版(version)の危機
皆さんはとっくに気づいていたことかもしれませんが、僕は昨夜、電子書籍のことを考えていてようやく「そうか。何かあるひとつの状態をオリジナルの版として、その複写物を生み出すという形態をとる、あらゆる大量生産の基本が瓦解するのがこれからか」ということに気づきました。
そう。「版(version)」という概念が危機を迎えているのです。出版は言うに及ばず、そのほか、オリジナルの型を複製する大量生産により富を生み出すという仕組み自体が危機を迎えているのが現在なのではないかと感じます。
世界はどんどんオリジナルとコピーという区別が意味をなさなくなる時代に進もうとしています。
マクルーハンは『メディア論―人間の拡張の諸相』で「活字による印刷は複雑な手工芸木版を最初に機械化したものであり、その後のいっさいの機械化の原型となった」と言っています。
つまり、活字印刷というのは機械生産を基礎におく大量生産の原型でもあるというわけです。
この言葉を、現在の電子書籍とさらにその先のWebも電子書籍の境もない時代にあらためて捉え直してみたら、冒頭の気づきに至った訳です。