人間や社会にどんな知的ソフトウェアがインストールされているかを知り、それが変更されると何が変わるかを想像できるよう…
はい。今までで一番長い記事タイトルじゃないでしょうか?
最近、読み始めたウンベルト・エーコとジャン=クロード・カリエールという2人の博覧強記の愛書家の対談『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』の序文はこんな文章ではじまっています。
「これがあれを滅ぼすだろう。書物が建物を」
ヴィクトル・ユゴーのこの名言は、『ノートルダム・ド・パリ』に出てくるパリのノートルダム大聖堂の司教補佐クロード・フロロの言葉です。おそらく建築物は死にませんが、変貌するある文化の象徴という役割を失うでしょう。「それに比べて、思想が書物になるのには、わずかの紙とわずかのインクとペンが一本あれば充分だということを思えば、人間の知性が建築を捨てて印刷術を選んだからといって、どうして驚くことがあるだろう」。
ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』
西洋の知の歴史に疎い人は、この文章を読んで頭にクエスチョンマークが浮かぶかもしれません。
なぜ、書物が建築を滅ぼすのか?と。
しかし、このブログでは以前からことあるごとに紹介してきたように、西洋の歴史において建築は、書籍同様に知や記憶のための情報メディアでした。
マクルーハンがいうように、メディアは人間を拡張させるのであって、それは人間や社会のある部分を「強化」し、ある部分を「衰退」させ、またあるものを「回復」させると同時に、ある状態を「反転」させます。そうした人間や社会を変化させるメディアの変転とい…