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都市の詩学/田中純
本のなかには時に、何冊もの他の本へと誘ってくれるキーとなる本がある。田中純さんによる『都市の詩学』という一冊もそうだ。これまで、この本を起点として読んだ(読み途中のものも含め)本には、カルロ・ギンズブルグの『闇の歴史』、中井久夫『徴候・記憶・外傷』、ホルスト・ブレーデカンプ『ダーウィンの珊瑚』、アルド・ロッシ『自伝』の4冊がある。どれも『都市の詩学』のなかで紹介されていて読んでみたくなった本なのだが、共通点があるのに気づいただろうか? どれも記憶あるいは歴史といったものを扱っ..
本
HIROKI tanahashi
2018-08-24T08:00:00+09:00
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本のなかには時に、何冊もの他の本へと誘ってくれるキーとなる本がある。
田中純さんによる『都市の詩学』という一冊もそうだ。
これまで、この本を起点として読んだ(読み途中のものも含め)本には、カルロ・ギンズブルグの『闇の歴史』、中井久夫『徴候・記憶・外傷』、ホルスト・ブレーデカンプ『ダーウィンの珊瑚』、アルド・ロッシ『自伝』の4冊がある。
どれも『都市の詩学』のなかで紹介されていて読んでみたくなった本なのだが、共通点があるのに気づいただろうか? どれも記憶あるいは歴史といったものを扱っているということに。
ギンズブルグと中井さんの本にはそれぞれタイトルに「歴史」や「記憶」があるからいうまでもないし、ダーウィンを扱ったブレーデカンプの一冊が進化論という大きな自然史を扱っていることもわかるだろう。そして、アルド・ロッシの『自伝』は彼の自分史である以上に、建築の記憶を探る本であったりする。
『都市の詩学』自体、サブタイトルに「場所の記憶と徴候」とあるとおり、それが過去に関する記憶や歴史のような記述だとか、それとは時間的には逆方向にある「徴候と予感」でも扱ったような未来に関する主観的な印しの発見のようなものを相手にしている。
読んでみて、興味深く思ったのと同時に、不気味さをも感じたのは、記憶も歴史もいずれも単純な過去ではなく、現在に気味わるく残存した歪んだ過去のイメージであることに、この本が様々な事例をもって気づかせてくれるからだ。
例えば、中井久夫さんが著者で区別する幼児型記憶と成人型記憶の話で、人は3歳以降に、重層性や階層秩序性があり時間的空間的前後関係によって決定される文脈依存性をもった成人型記憶を獲得すると、幼児型記憶のほとんどは消去されるが、ごく一部が残存すると言っている。そして、それは、
通常、成人が想起できる幼児型記憶は、大部分の消去のあとに残された無害なものばかりで、それを中井は「たわむれに撮った写真がアルバムに貼られないまま散らばっているようなもの」と譬えている。
だと書いているのだが、これは、アルド・ロッシの自伝のはじめの方でささやかれる「最後の夏」に関することばから派生する、こんな思考ともリンクする。
「どの夏という夏も私には最後のものに思われた」と書くロッシの「発展のない体液停止の感覚」は、この建築家が現実とほとんど見分けがつかない類推的都市の建築へといたる「発展」のための条件だった。彼はその道程を「建築を忘れること」とも呼ぶ。骸骨じみた建築累計を飽くことなく反復するロッシの手法は、そんな忘却を目標としていた。それはちょうど、同じく言葉を繰り返し唱えたり筆写するうちに、その意味が失われてしまうのに似ている。反復は類推を建築の抜け殻に変えてしまうのである。
ロッシはあえて「建築を忘れる」。そして、忘れられた建築に残る抜け殻は、まさに秩序なく散らばった写真のような幼児型記憶のようなものになるのだろう。
後付けの意味によって現時点からの整合性が合うように編集され直される傾向のある成人型記憶(あるいは常に現代に都合よく書き換えられる歴史)の裏には、意味を剥奪され、いや、そもそも意味に回収されることのないまま無視された幼児型記憶や建築の抜け殻がある。
それはまた表紙にも使われた写真家・畠山直哉さんの『Underground』中の一枚を見て、語られる、こんな言葉にも重なっていく。
暗渠の写真では、トンネルの中心に据えられた、三脚に載った光源そのものが撮影されている。それによって、この世界にとって光源は異物であることがはっきり示されている。洞窟の壁面、そこに棲息するネズミ、コウモリ、昆虫、小魚といった動物たち、水中・水面で増殖したカビや汚泥や七色の油の膜、そして、正体の定かではない色とりどりの異形のものたちは、そんな光を必要としていない。闇を照らす光によって、そこをいわば「人間化」しようとする営みは、彼らの「無関心」の前に挫折する。
こう記述されているのを読むとき、成人型記憶に消し去られたはずの記憶の奥底に眠る、秩序なくぶち巻かれた写真のような幼児型記憶が、この暗渠に隠れた様々な生物の姿にも重なってはこないだろうか。
それは意味を超えた美しさを魅せつけてもくる。
抑圧された記憶。
それはときに押し寄せてきては人を苦しめるトラウマでもある。
それは単に個人のなかで回帰してくるだけでなく、歴史においても忘却のうちに押し込めようとしても繰り返し戻ってくるものでもある。
そうした歴史的イメージを美術史、表象の歴史のなかで抽出してみせたのが、アビ・ヴァールブルクである。
症状の歴史に作用する「トラウマ」の無意識的記憶に対して「事後性」がもつ関係は、ヴァールブルクにおける「残存」がイメージの歴史的記憶に対してもつ関係に対応する。抑圧された過去が事後的にのみトラウマと化すのと同じく、古典古代のニンフの身ぶりが症状としての情念定型と化すのは、あくまで事後的に、イタリア・ルネサンスにおいてなのである。
トラウマ的な出来事は元から病的なものではなく、病になった際に病的な記憶となるように、過去が現在の症状となるのも後世である。それはそれらを排除しようとする側の排除そのものによって忌むべきものとなるのだろう。
しかし、その抑圧とそれに伴って変形された過去が何度も反復的に回帰することで、排除によって正常化を企んだ精神や歴史そのものが錯乱してしまうこともあるのだから、意味を織り成すという精神や歴史の立ち振る舞いは、かなり危ういバランスのもとに成り立っているのだと感じる。
問題なのはこの「差異を孕んだ反復」であった。ヴァールブルクの探究とは集団的な「表現の歴史心理学」だったのだが、そこにおいては、歴史的時間の観念が心的な症状の時間によって錯乱されてしまうのである。そして、フロイトもまた、影響力をもった忘却とその無意識的記憶をめぐる「症状」の歴史として、みずから『モーセと一神教』を書かざるをえなかった。
しかし、この幼児型記憶や無意識的記憶が置き忘れられてある地点にこそ、通常の成人型記憶の意味にあふれた文脈からは抜け落ちた、忘れられた価値の源泉があるのだろう。
そこへのアクセスを可能にしてくれるものこそが「メタ世界」というnoteでも書いた、兆候であり予感であり、索引であり余韻なのであろう。こうした感覚的な揺れを感じてメタ世界に通じる入り口を通り抜けることができるかどうかというところに、さまざまなものの発見に到れるかどうかの分かれ道はある。
そして、そうしたものを読み解くことができる視点こそが、いまは忘れられた狩猟や占いといった世界の読み解き方なのだろうと思う。
この「予言」という言葉も示唆するように、狩人的パラダイムと古代メソポタミアにおける占いのパラダイムとは酷似している。狩人が獲物の糞、足跡、毛、羽毛を仔細に探るように、占いの場合には動物の内臓、水面の油、天体の配置に運命解読の手がかりが求められる。狩人も占い師も痕跡を「読む」。
しかし、この狩猟者や占い師のような情報の扱い方は、必ずしも現代には存在しない読み解き方ではない。
実際、この狩猟者の目、占い師の目をもって、通常では読み解けない歴史を紐解こうとしたのが、歴史家ギンズブルグだろうと思うからだ。
ギンズブルグは、物語を語るという思考そのものが、痕跡の観察を通じて「あるものかそこを通った」という物語的な配列を生み出す、狩人の経験から生まれているのではないか、と推測している。部分から全体を見て、結果から原因を探る狩人の痕跡解読法はそもそも換喩的なものであり、叙事詩的な物語の文飾に通底しているからである。
まさに、このギンズブルグの具体的な手腕は『闇の歴史』に見事に展開されている。ギンズブルグが中世サバトの儀式の源泉を探る際にみせた、ヨーロッパという地理的境界も超え、中世という時間にも縛られずに古代や先史時代にまで目を向けて「記憶」を探ろうとする様は、まさに「部分から全体を見て、結果から原因を探る」狩猟民の探索法と変わらない。それは記された定型の記録にばかり頼っていては排除されてしまう、幼児型記憶を救いだす方法なのだと思う。
もし、こうした排除された記憶を救いだす手立てを僕らが放棄したら、こんな風になってしまうのだろう。
コロンブスたちは目にしたものを「印し(記号)」として解読し、それをひとつの理論、ひとつの欲望が実現される見込みととらえるプロセスを繰り返している。そこには、ものごとを特定化する「視覚的なもの」と、一般化・抽象化する「言語的なもの」との緊張関係を表わす「行間休止」があるとグリーンブラットは言う。書記を介して伝えられるコロンブスの観察は、はじめからひとつの期待と知覚認識の構造に依存していた。目にしたことをまず登録し、すぐ続けてその意義を登録するとき、「書記の説明力は目の対象の不透明さを、透明な記号に変換することによって、繰り返し飼い馴らしている」。だから、コロンブスはじつは既知のものしか発見していない。「印し(記号)」はつねにガラスのように透明で、彼は見つけるであろうと期待しているものを見つけるために見ている。そこにはもはや「驚き」の心的痙攣はない。
驚きや発見から自分たちを遠ざけるのは、まさにこうした物事の見方なのだ。
その姿勢に隠されてしまうものの方にこそ、本当の発見はあるのだろう。
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http://gitanez.seesaa.net/article/461244038.html
白鯨/ハーマン・メルヴィル
台風12号の上陸とともに読みはじめたメルヴィルの『白鯨』3巻を、先日の台風13号の上陸を前に読み終えた。終わり近くで、エイハブ船長率いる捕鯨船ピークオッド号もまた台風に巻き込まれるのを台風13号の訪れを前にしながら読み進め、3巻合計1200ページ強を12日かけて読み終えたのだった。読みはじめたばかりの頃に別の場所でも「鯨の語源」という記事で書いたが、この『白鯨』という小説、所謂「小説」と思って面食らう。小説でもあるが、百科全書的なのだ。
本
HIROKI tanahashi
2018-08-23T21:00:00+09:00
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台風12号の上陸とともに読みはじめたメルヴィルの『白鯨』3巻を、先日の台風13号の上陸を前に読み終えた。
終わり近くで、エイハブ船長率いる捕鯨船ピークオッド号もまた台風に巻き込まれるのを台風13号の訪れを前にしながら読み進め、3巻合計1200ページ強を12日かけて読み終えたのだった。
読みはじめたばかりの頃に別の場所でも「鯨の語源」という記事で書いたが、この『白鯨』という小説、所謂「小説」と思って面食らう。小説でもあるが、百科全書的なのだ。
全135章から成る作品中、ストーリーを前進させるのとは無関係に挟まれる鯨関連の知識を伝える章はどれだけあるだろう。
鯨という言葉の成り立ちを問う「語源」をはじまりに、旧約聖書からプリニウスの『博物誌』という古代から、モンテーニュの『エセー』やシェイクスピアの『ハムレット』、ホッブス『リヴァイアサン』やミルトン『失楽園』というルネサンス以降の文学や、クック船長の『航海記』やそのクックと航海をともにしプラントハンターとも称されたジョゼフ・バンクスの書簡などの博物学的視点、『ゲーテとの対話』のエッカーマンやダーウィン『ビーグル号航海日誌』などにいたるまで、歴史上のさまざまな鯨についての記述を集めて並べた「抜粋」を経て、ようやくはじまる第1章を「わたしをイシュメールと呼んでもらおう」と物語の語り手が語り出したのち、22章の「メリークリスマス」で、ピークオッド号がナンターケットの港を出ていくまではなんとか物語は進んでいく。
だが、その後は24章「弁護」で捕鯨という仕事についての正当性が9世紀のングランド七王国のウェセックス王、アルフレッド大王から連なるという歴史を紐解きながら訴えられたり、32章「鯨学」では文字通り鯨という種についての分類学的な視点からの考察が入ったり、そうかと思えば、続く33章では捕鯨船にのる人々の階層構造が語られたりする。35章では捕鯨船の機能としての「檣頭 マスト・ヘッド」、44章ではマッコウ鯨の習性、53章では航海中に捕鯨船同士が出会った際に行われるギャムという互いに互いを歓待する束の間の催しなどについて語られる。
他にも捕鯨船における鯨の解体作業の行われ方、捕まえた鯨から鯨油を精製する方法、歴史上、鯨という生物がどう描かれてきたかだとか、鯨を捕まえた際の捕鯨船同士のルールだとかがとにかく物語の流れを断ち切るかのように差し込まれてくる。
しかも、物語自体も基本的には何かが起こるわけではない。
鯨に出くわせば、捕鯨のシーンに重ね合わされるかたちで、船員たちは鯨をどのような体制を組み、どのような道具を用いて、どんな行動により捕まえるか、その際、どんな危険が待ち構えているかが語られるか、捕まえた鯨を生き物の死体の状態からどのような作業を通じて売り物に変えていくかという捕鯨船のもつ産業機械の顔に焦点を当てる傍ら、物語も進められるという塩梅。
エイハブ船長一行がいかに目標となる白鯨に近づいているかは道中9隻出会うことになる他の捕鯨船からの情報を経て推測されるという仕掛けになっている。
このように書くと、この作品がなんだかひどく明確な知を伝えることに固執したような博覧強記なだけの作品であるかのように思われるかもしれない。
もちろん、そうした面もここまで紹介してきたとおり、あるのだけれど、もう一方では決してそうした言葉に集約されてしまうものを圧倒的に超えたものが存在することを言葉で書かれているはずのこの作品は伝えてくる。この作品を通して、知はたくさん提示されるのだが、作品の印象として残るのは、むしろ知り得ない謎といった性格のものだ。
『白鯨』が発表されたのが1851年。まさに時代を象徴する作品だろう。
1851年といえば、何しろロンドン万国博覧会と同年である。とにかく、あらゆるものを表象化して陳列してステキに見せようという試みが国際規模ではじまった年というわけだ。その舞台となったのがガラスの建築、水晶宮である。
さらに翌年にはパリに世界初のデパートとしてボン・マルシェができた。万国博覧会の出展物に値札をつけて売れる形にしたのが、百貨店である。実際、ボン・マルシェのオーナーたちはロンドン万国博覧会の展示を参考に、百貨店の展示方法を考案している。表象化することで、知となりカネとなる。いや、知やカネがそもそも表象なのだから、それらを生み出すシステムといって良い。
それらはいずれも博物館や美術館などの発展形だ。大英博物館が1759年開館、ルーヴル美術館が1793年の開館だ。啓蒙の時代に確立したミュージアムのシステムが、より世俗的な経済のシステムとして取り入れられたわけだ。啓蒙の時代が知を言葉や記号といっま表象の問題に移し替えたのと同じように、さらに1850年代にはさらにそれをお金という表象にも変えられるようにしたわけである。だからこそ、鯨もまたお金化という表象の方法を通じて市場にアクセス可能な"商材"へと変換可能になったわけである。
だから、この表象化の方法が問題だった。表象と元の本質がつながっているように偽装するための方法が求められたわけである。
「発明の方法の発明」でも書いたとおり、19世紀とはとにかく科学のみならず、文学も美術も方法に狂った時代である。創作という活動も言語化不能なセンスや才能に頼るのではなく、明確に言語化された方法論に基づくことを求めた。それは、ある意味、すべてを明るみに出すことを目指した18世紀の啓蒙の時代の延長線上にある姿勢であるようにも見える。
しかし、やがてこの19世紀の終わりにフロイトが現れて何もかも明るみに出す背後で明らかにできないものが抑圧されて隠されていることをあばきだすように、早くもその半世紀弱前にメルヴィルは明るみに出せない抑圧されたものとしての海、そして、それを凝縮させた存在としての白鯨=モービィ・ディックを描いたのだと言える。
何かを明るみに出してわかろうとするほど、そこから排除されて闇のうちに押し込められるものがある。わかるということは、同時に何かをわからなくすることに他ならない。明が暗を抑圧する。これは必ずセットで起こる。
高山宏さんによれば、この分割が決定的に機能しはじめたのは1760年からの10年あまりの間だという。そして、さらにそこから1世紀弱を経た時点で、メルヴィルが気づいたのが、 何かを明らかにすることと何かを抑圧することの関係であり、いくら抑圧しても、それは消えてなくなるわけではなく、いつでも回帰してきて人々を闇の中へと飲み込んでしまえるよう待機しているのだということではなかっただろうか。まさにフロイト的な世界だ。
『アリス狩り』所収の白鯨論のなかで高山宏さんはこう書いている。
了解可能なものは内部として感じられたが、そうでないものは都市空間の外に、意識の外に押し出され抑圧されきたったのだ。近代、それは世界の内部化だった。近代、それはアイロニーの単純化だった。近代、海からの距離だった。
明確に書けば書くほど、すべてが内部化され、わからないものはなくなるように見える。すべてを自分の思うとおりのものにし、既知の範囲におさめたくなる欲望は当然あってよいものだ。
けれど、実際にはすべてを内部化してみせることは不可能だし、その作業には必ず抑圧によって、あるものをなかったものとするような無理が発生する。もちろん、抑圧したものをそのまま閉じこめておくことはむずかしい。それは必ず形を変えてでも戻ってくる。狂気はすぐそこにある。
だから、百科全書的で、博覧強記に言葉を重ねれば重ねるほど、抑圧される暗部も巨大になるということをメルヴィルは、この作品を通じて示したのだろう。この作品のなかにあらゆる知を詰め込むほど、その知によって除外されたものとしての巨大な謎としてのモービィ・ディック、そして、海という存在が際立つということを通じて。
『白鯨』の海には暗いイメージがある。この記事冒頭にすこし話題にした台風に巻き込まれるシーンのような場面においてのみ暗いのではない。おそらく降り注ぐ太陽のもと、青々とした光景が広がるであろうシーンにおいても、その海に浮かぶピークオッド号がその海そのものにある暗さを引きつけてしまうのかもしれない。エイハブの執念がモービィ・ディックを引きつけるように、ピークオッド号が海の暗さを引きつけるようだ。
その海は紛れもなく18世紀イギリス文学におけるピクチャレスク趣味、特にゴシック文学が得意とした荒涼として陰惨な光景を思い起こさせる。その意味で同時代のエドガー・アラン・ポーの作品と同じ空気を持っている。『白鯨』の海はポーの『アッシャー家の中で崩壊』の冒頭のイメージとしそっくりだ。それは謎めいていながら、人を引きつける驚きをもっている。
そんなさまざまな謎をはらんだ作品だが、決して読みにくい作品というわけではない。特に僕が読んだ岩波文庫の八木敏雄訳のものはとても読みやすくなっている。だから、上中下3巻というボリュームに怯まずチャレンジしてほしい。おすすめしない理由など、1つもない圧倒的な名作だと思うから。
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http://gitanez.seesaa.net/article/456734617.html
スタンツェ―西洋文化における言葉とイメージ/ジョルジョ・アガンベン
ヨーロッパ中世というのは実におもしろい時代だと思う。そのことは1つ前の「中世の秋/ホイジンガ」でも紹介したが、今回紹介するジョルジョ・アガンベンが『スタンツェ―西洋文化における言葉とイメージ』で描く、中世の人々の思想世界もなかなか興味深い。例えば、「中世の心理学によれば、愛とは本質的に妄想的な過程であり、人間の内奥に映し出された似像をめぐるたえまない激情へと、想像力と記憶を巻きこむ」とアガンベンは書いている。場合によっては、中世において愛は病とさえ考えられている。「アモル・ヘ..
