見せる空間から参加する空間へ
最近「見せる場」のあり方について考えることが多くなっています。仕事でも、プライベートでも。
そもそも、ここ数年、プライベートで視覚文化と人間の知的活動や思考の関わりに関する歴史に興味をもって、いろいろ本を読んだり調べてみたりしたんですが、そこにたまたま仕事でもそうしたテーマに関わる機会が増えてきているので、結構楽しんでいます。
"L. A. ボワローとギュスターヴ・エッフェルによって1887年に建てられたボン・マルシェ Au Bon Marché (vue générale - gravure)" by 不明 - fonds Boucicaut. Licensed under CC0 via ウィキメディア・コモンズ.
そんな僕がいま興味をもっているのが19世紀のヨーロッパ。
19世紀の半ばって、ある意味、それまで17-18世紀をかけて積み重ねられてきたヨーロッパにおける「視ること=分かること」というプロジェクトが、1つ別の段階にシフトするタイミングなんですね。
集めて、並べて、視覚的に意味を生成するという実験が次の段階に入って、集めて、並べることで経済活動を生み出す段階に入ったのが19世紀の半ばくらいなんです。
産業革命もだいぶ進んで、とにかく効率よく生産したものを、より効率的に売らなくてはいけなくなった時代です。そこで「集めて、並べて、視覚的に意味を生成する」というそれまでの実験が、ビジネスに結びついていくんですね。
例えば、その1つの象徴的な例が現在もパリにある…