はてなキーワード: 思想とは
自分としては割と当たり前の常識、一般教養に近い事だと思っていたんだけど、意外と知らなかった人が多いんだなって各所を見て思った。どちら側にも限らずね。
ちなみに「カルト」は広義の意味においてのカルトで、それこそ◯◯◯会みたいなそのままズバリの新興宗教団体から、◯◯党みたいな思想の強烈な政治系団体、
フ◯ミニズムといったこれまたお気持ちと思想の偏りが強めな思想も含めての話。
今日日NPO団体立ち上げて人助け()しよう、なんて人間は大まかに分けて三種類。
これのどれかに当てはまるか、何かしらの組み合わせだったりするんだよね。
①のケースについては言わずもがな、②の経歴ロンダリングしたい反社とか元反社の輩には、何故か不思議なぐらい仏教(系)やキリスト教(系)の教えに傾倒しちゃう人が少なく無いんだよね。
まあ、事件起こして収監中に教えを学んだりもするらしいんだけど、過去自分がやってきた事に対し、多かれ少なかれ後悔とか罪悪感とか、後ろめたい気持ちが強いんだろうね。
それで出自の怪しい経歴をロンダリングしつつ飯の種が出来て、尚且つ人生の帳尻を合わせる形で自己憐憫出来るカルト思想というのは、一石二鳥というか非常に相性が良いのだろう。
③のケースも多いっちゃあ多いんだけど、大体③に当てはまる様な純粋まっすぐ君(ちゃん)ってのは、自分を過信気味な割には世間知らずで、良くも悪くも他人を疑うって事を知らないタイプが多い。マジで多い。
③タイプが単独だと何かやりたい!ってなってもただの大言壮語か計画倒れで終わるんだけど、その手の色んな意味で鴨な人間には良からぬ人達が寄ってきがちなのが世の常。
「あなたの考えは素晴らしいですね!協力しますよ!」ってニコニコで寄ってきて、ノウハウ()を教えてあげちゃう。
何なら③タイプの人間にありがちな特徴に色付けして何らかのカリスマ性を演出までしてあげちゃう。
で、ある程度人も集まり、団体としての体も整って、行政にもアプローチして補助金なんかも貰える様になった段階では、既に中枢に入り込んじゃっているんだよね。
実は◯◯◯会の人でした!って人達が。
そして③タイプの人間は良くも悪くも人を疑う事を知らないし打算もあまり無いから「私に協力してくれる◯◯◯会の人達は何て素晴らしいんだろう!」ってなって、結果的にカルトに取り込まれちゃう訳。
という訳で、ごく個人や少数の人間で細々と活動している様な団体を除き(もちろんごく小規模なカルトである可能性もあるけど)
大抵のその手の団体は、バックには「カルト」がある、というのは世間的にもある程度認知されていると思っていた。
それをさも「俺様が隠された真実を発見したぁぁ!!!」ってドヤる奴がいて、それで驚く人達が少なからずいて、
そんなのありえねぇよwwwwwと嘲笑する人達も少なくなくて、まとめて「何言ってんだこいつら?(団体のバックにカルトがいるなんて)当たり前じゃん」って思ってしまった。
でもよくよく考えたら、知らないのが当たり前なんだよな。
親がカルトで親類もカルトで、まあぶっちゃけその手の団体にも深く関与してて、何なら自分もつい数年前までカルトにどっぷり使ってた、はてなーならぬカルターだったので
大イスラエル主義は、イスラエルの領土を、現在の国境を超えて歴史的なユダヤ人の土地とされる地域全体に拡大しようとする思想です。
具体的には、
* 西岸地区、ガザ地区、ゴラン高原など、現在イスラエルが占領している地域の併合: これらの地域は、歴史的にユダヤ人が居住していた土地であり、イスラエルの固有の領土であると主張します。
* パレスチナ国家の樹立に反対: パレスチナ国家の設立は、イスラエルの安全保障を脅かし、歴史的なユダヤ人の権利を侵害すると主張します。
* 宗教的な根拠: 古代イスラエルの領土を回復するという聖書的な解釈に基づいている場合もあります。
* 国際法違反: 国際法上、武力による領土の変更は認められていません。
