■ 1970年大会の決勝戦ワールドカップ直前ということで、NHKで放送されている過去のワールドカップの名勝負を振り返るシリーズ。今回は、1970年のメキシコ・ワールドカップの決勝戦。ブラジルとイタリアの試合。
ペレ率いるこのときのブラジル代表は史上最高のチームと言われている。王様FWペレ、清水エスパルスの元監督で左足の魔術師と言われるMFリベリーノ、ブラジル史上最高のディフェンダーと言われるキャプテンのDFカルロス・アウべルト(※ 元名古屋グランパスのDFトーレスの父、DFトーレスはこのとき3歳。)、メキシコ大会の7試合全てでゴールを決めたMFジャイルジーニョ、ペレと前線でコンビを組んだFWトスタン、司令塔のMFジェルソン、元清水エスパルスの監督でGKエメルソン・レオンなどなど。レジェンドが勢ぞろいの夢のチームである。
対するイタリア代表。カリアリというスモールクラブでキャリアを過ごした左足の大砲FWルイジ・リーバ。190cmに迫る長身で史上最高のレフトバックの1人と評されるDFファッケッティ。さらには、ファンタジスタのMFジャンニ・リベラ、GKディノ・ゾフといった名選手がベンチに控えている。こちらも豪華布陣。
■ 3度目のワールドカップ制覇1968年のメキシコオリンピックの3位決定戦でストライカー釜本が率いる日本代表チームが地元のメキシコを下して銅メダルを獲得してから2年。同じメキシコのアステカ・スタジアムで両雄が激突した。
試合は前半18分にブラジルが左サイドのスローインから中央にクロス。ファーサイドのFWペレが驚異的な高さからヘディングシュートを決めてブラジルが先制する。イタリアは前半37分にボニンセーニャが同点ゴールを決めて1対1で前半終了。
後半はブラジルが攻め込む。後半21分にMFジェルソンが得意の左足で強烈なミドルシュートを決めて勝ち越しに成功すると、後半26分にもMFジェルソンの左足からチャンスを作る。MFジェルソンがゴール前に上げたボールをFWペレがヘディングで中央に落として走り込んだMFジャイルジーニョが決めて3対1。
そして、後半41分には、三度、FWペレが絡んでゴールが生まれる。中央でボールを受けたFWペレが時間を作って右サイドバックのDFカルロス・アウべルトのオーバーラップを引き出すと、FWペレの素晴らしいラストパスをDFカルロス・アウべルトがダイレクトで決めて4対1。
結局、4対1で勝利したブラジルが3度目のワールドカップ制覇を達成。
■ ペレ 1ゴール2アシストタレント集団のブラジル代表であるが、その中でFWペレが1ゴール2アシストの活躍。自身では3度目となるワールドカップ制覇を達成した。4度目のワールドカップで、すでに29歳になっていたので、1人で仕掛けてシュートまで持っていくというシーンは少なかったが、驚異的な跳躍力を生かしたヘッドと意外性溢れるパスで3つのゴールに絡んだ。
先制ゴールとなったヘディングシュートは、世界中のほとんどサッカーファンが覚えているワールドカップの名シーンの1つであるが、170cmそこそろのFWペレがカテナチオのイタリアを相手にヘディングでゴールとアシストを記録するという痛快なシーンは、FWペレの偉大さを示すものである。
■ ペレでもミスる?MFクライフやMFベッケンバウアーの時代になると映像も多く残っているが、FWペレの時代のフルタイムの試合映像というのは非常に貴重なものであり、非常に面白いかった。興味深かったのは「FWペレでもシュートをミスする」ということが確認出来たことである。
この試合はブラジルのアタッカー陣がイタリアの守備陣を粉砕し、何度もドリブルからの仕掛けでゴール前のフリーキックのチャンスをつかんだが、FWペレやMFリベリーノのシュートはほとんど枠に飛ばずにノーチャンスのシュートだった。(リベリーノの伝説のフリーキックは1974年大会の東ドイツ戦 →
youtube)
FWペレのシュートというとあの1958年のスウェーデン大会のときの相手DFの頭の上を通して抜き去ってのボレーシュートと、この試合の先制ゴールのヘディングシュートのシーンが思い出されるが、神様のFWペレは万能で、全てのシュートを決めていたかのような錯覚を持っていたが、「普通にシュートを外すこともあった。」ということが、改めて分かった。
■ 1970年のブラジル vs 2010年の日本代表① 伝説的な選手が集まる1970年代のブラジル代表は、史上最高のチームの一つと評されていて、名前を見ただけでも圧倒されてしまうだけのメンバーが揃っている。この試合でも4対1とイタリアを圧倒し、ワールドカップを制覇した。