本
HIROKI tanahashi
2018-02-07T21:51:57+09:00
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ヨーロッパ中世というのは実におもしろい時代だと思う。
そのことは1つ前の「中世の秋/ホイジンガ」でも紹介したが、今回紹介するジョルジョ・アガンベンが『スタンツェ―西洋文化における言葉とイメージ』で描く、中世の人々の思想世界もなかなか興味深い。
例えば、「中世の心理学によれば、愛とは本質的に妄想的な過程であり、人間の内奥に映し出された似像をめぐるたえまない激情へと、想像力と記憶を巻きこむ」とアガンベンは書いている。
場合によっては、中世において愛は病とさえ考えられている。
「アモル・ヘレオス」という愛の病。
モンペリエ大学の教授ベルナール・ゴルドンは、1285年頃の著書『医学の百合』で、「アモル・ヘレオス」を「女性への愛によって惹き起こされるメランコリックな苦悩」であるとし、この病気の原因は、「姿や形に強く印象づけられたことによって、判断力が麻痺してしまう」ことにあるとしている。
「誰かがある女性を愛するようになると、彼は、その女性の姿や形、振舞いに強く動かされ、彼女こそもっとも美しく、もっとも崇敬に値し、肉体も魂も並はずれて優れた女性だと考えるようになる」というのだ。
判断力の低下が、人を欲望にかりたてると考えられていた。
欲望は、記憶と想像力にはたらきかけ、「とり憑かれたかのようにファンタスマへと向かわせる」。
「愛とは本質的に妄想的な過程」といわれる所以である。
そして「こうした愛の発見こそ、中世の心理学が西洋文化に伝えたもっとも豊かな遺産のひとつなのである」とアガンベンは書いている。
どういうことだろう? このあたりをもうすこし見ていきたい。
存在しないものに対する欲望
宮廷風恋愛の技法について論じた中世人アンドレアス・カッペラヌスの著『愛について』は、そうした中世における「新たな愛の概念の模範的な理論化」だと考えられていたそうだ。
彼は、愛を内面の表象像の「際限なき思いめぐらし」であると定義し、「かの情念は、なによりも魂が見たものについて抱く思いから生じるのである」と付け加えている。
明らかに、この引用でわかるのは中世における愛の対象は、現実世界にいる女性ではなく、「内面の表象像」であり「魂が見たもの」という内なるイメージであるということだ。
アガンベンはこう続けている。
中世における愛の発見は、これまで頻繁に論じられてきたが、それは必ずしも的を射ていたとは言えない。愛の発見とはまさしく、愛の非現実性、すなわちその妄想的な性格の発見だったのである。中世の性愛概念の新しさは、この発見にあるのであって、よく言われるように古典世界が性愛の精神に欠けていたからというわけではない。中世は、古典世界がプラトンの『ピレボス』でかろうじて予感していたにすぎない欲望とその幻影の結合を、その極限の帰結にまで推し進めたのである。
欲望が結びつくのは外の現実の女性ではなく、内なる幻影=ファンタスマであるということに、中世の愛の形の特殊さがある。
ただ、この中世の愛の考え方は、その後のルネサンス期においても影響を与えている。だから、アガンベンは「こうした愛の発見こそ、中世の心理学が西洋文化に伝えたもっとも豊かな遺産のひとつ」だというのだろう。
この遺産が引き継がれた例としては、フィレンツェのネオ・プラトニズム、ヘルメス思想の哲学者フィチーノは、「メランコリックなエロスは、愛をむさぼったために、瞑想の対象としてあるものを抱擁の欲望に変えてしまおうとする者によく起こる」と言っていたことなどがあげられる。フィチーノは「メランコリックなエロスに固有の特徴を、転位と過剰の中に求めている」のだとアガンベンはいう。外にある対象は、内なるイメージへと転移され、その内的な似姿が過剰な欲望の対象となる。
そして、ここでもやはり愛はメランコリーと結びつけられる。メランコリーそのものもまた病的性質だと考えられていたのは古代から中世を経てルネサンスにまで引き継がれた考え方である。
このメランコリックな病魔をかりたてるエロティックな性向は、「本来はただ瞑想の対象としてのみ存在するものに触れたい、そしてそれを所有したという性向として示される」のだとアガンベンはいう。内面にある似姿はもはや本来の外的な対象と結びつくことすらやめ、存在しないものが欲望の対象になるのだ。
なぜ木像を愛する?
実際、中世の騎士道物語では、騎士たちが手の届かぬ貴婦人たちに愛を捧げて闘いに赴くというのが典型的なパターンである。
騎士たちはは当の貴婦人たちを愛するというより、自分の心に映った貴婦人たちのイメージを愛しているように見える。時には泉の表面や鏡にその姿を投影して貴婦人たちのことを思ったりもするが、とうぜん、実際に映っているのは自分の姿であるわけで、ギリシャ神話のナルキッソスと変わらない。
「ナルキッソスの物語もピュグマリオンの物語も」とアガンベンは言う。
ともにいわば愛のアレゴリーであり、本質的に鏡像への強迫的な憧憬にとらわれるという愛のプロセスの妄想的な性格を、ある心理理論の図式にしたがって、典型的なかたちで示してくれているのである。その心理理論の図式によれば、本来の意味で恋に落ちることとは、何であれ常に「影を通して」あるいは「形象を通して」「愛すること」なのであり、いかに深いエロス的志向でも、常に「イマージュ」へと偶像崇拝的に向けられているのである。
偶像崇拝としての愛。対象そのものではなく、その似姿、イメージ像に向けられる愛。
先に示した中世の愛のあり方がそのまま騎士道物語にも反映されていることがわかる。
「中世の秋/ホイジンガ」で「1240年よりまえに書きはじめられ、1280年よりまえに完成された、ギヨーム・ド・ロリスとジャン・クロピネル、ないしショピネル・ド・マン両人の手になる」とされる『薔薇物語』という騎士道物語がある。
この物語は「実に2世紀ものあいだ、貴族たちの恋愛作法を完全に支配したばかりか、およそ考えられうるかぎり、ありとあらゆる分野にふれての、まさに百科全書を想わせる題材のゆたかさによって、読み書きのできる一般の俗人に対し、知識の宝庫を提供し、生きいきとした精神の糧をそこからひきだすことを、かれらにゆるした」大ヒット作なのだが、この人気を博した物語で驚くべきことは、主人公が幾多の闘いの末、手に入れるのは、貴婦人そのものではなく、女性の姿をした木像であるということだ。
まさにギリシャ神話に登場する、自らの理想の女性を彫刻した像に恋をしてしまうキプロスの王ピュグマリオンさながら、愛は「存在しないものに対する欲望」として現れる。それが中世における愛の形なのだ。
目を眩ませて怯えながら後退りする者の犯す罪
この「存在しないものに対する欲望」としての愛というものを考えるにあたって、そもそも中世において最大の罪とされた「怠惰」というものを理解しておく必要がある。
この中世における怠惰という概念は、いま僕らが考える怠惰とはだいぶ異なるものだ。いまの怠惰をベースに考えると、なぜ、それが中世における最大の罪であったかがわからない。
「教会博士たちが怠惰の本質に与えた解釈を検討してみるなら、それが怠慢のしるしのもとに置かれているのではなく、苦悩と絶望のしるしのもとに置かれていることがわかる」とアガンベンはいう。
教父たちの観察を厳密かつ網羅的に集めて『神学大全』に統合した聖トマスによれば、怠惰とはまさしく「陰鬱の形象」であり、より正確に言えば、人間に本質的な精神性にかかわる苦悩、つまり神から授けられた特殊な尊厳にかかわる苦悩なのである。怠惰な者を苦しめるのはそれゆえ、悪の意識ではなくて逆に、善の中でもっとも偉大なものへの配慮である。
聖トマス・アクィナスが網羅的な視点でまとめた中世における怠惰は、陰鬱=メランコリーの形象とされる。また、メランコリーである。
アガンベンによれば、アクィナスら中世の教会博士たちが考えた怠惰とは、
神の前で人間が立ち止まるという義務に直面して、目を眩ませて怯えながら「後退りすること」である。
つまり、怠惰とは神の現前に際して「恐怖のあまり逃走」してしまうという罪なのだ。
だからこそ怠惰な者の後退りは中世においては、こんな風に捉えられたのだ。
心理学の用語を使うなら、怠惰な者の後退りとは、欲望の喪失を暴露しているのではなく、達成できないにもかかわらず、むしろその欲望の対象になろうとしているということなのである。
神の前で後退りし、ある意味で神を手にすることを手放した者が、それにもかかわらず、というよりも、そうであるがゆえに神を手にすることを欲望するということ。それが怠惰が罪である理由である。
ブリューゲルの「怠惰」
そして、ここにおいて、愛の対象として現実世界の女性を選ぶのではなく、似姿として内なるイメージを欲望する「アモル・ヘレオス」という愛の形がなぜ病であるのかも見えてくるだろう。そして、それがメランコリーを誘発するということも。
つまりそこでは、1度も所有されたこのがないために失うこともないものが、あたかも失われたのように思われ、おそらく決して現実的でないために所有できないものが、あたかも失われた対象として同化されたかのように思われるのである。
そして、こうした性格をもった中世におけるメランコリーは、次のような意味で芸術とのつながりをもつ。中世からルネサンスにかけては、芸術家は誰よりメランコリー気質をもつものとされていたということもある。
メランコリーと芸術的行為との間の伝統的な連想は、まさしくますます募る幻想の経験としてここで正当化されている。この経験が両者に共通する特徴だからである。。どちらもが「想像の精気」という繊細な物体のしるしのもとに置かれる。それは、夢、愛、そして魔術的影響の媒介物となるばかりでなく、人間の文化のより高次の創造にもまた、不可解ながら密接に結びついているのである。
こうした芸術を結びついたメランコリーが、ルネサンス以降の世界において「人間の文化のより高次の創造にもまた、不可解ながら密接に結びついている」という形で、魔術的・錬金術的な文化を創出していくことになるのだろう。
その意味では、一見、中世から大きく社会的・文化的な革新をもたらしたかのようにみえるルネサンスの文化とは、まぎれもなく中世の文化の上に成り立っているのだろう。
そんなことを気づかせてくれた、最高におもしろかったアガンベンの『スタンツェ―西洋文化における言葉とイメージ』。
これが彼の処女作というのはなんとも驚きである。この分厚い考察が処女作で実現されたとは。アガンベンの著作を読むのは『事物のしるし 方法について』に続いて2冊目だったけど、もっと読んでみたいと思わせてくれる好きなタイプの作家だった。
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http://gitanez.seesaa.net/article/456579492.html
中世の秋/ホイジンガ
そもそも人間はそう簡単に自分の外にある対象を自分の中に受けとめることができないのだろう。いま多くのことを理解しているつもりになっているとしても、それは歴史上多くの人たちが苦労を重ねて理解できるようにしたことを単に、その理解の結果を借用して自分で理解したかのようなつもりになっているだけのことだ。そうした積み重ねがまだ不十分であったヨーロッパ中世の人々は、いまよりはるかに少ない理解で、世界、社会で起こる様々な出来事を受け止めなくてはならなかったのである。その前提に立って中世の人々..
本
HIROKI tanahashi
2018-01-31T22:17:11+09:00
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そもそも人間はそう簡単に自分の外にある対象を自分の中に受けとめることができないのだろう。
いま多くのことを理解しているつもりになっているとしても、それは歴史上多くの人たちが苦労を重ねて理解できるようにしたことを単に、その理解の結果を借用して自分で理解したかのようなつもりになっているだけのことだ。
そうした積み重ねがまだ不十分であったヨーロッパ中世の人々は、いまよりはるかに少ない理解で、世界、社会で起こる様々な出来事を受け止めなくてはならなかったのである。
その前提に立って中世の人々の様子を眺めれば、それがどんなに今と懸け離れた奇妙なものに映ったとしても、仕方がないと考えられるのではないだろうか。
何か理解していないことを理解した状態に移行させるのにも、それなりに労力がいる。
その労力をかけて何か新しいことを理解するかどうかは、かかる労力と労力をかけて得られる価値を天秤にかけて判断しているのかもしれない。好奇心が強ければ労力を払うし、面倒くさがりだったり何か理解することそのものが苦手で必要以上に労力がかかる場合は、理解しようとすることを避けるだろう。
その場合、何か理解を助けるものが必要となる。わかりやすく言い換えたり、漫画にしたり、事例を示したり。
中世後期ではその役割をアレゴリー=喩えが果たした。
中世後期の人びとの文化や思考の形を明らかにした『中世の秋』で、ホイジンガはその社会においては「意味とは、すなわち、しるし(サイン)のことにほかならない」状態であったと書いている。人びとは「プリミティブな精神は、およそ名づけられるものすべてを存在と考え」、彼らにとって「存在は、かならずしもつねにではないにしても、ほとんどつねに、人間存在のかたちをとる」傾向があったというのだ。
わかりにくく、つかみにくい概念をわかりやすい存在に喩えて置き換えることでイメージしやすくする。
その最たる喩えの方法が中世においては擬人化だった。
「人びとは、理念をして、ひとつの自立する存在とみなし、さらに、それをこの目でみたいと願う」し、「そうするには、擬人化こそが、唯一可能なやりかた」と考えていたというのだ。
擬人化する中世
生活のあらゆる場面にキリスト教の教えが深く入りこんでいた、この中世においての偶像の意味は、だから、この流れの中で理解していないと誤解してしまう。
偶像というのは、その像に中世の人びとが神や聖人たちの姿そのものを見たというよりも、擬人化された美徳こそを見ていたのだと考えてみると、僕らが本やウェブ上のメディアを通じて、何か情報を得て何らかのことを理解しようとする行為と変わらないことがわかる。そして、中世における大聖堂の彫刻やステンドグラス、タペストリーに表現された物語はメディアそのものであったことがあらためて理解できる。
理解するために、対象を自分の中に引き受けるための偶像として擬人化を用いたこと。それが中世における愛の形を理解する上でのポイントでもある。
ホイジンガは当時ひろく読まれた騎士道物語『薔薇物語』でも、擬人化の表現がいくつも見られたことを指摘している。
いったい、感情の動き、愛のいきさつを、徹頭徹尾、擬人化して表現することほど、中世的なことがほかにあろうか。『ばら物語』の登場人物たち、歓待、甘いまなざし、みせかけ、悪口、危険、恥、恐怖などは、美徳や罪を人間のかたちに描きだした、これはまさしく中世特有のやりかたと、まったく同一の発想の上に立っていた。比喩(アレゴリー)、といってもいい足りない、むしろ半信半疑の神話の世界というべきか。
「半信半疑の神話の世界」というあたりに、ホイジンガはその後の古典主義的ルネサンスにおける、古代の神話を扱う精神とのつながりを見つつも、やはり擬人化が跋扈する点でこの『薔薇物語』はまぎれもなく中世的な精神にあふれたものだと考える。
ジョルジュ・アガンベンは『スタンツェ』で「中世の心理学によれば、愛とは本質的に妄想的な過程であり、人間の内奥に映し出された似像をめぐるたえまない激情へと、想像力と記憶を巻きこむ」と書いている。中世の騎士道物語で騎士たちは、手の届かぬ貴婦人たちに愛を捧げて闘いに赴く。その姿は当の貴婦人たちを愛するというより、自分の心に映った貴婦人たちのイメージを愛しているように見える。
ともにいわば愛のアレゴリーであり、本質的に鏡像への強迫的な憧憬にとらわれるという愛のプロセスの妄想的な性格を、ある心理理論の図式にしたがって、典型的なかたちで示してくれているのである。その心理理論の図式によれば、本来の意味で恋に落ちることとは、何であれ常に「影を通して」あるいは「形象を通して」「愛すること」なのであり、いかに深いエロス的志向でも、常に「イマージュ」へと偶像崇拝的に向けられているのである。
対象そのものにではなく、似姿に対して激情がうごく中世の愛は、たしかに妄想といえる。
ただ、それも概念の擬人化という側面からみると、すこし違ってみえてくる。概念が人間の形の登場人物として物語に当たり前のように登場してくる時代なのだ。人びとが似姿を通じて妄想に向かうのも、そもそも中世後期の愛が「むくわれない愛」を徳性と考えていたからだということを理解していないと読み間違えるのだ。
なぜ木像を愛するのか?
南仏吟遊詩人たちの作品から「官能の愛そのものから、むくわれることを期待しない、けだかい女性奉仕が生まれた」とホイジンガは書いている。
けれど、中世後期の人びとが、むくわれない愛を美徳としたのは彼らの徳性が高かったからではないとホイジンガはいう。むしろ、その逆で「なによりもまず、情熱のうずきを、たしかな形式のうちに枠づけなければならなかった。それを怠れば、野蛮さに堕するという罰則が、確実に待ちうけていた」とホイジンガは指摘する。
前に「倫理が現実を茶番にする」という記事で紹介したが、中世の残忍さは現代ではにわかには信じがたいものがある。
後期中世の司法の残酷さがわたしたちをおどろかすのは、その病的倒錯によってではない。その残酷さのうちに民衆のいだく、けだものじみた、いささか遅鈍な喜び、その残酷さをつつむ陽気なお祭り騒ぎによってである。モンスの町の人びとは、ある盗賊の首領を、あまりにも高すぎる値段だというのに、あえて書いとったが、それというのも、その男を八裂きにして楽しもうとしてのことであった。
こんなことが日常的だったのだ。だから、性愛においても、ほっておけば自由すぎる方向に向かってしまうのを抑えきれない性質をもっていたというわけである。「むくわれない愛」を美徳とするのは、野性味あふれる欲望を抑えこむために必要だったのだ。
それが中世の騎士道物語にも反映される。騎士たちも野蛮な中世人にほかならなかったからだ。ほっておけば、彼らも平気で力任せに掠奪する。
中世人の意識にあっては、いわば、ふたつの人生観が、よりそいあって存在していたのである。敬虔にして禁欲的な人生観は、すべての道徳感情を、おのれの側にひきつけた。それに反発するかのように、世俗的人生観は、ますます奔放に、悪魔にすっかり身をゆだねることになった。
天使と悪魔。
実際、その2つが矛盾なく同居していたのが中世の人びとの意識だったのである。深く生活のなかに入りこんだ宗教は、そのいずれにおいても意味を持っていた。騎士たちにも常に悪魔的な意識にならないための規範が必要だった。手に入らないものこそが愛の対象となった。それが貴婦人たちの似姿であった。
先述の『薔薇物語』では、その主人公が闘いの末、手に入れるのは、貴婦人そのものではなく、女性の姿をした木像であった。
精神の糧としての恋愛術
この現代に生きる僕らにとっては謎すぎる展開をする物語が当時担っていた役割を知ると驚かされる。
1240年よりまえに書きはじめられ、1280年よりまえに完成された、ギヨーム・ド・ロリスとジャン・クロピネル、ないしショピネル・ド・マン両人の手になるこの作品は、実に2世紀ものあいだ、貴族たちの恋愛作法を完全に支配したばかりか、およそ考えられうるかぎり、ありとあらゆる分野にふれての、まさに百科全書を想わせる題材のゆたかさによって、読み書きのできる一般の俗人に対し、知識の宝庫を提供し、生きいきとした精神の糧をそこからひきだすことを、かれらにゆるしたのであった。
「象徴主義は、いわば、中世思想に生命を吹きこんでいた呼吸作用であった」とホイジンガは書いているが、妄想のように擬人化された「歓待、甘いまなざし、みせかけ、悪口、危険、恥、恐怖」などが登場人物として登場する話が、「知識の宝庫を提供し、生きいきとした精神の糧をそこからひきだすことを、かれらにゆるした」とは俄かには信じがたい。
けれど、冷静になって考えてみれば、方法こそ、中世のような象徴化やアレゴリーとは異なるものの、理解しがたいものをバズワードやテンプレート化された方法論、マニュアルを通じて理解した気になっている僕らも大して、その妄想具合に違いがあるわけではないだろう。
ひとつの時代のはじめから終りまで、支配層の人びとが、生活と教養の知識を、恋愛術という枠のなかで学びとったということ、このことは、いくら重要視されてもされすぎるということはない。世俗の文化の理想が、これほどまでに、女への愛の理想ととけあってしまったような時代は、12世紀から15世紀にかけてのこの時代をおいて、ほかにはなかった。キリスト教の徳目、社会道徳、生活形態のあるべき完全な姿、すべてはこの愛の体系に組みこまれ、真実の愛という枠のなかにはめこまれたのである。
すべてを愛に集中する。そうやって、極端にすれば、わかりやすくはなる。
でも、それはぎらぎらと誇張されたものにもなりやすい。
ホイジンガが描くフランスやネーデルラントを中心とした北方ヨーロッパの風景は、すべてがあまりに激しく極端すぎる。とにかく繊細さだとか余白だとかといったものとは無縁で、子供向けのグッズ以上に原色で派手に彩られているようなイメージだ。
中世末期の文化は、まさしく、この視覚のうちにとらえられるべき文化なのである。理想の形態に飾られた貴族主義の生活、生活を照らす騎士道ロマンティシズムの人工照明、円卓の騎士の物語のよそおいに姿を変えた世界。生の様式と現実とのあいだの緊張は、異常にはげしい。光はまがいで、ぎらぎらする。
「生活の種々相が、残忍なまでに公開されていた。これでもか、これでもかと、みせつけられていたのである」とホイジンガはいう。
らい病やみは、ガラガラを鳴らしながら、行列をつくってねり歩く。教会では、乞食が哀願の声をはりあげ、かたわのさまを開陳する。地位、身分、職業は、服装でみわけがついた。大物たちは、武具や仕着せできらびやかに飾りたて、畏れとねたみの視線をあびてでなければ、出歩こうとはしなかった。処刑をはじめ法の執行、商人の触れ売り、結婚と葬式、どれもこれもみんな高らかに告知され、行列、触れ声、哀悼の叫び、そして音楽をともなっていた。恋する男は愛人のしるしを身に飾り、仲間内では盟約の記章が、党派のあいだでは、その頭領の紋章、記章が身につけられた。
しるし、しるし、しるし。
すべてが明らかさを示すサインだった。
ポジティブな側に振れるにせよネガティブな側に振れるにせよ、「すべてが、多彩なかたちをとり、たえまない対照をみせて、ひとの心にのしかかる」。その不安定な気分がそのまま、しるしとなって中世の社会を包み込んでいたようである。
類型主義の中世
「すべてが、一般性のうちに還元されるのである」とホイジンガはいう。最初にも書いたが、「そもそも人はそう簡単に自分の外にある対象を自分の中に受けとめることができない」。新たに何かを理解することが重荷であれば、過去の事例をあさって一般にすがるのは自然なことともいえる。
カール・ランブレヒトは、ここに、中世精神のきわだった特性を認め、これを類型主義と呼んでいる。けれども、これは、むしろ、人びとの心に深く根をおろしていた観念論に発する、圧倒的な心の欲求のはたらくところ、その結果として出てくる特性と考えなければならない。けっして、個々の事象のうちに特殊性をみる能力がなかった、ということではないのだ。そうでなくて、つねに、至高の存在との関係において、理想のイメージを鏡として、一般的意味に照らして、個々の事象の意味を明らかにしたいとの欲求に動かされていた、ということなのである。
「個々の事象のうちに特殊性をみる能力がなかった、ということではなかった」のは、ある意味、救いかもしれない。いや、本でさえ手書きの写本で同じものは2つとない、大量生産品のなかった中世の社会において、個々の事象の特殊性はむしろ前提なのだろう。
そういう環境でなら、至高の存在に一般的意味を求める方に精神が動くのは分からなくもない。
ありとあらゆる道徳観念が、耐えがたいまでの重荷を負わされている。たえず、神の権威と、直接、関係づけられるからである。罪という罪は、極微小の罪にいたるまで、宇宙世界と関係づけられるのである。
自由に考えなかったのではない。ようは、個はあくまで宇宙全体とつながった一部であって、個々人が何かを自由に考えるなどということがそもそも想定されていなかったのが中世というわけだ。
まがいの光の下で、すべては美しい見世物と映じる
中世は「世界そのものの改良と完成をめざす」という「志向をほとんど知らなかった」とホイジンガは言う。そういう社会であれば、人が志向の存在から答えを得ようとするのは自然なことだろう。
はげしい情熱の心、かたくなで、しかも涙もろく、世界への暗い絶望と、その多彩な美への耽溺とのあいだをたえずゆれうごく心には、厳格な形式主義が、どうしても必要であった。さまざまな衝動が、公認の形式のなかに、しっかりと枠づけられなければならなかったのである。そのとき、はじめて、共同生活に秩序がみいだされる。だから、自分の身の上におこる出来事、他人の事件、すべては、美しい見世物と心に映じた。喜びも悲しみも、人工の光をあびて、激情のよそおいを凝らす、そうでなければならなかった。感情をそのまま自然に表現するには、なお手段が欠けていた。美の世界に遊ぶとき、ようやく感情の描出は最高の明晰さに達し、人びとの渇望を満たしたのである。
僕らは、感情を自由に表現する手段をいくらでも持てている。まがいの光が示す美の世界を与えられなくても、自ら考え、自ら知識をつくりだすこともできる。いや、宇宙と断絶した孤独な現代人は知識をどこかから取り入れれば良いということはなく、知識を自分の中に生成する過程を持ってしか、宇宙の知を得ることができなくなっているのだ。
なのに、その行為を怠るなんて、馬鹿げた自殺行為だと気づかないのは何故だろう? いまだに志向の神の存在でも想定するほど、おめでたいということか。
こんな風に、いまとまるで違う世界を眺めてみたとき、自分たちがどう生きなければならないかということに気づくことは多い。
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ファウスト/ゲーテ
2018年、こちらのブログの書き始め。noteの方にも書き始めたので、年末年始そっちばかり更新していたせいもあって、気がつけばもう19日。noteのほうもよろしくです。→ Hiroki Tanahashi | noteさて、今年はゲーテの『ファウスト』からはじめていたい。昨年の最後の記事に書いた通り、2018年はゲーテについて考えてみようと思っている。なぜ、ゲーテなのか?まず、詩人、劇作家、小説家としてドイツを代表する文豪である一方、色彩論や生物形態学、地質学などの分野で自然..