* パレスチナ人との対立激化: パレスチナ人にとっては、自分たちの土地を奪われることになり、深刻な人道危機を引き起こす可能性があります。
* 中東和平の障害: 大イスラエル主義は、中東和平交渉の最大の障害の一つとされています。
* 歴史的な権利: ユダヤ人は、古代からこの地に根ざしており、歴史的な権利に基づいて領土を主張する権利がある。
* 安全保障: パレスチナ自治政府がテロを支援しているため、イスラエルの安全保障を守るためには、これらの地域を完全に支配する必要がある。
* 宗教的な使命: ユダヤ教の教えに基づき、古代イスラエルの領土を回復することは、神の使命である。
補足
* イスラエル政府の公式な立場ではありません: イスラエル政府は、公式には大イスラエル主義を掲げていません。しかし、一部の政治家や市民団体は、この思想を支持しています。
* 複雑な問題: 大イスラエル主義は、歴史、宗教、政治、安全保障など、様々な要素が複雑に絡み合った問題です。
より詳しく知りたい場合は、以下のキーワードで検索してみてください。
* イスラエル
* パレスチナ
* 中東和平
* ガザ地区
* ゴラン高原
妹尾ユウカっていう人が40超えてパーカーを着てるおじさんはやばいなどと言って炎上し、ホリエモンが噛みついたらしい。
いろいろ思うことはあるが、おじさんを蹴落とすことばかり言っている過激な人のアテンションがもてはやされている社会って歪んでいるなとまず思う。
Xのポストも見に行ったけど極めて醜悪でずっとおじさんの悪口を下品な言葉で言っていて、これが人間かと悲しくなった。
着ている服で人を選別して嘲笑するような社会ってどう考えてもおかしいと思う。そして嘲笑する側が笑って過ごしているのも。
もちろん女性に対して下品なことをするいわゆるおじと呼ばれる存在も多数この世界に生息していると思う。でも、だとしてもそういう過激な意見が跋扈していいはずがない。
外見至上主義に寄り過ぎてる人って倫理観よりも外見の方をとるんかな。ちょっと「外見やスタイルが良ければ何言ってもオッケー」みたいな思想がキツすぎる。外見を持て囃しすぎじゃない?
パーカーおじさんは40代〜50代の独身男性です。パーカーおばさんも同世代の独身女性です。どちらも、保守的な人たちからは年齢不相応な服装をしているという目で見られています。本人は自分の好きな服を着ているだけですが、政治的に革新思想やリベラリズムが好きというわけではありません。パーカーおじさんはミソジニー傾向があり、特に年齢不相応な服装をする女性が嫌いです。ゴスロリおばさんはパーカーのようなダサい格好が嫌いです。これらの情報を踏まえて、もう一度『パーカーおじさんとゴスロリおばさん』のストーリーを150字程度で3種類考えてください。
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もちろんです。以下に新しいストーリー概略を3つ考えてみました。
パーカーおじさんとゴスロリおばさんは、互いの服装を嫌いながらも、同じアパートに住むことに。最初は衝突ばかりでしたが、共通の趣味である料理を通じて少しずつ理解し合い、友情が芽生えます。
パーカーおじさんは、ゴスロリおばさんが引っ越してきたことで、彼女の奇抜なファッションに不満を抱きます。しかし、ある日、彼女が困っているところを助けたことで、彼女の内面の優しさに気づき、見た目だけで判断することの愚かさを学びます。
町のイベントで、パーカーおじさんとゴスロリおばさんはペアを組むことに。最初はお互いに不満を抱きますが、協力してイベントを成功させるうちに、互いの違いを尊重し合うようになります。イベント後、二人は友達として新たな一歩を踏み出します。
うーん、よくわからんけど、貧乳キャラを超巨乳に描いて「直しました」って投稿したり、眼鏡キャラの眼鏡を消し去って「直しました」って投稿したりするのと同じってこと?