ペレ、トスタン、ジャイルジーニョ、リベリーノ、ジェルソン、カルロス・アウべルト・・・、といったビッグネームが繰り広げる攻撃的なサッカーは、「まさしくブラジル」という感じで、ブラジル人に愛されたチームということが良く分かる。
一方で、この時代のサッカーは現代サッカーとはやはり大きく異なるということも映像を見るとよく分かる。(※ この大会からイエローカードとレッドカードが採用されて、試合途中の選手交代も可能となった。ただし、ゴールキーパーへのバックパスに対して、キーパーが手で扱うことは可能だった。)
ピッチ上での大きな違いは、やはり「運動量」と「守備意識」。右サイドバックのDFカルロス・アウべルトが攻撃に参加するとほとんどフリーになっていたが、マン・ツー・マンで守備を行っていたイタリアも、前線の選手に守備をするという意識はなくて、(例えば、)イタリアのFWルイジ・リーバが戻って守備を行おうとする意識は全くない。
また、ハーフウェーラインを過ぎて、ボランチのジェルソンがボールを持ってもプレッシャーをかけようとする選手もいなかった。3点目のFWジャイルジーニョのゴールにつながったプレーがその典型で、MFジェルソンのようなパス出しのできる選手を中盤でフリーにすることは現代サッカーではありえないが、この辺りはルーズ。守備の文化があるイタリア代表でもこういう状況だったということは、現代と比較すると非常に面白い。
■ 1970年のブラジル vs 2010年の日本代表② ここからは、時空を超えた空想の世界に入ってしまうが、「1970年のブラジル vs 2010年の日本代表」が対戦したとしたら、(名前だけを比較すると完敗であるが、現代サッカーが急速に進歩したことを考えると、)実際には、かなりいい勝負になるのではないだろうかという気はする。
トータルフットボールで革命を起こしたヨハン・クライフがワールドカップに登場するのは4年後の西ドイツ大会。二次グループで対戦したオランダ代表の前にブラジル代表(=ペレはいなかった)は0対2で敗北するが、オランダ代表の激しいプレスの前にブラジルの個人技は封印された。
そもそも、プレッシングという概念がなかった時代に、オランダ代表が見せたプレッシングにブラジル代表が戸惑ったのは必然ではあるが、2009年9月のアウェーのオランダ戦のように日本代表(2010年ver.)もブラジル代表(1970年ver.)に前から積極的にプレスをかけていったとしたら、FWペレ、FWトスタン、MFジャイルジーニョクラスでもパスをつなぐのは容易ではないのでは?という気もする。
もう一つ、アドバンテージを持つのが攻守の切り替えの早さ。FWペレ、FWトスタン、MFジャイルジーニョ、MFリベリーノあたりが守備をすることはほとんどないので、日本のディフェンスラインは余裕を持ってボール回しが出来るし、また、プレスをかけてMFジェルソンの位置でボールが取れたら、そのままフィルターが掛からずにFW玉田やFW岡崎がシュートにまで結び付けられるかもしれない。(そのシュートが決まるかどうかは分からないが・・・。)
■ 1970年のブラジル vs 2010年の日本代表③ 綺麗な映像は残っておらず、何十年も前の昔の試合を90分を通して見て機会は少ないが、見てみると今のサッカーの常識が通用されなくて面白いものである。
残念ながらというべきか、中盤にスペースがあってテクニシャンが自由にドリブルで仕掛けることの出来た時代のサッカーは娯楽性にあふれていた。そういう意味で、サッカー自体の進歩が娯楽として見た場合によかったのか、悪かったのかについては、意見が分かれるところではあるが、普段は何気なく見ているサッカーも、昔の試合を映像を見ることで、進歩自体は感じることが出来る。
日本サッカー協会は2050年までに、「1. サッカーを愛する仲間=サッカーファミリーが1,000万人になる。」、「2. FIFAワールドカップを日本で開催し、日本代表チームはその大会で優勝チームとなる。」という2つの目標を掲げているが、1970年はちょうど今から40年前で、2050年はちょうど40年後になる。40年後の未来のサッカーはいったいどんなだろうか?日本サッカー協会はその2つの目標を達成できるだろうか?
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