本
HIROKI tanahashi
2018-01-19T21:46:36+09:00
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2018年、こちらのブログの書き始め。
noteの方にも書き始めたので、年末年始そっちばかり更新していたせいもあって、気がつけばもう19日。
noteのほうもよろしくです。
→ Hiroki Tanahashi | note
さて、今年はゲーテの『ファウスト』からはじめていたい。
昨年の最後の記事に書いた通り、2018年はゲーテについて考えてみようと思っている。
なぜ、ゲーテなのか?
まず、詩人、劇作家、小説家としてドイツを代表する文豪である一方、色彩論や生物形態学、地質学などの分野で自然科学舎としても後につながる功績を残し、また、26歳で移ったヴァイマル公国で政務にも関わるようになり、33歳には公国の宰相にもなっている多才なゲーテという人について興味がある。
文学と自然科学、そして、政治という今ならつながることがほとんどありえなさそうな領域横断を一身で体現した、その思考の有り様と、それらがつながることで成されたものが何かということを考えてみたい。
また、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、1749年、ドイツ・フランクフルトに生まれ、1832年ヴァイマルで没しているが、この18世紀から19世紀を股にかけた人生は、イギリスを皮切りに産業革命が進み、フランスでは革命が起き、そして、ナポレオンのウィーン占領により1806年には中世から続いた神聖ローマ帝国が消滅する、といったような大きな変革の時代に重なっていて、ゲーテを通じて、その激動の時代の人々の思考や生活様式の変化をとらえてみたいという思いもある。
簡単にいうと、そういったわけでゲーテなのだ。
主人公としてのファウスト
それで手始めに読んだのが、ゲーテを代表する作品『ファウスト』。
戯曲形式で全編韻文で書かれた作品だが、読んでみて真っ先に感じたのは、それまでの戯曲(例えばシェイクスピアの作品など)と比べて、主人公としてのファウストがちゃんと主人公としてフォーカスされ、そこから劇の世界が描かれているという印象があることだった。劇を構成する一要素としての登場人物の一人というよりも、より主人公である彼の思考を中心に劇の世界が展開していくように感じる、特に大きく2つに分かれた構成のうち、前半部であり、先に出版された第1部のほうにそれを強く感じる。
ゲーテより200年も前に書かれたシェイクスピアの演劇では、主人公は劇の中心であっても、あくまで劇を構成する要素として、彼あるいは彼女の視点で劇世界の見え方が変わることはない。観客(あるいは読者)である僕らは、他の登場人物たちとそれほど変わらない視線で主人公を見る。ハムレットに対しても、マクベスに対しても、オセローやリア王に対しても。
けれど、このゲーテのファウストに対してはすこし違う。
ファウストの視点で、他の登場人物を、劇の世界を見てしまうように誘導されるようなところがある。いや、劇全体がそうなっているわけではないのだけれど、すくなくとも、劇中で起こっていることを、ファウストの思考を介して理解しなくてはいけないような描き方をされている箇所がすくなくない。
このあたり、一般市民階級においても個人というものが社会の前面に出てくるようになった、フランス革命との同時代性を感じる。また。ゲーテ自身はロマン主義に対して否定的だったとは言われているが、個人というものを表現の核の1つにおいた同時代のロマン主義的なものとの強い関係も感じるのだ。
以前、「観察者の系譜/ジョナサン・クレーリー」という記事でも紹介したが、実はゲーテは生理学という学問分野の創始者とも考えられる。ルネサンス以降、機械論(カメラ・オブスキュラ)的に視覚というものを考えてきた社会が、ゲーテが『色彩論』で提示した光の残像=人体そのものが生成する視覚という提案をはじめとして、視覚が生体的なものとして考えられはじめるようになったのである。
ゲーテとショーペンハウアーとが主張した、観察者に新たなる知覚の自律性を与える主観的視覚は、観察者を新しい知や新たなる権力の諸技術の主題=主体にすることと軌を一にしてもいた。一九世紀において、これら二つの相互に関連した観察者の形象が浮上してくる領域こそ、生理学という科学だったのだ。一八二〇年[代]から一八四〇年代にかけての生理学は、後に専門科学となったときの姿とは随分異なっていた。当時生理学は、公式の制度的身分をまったくもたず、さまざまに異なる学問分野出身の、お互いつながりのない人々の仕事の集積として生まれ始めていた。
こうした観点においても、ゲーテという人は、生物としての個人という主体を想定するようになった時代の起点にたつ人である。そのゲーテが戯曲において主人公を個人として描き始めたというのは興味深い。
骨抜きの祝祭
ゲーテはこの『ファウスト』という作品を書くにあたって、15世紀から16世紀頃のドイツに実在した占星術しにして錬金術師であったヨハン・ファウストの伝説を下敷きにしている。
学者として成功していたにもかかわらず、人生に満足してなかったファウスト博士が、悪魔メフィストーフェレスと契約し、自分の魂と引き換えに、様々な知識、現世での幸福を手に入れたという伝説をもとにした人形劇が18世紀のドイツにはあった。それを子供の頃に見ていたゲーテが、いつかこれを元にした作品を書こうと考えていて、生涯かけて、それを実行した作品が『ファウスト』である。
『ファウスト』は先にも書いた通り、2部構成だが、この伝説や人形劇のプロットを比較的多く採用しているのは、第2部のほう。第1部のほうには素朴な街娘グレートヒェンとの恋というゲーテのオリジナルのストーリーが入っている。ファウスト個人の視点を特に第1部の方に感じるのは、そのせいだと思う。
ちなみに、ゲーテが子供の頃見たという人形劇のオリジナルは、シェイクスピアと同時代のイギリスの劇作家クリストファー・マーロウが伝説をもとに書いた戯曲『フォースタス博士の悲劇』(1592年頃初演)であると言われている。そのマーロウの『フォースタス博士の悲劇』の背景に、中世からルネサンス期まで続いたカーニヴァル的な聖俗転倒の嗤いがあることを指摘したのはヤン・コットの『シェイクスピア・カーニヴァル』という本で、「既存の枠組みを冒涜して嗤え、危機感にあふれた時代に」という記事では、「価値あるものを嗤うカーニバル的態度。まさに、フォースタスが悪魔の力を借りて嗤うことで手にするものこそ、イノベーションだろう。そして、笑いによる価値転倒という方法を、マーロウと同時期に確立したのがラブレーやエラスムスなどのルネサンス期の文学者たちであると書いたが、当然、その同時代人のリストにはシェイクスピアも含まれる。
全編、錬金術をテーマにした作品だといってもよい『ファウスト』も当然ながら、その中世的な関連からカーニヴァル的な祝祭の場面が描かれていたりもする。けれど、シェイクスピアのルネサンス期にあった聖俗逆転、上下の反転、あるいは精神に対する肉体的なものの勝利といった本来カーニヴァルに欠かせないものが、この『ファウスト』の祝祭からは抜け落ちていて、すっかり骨抜きにされている感がある。
そのあたりにも時代の変化を感じて興味深い。
ファウストの紙幣
というわけで、いろいろ気がつくところはある『ファウスト』だが、もう1つだけ面白かったポイントを紹介。
「第2部 第1幕 遊苑」の場面、皇帝の居城でこんな会話が繰り広げられる。
大蔵卿 お忘れでございますか、親署遊ばされたではございませんか。
昨夜のことでございます。陛下はパンの神に仮装せられまして、
宰相が私どもと一緒に御前に罷り出で、こう奏上仕ったではございませんか。
「この盛大なる御祝祭のお慶び、人民の幸福を
嘉せられて、一筆の土地御願い申上げまする」
陛下は墨痕もあざやかにお認め遊ばし、その御親署を、
昨夜のうちに奇術師をして何千枚にも至らせました。
御仁慈が遍く等しく及びまするようにと、
あらゆる種類の紙幣に御親署を捺印し、10、30、50、100クローネの紙幣が出来上がりましたのでございます。
(中略)
皇帝 ではこの紙切れが金貨として通用するのか。
軍隊、帝室の費えがすべてこれで賄えるのか。
奇怪至極のことと言わざるをえぬが、よしとせずばなるまいなあ。
財政が破綻した帝国にやってきた、ファウストと彼と契約を結んだ悪魔メフィストーフェレスは、謝肉祭の饗宴のなか、当時ゲーテの頃のドイツでは発行されていなかった紙幣を発行して、帝国の財政を回復させるシーンにおける会話の一部である。
ファウストとメフィストーフェレスは、地下に埋まっていると想定される財宝を担保に紙幣を発行し、帝国の財政難を救ってみせる。
祖国に紙幣が発行されていないドイツでゲーテがこの着想をどこから得たかといえば、フランスのミシシッピー計画といわれる金融政策の成功と失敗にまつわるジョン・ロー事件と言われるバブル崩壊の出来事だと言われている。
戦争や王族の濫費により財政難を抱えていた当時のフランスは、国債の乱発や貨幣の改鋳で経済が不安定になっていた状況だった。そんな折、スコットランドの実業家ジョン・ローがフランス中央銀行を支配し、通貨発行権を手に入れ、不兌換紙幣を発行。これにより、フランスは金属貨幣経済から紙幣経済に移行した点はローの功績だといえる。
ローが作った銀行は、フランス初の中央銀行「バンク・ロワイアル」(フランス王立銀行)に発展。1716年のことで、ゲーテが『ファウスト』第2部を発行したのが彼の死後1年経った1833年だ。ゲーテが金本位制のもとでの紙幣発行というシステム不兌換紙幣を想定して、地下に眠った金銀を担保に紙幣を発行するというアイデアを思いついても不思議はない。
当時のフランス国債の市場価格は額面価格を大きく下回り信用を失っていた。
ローがこの国債を額面価格でミシシッピ株式会社の株式に転換できるようにしたので、人々は争って株式に交換しはじめた。ローの銀行は大量の紙幣を刷って株式の配当の支払いに充てた。
これがローのミシシッピー計画が、ルイ14世が生み出した多大な財政赤字の解消したカラクリである。
だが、当然ながら信用不信を起こし、ついに会社の資本調達は破綻する。1721年に会社は倒産。株は紙屑になる。人々はミシシッピ会社株と紙幣を金や硬貨に替えようと殺到したが、銀行には対応できる金も硬貨もなく、紙幣の価格も暴落。そんな経済の大混乱を起こしたのがジョン・ロー事件だ。
フランス革命の遠因であるとも言われている。
ファウスト 無尽の宝が御領地の地中深く、
利用もされず、人待ち顔に、
じっと動かずに横たわっております。
ファウストは、ジョン・ローさながらあるかどうかも定かではない、地中深く眠った無尽蔵の財宝を担保に紙幣を発行する。それによって、帝国の財政が立ち直ったかのようにみえるのは、ジョン・ロー事件と同じだ。
ジョン・ロー事件が起きたのが、18世紀前半。ゲーテの『ファウスト』にいたっては19世紀前半のことだ。この当時スタンダードになりつつあった金本位制さえ、20世紀初頭の世界大恐慌で完全に機能不全となっている。兌換紙幣は政府の信用を前提とした不換紙幣に変わっていく。
いま、キャッシュレスだの、仮想通貨だの、ということが取りざたされるが、貨幣そのものがそれほど安定した歴史を持っているわけではないことも忘れてはならないと思う。
ざっと、こんなところが『ファウスト』を読んでの主だった感想だが、一度読んだだけではなんだかわからない感じを受けたのも、この作品の特徴だった。
というわけで、他の作品も読んでみたり、ゲーテにまつわるあれこれの本を読んだりしたのち、もう一度、この『ファウスト』を読み返してみると面白いかもと思ってるところ。
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科学と詩の結託(悪魔との契約としてのゲーテのアンチ・ディシプリナリーな思考姿勢)
ゲーテの『ファウスト』を読み始めた。来年前半はゲーテについて、あらためてちゃんと知っていこうと思っているので、その第一歩。ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテに興味を持っているのは、彼が、詩人、劇作家、小説家という文学の人という側面をもつ一方、色彩論、形態学、生物学、地質学といった広範囲にわたる自然科学者としての側面をもっているからだ(もうひとつ政治家という面もあるが、そこは問わない)。そして、その両側面にまたがる功績を残したゲーテであるがゆえに、例えば、彼の色彩論研究から..
アート
HIROKI tanahashi
2017-12-30T14:59:14+09:00
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ゲーテの『ファウスト』を読み始めた。
来年前半はゲーテについて、あらためてちゃんと知っていこうと思っているので、その第一歩。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテに興味を持っているのは、彼が、詩人、劇作家、小説家という文学の人という側面をもつ一方、色彩論、形態学、生物学、地質学といった広範囲にわたる自然科学者としての側面をもっているからだ(もうひとつ政治家という面もあるが、そこは問わない)。
そして、その両側面にまたがる功績を残したゲーテであるがゆえに、例えば、彼の色彩論研究からは、生理学とという自然科学の分野と、印象派という美術の分野での2つの新しい思索のカテゴリーが生まれている。
ゲーテとショーペンハウアーとが主張した、観察者に新たなる知覚の自律性を与える主観的視覚は、観察者を新しい知や新たなる権力の諸技術の主題=主体にすることと軌を一にしてもいた。19世紀において、これら二つの相互に関連した観察者の形象が浮上してくる領域こそ、生理学という科学だったのだ。
19世紀初めのゲーテ、ルンゲ、ターナーらに始まる色彩研究の新たな興隆は、近代絵画史における道標としてあまりにも有名な画家モーリス・ドニの発言−「画面とは、ひとつの逸話である以前に、ある一定の秩序を持つ色彩でおおわれた表面である」(1890年)−を経て抽象絵画成立期に通じる重要な道筋を切り開いた。15、16世紀における西欧の造形思想のひとつの基軸が線遠近法にあったとすれば、近代のそれを色彩論に見出したとしてもそれゆえ不当でない。
ゲーテが太陽光をみたあとに残る残像から、人は外界の物事をそのままみているのではなく、主観的に像を構成しているのだという視点で、生理学の元となる考えを生むと同時に、主観的な視覚像の生成という観点からその後の抽象絵画にもつながっていくようなリアリズムから離れた印象派的な試みへの道を芸術家に対して開いたのである。
ゲーテの残像のイメージをそのまま絵にしたような作品が、1843年にジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーによって描かれた「光と色彩(ゲーテの理論)-大洪水の翌朝-創世記を書くモーセ」だろう。一見抽象画にさえ見える作品は、まさにゲーテが『色彩論』で提示した残像のイメージそのものだ。そして、ターナーが印象派を30年も先取りした画家といわれる所以でもある。
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー「光と色彩(ゲーテの理論)-大洪水の翌朝-創世記を書くモーセ」(1843年)
生理学と印象派という2つが同時に登場していることにもワクワクするが、その自然科学と芸術という無関係そうな2つの分野での創造が、ゲーテという1人の人間から生じていることに驚きを感じないだろうか?ゲーテの生命形態学と20世紀芸術
色彩論だけではない。彼の形態論として自然をみる見方も、実は、その後に芸術の分野で別の形で花開くのだ。
フォルムのエレメントの純粋性に最も意識的だった抽象絵画の開拓者たちが、再現対象はもちろんのこと、遠近法、色価、構図といった旧来の造形概念を否定したときに、彼らのフォルムの世界を生命的形態における必然性・法則性へ近づけようとする方向に進み、その際ゲーテの形態観に出会うという事態は十分に考えられることだ。だが、ゲーテの思想に出逢ったとしても、フォルムの純粋性へむかう彼らの態度からすれば、少なくとも、可視的世界を絶対に離れなかった知覚の現象学者ゲーテ自身の態度は矛盾と感じられたに違いない。それなら、クレーはどうであろうか。(中略)しかしクレーは、こうした現代の画家たちのなかにあっても、決して「第一の自然を必要としない」とは考えていなかった。
そう。20世紀の画家パウル・クレーを通じて、ゲーテの形態学は造形論へと変形される。
クレーによるパペット。2016年パリ・ポンピドゥーセンターでのパウル・クレー展より
「芸術とは眼にみえるものを再現することではなく、眼にみえるようにすることだ」と考えるクレーにとって、生物の形態生成について考察したゲーテの形態学は重要なリファレンスであったようだ。
クレーが再三要求する運動フォルムとは、「すべての形態、とくに有機体の形態をみるとき、そこに見出せるのは、とどまるもの、静止したままのもの、閉ざされたものでなく、むしろすべてがたえず運動してやまない」(ゲーテ)、そうした有機体の形態としての作品にほかならないのである。有機的形態の場合、部分と全体の関係を論証的に定義することは困難である。有機的形態をとらえるには分析的論証的態度ではなく目的論的態度にたつ高度な観照、ゲーテが直感的判断力と呼んだ独自な思惟が必要である。
ゲーテは『植物メタモルフォーゼ』で、「これらの分析の努力は、繰り返し行いすぎると、多大な弊害をも生ずる。生物はなるほど諸票素に分解されるが、それをこれらの諸要素からふたたび合成し、生き返らせることはできない。このことはすでに多くの無機物に、まして有機物についてよく当てはまることである」と書いている。当時のリンネに代表される分析的な態度の弊害を指摘し、「生命ある形成物そのものを認識し、それらの外面的に目にみえてに取ることができる諸部分の関連を把握し、これらを内面の暗示的な現象として取り上げ、こうして全体を直観のうちにある程度まで自分のものとしたい」という衝動から「形態学と呼びたいと思う学説を創始し完成しよう」という意図が芽生えたとしている。
ゲーテは、この形態学という「科学的な欲求がいかに密接に芸術運動および模倣衝動と関連しているかはあえて述べるまでもない」と言っている。それがクレーの「芸術は世界創造と類比的な関係にある」という考え方につながっていると考えられる。
そして、このゲーテ的な直感的判断力による思惟を用いた姿勢は、クレーのみならず、20世紀の芸術家に「生命形態(バイオモルフィック)」として用いられていく。
卵型、丸み、ヴォリュームといい、植物の果実といい、「生命形態(バイオモルフィック)」の法則が二十世紀の造形芸術の大きな導き手となった事実は、こうしたアランやアルプの言葉に端的に示されている。実際、一九一〇年代以降に展開した近代美術の変革運動、つまりピカソ、ブラックによるキュビズム、マティスによるフォーヴ、カンディンスキーやモンドリアンによる抽象、デュシャンによるダダ、ドイツ表現主義、シュルレアリスムなどの諸運動において、「生命形態」は「コンストラクション(構成)」、「グリッド(格子)」や「コラージュ」、「ファウンド・オブジェクト」とならぶ最も重要な造形概念の位置をしめるようになった。もはや顔面や額の「模倣」は無意味でしかない。新たな造形の焦点には、かつては表現の要点とされた顔面や額をも「皺」として包括するような大きな局面そのもの、生命形態の力と法則が浮上する。
模倣によるリアリズムを印象派が超えたのち、何を芸術的な造形の原理とするかを考えた際、コンストラクションやグリッドと同様に、その根本原理として採用されたのが、ゲーテが創始した生命形態の学であったのだ。
ファウストはなぜ悪魔メフィストーフェレスと契約を結ぶのか?