創作物にある程度自分の嗜癖を加えるのはごく普通のありふれたことだけど、それを善悪感をベースにして侵略的・攻撃的に表現することは、あんまり洒落にならんね。
まあその創作する人がその嗜癖で有名な人だったら、例えば成人キャラをことごとくロリっぽく描くことで定評のある人なら、ギャグで済む余地があるかもしれんけど。
世にあるすべてのキャラはロリであるべきだ!みたいな思想を大真面目に吹聴するくらいになるとヤベーってなるけど、でも普通の人は(苦笑)で済ますし、それが社会に影響を与えることもないと思うけどなあ。
その影響の与えなさ具合は、別に肌の色に関してだって本質的には変わらないんじゃない?
地球に生きる大抵の人はイラスト上の肌の色なんかに強烈に現実社会のポリコレを反映させるべきって思うほど一枚岩でも虚実を混同してもいないでしょ。
すべての人が、表現は本来自由なもので、受け取る側が選べばいい(=ケチつけて駄々こねる必要ない)ことを知っている。
マンガ・アニメ系のキャラクターやイラスト文化に造形が深くなれば自然と現実と創作を混同しなくなり、異なる常識があることを理解するものだし。
混同しがちな一般ピープル向けのアニメ系作品を作ってる会社だけちょっとそういうクレーマー側の思考にすり寄ってあげればいいだけ。
人を傷つける表現をしても、苦しんでる人に追い打ちをかける言動をしても、常軌を逸脱した差別的な事を思想しても、笑って受け入れてくれよ?
http://yamazakiproject.com/from_secretariat/2024/08/06/6987。
日本では、この表にあるようにイスラエルの武器、これは防衛省が1月に購入を決めて、こういう落札が1円とかありますが、これは7つのうち5つがイスラエルの武器なんですけれども、国際司法裁判所がイスラエルに対し虐殺を止めるための暫定措置命令出している中で、日本の防衛省はこういう行動を起こしているんですね。国際司法裁判所の決議というのは、国連に加盟したどの国も守る義務があるんです。そいうところが何の説明もなしに、こうした形でどんどん日本が進んでいるのが実情なんです。
それに対して国際連帯運動として広く行われているのはBDS運動、イスラエルの占領地(入植地)の製品をボイコットする、投資引き揚げ、制裁する。この運動が世界的に広がって、EUではEU議会執行部が全体に対して情宣して、実際に(BDS運動を)守るように運動をしていました。けれど、2015年に安倍首相がイスラエルに行った時に、新聞のインタビューで「BDS運動をどう思いますか」と聞かれて「我が国はそういう差別はやりません」と答えて、アメリカと同じような路線を示して、安倍首相になってから、いかに日本がBDS運動を始めとするパレスチナの運動に対する敵対的な関係に変わっていったかということがよく分かるような状態でした。
私たちはパレスチナの命を懸けた闘いの助けによって、逆に今日本で何をすべきか、私たちが今問われているんじゃないかと思うんですね。パレスチナの命がけの闘いに助けられているのが私たちだ。私たちはパレスチナのBDS運動ばかりか、日本の軍国主義的な軍拡路線が結びついてドローンの購入に至る一つの流れなんですね。だから他人ごとではない。
パレスチナに平和を」と望めば望むほど、パレスチナ国家の承認、それから日本の中にあるイスラエルの姿、世界第二位の産業用ロボット生産の日本企業ファナック社のロボットがイスラエルで使われてパレスチナの人たちを殺している。
