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ファウスト/ゲーテ

2018年、こちらのブログの書き始め。 noteの方にも書き始めたので、年末年始そっちばかり更新していたせいもあって、気がつけばもう19日。 noteのほうもよろしくです。 → Hiroki Tanahashi | note さて、今年はゲーテの『ファウスト』からはじめていたい。 昨年の最後の記事に書いた通り、2018年はゲーテについて考えてみようと思っている。 なぜ、ゲーテなのか? まず、詩人、劇作家、小説家としてドイツを代表する文豪である一方、色彩論や生物形態学、地質学などの分野で自然科学舎としても後につながる功績を残し、また、26歳で移ったヴァイマル公国で政務にも関わるようになり、33歳には公国の宰相にもなっている多才なゲーテという人について興味がある。 文学と自然科学、そして、政治という今ならつながることがほとんどありえなさそうな領域横断を一身で体現した、その思考の有り様と、それらがつながることで成されたものが何かということを考えてみたい。 また、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、1749年、ドイツ・フランクフルトに生まれ、1832年ヴァイマルで没しているが、この18世紀から19世紀を股にかけた人生は、イギリスを皮切りに産業革命が進み、フランスでは革命が起き、そして、ナポレオンのウィーン占領により1806年には中世から続いた神聖ローマ帝国が消滅する、といったような大きな変革の時代に重なっていて、ゲーテを通じて、その激動の時代の人々の思考や生活様…

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科学と詩の結託(悪魔との契約としてのゲーテのアンチ・ディシプリナリーな思考姿勢)

ゲーテの『ファウスト』を読み始めた。 来年前半はゲーテについて、あらためてちゃんと知っていこうと思っているので、その第一歩。 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテに興味を持っているのは、彼が、詩人、劇作家、小説家という文学の人という側面をもつ一方、色彩論、形態学、生物学、地質学といった広範囲にわたる自然科学者としての側面をもっているからだ(もうひとつ政治家という面もあるが、そこは問わない)。 そして、その両側面にまたがる功績を残したゲーテであるがゆえに、例えば、彼の色彩論研究からは、生理学とという自然科学の分野と、印象派という美術の分野での2つの新しい思索のカテゴリーが生まれている。 ゲーテとショーペンハウアーとが主張した、観察者に新たなる知覚の自律性を与える主観的視覚は、観察者を新しい知や新たなる権力の諸技術の主題=主体にすることと軌を一にしてもいた。19世紀において、これら二つの相互に関連した観察者の形象が浮上してくる領域こそ、生理学という科学だったのだ。 ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』 19世紀初めのゲーテ、ルンゲ、ターナーらに始まる色彩研究の新たな興隆は、近代絵画史における道標としてあまりにも有名な画家モーリス・ドニの発言−「画面とは、ひとつの逸話である以前に、ある一定の秩序を持つ色彩でおおわれた表面である」(1890年)−を経て抽象絵画成立期に通じる重要な道筋を切り開いた。15、16世紀における西欧の造形思想のひとつの基軸が線遠近法にあったとすれば、…

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流動的で複雑な系が前提となった時代にリサーチすることとは?

最近、「リサーチ」について考えている。 どちらかというと「研究」という意味でのリサーチ。でも、もうすこし曖昧に「知りたいことを知ろうとする活動」という意味でリサーチというものを捉えている。それは学術的な意味でのリサーチであっても、産業分野でのリサーチ、デザインリサーチでもいい。あるいは個人的な趣味の範囲でのリサーチも含めて、とにかく「知りたいことを知る」ための活動としてのリサーチがこれから、どう変化していくのか(あるいは、すでに変化しはじめているか)ということに興味がある。 まさに、「これからのリサーチ」についてのリサーチをしたいという思いである。 そんなことをあらためて考えはじめるようになったきっかけの1つは、"我々人類は変わりつつある。人類は自分の創り出したものとあまりに絡み合うようになったので、もはやそれを区別はできない”といった書き出しではじまる、MIT Media Labの“Journal of Design and Science”というメディアに掲載されたダニー・ヒリスの「啓蒙は死んだ、もつれに栄えあれ」という記事だ。 その記事で、ダニー・ヒリスは、自然と人工物の区別はもはや曖昧でしかなく、それらは複雑に絡み合っているのだという。自然物の性質をシミュレートするような人工物をヒリスは「もつれ人工物」と呼んで、次のように書く。 もつれ人工物は、人工的でもあり自然でもある。それは作られたものでもあり、生まれたものでもある。もつれの時代には、両者の差にほとんど意味は…

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観察者の系譜/ジョナサン・クレーリー

なぜ20世紀のはじめに突如として抽象画が生まれたのか? 画家たちはなぜ急に、ずっと続いた自然の模倣をやめたのか? あるいは、その予兆として、19世紀の終わりに印象派が、15世紀以来続いていた遠近法的な視点を放棄したのは何かきっかけがあったのか? よく言われるように、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーが印象派を30年も先取りした絵を1840年代には描き始めていたとしたら、何がターナーにそうさせたのか? なんと、そのきっかけがゲーテが1810年に出した『色彩論』だったというのが、本書『観察者の系譜』の著者ジョナサン・クレーリーである。 クレーリーは、ヨーロッパにおいて「観察者」というものが大きく変化したのが1820年からせいぜい1830年頃にかけてだと言っている。いや、正確には「観察者」の立ち位置が変化したというよりも、その頃にはじめて「観察者」という概念が生まれたのだとクレーリーは言う。 ゲーテは『色彩論』の「まえがき」で「色彩は光の行為である。行為であり、受苦である」と書いている。 これこそ、視覚という概念の大きな転換であり、「観察者」を生みだしたゲーテの発見である。クレーリーが本書で言っているのは、まあ、そういうことだ。 行為としての色彩。 つまり、このとき、はじめてデカルトやニュートン以来ずっと機械的なものと考えられていた視覚が生理学的なものに変わったのだ。いや、より正確に言うなら、そのとき、はじめて「生理学」的なる考えが生まれたのだとクレーリ…

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