そこで『ファウスト』の話に戻りたい。
ゲーテは、その「前狂言」において、詩人の役割をこんな風に登場人物である「座付詩人」に語らせている。
そもそも詩人は何によって鬼神をも感ぜしむるのですか。
詩人は何によって四大に打勝つのですか。
それは調和というものによってでしょう。
胸から流れ出て、全世界を再びその胸の中へ手繰り込むその調和ではないでしょうか。
自然が果てしもなく長い糸を冷ややかに紡ぎ出して、
無理やりに糸巻きに巻きつけて、
また生きとし生けるものの雑然たる群が
おぞましくも騒々しい音を立てている時-
このいつも同じに流れて行く線を、リズムを持って動くように、
活きいきと区切ってやるのは、一体誰でしょう。
一つひとつのものを厳かな秩序に組み入れて、
すばらしい和音を奏でさせるのは誰でしょうか。
盲目の嵐を情熱に浄化させるのは誰です。
夕映えを意味深遠な色に燃え立たせるのは。
恋人同士の歩む小道に、春の美しい花という花を
撒いてやるのは一体誰ですか。
ありふれた緑の葉を編んで、
いろいろな功業への誉れの冠とするのは誰か。
オリュンポスを護って、神々を集わせるのは誰だ。
詩人のうちに示顕する人間の力ではないのか。
詩人は、自然のうちに調和=リズムを読みとって示顕する。
このゲーテによる詩人観は、ゲーテによる形態学の試みをオウィディウスの『変身物語』と比べながら語られる、エリザベス・シューエルの『オルフェウスの声』のなかの次のようなゲーテ自身の評にぴったりと重なり合うように思う。
変化と過程、変形がこの作品ではマインドの内なる働きを自然の営みと直結させる手段となっている。このテーマをみずからの『植物変態論』という作品で取り上げるのがゲーテであるはずで、自然にあって固定して見えるいかなる形式も、実は絶え間なく変化し止まぬ、そして我々がそれを十全に理解しようとすれば我々の思考方法のモデルとなってもらわねばならない現実が、単に一時的に結晶化したものに過ぎないのだと主張する。我々の思考方法は自然に倣って「しなやか、かつ造形的」でなければならない、と。
そんな風に詩人の役割をとらえ、それが科学が見落としがちな「しなやか、かつ造形的」な自然に倣った思考方法をもっているということ自体、なぜ、『ファウスト』という作品で、主人公ファウスト博士が、悪魔メフィストーフェレスと契約を結ぶことになるのかを示しているように思う。
自然は真っ昼間でも神秘深く、
その薄衣を脱いで見せてはくれぬ。
自然が己の心に見せようとしないものは、梃子や捻子を使ったところでどうにもならぬ。
と、どんなに学を追求しても、決して近づくことができる自然に悩んでいた科学者ファウストに対して、悪魔メフィストーフェレスがする助言はこうしたものだからだ。
詩人と結託するんですな。
そして詩人にいろいろなことを考えさせて、
あるとあらゆる貴い性質を
あなたの頭の上に積み上げてもらうのです。
科学と詩の結託。それがまさに悪魔と結ぶ契約なのかもしれない。
この契約。シューエルがこんな風に語る言葉が、その契約の内実を示しているのかもしれないと思う。
ゲーテはどうかと言えば、時に自然を占卜の言語とみなし、なんとも素晴らしい「人間とは自然が神と発した最初の言葉である」という言葉を残している。この言語は科学のしての言語ではない、暗号ではない。それはここで暗喩の形象、そして神話を思いきり詰め込まれる。自然が言語だとするなら、それは詩としての言語である。みずからも発話の能力に恵まれた人間の精神が理解し、解釈しなければならない発話がこれである。人間自身の言語が詩的なものである限り、それはこうして言語という形象の下に眺められる自然の働きと一致する。こうして詩人はみずから発見しようとしている相手に似るのである。
と。
こんな風にゲーテは謎めいていて、深い。
けれど、このゲーテ的な統合的で、直感的な見方こそ、いまから必要になってくるアンチ・ディシプリナリーな態度で物事を考え、創造するために必要な思考スタイルだと思うのだ。
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歴史の地震計:アビ・ヴァールブルク『ムネモシュネ・アトラス』論/田中純
『歴史の地震計:アビ・ヴァールブルク『ムネモシュネ・アトラス』論』。読み終わってから、すでに2週間以上経ったが、読んでいるときから、絶対に紹介しておかなくていけないと思った一冊。そのくらい、この本の主人公、アビ・ヴァールブルクによる『ムネモシュネ・アトラス』という仕事の意味は、イメージと思考の関係を問い直す上で重要なものだと思うからだ。このイメージと思考の関係を問わずして、2017年は終われない。イコノロジー(図像解釈学)の祖として知られるドイツの文化史家アビ・ヴァールブルク..
本
HIROKI tanahashi
2017-12-28T21:56:46+09:00
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『歴史の地震計:アビ・ヴァールブルク『ムネモシュネ・アトラス』論』。
読み終わってから、すでに2週間以上経ったが、読んでいるときから、絶対に紹介しておかなくていけないと思った一冊。
そのくらい、この本の主人公、アビ・ヴァールブルクによる『ムネモシュネ・アトラス』という仕事の意味は、イメージと思考の関係を問い直す上で重要なものだと思うからだ。
このイメージと思考の関係を問わずして、2017年は終われない。
イコノロジー(図像解釈学)の祖として知られるドイツの文化史家アビ・ヴァールブルク。彼がその晩年遺したのが、971枚の図版を総数63枚の黒いパネルに配置した『ムネモシュネ・アトラス』と呼ばれる制作物である。
ヴァールブルクは、この制作物に関する説明を簡単なメモ程度しか残していないため、この図像群をどう解釈するかは多くの研究者たちが取り組んでいる。本書の著者、田中純さんもその1人。以前にも田中純さんによるアビ・ヴァールブルク論『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』を読んだが、本書のほうが『ムネモシュネ・アトラス』にフォーカスした内容となっている。
すでに1つ前の記事「イメージと思考を結びつける」でも紹介したとおり、『ムネモシュネ・アトラス』のムネムシュネとはギリシア神話に登場する記憶を司る女神の名前だ。ヴァールブルクが「図像アトラス」とも呼ぶ、このプロジェクトは、古代から20世紀にいたる美術作品のみならず新聞掲載の写真までを含めたイメージ群から構成されたシリーズである。ただし、現在はパネルそのものは失われ、それを撮影した白黒写真のみが残されているという。
解釈はいろいろあるとはいっても、文化史家であるヴァールブルクが971枚の図版を元に、何からの形でヨーロッパの歴史を表象化しようとしたものということだけはすぐに想像がつく。だが、その表象しようとした歴史が、通常、僕らが認識しているような形での歴史ではないこともなんとなく雰囲気から感じられる。
それは明らかに明快な印象を与える歴史ではない。
逆に、ヴァールブルクが提示しようとしているものが不可解で不気味な歴史なのだろうという予感を、この『ムネモシュネ・アトラス』の写真から感じられないとしたら、その人はあまりにイメージを観る目がない。そんなイメージを観る目をもたない人たちを、そうした形に矯正してしまった要因となるものに歴史を、むしろ、ヴァールブルクのこのプロジェクトは暴き出しているのだということが、この本を読んであらためてわかったような気がする。
いわゆる歴史というものが1つの矯正であり、その矯正に抗い、はみ出してくるものがイメージの中にはある。
そのことをヴァールブルクは僕らに伝えてくれるし、僕もそのことを伝えたいと思った。
だからこそ、そうした矯正の歴史をすこしでも垣間見せられればと思い、この本の紹介は必ずしようと思っていたのだ。
記憶はきわめて危険な出会い
「過去は生きています」。
印象的だったこの言葉は、本書後半に資料として所収されている、イタリアの哲学者マッシモ・カッチャーリとの対談で、カッチャーリが言っているもの。
記憶はきわめて危険な出会いです。研究者としてのヴァールブルクのマニアはまさにプラトンのいう対象への愛、マニア・エロティケなのですが、この対象には動きがあります。これが恐ろしいのです。過去は生きています。過去はわれわれが好きなときに引き出しからカタログを選び出すのではなく、むしろカタログのほうが勝手に出てくるのです。
ムネモシュネが司る「記憶」を危険だとカッチャーリは言う。それは、こちらがコントロールして欲しいときに登場するのではなく、むしろ、こちらが意図しないときに過去のほうから勝手に出てくるからなのだという。
確かに、この本を読んでいると、文化史家ヴァールブルクが『ムネモシュネ・アトラス』でイメージ群によって示している過去は、制御された形で解釈された歴史というよりも、夢のように多義的な解釈を可能にする記憶のコントロール不可能な形での蘇りという印象を受ける。
そんな身勝手な記憶を無理やり、テキストや年表のような線形的な思考で矯正しようとしても、それに抗おうとするものが必ず、あとから滲み出してくる。まさに昼間の明快すぎる意識が抑え込んだものが、夜になって夢となって蘇る、そんな夢の機能と同じである。ヴァールブルクが表現しようとしたのは、そんな夜の側の歴史ではなかったか?
『ムネモシュネ・アトラス』の図像のテーマのクラスタ分析結果
生きている過去はパフォーマンスで語る
そんなことを思うのは、『ムネモシュネ・アトラス』と同様のパネルを使ったヴァールブルクの講演の様子を伝える、以下のような説明を読むときだ。
スライドのダブル・プロジェクションによる比較法ではなく、図像パネルを駆使したこの方法をヴァールブルクが選んだのは、多数のパネルを同一空間に併置することによって、複雑に交錯する図像間の歴史的ないし理論的関係を示すものであったととりあえずは言ってよい。それはイメージのハイパーリンク構造を先取りしたものであるという評価をされることもある。
確かに、複数の画像間の関係だけを示すならハイパーリンクと類似のものであり、デジタルなディスプレイ上に静的な状態で表示可能だ。
だが、田中さんは「ただし…」と続ける。
ただし、現在のデジタル技術をもってしたところで、小さなディスプレイ上で図像のハイパーリンク構造を作る程度にとどまるかぎり、こうした講演でヴァールブルクが模索したプレゼンテーションの可能性は組み尽くされるものではないだろう。なぜならば、図像パネルはヴァールブルク自身の身体を使った講演というパフォーマンスの舞台装置だったからである。それはたんに肉声で語るばかりではなく、図像を指し示すために動きまわる動作も含んでいた。さらにその内容もまた、あらかじめ決められた台本に拘束されずに、その場での即興を交えたものだった。
パネル上に示された図像群は動くことはできないけれど、舞台装置のように動きを促す。図像そのものは動かなくても、まわりの人を動かす。そこがディスプレイ上の表現との違いである。ヴァールブルクのアトラスは、決して固定された線的な歴史の表現ではなく、生きている過去の様子をパフォーマンスを通じて表現するための舞台装置だということだ。
あるいは、田中純さんは別の箇所でコレオグラフィーという言葉を使うが、まさに黒いパネルに配置されたイメージ群は、演者ヴァールブルクに対する一定の支持内容を示す譜面や振り付け内容を示したものだともいえる。
内容は示されてはいるけれど、それをどう演奏するか演じるかは、最終的に演者であるヴァールブルクに委ねられる。即興的な要素をそのような意味で含みつつ、演者の側もまったくの自由であるわけではなく、譜面をどう読み、どうそれを再現するかという視点で、歴史に対峙することになる。いつ対峙するかによって演じられる歴史は変わるだろう。
そのような意味で、過去は生きてていて、記憶は常に危険な出会いをもたらすのだと思う。
この歴史の生きた様を感じないのだとしたら、あまりに鈍感だ。
現実と夢のあいだの境目がなくなる
『ムネモシュネ・アトラス』という舞台装置は、過去と現在、あるいは未来との間の、通常強固なものとしてあると僕らが思い込んでいる境目を無効にする装置だといえるかもしれない。
そんなことを思わせるのは、田中純さんが本書で紹介している、18世紀後半のヴェネツィアの画家フランチェスコ・グアルディが描いた「カーニヴァルの仮面たちがいる建物」を見るときだ。
フランチェスコ・グアルディ「カーニヴァルの仮面たちがいる建物」
この絵には16世紀に生まれて以来、イタリアで演じられてきた仮面劇コンメディア・デッラルテの登場人物プルチネッラたちが描かれている。白い衣装と円錐帽が特徴のプルチネッラは道化師のキャラクターなのだが、この絵では普通の人びとがいるヴェネツィアの街の景色のなかに登場している。現実と舞台のなかの夢が混ざり合ってしまっているのである。
オランダの哲学者フランク・アンカースミットはこの作品に、プルチネッラを芝居の登場人物として現実から切り離して描くのではなく、また、ロココ時代のフランスの画家アントワーヌ・ヴァトーのようにコンメディア・デッラルテの登場人物たちに扮した人びとが現実世界で戯れている様子を「この世は舞台」の引喩として描くのでもない、よりラディカルな表現を見出している。それによると、ヴァトーにはまだ残されていた現実と芝居の世界を分ける想像上の境界が、ここにはもはや存在しないのである。プルチネッラたちはヴェネツィアの現実空間で現実の人びとに見られながら、まさにプルチネッラが舞台上で行うような野卑な振る舞いをしている。現実は「あたかも舞台のよう」なのではなく、文字通りに舞台上の出来事と区別がつかなくなっている。表象と表象された世界とが混じり合ってしまっているのである。
現実にはみ出してくるものは、多くの場合、現実が無理やり外へと追いやってしまったものだ。
それは怖れや不快感を呼び起こすような対象であることが多い。汚穢、死や過度な生(性)、あるいは理解のために目を逸らした理解がむずかしい対象たち。
そんなものが、この絵のプルチネッラたちのように現実に忍び寄る。
「記憶はきわめて危険な出会いです」という先の言葉も、この意味で読み直すとどうだろう?
リニアには流れないイメージで語る歴史
ヴァールブルクは「情念定型」という言葉で、一定の身振りを示すイメージが歴史の時間を超えて、何度も浮かび上がってくることを指摘している。
ニンフとアトラス
頭に荷物を載せて歩く、どこから現れたのかわからない雰囲気を漂わせ、人か神か、あるいはエロティックな皮をかぶった化け物なのかわからならい「ニンフ」のイメージ。あるいは、天球を背負うアトラスあるいはせむし、あるいはデューラーの「メランコリア」で描かれた有翼の人物の姿勢。同様のイメージがすこしずつ意味を変えながら、先のプルチネッラたちのように蘇ってくる。
そもそもヴァールブルクによって発見された「情念定型」とは、激しい感情の表出としての「身振り」が定型化し図式化することを通じて、その感情の強度を保ったまま、さまざまな……ときには逆転した……意味内容の表現に転用されうるという現象にこそ関わっていた。この「定型」は形態上のヴァリエーションを含むとともに、意味作用ないし情動喚起作用の変異可能性をも潜在させているのである。さらにそれは、勝者/敗者、上昇/下降といった両極性に対応するさまざまな情念定型と相互作用し、ときには融合して変容していく。
言葉で示せば、境目は明確に示しやすい。
その一方、イメージで示された場合、その意味は固定されず、元は正反対であったはずの意味さえ、同一の図像によって示されることさえある。
ニンフは、やさしい女神になることもあれば、性的に男をたぶらかし、死に板らせるサロメやデリラのような悪女にすら変貌する。このイメージのもつ多義性は、ヴァールブルクが歴史そのものが決してリニアではないと感じていることにつながっていく。
そうした情念定型のヴァリエーションや変異過程、或るイメージが担う意味内容の重層決定の様相といった、イメージ相互のネットワークに関わるがゆえにリニアな言語記述では語りにくい関係性を表すために、晩年のヴァールブルクは『ムネモシュネ・アトラス』を代表とするような、パネル上での図像の平面的配置を採用した。
リニアではないイメージ同士の重層的な関係性が、見方によって異なる多義的な意味を生成する。記憶としての歴史は決して過去に起こった事実ではなく、過去の記憶同士の絡み合いを人がどう見るかによって多様に変化する。
ヴァールブルクが伝えたかったことの1つは、そうしたイメージと言語の隔たりによって生じる新たな歴史の語り方だったのかもしれない。歴史というのものは本来、『ムネモシュネ・アトラス』が視覚化するようにアナクロニズムなものなのではないだろうか。
情念定型という「祖型」は、動物としてのヒトの行動へと生物学的に還元されてしまうものでもなければ、古代へとクロノジカルに遡って確定されるべき、伝播・影響関係の端緒なのでもない。なぜならそれは、人間の情念や感情とその身体表現に現時点でも深く関わり、もろもろの人体描写中でなお作動している諸要因と結びついているからである。問題は人間の表現活動に内在して働いているこの祖型のメカニズムである。それは自然と文化の両者にまたがり……それにゆえにヴァールブルクはダーウィンの研究を参照した……、構造と歴史、共時態と通時態の狭間に位置する……だからこそ、情念定型は認知的分類にとどまるものでもなければ、クロノロジカルに古いだけの起源でもない……。
多くの場合、言語的な思考は多くのものを抑圧する。けれど、その抑圧を逃れて抑圧されたものは必ず回帰する。人が自分以外の生きるものに対して誠実であろうとすれば、それらは必ず回帰する。それが人が生きているということでもある。
その際、抑圧されたものが回帰するときにみせる形態が像=イメージであり、像同士の絡み合いなのだろう。
それはエロティックであると、同時に常に不気味である。生きているのだから、当然そうである。言葉だけではなく、像によって語られたものを読もうとするとき、はじめて、こうしたエロティックかつ不気味な"生きた"思考がはじまるのだと思う。抑圧されたものが回帰してくる様を、自ら読み解こうとする姿勢をみせさえすれば、人はちゃんと本来の歴史とともにあり続けられるのだろう。それにはイメージと言葉の狭間で抑圧されたものの声に耳を傾け続けることだ。
そんなことを考える上で、アビ・ヴァールブルクの仕事について考えることは、いまなお有効だ。
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イメージと思考を結びつける
イメージと思考との関係について考えることが好きだ。言葉にならないものをイメージで表現するといったりする。もちろん、イメージを使えば言葉と異なる表現ができるのだけど、だからといって、イメージが表現しているものを言葉で説明することを怠ったりするのは、あまり好きじゃない。イメージを表現に使うにしても、その背後には思考があってほしい。とうぜん、それが言葉による思考である必要はないし、思考をイメージで表現するのではなく、イメージによる表現自体が思考であればいいのだけれど、そもそもの思考..
