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デザインの体幹 Vol1&2 のスライドをシェア

5月から「デザインの体幹」というトークセッションイベントをやってます。 前にこの記事で紹介した「デザインの深い森」というイベントの続編です。 ▲昨夜の「Vol2.物語編集力」のスライドの一部。物語編集力を実践で示すためにつくった15世紀東西の歴史年表 「デザインのための4つの領域を鍛える連続トーク講座」と銘打って、ファシリテーション/物語編集/リフレーミング/構想の4つのテーマを1回ずつ、僕と千葉工業大学の山崎先生にプラス、テーマに応じたゲストを迎えてトークを行うイベントです。 昨日は、Vol2.ということで「物語編集力」をテーマに話しましたが、結構、ディープでカオスで参加者の頭を悩ませるトークが繰り広げられました。 ゲストの方を含めて3人それぞれが三者三様の形でテーマを噛み砕いて話すので、これが「物語編集」だとか、物語編集とデザインの関係が決して一義的に語られることなどは一切なく、イベント設計者の企図どおり、とっても理解がむずかしく頭をひねられる会になってるのがよいなと思います。 今回は、その一部として僕のパートで話したスライドとVol1.の「ファシリテーション力」の際の資料もあわせてシェアします。

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自分たちでやれることの外部化が、未来を志向するために必要な人と人とのつながりを希薄化させる

いまの時代って、ひとりで悶々と悩んだり、企業などの閉じた世界のなかだけで問題を解決しようとしたりするのに向かない時代ではないかと感じます。 これほど、先行き不透明で、かつ、不透明ではない既存の安定したシステムの寿命もそう長くはないと予測される現代で、特定の機能を果たしたり、特定の戦略の実行に最適化された組織の閉じた環境のなかだけで、何が起こるか分からない状況で突如現れ出てくるさまざまな未知の問題に対処することは理にかなっていません。 だからこそ、ゆるいネットワークのつながりによって、「さまざまな未知の問題」にも柔軟に対応できる、多様性を確保しておくことのほうが必要なのだと思います。

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人間の思考方法と情報の交通の速度や経済性について考える

デザイナーさんなどを中心にこんな風に考える人がたまにいます。 手で描きながら何かを考える方法って人間にとってはとても自然で本来的な思考の方法だ、と。 んー、果たして、そうなのでしょうか? 僕自身も、絵や図を描いたりしながら自分の考えを発展させ、まとめていく方法というのは、思考方法としてとても有効だし、誰もがそういう思考方法を身に着けておけばいいと思っています。 でも、それが「人間にとってとても自然で本来的な思考の方法」だとは考えません。 そう考える人はある基本的なことを忘れていると思うんです。 手で描いて考えるために不可欠な筆記具も紙も、残念ながら、いまのように誰でも気軽に利用できる代物ではなかった時代があったということを。 筆記具や紙という人工物がなければできない思考方法が、人間という生物にとって自然で本来的であるはずがないということを。 そう。昨日の「僕たちはいつも間違えてる、だから…」で「デザイン思考」が歴史的思考方法だと書いたのと同じです。 描きながら考えるという思考方法が「とても自然で本来的な思考の方法」なのではなく、歴史的に筆記具や紙という人工物をある程度日常的にも利用可能な環境が整って以降のそれらの使い方も含めた意味でのリテラシーであることなどの、僕ら人間を動かしているものに気づくことこそ、昨年以上にこれまで無意識のうちに信じてきた様々な既成観念が崩壊するであろう2012年に、「次」を考える上では大事な「問題提起力」には欠かせないことだと…