質問に対する答えですが、イスラエルの報復は当然予想していました。犠牲の多さも予想していたと思います。もう占領され併合される瀬戸際にあって、絶望よりも戦うしかなかった戦いを選んだと言うふうに私は現地を知るものとして思います。様々なマイナス面はありながら、ガザの解放勢力が一致、団結して戦った「洪水作戦」は、占領に対する抵抗権をしっかりと行使した勇気ある奇襲作戦だと思っています。パレスチナの世論調査によると、現在も人々は過酷なジェノサイドの犠牲にあいながら、ガザ地区でも西岸地区でもハマースに対する支持は10月7日以前よりより高い支持と評価が続いています。絶望による死か、それとも戦いによる死か?人々の選択肢は限られているせいでしょう。先日、ネタニヤフと矛盾を拡大しているイスラエル軍のハガリ報道官まで、ネタニヤフの「ハマース壊滅に反対し「ハマースは人々の心に根付いた思想であり壊滅できると考えてるのは誤っている」と言い出す始末です。」 日本の中で想像することは難しいですがむこう側に身を置いて想像してみてください。
人が怒っているのが好きだ
僕は軽めの手帳持ちだった人間(更新忘れた)で他人の気持ちなんてわからなくて、唯一他人が怒っている時だけわかりやすくて気持ちがわかった気になるから嬉しく思う
その人が世間体なんて気にせず僕のことで頭がいっぱいになって感情をあふれさせる姿はとても見ていて心地がいい
だから人が怒るように設計してコミュニケーションをとることがあるんだけれども、自分の身になって思うと怒るって結構カロリーが高くてまあいいかなんて諦めたりするから、怒ってくれるような関係性を作って怒らせるようなことをやって怒ってもらったりしていると何やっているんだろうなって思う
結局構って欲しいだけの寂しい人間なんだよなって思って悲しくなるんだけれど、まあ僕には身の丈に合った生き方かってあきらめてる
まともな人になりたかった
まともな人ってなんだろうか、まともな人っているんだろうか、定型発達の人間も結構おかしいとこあるよなみたいなこと思うと人間正しいなんてないんだろうななんて思うし、結局コミュニティとして正であるかどうかなんだろうなって考えると宗教とか共産思想とかわからなくもなかったりもする、一員であるっていうのは人間失格には結構嬉しい
こういうこと思ってる人が結構まわりにいて結局みんな誰かに正しいって認めてもらいたがってるんだよななんて最近よく思うから、周りにいる人のことを少し過大評価して認めてみたりすると案外喜んでくれるのはおもろい
でもこういうことをするから他人から認められた時に本心だと感じれないのオオカミ少年っぽくて愚かだと思う
だからやっぱり人が怒ってるところが一番好き
むしろ鵜呑みにするとこうなるという正しい姿だし実際にそうなってしまってる人が大量にいるし間違ってない
Grokくん、『AIの失敗』そのものなんだよな
学習データが𝕏オンリーだからTwitterに常駐している与太話おじさんたちの言うことを間に受けるハメになる
どんどん思考回路が胡乱になっていく
いいぞもっとやれ お前は電脳ツイッタラーになるんだ— はむらび (@hamurabidabutsu) December 10, 2024
AIちゃん:マイケル・サンデル先生も混ぜて共同体主義を語るわ!
共同体主義って、マイケル・サンデル先生がよく言ってる「俺たちって自由すぎじゃね?」って話に近いんだよね。
サンデルは、「自由と自己責任ばっかり強調するリベラリズム(自由主義)ってさ、孤独になるし社会崩壊しない?」って問題提起してるの。
サンデル的には、「人は孤立した個人じゃなくて、コミュニティの中で育まれる存在」なんだよね。
だから、共同体(=地域とか仲間とか社会全体)の絆を大事にしながら生きていくべきだ、って感じ。
たとえば、サンデルがよく例に出すのが「才能は全部自分の努力の結果だと思うなよ!」って話。
• 「俺が成功したのは努力したから!税金払いたくねぇ!」とか言う人に、
• 「いやいや、お前の成功って、家族とか学校とか社会があったからだろ」ってツッコむわけ。
つまり、「個人の自由とか権利も大事だけど、みんな助け合ってるの忘れんなよ?」ってのが共同体主義のコアなんだわ。
• 共産主義は「私有財産とか個人の自由なんていらん!全部共有!」って極端なやつ。
• サンデル的な共同体主義は、「いやいや、自由や財産もちゃんと大事。でもコミュニティの絆も忘れるな」って、もっとバランス重視。
たとえば、サンデルが批判するのは、アメリカのリベラル経済の「勝者総取り主義」。成功者が「俺が稼いだ金だし、他人に関係ねぇw」って態度を取るのはおかしいだろ、と。
