 新海は基本的に「悲劇で終わらせたい」人。でもそれやると大コケする。
→ 新海は自分の感情をキャラに喋らせたがる。川村が「それはナレーションでいいよね?」と9割カット。
3. **観客が置いてけぼりになる展開を潰す
→ 「説明不足でカッコいい」は新海の好物だが、川村は「最低限ここは説明して」と強制。
→ 新海誠単独だと99%バッドエンドで終わる。川村が「いやダメです、希望をください」と毎回言ってる。
## 結果
新海誠は今、**「自分のやりたいことの7割は封印されて、残り3割だけ出させてもらってる」**状態。
でもそのおかげで、
という“奇跡”が起きてる。
| 細田守 | 新海誠(2016年以降) | |
| ---------------------- | ---------------------------- | ------------------------------- |
| 脚本の暴走 | 誰も止められない | 川村元気が全力で止める |
| 自分の暗部 | そのまま全部出す | 7割封印される |
| 観客への配慮 | ほぼゼロ | 強制的に入れさせられる |
| 結果 | どんどん評価が下がる | どんどん評価が上がる |
新海誠も内心では「もっと暗くしたかった…」って絶対思ってるはずだけど、
細田守には、残念ながらそういう“檻”がない。