思考
HIROKI tanahashi
2017-12-17T19:49:22+09:00
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イメージと思考との関係について考えることが好きだ。
言葉にならないものをイメージで表現するといったりする。もちろん、イメージを使えば言葉と異なる表現ができるのだけど、だからといって、イメージが表現しているものを言葉で説明することを怠ったりするのは、あまり好きじゃない。イメージを表現に使うにしても、その背後には思考があってほしい。とうぜん、それが言葉による思考である必要はないし、思考をイメージで表現するのではなく、イメージによる表現自体が思考であればいいのだけれど、そもそもの思考がないなら、それは好みではない。
むしろ、言葉にならないものを表現しているからこそ、イメージそのものが表すものについては、言葉で表現されたもの以上に言語化する方向で思考を巡らせたほうが面白いはずだ。
だから、アビ・ヴァールブルクの『ムネモシュネ・アトラス』という971枚の図版が総数63枚の黒いパネルに配置された作品(?)を言語化する田中純さんの試みには、繰り返し惹かれている。
例えば、『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』という本を読んだのは、2008年の7月だから10年弱経っている。そして、つい最近も『歴史の地震計』を読んで、いろいろ興奮させてもらったばかり。
その本で、ヴァールブルクの『ムネモシュネ・アトラス』はこう紹介されている。
まず、『ムネモシュネ・アトラス』の概要を説明しておこう。
「ムネモシュネ」とはギリシア神話における記憶の女神の名である。ヴァールブルクが「図像アトラス」とも呼んだこのプロジェクトは、古代から20世紀にいたるヨーロッパの美術作品をはじめとするさまざまなイメージの図版を、黒いスクリーン上に配置した、数十枚のパネルからなるシリーズである。ただし、パネルそのものは失われ、それを撮影した白黒写真しか残っていない。
と。この説明のとおり、『ムネモシュネ・アトラス』は図版の集積・レイアウトであって、それを説明する言葉はヴァールブルクが生前書き残した断片のみしか存在しない。
上の写真がそのパネルの1枚を写したものだ。
こんなパネル63枚から成るのが『ムネモシュネ・アトラス』というヴァールブルクの作品だ、ということになる。だから、簡単にそれが何を示しているのかはわからない。けれど、わからないといって、それを思考の対象から外すという選択が僕は好きじゃない。
ヴァールブルクはこの『ムネモシュネ・アトラス』を制作中に亡くなっているので、最終版の図版の選定および配置が必ずしも完成形を示してはいないし、果たして完成形なるものがあり得たかどうかさえ定かではない。それゆえ、通常の意味でなら、この971枚の図版、63枚のパネルから成る全体が何を表現しているかは明確にはわかりえない。
けれど、美術史家・文化史家であり、イコノロジー(図像解釈学)の創始者とも言われるヴァールブルクが自ら選定し配置した、この図像群、パネル群が何の思考の裏付けがないはずもない。それはいわゆる展示=エキシビションと同じように、ある思考をイメージによって具現化したものであるはずで、それが直ちには言語化しづらいからといって、そこに意味や思考がないはずはない。
だからこそ、田中純さんがそれを言語化していく作業を読むことができるのはとても刺激になる。
そして、デザインやクリエイティブに関わる仕事をしている僕ら自身がやっている、いや、やらなくてはいけないのは、こうした思考作業にほかならないと、常に思う。
イメージと言語の狭間で思考し、その間をつなぐ動きをつくること。
企図が形になり、形が別の想いを生む。
そうした運動をいかに生成するかがデザインやクリエイティブの仕事であるのだとしたら、イメージと思考&言語を結びつける知的操作は常に欠かせない。
思考・言語化のないただのイメージの操作には何の面白さもないのだし、そういう思考を働かせないのなら、いっったい何をしているのか、その作業の価値を疑ったほうがよい。
「間隔の問題」を思考する
さて、田中さんは『歴史の地震計』のなかの1章を、同じくヴァールブルク研究で知られ、『残存するイメージ―アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間』や『アトラス、あるいは不安な悦ばしき知』などの著作で、『ムネモシュネ・アトラス』の考察を行っているジョルジュ・ディディ=ユベルマンの『ムネモシュネ・アトラス』論についても紹介している。
ディディ=ユベルマンの本はまだ読んだことがないので、年末年始の休み中に手にとってみようかと思っている。
その中にこんな一節がある。
時間を不連続にする亀裂、言葉とイメージのあいだの隔たり、そしてイメージ内部の両極性といったものすべてがひとつの間隔である以上、ヴァールブルクのあらゆる思考はいわば間隔の問題なのだ、とディディ=ユベルマンは大胆に総括する。
ここに1つの選択がある。いかにして思考するか?という選択が。
個々の要素そのものを思考するか、要素間の間隔そのものを思考の対象にするか。
あるいは、それはこんな風に言い換えることもできるかもしれない。静止した、固定化された対象を思考するか、それとも、動的な変化そのものを思考の対象にするか。
さらに言い換えれば、1つの定義された正解にこだわるか、あるいは、複数あるさまざまな視点での正解のあいだの類似性と相違性のようなズレにこだわって思考を展開するか。
いずれの選択においても、後者のほうには曖昧さがある。
潜在的イメージはただ曖昧なだけではない
19世紀後半から20世紀初頭に起こった美術界の変化を対象とした『潜在的イメージ―モダン・アートの曖昧性と不確定性』で著者のダリオ・ガンボーニは、"「観る者の精神状態」に関わるイメージ、作者の意図に呼応しながらも、観る者の介在によってはじめて完全に存在しうるイメージ"としての「潜在的イメージ」というものを考察しており、それらのイメージがもつ「一般的に曖昧で、不確定的で、多義的である」性質と、20世紀前後のイメージ生成の変化そのものについての考察を行っている。
その本のなかでガンボーニは、こう書いている。
観る者が(物質的対象としてではなく生成プロセスとしての)芸術作品の生成に貢献している事実を重視するとき、「潜在的イメージ」という概念は、視覚芸術という範疇を超えて、コミュニケーションと意味作用に関わる重要な問題を引き起こすことが明らかとなろう。じっさい、こうした場合には、イメージに本来的な根本的曖昧性がしばしば指摘されてきた。
ガンボーニもここで、「生成プロセスとしての芸術作品」をいうことを前提としているのだが、「潜在的イメージ」のもつ曖昧で多義な性質は、その生成プロセスという観点からみたときにはじめて、それはより広い「コミュニケーションと意味作用」という領域における問題を明らかにすることが指摘される。
ガンボーニが「イメージに本来的な根本的曖昧性がしばしば指摘されてきた」ことの例としてあげるのは、こうしたものである。
またマーティン・ジョリーは、イメージの記号学的分析について論じた最近の研究において、多義性が、ある特定のイメージに特有のものではなく、あらゆる複合的なイメージ表現に見出しうる特徴であると主張している。ジョリーによれば、イメージには断定的能力が欠如しているがゆえに(すなわちイメージは言語に頼ることなしには断定も定義もできないがゆえに、)必然的に多義的な性質が与えられるのだという。一方、ある種のイメージにおいて多義的な印象が強調される場合があるが、それは観る者など多様な要素が介入した結果であり、意図的に隠されたイメージのように、計算ずくで非具象的イメージを作り出した場合が多いのだという。
イメージは言語のように断定や定義もしない、ゆえに多義的な性質をもつ、という、この主張をミス・リーディングしてはいけないと思う。
言葉も、活版印刷が普及する以前の音声言語が中心の社会であれば、いまよりももっと曖昧で多義的な性格をもっていたことは、ずっと前に高山宏さんが『近代文化史入門 超英文学講義』で指摘していることを書評記事で紹介しているとおり。
エリザベス朝の時代のシェイクスピアを中心として隆盛をはくした英国ルネサンス演劇は、清教徒たちによって1642年にすべて閉鎖されることになる。この閉鎖の背景には、1660年に正式に設立されることになる英国王立協会の中心的な役割をになた数学者や科学者たちが、言葉の曖昧さを嫌い、曖昧さのない普遍言語を模索したことと無関係ではないと高山さんは指摘している。ルネサンス演劇の舞台で俳優の声を通じて発話される台詞が含まずにはいられなかった両義的・多義的な意味が曖昧さを嫌う数学者や科学者たちの目の敵にされたのだと。
だから、そもそも、言語が曖昧でなく、イメージは曖昧ではないという短絡的な話ではない。
引用中においても、ある種のイメージが多義的と感じられることがあるとすれば、それはそのイメージ制作者の「計算ずくで」なされることが多いと指摘されている。イメージそのものはどんなに曖昧さ・多義性はあったとしても、意味をもっていることに変わりはない。
だから、潜在的イメージとは、だから、曖昧で多義的ではあっても、決して、無意味ではないし、どんな解釈も自由というようなものではない。
いや、潜在的であろうと、より具体性を感じられるものであろうと、イメージには意味があるし、それは思考の道具として使うことができる。
それゆえ、そのイメージの意味を無視して、何の思考もないままにイメージを無意味に扱うのだとすれば、それはイメージの側の問題ではなく、それを扱う者自体に思考が欠けているというだけにすぎないのだ。
考えることを怠る言い訳をイメージに押し付けるのはあまりに失礼すぎるだろう、特に、イメージを仕事の道具にしている人であれば、なおさらに。
すべてのものは絶えず揺れ動いている
イメージを短絡的に曖昧なものだと考えてしまうこと。
まさに、そこで起こる1つのことがイメージを思考の外に置いてしまう姿勢だ。
そして、その姿勢にも2つあり、1つはお決まりの「私にはイメージがわからない」とする態度であり、もう1つがイメージと思考=言語化を断絶させて、イメージをイメージのみで思考と結びつかない形でレイアウトし続ける姿勢だ。
いずれの姿勢にも「生成」というものが感じられない。
そこから、何かが生まれてくる、創造される感じがしない。
それよりもやはり「古代から20世紀にいたるヨーロッパの美術作品をはじめとするさまざまなイメージの図版を、黒いスクリーン上に配置した」ヴァールブルクの『ムネモシュネ・アトラス』のような時間の隔たり、イメージと言葉の隔たり、そして、971枚の図版それぞれの間の、そして、63枚の黒いパネル同士の間の隔たりを思考する姿勢のほうに、生成や創造は感じられる。
実際、そのヴァールブルクの思考からはイコノロジーという学問的姿勢が現に生まれていたり、多くの影響を受けた哲学者、美術史家、文化史家が登場している。
ゲーテがなぜ形態学などというもので有機体の変形に惹かれ、研究を行ったか、そのゲーテの末裔としてパウル・クレーがなぜ自身の造形論を形成の謎を解く試みとして考えたか。先にガンボーニも「生成プロセスとしての芸術作品」という視点で捉えていたことを紹介したばかりだ。
それら変形・形成の問題が、常に間隔の問題であるということを考えれば、イメージの配置の試みを言語化の試みと結びつけて思考しないなんて愚行は、あまりにもったいなさすぎはしないだろうか。
ドイツ人は、実在する物の複雑な在り方に対して形態(ゲシュタルト)という言葉をもっている。この表現は動的なものを捨象し、ある関連しているものが確認され、完結し、その性格において固定されていると見なす。
しかし、すべての形態、とくに有機物の形態をよく眺めると、どこにも持続するもの、静止するもの、完結したものが生じてこないことに気がつく。むしろ、すべてのものは絶えず揺れ動いているのである。それゆえドイツ語は、形成という言葉を適切にも、すでに生み出されたものについても、また現に生み出されつつあるものについても使うことにしているのである。
フォルムの運動としての発生が芸術作品の本質である。まず最初にあるのは、モティーフ、エネルギーの注入、精液。物質的な意味でのフォルム形成としての作品は、原女性的といえよう。フォルムを規定する精液としての作品は、原男性的といえよう。
こうした形成の動き、ある形が別の形へと変形していく様を描き出すのは、言葉だけでもむずかしいし、静止した形態としてのイメージで描き出すのもむずかしい。
でも、言葉とイメージの狭間、複数のイメージの狭間をうまく使いながら、2つの時間の狭間に生じる生成の動きについて考え、それを表現することは可能だ。
いや、まさに生成や創造に考えようとする場合にこそ、イメージだけでもなく、言葉だけでもなく、その両方をうまく行き来しながら思考をすることに価値があるのだと思う。
こうした思考を行うためにも、僕らはもっとイメージを使った思考を積極的に行っていく必要があるように感じる。
ヴァールブルクのようにイメージの選択・配置によって、時を超えた狭間やイメージ同士の狭間、そして、思考とイメージの間の大きな狭間について新たな発見をし続けること。
そうした思考にこそ、イメージの選択とレイアウトという操作を有効に活用したいものだ。
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シェイクスピアの生ける芸術/ロザリー・L・コリー
人はどれだけ自分自身で考え、行動しているのか。僕はそんなことを時折思い出したかのように、繰り返し考えている。ある意味では、その問いを発し続けることが、僕の人生の1つの大きなテーマであるようにさえ思う。でも、その問いはもうすこし正確にいうと、こうなる。「人の考えや行動に影響を与えているものはどんなものなのか、それはいつから、そのように影響しはじめたのか?」と。つまり、僕は人が自分で考え、自分で行動することなど端からないと思っているわけだ。僕の関心はむしろ、僕らは何によって考えさ..
本
HIROKI tanahashi
2017-12-10T20:57:28+09:00
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人はどれだけ自分自身で考え、行動しているのか。
僕はそんなことを時折思い出したかのように、繰り返し考えている。
ある意味では、その問いを発し続けることが、僕の人生の1つの大きなテーマであるようにさえ思う。
でも、その問いはもうすこし正確にいうと、こうなる。
「人の考えや行動に影響を与えているものはどんなものなのか、それはいつから、そのように影響しはじめたのか?」と。
つまり、僕は人が自分で考え、自分で行動することなど端からないと思っているわけだ。僕の関心はむしろ、僕らは何によって考えさせられ、動かされているのか?ということになる。
だから、この『シェイクスピアの生ける芸術』という本の冒頭近くで、著者のロザリー・L・コリーがシェイクスピアのやったことについて、こう問いかけるのを読んだだけで、この本がすごく面白い本だと直観できた。
シェイクスピアにとって「アカデミック」とは、その濫用された語の二通りの意味において、何であったのだろう……すなわち、彼にとって、何が単純で、容易で、自然であり、何が研究や学識を要するものであると感じられたのだろう。諸事、アートのなかに封じられると、慣習のかたちをとって「静」と化し、我々が思いを巡らす相手とされる。だが、アートが静を破って、アートがなすはずの、そして現になすようなありとあらゆる仕方で、「生ける」かのように見え、我々を「ゆさぶる」ように見えるとき、もっとみのり豊かではあるが、もっと困難な道のりが始まる。
人は自分で考え、行動する生き物ではないと仮定した際、"単純で、容易で、自然で"あると感じられることほど、何かに気づかないうちに動かされている状態というのもないと思う。"慣習のかたちをとって「静」"となった状態ほど、人が紋切り型を型通りに演じさせられている状態はない。
そして、やっかいなことに"単純で、容易で、自然"と感じられるような「静」の状態にのみ慣れてしまうと、そこから自らの力で脱けだすことさえできなくなってしまう。
そう、カウンター型でさえ、自分自身の思考や行動ができなくなってしまうのだ。
「生ける」状態に自分自身を戻すためには、「静」を破るゆさぶりが必要になる。
そう思うからこそ、コリーの本書にかけた、こんな狙いが頼もしく感じられるのだ。
本書で私は現代で言う最悪の意味において「アカデミック」としか見えないものを、蘇らせようと、いやともかく改めて生き直してみようと試みた。技と文化をつうじて作家に継承されるそれら静かな形式もろもろを、それによって芸術家が生き、それゆえ芸術また生きる形式もろもろを、ということである。
「静」をゆさぶる達人シェイクスピアが果たして、どのようにアート=技を捉え、その技そのものにどうゆさぶりをかければ、死んだように静的な日常が、苦しくも生きがいのある動的な状態になると考えたのか?
というわけで、もうすこし、本書を紹介しながら、このことについて考えてみたい。
探す気があれば、「形式」はどこにでも見つけられる
シェイクスピアについての本は今年のはじめに読んだヤン・コットの『シェイクスピア・カーニヴァル』(書評記事<)以来だが、コットがシェイクスピアの作品の背後に中世・ルネサンスと続くカーニヴァルの伝統を読みとっていたのに対して、この本で、コリーは「形式」に着目する。
コリーが「私はもちろん、思考はすべて、形式によって組織化され媒介されるものであると考えている」というとき、それは僕が「人間は自分で思考・行動をしていない。何かによって考えさせられ、行動させられている」というのと近いことを言っている。
そして、コリーは僕が言う「何か」をはっきりと「形式」であると考えているわけだ。
ときにはそれが、あまりにも自然で無自覚になされるため、知覚した当人さえも、それが形式的知覚、形式による知覚であることに気づかないことも少なくない。
といった具合に。
だから、"探す気があれば、「形式」はどこにでも見つけられる"というわけで、コリーは実際、シェイクスピアの作品を「形式」に関する考察、実験としてみた。
フォールスタッフ、イアーゴ、ハムレットは、演劇とそれ以外の多くの異なる伝統が寄り集まって造りあげた、みごとなまでに鮮やかな劇的人物である。諸伝統をときにはごく単純な方法で組み合わせることによって、シェイクスピアの放蕩と、そうした気前よさの成果としての節約は発揮された。シェイクスピアは明らかに、創造性が枯渇するという恐れを抱いていなかったので、葡萄酒のごとく、それも必要に応じて量が増えるカナの葡萄酒のごとく、己れの創意を奔出させることができたのである。
『ヘンリー4世』『ヘンリー5世』にハル王子(後のヘンリー5世)の放蕩仲間として登場する大酒飲みで強欲な肥満の老騎士フォールスタッフ、『オセロー』に登場し、主人公オセローに彼の妻デズデモーナが部下であるキャシオーと密通していると讒言する悪人イアーゴー、そして、ここであらためて説明するまでもないハムレット、というシェイクスピアの劇中の登場人物たちを、コリーは「多くの異なる伝統が寄り集まって造りあげ」られた、ミックスドメディアであることを指摘する。
しかし、それは彼らだけにとどまらず、すべての登場人物が過去の形式の組み合わせから生まれた劇的人物であったし、ほかならぬ僕たちだって「単純で、容易で、自然で」ある限り、フォールスタッフやイアーゴたちと大した違いはない。
ある意味、僕らは「演劇とそれ以外の多くの異なる伝統が寄り集」めたものを日々、日常的に繰り返し演じ直しているのにすぎないのだから。
現実の人物のかわりに、なじみ深い文学上の定型を受け容れてしまう
「シェイクスピアは、まさに駆け出しの頃から、文学の素材……文学上の慣習、伝統、ジャンル、様式、創作に利用できるありとあらゆる要素や道具……を扱うのが驚くほど巧みだった」というのが、コリーのシェイクスピアに対する評価である。
その扱いが巧みであればあるほど、シェイクスピアの劇作品は多彩になり、そこに登場する人物たちもそれぞれの劇に応じた様々な性格=キャラクターを成す。
一方、「単純で、容易で、自然で」ある限り、僕らは、既存のあらゆる形式を意図的に組み替えることで「必要に応じて量が増えるカナの葡萄酒のごとく、己れの創意を奔出させる」ことができるシェイクスピアが作り出した劇の登場人物よりはるかに紋切り型に収まっているのかもしれない。
もちろん、僕らのように紋切り型にはまってしまった人物も、シェイクスピアの演劇には数多く登場する。
例えば「知識をもたない初心(うぶ)な者は機械的な形式にエモーションを操作される、恋愛においてさえも」でも書いたが、『オセロー』の主人公オセローがそうである。先にもすこし書いたが、オセローは愛する妻を、悪人イアーゴーに吹き込まれた妻の密通というデマを信じて、愛するが故に殺害してしまう。
コリーは、オセローの過ちが、彼があまりに型通りすぎるがゆえに、型を外れてオセローを愛した妻デズデモーナを理解できなかったことにあると指摘する。
公式のロマンティックな恋愛がもつ図式群は、オセローの心理にも深い刻印を残している。型にはまった恋愛観しかもっていないので、オセローは妻のありのままの姿を見ることができず、イアーゴーの描く虚像を真に受けてしまう。デズデモーナは実のところ寛大で、率直で、献身的であり、そうした気質をソネットの定式通りのつれない恋人よりもさらに公然と示している。彼女がロマンティックな類型から逸脱しているというまさにその理由のために、オセローは、そのぶん容易にイアーゴーの見方を受け容れてしまう。つまり、現実の人物のかわりに(まこと、驚くべきことではあるが)、なじみ深い文学上の定型を受け容れてしまうのである。
このオセローを僕らはきっと笑えない。
なぜなら、僕らの日常的な思考はまさに、型を外れると思考停止になり、より一層、型ばかりを求めるようになるようなことの連続だからだ。
型を外れるリスクばかりを考え、創造的な思考ができないことはもちろん、現実を捻じ曲げてまで定型的な思考を続けようとする愚かさを日々犯してしまっている。それが愛する妻さえ殺してしまうような過ちにつながることさえあるということに気づかずに。
型通りにしか動くつもりがないなら、型通りでないことも起こりうる現実を直視できない。現実は本当はわからないことだらけなのに、いつもわかったつもりのことばかりに対処しているから、わからないことに出くわすと、ただただ「僕にはわからない」とつぶやき、いつものわかったつもりの安全圏に逃げる策ばかりを探そうとする。
それは決して、わからない対象をわかるようになる道筋ではない。
わからない対象を亡き者にして自分だけ平穏な状態へと逃げ込もうとするだけの臆病な行為である。そして、その臆病さによって、あまりに多くの可能性が殺される。
その問題に肉体と精神を与える
シェイクスピアが『ソネット集』で取り組んだのは、そうした過ちはいかにすれば回避することができるかという実践的な実験だった。シェイクスピアは、まさに過ちの要因である慣習的な形式をその形式そのものによって破壊し、その先に「肉体と精神を与える」ようと試みた。
恋愛をめぐる慣習もろもろの「皮相性」に取り組んだ『恋の骨折り損』とは異なり、シェイクスピアは『ソネット集』において、恋愛と文学の恋愛プロットが提起する心理的・文学的な問題、豊かな創作生活をつうじて幾度となく回帰することになる問題を実体化する……すなわち、その問題に肉体と精神を与える……ことに取り組んでいる。
基本的に、形式に逃げ込むのは、人間が自然のありのままを理解できないからである。
その自然には、自分たちの肉体や生そのものも含んでいる。あるいは死も。
そうしたものを理解の外に置くことは、ある意味では、人間であることのはじまりでもある。
『形象の力:合理的言語の無力』(書評記事)でエルネスト・グラッシは、”動物は自分の環境に生きる。自分の行動様式は自分が使用する意味指示に生れながらに規定されているのだ”と書き、”それに対し人間の方は〈世界未決〉である”と続ける。
ジョルジュ・バタイユは『エロティシズムの歴史』(書評記事)で”人間は労働によって自然を否定し、これを破壊して人工的な世界に変える”と言い、”動物的なものの取るさまざまな形態は、人間性という意義を帯びた、光に満ちた世界からは排除された”とも言っている。
このような人間による自然の排除は、もちろん、シェイクスピアの視野にも入っている。コリーは『アントニーとクレオパトラ』における西洋(ローマ)と東洋(エジプト)の対立に注目しながら、東洋の側の「過剰」や「豊穣」の先に自然のこんな側面を見出す。
熟れること、熟れすぎること。たしかにそれは肥沃さのイメージである。とりたけナイル河のイメジャリは、生命を与えること。豊饒、創造、そしてそれらの美質とともに、腐敗や腐っていくことも強調している。行為は人を腐敗させる。行為しないこともまた同じである。
腐敗は自然の一側面である。腐敗するからこそ、次の生命が生まれる。
バタイユもこう書く。
アリストテレスにとっても、土や水のなかで自然に形成される動物は、腐敗から生まれでたように見えていた。腐敗物の持つ生成力とは、もしかしたら、のり超えがたい嫌悪と、それがわれわれのうちに目覚めさせる魅惑とを、同時に表現する素朴な想念であるのかもしれない。だがこの想念こそ、人間は自然から作られたという考え方の基盤を成していることは、間違いない。あたかも、腐敗が、つまるところ、われわれが生れ出で、またそこに帰ってゆく世界を要約しており、その結果、羞恥……および嫌悪……が、死と誕生の両方に結びついているかのようである。
人間が否定したのは、こうした生と死がおのずとつながった自然である。そして、そうした自然とともにあった動物としての自分たちである。
しかし、動物的なものを排除することで、人間は自ら生きる世界を自らの手で(人工的に)作り上げるしかなくなった。自然のありのままを受け取り、自然に行動することは人間的ではない。そこには自らが作り上げた形式が欠かせない。
だから、コリーがいうように"探す気があれば、「形式」はどこにでも見つけられる"のだし、実は探す気がなくても気づかないだけで、どこもかしこも人工的な形式だらけなのだ。
だが、そうした形式の「皮相性」に無自覚に従うのであれば、単にそれは自然ではなく、自らがつくりだした人工の自然に従う人工の動物でしかない。つまり、それは機械的だ。
機械という動物であることに甘んじないためには、シェイクスピアが『ソネット集』で試みたように「その問題に肉体と精神を与える」ことも試みつづける必要がある。それは形式そのものを使って、形式の綻びを明らかにすることだ。
言葉は実体的な指示物から乖離して、無責任な行動を正当化する
西洋の文学の形式のひとつに牧歌様式がある。コリーは「牧歌劇の標準的な型」を次のように説明している。
追放や出奔の後、自然界で休息=再創造としての滞在をし、そしてついには、流謫の地から「本来の住処へと」帰還する、それも田園で同胞と情に触れることで道徳的な力を強められて帰還するという型
シェイクスピアでも『お気に召すまま』は、この牧歌の型を比較的踏襲したものであるが、『リア王』や『あらし』となると、その舞台がきわめて牧歌の典型的な「自然界」「田園」とかけ離れているから、一見、牧歌劇とは気づかない(「『あらし』には羊がまったくいないので、牧歌としてはいたく奇妙な例と見えるかもしれない」)。
しかし、『あらし』の主人公プロスペローは魔術師である。自然界と超自然的な世界を支配する技をもっている。しかも、追放された魔術師であり、最後には"「本来の住処へと」帰還する"魔術師でもある。追放された地で、自然界から力を得て、それにより帰還を果たすという点で紛れもなく牧歌劇であることをコリーは指摘する。
とすれば、これこそが、プロスペローの「人工=技(アート)」なのだ。その目的は、自然の効果を高め、人間の情、人間の結ぶ絆、人間の品格の比類ない成果を、それが稀少であるがゆえに際立たせることである。自らを錬磨した男女が、獣じみた生活を退ける一方、他方では社会や文明につきものの複雑さに偏在する道徳的誘惑をはねつけ、忍耐と才能をもってなしとげた業を際立たせることである。
自然と人工との関係は単純な二項対立ではない。獣は自然といっしょくたであるが、そこから脱した人工の世界に住む人間が自ら生み出した形式に囚われたままなら、それは人工の獣=機械でしかないことは先に述べたとおり。機械を脱しようとすれば、もう一度、プロスペローのように自然界、そして、超自然という未知と向き合い、そこに自らの新しい技=人工を生みだす必要がある。
あちこちに大きな穴が空いて、そこから意味がこぼれ落ちる
それをせず、人工という型を無批判に受け入れる機械となれば、待っているのは、シェイクスピアが描いたパラドックス満載の問題劇『トロイラスとクレシダ』の世界のように、すべてが無意味で滑稽なだけの皮相なものでしかなくなった状況でしかない。その状況ではすべてが意味のない言動を繰り返しながら終わりのない空回りをし続ける。
この劇は、事物、個性、価値に代わるものとして、ひと揃いの名前を我々に差し出してくる。劇中の修辞は節度なく跳ねあがり、互いにぶつかり合い、嘲弄と笑劇に堕し、あらゆるものを疑問に付す。恋愛と戦争の言語は、もてる力を限界以上に引き伸ばされ、あちこちに大きな穴が空いて、そこから意味がこぼれ落ちる。(中略)擬叙事詩の演劇版とも言えるこの劇では、君主の威厳はこけおどしでしかなく、言葉は実体的な指示物から乖離しており、無責任な行動を正当化するものとして用いられる。
もともとトロイ戦争という「世界が知るなかで最も偉大な文学伝統において称揚される価値観」を背景として持つ形で描かれた『トロイラスとクレシダ』は、そのあまりにも過剰に「お手本通りに、定石通りに、形式通りに生きている」姿の皮相な折重なりによって、あらゆる表現は無情にもパラドキシカルに意味を失い、長いあいだ、保持してきた権威や価値を消費しつくしてしまう。すべてが何も証明せず、何も指示しない状態がつくられる。
彼は、己れのありようを、あらかじめ定めている。クレシダもまた、己れのありようをあらかじめ定めている。すなわち彼女は、あらがいがたい伝統の力によって劇が始まる前から不実であると定められているうえ、浮薄きわまりない性格によっても不実である。二人は、そのありようにふさわしい話し方をする。トロイラスはくどくどしい物言いと常套句を好み、彼よりもアイロニーの感覚に恵まれているクレシダは、〈嘘つきのパラドックス〉の形式で自己を開陳するにいたる。クレシダと同様、〈嘘つきのパラドックス〉は、他人と自分をともに裏切る。
みずからをあらかじめ規定してしまうこと。それはみずからの存在を無意味な表面だけの人形にしてしまう。
だが、そうした人形はシェイクスピアの演劇の登場人物だけのことではない。
いまや、多くの人がみずからがなんらかの形式によって動かされていることに気づいていないばかりか、むしろ、積極的に形式に身を委ねようとする。形式から外れることをおそれ、みずからを考えない機械に、現実を捻じ曲げ、認めようとしない放蕩者や悪人へと仕立て上げてしまう。
「ソネットの物語において、嫉妬はまこと、愛の死を招くこともある。だが、それはせいぜい比喩的な死でしかない」とコリーは書く。
けれど、ソネット的な紋切り型に囚われたオセローは現実において、ソネットの型にこだわりすぎたゆえに、より残酷な結果を手繰り寄せてしまう。
本物の誤解、本物の嫉妬、本物の理不尽は、愛を衰えさせ消滅させる。日常生活において、恋愛がそのように終わるのは、たとえ二人が偉大な男女であろうとも、英雄的でないし、悲劇的であることもめったになく、ただ虚しくて悲しいだけだ。この劇では、ソネットの常套的な終わり方のひとつが示されている……比喩的な死がまさに脱比喩化されたかたちで。そう、愛は文字通り死んでしまう。
現実において紋切り型を生きるとき、比喩的なものは脱比喩化される。そこにはじめて、形式的ではないもの、文字通りの死があらわれる。
日常においても起きている大小様々な問題はおそらく、この手のものだろう。
問題はそうした脱比喩化された醜いもの、目を背けたくなるものに出くわしたときに、またしても比喩の世界、形式の世界に逃げ込むことなく、目の前の醜いもの、目を背けたくなるものに正対することができるかどうかだ。
そんなことをこの本は思い出させてくれる。
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バラバラに切り刻みこまれた言説が意味が空っぽの器をつくる
物事を総合的な視点で見ようとせず、ディテールばかりを見て論じてしまうがゆえに、議論が空虚なものになることは少なくない。議論されている全体を理解できないがゆえ、自分で見えている断片だけを取り上げて、そこだけから全体の評価を行おうとしたりする会話が多くなればなるほど、議論は無意味なほうに進む。複数人の議論だけではなく、個人の思考においても、全体を見ずに、断片的に切り取った部分の集積だけで云々すると、訳のわからない妄想が生まれがちだ。もちろん、それをあえて文脈を外してスペキュラティ..