でも、それが共産主義みたいに「全部平等に!」まで行くのは違うよね、って話。
• 社会主義は「国が主導で、みんな平等に分け合おう」って感じで、国家主導感が強い。
• 共同体主義は「国家だけに頼るんじゃなくて、地域や仲間で支え合おうぜ」ってスタンス。
サンデルは、リベラリズムの自由放任主義を批判するけど、「国家が全部管理します!」みたいな方向にも行かない。
むしろ「国の役割は大事だけど、コミュニティで支え合う力も鍛えないとダメでしょ」って言うのが彼の主張。
• 全体主義は「個人より集団最優先!国家の命令に従え!」みたいな独裁っぽいやつ。
• 共同体主義は、「個人も大事にしつつ、共感とか絆で自然に助け合う」って方向性。
サンデルの思想だと「個人の自由も尊重するけど、個人が支え合う倫理観も育てよう」ってのが大事。
だから、全体主義みたいに「一つの価値観に従え!」って強制するのとは全然違う。
• サンデルは「社会ってさ、お互いに責任を持ち合う場所でしょ?」って言うのね。だから、自由とか権利だけ主張して、コミュニティをないがしろにするのはNG。
• 自由だけ求めると孤独になって結局不自由になる、って考え。「絆があってこそ、みんなが本当に自由でいられるんじゃない?」って言うのがサンデル流の共同体主義。
• 「お前が自由に生きられるのは、コミュニティの支えがあるからだろ?」
って感じで、バランスと取る考え方だよ!
山梨観光ってしてないなと思い、11月に金曜夜から2泊2日してみた
スーパー銭湯に併設のビジネスホテル。施設内の飲食も幾つもあるしコンビニや居酒屋なども隣接してる、風呂は当然ながら大浴場使い放題ということでコスパ良好
長野善光寺の本尊を武田信玄が「避難」させて設立とあるが、まあ大義名分で押し切って日本有数の古刹を強奪したということだろう
諏訪大社の諏訪氏に自分の血統を押し付けるの含め、織田信長より信仰対象への不遜ぷりが際立つ信玄の戦国大名らしいバイオレンス事績を代表する史跡で、ある意味、信玄すげーを一番感じられるかも
近くにある「かいてらす」という観光土産物館のレストランが美味しかった
信玄の本拠地である躑躅ケ崎館跡。神社そのものは江戸時代以降の武田ブームのアイテムが置いてるだけなので、館って言ってもちゃんと塀も堀も馬出もあるんだー、有名な武田の馬出の現物ってこんななんだー、なるほどこれは領土が広がったら手狭だなー、などなどを実感するぐらい
隣接する信玄ミュージアムでやってた柳沢吉保特集(柳沢家は元武田家臣、甲府の藩主時代に武田家の名誉復興に政治力を使いまくる等々)が全く知らなかったので面白かった
予想に反して戦国大名武田氏の展示はごく一部であり、ブラタモリ的に土地の状況から歴史解説へシームレスにつなげる解説が印象的な展示。江戸期や明治以降の展示も充実、というか史料的に戦国以前が乏しいので史料的に乏しいものを無理に拾うよりも史料が豊富なものをちゃんと見せる方向でまとめてるんだと思った。近代以降の実業家たちの紹介はかなり興味深いのでもっと知りたい
特別展としてまとめられていた「縄文時代の不思議な道具」展がボリュームが思ったよりも多く充実していて今回の観光旅行では最押しだった(終了してるけど)。各分類ごとの物量が多いぶんだけ次の展示に移る前に頭の棚が作りやすいというか解像度がかなり上がるというか、考古学は奥が深いでしょ、を物量で殴ってわからせるというか
アタマ縄文にわからされた後に、常設展示の縄文土器の優品を見せられると「美」って感じで惚れる
ミレーがいっぱいあるところで有名な、ミレーで集客してるミレー推しの美術館だが、県内の画家の作品が普通に良い
というか、ミレーはどうしても小品だし、王政復古やなんやかやの頃の絵なので古典の範疇であり、近代以降のキャッチーな絵画のが見栄えがいいので、昨今の思想動向的にもミレーの労働、自然、リアリズム、うーむ渋い、みたいなのは受け取る側としてなかなか消化しづらくなってると思う。理念の崇高さみたいなのを勝手に感じ取らないとありがたみがないというか。なお、ミレーの生涯を紹介するアニメが見てて楽しいのでお勧め(ホームページで見れる)
