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青い花/ノヴァーリス

世界は夢。夢は世界。 世界は夢となり、夢はまた世界と変じ、 とうに起こったはずのものが、 今かなたからやってくる。 想像がはじめて自在にはばたき、 思うがままに糸を織り、 ここかしこヴェールをかけ帳を掲げ、 やがで魔法のもやに消えうせる。 ノヴァーリス『青い花』 18世紀末ドイツの初期ロマン主義の詩人ノヴァーリスによる未完の小説『青い花』。 先に読んだ『サイスの弟子たち』がとても気にいって、ノヴァーリスのことに夢中になり、この『青い花』を手に取ったのはおとといのこと。 ひさしぶりに本を読んで、気持ちが落ち着かない状態にさせられたのだが、そういう意味でとても魅力に満ちた一冊だ。未完なのが、なんとも惜しいが、未完でもなお読む価値がある。 『青い花』は、原題を『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』といい、主人公の名をそのままタイトルにした作品だが、引用した作品中の詩の一節同様に、どこまでが主人公が生きる現実なのか、どこからが他の登場人物が語る物語のなか、あるいは、夢の世界の話なのかが読んでいてわからなくなる作品だ。 しかし、この夢を詩と置き換えて、「世界は詩となり、詩はまた世界と変じ」と読み替えると、この作品における詩というもの、あるいは詩人というものの役割、ノヴァーリスが詩や詩人というものをどう見ているかが感じとれるようになる。 詩人が自分で奇跡におどろいているようでは、とても奇跡を行なうことはできない。 ノヴァーリス『青い花』 と語るのは、ハインリ…

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わかっていることから逃げろ

みんな気づいているだろうか。 わかってしまっていることほど、わかることを妨げるものはない、ということに。 カオスを前にして、ただただ混乱してパニックになるだけか、それともカオスをなんとか制御する手立てを発見しようとカオスのディテール、全体の動向を共にみて思考を巡らせるか。基本的には知的に考えるということは、後者のような態度をいうはずだ。 その後者の態度をむずかしくさせるものこそ、すでにわかりきって整理された状態である。 それはもはや制御されすぎていて、どう制御すればよいかを問う余地がないのだから。 その意味ではカオス(混沌)の逆はコスモス(秩序)ではない。真にカオスの反対に位置するのは、操作された状態だろう。 外にあるプログラムを疑うことなく、それに操られて日々スムーズに動き続ける状態。何にも悩まないし、何にも躓くことはない。すべては苦もなく手に入る。 もちろん、そこまで完璧に夢のような生活を送れている人はいないだろう。 現実はもうすこしだけカオスに近い。 けれど、その現実をカオスと見るか、夢のような世界と自らに暗示をかけて、すべてをわかっているものと信じこみたいのか。わからないものは自分に近づかないよう、既知のイメージや記号でできた夢のような世界に閉じこもるのか。 僕がカオスが好きなのは、そんな夢のような世界が退屈すぎると思うからだ。 わからないものがあるから、新しくおかしなことを考える自由な余地がある。わかりきったことばかりで答えも決まってたら…

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