思考
HIROKI tanahashi
2017-12-02T23:38:03+09:00
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物事を総合的な視点で見ようとせず、ディテールばかりを見て論じてしまうがゆえに、議論が空虚なものになることは少なくない。議論されている全体を理解できないがゆえ、自分で見えている断片だけを取り上げて、そこだけから全体の評価を行おうとしたりする会話が多くなればなるほど、議論は無意味なほうに進む。
複数人の議論だけではなく、個人の思考においても、全体を見ずに、断片的に切り取った部分の集積だけで云々すると、訳のわからない妄想が生まれがちだ。もちろん、それをあえて文脈を外してスペキュラティブな問いを生み出そうとしているなどの意思があれば全然別の話なのであるが。
そんなことをロザリー・L・コリーの『シェイクスピアの生ける芸術』のこんな記述を読みながら思いだした。
文脈から切り離すことは、文脈を消滅させることと同じく、秩序正しい真実あれこれを壊すのに有効である。
これは、シェイクスピアの『トロイラスとクレシダ』を評した一節で、「トロイラスにとって、クレシダはその両方をなしたのである」と続く。
『トロイラスとクレシダ』はトロイ戦争末期を描いた劇で、トロイの王のトロイラスは自分の恋人だと信じていたクレシダが、敵であるギリシャの将軍ダイオミーディーズの元に走ったことで、恋愛の文脈においても、戦争の文脈においても、その事実を認めることができず「これはクレシダであり、クレシダではない」と口走ったあと、「女の忠節のかえらが、愛情の残飯が、大盤振舞いした誓言の、はんぱ物、屑、細切れ、脂っこいお余りが、ダイオミーディーズのものになったのだ」という台詞で切り刻んで断片化する様を指しての評である。
クレシダは恋愛と戦争の両方でトロイラスの信じていた文脈を外れて彼を混乱させたのであり、秩序正しい真実とは何かを完全に見失わせたのである。
対象をバラバラに切り刻んで、元の文脈から切り離してみることは既存の解釈をいったんなかったものにして、別の解釈を生み出すのには有効だ。つまり、それはリフレーミングによるアイデア出しの方法として認識した上で行うのであれば、意味もある。
トロイラスに起こったことはまさにリフレーミングである、もちろん、彼が望んだものではなかったのだけれど。
だから、彼は言ったのだ、「これはクレシダであり、クレシダではない」と。
断片化しようとする情熱のネガティブさ
断片化によるリフレーミングは、その技法の意味を理解してはじめて有益である。ただただ切り刻んで、文脈を無効化したのでは、トロイラスが経験したような破滅が残るだけだ。
物事を断片的にしかとらえず、そのバラバラの断片からネガティヴに思考してナンセンスな解を導く人が少なくない。
日常においては、多くの場合、技法としての断片化の意味は理解されないまま、そもそも全体感が把握できないと理由だけで、断片化が行われてしまう。そして、かろうじて理解可能な部分だけをとりあげ、全体のわからなさを不問にするか、わかりにくさ自体だけを批判する方向に思考してことが横行しているのでタチが悪い。
もちろん、全体なんてものはないのだから、どこまで把握していればよいのかという疑問は残る。
けれど、その疑問を維持しながら、常により大きな文脈を意識しながら思考することに意味があるのであって、とりあえず、自分が理解できることだけを取り上げ、あたかも全体を批判するような態度をするネガティブな発想ばかりが出回っているのは、ちょっと考えものだ。
だが、往々にして起こるのは、わからないことを理解することへのあまりに早すぎる諦めと、それでも、自分の尊厳を維持しようとしてか、わからないことがあることへの不安をわかっている断片だけ取り上げ、すべてを破滅させようかとするように否定的な言動に走るしか、とるべきアクションを知らない人が少なからずいることである。
シェイクスピアは『オセロー』でも断片化する思考を悲劇と結びつけている。
ロバート・ハイルマンらは、オセローの壮麗な言語が放埓で激烈で断片的で悪意ある言語−イアーゴーが好んで用いる統語法や語彙とますます似通ってくるような言語−に堕していくさまを考察している。興味深いことに、このように堕落してさえも、文学的な恋愛の慣習の痕跡をうかがえるのである。オセローはデズデモーナを全人格的に捉えるのをやめてしまう。ふしだらな女に見えてくるにつれて、彼女は断片としてしか認識されなくなる−そして、それよりはるかに重要なことであるが、オセローは情熱のあまり彼女を八つ裂きにしてやりたいと思うのである。
「知識をもたない初心(うぶ)な者は機械的な形式にエモーションを操作される、恋愛においてさえも」でも取り上げたが、『オセロー』の主人公、オセローは恋愛に初心で、恋愛に関するノウハウがなさすぎるがゆえに、あくどいイアーゴーの嘘に騙されて、愛するデズデモーナが自分を裏切ったと信じてしまい、彼女の行動の断片に疑惑を抱き、結局、彼女を自分の手で殺してしまう。
断片のあやしさだけをみて、文脈すべてを理解できないがゆえの、誤読が生じ、そして、自ら、愛するものとの物語に悲劇的な末路を選びとってしまう。なんという非生産的なリフレーミングだろう。
言葉が世界を無意味へと解体する、それがどんな強固なものであっても
オセローはイアーゴーに言われるがまま、愛するデズデモーナの言動の断片を間違った文脈で捉えて、ありもしない彼女の浮気という物語をつくりだし、自ら破滅の道へと進んでいくのだが、現代の日常でもよく起こっているのもこれと同じだろう、と思う。
無知ゆえに部分だけを妙に捻じ曲げてネガティブにとり、そこで勝手なリスクをつくりだしてしまう。そんなことがよく起こっていないだろうか。いや、そんな他人事な話ではなく、自らのネガティブで、怠惰な思考で、自分自身の、そして、まわりの可能性をつぶしてばかりはいないかということだ。
話の流れがよくわからないからといって、断片だけ抜き取って、おかしな物語を勝手に仕立て上げてしまう。
その結果、生じるのは、意味をなくすパラドキシカルな状況だけだというのに、なぜ創造性が求められる仕事の場でも、そういう創造性と真逆の破滅型の思考の形ばかりが生じえるのかと感じることは少なくない。
さて、もう一度、コリーによる『トロイラスとクレシダ』評に戻ると、コリーはこの劇全体がパラドックスのかたまりで、「世界が知るなかで最も偉大な文学伝統において称揚されている価値観ですら解体できる」ことを示した作品であると書いている。
パラドキシカルな様式に連動しているのが、事物、主題、人物を断片化したり微細化したりすることによって、慣習的な形姿や慣習的な文脈を破壊し、価値を測る通常の物差しを役立たずにすることである。(中略)そしてしまいに、同語反復への容赦ない還元が(痴愚神の痴愚礼讃と比較せよ)、断片化がなすよりもさらに激しく文脈を無効化する。だから、規範的な型が肯定されるにしても、それが文法的にも論理的にもいかにも馬鹿げたかたちで肯定されるので、それが愚かしいものであるとたちどころにわかるのである。規範的な型が失われることによって、期待が挫かれ、ついには期待そのものが消え失せ、なんであれ、物事を判断することが不可能になる。
断片化、そして、考えなしの同語反復。それらがあらゆる語りを無意味化する働きをする。
議論や提案、説明やプレゼンテーション。そうしたものが何かを語り、何かを綴っているはずなのに空っぽの器のような様子を示すのは、そんなときだろう。
バラバラに切り刻みこまれた言説が意味が空っぽの器をつくってしまう
それが『トロイラスとクレシダ』のようなスペキュラティブに言葉の扱い方自体を問うスペキュラティブな作品であれば、その批評的な問い自体が意味をなす。
けれど、ビジネスの現場などの日常的なシーンにおいて、この意味を無意味化する断片化や同語反復が横行してしまうような議論、プレゼンテーション、ドキュメンテーションは、まさに「期待が挫かれ、ついには期待そのものが消え失せ、なんであれ、物事を判断することが不可能になる」という意味で本来避けたいものであるはずだ。
しかし、実際にはオセローのように、まわりの人やメディアが吹き込むネガティブな情報だったりを自分の漠とした不安に重ねて、現実の事案に関わる全体をみずからの思考で統合的に理解しようとする努力を怠って間違った選択ばかりをしてしまうことは少なくない。
単に「思考停止」といった表現では言い表しきれないほどの怠惰さ。
コリーは別の著書『パラドクシア・エピデミカ』で、パラドックスについて、こんな風にも書いている。
パラドックスは「思考」と「言語」の間の、「思考」と「感情」の間の、「論理」と「修辞」の間の、「論理」「修辞」と「詩学」の間の、そしてこれら全てと「経験」との間の区別を拒否するために存在する。
つまりは、これら人間が思考し行動する際の判断の糧になるものがいつでも曖昧模糊なものにできることを示すのが、パラドックスの技法であるということであって、もしそれと同じことを訳も分からないまま、日常使いしてたら、意味のある会話や行動ができるはずはないということを示している。
なのに、実際、ろくに考えないままに起こってしまっている自体というのはこういうことなのだ。
何が「思考」で何が「言語」であり、何が自分の「感情」なのか誰かの「言葉」なのか、そして、何が実際の「経験」なのかさえわからないまま、それをわかろうともせずに、ただただ否定的な修辞を並べて、あらゆる可能性を破滅に追いやってしまう。そんな思考や言動ばかりがはびこってしまっている。
何かを理解するというのは本当にむずかしい。
だからこそ、そのむずかしさを避けて、断片だけで間違った選択をしてしまったりすることが起きがちなのだろう。
けれど、むずかしいからといって、考えることをやめる必要はない。理解しようとする努力をやめる必要はない。
やめたら、それこそ、言葉の罠にはまってしまうのだから。
言葉は現実をあらわしてはいない。だからこそ、現実を言葉にしつづける必要がある。たとえ、どうやっても現実を言葉で写しきるのは無理だとしても、それでも現実が言葉の断片に堕してしまわないように、言葉をつないで全体を描こうとする姿勢をとり続ける必要があうのではないかと思う。
シェイクスピアはこの劇において、言葉がはらむ危険を、言葉が「うわべだけのもの」に堕し、真の応答や献身に自動的に取って替わる危険を、そして言葉の幻惑的な大言壮語に潜む危険を、我々に示している-言葉が彼の生活の資であり人生だから、たじろぐことなく。パラドクシーからわかるように、言葉とは、操りようで何でもさせることができるものだ-これこそが、プラトンがパラドクシーの名手たるソフィストたちを難詰した原因である。
言葉がはらむ危険。言葉が「うわべだけのもの」に堕し、真の応答や献身に自動的に取って替わる危険。言葉の幻惑的な大言壮語に潜む危険。
「集団を動かすもの - システム、コンセプト、非知的なもの」で、言葉が人を動かすものであることを書いたが、それは人が言葉を理解するからという意味であった。けれど、言葉は人が無理解である場合にも悪い意味で人を動かす。そう。文脈を無視して自動的に動くという形で。
バラバラに切り刻みこまれた言説が意味が空っぽの器をつくってしまう。
この危険を避けようとすれば言葉に対してちゃんと向き合い、ひたすら言葉を紡ぎ続けるしかない。
そう。シェイクスピアがそうしたように。
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「いき」の構造/九鬼周造
訳あって九鬼周造の『「いき」の構造』を読み返した。本というものは面白いもので、どんなタイミングで読むかによって印象が大きく変わる。今回はひとつ前で紹介したジョルジュ・バタイユの『エロティシズムの歴史』や『内的体験』、あるいは、シェイクスピアの『オセロー』や『アントニーとクレオパトラ』などを読んだばかりだったこともあって、ヨーロッパと日本における恋愛観や性の問題の捉え方、あるいは、自然観(人工観)の違いについて考えることができたように思う。この本のテーマは、江戸期に生まれた日本..
本
HIROKI tanahashi
2017-11-29T23:33:17+09:00
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訳あって九鬼周造の『「いき」の構造』を読み返した。
本というものは面白いもので、どんなタイミングで読むかによって印象が大きく変わる。
今回はひとつ前で紹介したジョルジュ・バタイユの『エロティシズムの歴史』や『内的体験』、あるいは、シェイクスピアの『オセロー』や『アントニーとクレオパトラ』などを読んだばかりだったこともあって、ヨーロッパと日本における恋愛観や性の問題の捉え方、あるいは、自然観(人工観)の違いについて考えることができたように思う。
この本のテーマは、江戸期に生まれた日本人の美意識である「いき(意気)」であり、著者はそれを日本独特の美意識として捉え、哲学的な分析を行っている。
結論からいえば、著者は「いき」をこう定義している。
運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。
ようは男女の間(まあ、人によっては同性間のこともある)での「媚態」に関するひとつの姿勢に関する美意識が「いき」だというわけだ。つまり、エロティシズムに関するものといってよい。
これまた、結論からいえば、上の引用で「諦め」とあるように、このエロティシズムは結局、男女間の交わりという観点からいえば、すんでのところで目的を果たさずに足踏みをする。目的を果たすのは、むしろ、いきとは反対の野暮であるという美意識だ。
ひとつ前の「エロティシズムの歴史:呪われた部分 普遍経済論の試み 第2巻/ジョルジュ・バタイユ」で紹介したように、バタイユはエロティシズムを獣的な性行為の禁止がエロティシズムを誘発する条件であると考えたが、性行為そのものから距離を置く点では、九鬼が分析した日本における「いき」と、バタイユが分析した「エロティシズム」には共通点がある。
けれど、似たことろはあっても、やはり九鬼がいうように「いき」はエロティシズムとは異なる日本独特の美意識であるように思う。
「武士は食わねど高楊枝」の媚態版
バタイユが言うように、西洋のエロティシズムの根元に「禁止」があるのだとすれば、日本の媚態には「諦め」がともなうことで「いき」となる。
「粋な浮世を恋ゆえに野暮にくらすも心から」というときも、恋の現実的必然性と、「いき」の超越的可能性との対峙が明示されている。
恋は成就することを願うが、現実となったら野暮だというのが江戸の人々の考えだったようだ。恋の成就の可能性を「諦め」とともに超越するところに「いき」はあるという。
これは日本の文化にあった仏教的精神性、色即是空や諸行無常というように、自然を、世界を、すべて無常なもの、非-全体的なものとして諦めるところからくるのだという。それが「武士は食わねど高楊枝」だとか「宵越しの銭は持たぬ」といった江戸の精神性とあいまって「いき」の背景をなす。
「いき」には、「江戸の意気張り」「辰巳の俠骨」がなければならない。「いなせ」「いさみ」「伝法」などに共通な犯すべかざる気品・気格がなければならない。「野暮は垣根の外がまへ、三千桜の色競べ、意気地くらべや張競べ」というように「いき」は媚態でありながらなお異性に対して一種の反抗を示す強みをもった意識である。
九鬼周造/『「いき」の構造』
というわけで、媚態でありながら、対象となる異性に対して、完全には接近しきらない反抗心をあわせもつのだという。
「媚態の要は、距離を出来得る限り接近せしめつつ、距離の差が極限に達せざることである」というわけで、まさに「武士は食わねど高楊枝」の媚態版である。
西洋と日本の自然観の違い
この「いき」の感覚は、まさに日本人の自然観を反映しているように思う。諸行無常な自然を受け入れ、西洋のように永遠を望んだ石の建築を築き上げるのではなく、時とともに朽ち果て、やがて自然にかえっていく木と紙の家屋をつくる日本だからこそのエロティシズム。
1人の絶対的な手の届かぬ神という形の背後に近寄りがたい自然への畏怖を隠してしまい、それでいてカーニヴァルなどでは神への冒涜を通じてエロティシズムを解放する西洋に対し、八百万の神という親しみやすい日常的な神=自然とともに、里山という自然と人工が混ざり合ったような社会で、複式夢幻能のようにあの世とこの世が簡単に混ざり合うような演劇の果てに、「いき」を体現するひとつの芸としての歌舞伎などを生む日本の「いき」な媚態。
自然に対して完璧なまでに距離をとり、自然と人工という二項対立の罠にみずからかかったまま、現代の社会を築き上げてきた西洋的なものに対して、どこまでも自然と人工との差をあいまいにしたまま、本質的には過去からのつながりを断ち切れずに、いつまでも人工の技に自然の力を沁み渡らせたまま、ここまで来た日本の姿勢の違いがなんとなく、バタイユのいうエロティシズムと、九鬼周造のいう「いき」の違いにあらわれているように感じる。
そうして異性間の尋常ならざる交渉は媚態の皆無を前提としては成立を想像することができない。すなわち「いきな事」の必然的制約は何らかの意味の媚態である。しからば媚態とは何であるか。媚態とは、一元的の自己が自己に対して異性を措定し、自己と異性との間に可能的関係を構成する二元的態度である。そうして「いき」のうちに見られる「なまめかしさ」「つやっぽさ」「色気」などは、すべてこの二元的可能性を基礎とする緊張にほかならない。いわゆる「上品」はこの二元性の欠乏を示している。
自然を完全に切り離し、自己という一元性に過度に固執するから苦しくなったのがいまの西洋的発展ではないだろうか。
それに比べて自身と他者としての自然とのあいだに常に付かず離れずの色っぽい距離を保ちながら、しっぽりやってきた二元的な日本。
そんな日本的なあり方が、いまの微生物学などの観点からあらためて自然と人間の境のあいまいさが問われてる時代に求められる姿勢であるようにも思う。
「いき」は恋の束縛に超越した自由なる浮気心。はて、いまの日本にも残ってる?