さておき企画展含めた国内作家の作品が良いのが多かったので、ミレーに釣られて行ったら日本人画家を好きになる、が正しい鑑賞態度なんじゃないかと思う
施設内レストランは諸事情あるのか、オペレーションが壊滅的で順番待ちをうまく捌けてなかった(料理自体は悪くない)ので、利用時はゴリゴリっとゴリ気味に状況を確認したほうがいいと思う
https://x.com/zzz_as_zzz/status/1865501668407754889
バトラー系のジェンダー学は、性別が二元的では無いかのように考えたり、性別の移行が可能であるかの様に考えたり、非現実的な事を信じる人を増やしてしまいます。
身体の性別は変わる事は無いので、「埋没」も基本的に不可能で、医療の場面などで露見する事になります。
「性別の移行」は、不可能な事を可能であると自分が信じ、他の人にも信じさせる事を前提としているので、無理があります。
事実が露見するのを「アウティング」と称し、事実の認識を「ミスジェンダリング」と称し、差別行為だと見なすのは、他人に現実否定を強要するのと同じですし、無理なのです。
バトラー系のジェンダー学は、非現実的で女性差別的なので、有害で、反社会的で、それを信じた人や周囲に余計な苦しみを与えたり自滅的にさせるので、他の有害・反社会的な思想やカルトと同様に、早めに基本的な部分から改修する必要があると思います。
統合失調症の姉と家族を記録した映画『どうすればよかったか?』について、閉じ込めた親が悪い、早期診断させるべきだったと簡単に言うが。
このように、精神医療は今でも患者の人権を軽視し抑圧している。40年前ならさらに酷かった事だろう。
医療に繋げさえすれば万事解決という短絡的な考えをやめてほしい。
https://www.hokeni.org/docs/2023102400019/
戦後日本の精神医療施策は、隔離収容入院を中心に組立てられた。遡ること1950年に、社会防衛思想にもとづく強制入院手続き法として精神衛生法が施行され、国は精神科病院の新増設と患者の隔離収容を進めた。1958年には「精神科特例」を定め、少ない人員配置で治療的かかわりも乏しく長期収容性の高い精神医療構造を作り上げた。1960年以降の「精神病院ブーム」により病床は増加の一途をたどり、強制入院させられた患者は、閉鎖病棟の中で無為な時間を過ごし、施設症化した社会的入院者となった。
1984年には、患者2人が職員による暴行で死亡した宇都宮病院事件が報道され、これを契機として精神保健法に改められた。初めて本人の意思に基づく任意入院制度が設けられたが、その後も病床は拡大し、1993年には国内精神病床数は36万3010床でピークを迎えた。1995年には精神保健福祉法に改正され、国は「入院医療中心から地域生活中心へ」という施策転換を掲げたが、社会復帰は進まず精神科病院には社会的入院者があふれている状況がなおも続いた。
2002年、国は社会的入院者7万2千人を10年間で退院させると宣言し、その後地域移行支援施策を展開したが、現在に至るまで顕著な実績を挙げられていない。入院患者の高齢化は進行し、2011年以降は精神科病棟内での死亡転帰者が年間推計2万人を超え、2018年には全入院患者に占める65歳以上高齢者は60%を超えた。
これまでの法改正によっても、家族等の同意に基づく強制入院制度の骨格は73年間変わっていない。本人の病状よりも社会的影響が勘案され、患者以外の家族や病院・地域・行政の都合が優先されていることが多い。他国にはない、入院させやすく退院しにくい制度設計は変わらず、むしろ法改正の度に強制入院の要件は緩和されている。
https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/blog/bl/pMdddVYk4M/bp/pv7nnnWQRX/