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予測ができなきゃ行動もできないし将来は真っ暗?

人間は「予測」に従って動きます。いや、実際には予測が働かないと動けないといっていいはずです。その意味では、予測は人間にとって行動するためのリソースであると言うことができると思います。 では、その際、人間は予測しようと意識して予測しているかというと、そうではないとも思います。 J・J・ギブソンの生態心理学においては、生物を取り囲む環境を構成する表面の性質やレイアウトの組み合わせに応じて、環境そのものがその生物の行動を促進/抑制するリソース(=アフォーダンス)と考えられていますが、予測はこの行動を促進するリソースとしての環境認識と同時に立ち上がるものと考えてよいと思います。 ようするに、人が予測しようと思って予測しているのではなく、むしろ、ある環境が眼前に立ち上がってくる際、人がそれに対してどう対処するか(強いてはどう対処すればその環境を生き抜くことができるか)と思うところに予測は立ち上がってくるのだと捉えたほうがよいはずです。 予測は行動しなければと思う人間の思いのなかに立ち上がってくる。そこで「予測」を手に入れるからこそ人は行動することができる。「予測」が人間にとって行動するためのリソースであるというのはそういうことです。

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空気は目線で読む

あっ、空気って目線とかで読むんだなー。 今日はそんなことを感じました。 ある会議で進行役をやらせてもらったんですが、その場自体がはじめてだったことと出席者があまりに積極的な発言をしてくれたので、まったく仕切れなかったんですね。出席者の数も多かったし、話してるテーマが得意分野じゃなかったというのもありました。 でも、それだけの要因だけなら、普段ならもうちょっと仕切れたはずだったんですよね。それなのに、それができなかった。 どうして?

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されば地と隔たる器はなく、人を離るる器はない

人間が使う道具をデザインするのに、それを使う人間のことを考えようとせず、いきなり完成形の形ばかりを気にする人がいます。ユーザー調査をすればそれで満足するのか、ろくに自分の頭で分析しようともしないで、ただひたすら答えを求めたり。 先日の土曜日に行った「ユーザー中心のWebサイト設計・ワークショップ2日目」の参加者がはからずとも言っていましたが、大事なことはユーザーの視点でデザインを考えていく過程です。その意味で昨日のワークショップに参加してくださった皆さんは、それぞれがあの場でユーザーの視点から考えるデザインの方法を学びとろうという意欲が感じられ、僕の方がいろんな勉強をさせてもらったくらいです。 一方で、そういう熱い気持ちを感じさせてくれる人はまれで、なんとなく仕事だからやっているっていう感じの人が少なくありません。 そういう方には、この柳宗悦さんの言葉を読んでみていただきたい。 私たちは労働を短縮することによって、幸福を保証しようとすべきではなく、労働に意義を感ずるように事情を転ぜねばならぬ。何故なら労働なき所に、工藝の美はないからである。人間の生活はないからである。 柳宗悦『工藝の道』 答えばかり求めて考えることに労力を割こうとせず、具体的な分析のための作業にも熱をこめない。自分ことばかり、ほかの人間のことを考えられない。そうした熱のこもらぬ仕事に、デザインの美も、人間の生活もないのでしょう。 人間のことを考えながら道具はどうあるべきかを発想していかないのならデザインなんか…

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『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献:2.認知科学・UCD編

『ペルソナ作って、それからどうするの?』の第1章では、「デザインって何なのでしか?」という問題の整理をスタート地点にして、「ウェブの制作とデザイン」、「創造性とデザインの方法」、「ユーザーの行動とデザイン」、「ウェブサイトをデザインする際の境界線問題」と話を進め、現在のウェブデザインの問題点と課題を整理・指摘しています。 それを受けた第2章は「ペルソナ/シナリオ法とウェブデザイン」と題して、<「誰のためのデザインなのか?」という疑問に対して「誰のどんな問題を解決するのか」を明示するデザイン手法がペルソナ/シナリオ法>を紹介するとともに、「ユーザビリティとペルソナ」、「ユーザーエクスペリエンスとペルソナ」、「ペルソナを用いてインタラクション・デザインを考える」など、ペルソナ/シナリオ法を用いることで、ユーザビリティの問題やユーザー・エクスペリエンスのデザインをいかに解決できるかを考察しています。 ここではペルソナ/シナリオ法がどのような形でユーザビリティの向上に貢献しうるかという点を考察しようと思います。ただ、その考察をはじめる前に、まずユーザビリティとは何かを検討する必要があるでしょう。ユーザビリティはさまざまな形で解釈されており、理解の混乱もみられるからです。そのため、現在、どのような解釈がなされているかをざっと一望した後、本書でユーザビリティをどう扱うかをあらためて定義することにします。 「第2章 ペルソナ/シナリオ法とウェブデザイン」より さて、「『ペルソナ作って、それか…

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アニミズムすぎるくらいがほんとうのアフォーダンスでは?

僕もそれがほんとうだと思う。 松岡 かつて才能というものは日本の場合、「才」が全部物質の中にあったんです。それを「才(ざえ)」と呼びましたけれど、石に才があり、木に才があり、花に才があり、釘に才がある。それをはたらかせるというのがモーメントとしての「能」という字なんです。それが、やがて能をはたらかせる人に才能があるというように、どこからか変わってしまった。でも、石に才能があるほうが、ほんとうだと思うんですよ。 佐治晴夫、松岡正剛『二十世紀の忘れもの―トワイライトの誘惑』 さっき盆栽に水をやろうとして手を滑らせて鉢を割ってしまったような僕のような人間にとっては、どう考えても「才」が自分の側にあるとは思えない。それどころか、モーメントとしての「能」の力のかけ加減も間違えて鉢を割ってしまうんですから。

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変化と固定化:日本に期待されていること

変化する動きそのものを重視するか、固定化されたモノそのものを重視するか。 ここ最近のエントリー、 「自分探し」より大事なのは「もう一人の自分」をみつけること意味を超えたところにある何か不確実な世界の変化を受け入れる敏感さ庭と日本人/上田篤 で書いてきた日本古来のモノの見方には、そのことが大きく関わっていると思います。 「意味を超えたところにある何か」で引用した養老孟司さんの言葉にあるように「生き物は二度と同じ状態にあることはなく、反対に表現は決して変化しない」のであって、このいずれ-同じ状態にあることなく変化し続ける生物・自然か、人間によってコントロール可能な形に固定化された人工物か-に価値をおくか=畏れるかは、人びとの思想を形づくるうえで重要な岐路となりえます。 その岐路で、後者に重きをおいたのが西洋や現代社会のものの見方であり、日本古来のものの見方というのは前者であたるでしょう。

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