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編集的思考でみずから解釈する、詩人のように

編集的に思考できる力がいま必要だ。 世の中にはあまりに多様な情報がありあまりすぎているから。 ありあまる情報を相手にする場合、単に情報を取捨選択すればよいわけではない。 単純に取捨選択などしようとすれば、一見、魅力的に感じることばの響きに騙され、考えもなく、それに引き寄せられてしまう。前回の記事(「倫理が現実を茶番にする」)で、何が許され、何が批難されるべきなのかを判断する倫理自体がきわめて恣意的であることを指摘したばかりだ。倫理がそれほど危うい状態なのに、誰かが放った情報をただ勘にまかせて、選びとってしまうのはあまりにきびしい。 レンヌ美術館の「驚異の部屋」の展示棚。無数の奇異な品々は奇異さというキーで編集的に集められたもの いま必要なのは、多様な情報をいったん自分自身で編集しなおしてみて、自分なりの理解を組み立てるスキルであり、センスだろう。 逆にいえば、状況を自分でしっかり考えとらえられないセンスの欠如は、自らの思考と編集的な作業をうまく絡ませて、言語化する作業を怠ることに起因する。 そんな考えが浮かんだのは、ロザリー・L・コリーの『シェイクスピアの生ける芸術』の、こんな一説にふれたときだ。コリーはシェイクスピアの『ソネット集』からソネット21番の一部を引きながら、こう語る。 "ああ、愛において真実であるわたしは、詩作においても真実でありたい、 これが本当のこと、私の恋人は人の子の誰にも負けず美しいが 天空に据えられたあの黄金の蝋燭ほど輝いてはいない。 …

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官能の庭/マリオ・プラーツ

分厚い。 本がではない。本自体もそうだが、何よりここに描き出されたヨーロッパの歴史の厚みがだ。しかも、その厚みある歴史というものも、単なる一本道の直線的道のりではなく、マニエリスム芸術の蛇状曲線(フィギューラ・セルペンティナータ)のようにうねり錯綜しているし、そもそも、それが未知であるかどうかでさえ定かではない。むしろ、はっきりと刻まれた道ではないところにこそ、実は隠された厚みがある。 確かに本そのものの物理的な厚さも読み終えるのに苦労する程度には分厚いのだが、それよりもこの本を成す基盤としての知識の厚みに、まず唸る。ヨーロッパの積層した知識の厚みを、この1冊から感じずにはいられないのだ。 そして、何より、その分厚く積層した知識を、物理的にも分厚い1冊として編み上げ、展開するプラーツという人の編集的視点の凄さに驚く。 文学、芸術、音楽、工芸など、さまざまなカテゴリーに、あるいは国や地域ごとに分断された状態で堆く積まれた知識の断片、互いに無関係に見える諸事象を、その地下深く流れた根源的な水脈の同一性を発見することで結びつけ、誰も知らなかった流れを見事に綴り浮かび上がらせてみせる手腕はまさに「官能」的ですらある。 一見無関係なもの同士のあいだに類似を嗅ぎ取り、中世の神秘思想家のニコラス・クザーヌスであれば「反対物の一致( コインキデンティア・ポジトールム)」と呼んだであろう関係性を提示してみせる。本書に登場する人物の数の膨大さも圧巻だが、その無関係なもの同士を見事にひ…

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なぜ希望の実現が情報の編集行為と結び付いているのか

人間にとって自己実現っていうのは、一体何なんでしょうね。 自己表現欲だとか、他人とコミュニケーションしたがる(特に自分の話を聞いてもらいたがる)というのは何でしょう。 「古代研究―1.祭りの発生/折口信夫」ですこし紹介したように、古代においては天皇が宣る祝詞で予祝(ことほぎ)されたことがらは、現実になると考えられていました。これは言霊信仰につながる話で、天皇のことばだけでなく、「見れど飽かぬ」という『万葉集』に50近くあるといわれる表現が「見る」ことで自然のもつ生命力を肉体に宿らせると考えられていたように、古代人にとっては、ことばや見ることで対象を模倣することでその対象のもつ力を自らに宿らせることができると考えられたのは「古代人にとっての装飾」でも紹介したとおりです。 こうした表現で、自分自身の欲望を実現できるとする信仰は古代の人びとに限ったことのように思われがちですが、どうもそうではなく現代に生きる僕らもすくなからず保持しつづけている信仰であるような気がしてきました。 そうでなくてはブログを書いたり、tiwitterでつぶやいたり、着飾ってみせたり、誰かにおしゃべりせずにはいられなくなったりという、自己表現欲というか、コミュニケーション欲の説明がうまくできないような気がするのです。