ただし、その日本的なものの発見も、この九鬼周造の「いき」を理解しただけではなしえなくて、やはり、あの強烈なバタイユのエロティシズム観との対比ではじめて見えてくるものだろう。
人間とは、自然を否定する動物である。人間は労働によって自然を否定し、これを破壊して人工的な世界に変える。人間が自然を否定するのは、生の創造的活動の側面においてであり、また、死の側面においてである。近親婚の禁止とは、人間になりつつある動物が自己の獣的な条件に対し抱いた嘔吐感の結果のひとつである。動物的なものの取るさまざまな形態は、人間性という意義を帯びた、光に満ちた世界からは排除された。
「継続された有限性」を継続する放浪者、「悪い無限性」を喜ぶ悪性者、「無窮に」追跡して仆れないアキレウス、この種の人間だけが本当の媚態を知っているのである。そうして、かような媚態が「いき」の基調たる「色っぽさ」を規定している。
自然の全面的な否定する西洋と、自然とも付かず離れずの付き合いができる日本。
それ故に、「いき」は媚態の「粋」である。「いき」は安価なる現実の提立を無視し、実生活に大胆なる括弧を施し、超然として中和の空気を吸いながら、無目的なまた無関心な自律的遊戯をしている。一言にしていえば、媚態のための媚態である。恋の真剣と妄執とは、その現実性とその非可能性によって「いき」の存在に悖る。「いき」は恋の束縛に超越した自由なる浮気心でなければならぬ。
さて、野暮な浮気の話題が尽きぬ、いまの日本に「恋の束縛に超越した自由なる浮気心」としての「いき」がはたして残っているかどうかはあやしいところだ。
武士は食わねど高楊枝ができるかどうか。
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エロティシズムの歴史:呪われた部分 普遍経済論の試み 第2巻/ジョルジュ・バタイユ
以前に紹介した本、『形象の力』の冒頭、エルネスト・グラッシはこんな謎めいた言葉を綴っている。人間であるぼくは火によって原生林の不気味さを破壊し、人間の場所を作り出すが、それは人間の実現した超越を享け合うゆえに、根源的に神聖な場所となる。これをぼくに許したのは、自然自身であり、ぼくは精神の、知の奇蹟の前に佇んでいるのだ。自然がぼくを欺瞞的に釈放し、ぼくは自然から身を遠ざけ、ぼくは想像もできない距離を闊歩し、歴史がぼくを介して自然を突っ切り始め、ふいにぼくは気がつくのである、目に..
本
HIROKI tanahashi
2017-11-19T19:29:03+09:00
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以前に紹介した本、『形象の力』の冒頭、エルネスト・グラッシはこんな謎めいた言葉を綴っている。
人間であるぼくは火によって原生林の不気味さを破壊し、人間の場所を作り出すが、それは人間の実現した超越を享け合うゆえに、根源的に神聖な場所となる。これをぼくに許したのは、自然自身であり、ぼくは精神の、知の奇蹟の前に佇んでいるのだ。自然がぼくを欺瞞的に釈放し、ぼくは自然から身を遠ざけ、ぼくは想像もできない距離を闊歩し、歴史がぼくを介して自然を突っ切り始め、ふいにぼくは気がつくのである、目に見えないほどの一本の糸でいかに自然がぼくをつないでいることか。
ここで綴られていることは、今回、紹介する『エロティシズムの歴史』でジョルジュ・バタイユが「人間とは、自然を否定する動物である」というのと同じだ。
しかし、人間がどんなに自然を否定しようと、グラッシも気づいているように「目に見えないほどの一本の糸でいかに自然がぼくをつないでいる」。
そして、人間が一度は切り捨て、闇に葬り去ったはずの、自然との紐帯が何度も人間のもとに闇のなかから回帰してくるからこそ、本書の主題であるエロティシズムも成立する。
エロティシズムとは一言でいえば、自然あるいは獣性と見えないほどの糸でつながっていることに気づいた人間の拒絶と欲望の入り混じった両義的な有り様だといえるだろう。
闇に葬られた3つのもの
原始的な時代からすでに、人間が禁止をし、自分たちの社会から日常から遠ざけ、夜の闇のなかに隠していたものが3つある。
それが性行為であり、排泄行為であり、もう1つが死である。
禁止の対象となる自然領域とは、性と汚物の領域にとどまるものではなく、死の領域をも包含する。
(中略)
排泄物や近親婚や経血や猥褻を対象とする禁止と同じく、屍体や殺人に向けられる禁止は、たえず広い範囲で観察されてきた。
これらはいずれもドロドロと不定形であるが、その粘着性のある感触、臭いをともなう発酵性の存在こそ、自然の本来の姿にほかならない。
「臭いに関して動物は不快感を示さない」。人間だけが悪臭を嫌う。性に関しても同様で、動物は人間のようには裸体に欲望を燃え上がらせたりしない。死に関しても同様で、バタイユは『内的体験』でも「死は人間を動物性へと投げ返すけれども、動物は死を知らない」と書いている。
つまり、それらの自然を嫌悪し、それを自らの社会から排除するのは動物にとって当たり前の行為なのではなく、人間だけが行うきわめて人間的な行いなのだ。それら3つを自分たちの側から遠ざけ、闇に葬ること自体が人間化そのものだと考えてよい。
人間は労働によって自然を否定し、これを破壊して人工的な世界に変える。人間が自然を否定するのは、生の創造的活動の側面においてであり、また、死の側面においてである。近親婚の禁止とは、人間になりつつある動物が自己の獣的な条件に対し抱いた嘔吐感の結果のひとつである。動物的なものの取るさまざまな形態は、人間性という意義を帯びた、光に満ちた世界からは排除された。
動物性を遠ざけることで、人間は動物と自然とのあいだにあったつながりを失い、自らあらためて世界の意味を自分たち自身でつくりあげなくてはいけない動物となった。
それがグラッシが『形象の力』で指摘していることにほかならない。
動物は自分の環境に生きる。自分の行動様式は自分が使用する意味指示に生れながらに規定されているのだ。〈自分を形成する〉のは、動物には該当しない。それに対し人間の方は〈世界未決〉である、あるいは-別のまとめ方をすると-世界を持たない。人間は自らを〈形成〉しなければならないのだ。
「人間は労働によって自然を否定」する。この人間がする労働こそが人間が「自らを〈形成〉」する活動にほかならないだろう。人間は自らの意味を自らの労働によって作りあげ続けている。そこに自然なものは何もない。すべてが人工の世界なのだ。
禁止したものの回帰
「ふいにぼくは気がつくのである、目に見えないほどの一本の糸でいかに自然がぼくをつないでいることか」。
グラッシ=ぼくが気づくように、人間はつねに性や汚物、死を暗い夜の闇のなかに遠ざけようと、決して自然からは逃げきれない。
禁止したものが再び浮かび上がってくるとき、人間は獣に回帰してしまうのではなく、きわめて人間化された仕方で禁止に対処する。そのひとつが怖れの対象を聖化することであり、その近接しえないものとして聖化された対象を侵犯しようと欲望することである。
実際、われわれがやがて見るとおり、エロティシズムが形成されるためには、怖れと魅惑との交互作用、否定とそれに続く肯定という交互作用が起こるということが、論理的に当然なものとして含まれているのである。そういう肯定は、それが人間的であり(エロティシズムであり)、ただ単に性欲的でなく、動物的でないという点で、直接=無媒介的な前者(すなわち否定)とは異なっている。
禁止され近接不可能なものとして捉えることで、否定的な侵犯は可能となり、それ自体が欲望の対象となる。
そのエロティシズムな欲望から生じる活動は、通常の労働のような生産性とは異なる活動となる。
労働が獲得のためのものであるとすれば、エロティシズムな活動はただただ蕩尽する活動である。
しかしながら愛がふたりの愛人たちを結び合うのはただ蕩尽するためだけなのであり、快楽から快楽へと、歓喜から歓喜へと進んでいくためだけなのである。彼らの共同体は消尽の共同体なのであって、獲得の共同体である国家とは正反対なのである。
この蕩尽の活動を社会のなかにしっかりと保持していたのが、贈与社会におけるポトラッチのような風習であり、中世〜ルネサンス初期まではみられた祝祭である。
祝祭的な侵犯
これも以前に紹介した本だが、『シェイクスピア・カーニヴァル』でヤン・コットはこう書いている。
農人祭から中世、ルネサンスのカーニヴァルや祝祭まで通して、人間精神の高尚英邁な性質は片はしから-バフチーンが説得力豊かに示してくれたように-(特に排泄、放尿、性交、出山といった「下層原理」に力点が置かれた)肉体的諸機能に取って代わられる。カーニヴァル的知においてはそれらこそが生命力の精髄である。生命の持続を保証してくれるものだからだ。
ヤン・コット『シェイクスピア・カーニヴァル』
排泄、放尿、性交といった人間が原初に闇へと葬った獣的で肉体的な諸機能が回帰してくるのがさまざまな祝祭である。
この祝祭の場においては、通常の社会における価値が転倒される。価値のあるものを生むための労働は、破壊的に価値を蕩尽・浪費する活動に座を奪われ、生活の必需品である財に代わって、ただただ浪費されるための財が場を彩ることになる。
例えば、バタイユはレヴィ=ストロースの紹介するシャンパンの例を挙げる。
というのもそうした財は祝祭という性質をおびており、その財がその場にあるということだけでもう他と異なる時間を、つまりありふれたどうでもよい時間とはまったく異なった時間なのだということを提示するからである。そしてそもそもそういう財は、ある深い期待に応えるために、まさしく無際限になみなみとつがれ、溢れるべきであり、また当然溢れるはずだからである。
溢れて、消尽されるための財としてのシャンパン。
このシャンパン同様、エロティシズムとつながる性行為は生殖行為とはかけ離れている。それは獲得のためではなく、蕩尽のためのものだといえる。
人間自らが、自分たちのためにつくりあげた価値を消尽しつくすための活動としての祝祭、そんな祝祭の色を帯びたエロティシズムが帰結するところは、マルキ・ド・サドが描き出した世界にほかならない。
つまり、エロティシズムには攻撃的な憎悪の運動があり、裏切りの運動がある。(中略)この点に関して、サドのシステムはエロティックな活動の首尾一貫した形態であるに過ぎず、それも最も贅沢な形態である、モラルに関する意味で孤絶していることは、さまざまな制度の拘束から解除されることを意味するのであり、そもそもそれこそが消尽の意味を与える。
サディスティックなエロティシズムは、意味のあるものを無慈悲に消尽しつくすことで、他者の意味、そして、自分自身の意味から、自分を他者を解放する。
それはいかなる既知からも身を引き離そうとする非知のためのバタイユの内的体験と重なる(前回の記事「征服され、欲望を感じて〈私〉は融解する」を参照)。
機械的な獣
だからこそ、生殖行為から離れていながら社会的に手名付けられた現代における性欲ほど、この本でバタイユが説明するエロティシズムから遠いものはない。
AVをはじめとする性的産業によってきちんと教育されきった性欲は、ひとつ前の記事「征服され、欲望を感じて〈私〉は融解する」で言及したルーティンから外れると思考停止になることと同じ類のものである。
それは考えがないという意味では獣的ではあるが、自然からも切り離されているという意味では機械的な獣ではないか。
バタイユはこの本の意図をこう説明している。
「普遍経済論」の第2巻である本書が追求しようとしてるものがなにであるかというと、それは人間たちの活動を、自らの諸資源の無益な消尽という目的以外の他の諸目的へと服従させるようなさまざまなイデーを全般的に批判することである。
「自らの諸資源の無益な消尽という目的以外の他の諸目的へと服従させるようなさまざまなイデー」。これこそが人間を機械的な獣にして、獲得ばかりを企図した労働の奴隷へと陥れるイデーにほかならない。
留保なしに自己を喪失する欲望
その反対に、バタイユは「自らの諸資源の無益な消尽」を目的とした活動の重要性を置く。
有益と思われる知を破壊すること、いつも使っているやり方を疑い捨て去ること、知っているつもりから自らを解放し、安易に知ってる状態に満たされることを断固拒否すること。そうした否定にこそ、次のものの生成はある。そんな性や排泄、死がもつ生成の側面にこそ、バタイユは目を向ける。
死とは間違いなく世界の青春である。われわれにそれがわからないのは、わかろうとしないのは、次のようなかなり悲しい理由による-われわれは若々しい感受性をも持ち合わせているかもしれないが、それで知性がいっそう目覚めることはない。そうでなければ、死が、死だけが、たえず生の若返りを保証するという事実を、どうして知らずにいられようか。
いまあるものを消尽しない限り、若返りは果たせない。ルーティンを破壊しない限り、新たな活動はなしえない。それは知に関することでも同様であるからこそ、バタイユはあらゆる知を、機械的で人工的な知の体系を破壊しようとする。そうした機械的で人工的な知によって形作られた、ありもしない〈私〉というものを捨て去るよう、僕らに警告する。
〈私〉を捨てるためには、外部との交流が必要だ。外から征服され、〈私〉を外のものとのあいだに融解させていく。もちろん、そのとき、外から来たものも元の姿を保ってはいない。それが交流であり、バタイユがこの本で取り上げた贈与社会における交換であろう。
そして、何よりそれはエロティシズムの領域で生じることにほかならない。
2つの世界の間のこれほどに際立った差異を感知させるのに、エロティックな生の領域ほど好個の実例はない。そこでは、対象が主体と別の次元に位置することは稀れであるから。官能的欲望の対象となるのは、本質からして、もうひとつの欲望である。官能の欲望とは、自己破壊とは言わぬまでも、少なくとも燃焼する欲望、そして留保なしに自己を喪失する欲望である。
自己破壊の欲望、留保なしに自己を喪失する欲望。
自己というものの死からしか、自己の若返りは計れない。それなのに、凝り固まった思考を積極的に破壊せずに、その場に安住することに満足してしまうのは、いったいどういうつもりなのだろうか。
なぜ、もっと積極的にルーティンを離れ、自らを消失させる不安の闇のなかへと自らを融解させようとしないのだろうか?
そんな虚しい思いにつぶされそうな気持ちになるとき、バタイユの放つ言葉は普通とは逆の意味で心を生かしてくれる気がする。
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http://gitanez.seesaa.net/article/454974550.html
征服され、欲望を感じて〈私〉は融解する
難解で重苦しく、絶望的な暗さを響かせもする言葉に最近は惹かれたりする。あまりに明快で、わかりやすく、それゆえに何も告げていない言葉はむしろ不快すぎて目障りだ。明るく明解で合理的すぎる思考に魅力を感じないのは普段から変わらないが、それにしても、ここ1ヶ月くらいは普段にも増して、ドロドロとした粘着性をもった腐敗したような思考の外に遺棄されたようなものに臭いに引き寄せられる傾向がある。企図されたもの。明らかすぎる知識。わかりやすさについては、元よりまったく魅力を感じないし、かねてか..
思考
HIROKI tanahashi
2017-11-19T01:14:10+09:00
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難解で重苦しく、絶望的な暗さを響かせもする言葉に最近は惹かれたりする。
あまりに明快で、わかりやすく、それゆえに何も告げていない言葉はむしろ不快すぎて目障りだ。
明るく明解で合理的すぎる思考に魅力を感じないのは普段から変わらないが、それにしても、ここ1ヶ月くらいは普段にも増して、ドロドロとした粘着性をもった腐敗したような思考の外に遺棄されたようなものに臭いに引き寄せられる傾向がある。
企図されたもの。明らかすぎる知識。
わかりやすさについては、元よりまったく魅力を感じないし、かねてから社会の毒だと思っている。
それは単に人を惑わし奴隷にする手枷足枷でしかない。そんなものを喜んで自ら引き受けようとする人たちの気が知れない。
「決断とは、最悪のものを前にして生ずるもの、超克するものの謂だ。それは勇気の核心だ。そしてそれは企ての反対物だ」とバタイユはいう。企てという明るすぎる道のみを安全に進もうとする意思。いったい、それのどこが面白いのか。一度も決断することなく、歩まずともすでにわかっている結末に向かって、なにも考えないまま進んでいく。心をドキドキさせる不安はそこにはただの1ミリもない。
バタイユは、そんな企てに、内的体験なるものを対置する。
「内的体験は行為の反対物であって、それ以上のものでもないのだ。「行為」は完全に企ての支配下にある」と。
私はどのようにしても逃げることはできず、限りない全面的衰弱のなかに投げ込まれ、私自身へと投げ捨てられ、いや、もっと悪い、私は空虚で、無関心であるだろう。だが内的体験は征服行為であり、そして、征服行為として、他者のためのものなのだ! この体験においては主体は錯乱し、客体のなかにおのれを滅ぼす。そして客体自体もまた消滅するのである。
逃げることのできない征服行為。征服行為である内的体験のなかで私は錯乱し、征服してくるドロドロとした腐敗的な得体の知れない他者のなかに崩れ、融解する。それが最初から決まったゴールに何の危険も犯さずに進む企てとは正反対なのは明らかだ。
けれど、この腐敗に征服され、自らを投げ捨てる勇気をもった内的体験への衰弱した意思こそが、実のところ、生きた心地を感じさせる唯一のもののような気がしている。
非蓋然性の昏い夜
「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し」とうたったのは他でもない空海だが、バタイユもまた生のはじまりに非蓋然性を見、生の終わりの死には近接不能性をみる。
死は人間を動物性へと投げ返すけれども、動物は死を知らない。理性の化身たる理想的人間は死に対して無縁のままだ。神の動物性は神の本性に本来的なものである。同時に汚くて、(悪臭を放って)、また聖なるものである。
生まれる前も、死んでいくときも、僕らは蓋然性=わかりやすさから遠く離れた昏い夜のなかから来て、そこへと消えていく。けれど、そんな昏い夜は、生きている間も決して僕らとは無縁ではないはずだ。それはいつでも僕らを征服しようと、僕らの傍にある。僕らはただ何も考えないようにして、わかりやすいルーティンの奴隷になることで、そんな自然のもつ真っ暗な闇を見て見ぬ振りをしている。
僕らは忘れているが、生まれてくる前の僕らはドロドロの何かから生じるし、死した僕らもまた放っておけば蛆がわいてドロドロに溶けていく。
だからこそ、原始的な人々は死を怖れ、死を自分たちの生活の外へと追い払おうとした。それが禁忌であろう。
とにかく、死の「否定」は、原始人の複合的感情のなかに与えられている。単に生滅への怖れに見合う形で与えられているばかりか、生命の普遍的発酵のなかにぞっとするような兆候を見せている自然力へと、死がわれわれを連れ戻すかぎりにおいても、与えられているのである。
発酵というドロドロした自然的なものへの回帰。それは自然から離れることで獲得した人間性を喪失することでもある。
ドロドロした腐敗は、人間性とは距離を置いたところにある。
だからこそ、それは「同時に汚くて、(悪臭を放って)、また聖なるもの」としての神性ををもつ。
恍惚は、均衡喪失から生まれる
神性をもつからこそ、その昏い夜の闇はその神性を犯そうとする誘惑を人間に与えもする。
エロティシズムの根源はそこにある。それは決して動物的野生への回帰ではない。動物性から離れた人間であるがゆえ、禁忌を犯そうとするベクトルにこそ、エロティシズムは生じる。
実際、われわれがやがて見るとおり、エロティシズムが形成されるためには、怖れと魅惑との交互作用、否定とそれに続く肯定という交互作用が起こるということが、論理的に当然なものとして含まれているのである。そういう肯定は、それが人間的であり(エロティシズムであり)、ただ単に性欲的でなく、動物的でないという点で、直接=無媒介的な前者(すなわち否定)とは異なっている。
ルーティンにひたすら身をよせ、すこしも勇気を振り絞る決断をもとうとしないものは、このエロティシズムとすら無縁ということになる。そこにドキドキがないのは当然だろう。
あまりに人間的なエロティシズムからも離れてしまった、機械=動物的なルーティン人間は、だから、すこしでも
慣れ親しんだルーティンから外れた途端、フリーズしてしまう。決断をしたことがないから、企ての外で動くことができないのだろう。
そういう様子を思考停止と呼んだりするが、実際ははじめから思考は動いていたわけではないから停止は正しくない。
ルーティンのなかで動いているのは、単なる記憶されたものの再生であって思考と呼ぶのはどうか。
その頭の使い方ではちょっとむずかしい文章に出くわしただけでも、それを解釈するという思考が働かないのではないかと思う。また、いままで出会ったことがない事象を前にしたとき、その目の前にあるものから自分が感じたことを言葉にすることもうまくいかないのではないだろうか。
なぜ、もっと不安と仲良くやれないのか、と思う。
ぼんやりとした闇に身を浸して何もかもがわからなくなった宙釣りの状態で、自らの肉体や外部から忍び寄ってくる得体の知れないものの気配をただただ感じる喜びを肯定できないのか、と。
そこにこそ、精神を豊かにする「恍惚」があるはずなのに。
私は、本能にそそのかされて、私が現に落ち込んでいる埋没状態に対する嫌悪から、恍惚を迎えにゆくことはできる。このとき、恍惚は、均衡喪失から生まれるのである。私は外的な諸手段によるほうが、いっそうよく恍惚に到達できる。つまり、私自身の内部には、必要な手筈が見つからないからだ。かつて私から恍惚を知った場所、肉体的感覚の魅惑の記憶、私に的確な記憶をとどめている月並な環境、そういうものは、叙述的精神の運動が行なうあの自発的な繰り返しよりも、はるかに強大な喚起力をもっている。
わかりやすすぎる企てからは均衡喪失は生まれない。得体の知れないものとの出会いも交流もそこにはない。そうした出会いや交流がなければ「私自身の内部には、必要な手筈が見つからない」わけで、そこには心を動かす恍惚など生じる可能性はない。
恍惚を欠いたもの。それは動物か、機械かのいずれかだろう。
犬のように死ね
こうしたバタイユの決して明確ではないアフォリズム的な言葉に最近よく触れているからこそ、明るさ、軽さ、善良さ、わかりやすさといったものが不健全に思えてならない。
そして、その反対に、昏いもの、重苦しいもの、悪や不良、そして、知を超えていくものに惹かれてしまうのだ。
恍惚を欠いたものは動物か、機械かのいずれかだと書いたが、もうひとつ、言えるのは、それは骸骨でもあるということではないか。
通常の条件下では、時間は廃棄されていて、もろもろの形態の、あるいは予見された変化の永続性のなかに閉じ込められている。秩序の内部に書き込まれた諸運動は時間を停止させ、尺度と、透過性のなかに凍結してしまう。「万象の死滅」はもっとも深いところからする革命だ-それは「蝶番から外れた」時間だ。骸骨がその表象となるだろう。骸骨は腐敗の終わったときに出現する。幻めいた骸骨の現存在が、腐敗のあとに生まれる。
時間が廃棄された企ての空間。時間をともなう死においては悪臭を放つ腐敗がそこにはあるが、時間が廃棄されれば、そのあとには腐敗という生命=自然の活力を失った骸骨しか残らない。
腐敗は次の生命を生むが、骸骨はもはや何も生まず、時間さえそこには流れていない。
ルーティンのなかで生きるというのはそうした骸骨とともに、骸骨のように生きるということだ。
骸骨のように生きるのなら、犬のように死んだほうがマシだと思う。
だが、遥かな可能性のなかでは、この「犬のように死ね」の純粋さは情熱というものの欲求に対して答えている~ただし主人に対する奴隷の情熱にではない。死に身を捧げる生とは愛する女へ向けられた男の情熱だ。
「時間とは、真実らしく見えた諸客体の逃走をしか意味しない」とバタイユはいう。
時間を動かし、情熱を求め続けるためには、真実らしくみえるものを自らの頭のなかから追いだし、もはや真実らしいものも何もないよう非蓋然性の夜へと自らを溶かし込むことこそが、普通であるような日々をすごす必要がある。
もっと不安な夜を愛そうではないか。
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集団を動かすもの - システム、コンセプト、非知的なもの
人を動かすのにシステム以上に強力なもの、それは人が信じている概念(=コンセプト)であり、それを指し示す言葉なのだと思う。だから、システムに沿って受動的に動いてもらうより、何らかの概念を理解してもらい、その概念の存在を信じて受け入れてもらったほうが人は主体的に動くようになる。その概念があまりに当たり前になって普段は意識することもないくらいに自然なものになれば、その概念に関連した行動はもはや自動的なものにすらなるだろう。例えば、喫煙は他人の迷惑のかからない喫煙エリアで行うとか、性..
