「書く」ことの終わりに
気持ちはわかります。でも…。
私たちのキャリア形成において、「ブログ」の重要性ほど見過ごされているものは無いように思います。
ブログを書くことは、人ひとりのキャリアを大きく左右しうるものであり、今後時代が進めば、「ブログくらい書けないと社会人としてヤバい」時代が訪れるとさえ、私は思っています。
「ブログくらい書けないと社会人としてヤバい」時代が訪れる | ソーシャルウェブが未来を創る!
僕としても、ブログを書く人が「ブログくらい書けないと社会人としてヤバい」と言いたくなる気持ちはわかります。僕も気持ちとしては、そう考えたくなる面もあります。
でも、です。
でも、きっとそんな時代は訪れないでしょう。
そう思えるのは単に過渡期だから、です。
だから、過渡期という短いスパンで見て、「ブログくらい書けないと社会人としてヤバい」と一部の人が思いたくなる時代が来るというのはアグリーなんですが、もうすこし長期的にみると本質的な変化はそこではなく、ブログを書けないとヤバイと「書く人」が思えてしまうような危機が別にあるのです。
そう。むしろ「文章を書く」ということ自体がいま危機に瀕しているからこそ、そう思えるのでしょう。
「文章を書く」ことの意味=価値が失われはじめているからこそ、「書く人」の気持ちに保守的な思いが働いて「書けないとヤバイ」なんて反動が生じているのではないか、と。
(ようするに元の記事とはなんら関係のないことを書こうとしているので、元記事との関係性が…