文学とテクノロジー/ワイリー・サイファー
テクノロジーが、世界でいま起こっていることの直接の現場へと人間が参加することを妨げる。
方法が、問題に正面から立ち向かおうとする人間にとって最大の障壁となる。
テクノロジーと方法は、そんな風に人を世界から疎外された存在としてきた。
科学においても、芸術においても…。
ワイリー・サイファーの『文学とテクノロジー』という本は、19世紀における行き過ぎたテクノロジー主義、方法主義が芸術家たちをいかに現実から引き離すことになったかというテーマを追った一冊です。
前回の「マニエラ(技法)の核心 ~僕らは結局、自分たちのこれからをスケッチしながら作っている、この「世界史的な危機のさなか」において~」という記事では、まさにサイファーが『文学とテクノロジー』のなかで扱っているのと同様の「技法」というもののもつ意味をあらためて考えてみました。
組み合わせ術にせよ、隠喩の技法にせよ、それは新しいものを創造を可能にする根本的技法であるにせよ、それは膨大なリサーチを行ったり、膨大なデータに向き合い、整理分類をしながら思考したりといった、ごくごく当然の創造のための苦悩を抜きにしては、何も生み出せないはずです。
技法というものがそういう苦悩に没頭することができる環境こそを用意してくれる発想の技であり、決して、苦悩から人を解放してラクに結果が生み出せるようにするものではないことを、僕らはしっかり受け止めて創造の技をふたたび手にする必要があるのではないでしょうか。
マニエラ(技法)の核心 …