思考
HIROKI tanahashi
2017-11-04T01:54:55+09:00
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人を動かすのにシステム以上に強力なもの、それは人が信じている概念(=コンセプト)であり、それを指し示す言葉なのだと思う。
だから、システムに沿って受動的に動いてもらうより、何らかの概念を理解してもらい、その概念の存在を信じて受け入れてもらったほうが人は主体的に動くようになる。その概念があまりに当たり前になって普段は意識することもないくらいに自然なものになれば、その概念に関連した行動はもはや自動的なものにすらなるだろう。
例えば、喫煙は他人の迷惑のかからない喫煙エリアで行うとか、性的指向は多様なのだから性的少数者の権利も認めるのは当然であるとか、それらはルールやシステムの問題である以上に、考え方、どのようなコンセプトをどう信じて行動する上での判断基準として用いているかという問題である。もちろん、人が信じる判断基準と現実のルールやシステムに乖離があれば、現行のルールやシステムを改編する必要があるが、その逆にルールやシステムの側から変えようとすると、一部の人には心理的な違和感が生じてしまうこともあるはずだ。
いくつか前の記事「知識をもたない初心(うぶ)な者は機械的な形式にエモーションを操作される、恋愛においてさえも」で、シェイクスピアの戯曲『オセロー』の主人公が恋愛に対して初心すぎて恋愛については紋切り型の瑣末な知識しか持たなかったがゆえに、自分を憎む部下に欺かれて、愛する妻の浮気を疑い、怒りのあまり殺してしまうという痛ましい結末に至る際の、言葉=知識のもつ力の怖さについて触れていたが、それも同じことだ。浮気は裏切りであるという考えと、悪どい部下の吹きこむ偽りの言葉があまりに安易に結びついてしまい、ありもしない浮気を疑い、愛する妻の殺害へというどう考えても高いエネルギーを必要とする行動へと主人公の思考を動かしてしまう。
そういう観点からみれば、組織やコミュニティにおいても、単にルールやシステム、やり方などだけを共有しているものよりも、価値観だとか文化とかを共有しているもののほうが、組織や集団としての行動力は強くなるはずである。
強烈に価値観が共有できていれば、その組織やコミュニティがもつ力は強力なものになるだろう。
頭脳的な性的活動としてのエロティシズム
そんなことを最近考えているなか、ジョルジュ・バタイユの『エロティシズムの歴史: 呪われた部分 普遍経済論の試み 第二巻』を読み始めた。
バタイユは、その本で、動物における性的活動と人間的な性的活動の違いに触れ、人間の場合にのみ、動物的性的活動に加える形で存在する「頭脳的な活動」をエロティシズムとして扱っている。
頭脳的な活動ということによってなにを指しているかと言えば、つまりそれ自体としてはなんら性的な意味を持たず、また性活動に対立する意味もまったく持たないような諸々の事情や存在たち、場所や時間などに、性的な資質を付与する傾向を持つ連合作用とか判断の働きなどである。たとえば裸体の意味とか、近親婚の禁制などがそうであるように。こうして純潔ということ自体もエロティシズムの諸々の様相のうちのひとつであり、つまりは本来人間的な性活動のひとつのアスペクトなのである。
このエロティシズムの例などは概念というものがどれほど、人を激しく行動に突き進ませるかということを示してくれるものはないのではと思ったりする。
人を行動に促す「頭脳的な活動」としてのエロティシズム。
それは先ほど紹介した『オセロー』における紋切り型の拙い知識や、「どこまで愛されているのかその限界を知りたいの」で取り扱った同じくシェイクスピアの戯曲『アントニーとクレオパトラ』における誇張表現における言葉というものが、いかに人の心を動かし、行動へと誘うかという点から、そのうち、バタイユを読もうと思わせたからだが、もう1つ、バタイユを読みたかった理由がある。
それは、この『エロティシズムの歴史: 呪われた部分 普遍経済論の試み 第二巻』という本のサブタイトルにもなっているように、これがエロティシズムというものを「普遍経済論の試み」として扱ったものだからだ。
バタイユに私淑する
バタイユは『エロティシズム』という別の本(書評記事)でこう書いている。
自分の姉妹を贈与する兄弟は、自分の近親の女との性的結合の価値を否定するというよりはむしろ、この女を他の男と結びつけ、また彼ら自身を他の女と結びつける結婚のより大きな価値を肯定しているのである。気前のよさを基底にした交換には、直接的な享楽よりももっと広汎で強烈な交流がある。より正確に言えば、祝祭性は、運動の導入を、自己閉塞への否定を前提にしているということだ。(中略)性の関係は、それ自体、交流であり運動である。
性の関係を、交流、運動、そして、何より贈与経済(ギフト・エコノミー)における非等価交換的なものに結びつける視点がバタイユにはある。
この『エロティシズムの歴史: 呪われた部分 普遍経済論の試み 第二巻』の目的としてバタイユ自ら、"「普遍経済論」の第2巻である本書が追求しようとしてるものがなにであるかというと、それは人間たちの活動を、自らの諸資源の無益な消尽という目的以外の他の諸目的へと服従させるようなさまざまなイデーを全般的に批判することである"と書いて、生産性や合理性、有用性を重視する現在の資本主義経済に慣れきった僕らからみれば、あきらかに非合理な贈与経済がもつ「資源の無益な消尽」という、きわめてバタイユ的なテーマを扱うことを宣言している。
あらためていえば、僕自身がいまのように考えることができ、その考えの根幹を成す作法を教えてくれた私淑の師ともいえる人は何人かいるが、バタイユはそのなかでも大きな存在のひとりだと思っている。
例えば、バタイユのいう「非-知」。この閉じた知に対する開かれた姿勢を問うコンセプトなどは常に僕の知的活動、考えを巡らす際の底流を成している。
無知ではなく、非知。
酒井健さんは『バタイユ』でこう書いている。
知の衣を脱がす、あるいは切り裂くことこそが、非-知の第一の働きである。そうなると、人は不安に駆られるが、その不安を笑い飛ばすというのも、非-知の働きにほかならない。そしてさらに非-知は恍惚を伝達する。恍惚とは、西洋語の原義では脱自つまり自分の外に出ていくことである。
僕がわからないことの不安に向きあうこと、自分のわかっていることの外に出ることを事あるごとに推奨するのも、バタイユが教えてくれた、こういう非知というものの価値がすっかり染みついているからだと思う。
そして、この非知における「脱自つまり自分の外に出ていく」というオープン性は、先の贈与経済における外部との交流に重なることがポイントだ。しかも、それは非等価交換的な関係性である限りにおいて、等価交換のような共通のシステム=共通言語を有しない関係、つまり、相手のことにかんして知らないことがあるという状態であるというのが重要なのだと思う。
天の底が開いたような感覚を伴うそれらの瞬間の代わりに、空虚な思考をすえてしまう
そんな事前のバタイユに関する知識があって、価値観が人をどう動かしうるか、そして、それらが今後の組織やコミュニティのあり方にどのような影響を与えうるか?という観点から、この『エロティシズムの歴史: 呪われた部分 普遍経済論の試み 第二巻』を読み始めたのだが、のっけから心をぞわぞわさせる、こんな一文にぶち当たって動揺した。
人間存在は、たとえ最もつつましやかで、教養を身につける機会に恵まれなかったような存在であっても、可能なるものの経験を有しており、さらには可能なるものの総体の経験さえも有している-そしてそういう経験は、その深淵さと激烈さという点で、偉大な神秘家たちの経験に近づいているのである。
ぞっとした。
バタイユの思考というのは基本的に残酷だ。容赦がない。ヒューマニズム的な温かさのかけらどころか、痕跡さえない。
どこまでもサディスティックで、そのへんも僕は思考のスタンスとして学んでいると思う。
そんな感じは衝動的に受けるのだが、この一文だけだと「可能なるものの経験」が何かがイメージできない。
でも、バタイユが何かすごく本質的なものを抉りだそうとしていることだけは、バタイユを読み慣れていると一瞬にして感じとれるから、ぞっとする。
それが、もうすこし読むと、この「可能なるもの」が何かという輪郭くらいは見えてくる。
こんな一文から。
エロティシズムに関わる生活が問題とされるとき、大多数の人々はこのうえもなく通俗的な考えをもって対処することで満足してしまう。一見するとそれが卑猥な外観を呈しているというところに罠があるのであって、彼らがその罠に落ち込まない場合は稀れである。そうしてそのことが平静さを保ちつつ、生のエロティックな側面を侮蔑する理由となる。さもなければ彼らはこの醜悪な外観を否定してしまおうとする。それでこんどは侮るのではなく、陳腐な俗っぽさに移行する-「自然のなかには穢れたものは何もない」と断言するわけだ。いずれにせよわれわれはうまく都合をつけて、ほんとうはわれわれにとって天の底が開いたような感覚を伴うそれらの瞬間の代わりに、空虚な思考をすえてしまうのである。
僕らはほんと常にすぐに「空虚な思考」ばかりにまみれたがる。
バタイユは「空虚な思考をすえてしまう」と書いているが、もっとひどいのはそれさえせず、すえることすらせず、誰かが先にすえた「陳腐な俗っぽさ」にたよることだ。
そうすることで失ってしまっているのは「われわれにとって天の底が開いたような感覚を伴うそれらの瞬間」という大切なものであるというのに。
コミュニティに、そして、社会に、いかにして「消尽」を再導入するか?
だからこそ、バタイユは安易にエロティシズムの問題を安易な知へと回収しようとはしない。むしろ、「知の衣を脱がす、あるいは切り裂く」非知とつながるものとしてエロティシズムの問題を扱っている。
だからこそ、エロティシズムは「教養を身につける機会に恵まれなかったような存在であっても」それを有するような「可能なるものの経験」としてあるのである。
そして、ここが実ははじめに書いた、コンセプトや価値観を共有する組織やコミュニティは強いといった場合の組織やコミュニティのあり方をさらに2分するポイントになる。
つまり、
- 言語化されたヴィジョンや哲学などによってまとまった組織・コミュニティ
- エロティシズムがそうであるような非知によってつなった組織・コミュニティ
という2つの区別があるのだと思う。
あえて、いじわるな形で言い換えればこうだ。
「空虚な思考をすえて」「陳腐な俗っぽさ」によってまとまる組織・コミュニティと、「天の底が開いたような感覚を伴う瞬間」を共有するコミュニティだと。
かつては一切が一部の人々の利益に奉仕していた。そこでついにわれわれは、いっさいがすべての人々の利益に奉仕するような決意を定めたのである。ところが実際に適用されるとすれば、この後者の体系のほうが、その奉仕のシステムがより完璧であるという点において、はるかに不吉なのだ。だからといって前者の体系に復帰するという理由にはならない。しかしもしわれわれが消尽をわれわれの活動の至高の原理としないならば、われわれはあの途轍もない破産の混乱のなかで滅びる以外にないだろう-そうした大混乱によるのでなければ、われわれは自分たちが手にするエネルギーを消尽するすべを知らないからである。
経済格差などの問題を前にして、そして、さまざまなものの消費などに関するエシカルな観点からも、より包括的な視点で幸福とは何かを問い、暮らしのあり方を問い直す方向へのシフトが社会的な方向性としてみられるが、このバタイユの言葉をみると、そのきわめてエシカルで、吝嗇的な考え方にこそ、実は破産への危機が潜んでいるのではないかとも感じる。
人間のなかのエネルギー、そして、人間ときわめて深く結びついた微生物たちのエネルギーも含め、あまりに吝嗇的な視点で知的にコントロールしようとすれば、行き場をなくしたエネルギーがいつ突然、不幸な形での爆発を起こさないとは限らない。
われわれは人間存在を-その意味するところを-捕捉しようとすると誤りやすい様態でそうする以外にはないように思える。なぜなら人間は絶え間なく自己に矛盾するふるまいを行なうからであり、善意から卑劣な残酷さへと、深い恥じらいから極端な淫らさへと、このうえなく魅惑的な一面から最も醜悪な面へと突然移行するからである。
バタイユがいうように「人間は絶え間なく自己に矛盾するふるまいを行なう」ものだと思う。
けれど、そうはいっても社会的な流れは、この矛盾する人間のうち「善意」の面、「深い恥じらい」をもった面、「このうえなく魅惑的な一面」だけを見ようとする傾向に加速し、これらに関連したコンセプトを元に、組織やコミュニティを再編しようとする方向性をもっている。
それは「自然のなかには穢れたものは何もない」と信じてしまうようなもので、あきらかにいつ起こるかもしれない「天の底が開いたような感覚を伴う瞬間」のことを軽視しすぎているのではないかと心配になる。
だとすれば、いかにして「われわれは自分たちが手にするエネルギーを消尽するすべを知」り、それを社会へと再導入することができるだろうか?
いま、そのことにすごく関心がある。
だからこそのバタイユへの再私淑である。
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http://gitanez.seesaa.net/article/454459960.html
知っていることより大事なこと。それは新しいことを知ることができるということ。
常々、思う。たくさん知識をもっていることより、もっと大事なことがあるって。もっと大事なこと。それは新しい知識をどんどん手に入れ、自分でそれを扱えるようになる能力をもつことだ。知らないことでも聞けば瞬く間に知っている状態に移っていける。その力さえあれば、いま、どれだけ知識を持ってるかはそんなに関係ない。だって、必要なときに必要なだけ一気に手に入れ、扱えるようになればいいのだから。そう。その意味ではどんどん手に入れ、それを扱えるようになる力にはスピードがともなっている必要がある。..
思考
HIROKI tanahashi
2017-10-27T00:00:53+09:00
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常々、思う。
たくさん知識をもっていることより、もっと大事なことがあるって。
もっと大事なこと。
それは新しい知識をどんどん手に入れ、自分でそれを扱えるようになる能力をもつことだ。
知らないことでも聞けば瞬く間に知っている状態に移っていける。
その力さえあれば、いま、どれだけ知識を持ってるかはそんなに関係ない。
だって、必要なときに必要なだけ一気に手に入れ、扱えるようになればいいのだから。
そう。その意味ではどんどん手に入れ、それを扱えるようになる力にはスピードがともなっている必要がある。
だったら、常日頃から知識を徐々に手入れておけばいいじゃないかって?
いつ何の知識が必要かもわからず、闇雲に知識をたくわえておくというのはあまり意味がある気がしない。
もちろん、興味がある知識を常日頃から手に入れるのはもちろん意味がある。
だって、興味があって知りたいのだから、その欲望を満たせばいい。
でも、いつ役に立つかわからない知識を勉強だからといって、詰め込むのは、義務教育の頃だけで十分ではないだろうか。
すくなくとも大人にそんな知識がいらない気がする。
そんないらない知識を学ぶ暇があったら、いますぐ必要な知識を得ることと、何より知識を必要なときに必要なだけ手に入れ、使えるようになるための土台となる理解術や思考法を身につけておいたほうがいい。
だって、いまの時代、必要な知識など、次々と変わるんだからストックしておくことなんて、ほとんど無意味だから。
わからないことをわかるための行動のバリエーション
新しい知識をどんどん手に入れ、自分でそれを扱えるようになる能力をもつには、どうすればよいか。
それにはまず、とにかくわからないことから逃げないことだ。わからないことは知ろうとする姿勢を常にもっていることが大事だ。わからないことが好きになるくらいがちょうどよい。
誰かが何かわからないことを言ったとする。そのとき、わからないで終わりにするのではなく、なんでもいいからわかるための行動ができているだろうか。
自分ですぐに検索して調べるでもよい。
相手に直接どういうことなのか質問してもよい。
話のあと、他の誰かに聞くのでもよい。
いや、言葉の意味とかはわかっているなら、それがどういう意味を持つのかを、自分で考えてみることも必要だろう。
違うものに置き換えてみたらどうだろうと考えてみるのもよい。
相手のいったことと、自分であとから調べた情報を、紙に図式化してみたりしながら、情報の構造、話の文脈を明らかにすることで話の筋を理解しなおしてみるのも効果的だったりするだろう。
具体的なイメージがわかないのだったら見に行ったり、体験しにいくことが必要な場合もあるだろう。
人間という有機体、この思考を恵まれた肉体には2種類の思考をという選択肢などない。ただ1種の思考あるのみで、有機体全体がそれに沿って働く。
とにかく、わからないことをわかるための行動のバリエーションをどれだけもっていて、どれだけそのバリエーションを使いこなせるか、使いこなしているかだ。
わかるための行動ができなければ、わかるようになるはずはない。
この当たり前のことが本当の意味でわかっているかどうかだ。
頭がいいとか悪いとかは、もっとずっとあとの話なのだと思う。
わかるための行動ができるか、まあ、ありきたりな言い方をすれば好奇心をどれだけ持っているかだ。
わからないものの前にずっと対峙し続ける
わかるための行動という意味では、わからないことの前にどれだけ辛抱強く対峙できるか?ということもある。
例えば、わかりにくい本。どれだけそれを読み続けられるか。一度はやめても、また、チャレンジしてみようという気になるか。
わからないとあきらめてしまったら、わかるようにならないというのは当たり前すぎるほど当たり前だ。だとしたら、あきらめることをせず、どれだけわからないものを相手にし続け、わかるための手がかりを得る姿勢をとり続けられるか。
ずっとわからないものなんて基本的にない。しかも、わかるということは正解を得ることではない。
こんなカリキュラムは、僕らにはもう不要だろう。
カリキュラムとは、伝統的な陸上競技からとられたメタファーである。走路と同じく、カリキュラムは生徒が沿って走らなければならない道筋のことである。
自分とわかろうとする相手との関係を築き、その関係をもって、その対象を自分のものにする、自分にとって有益なものにすることができるかどうかだ。
関係性をつくるのだから、相手に向き合い、自分から相手に飛び込まないと、わかりあうという関係になるはずはない。
それは相手が知識や情報でもまったく同じことだ。
人間を相手に本心だとか、考えていることを正確に知ることが相手を知ることではなく、どう自分と相手とのあいだに関係をつくるかというほうが相手をわかるということに近いのと同様、知識や情報だってそういうものだということを案外、わかることが苦手な人はわかっていない。
わかるということは付き合えるということなのだ。
違いを自分でつかんでみる
違いに敏感になるというのも、わかる力をつけるためには大事なことだ。
なんでも、おおざっぱに同じものにくくってしまわないこと。どれもこれも同じ言葉で呼んでしまわないこと。
流行りのせりふを真似してばかりで、自らのボキャブラリを増やすことを怠らないこと。言葉を常に見つけるくらい、いろんな呼び方、いろんな表し方、いろんな言い回し、いろんな説明の仕方を駆使することで、相手にしているものの些細な違いを見つけられるようになること。
違い、それは価値であり、価値こそわかる必要があるものなのだから。
芸術家は常に新たな可能性を示す緊張した現実の証人であり、人間の本質と人間の世界を形成する挫けることなき精神の自由の証人であり、あらゆる解釈済みのものと制度化されたものの否定者である。この意味でボードレールは特殊なアクセントを置いて〈新しさ〉の機能を顕彰したのだった。〈新しさ〉は驚愕をよびおこし、不安に陥れる、というのもすでに解釈済みのものをもっと遠く地平の向こうへと押しやり、疑問を掻き立て、ファンタジーを刺激するからである。
何がどう違っているのか考え、それを言葉にしてみる。
並べてみて、比較してみて、見えてきた違いを言葉にしたり、図にしたり、構造化したり、フローにしたり。
その違いが何なのかを表現してみる、動きのなかに入れてみる、生活のなかに、仕事のなかにいれてみる。
違いを動かせるように、役立てられるように、違いを自分でつかんでみる。
そんなことを日々、やってみることで、わからないものたちと付き合えているだろうか?
それとも、そんなことは避けて、とにかく保守的に、守りに入って、自分が信じてるふりしているルーティンに逃げ込んではばかりはいないだろうか?
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