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新しい人間中心デザインのためのメモ

掲題の件。 現在のHCDはモノを作ることを前提としすぎている。モノは必ずしも作られる必要はないし、作る場合でもハード面(ソフトウェア含む)だけでなく、ノウハウや伝統の以上などのソフト面の提供も同時になされなければならない。機能を作るのでも、経験を作るのでもない。文化を作らなくてはならない。それゆえ計画•デザインが対象とするスパン、スケールは大きすぎても小さすぎてもいけない。パーソナルや核家族向けでも、マス向けでもない中間的な単位が必要。シェアや作法の伝達も視野にいれた適切なネットワークの形成が可能になる/妨げない設計が求められる。効率や効果を短すぎるスパンで評価しない。動線設計が効率的に設計されていても今のキッチンは作業スペースがたりなさ過ぎるし、そもそも保存加工食品の大量生産もできなくなってしまった。効率や効果の前に人としてどうあるべきか、文化はどうあるべきかを考える必要がある。そうしたヴィジョンを想像することをしないのであればデザインなどする必要はない。作ってあげるのではなく、基本的にはユーザー自身が作れるようにすることを目指す。大量生産からの脱却でもあるし、それに依存していたデザイナーという在り方の変革である。個々人から奪った生産の楽しみを個々人に返却する必要がある。同時にデザイナーも方法論からの脱却が求められる。 これを体系的に語れるように準備。 新しい日本発の人間中心デザインとして。

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なぜ?を問う力

なぜ?を問う力が不足している。 いや、他人に訳を訊ねる力が足りないというのではなく、目の前で起こった事柄の理由を自分に対して問う力がないのだ。 目の前で起きる事柄を当たり前と思って見過ごしてしまうことが多すぎて、すべてがわかったつもりなのか、なぜ?を問うことでちゃんと理解してみようという態度が著しく欠けているのである。まさに前回書いた「知っているということの呪縛」である。 なぜミスは起こったのか? なぜあれがこれより人気があるのか? なぜあの場所はいつも混雑しているのか? 目の前で起こっている事柄をなんとなく見過ごしてしまうのではなく、なぜ、それはそうなのかと疑問をもつことができるか? つまりはここでの関心事は問題発見能力についてである。問題が見つからなければ、解決は図れない。改善もイノベーションも起こらない。 目の前で起きた事柄がミスや失敗であれば、なぜ?と理由を問うことはむずかしくないだろう。あるいは、ミスや失敗はない場合でも、自社に比べて他社の人気が高かったりすれば、それに対する、なぜ?を問うこともむずかしくはない。 それらの場合はすでに問題は提示されているからである。あとは問題として引き受け、答えを見い出そうとする意欲があるかないかだろう。 しかし、である。欠けているのは、そういった意欲ではない。

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ディゼーニョ・インテルノ(デザインの誕生1)

僕の最近の関心事の1つは「デザインの誕生」です。 昨日、僕が解説を書かせてもらった、ヘンリー・ペトロスキーの『フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論』(書評)が出版されましたが、そこで丁寧に描かれた近代のデザイン・エンジニアリングによるイノベーションの歴史やそのメカニズムよりも、僕自身はそもそもイノベーション=デザインということが歴史上、新しい観念として誕生した瞬間にこそ興味をもっています。 現代の僕らにとってはその存在が当たり前になってしまっているデザインというものが、ほかの多くの発明品同様に歴史上のある時点から観念として浮上し、利用可能になったものであるということ自体をきちんと整理、理解してみたいと思っています。 僕のなかには「生産力よりも消費力」で書いたような、デザインが未来を提示する、つくるということ自体が機能しづらくなっているのではないかという危機感があって、その危機を乗り越えるためには、一度、デザインの起源に立ち返らないといけないという思いが強くある。そのデザインの起源とは、いわゆるモダンデザインのお作法がバウハウスなどの活動によって整えられてきた第1次世界大戦後の時代ではなくて、もっとずっと歴史を遡ったルネサンス期のヨーロッパではないかと思うのです。 しばらく、そんなことを続けて書いてみようと思うのですが、まずは思考の基点を、高山宏さんの『表象の芸術工学』(書評)のなかのこんな記述、 いずれにしろOEDによると、英語としてのdesignが出てくるの…

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