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知の編集工学/松岡正剛

そろそろ、この本のことも紹介しておこう。 あまり自身の仕事そのものに関しては書かない松岡正剛さんが、ご自身の仕事の根幹をなす「編集」について、「編集工学」という方法について書いた本です。 情報が情報を呼ぶ。 情報は情報を誘導する。 このことは本書がたいそう重視していることだ。「情報は孤立していない」、あるいは「情報はひとりでいられない」ともいえるだろう。また、「情報は行先をもっている」というふうに考えてもよいかもしれない。 松岡正剛『知の編集工学』 確かにこの言葉には「編集」というものの主要な性質が凝縮されているように思います。情報を収集し選択し分類すること、対称性、類似、相違、順番などで情報を並べ、要約、モデル化、列挙、言い換え、引用、図解、例示、強調などの方法を用いて編集を行う際、情報同士が呼び合ったり誘導したりするモーメントをいかに見出し、うまく活用するかは「書くスピード、理解のスピード」なんてエントリーを書いたばかりの僕からみても、ひとつのポイントだと思うからです。 連想ゲームのような現代の遊び、連歌や俳諧、茶の湯や香道のような中世~近世にかけて行われてきた遊びにも、こうした「情報が情報を呼ぶ」性質が用いられていますし、そもそも僕らが普通にものを考えるときにもこの「情報が情報を呼ぶ」性質を使わなければ思考は展開していきません。言葉そのものがほかの言葉と連動することではじめて機能するネットワーク性をもつのであって、その意味で僕らは誰もがつねに編集をしているんですね。 …

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自分は粘り強さ、継続性が足りないなと感じる人のための3つの処方箋

粘り強さというか、継続性というか、とにかく自分がやると決めた事柄を最後までやり遂げられない人が多いような気がしています。 もっともらしくやりたいことや意欲を口に出すのはいいんですけど、結局、それが具体的な活動に落ちていかないし、たとえやり始めたことがあっても続けられません。なんでそうなってしまうのか、僕にははっきりとその理由はつかめていませんけど、とにかく具体的な活動を継続して積み重ねることでしか結局のところ何も身に付かないし結果も出ないんだということが理解できていないのでしょう。それにゆえに継続性の価値、粘り強い忍耐力をもって事にあたるということに価値を見いだせないのかもしれませんね。 途中でやめるということがカッコ悪いことだという認識がないんだと思います。 僕は自分でやろうと思ったことさえ続けられないなんて無茶苦茶カッコ悪いと思うし、ある問題を解決するために計画し現実化するというプロセスはデザインの基本ですから、とうぜん、自分でやろうと思ったことさえ続けられない人にデザインなんてできないと思っています。 デザインするということを考えるなら、自分自身を動かす頭のなかのプログラムを「途中でやめるということはカッコ悪いこと」とちゃんと認識可能なものに再インストールしてあげる必要があるでしょう。

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日本という方法―おもかげ・うつろいの文化/松岡正剛

日本人は方法が得意じゃない。 そう言ったのは、今日の「ペルソナ/シナリオ法による商品・サービス開発」セミナーでの山崎さんでした。 約5年前での海外セミナーでのこと。出席者にペルソナという手法について訊くと、ほとんど全員が知っていて、半数が何らかの形で使ったことがあると答えたそうです。とうぜん、日本では昨年あたりからようやくペルソナに注目が集まってきたばかりで、まだ実際に使っている人はそれほど多くないはずです。 それなのに、5年前の段階で、ペルソナがどういう手法かという議論ではなく、自分たちでどう取り入れるかという議論を他の人間中心設計の手法と同様に議論していたことに驚いたという話でした。 確かに、そう言われると、いまの日本人は既存の方法をうまく活用するのがうまくないと僕も感じます。 それは人間中心設計の手法に関してだけでなく、これまで僕が仕事で活用させてもらったシックスシグマの手法や、バランストソコアカードの手法、マーケティング関連の手法、どれをとってみても、興味があるとか、話を聞いてみたいという人は数多くいるものの、実際にそれらの手法を自分たちで使ってみようという人はあまり見かけてきませんでした。 方法に興味は示すものの、それを活用するのが苦手なのが、いまの日本人かもしれません。

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