教育/コミュニケーション/経済をもっと長いスパンでみた「構造」と捉えること
社会的イノベーションってなんだろうか?
仕事では「イノベーション」という言葉を使うし、確かに社会的な意味でのイノベーションの実現を本気で目指します(技術的なイノベーションや、ビジネス的イノベーションは仕事上でもあまり興味がありません)。
けれど、一方では社会的な意味でのイノベーションにも懐疑的な考えも持っています。
果たして、人はどこまで自分たちの生物としての出自に抗って、自らが長年つくりあげてきた「生き方」を壊してしまうイノベーションが可能で、それを実現しようとするのか?と。
また、イノベーションで実現した状況が果たして、さらにその先の未来にとってもよい方向への変化といえるのか? その根拠はなんだろうか?と。
僕らは自分が向かっている先をちゃんと理解しているのだろうか?と。
そんなことを考えるとき、僕がいつも思うのは、考えるスパンを可能な限り大きくとろうということです。
このブログでは、そういう視点で、人類学、民俗学、メディア論などの人間に対して広いスパンで目を向けようとする学問を参照しながら、デザイン思考や人間中心デザイン、イノベーションというものを考えるようにしてきました。
そのスタンスはいまも引き続き変わらず持ち続けているどころか、そのあたりの知識を深めていけばいくほど、短期的な視点でのみ変革を唱えることへの危機感を感じてしまうのです。
今日はひさしぶりに、そのあたりについて最近考えていることをツラツラと綴ってみようと思います。